秘め事

 月明かりだけの薄暗い屋根裏部屋で、彼は足の取れた椅子に凭れ掛かった状態で座っていた。
 何処を見ているのかも解らない視線は夜の星が輝く窓の外に向けられている。けれどきっと、彼は星なんか見ていない。
 声を掛けるべきか、否か。ほんの数秒にも満たない逡巡は、先に彼の方が振り返って自分の名前を呼んだことで取り消されてしまった。
「ハヤト?」
 耳に心地よい声が胸にすぅっと落ちてきて、つい今し方までの、このまま立ち去ろうかという気持ちが呆気なく消滅してしまった。我ながら、現金な性格だと思う。
「なにか、用かな」
 椅子から背を離して立ち上がろうとした彼に、そのままで良いからと首を振ると自分から彼の傍まで歩いていく。そして同じように、冷たい床板の上に腰掛けた。
 そこからは本当に月の光が綺麗に見えて、彼がこの場所に居着きたがる理由がなんとなく理解できた。
 けれど彼は月なんか見ていない。
 自分の知ることのない彼だけの世界を見ている。
「こんなところで何してるのかな、って思って」
 時間は既に夜半を軽く回っている。この孤児院を家としているメンバーは皆寝静まり、今起きているのは彼と、自分だけだ。
 空気は凛として冷え、触れれば鈴のような音を立てそうな感じがする。
「何を……あぁ、空を見ていたんだ」
 ――ウソツキ。
 一瞬言葉に詰まったあと、取り繕うような笑顔を浅く浮かべて彼は答える。その瞬間に自分が心の中で呟き返した言葉など、彼は知る由もない。
 彼は優しい、優しく嘘をつく。
 それが悔しい。
「へぇ、綺麗に見えるもんな」
 相槌を返せば彼は安心したように息を吐くのが解った。横目でちらりとその姿を盗み見て、しかしすぐに気づかれて見返されたので視線がぶつかり合う。先に逸らしたのは、彼だった。
 後ろめたい気持ちがなければ、こんな事は起きないはずだと心の中で警鐘が鳴り響く。なのに、信じたいと思う気持ちだってちゃんと存在しているのだ。
 教えて欲しい、君がそんな風な哀しそうな顔をするわけを。
 これは我が儘だろうか。
 何も解らず、何も持たずにこの世界にやってきた自分を君は、“必ず還してみせる”と約束してくれた。君が、俺をこの世界に呼んでしまったから、その責任を果たすため、それだけだと君は言った。
 でも、何処か違う。
 何処かで何かが引っかかっている。
 本当にそれだけ? 君にとって俺は召喚に失敗したお荷物? だったら、俺に与えられたこの力は何、この世界の誰も持たないこの力の意味は?
 それに、既に俺の所為でオプテュスとのいざこざが発生してしまった、それを放り出して自分だけ安全圏にいることも出来ない。フラットのメンバーには本当に世話になって、感謝している。その礼も出来ないまま還ることなんて出来ない。
 それに。
 時々感じる、知らない視線。
 町へ出たときには特に感じる、まるで人のことを観察するような嫌な気配。あれは何?
 君は知っているのではないの、俺が……この世界に来た本当の意味を。あの時俺を呼んだのは、君なんだろう?
「ハヤト?」
 真っ直ぐに彼を見つめたまま無言でいると、彼は怪訝な顔をして再びこちらを向き直ってきた。
 月明かりを背後に受けているため、彼の顔は影になってしまっている。けれどその表情は目で見るよりもはっきりと想像できた。
 困っている。
 君は、そう、いつも困った顔をしている。
 フラットに来たばかりの時も、町へ買い物に出かけたときも、食事の時もいつだって。君は戸惑いを隠せずにいる。
 団体生活をしたことがないと言っていた、こんな風に誰かと食卓を囲んで食事を共にすることがなかったことも。仲間と雑談を興じて笑い合い、時には喧嘩もしてより一層連帯感を強めることさえ、君は知らずにいた。
 それは驚きと同時に、哀しみを俺にもたらした。
 ねぇ、君は一体どういう生き方をしてきたの?
 あまりにも自分と違いすぎる世界に、君は置かれていたのだろう。そしてそんな世界から出てこの場所へやって来た理由は、絶対にあるはずだ。
 気づいている、俺は君を疑っている。
 そして知りたいと思っている、君のことを。もっと君を理解したいし、側に行きたい。
「ちょっと寒い。そっち寄ってもいい?」
 にこりと微笑んで尋ねると、彼は僅かに考えたようだったがすぐに頷いてくれた。
「アリガト」
 短い礼を告げ、彼の真横に身体を落ち着かせる。温もりを求めてそっと彼の肩にすり寄ると、戸惑いの感情が肌を通して伝わってきた。
 ほっとしている自分がいる。
 夜、こんな風に片寄せ合って互いの温もりを確かめ合っている自分たち。まだ子供で良いではないか、変なしがらみを感じて自分を閉じこめる必要なんてない。
 俺は君と本当の友達になりたいし、なれると信じている。
 俺は君を信じたい、この疑いの気持ちを消してしまいたい。
 たった一言あればいいんだ、そのひとことが何かはわからないけれど。きっと、そのひとことで俺の気持ちは全部綺麗に片づいて、あの星空のようにまた澄んだものに戻れるはずだから。
「ハヤト……」
「ん?」
 呼ばれて顔を上向けると、思いのほか彼の顔は近くにあった。
 危うく鼻先がぶつかり合うところで、吃驚して慌てて身を引こうとした途端、反射的に伸びてきた彼の腕に拘束された。
 ――え、え?
 一体何事か、訳が分からず混乱する頭で必死にこの状況を把握しようとする。直後、耳元で囁かれた言葉に、別に彼に悪気があったわけではないことを知った。
「……後ろ、危ないよ」
 え、となって振り返れば確かに、自分のすぐ後ろには割れて先が尖った木片が転がっていた。恐らく、彼が背を預けているこの椅子の部品だったものだろう。もしあのまま後ろに下がっていたら、何処かに刺さったかもしれない。彼はそれを危惧して止めてくれたのだ。
 でも、何も抱きしめなくても良いと思う。
 変に意識して、動悸が速くなっている。こんなのはおかしい、変だ絶対。
「あの、さ……キール」
 おずおずと声を出し、少し上にある彼の顔を見上げる。
 月明かりを浴びている彼はやっぱり綺麗で、少し羨ましいとさえ感じさせる顔の造形につい、見とれてしまいそうになった。
 返事はない、ただ彼も困った顔のまま自分を見下ろしている。
 視線はかち合ったまま動かないくせに、お互いに何を考え合っているのかさっぱり解らなくて、困る。
 どきどきは収まってくれないし、こうやっていると益々心臓はばくばく言い出してこのまま行ったらスピーカーで音声拡大された鼓動が外に漏れだしてしまいそうだ。
 ――なんか、俺……支離滅裂になってる。
 それだけ混乱しているのだ、と頭が適切なツッコミを返してつい顔が赤く染まったその時に。
 傍にあったキールの顔が消えた。
 いや、違う。この距離で合わせていた焦点が、彼が近付いてきた所為でずれてぼやけただけ。
 それは今までの一瞬の中で一番長い一瞬だった。
 触れた温もりと湿り気に、目を見開いて持ち上げた指でそこに触れる。
 一秒にも満たない時間だったけれど、確かにそこに触れたのは、彼の唇だった。
「え、あ……はい!?」
 素っ頓狂な声を上げて、益々混乱を極める頭を必死に落ちつかせようとしている傍で、彼もまた自分のやったことに困惑している素振りだった。
「ぁ……ハヤト、ごめん。おやすみ」
 けれど立ち直るのは彼の方が早くて、真っ赤にした顔を隠すように片手で口元を押さえた彼は慌てて立ち上がると、足早で下へ下りる為の梯子に辿り着いてしまう。それって、狡い。
「ちょっ……今のって」
 珍しく音を立てて廊下を走っていった彼の姿を見送り、自分もまた口元に手をやったまま顔を赤らめて、確かに触れたはずのあの一瞬を思い出す。
 でも思い出した瞬間、湯沸かし器のように頭の先から湯気が立ち上ってしまって風呂あがりでもないくせにのぼせた。
「……俺の、ファーストキス……?」
 一瞬ではあったけれど。
 相手は男で、しかもあのキールだったけれど。
 心臓のどきどきは収まる気配を見せず、このまま壊れてしまうのではないかと思うくらいに速くなっている。絶対に健康に悪い、と全力疾走したあとのような息の苦しさを覚えながら、俺は両手で顔を包み込んだ。
 きっと耳の先まで真っ赤になっているはずだ。
「明日からどんな顔して会えばいいんだよー」
 しかもなまじひとつ屋根の下に暮らしているだけに。
 朝になれば嫌でも顔を合わせなければならない、そして変にギクシャクしたままでは一緒に暮らす他の仲間達が不思議がって理由を聞きたがるだろう。
 答えられるはずがない、キスしました、なんて。
「どうしよ……」
 ぺたん、とその場で足を広げて座り込んで、深々と溜息をつきながら顔の火照りを何とかしようと頭を軽く振る。
 今でもどきどきしてる、キールを思い出すと顔から火が吹き出そうになる。
 あんな事をした直後だから、だろうか。でもきっとそれだけじゃない気もする。
 ひとこと、ではなく、ひと行動をもらってしまったのだろうか。もうこんな状態で、彼を疑うどころではない。
 自分の方が疑わしい、キール相手に、自分は何を考えているのか解らなくなってしまった。

 この感情の名前を、俺はまだ、知らない。

雨宿り

 昼間はものすごくいい天気だったのに。
「うっわー……土砂降り」
 サスケが真っ黒の空を見上げて思わず呟く。
「そんなこと、今更確認しなくても見ればすぐに解るだろう」
 彼のすぐ横に立っているルックが、暑苦しいから側に寄るなと肩でサスケを押し返しながら言うと、押されたサスケは反対側にいたフッチにぶつかってしまい唇を尖らせた。
「いった……」
 フッチも、運悪くサスケの肩当てが首に当たってしまい小声でぶつかってきたサスケを非難し、俺の所為じゃないとサスケは慌ててルックを指さした。
「そんな格好をしているからいけないんだろう」
 淡々と降りしきる雨を見つめながらルックが言い、またもや喧嘩腰に睨みっこを始めた二人を横目で観察していたセレンとキニスンは、諦めに近い態度で大仰にため息を同時についた。
 ちなみに、セレンはサスケとは反対側のルックの横に、キニスンはフッチの横に立っている。キニスンの足下には毛先を濡らしたシロがうずくまっていた。つまり、彼ら二人は端と端にいることになる。サスケが、真ん中。
 ここは大きな木の下。枝を四方に伸ばした樹齢は数百年を数えるだろう、立派な幹を持つ古樹の根本で、彼らは雨宿りをしている。
 今日はたまたま時間が空いたので、五人と一匹は揃って山に出かけることにしたのだ。特にこれといってすることもなく、かといって城にいては息苦しいから。
 戦争は架橋に突入している。これまでにないほどに、大人たちの神経はピリピリしていた。
 だが、彼らはまだ子供だ(若干、“子供”と呼びにくい年齢の人も混じってはいるけれど)。遊びたい盛りに、遊ぶなと言われるのは酷というもの。しかし城で大手を振ってはしゃぎ回るのもやはり気が引けて、こうやって時間を見つけては城を抜け出して野山を駆け回り、知らない町を歩き回っている。
「もうじき日が暮れますよね……」
 何気なしにフッチが呟き、そうですね、とキニスンが彼と同じように薄暗い空を見上げて相づちを打つ。
 そこに太陽は見えない。だが雨の降り始めた時間と、こうして雨宿りをしている時間を計算すれば自ずと現在時刻が予測できる。
 周囲は夜のように闇がかかり、空から絶え間なく降り続ける雨音だけが響き渡っている。獣の声すら影を潜め、息を殺しじっと雨が止むのを待っているようだった。
「止む、かなぁ」
 ぽつりとセレンが零せば、視線だけを向けたルックに小さく首を振られてしまった。
「無理……?」
 同意は得られなかったが、否定もしてもらえずセレンはため息混じりに俯くと足下の石を蹴り飛ばした。
 雨に濡れた大地ではそれは弾まず、すぐにぼちゃん、と出来上がったばかりの水たまりに沈んでいく。
「あ、雷」
 遠くを見ていたサスケが目を細める。
「え?」
 直後、轟音が空を割って鳴り響いた。
「ひえっ!」
 突然の轟音、それも間近に響いた落雷にセレンとフッチは度肝を抜かれ思わず脇にいた人物にしがみつきかろうじて尻餅をつくのだけは防いだ。しかしもう腰に力が入らず、ずるずると下に下がってやがてぺしゃん、と濡れるのも構わず地面に腰を落としてしまった。
「おいおい、たかが雷ぐらいで」
 サスケがフッチを笑って見下ろすが、両手で耳を押さえて必死に恐怖を堪えている彼には聞こえていない。呆れ顔でセレンを見下ろすルックもまた、しょうがないなと肩を竦めて再び視線を空に巡らせた。
 間髪置かず、稲妻が黒い空を走り抜ける。一瞬遅れて、大地を裂かんばかりの轟音が空気を震撼させる。ひっ、と身を縮こまらせてセレンとフッチはそれを聞くまい、見るまいと固く目を閉じ、耳をふさいで息を呑む。
「ここも、危険かもしれませんね」
 シロの頭を撫でやり、空の様子を窺っていたキニスンがぽつりと言う。むっくりと顔を上げたシロが何かを警戒する表情で雷雲を睨み、警告するように一度だけ吠えた。
「木に雷が落ちるって?」
 サスケがキニスンをフッチの頭越しに見て尋ねると、彼は言葉ではなく頷くことで返事をした。シロがおもむろに立ち上がる。
「洞窟か、なにかが近くにあれば……」
 ルックも、強くなる一方の雨足を気にしながら霧が立ちこめ始めている周囲を見回した。
 しかし山の中腹で、都合良くそんな場所が見つかるはずがない。第一、この近辺にそんなものがあれば、いくら巨木とはいえ枝の隙間から雨がこぼれ落ちてくるような木の下で雨宿りを強行しない。
「か、雷落ちてくるの……?」
 こわごわ、顔を上げたセレンがルックを見て問いかける。その目にはうっすらと涙さえ浮かんでいて、戦場で敵を恐怖せず突き進むラストエデン軍のリーダーと本当に同一人物かと、一瞬彼を疑わせた。それほどに、セレンの今の表情は幼かった。
「その可能性があると言っているだけだ。だが、他の木よりも身長がある分、危険度は高いな」
 冷静に状況を観察し、告げたルックを凝視したセレンは、数秒後彼の言葉の意味を理解して見る間に表情を青ざめさせていった。
「コラ、びびらせてどうすんだよ」
 サスケが横からセレンの百面相の原因であるルックを非難する。が、しっかりとフッチにもルックの言葉は聞こえていたらしく、今度はシロにしがみついてフッチは紫の唇を噛みしめていた。
「ともかく、移動しましょう」
「そうだな。立てるか、フッチ」
「無理……」
「無理でも立つの。こんなところで、俺はお前を負ぶってなんてやれないからな」
 キニスンの提案にサスケが同意し、腰を抜かしたままのフッチを半ば無理矢理に立ち上がらせる。セレンもまた、ルックに促されて立ち上がるが足下は雨の所為ばかりではないだろう、心細げで、手はぎゅっとルックの服の端を握りしめている。
「行く当てはあるのか?」
「いえ……。ですけど、行きの途中でいくつか洞窟らしきものがありましたから、探せばきっと……」
「あ」
 最後までキニスンの言葉は続かなかった。
 彼の声を遮るように、三度目の轟音が周囲を大きく震わせたのだ。
「ひゃぁっ!!」
 短い悲鳴を上げ、その音の近さに全員が側にあった何かにしがみつかざるを得なかった。
数秒間揺れ続けた空気がびりびりと鼓膜に残り、冷え切った肝がびっしょりと汗を流す。すっかり濡れ鼠状態の五人と一匹はやがて静まり始めた山の気配にほっと息をついた。強張らせていた肩から一斉に力を抜き、しばしして己が抱きすくめているものを確認して再度表情を強張らせたことは言うまでもないが。
「……だが、どの辺に洞窟があるかは予想がつくのか?」
 気を取り直し、ルックが襟を正してキニスンに問いかける。未だセレンは彼の服を掴んだまま放そうとしておらず、迂闊に動けば首が絞まる状態が続いていた。
「僕たちは行きと同じ道を通って山を下るつもりでした。この景色には、……見覚えがあります。もう少ししたら沢に出て、そこを越えれば、広い道に出たはずですから」
 伊達に長く山で暮らしてきたわけではないらしい。キニスンの、少々心許なげではあるものの他の誰よりもしっかりと把握されている地理に皆はほっとした表情を見せ、これで助かると安堵した。
 しかし、ふとキニスンの言葉の中に気になる単語を見つけ、サスケが僅かの後、止まない雨と今下ってきた山の斜面上を交互に眺めると。
「沢、って……川、だよな」
 山の天気は著しく変わりやすい。そして、一時に集中して降る雨は山の大地が吸収しきれず、時として斜面を泥と岩を巻き込みながら滑り落ちていくことがある。
 鉄砲水、と呼ばれる現象だ。
 ひんやりとした空気が、この湿った暑苦しい時に彼らの背中を通り過ぎていった。
「……まあ、あくまでそう言うことも起こり得る、ってだけで……」
 俺の取り越し苦労だよ、と冷や汗混じりにサスケが笑うが、その笑顔に答える人間はその場に居合わせていなかった。
「移動しましょう」
「……おう」
 数分かかってようやくキニスンが思い口を開き、反省したらしいサスケも力無く返事をして歩き出す。
 もう服はびしょ濡れ、動くたびにぐちゃぐちゃと布ずれの音が聞こえてくる。靴の中にまで水が侵入してきているが、尖った石で傷を付けられることをおそれて誰も脱ごうという気は起こさなかった。
「いっそこのまま山を下りてしまった方が……」
 洞窟を探すもののすぐに発見できるはずが無く、視界も悪い状態に最初にしびれを切らしたのはフッチだった。
 頼りない足取りで、サスケの腕にしがみつくようなへっぴり腰状態の彼は、雷をおそれて何度も上空を仰ぎそのたびに雨を口や鼻に流し込んでせき込んでいた。
「無理だろうな」
 すでに雨が降り始めて一時間以上楽に経過している。サスケの冷たいとも取れる口調に、「どうして」とフッチが言う前に、
「この雨で川が増水しているはずだ。渡ってきた橋が流されている可能性も否定できない」
 後ろを、セレンを金魚のフンよろしく引っ張っていたルックが先に答えてしまった。
「じゃあ、ボクたち帰れなくなるんじゃ……?」
 当然の疑問をセレンが口に出し、フッチと並んで一気に表情を暗く沈めた。だが、
「行き先はレオナさんに知らせてありますし、夜になっても帰ってこなかったら城の人たちが探しに来てくれるはずです。……怒られるでしょうけれど」
 雨音に紛れてしまわないように声を張り上げ、最前列を行くキニスンが元気付けようと彼らを励ます。シロも、数度声を高らかにして吠え、いくらか遠くに行った雷鳴に彼らの気が行かないようにしていた。
 時間的に、もうじき夕方の五時かその辺り。この時間ではまだ大人たちは助けに来てくれそうにないが、日が完全に沈んでしばらくすれば、帰ってこない彼らを気にしてビクトールあたりが来てくれるだろう。
 当然、軽率な行動をとったと言って説教は避けられないだろうが。
「あ、あれ! 洞窟じゃないのか?」
 城の仲間たちを思い出し、ほんの少しではあるが全員の緊張が緩まった時、目を細めて薄霧の中周囲を窺っていたサスケが声を上げる。
 全員の視線が、彼の指さした方向に向けられる。ごくり、と隣に立つ人の唾を飲む音が聞こえてきた。
「シロ、見てきてくれるかい?」
 キニスンが長年の相棒に頼み、様子を探りに先に行かせる。小走りにぬかるんだ山の斜面を駆けていく獣の背中を見送り、残された人間もゆっくりと足を滑らせないように気を配りながらサスケの見つけた洞窟らしきものに近付いていく。
 程なくして、シロの吠え声が山の中をこだました。
「やりぃ」
 ぱちん、と雨に湿った指を鳴らそうとして失敗したものの、気持ちは通じたサスケの言葉にふっと全身の力が抜けたフッチが倒れそうになって慌ててサスケに支えられた。
「お前、危ないって」
「ごめん。つい……」
 もう少しで全身泥だらけになるところだったフッチに呆れかえり、サスケは後ろを振り返る。そこには、やはり「よかったー」と脱力したセレンを倒れないように掴んでいる、不本意そうな表情のルックがいた。
「行きましょう、のんびりしている余裕なんてありませんよ」
「そうだな」 
 キニスンに頷き、五人はシロの待つ洞窟へ向かう。
すでに全員の足は泥に浸かって真っ黒状態。通常歩くよりもずっと気を遣う強行軍だったため、全身の体温を奪っていくばかりの雨から解放された瞬間、全員力つきてその場に座り込んでしまった。
「これでしばらくは安心だな」
 ぺたん、とごつごつした岩の上に腰を落ち着け、サスケが洞窟の狭い入り口から見える外を眺めて呟く。
「早い内に止んでくれればいいのですけど……」
 それでもまだ不安そうなのはキニスンだ。
「けど、本当に突然降り始めるんだもん。びっくりしちゃった」
 濡れた服を絞って水気を抜いていたセレンが言い、同じように服を絞るフッチが頷く。雷が聞こえなくなった途端、彼らは急に元気を取り戻していた。
「下着までびしょ濡れ……」
 たき火でも起こせたらいいのに、と愚痴を言い彼らは暢気に洞窟の奥の方でくつろいでいる。メンバーの中でもっとも服に布が多いルックも、無言で重く張り付いた服を絞っていた。
「誰か雨男でもいるんじゃないのー?」
「雨男?」
「そう。そいつが、雨を呼んだの」
 奥に視線を流したサスケが言い放ち、不思議そうな顔をして問い返したセレンに彼はにやりと笑う。そこから何故か顔をルックに向け、
「俺としては、ルックが雨男だと思うけど」
「どうしてです?」
 含みのある表現を使うサスケにフッチが聞き、あからさまに顔を顰めさせたルックを見る。彼には、サスケがこの後何をいうのか解っているようだった。入り口近くで雨が流れ込んでくるのを防ぐための石の防波堤を作っていたキニスンも、振り返ってなんとも言い難い複雑な表情を作っている。
「だって、ルックがこの中で一番陰険そうだしー?」
 ああ、言ってしまった。キニスンが言葉で表現するならそういう感じの顔をして。
 ぼがっ!
 見事にルックから繰り出されたアッパーカットがサスケの顎にクリーンヒットした。
「……………………」
 後ろで見ていたセレンとフッチが言葉を挟む余地もないままに、サスケは後ろに数メートルはじき飛ばされていた。さすが、ルック。伊達にSレンジではない(違)。
「一度死ぬかい?」
 握り拳に怒りマークをいくつも浮かび上がらせたルックが、雷並の轟音を背景に背負って床を這うサスケに迫り、彼はヒクついた笑顔で必死に、「話せば分かる。だから待て!」を連呼していた。
「自業自得?」
「そう思います」
 後ろの二人もつれない。すっかり他人事と決めつけて服を乾かすことに意識をやってしまった。
「あ……」
 そこへ、まさに天の助けか。
「?」
 入り口に最も近い場所にいたキニスンが、唐突に顔を上げて小さく声を漏らす。
「雨が……」
 さっきまであれだけ激しく降り続いていた雨が、そろそろと足音を遠ざけて小振りになっていた。落雷の音も完全に姿を隠し、厚い雲に覆われていた空が次第に夕暮れ色を取り戻してゆく。
 地上に光が戻り、全員が洞窟前に出て並んで数時間ぶりに見る明るい大地を眺めた。
「あ、虹だ」
 ふと西側の空に視線を流したセレンが上空を指さす。つられてそちらを見た四人も、夕暮れに染まる空に架かった虹を見つけて表情を和ませた。
「帰りましょうか」
 雨は完全に止んでいた。今は、木の葉に残った滴が時折地上に落ちてくる程度。水たまりには鮮やかな夕焼けと、薄い虹がいくつも描きだされている。
「たまにはこういうのも良いかもね」
「たまになら、ね……」
 雷に怯えていた時のことなどすっかり忘れ、陽気に笑うセレンにルックは苦笑する。本音としては、二度とごめんだと言いたいのだろう。
「急いで帰るぞー。晩飯食いっぱぐれるのは嫌だかんな、俺」
「それは僕も同じだって」
「そうですね、急ぎましょう」
 サスケが走り出す。慌ててそれをフッチとキニスン、そしてシロが追いかける。少し遅れてセレンとルックも駆け出し、五人と一匹はこうして、散々なピクニックを終えてレイクウィンドゥ城へと帰っていった。
 
追伸:
 びしょ濡れで帰ってきたから、彼らは夕食よりも先に風呂に入りまた大騒ぎをして、結局夕食は食べ損ねた上シュウにお説教されました。

Flower

 花を植えよう

 色とりどりの花を、沢山

 たくさんの花を、植えよう

 この広い庭を埋め尽くすほどに

 花壇をいっぱいの花で飾ろう

 次に君が目覚めたときに

 ひとりぼっちで寂しくないように

 花を、植えよう

 世界中を色鮮やかに

 花で埋め尽くしてしまおう

Flower

 

 カチャン、と透明なグラスが盆に乗せられて運ばれてくる。
 その音で、目が覚めた。
 ひどく甘ったるい香りがする。
「……なんだ……?」
 視界に広がるのは薄暗い天井、首を回すことさえ億劫になって、彼はその天井を見つめたまま呟いた。
「……なんだ」
 起きてたんだ、と声がする。声を上げた存在は足音を消して彼が今寝転かされているベッドの脇へ立った。そして腕を伸ばし彼の傍らに手を置いて、身を乗り出す。
 そうすることでようやく、彼は訪問者を視界の中に収めることが出来た。
「気分は?」
「……なんの匂いだ……」
 包帯で片目を覆った存在が問いかけてきて、彼は返事の代わりに問いかけを繰り出す。その声は微かに掠れていて、弱々しい。
「あんまり、良い気分って顔じゃないみたいだね、ユーリ」
 困ったような顔をして小さく笑い、彼は左手を振った。その袖からも包帯が見え、焦げ茶色のグローブの下まで覆われている。何故彼がそんな面倒な事をしているのか、ぼんやりとはっきりしない意識の中でユーリは考える。
 焦点が合わなくなってしまったユーリの紅玉の瞳をしばらくじっと見つめた後、彼はスッと身を引いた。そしてベッドサイドにある丸テーブルまで戻り、今さっき自分が置いたグラスを右手に持つ。
 ちゃぷん、と赤い液体が揺れた。
 一層、ユーリの鼻腔に甘い香りが伝わってあからさまに彼は眉を顰めた。
「なんの匂い……」
「ジュース。少しくらいお腹に入れておかないとね」
 気怠い声で、やはり上ばかりを見ているユーリが同じ問いを繰り返す。
「うそ、……だな。貴様は嘘が下手だ……」
 スマイル、と最後に小さな声で名前を呼びユーリは瞼を下ろした。目を開いているだけでも疲れる、それにこの甘い香りは嫌いだった。
「ぼくの嘘は誰にも見抜けないって評判だったんだけど」
「だから、うそだ」
 ふー、とユーリは深く息を吐き出す。そのついでに呟いたひとことにスマイルが「酷いなぁ」と苦笑したが、ユーリはそれを見ることがなかった。声の調子だけで察するけれど、何故そんな事が自分に分かるのかさえ今の彼は思い出すことが出来なかった。
 ただ、とても眠い。
「ユーリ、眠る前に」
 枕許のシーツが皺を刻む。ベッドのスプリングが撓み、幾らかユーリの躰が沈んだ。スマイルがまた身を乗り出し、彼の近くへ寄った為だろう。甘い香りが、ユーリに近付く。
 時間をかけて彼は目を開いた。真上に見えるはずだった天井の代わりに、今はスマイルの隻眼が見える。綺麗な丹朱だったはずなのに、影になってしまっている為か少し黒ずんでいた。
「スマイル……?」
「ユーリ、飲んで」
 言葉と一緒に、頬へ冷たいグラスが押し当てられた。いよいよ吐き気を覚えそうになるほどに強い、甘ったるい香りが彼に襲いかかって来て、いやいやと子供のようにユーリは首を振った。
 けれど力が入らない身体は、彼が思っている以上に動いていなかった。真上に半身が乗りかかっている格好のスマイルが、困惑と諦めが入り交じった表情でユーリを見下ろしている。
 最後の抵抗のつもりで、ユーリは固く瞼を閉ざした。意識を外界からシャットダウンしてしまうことで、この絶えられない甘い香りから逃れようとしているらしい。眉間には皺が寄り、既に困っているスマイルを更に唸らせた。
「どうしても?」
 なんど問いかけても、求めても答えが変わることはない事くらい、スマイルにだって分かっている。けれど、彼にも譲れない理由があった。
 ユーリの食が細いのは前からだった。けれどそこそこあったはずのその食事の量が日増しに減っていき、同時に彼の睡眠時間は伸び始めた。
 食べることがないから、彼は当然痩せていく。アッシュが食べやすいもの、ユーリが好むものを必死に考えて作り出したのだが、結果は芳しくなかった。そうしている間にも彼はどんどん眠りが長くなっていく。
 彼は吸血族、だけれど仲間達が知る限り……ユーリは一度たりとも人の生き血を飲もうとしなかった。どれほど飢えても、求めようとすらしなかった。
 ユーリが二百年の眠りにつく理由はなんだったのだろう。出会う前の彼を知らない仲間達は途方に暮れた。
 彼は捕食者である、だが本来の道筋を離れた彼の生き方はあるいは……肉体的な無理を生じさせていたのかも知れない。そして永遠の時間を生きる彼の肉体が限界に達したとき、身体が求めて自ずと眠りに入る習性でもあったのだろうか。
 そんなこと、本人に聞かねば解るはずのない事。そして眠りが深まりだしたユーリは徐々にだが、記憶が曖昧になり始めていた。
 誰が誰であるか、は理解しているらしい。けれど出会った経緯や、それに付属する過去の出来事云々が抜けていってしまっている。しばらくすれば思い出すこともあったが、思い出す前にまた次の眠りに入ってしまう事が多くなった最近はもう、その行為さえユーリには苦痛になっているようだった。
 ゆっくりと、だが確実に彼は眠りに就こうとしている。
 どうすることも出来ない。だからスマイルにとって、これは最後の賭けであり足掻き、だった。
 きっとユーリは怒るだろうけれど……でも、こんなところで彼を見失いたくない、から。
 スマイルは手にしたグラスを傾けた、自分の口元へ。そして少しだけ液体を口に含む。錆びた鉄の味が舌の上いっぱいに広がって、その臭さに彼は自然と顔を顰めた。
 グラスを持っていない方の手をユーリの頭の下に差し入れ、彼の身体を少しだけ起こす。そんな風に自分の身体が他人に断り無く触れられ、動かされる事にさえユーリは殆ど反応を返さなくなっていた。
 閉じられたユーリの唇に、スマイルは己のそれを重ね合わせる。
「んぅ……」
 そして強引に、ユーリの唇を割り開いた。
 赤い液体が唇の端から零れ、白い頬が染められていく。
 甘い甘い、甘すぎる味。
 無理矢理舌の上に載せられ喉の奥へ押し流されていくスマイル曰く、ジュース、にユーリは息苦しさを覚えて非難するように彼の服を握り軽く引っ張った。けれどスマイルはますます舌を強く押しつけてきて、全部呑み込ませようと喉の奥を突っつきさえしてくる。
 唾液に混じって薄くなった液体を、ユーリは逆らいきれずに嚥下した。
 スマイルは頬に溢れてしまった分にまで舌を伸ばして舐め取り、それをまたユーリの舌の表面に押しつける。
 甘く、どこまでも口の中に広がり残る香り。ざらついた感触が口腔から消えきれずにそのままにされている。水が、欲しかった。
「ユーリ……」
「……吐く」
 宥めるようにスマイルが彼の髪を撫でるが、ぼそり、とそれだけしか言葉は返されなかった。ユーリの顔は本当に気分が悪そうで、もとから色が白く不健康だったのに今はもっと不健康に見える。しっとりと汗が額に浮かんでいて、それをスマイルは左手のグローブを外して拭ってやった。
「ユーリ、お願いだから」
「……気持ち、悪い……」
「お願いだから、ユーリ」
「…………吐く……」
「ユーリ、ユーリ……お願い、だから……」
「………………ねむ、い…………」
「起きてよ、ユーリ。起きてよ、ねえ」
 瞼を開こうとしないユーリの肩を掴み、スマイルは彼を揺さぶった。けれどなんの反応もなくて、ユーリのあの紅玉の瞳は再び彼を視界に収める事はなかった。
 それでもなお、スマイルはしつこくユーリを揺らし、懸命に声をかけて目覚めを促そうとしたけれど。
 どうしようも、なくて。
 枕許に置いたままだったグラスが振動に絶えきれずに倒れ、ユーリの周囲が赤く染めあげられてしまっても、彼はまったく目を覚ます様子は見当たらないまま。

 それから四日後

 ユーリはいつ醒めるかわからない眠りへと堕ちていった

 たったひとりで、仲間達を置き去りにして――――

刹那、捕獲計画

 その日は国境に接近しつつあるハイランド軍をどうやって駆逐するか、についての軍議が行われていた。
 出席者はラストエデン軍リーダーのセレンは勿論のこと、軍師三人集も無論参加していたし、実際に戦闘に発展したときに兵を率いて戦う隊長クラスの面々も何人かその席に顔を出していた。
 午前中に始まった会議は思ったよりも長引き、彼らが解放されたのは見事に昼食の時間帯を一回りもオーバーした頃。流石の強者達も、空腹にだけは耐えかねると言わんばかりに腹の虫を豪快に鳴かせていた。
「では、解散」
 シュウの一言で静かだった議場がにわかに活気づき、ビクトールとフリックが他の数人を誘って食堂へ向かう。セレンも、手渡された書類数枚を綺麗に端を揃えて脇に抱え、円卓から立ち上がった。
「ふう」
 こういう会議にはどうも慣れなくて、いつも息が詰まる。意見を求められても大した事は答えられないし、シュウの言うことの半分も、実は理解できていないのだ。同意を求められると反射的に頷き返してしまうだけで。
「ボクって役に立っているのかなぁ」
 溜息混じりに呟いて議場を出た。丁度、シュウとアップルが出口脇で何か話をしていて、興味を引かれて立ち止まろうかと歩を緩めた時。
 向こうの方から土煙を上げて、猛スピードのフッチが駆け込んできた。
 ズザザザ!! という効果音を背景にして、フッチは床と摩擦熱を起こしながらセレンの前で停止する。何事かとシュウたちも振り返って怪訝な顔をした。
 ぜーぜーと息を切らせた彼は、しばらく膝を押さえながら肩で息をしなんとか呼吸を落ち着けさせようと努力していた。見かねてセレンが回復魔法をかけてやると、フッチは一度大きく息を吐き出すと額に流れる大粒の汗を拭った。そして。
「大変です、セレンさん!」
「何事だ!」
 しかしフッチが語りかけたはずのセレンではなく、横にいたシュウの方が先に反応を返していた。
 「大変」という言葉に、シュウの頭の中に咄嗟に浮かんだのは恐らく十中八九、国境に接近しているハイランド軍の動向だっただろう。現在の王国軍とラストエデン軍の勢力差はかなり縮まっている。つまり、どちらが勝ってもおかしくなく、どちらが負けても不思議ではない状態。そして今負ければ、折角勢いづいているラストエデン軍の快進撃にも支障が出てくるのは必死。
 だからシュウは、フッチの言葉に過剰なまでに反応したのだ。その後ろでは、アップルも緊張した面もちでフッチの次の語を待っている。
 だが、しかし。
 そんなことにフッチは全く気付いていなかった。
 シュウの反応に驚きはしたが、それ以後はまるで無視。初めからシュウなどいないような扱いで、セレンに向かって。
 ひどく切迫した顔つきのまま。
「…………鶏が……逃げました」
 恐ろしいまでに顔に影を入れたシリアス顔で。
「…………はぁ?」
 向こうでシュウがぽかん、とした顔になったが、まるで相手にしてもらえていない。アップルの表情もほぼ、シュウと同様だが。
「鶏、が?」
 セレンも一瞬呆気にとられてしまい、彼が何を言ったのかすぐには理解できなかったのだけれど、やや置いて、
「………………それ、一大事!!」
 城中に響かんばかりの大声で叫んだのだった。
「大変なんです、もう大騒ぎで。早く捕まえないと。森に逃げ込まれちゃってるからもう見つけようがないんですよ!」
 両手を大きく振り広げてセレンにも負けないくらいの大声を張り上げているフッチ。足をじたばたさせて落ち着きがない。
「今サスケ達が手伝ってくれてるんですけど、全然追いつかないんですよ。捕まえようとしても鶏に暴れられて、怪我人まで出てるんです。手伝って下さい!」
 すでに数人、医務室のベッド送りにされた人がいるらしい。ラストエデン軍の裏庭で飼われている鶏その他、家畜類は軍内の有望な逸材に似てどれもこれも血気盛んでいらっしゃる様子。
「大変だ、大変! 早く捕まえないと。このままじゃ明日の目玉焼きが食べられなくなっちゃう!」
「…………」
 問題点はそこではないのでは、とシュウよりも先に我に返っていたアップルは心の中で密やかに突っ込みを入れていた。
 つい先ほどまで、デュナン地方の命運を分ける戦いになるやもしれない争いについて語り合っていたとは思えない、緊張感のなさである。しかもそのリーダーであるセレンは、軍議をしている最中よりも鶏が逃げた、というこの状況を知らされた今の方がずっと生き生きとしているのはどういうわけであろう。
「……………………」
 この人達、何か違う、とアップルは思わずにはいられない。しかも。
「シュウ!」
 それまで、まるで蚊帳の外に放り出されていたシュウの名前をセレンが大声で呼ぶ。その声に我を取り戻した彼は、少々乱れていた髪を梳きながら落ち着いたふりを見せて「なんでしょう?」と尋ね返す。その姿は立派な大人の様相を示していたのだが。
「すぐにみんなを集めて、鶏捕獲部隊を編成して! なるべく素早い人を揃えてね、任せたから!」
 セレンのその捨て台詞とも言える一言に、再び氷河期を実体験したかの如く彼はその場で凍り付いたのだった。
 セレンはフッチに案内されてさっさとその場所から走り去ってしまった後。今だ動くことも出来ず呆然としているシュウの肩を、アップルは諦めきった溜息と共に首を振りながら力無く叩いたのだった。

 裏庭へ向かう最中に受けた説明によると、鶏が逃げた原因は豚同士による喧嘩に驚いたことにあるらしい。
「ユズちゃんが鶏を小屋から出して餌をあげようとしていたときに、ポークとヒレが喧嘩を始めたらしくいんです。それにびっくりしちゃったみたいで、鶏が一斉に垣根を越えて飛び出して行っちゃったそうです」
 裏庭を囲む垣根はそれほど低くはないのだが、なにせパワフルで知られる(?)ラストエデン軍の鶏は、垣根にぶつかって気絶をするほどヤワではなかった。皆、囲いをひとっ飛びに飛び越えて行ってしまったそうだ。
「それは……すごいね。見てみたかったかも」
 さぞかし壮絶な光景だったに違いない。妙なところで感心しているセレンに呆れ顔でフッチは首を振り、それどころではないと愚痴をこぼす。
「今の言葉、忘れないで下さいね。後悔しますから」
 ぽそりと呟かれた言葉は果たしてセレンに届いたかどうか。
「あ、フッチ君!」
 裏庭に出ると、一匹の鶏を抱き抱えたユズが明るいながらもやや疲れた声で叫んだ。フッチの後方にセレンの姿も見つけ、一瞬目を丸くしたもののすぐに嬉しそうに顔をほころばせる。
「セレンさん、手伝ってくれるんですか?」
 彼女の側に寄ると、ユズの腕やあちこちに擦り傷が出来ているのが分かった。赤い筋からうっすらと血が滲んでいる。痛そうだ。
「鶏……逃げたんだってね」
 腕の中で暴れやまない鶏を見つめ、セレンがこぼす。絶句しかけである。
 後方の囲いの中には牛が数頭、のどかに草を食べているが鶏小屋はカラ。牛の間で豚がやはり暢気にしている。鶏が逃げた事なんて全く感じさせない光景だ。
 が。
「えっとね、全部で十五匹いたんだけどこの子以外全部逃げられちゃったの。早く見つけないと、お城からどんどん離れて行っちゃうから」
 頑張ってね、と無邪気にユズが微笑んだ。そして唯一捕まえることに成功していた鶏の首根っこを掴んで、鶏小屋へ放り込む。その動きの無駄のなさにセレンもフッチも言葉が出ない。
「……ぉおーい!」
 直後、遠くから聞き慣れた声が響いてふたり揃って振り返ると、駆けてくるサスケの姿があった。腕には必死に逃げ出そうと暴れている雌鳥がしっかりと抱きしめられている。
「サスケ!」
「おう!」
 フッチが大声で彼の名前を呼ぶと、癖なのか、サスケは片手を上げて返事をする。だがその為に鶏を拘束していた力も必然的に弱まってしまった。
 当然、鶏は逃げ出す。しかも。
「はぅ!」
 サスケの腕から飛び出す際に、しっかりと彼の顎を下から蹴り上げることを忘れずに。
「あぁ!!」
 セレンとフッチ、そしてユズの悲鳴が重なり合い、その声を聞きながらサスケは背中から地面に倒れ込んだ。トドメとばかりに、鶏に顔面を踏みつけられてしまう。はっきり言って、情けなさ過ぎ。
「サスケ……」
 掛ける言葉も見あたらず、フッチは痛む頭を抑えて首を弱々しく振って、セレンは乾いた笑みをこぼすのみ。ユズだけが「情けないの」と呟いていた。
「ちっくしょー! 覚えてやがれ!!」
 むくっと起きあがったサスケが握り拳を天に突き上げて怒鳴るが、彼の顔にはくっきりと鶏に踏まれた跡が残っており、真正面から見てしまったセレンは堪えられなくて噴き出した。
「ぷっ!」
 フッチも腹を押さえて懸命に笑わないようにしているのだが、肩が小刻みに震えておりあまり意味はなかった。
「セレンさん、フッチ君」
 そこへ、天の助けか。
「あはは、おっかしいの……って、キニスンさん」
 涙目になって笑っていたセレンが気づき、歩み寄ってくるキニスンを見上げる。彼の傍らにはいつものようにシロが控えていて、セレンと目が合うと挨拶代わりに一声吠えた。
「あの、森で見つけたんで捕まえてきたんですけれど……」
 森が仕事場のキニスンは、狩りの最中で走り疲れてへばっていた鶏を何匹か見つけて捕獲してきてくれたのだ。通常獲物を入れるための袋には、生きたまま(ただしかなり体力を消耗してぐったりいるが)の鶏が全部で三匹、詰め込まれていた。入りきらなかった鶏一匹がキニスンの腕に捕まれていたので、これで小屋に戻されたのは合計五匹。キニスン、お手柄である。
「いえ、そんな……。危うくシロが攻撃するところでしたから」
 照れながら言うことではないと思うのだが、とフッチが胸の中で突っ込んだのはこの際気にしないと言うことで。
「ちくしょー! 俺だって!!」
「あ、まだ居たんだ」
 セレンに冷たい一言を喰らったのは、未だ顔に足跡を残しているサスケだった。どうやらキニスンの活躍(大いに違う)を見て対抗意識を燃やしたらしい。やる気だけは十分なのだが、どうも彼の場合、その全てが空回りしているような気がしてならない。
 そしてこの頃になってようやく。本当にシュウが編成したのかどうかはとっても疑問な、鶏捕獲部隊が裏庭に到着した。だがどう見ても、暇を持て余している連中を適当にかき集めただけの体力馬鹿ばかりである。
「えっと、リキマルさんにガンテツさんにアマダさんに、スタリオンさん……で、なんでからくり丸までいるのかなぁ」
 よく分からない人選であることだけは、間違いなさそうだ。
「まあいいや。みんな、分かってると思うけど鶏は首絞めちゃダメだからね! 明日の卵焼きのためにも、無事鶏を捕獲してきてちょうだい!!」
「おおおーーー!!!!」
 実に不思議な光景である。ハイランドのスパイでもがこの光景を見たら、ラストエデン軍は戦争やる気なし、と報告すること間違いなしだろう。
「鳥もも肉のために!」
「鶏カラのために!」
「手羽先のために!」
 皆それぞれ、食べ物の事ばかりを気にして各自森に散っていく。本当にこれで良いのか? ラストエデン軍。ハイランド、敵にする相手を間違っていやしないか?
「僕たちも行きましょう」
 見ているだけで呆気に取られる鶏捕獲部隊が去って、静かになった裏庭でフッチが冷や汗を拭き拭き言った。サスケは捕獲部隊の波に揉まれて一緒に既にどこかへ行った後。頑張って今度こそちゃんと、小屋にまで運び込めると良いのだが。
「サスケには期待しないでおきましょう」
「そだね」
 仲間達の言葉は冷たかった。

 
 固まって探しても効率が悪い、ということでセレンはフッチやキニスンと早々に分かれた。
 レイクウィンドゥ城の周囲は森に囲まれている。自然豊かで天然の要塞も兼ねているのだが、今はそれが逆に恨めしく思えた。こんな鬱蒼と茂る日の光もろくに地上に届かない森の中で、たった十匹そこらの鶏を探し出すのなんて無理のように思える。いっそ大声で鳴いてくれでもしたら、見つけやすいのだろうが。
 そう簡単にいかないのが、動物というものか。
「どうやって見つけろっていうんだろう」
 最初はすぐに見つかる、とタカを括っていたのだがこう無駄に歩き回るばかりでは疲れる一方で、ちっとも楽しくない。せめて横に話し相手でもいればな、とさえ思う。
「もしかしたら、もうみんな見つけ終わったとか」
 ぽん、と手を打って安易な考えを想像するが、自分がこんなに苦労しているのに他のみんなが簡単に発見・捕獲出来ているとは考えづらい。キニスンのように、シロがいてくれたら話も変わるのだが。
「ボクも犬飼おうかなぁ」
 だからそういう問題ではないのでは?
 捕獲部隊のメンバーが探しに行ったのとは別の方向を歩いているらしく、森の中をさまよっている間も誰ひとりとして、セレンとすれ違うことは無かった。それが余計に寂しさを募らせる。
 もうじき戦争が始まる。今までにないくらいに大きな戦争になるだろう。そうなったら、今日のようにこんな風に、皆と騒いだりはしゃいだりすることも出来なくなる。
「上手くいかないものだよね」
 ぽつりと呟いて空を見上げたら。
 木漏れ日の隙間に黒い影を見つけた。
 木の上、太い枝の根本に。
「おーっし! 発見!!」
 その直後にサスケの大声が落ちてきて、セレンは目を丸くして硬直する。
 影が次第に大きくなって、枝を揺らし葉を散らして地上に落ちてきた。
「さ、サスケ!?」
「ん? あ、セレンじゃん、どうかしたのか?」
 どうかした? では無いと思うのだが。もの凄く高い場所から飛び降りてきたばかりの彼は、膝を深く曲げて衝撃をどうやったのかは知らないが上手く逃したらしく、しゃがんだまま振り返ってセレンを見上げたその表情はちっとも痛そうではない。
「そういえばサスケって忍者だもんね」
 これくらい出来て当たり前か、とようやく思い出した事実に感心してセレンは拍手を送る。だからそういう問題ではないのだが。
「っと、いかんいかん。折角発見したのに逃げられたら元も子もないや。じゃなっ!」
 すちゃっ、と片手を上げてセレンに挨拶を送り、サスケは慣れた足取りで森の中を駆けていった。あっと言う間に見えなくなる。
「……サスケ……」
 戦闘の時もそれくらいやる気を出して欲しいな、とセレンは思ったとか、思わなかったとか。

 日が暮れようとしている。方々を探し回ったものの、結局セレンは一匹も鶏を発見することは出来なかった。
 いい加減、残りの鶏も全部捕獲されているだろうな、と諦めて城に帰る道をゆっくりとした足取りで進んでいたとき。
 そう遠くない場所から鶏の鳴き声が聞こえた。
「……?」
 首を傾げ、とりあえずその方向に足を向け直してみる。しばらく木立の間を抜けて何度か曲がり、歩いていくと小さな森の切れ目に出た。
 そこはささやかな森に住む動物達のための泉。周辺には薄紅と白の色鮮やかな花が咲き乱れ、緑の草が揺れている。泉は静かで、波もない。その片隅で一匹の鶏が羽根を休めていた。
「あれ……?」
 だがそれ以上にセレンを驚かせたのは。
 泉の側に残っていた切り株のベンチに腰を下ろし、瞑想するように静かに目を閉じているルックの姿だった。
 そういえば今朝から見かけなかったな、と今更ながらに思い出して納得する。ルックは騒がしいのが嫌いだったし、軍議とかにも興味が無くて殆ど参加しない。けれど城にいたら有無を言わさず出席させられるから、朝のうちからこっそりと城を抜け出してこんな場所でのんびりしていた、というわけか。
 試しに抜き足差し足でルックに近づいてみると、眠っているわけではないだろうに彼は目を開ける様子がない。鶏も、何事かと少し首を伸ばしてセレンの方を伺い見たが、セレンが鶏に危害を加えるつもりがないことを悟ったのか、すぐにまた首を沈めて眠りの体勢に入った。
 そっとルックの前に膝をついて彼を見上げる。このときになってようやく、彼は静かに瞼を持ち上げてセレンを見た。
「何をやっているんだい……?」
「あ、起きてたんだ」
 そうだとは思ってたんだけど、と呟いてセレンは立ち上がる。座ったままのルックが訝しげに彼を見上げたものの、すぐにいつもの無表情に戻って首を振った。
「そいつに用があるんじゃないのかい?」
 髪を掻き上げて呟いたルックが細い指で指し示した先には、すっかり眠りモードに突入している鶏がいる。
「知ってたの?」
「城の方が騒がしかったし、それに、野生でない家畜がこんなところにいるなんて普通あり得ないだろう? だったら、檻から逃げ出して来たって考えるのが妥当じゃないのかな」
 そうなのだろうか、そうなのかもしれない。でも自分だったら絶対にそこまで考えが及ばないに違いない。めまぐるしく思考を回転させてセレンは少しクラクラしてきてしまう。あまり使うことのない頭を変に使おうとするから、無理が出たのだ。
「なにやってるんだか」
 ぽそりとルックが呟き、セレンのおでこを指で弾く。不意をつかれたセレンは一歩後ろに下がって叩かれた箇所を両手で押さえ込むと、じろりとルックをにらみ返した。だがいまいち迫力に欠けている。こんな人間が本当に天魁星の主であるのか疑ってしまいたくなるほどに。
「何を、そんなに悩む必要がある?」
 突然。脈絡のない話に事が飛んでセレンは息を詰まらせた。
「あ……やっぱり、分かっちゃう?」
「君の言動は分かりやすくてね」
 やや俯き加減に呟いたセレンの言葉に、嘆息混じりのルックの声が重なる。
 風が流れ、木立が揺れた。長く伸びた影が水面に落ち、さざ波だった表面を撫でるようにすり抜けていく。
 何もかもが穏やかすぎて、今の逼迫した城の空気を忘れてしまいそうになる。いや、実際に忘れている。これは逃避だと、自分でもよく分かっているのに。セレンは苦笑して唇を噛んだ。
「…………」
 ルックは何も言わない。言わないでいてくれる。その優しさが時に痛くて仕方がない。
「どうせまた、戦争が終わったらみんなバラバラになるとか、今は戦時中だからこうやっているのは間違いだとか、考えているんだろう」
 ぎくり、と肩が震える。図星を指摘されたことよりも、自分の情けない考えが他人の目に晒されていたことの方が痛かった。
「だって……本当の事じゃないか」
「まあ、ね。そうだろうけれど」
 ルックは否定しない。決めつけもしなかったが。
「別に良いんじゃない? 一日中緊張しっぱなしでぎすぎすした空気の中にいるよりも、さ。君は君らしくいればいいんだよ。少なくとも……城にいる連中は、セスにはそういう事を期待していないだろうからね」
 セレンは旗であればいい。決して折れることのない旗であればいい。それ以上を強要して、倒れられては元も子もない。
「それに」
 ふと後方を振り返ってルックが呟く。視線の先に何かを見つけ、目を細めた。
 セレンも釣られてそちらを見やる。薄暗くなった森の奥から、手を振りながら数人の少年が駆け寄ってきていた。
「おおーい!」
 先頭を行くのは、いつも元気印のサスケで、そのすぐ後ろにはフッチが続いている。キニスンとシロの姿もあった。
「彼らは少なからず、君といることを楽しんでいると思うよ」
 その中にルックが入っているのかどうかは教えてもらえなかったけれど。
「やぁっと見つけた。帰ってこないから心配したんだぞ……っと、なんだルック、いたんだ」
「いたよ、ずっとね」
 サスケのわざとらしい一言に、こめかみに怒りマークを浮かばせてルックが答える。後ろでセレンとフッチが仲良くその光景を眺めて笑う。キニスンがちょっと困った顔で喧嘩の仲裁に入るタイミングを計っている。
 いつもの、変わらない仲間達の姿。
 嬉しくてセレンは泣きそうになった。
「あ……こいつ、最後の一匹じゃ!」
 突如サスケが大声を張り上げて皆の視線が一斉に彼の指先に注がれる。それにびくっ! と反応したのが、さっきまで暢気に夕寝を楽しんでいた鶏が一匹。
「あ、最後だったんだ」
 ということは、他の九羽は全て無事捕獲が完了しているということか。いやぁ、みなさんお疲れさま。
「よーっし。ここは俺様の華麗な技でいっちょひっ捕まえて見せましょう!」
 意味もなく腕まくりのポーズをしてサスケが舌なめずりをすると、驚いて首を真っ直ぐに伸ばしている鶏に歩み寄る。そしてそろり、と両腕を伸ばして鶏を捕まえようとしたその寸前!

 こけこっこーーーーー!!!!

 どげしっ!!!

 見事に鶏のアッパーカットがサスケの腹部を直撃した。
「う゛っ!」
 予想していなかった反撃を喰らってサスケがもんどり打って倒れそうになったが、人間としてのプライドが勝ったのか、かろうじて踏みとどまる。しかし。

 こけーこっこっこー!!!!

 鶏の方が一段上手だった。
 サスケの臑に容赦なく嘴で攻撃を加え、これには流石に耐えきれなかったサスケは悲鳴を上げて草の上に倒れた。
「うわっ、痛そう……」
 いや、実際もの凄く痛いんです。草の上で足を抱えてごろんごろん転がっているサスケは、声にならない悲鳴をかみ殺しつつ叫んでいた。
「こら、逃げるな!」
 さっきまで大人しかったのは体力補給のためだったのか。とにかく鶏はフッチの腕をすり抜けて、シロの鼻先に蹴りを入れ、キニスンの腕に噛みつき、セレンの顔を引っ掻いて逃げ回る逃げ回る。
「せいぜい頑張ってね」
 ただひとり、ルックだけが場外で見学者に回っているけれど。
「そっち行った!」
「挟み込め!!」
「痛っ!」
「やりやがったなこのぉーーー!!!」
 夕方。
 日暮れ時、夕食時でいい加減城に帰らないと怒られる時間帯。
 けれどそんなことはそっちのけで彼らは鶏一匹に悪戦苦闘している。理由は、きっと楽しいから。
 結局鶏が疲れるのを待って鬼ごっこは終わり。その頃にはもう、ルック以外はみんなへとへとで、傷だらけで立つのもやっとの状態だった。
 けれど自然と表情は綻んでいて、笑っていた。
「よーっし! 帰って飯食って寝るぞ!」
「お風呂にも入りたいですけれど……この傷で入ったら滲みるでしょうね」
「じゃあ、先にホウアン先生のところだ」
「その前に鶏小屋だろう?」
「あ、そっか」
 セレンの腕に抱かれた鶏が小さく首を回して彼を見上げた。
「大丈夫だよ、まだ食べたりしないから」
「そうそう、もっと太らせてからじゃないとな」
 こけっ。
 鶏が鳴く。今のふたりの会話を理解したのか、さっきまでぐったりしていたはずの鶏が途端にセレンから逃げようともがき始めた。
「え? ちょ、ちょっと待って……わぁ!」
 驚いたセレンの拘束が緩んだ瞬間を逃さず、鶏が飛べない羽根を必死にばたつかせて空中に舞った。
「おいこらぁ!」
 サスケが咄嗟に腕を伸ばすが、間に合わず。
 鶏は一目散に暗い森の中へと消えていってしまった。
「どうするんですか!」
「今から探すなんて無理ですよ」
 フッチとキニスンの声がほぼ同時に発せられる。横で、ルックが呆れ顔のまま肩をすくめていた。
「そんなこと言われても……」
「くっそー。こうなったら絶対にとっつかまえて唐揚げにしてやる!」
 泣きそうなセレンと握り拳のサスケ。
 どうやら、彼らはまだしばらく、レイクウィンドゥ城に帰れそうにはないようだ。

悪戯な月

 その日、一日中リプレの手伝いで買い物に走り回っていたトウヤはくたくたに疲れていた。
「死にそう……」
 夕食を終えて自室に戻った途端、ベッドに倒れ込みトウヤはため息をこぼす。うつぶせの状態だったので声はくぐもっているが、ふかふかの布団は柔らかくて気持ちが良かった。そういえば午前中のうちにリプレが干してくれていたような気がする。
「そういう細やかな所は、お母さんだよな」
 ただちょっと、やはり人使いが荒いような気がするが。
 少しでも安く食料費を上げるためにまとめ買いを心がけているせいで、必然的に荷物は大きく、重くなる。最近ではまたフラットの人数が増えたおかげでその傾向は顕著となり、一度で運びきれなくて何度も南スラムと商店街を往復させられる羽目に陥った。もっとも、トウヤはそのことに文句が言える立場ではないのだが。
 なんといっても、フラットの住民が増えた原因の半分は彼によるものだからだ。手始めにジンガを拾い、行く当てのないモナティやガウムを助け、そのおまけ状態でエルカも居着くことになった。ローカスは、あの時はああするしかなかったわけだし。
 それにしたって、今日は疲れた。
「腕が重い……」
 剣道で長年竹刀を握っていたから腕力には自信があった。上腕部の筋肉は他よりもかなり鍛えられていて逞しいが、全体の体力はまだまだ足りないらしい。リィンバウムに来てからかなり強くなったはずだが、それでもエドスやジンガには到底かないっこないし、リプレのその見かけによらないたくましさにも永遠に手が届かないだろう。
 結局、育った環境の違いだ。
 手伝わせようと思っていたガゼルは、先にリプレのお願い攻撃を予想していたのか探したけれど見つからず、他のメンバーもそれぞれ仕事だったりで忙しくて手を煩わせるわけにいかなかったので、トウヤはひとりで荷物を運んだ。それが合計四往復という思いもよらない重労働になってしまったわけだが、今更ながら自分の人の良さをトウヤはあきれていた。
「ふう」
 寝返りを打ってうつ伏せから仰向けに姿勢を変え、天井を見上げてトウヤはカンテラのまぶしさに目を細める。これでは、明日は久しぶりの筋肉痛に苦しめられることだろう。情けないことだ、とため息を付き身を起こす。
 こんこん、と遠慮がちにドアがノックされたのはそのときだった。
「アニキ、いるかい?」
「ジンガ?」
 これはまた珍しい人物の訪問に目を丸くし、トウヤは「どうぞ」とドアの向こうに向かって声をかけた。
 キィィ……と軋んだ音を立ててドアが開かれ、手にタオルと着替えを抱えたジンガが中に入ってくる。
「風呂、入らないかい?」
「ああ、もうそんな時間か……」
 膝を寄せて髪をかき回し、トウヤは吐き出した息と一緒に声をこぼす。
「アニキ?」
「いや、何でもないよ。お風呂だね? ちょっと待っててくれるかな」
 ベッドから足を下ろして立ち上がり、着替え類を入れている小さな棚に向かう。その間ジンガは言われた通りに大人しく待っていたが、わずかに首を傾げていた。
 彼は今日、エドスと一緒に仕事に出ていたので、トウヤがどれだけどたばたしていたかを知らない。だがその背中がやけに哀愁を帯びている事だけは分かった。夕食の時もやけに元気がなかったし。
「アニキ、何かあった?」
「え? 特にないけど……」
 棚からパジャマ代わりのシャツとズボンを取り出し、トウヤが振り返る。
「そうかい? ならいいけど……」
 どうも腑に落ち無いながらも、トウヤがそう言うならそうなのだろうと無理矢理自分を納得させてジンガは先に立って歩き出した。部屋を出て廊下を進み、しばらく行くと裏手にある離れへ出た。
「よっ、トウヤ。お先」
 丁度ガゼルが子供たちを入れていたらしく、湯気を全身から登らせた集団とすれ違った。
「湯加減どう?」
「いい感じだったよ」
 尋ねるとアルバが陽気に答えてくれた。付け足すようにガゼルが、今なら沸かさなくても充分だと教えてくれる。
「ありがとう。じゃあ、今は誰も入ってないんだね?」
「ああ。早くあがれよ。次がつかえてるんだからな」
「分かってる」
 短い会話を交わしてガゼルたちと別れ、トウヤは引き戸を開いた。
 ムワッとした湿った空気が流れ出てきて、一瞬顔をしかめてしまう。靴を脱いで濡れたすのこの上に上がり、壁際に置かれた棚に着替えを置いて服を脱ぐ。横を見ると、ジンガもさっさと服を脱いで上半身裸だった。
 しっかりと鍛えられた体をしている。無駄のない肉付きで引き締まっており、とても十五歳の身体とは思えない。羨ましささえ感じてしまいそうだった。
「アニキ?」
「日焼け、すごいね」
 腕の部分と胸のあたりの肌の色がくっきりと分かれてしまっているジンガに言うと、彼は照れくさそうに頭を掻いた。
「しょうがないじゃん、だって外で仕事してるんだから」
 石切の仕事はハードだ。炎天下の下で一日中固い石と対面していなくてはならない。日焼けもするだろう。
「アニキはあんまり焼けてないね」
「僕の服は長袖だからね」
 別にずっと家の中にいるからではないのだと、言外に告げてみるが果たしてジンガに伝わったかどうか。
「ふーん……アニキって、さ。結構鍛えてあるよね」
「そうかな?」
 薄手のシャツを脱いで洗濯籠の中に入れ、トウヤがジンガを見る。
「ジンガには負けるよ」
「でも、他の連中に比べたらアニキって結構、いい身体してるって」
 おれっちが言うんだから間違いない、と妙な保証を付けられてトウヤは苦笑する。一応礼を述べておいて、彼はズボンも脱ぐと風呂場の扉を開けた。
 湯気が立ちこめている。天井近くにある唯一の窓には水蒸気がびっしりとついていて、子供たちが遊んだと思われる残骸があちこちに散らばっていた。
「すっげー……泡だらけ」
 後ろから入ってきたジンガも、入り口で立ち止まっていたトウヤの肩越しに中の光景を見て感嘆の息をこぼした。 
 かろうじて湯殿の中には泡は無かったが、床の簀の子にはまだ消えきっていない石鹸の泡がこびりついていた。下手に踏むと、滑りそうで怖い。
「……ガゼルの奴……」
 ちらりと、分かれるときにやけににや付いた顔をしていたガゼルを思い出してトウヤは歯ぎしりする。だが、こうなってしまった以上どうしようもなく、諦めて脱衣所への扉を閉めた。
「アニキ、石鹸ないよ?」
「……その辺の泡の中に、隠れているんじゃないのか?」
 いつも石鹸が置かれている場所に目当てのものが無く、困惑しているジンガに答えてトウヤは湯殿を手桶で軽くかき回した。温度は丁度いい感じでそれだけはガゼルに感謝するが、他のことはあとで叱ってやらねばなるまい。
「そっかなー……えっと、どれだろ」
 簀の子の上できょろきょろしているジンガを見上げ、トウヤは手桶から湯をすくい上げて肩からかける。飛び散った湯が床の泡を消し去るのを手伝い、そのうちのひとつから、やや黄ばんだ石鹸の固まりが出てきた。
「ほら」
 それを拾い上げ、ジンガに手渡す。
「アニキ、ありがと!」
 そんな些細なことでも嬉しそうに礼を言うジンガがほほえましい。彼は早速、石鹸を泡立てて身体を洗い始めた。
「後でアニキも洗って上げるからね」
「ありがとう……」
 石鹸を返して貰おうと手を伸ばしていたトウヤは、先手を打つようなジンガの明るい声に言葉が出ない。行き場のない手をしばらく見つめた後、しょうがないか、と息を吐いてジンガのために桶に湯を移し替えてやった。だがそれが終わると、する事が無くなってしまう。
「…………」
 はぁ、と息を吐き出しトウヤは自分の右腕を見た。
 竹刀を持つだけだった腕は、今や本物の剣を握っている。その重さは比べものにならない。人を傷つけ、殺すこともできる武器を握る手だ。今はひどく、それが憎い。
 今日のように、持つものが剣などではなく日常生活に必要なものであったならば、こんな気持ちにならずに済むだろうに。いくら量が多く重くとも、血糊の付いた剣を持つよりもずっと、気持ち的に楽で済む。
「……アニキ?」
「え?」
 ぼうっとしてしまっていたらしい。ジンガの顔がすぐ目の前にまで接近していたことにすら気づかなかったなんて。
「やっぱり、どっか具合悪いのか?」
 アニキらしくないよ、とジンガに言われてトウヤは苦笑する。確かに、疲れているのかも知れない。こんな風に隙を作るなんて。
「ちょっとね、リプレの用事が思ったよりもきつかったからかな」
 苦笑いのままジンガに今日の出来事をざっと説明してやると、彼は神妙な顔をして聞いていた。よくよく見れば彼はまだ全身を洗い流しておらず、泡にくるまれているみたいだった。
「ふーん……大変だったんだ」
「でも、それくらいしか僕に出来ることはないから」
 いいんだよ、と言うとジンガは「むー」と唸って、
「じゃ、おれっちがマッサージしてあげる」
 ぱっと顔を上げたジンガが、満面の笑みと表現すべき顔でトウヤを見つめた。
「え……? あ、ありがと……」
 まさかここでする気か? と疑問が降って沸いて出て、いやまさか、とどこか冷静なトウヤが判断を下そうと思考を落ち着けさせるのだが。伸びてきたジンガの手がトウヤの左腕をわしづかんだ。
「!」
 痺れが上腕部から全身を貫いてトウヤは息を詰まらせる。痛い。
「あ、ごめん」
 強く握りすぎたと気づいたジンガが力を緩めるが、手そのものを放してくれる気配はない。今度は慎重に、親指の腹を使って肩に近い方から揉みほぐし始めた。
「ん……」
 痛みの中に、気持ちいい感覚が生まれてくるのはすぐだった。手慣れている、そう感じさせるジンガの指の動かし方に、トウヤは全身から力を抜いた。
「いっ……」
「ここ、結構凝ってる」
 ジンガの身体にまとわりついていた泡がトウヤにも移ってくる。
「……あ、いい……そこ……っ」
 念入りに腕をほぐされてトウヤはつい、そんなことまで口に出してしまう。ジンガはトウヤのリクエストに応えてその箇所を重点的に押さえてくれ、これまで溜まる一方だったトウヤの疲れを癒してくれた。
「おれっち、上手いだろ?」
「ん……癖になりそうだ」
 ストラで疲れを癒すことは出来るが、身体に溜まった凝りはこうやって取るのが一番気持ちがいい。格闘家であるジンガは、どこが疲れの溜まる場所か、しっかりと熟知していた。
「へへへー……じゃ、ここなんかは?」
「あ……すごくいい……」
 肩を指で強く押され、痛みの奥に疲れが消えていくような感覚が気持ちいい。
「ん、ふっ…………」
 吐息が漏れてトウヤは目を閉じる。その隙にか前に回り込んできたジンガが、うっとりとそんな彼の顔を屈んで眺めた。
「アニキの顔……」
「え?」
「なんか、やらしい」
「!?」
 いきなり何を言い出すのか、と声を立てようとした瞬間痛いところを押さえられて唇をかむ。だが直後にじんわりとした気持ちよさが浮かんできて、トウヤは混乱した。
「へへっ、気持ちいいでしょ?」
 どこが疲れの溜まる場所で、どういう風にすれば楽になるのかを熟知しているジンガにとって、トウヤの声を封じることは簡単だった。
「やめ……ジンガ……」
「なんで? 気持ちよくない?」
 右腕をさすっているジンガの指が止まる。真正面からトウヤを見つめているが、その目はどこか楽しそうだ。
「おれっちとしては、もっと気持ちいいこともして上げたいんだけど……」
「しなくていい!」
 身の危険を感じてトウヤは逃げようかと身をくねらせた。だが寸前でジンガに抱きすくめられてしまう。
 身長はトウヤの方が断然高いが、体格ではジンガに劣る。もちろん腕力も例外ではなくて、トウヤはあっけなくジンガの腕に納められてしまった。
 湿った泡の感触が気持ち悪い。
「なんでぇ? いいじゃん、減るもんじゃないし」
「減る。確実に減る!」
 ちょっとまておちつけばかなことはかんがえるなはやまるなぼくたちはまだわかい!!
 混乱した頭で叫ぶトウヤの言葉はだんだん意味が分からないものになっていく。だがジンガは止まらず、嬉しそうに笑うと首を上向けて近づいてきた。
 濡れたものがトウヤの唇に触れる。それがジンガの舌だと気づいた直後、トウヤは口をふさがれていた。
「ん……っ!」
 直前まで喚いていたせいでガードするのが遅れた。歯列を割って入り込んできたジンガの舌先がトウヤの中を動き回り、絡ませてくる。逃げようとするが力関係が逆転しているために上手く行かず、息継ぎを挟んだキスはしばらく続いた。
 何故か涙が出てきた。
 かなり、悔しい。
「アニキ?」
 堪えきれず泣き出したトウヤに、顔を離したジンガが困った表情を作る。だが、あろう事か彼から次に飛び出した言葉は、
「泣いてるアニキも可愛い!」
だった。
「ちょっ、ジンガ!」
 再び抱きつかれ、なおかつ押し倒されてトウヤの背中が簀の子に当たった。のしかかり肩を押さえ込むジンガがやけに凶悪に見えてトウヤは息をのむ。
「ばか、頭冷やせ! 何考えて……」
 ピシャッ! ガラガラガラ…………
 焦るトウヤの声に、風呂場の扉が開けられる音が無情に重なり合った。
「……………………………………………………………」
 気まずい、非常に、ひっじょー! に気まずい空気が一面を覆い尽くす。トウヤも、ジンガも、そして入ってきたソルも…………その場で凍り付いていた。
 ただ、一番現実に帰ってくるのが早かったのも、ソルで。
「……邪魔したな」
 冷たい一言を放つと、扉を開けて出ていってしまった。
「そ、ソル……待って……」
「逃がさないからね、アニキ!」
「ジンガ、馬鹿離れろ……ソル、違うんだ誤解だ待ってくれソルーーーーー!!」
 トウヤの空しい叫び声が、その夜遅くまで響いていた。

日曜日の午後、君に

 日曜日の、午後。連日のように続く野球部の練習も、偶には監督の計らいで休日が訪れる。滅多にない骨休みとも言える時間だけれど、普段から野球にすべてを注ぎ込んでいる感のある高校球児達にとってしてみれば、その空白の時間はあまり使い道が無くて逆に、なにをすれば良いのか解らず困惑してしまいそうになる。
 遊びに行こうにも、常日頃から野球しか考えていない頭では最近出来たばかりのお洒落な店や、話題のスポットに出かけようとも思わない。そういう場所にあまり興味がないから、調べる事もしない。
 だけれど、家に居てじっとしているのもそれはそれで暇で。かといって、体を休めるための休日にグローブを持ち出すのもどうかと考え、結局は行くあても特に定めることなく財布だけをポケットに入れ、街へ出た。
 学校からさほど離れていない繁華街。さして興味もないのにCDショップと大型書店を順番に回り、その途中で遅めの昼食を取るためにファーストフードの店に入った。
 どこに行ってもこの高身の身体は目立ってしまい、行く先々で受ける女性陣から注がれる視線が痛い。午後1時を過ぎてもまだ長い行列が出来上がっているハンバーガーショップの列に並んでいる間が特に酷くて、集団で群れている女達が高音の声をがなり立てながら、本人達はひそひそ話をしているつもりなのだろう。だけれど視線は一様にこちらを向いていて、それが気にくわない他の男性陣から向けられる視線も毒を孕んでいる。
 こういう手合いは無視するに限る。いちいち相手にしていたところで、自分が疲れるだけで利益はひとつもないのだ。
 慣れているわけではないが、状況には否応がなく慣らされてしまっていて、溜息がひとつ紛れ込む。ようやく順番が巡ってきたカウンターであらかじめ用意して置いた注文を早口で告げ、応対をした若いバイトの女が頬を染めるのを冷たい目で見下ろしながら数分待つ。
 まだ暖かいハンバーガーと、冷たい飲み物。受け取ってから混雑している店内を掻き分けて暫く進み、周囲を見回しながら空席を探した。
 今はひとり。相席はもともとゴメンで、自分を注視している人間を完全に視界からシャットアウトさせたまま二階の、大通りに面した窓際のカウンター席に腰を落ち着けた。ここならばじろじろ顔を観られる事もなく、ゆっくりと食べることが出来そうだと思ったから。
 ハンバーガーの包み紙を解き、はみ出しているキャベツを先に口に放り込んでかぶりつく。上品な食べ方をする理由もなく、とりあえず口元の汚れだけを気にしながら数口で食べ終えてしまう。
 背中に注がれる視線は変化無く、意識の外へ追いやることで無視を貫く。アイスコーヒーの紙コップを片手に持ち、もう片手はテーブルの上で頬杖をついてぼんやりと、ガラス張りの壁代わりになっている窓から外を眺めた。
 ストローで冷たいコーヒーを飲む。ざざざ、と細い管から吸い上げられていく濃い色をした液体が音を立てた。
 眼下の人波は、昼を回ってから尚更増したようだった。人混みはもともとあまり好きではなかったし、なによりも不必要に向けられる他者の好奇心はうざったい。だったら何故、今日に限って持て余している時間を浪費する方法として街へ出る事を選んでしまったのだろう。
 ストローから口を離し、コップをテーブルに戻す。底の固い部分が白いテーブル板にぶつかって軽い音がした。氷が滑り落ちて、見えないコップの中で衝突を繰り返している。何気なくストローを持ち、掻き混ぜてみた。液体と氷がストローにぶつかり、乱れていくのが感覚で伝わってくる。
 また溜息が漏れる。
 このあとどうしようか。スポーツショップに寄って、新しいスパイクでも品定めしてから帰る事にでもしようか。足許から覗く騒々しそうな光景を見下ろしながら、そんな事を考えてみる。左手は相変わらず、ストローを掴んでコーヒーを掻き回していた。
 ざりざり、ざり。
 氷にぶつかって歪な音が空間を通り過ぎていく。
 雑然とした光景、その中を行き交う人々。信号が変われば車と、そして人間が一斉に動き出して、また別の一帯では動き止む。一見すると整然としているように思われるものも、上から眺め下ろせばそれはまとまりを欠き、一貫性を持たない歪んだ世界だ。
 神様が空の上に居るのだとしたら、こんな光景を毎日眺めて退屈そうに欠伸をしていることだろう。
 どうでも良いことを考えて、ストローを口に運び少し温くなってしまったコーヒーを啜る。ズズズ、と音がした。
 ざざざ、と交差点の人間が動いている。
 ふと、けれど、その動きの一角が崩れていこうとしているのが見えた。
 なんだろう、人混みが割れて空間が出来上がっていく。その中心には小さな人間――恐らくは老婆――とそれを庇うような格好で立つ男、それから男と対峙する格好で立つ別の男の集団が居た。
「…………?」
 何故か気にかかって、首を捻りながら目を凝らしてみた。
 いつもならば目に入っても無視するだけの、彩に欠けた世界がその部分だけ、妙にはっきりと輪郭を映し出して見えたからだ。
「……猿、野……?」
 ぽつりとその名前が口から零れ落ちた。無意識に、コップを握っていた左手に力が込められる。薄い紙で出来たコップはいとも簡単に、加えられた力に耐えかねて真ん中辺りから拉げ始めた。
「猿野」
 今度ははっきりと、確信を持った声で呟く。なぜだか、この位置からではその存在を判別する事は不可能に近いはずなのに、声に出してみた途端あそこで地面に倒れた老婆に手を差し伸べている人物があの、野球初心者の問題児であると決定されてしまっていた。
 立ち上がる、椅子の脚が床に擦れる。飲みかけのコーヒーは潰れたコップごとゴミ箱に棄てた。乱暴に盆を投げるように置き、階段を急ぎ足で駆け下りる。途中でぶつかりそうになった相手に謝罪のことばを告げる事もせず、最後残っていた三段分の段差は飛び降りることで片付けた。
 行列が解消されつつある店内に目もくれず、自動ドアが開く間の時間さえも惜しむ気持ちで店を飛び出す。
 人混みが割れた空間は、直ぐに見付かった。
「謝れよ!」
 矢のように鋭い声が、ざわめきを切り裂いて耳に届いた。
 間違いない、あの声は。あのやたらと大きく、耳障りでしかなく、人のことを散々バカにした口調でしかものを言ってこない、けれどやるときは案外やるし、目立たないところで努力していたりもする、そのわりに悪ふざけばかりが目立つ、あの。
 猿野天国。
 気が付けば視線がいつもあいつを追いかけている事を、自分は自覚している。その視線が語るものがなんであるかも、曖昧な感情ながら分かっているつもりだ。
 だけれど、まだ不確定であやふやで、そして微妙なこの空気を張り詰めさせるだけの気持ちは、今の自分にはまだ無い。
 変わってしまいかねない空間を、自分から投げ捨てるだけの勇気が未だにない。
「猿野」
 人垣になっているところを掻き分けて、前に出る。猿野はどうやら、乱暴に老婆にぶつかっていった若者数人を相手にしているらしい。彼女は倒れたときにどこかをぶつけたりでもしたのか、苦悶の表情を僅かに浮かべてタイル敷きの歩道に膝をついていた。
「謝れって言ってんだよ!」
「うっせーなー。俺たちがやったって証拠でもあんのかよ」
「ある。オレはこの目でしーっかりと見てたぞ!」
 自分の見開いた両目を指さしながら、口答えをする若者――とはいえ、高校一年である自分たちよりは年上であろう――に向かって猿野は怒鳴り返した。するとすぐさま、別の男が太々しい態度で猿野へと躙り寄った。
 猿野は逃げず、威勢良く男を睨んでいる。
 光景を眺めながら、自分の顔が顰めっ面になっていくのが鏡を見なくてもよく分かった。それ以上猿野に近付くんじゃない、心の中で叫んでいることばはけれど、口に出ず喉で止まって瘤になっていた。
 吐き気さえ覚えてしまう。
 猿野は尚一層強く男を睨み、もう一度「謝れ」と言った。
 座り込んでいた老婆が、猿野のズボンを掴んで引っ張り「もう良いから」と繰り返す。振り返った猿野が、逡巡するのが分かった。
 男が更に距離を詰める。汚らしい金髪に染めた髪を左右に揺らしながら、下卑た笑みを口元に浮かべていた。
 反射的に、足が前へと進む。猿野は老婆に気を取られていて、男の動きに気付かない。
 人混みが割れる、誰かが危ない、と叫ぶ声を遠くで聞いた。金髪の男が握る右手の中に、何かがあった。細長い、銀色をした筒状の物――例えばそれは、携帯用のスプレーのような。
 結局それが使われる事が無かったので、中身が何であったのかははっきりとしない。ただ漠然と、あれは恐らく痴漢やそんなものを撃退する目的で本来は作られて販売されているものだろう、と理解は出来た。ちらりと見えたラベルも、そんな意味合いが感じ取れたから。
「……焦げ犬!?」
 猿野が驚いた顔をして俺を見る。今まさに猿野へ攻撃を仕掛けようとしていた金髪野郎の右腕を、手首で掴みひと捻りした俺の顔を見上げて猿野は半分不満げに、そして残り半分を驚愕に染めていた。
「いでっ、いででででっ!!」
 腕を捻られた男がみっともない悲鳴を上げて左手を空中でばたつかせた。一斉に周辺がどよめく。それは男の仲間達も同じだった。
 俄に殺気が誕生する、面倒臭くなって溜息をついた。
 くるり、と体の向きを反転させる、金髪の男ごと。そして猿野が二の句を告げないで居る間に軽く力を入れて男の背中を押してやった。同時に、掴んでいた右手も放してやる。
 男は前につんのめり、三歩ほどステップを踏むように飛び跳ねてから仲間に支えられる格好で膝を折った。かろうじて地面に倒れ込む事はなかったものの、捻られたところの痛みと急に解放された事からバランス感覚を失い、咄嗟に何かを叫ぶ事も出来ず茫然としていた。
「てめっ!」
「行けよ、さっさと」
 怒鳴ろうとした別の男を一瞥し、顎をしゃくって道路の反対側を示す。複数人居た男のうち、半数がほぼ同時に舌打ちした。
「んなっ、勝手に決めんな焦げ犬!」
「俺はそんな名前じゃない」
 状況判断をし損ねている猿野の叫びには冷淡なひとことで返し、もう一度男達を睨み付けてやった。
 もとより愛想の無いと言われる顔で睨まれ、男達は萎縮まではしないものの、居心地の悪さを覚えたのだろう。今度は金髪野郎以外の全員が舌打ちをし、リーダー格と思われる男が首を横に振った。表情としては、つまんねぇ、だろうか。
「おい、行くぞ」
 バカに構うな、と言われ猿野が後ろで過剰に反応していた。それを右手一本で制し、去っていく男達が次々に投げ捨てていく常套句を聞き流す。
 首から上だけで振り返ると、倒れていた老婆も痛みが和らいだのか立ち上がろうとしていた。取り囲んでいた人垣も、徐々に薄れていきやがて消滅する。老婆の動きに気付いた猿野が、よろけそうになる彼女に慌てて手を差し伸べた。
 その行動は普段の巫山戯ているものと比較できないほど、親切で丁寧だった。
「大丈夫か、婆さん」
 但し、口調は大差ない。
 男達が完全に見えなくなるのを確認してから、ようやく身体ごと振り返って猿野を見る。まだ若干不満そうなのは、奴らが謝罪のことばを最後まで口にしなかったからだろう。それとも、あまり考えたくはなかったけれど。
「勝手な事すんなよな」
 背を向けられたまま、ぶっきらぼうに言われる。
 やはりそれを怒っているのか、と胸の中で呟いた。猿野は俺が、勝手に割り込んで行って勝手に主導権を握り、勝手に男達を行かせてしまった事に腹を立てているのだ。そして、恐らくは。
 俺に助けられた結果になった自分にも、腹を立てているのだろう。
 老婆がきちんと立てる事を確認してから、地面に落ちていた彼女の荷物を拾い上げて埃を払ってやる猿野を、遠くを眺める感覚で見つめ続ける。終始猿野は俺に背を向け、目を合わせようとしない。
 余程怒らせてしまったのか、と溜息を零して乱暴に髪を掻き乱す。その手前で老婆は、まず猿野に、それから姿勢を改めて俺に向かって一度ずつ、頭を下げた。
 少し慌てそうになり、急いで首と手を同時に横に振った。俺は猿野に危害を加えようとしていた奴を止めただけであって、老婆を助けた覚えは無かったから。
 けれど彼女はにこりと優しく微笑み、今度はふたりに向かって頭を下げて礼のことばを告げた。猿野が、まだ心配そうな顔をして送っていこうかと尋ねている。けれど彼女は丁寧にその申し出を断り、ありがとうね、と付け足した。
 照れくさそうに猿野が笑う。その横顔をじっと見ていると、気付かれて途端彼の表情は不機嫌色に染まった。
 老婆がまた笑う、楽しそうに。それじゃあね、と呟いて彼女は猿野から荷物を受け取ると、人混みの中へと消えて行ってしまった。
「……なんだよ」
「いや」
 少し意外な感じがした、とは言わなかったが顔に出てしまっていたらしい。不機嫌に輪を掛けた表情で猿野はふいっ、と俺から視線を外す。
「暴力事件は部活停止どころの騒ぎじゃ済まなくなるぞ」
「うっせぇ。じゃ、なんか? テメーは見過ごせるってのか?」
 正義感溢れる感情に目を丸くする。恐らく自分は、猿野と同じ現場に遭遇したとしてもきっと無視を通し、この場を立ち去っただろう。
 自分たちの違いは、多分こんなところにある。正しいと思ったこと、間違っていると思うことを正直に口に出せるその心が、彼の強さ。時々羨ましく、そして眩しく思えてならない彼の正体は、ここにある気がする。
「……んだよ」
 じっと見下ろされる事が苦痛なのだろう、頬を膨らませたまま猿野は俺を睨む。
「いや、別に」
「つーかそもそも、なんでテメーがここに居んだよ」
「休みをどう使おうと、俺の勝手だろう」
「そーじゃねえって。オレが言いたいのは、なんでテメーがこの場所に居るのかって事」
「俺の勝手だ」
「だー、くそっ!」
 堂々巡りの質疑応答に痺れを切らし、猿野はその場で激しく地団駄を踏んだ。道行く人がすれ違いざまにクスクス笑って通り過ぎていく。恥ずかしい奴め、と思って見ていたが、どうも通行人は猿野だけを見ているのでは無いことに途中で気が付いた。
 正しくは、“自分たち”を見ている。認識した途端、とてつもなく今自分が此処にいることが恥ずかしく思えてきた。
 日曜日の午後、たまたま出かけた街中で、本当に偶然に、お前に会って。
 出かける予定も、目的もないままに気が向いたからというそれだけの理由でこの場所を訪れた自分。けれど、あるいは。
 もしかしたら、万が一にも可能性があるのだとしたら。
 ひょっとして、自分は。
 ――会いたかった……?
 人混みの中、騒々しい往来の真ん中でお互いに制服やユニホームを身に纏っているわけでもなく、共通点などおおよそ想像も出来ない自分たちが顔を合わせて、こうやってここに居る。
 恥ずかしいどころではないかもしれない。もしかして、かろうじて生まれつきのポーカーフェイスが隠してくれているこの感情は。
 もしかしなくても、間違いなく。
 嬉しいと、感じている。嬉しいと思ってしまっている自分が居る。どうしようもなく舞い上がって、喉の奥に出来上がったことばにならなかったものの瘤がもぞり、と動いた。
「おい」
 道のど真ん中で暴れる一歩手前の猿野の手を掴み、半ば強引にガードレールの方へと引っ張った。その場に踏み止まろうとした猿野だったが、こちらの力の方が若干強く彼はつんのめり、俺に向かって倒れかけた。けれど最後で堪えきった彼は、嫌そうに俺の手を払うとなんだよ、という目で見上げてきた。
「行くぞ」
「どこへ」
「どこでも良い」
 アイツらが気分を変えて戻ってこないとも限らない、ここに居ない方が良いだろう。遠くを見てあの金髪が見当たらない事を確認しながら、わざと本当らしくことばを連ねる。珍しいくらいに、舌の上で音が滑らかに滑っていた。
 猿野はまだ不満げだったが、俺の台詞に一理あると感じ取ったらしい。小さく呻いて俯いた後、
「行くって、どこへ」
 先の問いかけを言い直した。
「どこでも良い」
 俺は同じ台詞を繰り返す。つまんねえ奴、と猿野が斜め前方を眺めながら呟くのが聞こえてしまった。そうは言われても、咄嗟にふたりで行くところなど思いつかないのだ。昼食はさっき、済ませてしまったばかりだから。
 しかしそれを口に出す気分にはならなかった。
「じゃあ、よ。飯食いにいかねーか、オレまだなんだよ」
 急に思い出したらしく、猿野は自分の腹部を片手で押さえながら言った。いつもの、俺にはあまり向けてくれなかった人なつっこい笑みを浮かべて。けれど表情の隅の方に、お前が奢れよ、という意味合いが込められているのを感じ取った。
 俺はもう食べた、とは言わなかった。
「ちぇっ。しょうがねーな……」
 さも自分もまだ昼を食べていません、という顔をして舌打ちをし、財布をポケットから取りだした。残高を素早く計算し、猿野の胃袋を計算し、それから帰りの交通費を換算する。
 かろうじて、辿り着けそうだ。無理だったらトレーニングを兼ねて走って帰ることにしよう。
「あんま高いのは無理だからな」
「わーてるって。貧しいワンコは労ってやらねーとな」
 楽しそうに猿野が笑う。思いがけない奢りにありつけたと、上機嫌のようだ。
 彼が指で指し示したのは、さっきまで自分が居たファーストフード店。一瞬うんざりしてしまったが、無表情を貫いてまた店の扉を潜る。今度はふたりで。
 本日二個目のハンバーガー。目の前にして、げっぷが出た。

02年3月25日脱稿

花見日和 刹那日和

 日溜まりがとても心地よい。
 風も、柔らかくなったような気がする。そう言ったら、真なる風の紋章を持つルックが「そうかい?」といつものように冷たい視線を送ってくれたが。
 でも、確かに風が暖かく優しくなったのだ。
 その季節の名は、春。
 ぽかぽか陽気に誘われて城のバルコニーから緑一面の大地を眺めていたセレンは、その一角に緑ではなく淡いピンクで染められた場所があることに気付いた。
「ねえ、ルック。あそこ……」
 手すりから身を乗り出してセレンが脇に立っている人物に尋ねると、ルックは僅かに目を細めてセレンが今指さしている方向を見やり、
「ああ、桜が咲いているんだよ」
 そういえばもうそんな季節か、とひとりごちているルックを眺め、それからまた、桜並木を見下ろしたセレンははて、と首を傾げる。視力だけは馬鹿みたいによろしいセレンの目に、ごく小さくだったが珍しい人物が立っているのが映ったからだ。
「あの人……」
 だが一瞬吹いた風に気を取られた隙にその人はいなくなってしまって、セレンは不思議そうに手すりに顎をついた。もしかしたら見間違いだろうか、とも思ったが特徴のある格好をしているので、セレンはまず間違えないハズだ。
「セレンーーー!!!!」
 と、そこへけたたましい足音を立てながら、聞き慣れた少年の声がセレンの部屋に飛び込んできた。
「サスケ、どうしたの?」
 黒装束で身を固めた少年――サスケが息を切らして、だが表情は実に楽しそうにセレンの前までやってくる。そこにルックもいることに気付くと、ちょうど良かったと嬉しそうに笑った。
「嫌な予感……」
 ぽつりとルックが呟いたが、逃げ出さないように先にサスケはセレンとルック、ふたりの二の腕を取って間に割り込む。
「花見、しようぜ?」
 つい先程、ふたりが眺めていた桜が咲き誇る一体を指で示し、サスケは言った。
「折角さー、天気いいんだし、桜も綺麗だし、暇だし。あ、軍師殿は軍議だって言ってたけど、どうせお前等は暇なんだろ? 他の連中も誘ってさ、騒ごうぜ、な?」
 結局は自分が騒ぐ動機が欲しいだけか、とルックは心の中で嘆息したが、セレンはサスケの提案にすぐに乗った。彼も、みんなで騒ぐのは大好きだから。
「いいね、楽しそう!」
 以前クリスマスでひどい目に遭っていることをすっかり忘れ、セレンが両手を叩く。
「だろ?」
 賛同をもらったサスケが実に嬉しそうに笑う。反対側のルックがうんざりした顔をしていることになんて、これっぽっちも気付いていない。いや、気付いているが敢えて無視。
「じゃあ、メンバーを集めて、お料理の用意もして、あと……」
「チッチッチ。俺様をなめてもらっちゃあ、困るね」
 セレンが花見に必要なものを指折り数えて列挙していこうとするのを、舌打ちと指振りでキザっぽく止めさせ、サスケはにんまりとしか表現の仕様のない笑顔を作った。
「まさか、サスケ……」
「その、まさかです。後はお前の許可さえもらえたら、すぐに始められるように準備は完了しているのさ!」
 面子も揃ってるし、料理も朝からハイ・ヨーに頼んで作ってもらってるから、そろそろ出来上がってると思う。桜の下に敷くシートも、ついでに酒や飲物類も集め終わっている。「早い……」
「計画的犯行か」
 呆気にとられているセレンと、呆れ返っているルックに、サスケは唇を尖らせて不満そうな顔になった。
「なんだよ。今から準備してたら、日が暮れてから始めることになるだろ?」
「まあ、確かに……」
 だが、もしセレンが乗り気にならなかったらどうするつもりだったのだろう。
「え? あー……考えてなかった。まあ、いいじゃんかよ。こうしてリーダーの了解も得たことだし。シュウ殿も、セレンが良いって言ったら、って事で許してくれたし」
 そこまで根回しが済んでいたのかとセレンは乾いた笑いを浮かべた。
 確かに今は戦争とはかけ離れた日常が過ぎていて、みんな刺激の少ない日々に退屈していた頃だから、ストレス発散も兼ねて騒ぐのは悪いことでは無かろうが。一部、この城に詰めている人間には限度というものを知らない連中がいたりする。
「またあの大騒ぎが始まるのか……」
 年末のクリスマス、後かたづけがどれほど大変だったのかを、皆は綺麗さっぱり忘れ去っているらしい。シュウも、もう少し考えてから許可したら良かったのに。
 重いため息をついてルックが遠くを見る。だが逃げようにもサスケに身柄を確保されたままではそうも行かず、結局また付き合わされるのかと諦めるしかない。
「……それで、メンバーは?」
「えーっとな……俺とお前等と、フッチ、キニスンだろ? フリックとビクトールにマイクロトフとかシーナとか……」
 なんだそれは、と言いたくなるようなメンバーが次々とサスケの口からこぼれ落ち、どういう基準で声をかけたのか、と疑ってしまいそうになる。
「一応そこらで暇そうにしてた連中に声かけて回ったんだけど……回った順番が悪かったのかもな」
 道場からレストランへ向かう道すがらで出会った人に話し掛けて行ったのだとサスケが説明すると、納得とセレンも頷いた。
「珍しいね、マイクロトフまで」
「なんか、カミューと一緒に女連中の花見に誘われたらしいんだけど」
 そっちに断り入れる理由でこちらの誘いに乗っただけらしい。シーナは、女性達に誘われなかった、と愚痴ていた。
 で、そのカミューは「レディの誘いを断ることは、騎士として許すまじ事ですから」と、よく分からない理屈を述べたらしい。彼らしいと言えば、彼らしいが……それでいいのか? 元・マチルダ騎士団赤騎士団長殿は……。
「あ、じゃあさ」
 突然、ぽん、と手を打ってセレンがサスケの顔をのぞき込む。
「あの人も誘って良いかな?」
「へ? 誰? 別にメンバーが増えるのはいいけど……」
「やった。じゃあさ、ボク探してくるから先に行って始めててよ」
 サスケからするりと離れてセレンがぴょん、と飛び跳ねた。
「ルックも良く知ってる人!」
「…………」
「誰?」
「行ってくるねー」
 嬉しそうに手を振ってセレンが部屋を走り出ていった。残されたサスケは、セレンの探し人が誰であるかをルックに求めたが、ルックは眉間に皺を寄せただけで何も喋ろうとしなかった。
「ま、いいか。どうせすぐ分かることだし。んじゃ、ルック、手伝え」
「どうして僕が……」
「いいじゃん、俺達の保護者がわりなんだろ?」
「…………まだそれを言うのか」
 いい加減、弱みになりつつあるその台詞に顔を思いっきりしかめながらも、ルックはサスケに導かれるままにセレンの部屋を後にした。

 桜の木は全部で十本ほど、間隔も特に定まることなく見事な花を咲かせていた。太い幹からのびる枝から、無数とも言える花が所狭しと咲き誇っている。風が吹けば花で重い枝が揺れ、薄桃色の花びらが空に舞い散った。
「風流だなぁ」
「お前からそんな台詞が飛び出すとはな」
 透明の液体をなみなみと注いだグラスを片手に、散り行く桜を見上げていたビクトールの一言に、すかさず横からフリックの突っ込みが入る。
「なんでい、俺だってたまには感傷に浸ることがあるんだぜ?」
「たまには、な。だが似合わない」
 ぐい、と手にしているグラスの酒を仰ぎ、フリックが笑う。周囲からも同じ様な笑い声が一斉に上がって、ビクトールはばつが悪そうにグラスの酒を一気に飲み干した。
 空になったグラスに、ひらりと一枚、桜の花びらが落ちてきた。その上から酒を新しくつぎ足すと、花びらは液体に押されてくるくる回転しながら水面間で上がってきた。
 サスケの呼びかけに応えて集まった連中は、主幹であるはずのそのサスケを待たずしてすでにシートを地面に敷き、酒飲み料理を広げていた。
「あー! お前等、俺達の分もちゃんと残してあるだろうな!?」
 小高い丘の上にある桜並木に駆け上がってきたサスケは、その気の早い宴会を見るなり怒鳴り声をあげた。
「おー、遅かったな。先に始めさせてもらってるぜ?」
 少しも悪びれた様子無く、ビクトールがグラスを高くに掲げた。衝撃で酒があふれ返り、彼の手を濡らしたがそれすらも勿体ないと彼は自分の手首まで舌で舐めていた。
「みっともない……」
 少し離れた場所で、静かにワインを飲んでいたマイクロトフが顔をしかめて呟く。だが後ろから近づいてきたシーナにぼん、と背中を叩かれて、
「いーじゃねーか、無礼講で行こうぜ?」
 未成年のくせにすっかり出来上がり始めているシーナに、ビクトールも「いいぞ、もっと言ってやれ!」と拍子を送る。
「なんてこった」
 その光景を眺め、サスケは肩をすくめた。
「これだから大人ってサ……」
「サスケー、こっちこっち」
 呆れ声で呟いた彼を、別の方向から呼ぶ声がした。振り返ると、大人連中とは明らかに別格の一団が、一際立派な花を付けた木の下で陣取っていた。
「フッチー、俺の食い物は!?」
「最初の一言が、それかい……」
 駆け足でフッチとキニスンが用意してくれていたシートに寄ると、サスケは開口一番そう言って皆を呆れ返させた。
「ちゃんと残ってあるよ、ほら」
 キニスンがお重を広げて中にびっしりと詰め込まれた料理の数々を見せてやり、サスケを感動させる。以前の散歩も兼ねたピクニックの時とは比べようもない量と質が、並んでいる。やはり早めに注文しておいて良かったと、サスケは目を輝かせてハイ・ヨーに感謝した。
「あれ? セレンさんは?」
 しかしサスケがつれてきたのがルックだけなのを訝しみ、フッチが尋ねると、
「なんか、誰か連れて来るって言ってた」
「誰かって、誰……?」
「知らない」
 教えてもらえなかったと答え、サスケは靴を脱いでシートに上がった。フッチが場所をずらして席を譲り、ルックもキニスンの横に座る。
「いっただっきまーっす!」
 箸を持って行儀良く、そして元気良く食前の挨拶を口にしてサスケは早速重箱をつつきだした。キニスンが飲物としてジュースを配り、酒じゃないのか、とサスケに文句を言われた。
「僕達は未成年だろ?」
 ぽかり、と突っ込みと一緒にフッチに軽く頭を殴られ、ぶーと頬を膨らませたサスケだったが、料理を口に運び込むとすぐにそんなことも忘れる。
「御神酒一杯で酔っぱらうくせに……」
 甘いジュースに顔をしかめつつ、ルックがぼそりとこぼす。
「ああ、お正月ですね」
 そういえばそんなこともありましたね、と軽く返し、キニスンが笑う。小皿にローストビーフを取って、横で寝そべっていたシロの前に置いてやった。
 風が吹く。見事な桜が枝ごと揺れて彼らの上に花びらが舞い踊った。
「セス……?」
 その桜嵐の向こうで、赤い服のセレンが誰かの手を引いて歩いてくるのが見えてルックはコップをおいた。立ち上がると、更によく見える。
 セレンと同じ様な色の服を着た、緑色のバンダナをした青年――なるほど、確かにルックも良く知っている人物がセレンと一緒に歩いていた。
「ラス」
 その名を呟くと、座って料理を食べていたフッチも「え?」という顔をして振り返った。
「本当だ、ラスティスさん」
 意外すぎる人物の登場に、彼らだけでなくビクトール達大人組も、騒ぎ出していた。
「おいおい、ラスティス、どうしたい」
 顔を赤らめたビクトールが、呂律の回らない口でふたりの若き英雄を迎える。フリックも驚いた顔をしているが、シーナは大して興味がないのか、ビクトールの手から解放された酒瓶をすかさずかっさらって舌なめずりをした。
「お前も飲むかー?」
 すでに何杯目か分からない酒の入ったグラスを頭上に掲げ、ビクトールが大声でラスティスを誘う。だが、その後ろから距離を置いてやって来た金髪の青年にじろりと睨まれて笑顔を引きつらせた。
「なんでい、お前も一緒かよ」
「はい、ビクトールさん。相変わらず酒におぼれる日々をお過ごしのようで。ちっともかわっていなくて安心しましたよ」
 にこりと笑いながら、顔に似合わぬ辛辣な台詞を吐き出したのは、他でもないグレミオその人。手にはそれほど大きくはないものの、料理が入っているであろう弁当箱が握られていた。
「どうしてラスティスさんが?」
 フッチが近づいてきたラスティスに問いかけると、彼はちょっと困った顔になって、
「シーナにね、もうじき桜がきれいに咲くだろうから見に来ないかって誘われてね。グレックミンスターの方では、あまり桜は見かけないから」
「そうでしたか」
「まったくないわけではないんだけどね。咲く時期もここよりもっと遅いんだ」
 トラン共和国の首都は、ここノースウィンドゥよりも南にあるくせに何故かここよりも気温が低い。雪も降る。桜に適した気候とは、お世辞でも言えない。
「シーナに感謝しなくちゃね」
 微笑んでセレンもシートに上がった。続いてラスティスも若者組に混じる。だがグレミオは、主人のかわりというわけではなかろうが、ビクトールやフリックのしつこい勧誘を断りきれず大人組にちゃっかり入り込んでいた。
「酔いつぶれなければいいけど……」
 仕方がないな、と呟くラスティスの横で、ルックが、
「無理だろう。あのメンバーに捕まったんだから」
「それも……そうだね」
 的確な突っ込みにラスティスも苦笑を隠せない。積もる話もあるだろう、かつて共に赤月帝国の圧制を打ち破った仲間として。それにグレミオも、そう強いというわけでもないのに、無類の酒好きだ。昔はよく、ラスティスの父、テオと朝まで飲み明かしていたようだし。
「酔いつぶれたんなら、泊まっていけばいい。部屋なら余ってるんだから」
「そうさせてもらうことに、なるだろうね」
 笑ってラスティスは箸をもらい、重箱に目を向けた。すでに半分ほどに減っていた中身も、まだまだおいしさを損なってはいない。
「ラスティスさん、嫌いなものとかはないですか?」
「うん? 特に無いけど」
 手近なところから料理を口に運び始めたラスティスに、オレンジ色のジュースを手渡したキニスンが尋ねる。躾が厳しかったのでラスティスはゲテモノで無い限り、ほとんどのものは好き嫌いせず食べられる。一番の好物は、グレミオの作ったシチューなのだが。
「じゃあ、これとこれ、美味しいですよ」
 小皿に手早くお勧め料理を取って、キニスンはラスティスに手渡した。同じものが、先にセレンにも回されている。
「ありがとう、えっと……」
「キニスンです」
 微笑みが交わされ、コップと皿を受け取ったラスティスは早速そのお勧めをいただくことにした。フッチも、キニスンほどではないにしろサスケに料理を手渡して自分もせわしなく口を動かしている。
「おお、間に合いましたかな」
 そこへ、白い口ひげをたっぷりと蓄えた、大柄の男性がやって来て豪快に笑う。
「キバ将軍!」
 これもまた意外な人物の登場に、騒ぎが一瞬静まり返った。だが、ビクトールが、キバが脇に抱えた大瓶にめざとく気付くと、やったぜと拍手喝采を送り出した。
「さっすが、キバ将軍、分かっていらっしゃる!」
 ふらつく足で立ち上がり、空になった酒瓶を蹴り飛ばしながら素足で草の上を歩きキバを迎え入れる。キバが持ってきたものは、通常の酒よりもアルコール度数の高い濁酒だった。
「飲むぞー!!!」
「おー!!」
 大人連中は、もはや手のつけようがない状態でルックならずともキニスンまで顔をしかめて苦笑するしかなかった。花見という名を借りた大宴会に、制止する役目を持つ人間がいないのがますます場を盛り上がらせていくばかり。
「花より団子……ってやつかな」
「団子なのはサスケで、あっちはお酒だろ」
「あはははは……ぴったり」
「笑うな!」
 サスケの素朴な感想にフッチが冷淡な一言を返し、笑ったセレンにサスケが鉄槌を下す。
「いたい……」
 しゅん、と小さくなったセレンに、ラスティスがよしよしと叩かれた頭を撫でてくれた。
「でも、なんだか凄いことになってますね……」
 冷静沈着、熱くなることはあっても決して度を外すことのないマイクロトフまで、耳の先まで真っ赤になって大声でマチルダの悪口を――というか、ゴルドーの悪口を叫んでいる。シーナがもっとやれ、と煽って、グレミオも笑い上戸か、フリックに絡みながら酒をあおっている。
「出来上がるの、早すぎるよ……」
 フッチがため息をつきながら呟き、小皿に残っていたサラダを口に運び終えた時。風が吹いて自分に容赦なく冷気を浴びせかけたことに眉を寄せる。さっきまで、そこには風よけとなる人がいたのに。
「サスケ……あーーーーー!!!!!!」
 ぽろっ、とフッチの手から小皿が落ちた。
 彼の席は、ちょうど真っ正面に大人組の宴席を見ることの出来る位置にあった。故に、視線をあげれば彼らのどんちゃん騒ぎが見たくなくても目に入ってしまう。
「あ?……」
 フッチが何を見て驚いたのかすぐに分からず、きょとんとなっている他の面々も、その場で立ち上がったフッチの視線の先を見やって、頭を抱えた。
 いつの間にか、サスケが若者組ではなく大人組の……酒の席に混じっていたからだ。
「あの馬鹿……」
 げんなり、とルックがこめかみを指で押さえてがっくりとうなだれた。
「やると思ってましたけど……まさか本当にやるなんて」
 キニスンも呆れ顔で呟く。フッチは頭を押さえ込んで怒りを必死で殺そうと肩を震わせていたが、
「おまえらー、いっしょにのめーーー」
 お気楽なサスケの声に、ついにぷっつりとフッチの堪忍袋の緒が切れる音を、彼の横に座っていたセレンは確かに聞いた。
「サスケーー!!!!」
 あれほど酒は飲むなと、正月で痛い目を見ている分きつく言いつけておいたのに、それも忘れて酒を飲むとは、良い度胸。命が惜しくないらしい。
 すさまじい怒気がフッチの周りに渦を巻く。ルックは巻き添えを食うのは御免だと、先に彼の進行方向を妨害していた自分の居場所から退去していた。キニスンも、笑顔を引きつらせながらも止めるつもりは毛頭ないらしく、シロを連れてシートの端の方へ重箱ごと移動した。
「ラスティスさんも、逃げていた方がいいですよ」
 セレンも状況を良く理解していないラスティスを引っ張って、ルックの横へ移動する。これで、フッチの邪魔をするものは無くなった。幸いなのは、今ここに彼の武器が無いことだろう。もしあったならば、流血沙汰では済まなくなる。
「サースーケー……?」
「あん? おまえもほしいのか?」
 わずかに濁った透明の液体入りグラスを揺らし、カラカラと笑ったサスケはこの一触即発の状況が分かっていないらしい。それは、彼を囲む大人達も同じで。
「あ、やばい。これは凶器になっちゃ……あ」
 空になったジュース瓶がフッチの足元に転がっていることに気付き、セレンが慌ててそれを回収しようとしたのだが、一瞬遅く。それはフッチによって拾われてしまった。
「止めなくてもいいのかい?」
「とばっちりが恐ろしくなければ、どうぞ止めて下さい」
「…………」
 ラスティスの知っているフッチは、少なくともこんな過激な性格をしていなかったはずだが。年月が過ぎるのは、恐ろしい。それともこれも、ハンフリーの教育の賜物なのだろうか?
「それ、ハンフリーさんに言ったら落ち込みますから、駄目ですよ」
「うん……そう、だろうね……」
 無口だが真面目な気質のハンフリーは、フッチの今の姿を見たらきっとショックで寝込んでしまうだろう。あれで意外と神経細かったりするから……あの人。
「それより、この事態をどう収めるつもりだい?」
「え、ボクが収めるの!?」
 小声でぼそっと言われ、予想外、とセレンが悲鳴を上げる。
「リーダーは君だろう」
「でも、ボクでああなっちゃったフッチを止められると思う?」
「無理だね」
「もうちょっと考えてから言ってくれてもいいじゃない……そんな即答で返さないで……」
 自分でも、自分はリーダーとしては頼りない部分が多いと思うけれど、間髪入れずに無理だと言われるのも落ち込む。それに、分かっているのなら、別に聞かなくてもいいと思うのに。
「言い出しっぺが酔いつぶれてどうする!」
 フッチの怒鳴り声が嵐を起こしてセレン達は背筋を寒くした。空瓶を片手に、彼は大人組になぐり込んでいく。目指すは、サスケただひとりなのだが、彼は前を塞ぐものは人でもものでも、容赦なく破壊していった。
 みっともない野郎の野太い悲鳴がこだまする。
「あーああ、ボクもう知らない」
「僕も……あ、デザートありますよ」
「食べるー♪」
 お隣の惨劇を見ないことにして、キニスンの一言にセレンは諸手をあげてフォークを取り出した。新しい皿を用意して、まだ手をつけていなかった折り詰めからケーキを取り出し並べていく。
「甘そう……」
 ルックが嫌そうな顔をしたが、セレンは気にせず、生クリームたっぷりのイチゴのショートケーキを口いっぱいに頬張った。ラスティスも、チョコレートケーキを受け取り、フォークを突き刺す。
「ルックさんは、え……と、これなんか、あまり甘くないですよ」
 そう言ってキニスンはチーズケーキを皿に盛る。彼自身は、ダークチェリーのタルトを選んだようだった。
「サスケ、待てーー!!!!」
「待てと言われて待つ馬鹿が……どわぁ!?」
 酔いつぶれて寝転がっていたビクトールに蹴躓いて、サスケがついに倒れる。這いつくばって逃げようと藻掻くが、じたばたと動かした両手は空しく空回り。
「ごがーーー」
 余裕のビクトールのいびきが、今は恨めしい。なんでこんな所で寝てるんだよとサスケが心の中で悪態をついている隙に、フッチは彼の背後に仁王立ちしていた。
「うわ……待て、待てフッチ、話せば分かる!」
「待つかぁ!」
 ごちぃぃぃぃん、と反響を残してフッチの一撃がサスケの脳天を直撃する。瓶にヒビが入り、サスケの頭もふらんふらんと左右に大きく揺れた後、ぽて、と倒れた。
 でっかいたんこぶがぷっくりと出来上がっている。
「……終わったみたいだよ」
「フッチー、ケーキ食べない?」
「え? あー、食べます食べます!」
 わーい、と瓶を放り出してフッチは嬉しそうに大人組のシートを出ていった。
 後にはすっかり静かになった大人達がサスケを囲むようにして、死屍累々と横たわっていた。

 こうして、長いようで短かった花見(?)は無事(!?)に終わったのだった。

刹那の輝き

 その日は、みんなでラダトまで買い物に来ていた。
 みんな、というのは――まあ、例の如くいつものメンバーなんだけど。一応紹介するなら、ルック、サスケ、フッチ、それからキニスンで、最後にボクこと、セレンの合計五人。今日は買い物だからシロはお留守番。
「これ、良いんじゃないか?」
 買い物の内容は、……まあ、大したものではないんだけど。目的はレイクウィンドゥ城で手に入りにくい、要するにボク達の私服。この前、城の女の子達に「もう少しおしゃれしたら?」と言われたのがそもそもの発端。
「そうかなぁ……こっちの方が格好良くない?」
 店の前で並べられたジャケットを見比べながら、しきりにサスケとフッチが議論をかわしている。それを横で醒めた目で眺めているのはルックで、父親のような暖かな眼で見守っている(多分)のが、キニスンで。ボクはあんまり興味がないから離れた場所でふたりの熱い戦い(?)を眺めていた。
「まったく、一体何が楽しいんだか……」
 呆れ顔でルックが僕の方に歩いてくる。ルックも、こういう事には興味がないらしい。それに第一、彼はほぼ無理矢理にサスケに引っ張られてきたわけだし。
「ん……でも、たまには息抜きしなくちゃ」
 ボクが笑って言うと、ルックは大げさにため息をついた。
「サスケ君は、黒ばっかり着ているから……思い切ってこういう色のものを着てみるとイメージが変わって良いんじゃないのかな」
 いつまで経っても決められずにいるサスケに、キニスンが助言を入れる。フッチもなるほど、と手を打って、
「じゃあ、これなんかは?」
と取り出したのは少しきつめの赤いジャケットだった。光沢があって、陽光を受けて輝いている。
「……フッチ、お前もうちょっとセンスを磨いた方が良くないか?」
 明らかに嫌そうな顔をしてサスケが隣に立つフッチに言う。キニスンも苦笑を隠せない。
「なんで?」
「お前、そういう服着られるのか?」
「うん」
「げー。信じらんねぇ」
 至極真顔で受け答えしているフッチに舌を巻き、サスケは頭を抱えた。
「うーん……案外、似合うかもしれませんけれど……」
「キニスン、あんまり真面目に考えなくてもいいって」
 腕組みまでして本気で考え込んでいるキニスンの肩をぽん、と叩き、力無くうなだれたサスケが乾いた笑みをこぼす。まだフッチは納得がいっていないようで、赤いジャケットを手に眺めながら、どこがいけないのかしきりに不思議がっている。
「決まりそう?」
 とてもそういう雰囲気ではないけれど、一応念のためにボクは聞いてみた。サスケは大仰に肩をすくめながら首を振り、
「駄目、ぜんっぜん決まらない」
 幸い予算は充分あるけれど、なにせこういう機会がこれまであまりなかったものだから、目移りしてしまってなかなか欲しい服が決まらない。欲しい服が似合う服と合致する、というわけでもないし。
「セレンは、どうするんだ?」
「ボクはいいよ。特に困ってないし」
 手にしていた服を棚に戻したサスケに問われ、ボクは答える。
 今まで別段不自由を感じたことはないから、きっとこの先も困ることは少ないだろう。それに今は、本当はおしゃれに気を配っている時期ではない。これでも、ボクはラストエデン軍のリーダーなのだし。
「リーダー自らがお気楽な生活を送っていたら、示しが付かないからね」
「う゛……」
 横から実に的確かつ冷淡な突っ込みを受け、ボクは硬直した。誰が言ったかなんて分かりきっている。ルックしかいないだろう、こういうことをストレートにボクに向かって言ってのける人は。
「まぁ、ね……」
 冷や汗と苦笑いが同居するボクの顔を見下ろし、ルックはまたため息をつく。
「まだ自覚は足りていないみたいだけど」
「………………」
 それは、つまり今日こうやって城を抜け出してラダトまで来たことを言っているのだろうか。確かに……そうかもしれないけれど。
 だってあそこにばっかり居たら息が詰まって苦しいんだから。仕方がないじゃないか。
 ボク、まだたったの十六歳なんだよ?
「子供……」
「ルックこそ……なんだかんだ言って、いつもボク達に付き合って一緒に来るよね。本当は楽しいんじゃないの?」
「…………本気でそう思ってるのかい?」
 長い沈黙の後、ルックのいつも以上に低い声が頭上から降ってきてボクは笑顔を凍らせた。ルックはからかってもボクじゃ勝てないことぐらい、前々から良く思い知らされているのに。
「学習能力がないんだから」
「……悪かったね。どうせボクは頭が悪いよ」
「…………」
 卑屈になって呟いたボクの言葉は、果たしてルックに届いたのだろうか。届いたところで、どうというわけではないけれど。そう思っていたら、何も言わずに頭を撫でられた。
「だーかーら、思い切ってチャレンジしてみたら?」
「お前、絶対それ嫌がらせだろう」
 店の前では相変わらずフッチとサスケが押し問答を続けている。フッチの手にはまだあの赤ジャケットがしっかりと握られていて、サスケに押しつけようとしている。一方サスケはギリギリと歯ぎしりしながら、フッチの押しつけがましい好意を必死になってはねのけようとしていた。
 キニスン、傍観者に徹することにしたらしい。お店の人も困っている。
「着るだけ着てみたらー?」
「セレン、んな気楽なことを簡単に言ってくれるな!」
 ボクが呑気に言うと、サスケに怒鳴り返された。
 店の回りにはちょっとした人垣が出来始めていて、ボク達は否応がなしに視線を集めてしまっている。あまり注目されて騒がれるのは避けたいのだけれど。なにせ、今回はお忍びでここに来ているわけだから?
「俺のこれまでのイメージを、覆されて堪るか!」
 本気で嫌がっている。そんなに……赤色が嫌いなのだろうか。
「すいません、お騒がせしちゃって……」
 保護者代わりのキニスンは服屋の主人に頭を下げている。
「いえいえ……でも、商品は破かないで下さいね」
 ちょっぴり頭が薄くなっている、太めの主人が冷や汗をかきながら答えた。店頭でのサスケ・フッチ両名の大騒ぎの所為で、人垣は出来たがお店に入ってこようという人はいなくなっていた。
「悪いことしちゃったね」
「まったく……子供なんだから」
 舌を出すとルックも呆れ顔で呟く。でも、君も子供だろう? と心の中でボクが笑うと、聞こえでいないはずなのにルックはボクを見て眉をひそめた。
「顔に書いてあるよ、君が考えていること」
「え、嘘!」
 つんつんとおでこを小突かれ、ボクは焦ってしまった。だがすぐに冗談で、からかわれただけだと気付いて頬を膨らませる。こちん、と軽くでこぴんされてしまった。
「それにしても……いい加減にして欲しいんだが」
 うんざり、と分かる声でルックは言い、ボクのそばを離れる。彼についてボクも店の前に戻ると、今まさにサスケとフッチはつかみ合いの喧嘩を始めそうな雰囲気だった。店の主人がおろおろと見守っている。
 こんな所で喧嘩を……それも喧嘩の理由が服の好みの違い、だったなんて城のみんなに知れたら……恥ずかしいだけじゃないか。それに、町でのボク達の不祥事は、そのままラストエデン軍の風評に関わってくる。今ここで、ボク達の活動を支持してくれている人達の心が離れていってしまわれたら、それはものすごいマイナスになってしまう。
「お前なぁ……自分の好みを俺に押しつけるなよ」
「なんだよ。自分じゃ分からない事だってあるだろうから、親切に教えてあげたんじゃないか」
「それが押しつけがましいって言ってるんだよ」
「なんだと!? いっつも僕にばっかり面倒ごとを押しつける癖に、その言いぐさは!」
「いつ、誰が押しつけたんだよ!」
「いつもだろ! 大体何で僕が君の後始末で、君が壊した道場の壁の修理を手伝わなくちゃいけないんだよ。しかも、サスケってば途中でいなくなるし!」
「誰も手伝ってくれとは言ってないだろ!」
「言ったよ、言った。絶対に言った!!」
 ……なんだか、話の内容が横道に大きくずれて行ってるような気がするけど……。それに。
「ボクも手伝ったよね、あの壁の修理……」
 ぽそり、と呟いた僕の声は、あれだけぎゃんぎゃんさわいでいるふたりにしっかり聞こえたらしい。一斉に二対四つの瞳に見つめられ、ボクはびくっ、とその場で肩をすくませた。
「セレンさん、言われましたよね、憶えてますよね! サスケってばひどいんですよ、自分の都合の悪いところはさっさと忘れちゃって!」
「んだと、コラぁ! さっきから聞いてたら好き勝手言いやがって……」
「だって本当の事じゃないか、全部」
「え、あの、ふたりとも……落ち着いて、ね?」
 ボクはなんとか場を治めようとするけれど、すでに怒りで頭に血が上っている彼らにはまったくボクの声は届かない。なんでだろう、さっきの独白はしっかりと聞こえていたみたいなのに。
 ラストエデン軍のリーダーとあろうものが、仲間内の喧嘩も仲裁できないのかと思うと情けなくて泣きたくなる。がっくりと肩を落としたボクに、ルックは小さくため息をついて言った。
「セス、退いて」
 うなだれているボクの肩を叩き、サスケとフッチの前から退かせるとルックはくしゃり、と髪を掻き上げた。
 彼は華奢な体つきをしているけれど、それでも身長はボクよりも高い。つまり、サスケやフッチよりも高い。軍のメンバーの中に埋もれてしまうと目立たなくなるけれど、ルックはあれでも、わりと均整の取れた体格をしていて平均的な力も持っている。ただ、回りが凄すぎるだけ……なの。
 ふたりは接近するルックの尋常ならぬ気配にまだ気付かない。にらみ合い、火花を散らしている。
 キニスンの背中に隠れた店主が冷や冷や顔でこちらを見つめている。
 ルックの両腕が持ち上げられた。次の瞬間。
 ごちぃぃぃぃぃんっ!!!!
 ものすごく間延びした、それでいてとっても小気味の良い(?)音が周囲一体を駆けめぐった。
「い……ってーーーーー!!!!!!」
「いったーーーーーーーー!!!!」
 サスケ、フッチ共に今ルックのげんこつをくらった頭部を押さえ込み、飛び上がらんばかりに驚いて悲鳴を上げた。
「おおーー」
 ぱちぱちと周囲の人垣から拍手が起こる。何故?
 地面にしゃがみ込み、懸命に痛みを堪えているふたり。そんなに……痛かったのだろうか。まあ、不意を付かれたのは確かだろうけれど。
 少し赤くなった両拳をさすりながら、ルックはふう、と息を吐く。
「中身がないからもうちょっと柔らかいかと思ったけど、意外に固いものなんだね」
「……ルック、それはちょっと……」
 言い過ぎではないだろうか、とボクは苦笑する。
「いってーな、いきなり何するんだよ!」
「ひどいですよ!」
 下から涙目で睨まれ非難されても、ルックは相変わらず涼しい顔でふたりを冷たく見返している。そして何かに気付き、彼はちょいちょい、と指でフッチの足元を指で示した。
「え……?」
 教えられて初めてフッチは気付いた。彼の足の下に……くっきりと足形を付けたあの赤いジャケットがぺしゃんと潰れていることに。多分、ルックに殴られたときに手から滑り落ちたんだろうけど……。
「うわ、どうしよう」
「どうしようって……」
「買い取るしかないようですねぇ」
 店主と一緒にこちらに戻ってきたキニスンが、持ち上げられたジャケットにくっきり残る足形を眺め、呟く。
「やっぱり……?」
「洗濯したら着られなくもないだろうけど……」
「俺は着ないからな!」
 まだ嫌がっているサスケが叫び、鳥肌が立ったのか両手で身体を抱きしめた。後ろでルックが何度目か知れないため息をつき、頭を片手で抱える。ボクも、似たような心境だった。
「それじゃあ、もう他に買うものはないようでしたら……これ、会計済ませてしまいますよ?」
 フッチからジャケットを受け取り、店主に値段を確認してキニスンは持っていた財布の口を開いた。決して多くはないが、少なくはない額に財布をのぞき見た店主が感嘆の息をもらす。
「待て待て、キニスン。これも一緒に!」
 薄青のシャツを掴み取り、コインを取り出そうとしたキニスンに割り込みをかけたのはサスケだ。
「サイズは確認した?」
「おう、ばっちり」
「キニスンさん、これもお願いします」
 フッチも、どうやら店に入った時から目を付けていたらしい萌葱色のシャツを持ってきて店主に差しだした。更に、また店の奥に戻って黄色のバンダナを取って来る。
「ずるいぞ、俺も!」
 それを見たサスケが、またしても対抗意識をむき出しにして店の奥へ駆け込み、少々ごつめの布を使った黒のズボン、それから二つ穴のベルトをひっつかんで帰ってくる。
「ズボンは、試着してからの方が良くない?」
「平気。俺、細いし足長いし」
 ぬけぬけと言ってのけたサスケは上機嫌で、見ていた僕とルックは呆れることしかできない。手渡されたキニスンも困惑気味だ。
「丈合わせぐらいしてもらったら? 短足のサスケ君?」
「むかっ」
 嫌味を真に受けてサスケは拳を握りしめる。いつもはこうやってサスケを怒らせるのはルックの役目だったのだけれど……今日はヤケにフッチが彼に突っかかっている。年が近いから、対抗意識燃やしてるのかなぁ。
「疲れないのかな、彼らは」
「まあ、若いし……」
 キニスンを間に挟んで再度火花を散らし始めたふたりを眺め、ボクとルックは並んでため息をついた。あの中に巻き込まれなくて、本当に良かったと。
「おじさん、これとそれとあれ、下さい!」
「こっちの棚にある奴、全部!」
 何を対抗しあっているのか……もう無茶苦茶だよ。店ごと買い取るつもりかな、ふたりとも。
「ああ、サスケ君、フッチ君……」
 両手がすでに服でいっぱいになっているキニスンは、止めようにも動けなくてひたすら困っている。財布の中身には限度があるって事を、ふたりはしっかり忘れてしまっているみたいだ。
「ねえ、止めなくていいの……?」
「面白いからもう少し見ていよう」
「…………だね」
 もはや止めても無駄、な気がする。
 後ろで手を組んだボクは、店の中で戦場さながらに動き回っているふたりを見つめてひたすら引きつった笑みを浮かべていた。

「重いーーー」
「少しは手伝ってくれたっていいだろー?」
 夕方、散々一件の良心的な衣料品店を荒らし回ったボク達はようやく帰路に就こうとしていた。
「自分たちの荷物なんだから、自分で持つのが常識でしょう?」
 のろのろとした足取りで進むボクは振り返って、このカメの更新並みのスピードを生み出している原因に言ってやった。
 長く伸びたボクの影に重なるように、巨大に膨れ上がった影が伸びている。それも二つも。
「自業自得だろう」
 ボクの横を歩くルックも、後ろで大きな風呂敷包みを背負っているサスケ達を振り返って冷たく切り捨てる。ボクとルック、それからキニスンはほぼ手ぶら状態だった。
 結局ふたりは、あのお店にあった服のうち半分近くを彼らは買った。おかげで財布の中身はスッカラカンで、ボク達が服を買うだけの額も残らなかった。嵐が過ぎ去った後のような店で、店主はそれでも嬉しそうだったのは笑うしかない。またお越し下さい、という店主の最後の台詞も、肩の力が抜ける。
 残っていたお金で風呂敷を二枚買い、そこに買った衣服を全部押し込んだ。まるで夜逃げのようなスタイルで、サスケもフッチも重い足取りで前へ進んでいる。
「少し分けてやるからさー、ちょっとぐらい手伝ってくれたっていいだろー」
「僕達、友達じゃないですか」
 ぜーぜー言いながらふたり、前を行くボク達を必死に呼び止めようとしている。だけれどボクは振り返っても笑うだけで、歩みをゆるめることはない。
「反省しなさい」
「そんなーーー」
 疲れ切った悲鳴に、少し可愛そうかな、とも感じるけれど。
 ボクだって欲しいものがあったんだ。たまにしかない休日を裂いて、わざわざラダトまで出てきたっていうのに、なんにも収穫がなくて悔しいんだから、これでも。
「シロにお土産を買って来るって約束したんですけれど……帰ったら謝らないと」
 それまで黙っていたキニスンも、少々憮然とした顔で呟き、ボクを失笑させる。そんなに怒っているわけではないのだろうが……やはり今日のふたりは手に余ったようだ。温厚な彼でも、人間だから怒ることはあるだろう。
「セスが欲しかったものって?」
 いつもと変わりない顔でルックがボクに問いかけてきた。視線が合って、ボクはつい含み笑いを浮かべてしまう。
「内緒」
 気味が悪かったのか、ルックが一瞬引いたように感じたけれど……。ちょっとムカッ。
「冗談だよ。ナナミに、ケーキでも買って帰ろうって思ってたの」
「ああ、なるほど……」
 妙に納得した声で呟かれ、ではルックは一体何を想像していたのか少し気になった。
「おーもーいー」
「もう駄目……」
 べしゃっ、と背負った風呂敷の重みに耐えかねてついにフッチが倒れた。その手が空を切るのではなく、前を行っていたサスケの足を反射的に掴んでいたのは……多分偶然だろうけれど。
「ふきゃっ」
 なんだか可愛らしい悲鳴を上げ、サスケも頭から地面に突っ込んだ。顔面を固い地面が直撃したらしく、何かが潰れる音もした。
 しーん…………
 気まずい空気が流れる。足を止めたボク達も、次に何が起こるか予想が付かなくてその場に凍りついてしまい、彼らを助け起こすという事をすっかり忘れていた。
「いってーーーーー!!!!!!!」
 次の瞬間、がばっと起きあがったサスケは、案の定鼻血を垂らしていて。
「なにしやがる、この馬鹿フッチ!」
 げし、とまだ起きあがれないでいるフッチの頭を蹴り飛ばした。
「そんなところに足がある方がいけないんだ!」
 蹴られたフッチも顔を上げてサスケに殴りかかる。もう町の中ではないので遠慮なく喧嘩が出来る……わけでもないのだが、何故か僕らは止めることも忘れて呆然としていた。
「……なんだ、元気じゃないか……」
 数分後、我に返ったルックの言葉にボクは力無く頷いた。
 結局、僕らがレイクウィンドゥ城に帰り着いたのは夜中も夜中で、眼の下に隈まで作って待っていたシュウやその他大勢の人達に、たっぷりとお叱りを受けたのだった。

 追伸:
 あれだけ買い込んだサスケとフッチだけど。
 どうもどれを着ても回りからは不評だったみたいで、今までと同じ格好で最後は収まりました。
 それから、サイズが合わなかった服は数日後、格安で売りに出されていたけれど……それは見なかったことにしておこう、と思います。
                                                                                         セレン