世の常の 言の葉ぞとや いひなさん

 カルデアには、ごく稀に、知らないうちに新しい施設が出来ている、という事があった。
 地下に設けられた図書室も、マスターである藤丸立香には事前になんの相談もなかった。急に読書に励むサーヴァントが増えたのを怪訝に思っていたら、そういうものが出来たと、後になって教えられたくらいだ。
 今回もまた、そう。いつの間にか空間が拡張され、照明や水道、暖房といった設備が整えられて、小さいながらも植物園が開設されていた。
 てっきりフランケンシュタインの希望を、彼女と仲が良いモードレッドが叶えてやったのかと思っていた。しかし詳しい話を聞いてみれば、どうも違うらしかった。
「うわ、あっつ」
 興味本位で訪れた空間は、ほんのりと蒸し暑い。他より湿度が高めに保たれており、むわっとした空気は土臭かった。
 どこか懐かしく、ホッとする匂いだ。
 白紙化された地上では、まず嗅げないものだ。ノウム・カルデア内も基本、清潔に保たれているので、こういったものとは無縁だった。
 レイシフトした先ではトラブルの対処を優先するので、のんびり土を弄る暇もない。そう考えてみると、花々に彩られた空間に理由もなく佇むのは、とても久しぶりだった。
 背筋を伸ばして深呼吸して、ぴったり肌に密着した肌着を引っ張って空間を作る。隙間に風を送りながら辺りを見回せば、そこかしこに花を愛でるサーヴァントの姿があった。
 フランケンシュタインもいた。ベンチに腰掛け、楽しそうにしている。傍ではモリアーティが茶の準備を進めており、立香に気付いて手を振ってくれた。
 遠目なので判断がつかないが、おいで、おいで、と招かれているようにも見えた。
「後でねー」
 両手を口の横に添え、用事を済ませてからと断り、足を繰り出した。
 入り口近くの花壇に植えられた植物は色彩豊かな花が多く、背丈はどれも、そこまで高く無い。だが奥に進むに連れて植生は変化し、紫陽花や夾竹桃が現れ始めた。
 紫陽花は土壌の酸性度によって色が変わるが、ここはどういう仕組みなのか、赤と青色が共存していた。
「凝り性だなあ」
 最初に植物園の構想を打ち立てた男なら、これくらいの事は、造作もなかろう。だけれどこれが、医術とどう関わってくるのか。想像が付かなくて、立香は歩きながら首を捻った。
 もうしばらくレンガの道を進めば、蒸し暑さは幾分和らいだ。だが気温自体はそう変わっておらず、単に身体が慣れただけだろう。
 故郷にいた頃の、梅雨の時期の感覚が、ほんの少し戻って来た感じだ。
「懐かしいなあ」
 咲き乱れる紫陽花を見た所為か、順応は早かった。底の厚いブーツで整備された小径を行き、人影を探す。南洋系の植物が幅を利かせる区画は少し薄暗く、植物の密度も濃かった。
 その中で、背丈が一メートルをゆうに越える植物が目に付いた。
 濃い緑の葉が茂り、長く伸びた茎の先に、赤紫色の花が咲いていた。中には白を基調としたものもあったが、多くは赤い。小さなラッパが密集しているような形状で、遠くからだとスプレーで色づけされたソテツの花のようだった。
「この花は、知らないなあ」
 見覚えがないので、当然花の名前も出てこない。膝を軽く折って覗き込めば、花びらの内側に、黒っぽい斑点が広がっていた。
 外側は無地なのに、どうしてか、中にだけ柄がある。これでは目立たないのではなかろうかと、更に屈んで、顔を寄せた時だ。
「軽率に触るな、マスター」
 匂いを嗅ごうと鼻を近付けた彼を咎めて、どこからともなく声が飛んできた。
「うわ」
 警告されたが、逆にその声に驚かされた。
 若干不安定だったバランスが崩れ、ふらついて、立香は柔らかな地面に右の爪先を突っ込ませた。
 青草を踏んでしまい、そこだけがボコッと凹んだ。幸い花は無事だったが、肩が掠めたのだろう、茎からゆらゆら揺れていた。
 ドキン、と跳ねた心臓を宥め、息を整えながら振り返る。ゆっくり立ち上がる立香を待たず、銀髪の男は早足で近付いて来た。
「ジギタリスには、毒がある。触るんじゃない、この馬鹿患者が」
 言いながら、ぱっと手を掴まれた。軽く引っ張られ、立香は抵抗を諦めて従った。
 踏んでしまった場所を直したかったが、許して貰えそうにない。困った顔をしていたら、空気を読んだアスクレピオスが深々とため息を吐いた。
「注意書きは読まなかったのか」
「注意書き?」
「入り口に掲示してあっただろう。見ていないのか。希望が多かったから、手前の区画は例外にしたが、ここにあるのは、大体が毒を持つ植物だ」
「ん?」
 面倒臭そうに言って、医神の肩書きを持つ男は高い位置で揺った髪を揺らした。
 ガスマスクは装着していないが、少し前までは着けていたのだろう。頬にそれらしき痕が残っていた。
 作業中だったのに、立香の姿が見えたから、出て来たらしい。僅かに遅れて現れた機械仕掛けの蛇は、土に汚れたスコップを身体に巻き付けていた。
「毒、って。オレは、アスクレピオスが植物園を作ったって、そう聞いたから」
「……違う。僕が欲しかったのは薬草園だ」
 物騒な単語に唖然としていたら、苦々しい表情を見せられた。
 彼の思惑と、実際に出来上がったものには、大きな乖離があったようだ。短いやり取りから類推して、立香は嗚呼、と通って来た道程を思い出した。
 腰を捻って振り返れば、小径の入り口はもう見えない。ただ薔薇や、ラベンダー、露草といったものがあちこちで咲き乱れていたのは、記憶に新しかった。
 それらはサーヴァントたちの目を楽しませ、心を穏やかにしてくれる。けれどそういった区画は当初、アスクレピオスの構想にはなかった。
 この医術馬鹿が欲しかったのは、医薬品の原材料となる植物のみ。
「駄目なの?」
「結果的に、ストレス軽減の一助にはなっている。そうでなければ、とっくに潰している」
「あー、はははは。だよねえ」
 想定外の事態にはなったが、副次的効果はあった。
 いかにも医学を突き詰めた男の発想だと苦笑して、立香は美しく咲く花に視線をやった。
 この花もまた、大勢の目に触れる場所に植えられるべきではないのか。
「言っただろう、毒がある。強心剤としても使えるが、分量を間違えれば、死ぬぞ」
「そんなに?」
「お前が思うより、植物が秘める毒性は強い。注意することだ」
 折角綺麗に咲いているのに、勿体ないという思いは消えない。けれど正直に伝えれば、存外に真面目な顔で叱られた。
 甘く考え、軽く見るべきではないと怒られた。緩く握った拳で軽く頭を小突かれて、立香は反射的に首を竦めた。
 小さく舌を出し、忠告を胸に留め、蛇が運んで来た柄付きのスコップを手に取る。
「スズランもだけど、意外と、毒がある花って多いんだね」
「それ以外、防衛手段を持ち合わせていないからな」
「美しい花には、毒がある?」
「似たようなものだが、そこは棘の間違いだ。マスター」
 立香が知らないだけで、植物は見た目以上に逞しい。成る程、と得心しながら茶化せば、アスクレピオスは冷静に訂正してくれた。
 ギリシャ神話の英雄なのに、日本人である立香よりもことわざに詳しいのではないだろうか。
 英霊は召喚の際に現代の知識を与えられるというが、いったいその範囲は、どれくらいなのだろう。机に向かって教科書を開く必要がないのは、正直、羨ましかった。
 ふて腐れていたら、ちょっと遠くを見ていたアスクレピオスが姿勢を戻した。
「ん?」
 目が合って、首を捻る。そうしたら何故か笑われた。
「なに。気味悪い」
 急に噴き出されても、理由が分からない。そういうキャラだったかと怪訝にしていたら、手を横に振られた。
「いいや。マスターという存在も、大概、サーヴァントにとって毒のようなものだと思っただけだ」
「……なにそれ。すごい嫌なんだけど」
 余所を見ながら告げられた内容は、侮辱にも聞こえた。
 そうでないとしても、褒められてはいない。あまり良い気分ではなく、小鼻を膨らませて抗議をしたら、アスクレピオスは再び目を細め、笑った。
 若干自嘲気味な、穏やかで控えめな微笑みだった。
「なに?」
 追加で頬に触れられた。手袋をした指の背で、耳元から顎に向かってひと撫でされた。
 思わず警戒して、スコップを抱きかかえた。肩を跳ね上げ、身を固くして構えていたら、長い指がすい、と空を掻いた。
「遅効性で、且つ依存性が高すぎる。挙げ句治療法は、現時点ではない。僕でさえ、対処不能だ」
 お手上げとばかりに右手を高く掲げ、その動作の中でくるりと背を向けられた。
 捨て台詞を残された立香は目をぱちくりさせて、足元でとぐろを巻いていた蛇を見た。スコップの先で固いレンガをカツンと叩き、五度か、六度か、瞬きを繰り返した。
「なんて?」
 確かに聞いたのに、よく聞こえなかった。
 もう一度言って欲しくて訴えるが、アスクレピオスは振り返らない。
「なんて? ねえ、アスクレピオス。ねえってば」
 しつこく繰り返すけれど、返事は一向に得られなくて。
 痺れを切らした立香はスコップを放り出し、黒衣の背中目掛けて駆け出した。

2020/06/14 脱稿

世の常の言の葉ぞとやいひなさん いかで知らせむ思ふ心を
風葉和歌集 761