息を吸うと、苦いものが鼻の孔を抜けて行った。舌の上にざらっとした感触が生まれた気がして、歌仙兼定は眉目を顰めた。
「なんだ?」
過去に繰り返し嗅いだ経験のある臭いは、この場に漂っていてはならないものだ。
ものが焦げ、燃える際に発せられる特有の悪臭。一瞬気のせいかと首を振りかけた彼だけれど、次の呼吸でも問題の臭いは鼻孔を賑わせた。
不快感が強まって、渋面が一段と厳しくなった。
「まさか」
同時に嫌な予感を覚え、背中に冷たい汗が伝った。
ひやりと内蔵が冷える感覚に肩を跳ね上げて、本丸で最古参の打刀は激しく床を踏み鳴らした。
足踏みを数回繰り返し、左右を見回して、臭いの発生源を探し求める。
「こっちか」
嗅覚を頼りに進路を定め、言うが速いか駆けだした。荒々しく床を蹴り、自慢の体躯を何度も空中に踊らせた。
跳ねるように進んで、途中で庭に降りた。沓脱ぎ石の上に放置された、共用の下駄に足指を突っ込んで、転ばないよう注意しつつ先を目指した。
やがて幾ばくもしないうちに、臭いの根源とも言うべきものが見えた。
灰色がかった白い煙が、天空を目指してゆらゆら揺れていた。半ばまでは幅広だが、上に行くに従って細くなり、そのうち空の青さに溶けて消えた。
だがそんな情緒的な風景を楽しんでいる場合ではない。
最悪の事態を想定して、歌仙兼定は舌打ちした。場所的にそれはなさそうだ、との思いを途中から抱いたが、勢いよく飛び出してきた手前、黙って引き返すのは癪だった。
せめて状況の確認だけはしよう。
そんな風に考えて自分を慰めて、彼は乱れた息を整え、肩を数回上下させた。
「鯰尾藤四郎に、骨喰藤四郎、か」
柴垣を抜けた先に、巨大な銀杏の木があった。特徴的な形状をした葉はどれも鮮やかな黄色に染まり、こうしている間も一枚、また一枚と風に煽られ散っていた。
そんな立派な銀杏の樹下すぐそばに、脇差がふた振り、座り込んでいた。
揃って風上に陣取っているので、いささか窮屈そうだ。つま先だけを地面に着け、尻は浮かせての蹲踞の姿勢で、一心にたき火を見つめていた。
「げふっ」
白い煙越しに見えた彼らに近付こうとした途端、邪魔するかのように弱い風が吹いた。
瞬く間に大量の煙に包まれた打刀は、咄嗟に顔を背け、袖で口と鼻と目を覆い隠した。
それでもすべてを防ぎきるのは難しく、喉にイガイガしたものが残った。不味くてならない唾液は飲み込む気になれず、迷うことなく足下に吐き捨てた。
「あれ、歌仙さん。どうしたんですかー?」
せき込む声が聞こえたのだろう。こちらが声をかける前に、存在に気付かれ、話しかけられた。
長い枯れ枝を手にした鯰尾藤四郎が、もこもこ立ち上る煙を避けるようにして、身体を左に傾けた。お調子者の風貌で屈託なく笑って、涙目になっている男に首を捻った。
骨喰藤四郎も兄弟刀に倣おうとしたけれど、たき火の煙を避けきれない。上半身を左右に踊らせ、一応努力はしたものの、すぐに諦めて煙ばかりのたき火に両手を翳した。
暖が必要なほどの寒さではないけれど、日陰に入ると肌寒くはある。
季節の移り変わりを受け止めて、歌仙兼定は気を取り直し、背筋を伸ばした。
すすす、と横歩きで立ち位置を変え、風上へと移動する。
途中、持ち手の付いた桶が見えた。光を受けて一瞬きらりと輝いたので、水が入っているのは間違いなかった。
その一杯きりで消火活動が叶うとは思えないが、念のための用意はされていた。
なんの懸案もなく焚き火を始めたのではないと知れて、説教する気が萎えてしまった。
それでも初期刀として、聞いておかねばならない。
「許可はもらってあるんだろうね?」
この本丸の家屋は、ほとんどが木と紙で出来ている。
大事な資料などは防火対策が施された蔵に収納されているが、居住区はその限りではない。一度火が起こったら、消し去るのは容易ではなかった。
彼らが焚き火をしていたのは、屋敷から十分離れた、ある程度開けた場所だ。ここなら多少強い風が吹いても、余程でない限り、飛び火することはあるまい。
「はあ~い。長谷部さんには、言ってあります」
「いち兄にも、許しは取った」
「そうかい」
彼らだって、考えなしに仲間を危険な目に遭わせたりしない。
確認を取って、歌仙兼定はほっと胸を撫で下ろした。
早合点したのは恥ずかしいが、後悔はなかった。自分を安心させることは、ひいては本丸全体の安心にも繋がるからだ。
「君たちだけなのかい?」
不審火や、火の不始末を疑ったが、そうでなかったのは喜ばしい。
炊事場でしか嗅ぐ機会のない臭いを手で追い払って、打刀はしゃがみ込んでいる少年らに尋ねた。
粟田口の刀は、数が多い。兄弟仲も十分で、いつも騒々しかった。
しかし現在、この場には脇差のふた振りしか見当たらない。視線を巡らせてみるが、大勢在る短刀たちの姿はなかった。
枯れ葉を拾いにいっているのかとも考えたが、乾いた砂の上に散る足跡は多くなかった。
下駄の歯の跡をなぞって消して、歌仙兼定は返事を待った。
「ええと、はい」
「俺たちだけだ」
この質問に、別段深い意図はなかった。
だのに鯰尾藤四郎は妙に歯切れが悪かった。骨喰藤四郎がきっぱり断言したのも引っかかった。
右の眉を僅かに持ち上げ、打刀は口をへの字に曲げた。不審なものを見る目を脇差らに投げて、胸の前で腕を組ませた。
「珍しいね」
近くに竹箒がふたつ放置されているが、塵取りやくず入れの類はなかった。
庭掃除のついでではなく、最初から焚き火をする前提だったというのが、状況から窺い知れた。
疑念を向けられたと感じたのか、鯰尾藤四郎がさっと目を逸らした。
それでいよいよ確信を深めて、歌仙兼定は深々とため息をついた。
「なにを隠しているんだい?」
燃やしたいものがあったのか、それとも別の意図があるのか。
証拠隠滅を図ったのだとしたら、調べなければならない。
声を低くし、凄みを利かせた彼の言葉に、藤四郎たちは黙って顔を見合わせた。
どうしようかと、目と目で会話している。
兄弟刀としての、彼らの結びつきの強さをこんなところで再確認して、打刀は組んでいた腕を解いた。
右手は腰に据え、左手は脇に垂らした。
ぶすぶすと燻る煙に視線を流し、すぐに戻して、眉間の皺を深くする。
相談が終わったようで、鯰尾藤四郎が踵を下ろして立ち上がった。一方で骨喰藤四郎は預かった枯れ枝を使い、焚き火の底をかき混ぜた。
「すみません、見逃してください」
一気に煙が大きくなり、風上も、風下も関係なくなった。
強い刺激臭に、勝手に涙が目尻に浮かぶ。そんな状況下で勢いよく両手を叩き合わせ、鯰尾藤四郎が深々と頭を下げた。
やはり悪巧みをしていた。
弟刀たちに知られてはいけないことをしていた。
兄刀である一期一振や、本丸の政務大半を引き受けているへし切長谷部にも、本当の目的は伝えていないに違いない。
読みが当たったのを喜び、歌仙兼定は思わず頬を緩めた。
してやったりと興奮して、腹の底が熱くなりかけた時だ。
「あつっ」
「骨喰!?」
もうもうと立ちこめる煙を格闘していた骨喰藤四郎が、短い悲鳴を上げた。
聞こえた声に鯰尾藤四郎が大仰に反応して、打刀への説明も忘れてしゃがみ込んだ。
先端の焦げた枝を奪い取り、黒ずんでいる軍手の状況を調べて、端から見ているだけでも分かるくらい大袈裟に安堵の息を吐いた。
「びっくりさせるなよ、も~」
「すまない。火の粉が飛んで、驚いただけだ」
問題ないと知って、今度は過剰な心配が照れくさくなったらしい。
バシバシ肩を叩いてくる鯰尾藤四郎に微笑んで、骨喰藤四郎は小さく頷いた。
多少の荒っぽさは、許容範囲内のようだ。特に痛がらず、嫌がりもしない彼に苦笑して、歌仙兼定は肩を竦めた。
「それで?」
話が途中になっているのは、忘れないでもらいたい。
釘を刺すつもりで合いの手を挟んだ彼に、黒髪の脇差は嗚呼、と首肯した。
「これ、さしあげますんで。だから弟たちには、秘密にしてくれませんか」
気を取り直し、鯰尾藤四郎は言った。
にこやかな笑顔と共に差し出されたのは、真っ黒い塊だった。
薄い煙を身にまとって、かなり焦げ臭い。直前まで焚き火の中にあっただけあって、相当熱そうだった。
軍手があれば多少は耐えられるだろうが、素手で引き取るのは躊躇させられた。
そもそも、こんな消し炭をもらっても困る。
対応に苦慮して戸惑っていたら、こちらの心を読み解いたのだろう。鯰尾藤四郎が不遜に口角を歪めた。
「ああ、すみません。このままじゃ、分からないか」
屈託なく言い放ち、彼は伸ばしていた腕を戻した。真っ黒い塊を直接地面に置いて、軍手をした指で表面を数回なぞった。
外部からの刺激を受け、消し炭にひび割れが走った。その隙間を広げ、時に引き千切って、鯰尾藤四郎は内側に隠れていたものを暴いた。
見覚えがある形状だった。
台所を任されている歌仙兼定が、知らない筈がないものだった。
「……そういうことか」
ここに来て、彼らが弟刀たちを呼ばなかった理由が判明した。
「内緒ですよ」
悪戯っぽく笑った脇差に頷いて、打刀は脱力したまま苦笑した。
消し炭の正体は、薩摩芋だった。
この時期、畑で大量に収穫されるものだ。表面は紫色だが内側は黄色みを伴い、焼いても、蒸しても美味な野菜だ。
今日も確か、収穫作業が行われているはず。
朝早くから意気込んでいた短刀たちを思い浮かべて、歌仙兼定は小首を傾げた。
「しばらく置いてからの方が、よかったんじゃないのかい」
薩摩芋は収穫直後より、少し時期を置いた方が甘くなる。
この数年のうちに学んだ知識を披露すれば、脇差たちは揃って笑顔になった。
「知ってます」
「これは、俺たちが別で育てていたものだ」
見た目相応の子供っぽい表情を作り、首を竦めてクスクス音を漏らしながら告げる。
あら熱をとるべく、鯰尾藤四郎が手のひらで頃がしている薩摩芋を指さして、骨喰藤四郎は得意げだった。
「そんなことまで……」
広大な敷地を有する本丸の畑以外に、こっそり耕作地をもうけていたらしい。彼らはそこで自分たちだけの作物を育て、収穫を楽しんでいた。
確かに屋敷の畑で育てたものは、本丸全体の食料になるので、勝手に食べないよう定められていた。
しかしこの身体は、じっとしていても腹が減るようにできている。つまみ食いをしたくなる日だって、当然あった。
「その向上心、もっと違うところに使ってみてはどうだい?」
「やだなあ。これ以上使い込んだら、時間遡行軍と戦えなくなっちゃいますって」
けらけら笑って、鯰尾藤四郎が改めて蒸し焼きにした薩摩芋を差し出した。今度はありがたく受け取って、歌仙兼定はじんわり来る熱に頬を緩めた。
「火傷しないでくださいよ」
「あいつらに知られると、うるさい」
「気をつけよう」
素手で握っていては、本当に火傷してしまう。
悩んだ末、内番着の袖で包んでから掌に置き、頷いた。食べる場所も考えなければならなくて、なかなかに面倒だと苦笑を漏らした。
秘密の暴露は、信頼されている証拠。
責任重大だと目を細め、歌仙兼定は焚き火をいじる脇差らに小さく頭を下げた。
「そうそう、屋敷まで煙が来ていたよ」
「ええー? 風向き計算してたのになあ」
最後に自分がここへ来た原因を伝えてやり、踵を返した。
訪問客が増える可能性を示唆された脇差は嫌そうな顔をして、撤収を早めるためか、忙しく手を動かした。
ふた振りだけでも十分騒々しい彼らに背を向けて、歌仙兼定は屋敷へ戻らずに歩き出した。
「どこか、休めるところはあったかな」
焼き芋を食べているところを、誰かに見つかるのは避けたかった。
鯰尾藤四郎たちが秘密にしてきたことを、自分が広めるわけにはいかない。一番は部屋に逃げ込むことだが、生憎と距離が遠すぎた。
しかも部屋に戻るには、屋敷の中を通らねばならない。熱々の焼き芋を袖に隠したまま進むのは、少々危険だった。
今のこの状態は、明らかになにか隠し持っています、と言わんばかりだ。
布で包んでいても伝わってくる熱に目を眇め、打刀はすっかり秋色に染まった景色を眺めた。
「そうだ、あそこにしよう」
紅や黄色に染まった落葉樹が、日の光を受けてきらきら眩しかった。
せっかく美味しいものを手に入れたのだから、この雅やかな景色を眺めつつ、食べてみたい。
それにふさわしい場所を脳裏に思い描いて、彼は下駄の歯で強く地面を叩いた。
調子よく枯れ葉散る庭を行き、人気のない方角を目指した。
常緑樹の下を抜け、葉が落ちて裸寸前になっている落葉樹を右に見て、太鼓橋を渡ってその先へ。
「おや」
この時間、誰も使っていないと見込んで訪ねた茶室には、残念ながら先客があった。
瓢箪型をした池に面した茶室の雨戸は、閉まっていた。ただし濡れ縁は何にも覆われておらず、室内に入らなくても使用出来た。
寛ぐには些か手狭ながら、座って休むくらいなら問題ない。
屋敷の縁側と比較すると奥行きが半分ほどしかないそこに座っていたのは、藍色の髪の少年だった。
高い位置で結った毛束は根本で左右に割れて、まるで芽吹いたばかりの若葉だ。左目の下に十字の傷があり、反対側の頬には絆創膏が貼られていた。
敵と相対した時には俄然鋭くなる眼差しは、最初こそ警戒していたものの、接近するのが歌仙兼定だと知った途端に緩んだ。
「歌仙」
「お邪魔だったかな?」
「いえ」
ほっとしたような、とは言い切れないけれど、機嫌は悪くなさそうだ。
橋の袂から続く緩い傾斜を登って、ゆっくりと歩み寄る。残り二歩に迫ったところで、小夜左文字は場所を譲ろうと左にずれた。
西に面した濡れ縁は、この時間帯、とても日当たりが良い。
屋敷からさほど離れていないはずなのに、間に枝を伸ばす緑の木々が緩衝材になっているようで、一帯は静かだった。
風が上空を抜ける音がした。
池の水が跳ねて、鳥の羽ばたきが聞こえた。
「休憩かい」
「はい。夕餉の支度まで、手が空いたので」
いつからここに座って、流れゆく時を眺めていたのだろう。
ぼんやり過ごすには最適の空間に首肯して、歌仙兼定は譲られた場所に腰を下ろした。
迂闊にもこの時、彼は焼き芋のことを忘れていた。
曲げた膝に両手を添えて、ほっと一息ついたところで、緩んだ袖からはみ出ている芋を思い出した。
「あっ」
「歌仙?」
心地よい暖かさは、日差しのお陰だと錯覚した。
そんなわけがなかったと声が上擦ったのを、真横に座る短刀が聞き逃すわけがなかった。
「あ、いや」
「それ、なんですか」
軽率だったと後悔するが、今から走って逃げるわけにもいかない。
その方が余程挙動不審だと自戒して、打刀は首を傾げる少年に視線を戻した。
小夜左文字の目にも、焼き芋の一部は見えていた。しかし男が後生大事に抱き抱えているものが、脇差たちの秘密の詰まった食べ物だとは、思っていない様子だった。
指を指しつつ、正体を暴こうとあれこれ想像を巡らせている雰囲気がある。
正直に白状するか、誤魔化すか。
どちらが良いか悩んで、時間を浪費しているうちに、聡い少年が先に答えに辿り着いた。
「唐芋ですか」
「はは、ははは……」
「歌仙?」
「食べるかい、お小夜。どこで得たものかは、聞かないでおくれ」
独特な形状に色、そして微かに漂う焼けた芋の甘い匂い。
これらを総合的に判断して、正解を導き出した。
さすがは早い時期から台所を手伝い、食べ物の知識を多く有しているだけはある。
歌仙兼定の手伝いとして活躍の機会が多い短刀に白旗を振って、打刀は潔く焼き芋を手に取った。
移動している間にかなり冷めてしまって、直接触れてもあまり熱くない。
一振りで食べるには少々大きかったそれを真ん中で割った彼の言葉に、小夜左文字は緩慢に頷いた。
断面からもわっと白い湯気が溢れ、瞬く間に消えていった。
中心まで熱が入り、十分過ぎるほどふっくら焼きあがっているのが、見ているだけで伝わって来た。
美味しそうだ。
藤四郎の脇差たちが丹精込めて作ったのが、しっかり感じられた。
「いいんですか、もらっても」
「ああ。このことを、誰にも漏らさないと約束してくれるなら、だけどね」
右手に持った分を差し出せば、短刀は躊躇した。
しかし小さな紅葉の手は、受け取りたそうにしているのが見え見えだ。
隠しきれない本心を嗅ぎ取り、歌仙兼定は相好を崩した。鯰尾藤四郎たちとの約束を守るべく、条件を出せば、小夜左文字は怪訝にしつつも頷いた。
熱さを警戒してか、慎重に両手を伸ばし、受け取った後は嬉しそうに目尻を下げた。
これで片手が空になり、食べやすくなった。
早速一口いただこうとした打刀は、油断していたところに飛び出した次の一言に、盛大に噎せた。
「もしかして、鯰尾藤四郎さんたち、ですか」
「んんっ」
囓る前で良かったと、心底思わされた。
ガチンと盛大に鳴った前歯の痛みにも耐え、苦しみを味わいながら前のめりで振り向けば、小夜左文字は明後日の方角を向いていた。
頬が引き攣り気味なのは、歌仙兼定の反応を見て確信を抱いたからだろう。
その上で、言わなければ良かったと悔やんでいる。秘密にしておきたかったものを暴いてしまった、という自覚があるのだ。
「どうして、そう思うんだい」
「さっき、焚き火をしているのを見かけたので」
「ああ……」
念のために理由を聞けば、推測の起点は単純だった。
焼き芋と来て、焚き火を思い出さない方がおかしい。連想はあまりにも容易だった。
「数がないみたいだったからね」
「全員分ないのは、不公平ですか」
「そういうことだ」
たださすがの小夜左文字でも、秘密の畑までは知らないはず。
全容を白状する必要はない。真実ではないが、嘘とも言い切れない理由で誤魔化した打刀を、短刀は疑わなかった。
小さな罪悪感が芽生えたが、すぐに消えてなくなった。
「いただきます」
皮をめくった小夜左文字が、大きく口を開け、程良く暖かな焼き芋を頬張った。
がぶりと噛みつき、柔らかな表面に歯形を残して一部を削り取った。内側はまだ熱さが残っていたらしく、はふはふ言いながら塊を転がして、思い切ってごくりと飲み込んだ。
「おいしい」
万感の思いを込めての呟きは、紛うことなき本音だ。
深い息とともに吐き出された一言は、苦労して作物を育てた脇差への、なによりの褒美となるだろう。
「よかった」
この焼き芋が出来上がるまで、なにひとつ関係してこなかったのに、我が事のように嬉しい。
粟田口の兄弟刀でもなんでもないのに、なぜか誇らしく感じられた。
「今度、なにか作ってやるとするか」
芋の礼は、芋で返す。
「すいーとぽてと、というお菓子が美味しいって、燭台切さんが言ってました」
なにが良いか、焼き芋を食べつつ悩んでいたら、横から思わぬ合いの手が入った。
「なんだい、それは。聞いたことがないな」
初耳の甘味に、嫌な予感が走った。辿々しい発音から、西洋風の食べ物が想起されて、胸騒ぎを覚えた。
「食べてみたいです」
「……お小夜が、そう言うのなら……」
しかしなんと言っても、小夜左文字からの催促である。
自発的な欲求に乏しく、復讐以外では状況に流されがちな少年が、最近は進んで希望を述べるようになった。
これは喜ばしい変化だ。そこに水を差すような真似は出来ない。
打刀と同様、台所を根城にしている隻眼の太刀を思い浮かべ、歌仙兼定は苦虫を噛み潰したような顔で頷いた。
「楽しみです」
それが分かっているのか、分かっていないのか、小夜左文字が無邪気に言う。
ほくほくの焼き芋を無心で食べる少年は、愛おしい。
その頬にこびりついた欠片を摘んでやって、歌仙兼定も甘い芋に舌鼓を打った。
鹿の音を垣根にこめて聞くのみか 月も澄みけり秋の山里
山家集 秋 302
2018/10/21 脱稿