忍びにし 声あらはれて ほととぎす

 バカンスも残り僅かとなったが、コテージの周辺では遊び足りないサーヴァントたちの元気な声が絶えない。水鉄砲を武器にはしゃぐ一団を窓越しに眺めて、立香は手にした帽子で顔を扇いだ。
 弱い風を受けた前髪がふわりと浮き上がり、額に蔓延っていた熱がほんの少し遠くなった。生温い唾を飲み込み、深呼吸を二回して、彼はふと目に付いた後ろ姿に首を捻った。
「先輩?」
 それは人理修復を目的として集められたAチーム所属の、マスターとしては立香の先輩格に当たる存在。実際は殺しても死なない吸血鬼という、人ならざる女性。
 更に付け加えるとするなら、愛する男が同行すると思い込み、浮かれ調子で水着に着替えたひと。挙げ句何度となく殺されては、その度に甦るという奇特な経験を繰り返したひと、でもある。
 その虞美人が、リビングのソファに座ってぼんやりしていた。大胆な水着姿で足を組み、頬杖をついて、若干腑抜けた表情で遠くを見ていた。
 項羽がレイシフト先に来ないと聞かされて、激しく落ち込んでいた時に似た雰囲気だ。
 またなにか、意気消沈することがあったのか。
 怪訝に思い、彼女の視線の先を辿って首を巡らせた。それらしきものを探せば、大きな窓の向こうに、ワルキューレたちの姿があった。
 他にも夏仕様のシグルドに、水着に着替えたブリュンヒルデの姿も見えた。
 姦しい三人娘に囲まれた背高の男がなにかを言い、少し離れた場所にいた黒ドレスの美女が顔を赤くした。照れた素振りで身を捩る彼女を振り返り、ヒルドとオルトリンデが再びシグルドに何やら捲し立てた。
 会話の内容は、聞こえてこないので分からない。しかし北欧に由来するあのメンバーにとって、このような光景は日常だった。
 仲が良く、微笑ましい。
 眺めていたら、自ずと頬が緩んだ。パントマイム的なやり取りに、自分勝手な科白を当てはめて楽しんでいたら、割と近い場所から視線を感じた。
 はっと我に返って表情を引き締めるが、一歩遅い。
「なによ」
「いーえ、別に」
 頬杖を解いた虞美人に、不愉快そうに睨まれた。
 ソファの肘掛けに爪を立てて、機嫌は見るからに悪い。咄嗟に首を横に振って否定したが、到底信じてもらえなかった。
 彼女は面白くなさそうに舌打ちを繰り返し、スプリングが硬いソファに深く座り直した。右膝を身体に寄せて、両手で包み込む。細く、長く、しなやかで美しい脚が大胆に晒されたが、当人には恥じらう、という感覚がないようだった。
 彼女にとって、見せるべき相手は項羽ただひとりなのだろう。それ以外の視線は、一切気にならないらしい。
 潔いまでの割り切り方だ。恐らく一生かかっても真似出来ない思考だと、心の中で敬服して、立香は改めてブリュンヒルデたちに視線を戻した。
 彼女達は、夕方から予定されているバーベキューの準備に勤しんでいた。大勢で炭火を囲み、肉に野菜を焼いて食べるイベントは、立香としても楽しみだった。
 だがなにぶん参加者が多いので、網の配置は悩ましい問題だ。ひたすら食べたいサーヴァントと、会話を楽しみながらのんびり食べたいサーヴァントは分けるべきだし、肉ばかり攫っていく連中の皿に野菜を放り込む役も必要だ。
 そういった配分を決めようとしては、シグルドがなにかにつけて惚気て、ブリュンヒルデの手が止まる、といった感じらしい。
 仲睦まじいのは構わないが、少々夏の影響を受けすぎなふたりに、苦笑が止まらなかった。
「相思鳥みたい」
「はい? なんて?」
 先ほどからなにも進んでいない準備係を見ていたら、間近でぼそっと呟かれた。
 瞬時に虞美人に視線をやるが、目は合わない。彼女は解いた手を、今度は頭の後ろにやって、若干仰け反り気味に座っていた。
 天井を仰ぐ眼差しは、ノウム・カルデアに残った男を思い浮かべているに違いない。
 哀愁漂わせた横顔はいじらしく、可愛らしいが、それよりも聞き慣れない単語への好奇心が勝った。
「ソウシチョウ……? て、なんです?」
「はあ? なんでアンタに教えてあげなきゃなんないのよ。自分で調べなさい」
「えええー」
 重ねて聞いてみれば、思いの外横暴な発言が投げ返された。急にガバッと前のめりになり、ソファから腰を浮かせた虞美人に怒鳴られて、立香はあまりの理不尽さに悲鳴を上げた。
 勢いに圧倒されて半歩後退し、首を竦めて、両手は背中に隠した。彼女が親切に教えてくれるとは、実のところあまり期待していなかったけれど、いざその通りになると地味にショックだった。
 仮にもマスターとして、サーヴァントたる彼女と契約している身だというのに。
「どうかなさいましたか?」
 がっくり肩を落として立ち尽くしていたら、虞美人の大声を聞きつけ、キッチンにいた蘭陵王が駆け寄って来た。喧嘩を心配して様子を見に来たらしく、表情はどことなく物憂げだった。
 シグルド同様、夏仕様の出で立ちの青年は、涼しげで、爽やかだ。リビングを見回し、特に問題がなさそうだと胸を撫で下ろして、最後に立香に向かって会釈した。
 朗らかに笑う蘭陵王は、ある意味、虞美人の世話係でもある。なかなかの苦労人だけれど、思うところを存分に吐き出した後などは、非情に晴れ晴れとした表情をしていた。
 彼ならば、知っているかもしれない。
「ねえ。ソウシチョウて、分かる?」
 キッチンとリビングの境界線上に立つ青年に向けて、問いを投げる。
 その瞬間、そっぽを向いていた虞美人がピクリと反応したが、立香は気付かなかった。
「はあ。相思鳥、ですか?」
 数メートル先から質問された蘭陵王は、きょとんとした後、一瞬だけ虞美人を見た。そうして何かを悟った風に微笑み、目を細めて頷いた。
「相思鳥とは、はい。小鳥のことです。嘴が赤くて、小さくて、可愛らしくて。とても美しい声で鳴きます。そういえば今朝も、近くで鳴き声を聞いた気がします」
「へえ」
 左手を胸の高さに掲げ、指先を軽く曲げて大きさを表現しながらの説明に、立香は緩慢に頷いた。どこかで見て、聞いた事があるかもしれないと興味を抱き、無意識に顎を撫でた。
 そんな彼に目尻を下げて、蘭陵王は再び、会話が聞こえているだろうに混じろうとしない女性に視線を送った。
「あとは、そうですね。名前の由来は、つがいのオスとメスを分けると、互いに相手を思い、相手を求めて囀るところから、と言われています」
 若干含みのある顔で言って、立香に向かって深く頷く。
 追加された説明に、汎人類最後のマスターは嗚呼、と息を吐いた。一歩遅れて両手を叩き合わせて、窓の外ではなく、そのずっと手前のソファを振り返った。
「なんだか、先輩みたいですね」
 悪気はなく、思ったままのことを口にしただけだ。
「はああ? なに言ってんの。馬鹿にしてる? 冗談じゃない。どうして私が、そうなるのよ!」
 だというのに、思い切り罵倒された。
 勢いのままに立ち上がり、吼えて、虞美人は握り拳で空を殴った。
 あれが右頬、または腹に当たろうものなら、壁まで軽く吹っ飛んでいた。それくらいの気迫を見せられて、立香は咄嗟に首を竦めて小さくなった。
 そこまで怒るような事を言ったつもりはないのに、逆鱗に触れてしまった。一方で憤懣やる形無い女性は、何度も吼えた所為で居辛くなったのか、淑女たる仕草も忘れて部屋に引っ込んでしまった。
 ドスドスと荒々しく床を踏み鳴らし、肩を怒らせて歩く姿は野生の獣のようだった。
「……今の、オレが悪いの?」
「いいえ、まさか。図星だったので、照れただけですよ」
「なるほど。……なるほど?」
 ドアを閉める音も盛大で、壊れないか心配になるレベルだ。脅威が去った後に恐る恐る訊ねれば、蘭陵王は朗らかに首を振った。
 分かった顔でにこやかに告げて、そこはかとなく嬉しそうだ。彼ほどの境地に辿り着けていない立香は静かになったドアを遠巻きに眺め、顔面真っ赤だった虞美人を思い出し、肩を竦めた。
「来年は、うん。一緒に来られると良いね」
「そうですね。是非、そうであって欲しいです」
 なにが、とは敢えて言わない。蘭陵王も省いた言葉を瞬時に悟り、同意して、深く頷いた。
 夕飯の下拵えに戻る彼を見送り、立香は長く握り締めていた帽子を広げ、浅く被った。この後の予定は、特に決めていない。だが虞美人のように部屋に引き籠もるのは、勿体なくてできなかった。
「探してみよっかな」
 教わったばかりの鳥について、まだ好奇心は薄れていない。新たに得た知識を胸にドアを開け、夏の陽射しが照りつける屋外に出た。
 とはいっても、高所且つ山の中なので、気温はそこまで高くない。日陰を選べば、この時間でも肌寒さを覚えるくらいだった。
「誰か、鳥に詳しいひと、いなかったかな」
 木製のテーブルをひとりで動かしていたシグルドと目が合い、手を振って返す。ヒルドたちが少し騒いだが、遊ぶよりも準備が先だと戒められて、ワルキューレたちはしょんぼりしながら作業へと戻っていった。
 どこもかしこも賑やかで、騒々しく、楽しそうだ。
 見ているだけでも幸せな気分になれて、マスターである立香の頬も自然と緩んだ。
「こんな時間から、どこへ行く。マスター」
 バーべーキューの開始時間はまだ先なのに、待ちきれないのか、一部のサーヴァントが周辺でソワソワしていた。自発的に手伝いに加わる者もあれば、良席を確保して動かない輩もあった。
 それ以外にも、炭火での火傷を期待してか、はたまた肉を巡っての争乱を期待してなのか。珍しい男の姿があった。
「ん? ああ、アスクレピオス。ねえ、鳥のこと、詳しい?」
「なんだ、藪から棒に」
 白衣代わりの白パーカーに、袖には目立つ赤い腕章。医療班所属だと示す証を見せびらかすように歩いて来たのは、ギリシャ神話に連なる英霊だった。
 フードを目深に被っているが、ファスナーを急いで閉めたのか、長いもみあげが半分、服の中に入り込んでいる。だというのにまるで意に介さず、そのままにしている所為で、変なところから毛先がはみ出ていた。
「水分は適時摂取しろ」
「むぐっ?」
 新鮮で、ある意味奇抜な格好に気を取られていたら、いきなり口に固形物が押し込まれた。
 不意を衝かれ、反射的に吐き出そうとしたけれど、舌先と唇に触れた冷たさがそれを押し留めた。急いで突き出ている棒を掴み、引き抜いて、立香は目に飛び込んできたアイスに相好を崩した。
「ありがと。ああ、ソーダ味だ」
 浅く歯形が残る部分を舐めると、ひんやりして心地良い。
 思いがけず、甘味に恵まれた。懐かしくもある味を堪能し、ちびちびと前歯で削っていたら、フードを外して髪を整えたアスクレピオスが口を開いた。
「それで、鳥がどうした。野鳥の死骸でも出たか」
 最初の問いかけは、忘れられていなかった。但し発想が、若干どころか、大幅に特殊な方角に傾いてしまっていたが。
 彼の医学に対する好奇心は、どんな状況下でも色褪せることがない。
 些か不穏な笑みを浮かべられて、苦笑を禁じ得なかった。
「残念だけど、そうじゃなくて。ええっと……ソウシチョウて、分かる? この近くにいるらしいんだけど」
「なんだ、違うのか。つまらない」
 一瞬悪役面になったアスクレピオスだが、否定されて、即座に表情を戻した。心底どうでも良いという雰囲気で吐き捨てて、少々不機嫌になった。
 興味の範囲が、本当に偏っている。
 あまりにも極端な変化に肩を揺らして、立香は汗をかき始めたアイスを舐めた。
 子供の姿をしたサーヴァントのために、薬を色々工夫している、という話も聞いている。もしかしたらこのアイスにも、なにかしら仕込まれている可能性があった。
 ただ彼のやることだから、身体に害が及ぶとは考え難い。
 その辺りは、十二分に信頼している。ふとした拍子に目が合って、微笑み返せば、アスクレピオスは意外だったのか目を丸くした。
「美味しいよ」
「当然だろう」
「ソウシチョウっていうのは、オレもさっき知ったんだけど。嘴が赤い小鳥で、カップルが引き離されると、お互い恋しがって鳴くんだって」
 順調に小さくなっていくアイスを味わいつつ、妙に自信たっぷりな男に早口で語りかける。どうでも良い話を振られて、迷惑がるかと思ったが、アスクレピオスは黙って耳を傾けてくれた。
 だから調子に乗って、虞美人が真っ赤になって怒鳴ったことまで、関係無いのに喋ってしまった。
 その途中でアイスを食べ終えて、立香は唯一残った薄い木の棒を噛んだ。表面にソーダ味が染みついている気がして、捨てるのを惜しんで咥えたままでいたら、伸びて来た白い指に黙って引き抜かれた。
「あ」
 齧っていたものがなくなって、思わず舌で追おうとした。首から上だけを伸ばし、間抜け顔を晒していたら、悪戯の犯人が不遜に笑って奪ったものを揺らした。
 腕を組み、口角を歪めて、アスクレピオスは居丈高に胸を張った。
「そんなもの、探してどうする。今、ここにいるだろうに」
「え、どこ? どこ?」
 言い切られて、立香は愛らしい小鳥の姿を想像した。脳裏に描いたのと似た存在を探し、視線を泳がせ、半身を捻って後ろを振り返りもした。
 慌ただしく左右を見回して、目を凝らすものの、それらしき影も形も見当たらない。鳴き声も当然聞こえなくて、五秒ほど過ぎてから、ようやく一杯食わされたのだと気がついた。
「ちょっと! ……て、なんで離れてくのさ」
 瞬間的に沸いた怒りに背中を押され、叱り飛ばそうとアスクレピオスに向き直れば、肝心の相手は数メートル先にいた。
 何故か距離をとられていた。こちらを見たまま、尚もじりじり後退する彼に、立香は眉を顰めた。
 どうしてアスクレピオスがそんな行動に出たのか、まるで分からない。
 なにかしら理由があるのだろうけれど、皆目見当が付かなかった。
「アスクレピオスってば。ねえ!」
 混乱したまま彼を呼び、声を張り上げる。まるで鳥が羽ばたくように両手を振り回し、爪先立ちになって、声高に叫ぼうとして。
 ようやく足を止めた男が、直前まで立香が咥えていた棒を顔の前に掲げた。
 薄い唇を開き、赤く濡れた蛇の舌を覗かせて、その表面を舐めた。
 見せびらかすように、絡ませて。
 意地悪い顔をして、咥内へと招き入れる。
「な、あ――ああ!」
 一連の仕草をまざまざと見せつけられて、立香は真っ赤になって吼えた。顔から火が出るほどの恥ずかしさに襲われて、膝をガタガタ言わせ、震えが止まらない身体を抱きしめた。
 相思鳥のカップルは、相手を想って甲高く鳴くという。
 アスクレピオスはその鳥が、すでに此処に居ると言った。
「そんなに大声で囀らなくとも、聞こえているぞ。立香」
 とどめとばかりに囁かれて、もう立っていられない。
 火照って熱い顔を両手で隠して、立香はその場で丸くなった。

忍びにし声あらはれてほととぎす 今日ははやめのねにぞ立てつる
風葉和歌集 172

2020/09/13 脱稿