鴛鴦棲みけりな 山川の水

 良い天気だった。
 朝から雲ひとつない快晴で、まさに洗濯日和と言わざるを得ない。風は強すぎず、かといって弱すぎず。頬を撫でる感触は柔らかく、心地よかった。
 これほど過ごし易い日は、一年にそう何度もない。
 それが分かるのか、屋敷中の世話好きな刀たちが、早い時間からあちこちを駆け回っていた。
 掃除に洗濯、そして布団干し。
 雨戸を開けて縁側に出し、充分過ぎるくらい日光を浴びた布団はふかふかだ。
 今宵は、さぞや良い夢を見られるだろう。まだ明るいうちから想像して、小夜左文字は口元を綻ばせた。
 南に面した縁側を確保して、何度も表面を叩き、表裏を入れ替えた。埃を払い、綿に空気を入れて、全体を暖めた。
 ここしばらく曇り空が続いたので、布団を干す機会はなかなか得られなかった。
 そうしている間になんだか湿って、しんなりしてしまったが、それも今日限りだ。
「急げ、急げ」
 あとは陽が翳る前に回収して、部屋へ運ぶだけ。
 西向きに移動を開始した太陽を庭木の向こう側に見付けて、彼はおっとりした足取りを速めた。
 一応布団に名前は書いておいたが、心無い者がこっそり拝借し、交換してしまっているかもしれない。実際前に、そういう小狡い真似をした刀がいて、へし切長谷部にこってり絞られていた。
 あの時ほど、御手杵が小さく見えた日はない。ちょっと魔が差しただけで、槍自身も深く反省しており、以来このような事件は起きていないが。
 本丸に集う刀剣男士の性格は千差万別で、働き者がいれば、怠け者もいる。万年床の刀がいれば、毎日きちんと畳んでいる刀もいた。
 御手杵は、頻繁に布団を干す方ではなかった。そして少々黴臭く感じ始めた矢先、やや小ぶりながら、陽を浴びて白く輝く布団を見つけた。
 これ幸いと、うっかり手を伸ばしたくなることはあるだろう。小夜左文字だって、遠征中の短刀のために残された菓子を前に、何度手が出そうになったことか。
「あった。よかった」
 ともあれ、布団交換事件はあの一度きりだ。
 だが念のためと足早に角を曲がった彼の目に、ふかふかに膨らんだ敷き布団と掛け布団が飛び込んできた。
 縁側のこの場所は、屋敷の中でも数少ない、ほぼ一日中陽が当たる一帯だ。一刻程前に裏返しに来た時には、狭い空間を奪い合い、何振り分かの布団がぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。
 けれど今は、かなり数が減っていた。
 気忙しい刀が、早々に引き揚げていったのだろう。夕方に向けて夕食の支度や、風呂の準備などがあり、長く放置できない理由があったのかもしれない。
 折角温まった布団だ、夜気に晒して冷ましたくはない。
 小夜左文字が道を急いだのだって、同じ理屈だ。
「……あ」
 これで、あとは運びやすいように小さく畳み、抱えて部屋へ戻るだけ。
 そう思って足取りを緩めた少年は、近付くにつれて違うものまで見つけてしまい、眉を顰めた。
 怪訝にしながら目を眇め、布団の上にある塊に渋面を作る。
「太鼓鐘貞宗」
 衣装と布団が同系色だったので、遠くからだと見分けがつかなかった。
 まさかの存在に肩を落として、小夜左文字は不満も露わに口を尖らせた。
 群青色の髪に金の瞳の短刀が、よりによって彼の布団で丸くなっていた。両手足を折り畳み、母胎で眠る胎児のようになって、すやすやと、機嫌良さそうに眠っていた。
 両側にはもうひと組ずつ、布団が干されていた。
 どちらも短刀のものよりやや大きめで、打刀以上が使用しているものだと分かる。
 そちらの方が面積が広く、寝心地も良さそうだ。だのにどうして、彼は真ん中を選んだのか。
 派手好きで、目立ちたがり屋の伊達男は、どんな時でも輪の中心に陣取ろうとした。それがよもや、こんな時にまで発揮されようとは思わなかった。
「どうしよう」
 あどけない寝顔は、熟睡中と教えてくれた。瞼は左右とも固く閉ざされ、黄金色の双眸は小夜左文字を映さなかった。
「んむ、う~」
「太鼓鐘」
 その時、太鼓鐘貞宗が顔を顰めた。気配を察したのか小さく呻き、枕元から見守る短刀を期待させた。
 即座に名前を呼んで、目覚めを促す。
「すう……」
 しかし残念ながら、彼はすぐに緊張を解し、だらしない寝顔に戻ってしまった。
 ふにゃ、と砕けた笑い方は、眠っている時ならではだろう。喜怒哀楽が激しい短刀だが、ここまで気の抜けた表情は珍しく、見ていて愛らしかった。
 かといって、このまま放置するわけにはいかない。
 もう半刻もすれば、太陽は地平線に沈む。昼間はかなり暖かくなってきているが、そのままの調子で夜を過ごすと、痛い目に遭わされた。
 小夜左文字だって、布団を回収したい。それも出来るだけ平和的に、穏便な手段を選びたかった。
「起きてください、太鼓鐘貞宗」
 力技で退かすのは容易だが、絶対に後で文句を言われるに決まっている。
 なにせ太鼓鐘貞宗は、とにかく五月蠅い。元気が良い、とも言い換えられるが、あまり目立ちたくない身としては、彼の存在は少々鬱陶しかった。
 ひとりで庭を眺めて楽しんでいるのに、退屈しているのだと勝手に解釈して、あれこれ構ってくるのは迷惑だ。
 何度となく説明しているのに、まったく耳を貸してくれない。悪気があってのことではなく、完全に善意のつもりでやっているからこそ、邪険にし辛くて、困らされた。
 燭台切光忠や鶴丸国永を味方に付け、あれこれ口うるさく押しかけて来られるのは、避けたい。
 そういう事情から小声で呼びかけてみるものの、眠りは深く、起きてくれる気配はなかった。
 日当たりが良い上に、昼寝するのに最適な布団まで干してある。
 誘惑には、抗い難い。
 誰の布団か確認した上での行動なら計画的だが、そこまで考えていないだろう。たまたま目にした光景に誘われて、ふらふらと倒れ込んだらしく、縁側の下には天地を逆にした靴が落ちていた。
「まったく、もう」
「んへぇ、えっヘヘ~」
「変な顔」
 見るに見かねて腕を伸ばし、揃えてやった。
 それを見ていたわけでもないのに笑う、だらしない表情が滑稽だった。
 誉れをもらって、花が散っている時のようだ。上機嫌で、嬉しそうで、とても楽しそうだった。
 どんな夢を見ているか気になるが、そこに入り込む余地はない。肩を竦めて嘆息して、小夜左文字は無事だった掛け布団を先に回収した。
 運びやすいよう三つに折り畳み、端を揃えて板敷きの間の隅に置いた。斜めになった陽光が奥の方まで入り込んでおり、灯明がなくとも室内はまだまだ明るかった。
「起きない」
 表面の埃を払い、綿がたっぷり吸いこんだ空気をほんの少しだけ押し出す。
 短刀の動きはひとつひとつが大きく、足音も五月蝿かった。振動は床板を伝って、太鼓鐘貞宗にも届いている。だのに暢気な少年はぐうぐうと高いびきを継続して、悠然と寝返りを打った。
 神経が図太いというのか、堂々として懐が広いと言うべきか。
 ちょっとした揺れや、物音でも目が覚めてしまいがちな身としては、羨ましい限り。
 いっそこのまま放置して、いつになれば起き上がるか、観察したい気にさせられた。
 長く伸びた影を床に落とし、爆睡中の少年を真横から見下ろす。
「なにやってんだ、小夜」
「愛染国俊」
 それは些か奇妙な光景であり、やって来た短刀が怪訝にするのは必然だった。
「太鼓鐘貞宗が、邪魔で」
「あー、あっはっは。なんだそりゃ。大変だな」
「ひとごとだと思って」
 振り返り、足元を指差しながら状況を端的に説明する。
 これが虎や狐であったなら、余裕で押し退けられた。ところが刀剣男士相手ではそうもいかず、苦慮していると伝えれば、赤髪の短刀は腹を抱えて噴き出した。
 豪快に笑われて、少し嫌な気分になった。苦虫を噛み潰したような顔をしていたら、彼は鼻の頭を掻き、立ち尽くす小夜左文字の前で膝を折った。
 左隣に干されていた布団をぐるぐる巻いて、運びし易い大きさにして小脇へ抱え込む。
「あなたのだったの」
「ん? いや、これは明石の。あいつ、放っておくと、ずーっと敷きっ放しだからさ」
 短刀が使うには少々大きいと思っていたので、意外だ。
 驚いていたら事情を簡潔に説かれ、成る程と納得するしかなかった。
 来派の太刀は、蛍丸や愛染国俊の保護者を自称しておきながら、実際には世話される側だ。自分は怠け者だと公言し、江雪左文字とは違う理由で戦いたがらなかった。
 あの男の布団なら、この大きさでも不思議ではない。
 きっと朝早くに明石国行を叩き起こし、頼まれてもないのに回収したのだろう。
 なんだかんだで面倒見が良い短刀に小さく首肯して、小夜左文字は夢の世界を満喫しているもう一振りを振り返った。
「鼻でも抓んでやれば、すーぐ起きるって」
「あとが、面倒で」
「ひとの布団で勝手に寝てるやつが悪いんだろ。気にしなくても良いんじゃねえの?」
 その寝顔を横から覗き込み、愛染国俊があっけらかんと言い放つ。
 渋面を止めない短刀を呵々と笑って、彼はくるりと踵を返した。
 来派の三振りは、なんだかんだで仲がいい。自称保護者を起こす際も、遠慮などしないのだろう。普段から行動を共にして、相手の性質や気質を十二分に理解していた。
 そんな近しい間柄なら、小夜左文字だって遠慮しない。
 そう出来ないのは、太鼓鐘貞宗と言うほど仲が良くないからだ。
 彼はいつも、燭台切光忠と一緒だ。鶴丸国永とも親しい。単独行動を起こしがちな大倶利伽羅に絡んで、鬱陶しがられつつも、共に任務に当たっていた。
 小夜左文字はそういう彼の積極性が苦手で、邪険にしがちだった。
 これまでのこと、そして今後のことを思うと、無理に起こすのは気が引けた。
 じわじわ西の空へ傾く太陽を一瞥して、溜め息を零す。
「……どうした」
 力なく項垂れていた短刀の背中に、再び声がかかった。
「一匹りゅ……大倶利伽羅、さん」
 今度は低めの声で、振り返るより先に名前が出た。脳裏に思い浮かべたばかりの男の登場に驚き、小夜左文字はうっかり勝手につけたあだ名を口にしそうになった。
 不意打ちだったので、油断した。
「ん?」
 なにか変な単語が聞こえた、とばかりに眉を顰められて、彼は狼狽を隠して首を横に振った。
 愛想笑いで必死に誤魔化し、後退を図って踵から布団に乗り上げた。低い段差に躓きかけて、ふらつく身体を懸命に留めた。
「あ、ぶな、い」
 あと少しで、大の字になっている太鼓鐘貞宗を踏むところだった。
 そんなことをすれば、飛び起きて怒鳴られるだけではすまない。一年先までねちねち言われ、事あるごとに槍玉にあげられるのは確実だ。
 想像するだけで気が重くなって、そうならずに済んだ幸運に感謝した。だが一番の不幸が解消されない以上、手放しでは喜べなかった。
 こんなになってもぐうすか寝ている短刀に呆れ、ふと思って大倶利伽羅を仰ぐ。
「なんだ。貞か」
 あちらも丁度、縁側に寝転がる存在に気付いたところだった。
 さほど興味ない素振りで呟いて、色黒の打刀は緩慢に頷いた。小夜左文字の布団を迂回して反対側に向かい、干してあったもうひと組の布団の前で身を屈めた。
 あちらは、彼のものだったらしい。大胆に半分に畳んで、その上に掛け布団を積み重ねた。
「それは、お前のか」
「ええと、……はい」
 彼は短刀より身体が大きいので、そこまで小さく丸めずとも持ち運びが可能だ。
 どうにもならない体格差を恨めしく思いつつ、頷き、小夜左文字は打刀の意外な反応に首を捻った。
 大倶利伽羅と言われて真っ先に頭に浮かぶのは、愛想の悪さと、付き合いの悪さだ。
 声を掛けられても無視が当たり前で、返事は期待するだけ無駄。食事こそ大広間で食べるものの、雑談には一切混じらず、宴にもほぼ顔を出さない。
 燭台切光忠や鶴丸国永がなにかとお節介を焼いているものの、それに対する感謝の言葉は、一度として耳にした記憶がなかった。
 そんな男が、珍しく話しかけて来た。
 太鼓鐘貞宗が寝こけている布団を指し示して、彼は肩に担いでいた布団を床に降ろした。
「悪いな。貞が迷惑を掛けた」
「いえ、そんなことは」
「いい。起こせばいいんだな」
 板張りの部屋の、小夜左文字の掛け布団近くに置いて、数歩で戻ってきた。困っている刀がいるとも知らず、暢気に眠っている短刀の代わりに短く詫びて、大倶利伽羅は膝を折ってしゃがみ込んだ。
 彼らは伊達の屋敷で、長らく一緒だったと聞いている。
 共に過ごした時間から来る親しみめいたものが、微かではあるが、彼の口調から感じられた。
「じゃあ、大倶利伽羅さんの布団は、僕が運びます」
 身を乗り出し、寝顔を覗き込む打刀にぴんと来て、先回りして提案する。
 だが小夜左文字のひと言に、大倶利伽羅は怪訝に眉を顰めた。
 言葉にはしないが、なにを言っているのか、と表情が問いかけて来た。それがやがていつも通りに戻って、数秒を待たずに力ない溜め息へと変わった。
「どうして俺が、貞を運ぶんだ」
「違うんですか?」
「慣れ合いはお断りだ」
「はあ……」
 面倒臭そうに首を振られ、呆気に取られた。てっきり太鼓鐘貞宗を部屋まで運んでやるものと思い込んでいたので、予想を裏切られて唖然となった。
 こんなことまで慣れ合いの一種に加えるのも、彼らしいと言えばそれまでだ。目にかかる黒髪を掻き上げて、大倶利伽羅は間抜け顔の昔馴染みに目を眇めた。
「紙か、布きれはあるか」
 そうしてやおら問いかけられて、小夜左文字はぽかんとなった。
「紙? でしたら」
 いったいどうするつもりなのか、打刀の頭の中が全く見えない。
 八つ時の菓子を包んでいた懐紙なら、偶然だが、持ち合わせていた。あとで捨てるつもりだったものを差し出せば、色黒の打刀は黙って受け取り、一瞬悩んでからそれを半分に引き裂いた。
「良かったか」
「構いません」
 ふたつに破いてから、所有者に許可を求める辺りも、彼らしいのだろうか。
 案外抜けたところがあると心の中で苦笑して、小夜左文字は細くなった紙を捩る手元に見入った。
 彼が作ったのは、こよりだ。紙を細く巻き、糸状にしたものだった。
 それを右手に構え、太鼓鐘貞宗の顔へと近づける。
 不穏な気配を一切関知せず、天真爛漫な短刀は暢気に昼寝を楽しんでいた。
 こんな時間から爆睡していたら、夜眠れなくなるのではなかろうか。他人事ながら心配していた矢先、大倶利伽羅が紙縒りの先端を、短刀の右の鼻に挿しこんだ。
「ふえっ」
「うわ」
 元々柔らかいものなだけに、突き刺さったりはしない。
 それで粘膜をこちょこちょと刺激されて、朗らかだった寝顔は一瞬で顰め面へと変わった。
 見ているだけの小夜左文字まで、背筋が寒くなり、鳥肌が立った。反射的に自分で自分を抱きしめて、容赦なく鼻の穴を擽る打刀を信じ難い目で見つめた。
「ふっ、ふへ、ひゃ」
 大倶利伽羅はといえば、いつも通りの無表情で、紙縒りを操る指先に迷いはなかった。
 太鼓鐘貞宗の変化を凝視し、擽る場所を頻繁に変更した。反応が良い場所を探って抜き差しして、ほんのり湿った粘膜を刺激し続けた。
 そうして、一分と経たず。
「っふ、ふ……ふあ、ふベーっくしょう!」
 幾度となく鼻を弄ばれた少年は、盛大なくしゃみと共に布団の上で飛び跳ねた。
 勢いよく身体を起こして、大量の唾と鼻水を彼方へ飛ばした。肩幅に広げた両膝の間に左手を沈めて、鼻腔に残る感触を嫌がり、右手で顔面を捏ね回した。
 これが猫だったなら、可愛らしい仕草だったといえよう。
 肉球を舐める獣の図と比較して、小夜左文字は惚けた顔で伊達所縁の刀たちを見詰めた。
「っくし、ふあ、くしゅ。ぷしゅ。ふべ。くはあああ」
 まさかこんな展開が待っているとは、夢にも思わなかった。
 叩き起こされた方も絶対にそうで、太鼓鐘貞宗は何度もくしゃみを繰り返し、しつこいくらいに顔を擦った。
 掌だけでなく手首、果ては肘の近くまで使って、鼻の奥に残るむず痒さを必死に追い出そうと試みる。その一部始終を見送って、大倶利伽羅は先端が濡れた紙縒りを群青色の紙に突き刺した。
「な、……なんてびっくりな夢だったんだ」
 対する短刀はまだ意識がはっきりしないのか、呆然としながら呟いた。増えた髪飾りには構わず、震える両手を握りしめ、血色のいい唇を戦慄かせた。
「腹いっぱい、みっちゃん特製どら焼きを食べていたら、急に腹が膨れて止まらなくなって。それでも手が止まんなくて、したらどんどん風船みたいに丸くなって。そんでくしゃみと一緒に、食べたどら焼きが、全部外に飛び出して――」
 自分の世界に浸り、早口に捲し立てる。
 夢だからこその奇想天外な物語を体感していたらしく、小夜左文字は苦笑を禁じ得なかった。
「……馬鹿か」
 大倶利伽羅はまたもため息を吐き、簪のように刺さっていた紙縒りを引き抜いた。身近で動く影にようやく外界との接点を見い出して、太鼓鐘貞宗はぽかんとしながら左右を見回した。
「あれ?」
「やっとお目覚めか」
 素早く瞬きを繰り返し、枕元に座る打刀をじっくり見入る。
 不思議そうに首を傾げた彼に嘆息を追加して、大倶利伽羅はかなり草臥れた紙縒りを問答無用で突き付けた。
「ふぁくしゅっ、……って、ああああああ~!」
 軽く鼻を擽られ、くしゃみひとつで現実を思い出したらしい。
 目覚めた理由に行き当たった少年は素っ頓狂な声を上げ、不敵に笑った打刀に拳を振り上げた。
「伽羅ちゃんってば、ひでえ。せっかくひとが、ぐっすり寝てたのに~!」
 但しその一撃は、目標のかなり手前で空を切った。
 初めから殴りかかるつもりはなかったようで、太鼓鐘貞宗の座る位置は変わらない。小夜左文字の布団に陣取ったままジタバタ暴れ、癇癪を爆発させた。
 昼寝をするつもりでそこに横たわったのには、間違いないようだ。誰の布団かは確認せず、大きさが適当なものを選んで、今の時間まで満喫したらしい。
 限りなく自分本位の意見で、布団の所有者が迷惑するとは考えていなかった。困り果てていた短刀に助け舟を出した打刀を怒鳴り散らし、反省の色は皆目見当たらなかった。
 頬を膨らませ、まだ少し眠そうな金の目で大倶利伽羅を睨む。
 拗ね顔を披露された青年は力なく肩を落とし、紙縒りを結んで太鼓鐘貞宗の手に握らせた。
「邪魔だ」
 そうしてひと言ぼそりと言って、この場にもう一振りいると彼に教えた。
「はああ~~? ……あ、小夜だ」
 最初こそ反発していた短刀だが、振り向いて小夜左文字に気付いた途端、険しかった表情を緩めた。大粒の目を丸くして、立ち尽くす仲間をじろじろ見た後、ハッとして座り込んでいる布団を叩いた。
 無言で指を差されて、同じく無言で首を縦に振る。
 途端に太鼓鐘貞宗は顔色を悪くして、跳ねるように布団から退いた。
「ご、ごめん。ごめんな、小夜。気がつかなかった」
 大倶利伽羅の横まで下がって、両手を揃えて頭を下げた。土下座とまではいかないながらも、姿勢をかなり低くして、存外長居してしまったのを謝罪した。
 彼が此処に辿り着いてから、太陽はかなり西に進んでいた。その時にはなかった木立の影が軒下に迫り、あれだけ暖かかった布団はかなり冷たくなっていた。
 ふっくら膨らんでいたのも、相当凹んだ。
 申し訳ないことをしたと詫びて、太鼓鐘貞宗は縋るような目で小夜左文字を見た。
「……べつに。もう、いいです」
「ほんとか?」
「はい」
「は~、よかった~。小夜はどこかの誰かと違って、優しいな~」
「無理矢理言わせてるだけだろう」
「ふーんだ」
 雨の日に外へ捨て置かれた子犬のような目つきに、あまり強く出られない。
 日暮れまでに退いてもらえたのだから良しとすれば、途端に短刀は大はしゃぎして、左に控えていた打刀にはそっぽを向いた。
 ぷんすか煙を噴いて、変な起こし方をした恨みは忘れていない、と息巻く。小夜左文字としてもあの手段は意外で、まさかのひと言に尽きた。
「力尽くが良かったか」
「どきっ。いやあ、それはそれで……なあ?」
「え?」
 大倶利伽羅のことだから、首根っこを掴まえて平手打ちくらい、簡単にやりそうだ。
 ところがそういった暴力には訴えず、一応は平和的なやり方だった。少々強引とは思ったが、誰も傷つかず、まだ穏便な手法だったと言えるだろう。
 太鼓鐘貞宗に水を向けられた小夜左文字は、返答に窮し、目を泳がせた。
 同意を求められても、頷いて良いのか、首を振るべきか分からない。流れに乗って相槌を打つのも難しく、硬直していたら、見かねた大倶利伽羅が短刀の左耳を抓り、引っ張った。
「いだだだだ、痛い。千切れる、ち~ぎ~れ~る~~」
「少しは反省しろ」
 眠っている彼を起こした時とは違い、やり口が急に乱暴になった。
 大声で悲鳴を上げる太鼓鐘貞宗をねめつけて、色黒の打刀はその頭をぽかりと叩いた。
 緩く握った拳で、表面を掠める程度だ。音もせず、あまり痛くはないだろう。しかしやられた方は涙目になって、両手で丸い頭を抱え込んだ。
「ひどい。みっちゃんに言いつけてやる」
「好きにしろ。小夜の布団で大の字になっていた件は、俺の方から伝えておく」
「ぎゃー、やめろー。それって、絶対俺が怒られる奴じゃん」
「自業自得だ」
 自分と、そこの打刀の保護者を兼ねている太刀の名前を口に出せば、大倶利伽羅も負けじと応戦した。鼻で笑って立ち上がろうとして、劣勢を悟った短刀に大慌てで引き留められた。
 引っ張られた上着の裾が僅かに伸びて、龍が絡みつく腕がすかさず邪魔な手を払い落とした。その流れで太鼓鐘貞宗の頭をぐしゃぐしゃに掻き混ぜて、勝ち誇った顔で口角を持ち上げた。
 無愛想な男だとばかり思っていたが、こうやって見ていると、存外表情は豊かだ。
 喧しい短刀につられて口数も多くて、小夜左文字が知る打刀とは別物のようだった。
「あああ、折角の髪型が……くそう。伽羅ちゃんめ。頼まれたって、もう一緒に寝てやんねーからな」
「え?」
「なあ、知ってたか、小夜。伽羅ちゃんってば、こう見えて結構寂しがり屋なんだぜ。俺が来たばっかりの頃とか、嬉しがってぎゅうぎゅうに抱きしめて来てさあ」
「貞」
「冬場とか、問答無用で布団に潜りこんでくるんだぜ。んで、朝まで放してくんねえの。ま、俺は有能な湯たんぽ様だからな。手放し難いのは、よく分かる。うんうん」
「貞、おい」
「そうなんですか?」
「そうそう、驚きだろ? けどよ~、これが本当なんだから、世の中分かんねえっていうか」
「貞」
「いやあ、伽羅ちゃんってば、惜しいことをしたよねえ。俺みたいなすんげえ暖かい湯たんぽ様を手放すってんだから。勿体ないねえ」
「……少し黙れ」
「ふぐっ」
 にわかには信じられない光景に唖然として、次々繰り広げられる会話劇に呆然と見入る。
 これまでの彼に対する認識が、悉く覆された。初耳も良いところの情報に惚けていたら、暴露に我慢出来なくなったのか、大倶利伽羅が力技で短刀を黙らせた。
 伸ばした右手でその頬を挟み、押し潰した。太鼓鐘貞宗の唇は蛸のように窄まって、物理的に喋るのが難しくなった。
 鼻はそのままなので、呼吸は可能だ。手が大きくなければ出来ない芸当を披露して、打刀はこめかみに青筋を立てた。
「んぐー、ふんが、ふんがっ」
「嘘を吐くな、貞。俺の布団に断りなく入ってきたのは、お前だろう」
 表情には苛立ちが浮かび、口調は険しかった。眼光は鋭く尖り、好き勝手べらべら喋られたのを本気で怒っていた。
 曰く、抱きついて来たのも太鼓鐘貞宗。
 冬場、寒さに震えて布団に潜りこんできたのも、太鼓鐘貞宗。
 彼が語った情報は、すべて都合よく変更された偽りの記憶。歴史修正主義者から正しい歴史を守るべき刀剣男士でありながら、彼は自らの記憶を多々改竄していた。
「ふがー!」
「もう二度と、俺の寝床に入ってくるな。そういうのは、光忠にしろ」
「だって、みっちゃんってば、朝早いんだよ!」
 力任せに頬を潰されて、太鼓鐘貞宗が大きく頭を振った。
 大倶利伽羅の束縛を決死の思いで振り払って、冷たく言い放った打刀に向かって悪びれもせず言い返した。
 嘘を吐いた件の反省がなければ、謝罪もなかった。一時でも大倶利伽羅に対して誤った印象を抱かせたというのに、全く見向きもせず、薄い胸を叩いて高らかと吼えた。
 小夜左文字は完全に蚊帳の外だったが、かといって無言で立ち去ることも出来ない。
 早く布団を回収したいのだけれど、喧々囂々のやり取りが気になって、身動きが取れなかった。
「信じられるか? みっちゃんってば、日の出前にもう起きるんだぜ。朝飯の準備があるとかなんとか言って。そういうの、当番じゃなきゃ別に良いのにさ。しかも寝るのも遅い。飲み会の片付けがあるとかって言って、子の刻過ぎても戻ってこねえし。あんな睡眠時間で大丈夫なのか? 俺はちいっとも、大丈夫じゃねえよ」
「……貞」
「その点、伽羅ちゃんは寝るの早いし、起きるのも遅い。まさに適任。しかも暖かい。これぞ一石二鳥ってやつだな」
「貞」
 一方的に捲し立てる短刀は、大袈裟な身振りを度々交え、表情がころころ入れ替わった。
 文句を言う時は声が低くなり、嬉しい時は高くなった。目つきも剣呑になったかと思えば、突然大きく見開かれ、瞬時に満開の笑顔になった。
 上半身を大きく揺らし、座っていながら全身を動かしていた。
 まるで高座に上がった噺家だ。落語でも聞いている気分になって、目が離せなかった。
 大倶利伽羅はなんとか黙らせようと躍起になるが、功を奏しているとは言い難い。度々名前を呼ぶものの、短刀は聞こえない振りをして、ふとした瞬間不敵に笑った。
 にやにやしながら見上げられて、打刀が合いの手に困って口籠もる。
「ふっ」
 次の瞬間場に響いたのは、おしゃべりな短刀でもなければ、無口な打刀の声でもなかった。
 あまりにも彼らのやり取りが可笑しくて、耐えられなかった。
 咄嗟に左手の甲で隠したものの、口元の緩みは抑えられない。つい漏れた笑みに顔を赤くして、小夜左文字はぱたりと止んだ会話に、目を瞬いた。
 恐る恐る顔を上げれば、太鼓鐘貞宗、大倶利伽羅のふた振りが、揃って彼を凝視していた。
「お、おおお?」
「……ふん」
 しかも短刀に至っては、これまでにないくらい目を輝かせていた。
 西日を浴びているのも手伝い、星が閉じ込められているようだ。きらきらと瞬いて、その中心に小夜左文字を映していた。
 大倶利伽羅はいつもの無表情に戻ってしまったが、口角がほんの少しだけ持ち上がっていた。じっと見つめてくる眼差しは真剣で、こちらの一挙手一投足に注目していた。
 二対合計四つの熱い視線に、背筋がぞわわ、と沸き立った。
「なっ、なんですか」
 全身に鳥肌を立て、小夜左文字は素っ頓狂な声を上げた。動揺し過ぎて裏返り、いつになく高音だった。
 それを面白がり、珍しがって、太鼓鐘貞宗が干しっぱなしの布団に圧し掛かった。
「へえ。へええ、へええええ。小夜って、そんな風に笑うんだな」
「い、いえ。あの。今のは、違う」
「別に、隠さなくてもいいんじゃないのか」
「おうおう、おうおう。もっと笑えって。絶対そっちの方がいいって。なんだよ、ちゃんと笑えるんじゃねえか。なんで今まで秘密にしてたんだよ~」
「あの。あ、あのっ」
 四つん這いになってにじり寄り、矢継ぎ早に捲し立てる。
 大倶利伽羅の援護射撃を受けて、その勢いは留まることを知らなかった。
 それまでの会話の流れを忘れ、ふた振りともが小夜左文字に夢中だった。大倶利伽羅と並んで愛想が悪いと知られる短刀の、稀に見る笑顔に興味を示し、追加を催促して鼻息を荒くした。
 二方向から詰め寄られて、突然矢面に立だされた短刀は竦み上がった。
「――っ!」
 羞恥心が湧き起こり、顔は火が点いたかのように真っ赤になった。耳の先まで朱に染めて、耐えきれずに立ち上がった。
「あ、待てって。小夜、どこいくんだよ」
「おい、お前ら……やれやれ」
 好奇心に満ちた眼差しに背を向けて、小夜左文字は脱兎のごとく駆け出した。足音五月蠅く響かせて、縁側を一直線に駆け出した。
 太鼓鐘貞宗がそれに不満を示し、手を伸ばしたが届かない。どたばたと走って行った背中に舌打ちして、是が非でも捕まえてやると息巻いた。
 夕方になっても元気が良い短刀たちに、取り残された大倶利伽羅は頭を掻いた。どうしたものかと辺りを見回し、足形がくっきり残る小さめの布団を三つに折り畳んだ。
 部屋の中に置き去りにされた掛け布団に重ね、自分の分を肩に担ぎ、廊下へ出る。
 それと入れ替わりにやって来た酔っ払いの短刀が、屋敷を一周して戻った小夜左文字の布団の上で眠りこけていたのは、また別の話だ。

つがはねど映れば影を友として 鴛鴦棲みけりな山川の水
山家集 雑 958

2017/05/06 脱稿