きかずがおにて 又なのらせん

 鳴き声が騒がしかった。
 鳥であろう、それも雛の。甲高くて姦しい、耳障りで頭に響く叫び声だった。
 息切れを起こしもせず、ずっと鳴き続けている。気付いてから暫く経つのに止まなくて、小夜左文字は怪訝に眉を顰めた。
「どこかに、すがあるんですかねー?」
「かもしれない」
 瞳は宙を泳ぎ、彷徨った挙句に手前に戻された。飛んできた毬玉を胸元で受け止めて、彼は今剣の言葉に首肯した。
 乾いた地面には、毬が跳ねた痕がそこかしこに散らばっていた。元は色柄共に鮮やかだった球体も、子供たちの玩具にされて、すっかり泥だらけだった。
 本来は屋内で、女児が遊びに使うものだ。しかし生憎と、屋敷に居るのは粗野で粗暴な男子ばかりだった。
 乱藤四郎も、あれでなかなか性格が荒い。これを見つけて来たのは彼だが、真っ先に蹴って庭の池に沈めたのも、他ならぬ彼だった。
 以来、暇を持て余した子供たちが蹴ったり、投げたりして、原型はすっかり失われた。何度か修繕を繰り返しているので、見た目もかなりぼろぼろだった。
 そんな毬を手に持って、小夜左文字は空を仰いだ。
 鳥の声はまだ消えない。ぴぃぴぃと、まるで誰かを呼んでいるようだった。
 聞いていると、胸を締め付ける切なさに見舞われた。苦しさを覚えて下唇を噛んで、彼は誤魔化しに球体を投げようとした。
 しかし肝心の、投げ返す相手がいなくなっていた。
「今剣。どこへ」
「うーん、こっちですかねー?」
 他の者たちが遠征に出ている今、屋敷は人気が失われて静かだった。そんな中で際立って喧しい鳥の囀りに、遊戯に飽き始めていた子供が興味を持たないわけがなかった。
 断りもなく勝手に場を離れ、探索を開始した今剣にため息しか出ない。
 毬を高く掲げていた小夜左文字は肩を落とし、殴られたり、落とされたりと、苦労性の球体を地面に置いた。
 両手を空にして、汚れは濃紺の袈裟で拭く。行儀が悪いが構うことなく、彼は先行する烏天狗を追いかけた。
 屋敷の庭は広く、まるで迷路のようだった。
 内部も、大勢の刀剣が暮らせるようにと、部屋数はかなり多かった。
 何度か増改築が行われており、廊下を真っ直ぐ進んでいたら突き当りで何もない、という場所もいくつかあった。初めて来た時は軽く迷って、目的の部屋に辿り着けずに途方に暮れた。
 審神者に降ろされたばかりの夜、それで夕餉を食いっぱぐれた。
 ふと思い出して、小夜左文字は瓦屋根の邸宅を振り返った。
 突然現世に喚び出され、人の形を与えられた。簡単な説明は受けたが理解が及ばず、頭が混乱する中で、ひとりきりで放り出された。
 元々は人の手に握られて、振り回されるだけの刀剣の身。それが突然肉体を与えられて、上手く動けるわけがなかった。
 どうすれば良いか分からないのに放置されて、胸に抱き続けた苛立ちや怒りが一気に膨らんだ。本来向けるべきではない相手に憎しみをぶつけ、それで心を落ち着かせようとした。
 お陰で身体は自在に操れるようになった――八つ当たりされた方にしてみれば、迷惑極まり話ではあるけれど。
 そんな寝入り端を襲われた男は、見える範囲には居なかった。
 今の時間から考えるに、台所で、夕餉の支度をしているのだろう。
 料理をするのは好きだから、苦ではないと言っていた。皆が美味しいと言ってくれるなら作った甲斐があると、嬉しそうに笑っていた。
 それが小夜左文字には、どうしても理解出来なかった。
 どれだけ手間暇をかけたところで、食べるのは一瞬で終わってしまう。胃の中に入ってしまえばどれも同じで、不味いのも、旨いのも関係無い。
 それにあの男は、箸の使い方が異様に厳しかった。
 もし手掴みで食べようものなら、即座に叱責の声が飛んで来た。行儀が悪いと頭ごなしに怒鳴って、たとえ食事の途中であっても構う事なく、正しい持ち方の講釈を止めなかった。
 お蔭で元々苦手だったものが、余計苦手になってしまった。
 食事は、生き長らえる為のただの手段でしかない。空腹が癒され、腹が満たされるのであれば、猪の生肉だろうとなんだろうと、平気でかぶりつけた。
 山賊暮らしが長かった所為で、他の刀剣たちのように行儀良く振る舞えない。
 それがあの男には、腹立たしくてならないようだった。
 他人の事だ、放っておけばいい。
 目を瞑れば見えなくなるのだから、顔を背けていればいい。
 だというのに、しつこく構ってくる。昔のよしみで面倒を見ようとしているのなら、甚だ迷惑な話だった。
「みーっけ」
 ぼんやりしていたら、いつの間にか足が止まっていた。
 左手前方から響いた今剣の声ではっとして、彼は慌てて躑躅の枝を押し退けた。
 肉厚の葉を避け、馬酔木を踏まぬよう足を運ぶ。緑濃い一帯を抜けると背の高い木が見えて、今剣はその根本にしゃがみ込んでいた。
 膝を折り、そこに両手を置いて地面を覗き込んでいた。
「今剣?」
 ぴよぴよと、息苦しくなる悲鳴は前に比べると弱くなっていた。
 今にも力尽きてしまいそうな声色に、小夜左文字は渋い顔で半眼した。
「雛か」
「おちちゃったんですかね」
 近付けば、僅かに声が大きくなった。警戒心を抱き、怯える獣のそれだった。
 痛ましい叫びに、眉間の皺が自然と深まった。今剣が顔を上げるのに倣って視線を上向けるが、仰ぎ見た木は互い違いに枝を張り巡らせており、空の光を悉く遮っていた。
 これでは巣があるかどうかも、分からない。
 木漏れ日を額に受けて、小夜左文字は口を尖らせた。
 地面の上ではまだ産毛しか生えていない雛が、必死になって親を呼んでいた。
 つい最近、卵から孵ったばかりなのだろう。骨と皮だけで、これでは空を飛ぶなど無理な相談だった。
 それ以前に、この高さから落ちて生き延びている事が凄い。
 影も形も見えない巣を探して、小夜左文字は猫のように瞳を細めた。
「どうしましょう。このままじゃ、しんじゃいます」
 今剣は蹲ったまま手を伸ばし、弱りつつある雛を掬い上げた。傷つかぬよう大事に抱え持って、困り果てた顔で呟いた。
 あれほど頻りに鳴いていた雛は、今剣の体温に触れたからか、急激に大人しくなった。丸い眼は閉ざされて、開きっ放しの嘴からは小さな舌が覗いていた。
 餌を取りに行った親鳥を探して、足を踏み外してしまったのだろう。家に帰る術を持たない雛鳥を見下ろして、小夜左文字は両の拳を震わせた。
 屋敷に連れていったところで、鳥を育てた経験がある者はいない。
 そもそも此処に居るのは、審神者以外、全員が命を狩る為の道具だった付喪神だ。
 救えるわけがない。
 人を殺す目的で作り出された刀剣が、なにかを救おうとする事自体が間違いだ。
「小夜くん」
 黙り込んで動かない彼に助けを求め、今剣が心細げに名前を呼んだ。
 彼の手の中では、痩せ衰えた雛が、今にも死にそうな姿を晒していた。
 放っておいたら、死ぬ。
 屋敷に招き入れても、いずれ死ぬ。
 ならば彼らが選び得る選択肢は、ひとつしかなかった。
「巣に、帰そう」
 決意を込めて、囁く。
 それしか方法がなかった。儚い命を散らしそうなこの雛を救うには、親元へと届ける以外に道はなかった。
 巣に帰してやれば、親鳥が餌を持ってきてくれる。その温かな羽で震える子を抱きしめて、自力で飛べるようになるまで守ってくれるはずだ。
 この雛には、単独で生き延びる力が備わっていない。
 けれど雛の親は、命を刈り取られたわけでもなければ、帰る場所を失ったわけでもなかった。
 離れ離れになってしまったものを、元の状態に戻してやればいい。
 単純明快な理論だった。そうすればすべて上手く行くと、子供は無邪気に信じ込んだ。
 力強い小夜左文字の声に、泣きそうだった今剣もぱぁっ、と目を輝かせた。野苺のように甘そうな瞳をきらきらさせて、妙案だと深く頷いた。
「そうですね。それがいいです」
 勢いよく立ち上がって同意して、手の中のものを潰しかけて慌てて手を広げる。
 雛は相変わらずぐったりしていたが、ふたりの目には、少しばかり元気になったように映った。
「おかあさんのところに、かえしてあげますからね」
 家族と引き離されるのは、誰だって辛い。
 覚えがあるのか、今剣の声はいつになく優しかった。
 力なく身を横たえている雛を撫で、彼はおもむろに両腕を伸ばした。
「ぼくが、さきにいって、みてきます」
「頼む」
 雛をよろしくと頼み、今剣は天を仰いだ。雛が倒れていたのはこの木の根元だが、近くには同じように幹も立派な木が聳えており、巣がどこにあるかは、ここからでは分からなかった。
 当てずっぽうで登ってみて、別の木だったら大変だ。
 雛の体力は残りわずかなところまで来ており、地上と樹上の往復は、出来る限り減らしたかった。
 子供なりに考えて、小夜左文字は頷いた。おっかなびっくり雛を預かり、身軽さが自慢の烏天狗から数歩分、距離を取った。
 今剣は自由になった両手を握り締めると、力強く樹上を睨み、一本下駄で地面を蹴った。えいやっ、と気合いを入れて飛び上がり、身の丈よりも高い枝へと難なく着地を果たした。
「……すごい」
 小夜左文字では、ああはいかない。
 本当に天狗なのだと感心して、彼はひょいひょい、と枝の間を抜けて行く今剣に目を丸くした。
 彼の身のこなしなら、簡単に頂上まで登れてしまう。
 がさがさ揺れる葉の音を聞いて、小夜左文字は落ちて来た細い枝を慌てて避けた。
「どうだ、今剣」
「うーん、どこでしょう」
 はっきりとは見えないけれど、彼は次々に枝に乗り移り、鳥の巣を探しているようだった。
 絶え間なく響く音に耳を澄ませ、小夜左文字は殆ど動かなくなった雛に下唇を噛み締めた。
「はやく、しないと」
 今剣から渡された時より、ずっと冷たくなっている気がした。産毛だけの体躯はか細く震えて、時折痙攣を起こしてぴく、ぴくと大きく跳ねた。
 その都度大袈裟にびくついて、小夜左文字はなかなか掛からない呼び声に地団太を踏んだ。
「袈裟、邪魔だ」
 このままでは親元に送り届けてやる前に、雛が力尽きてしまう。少しでも時間を縮めるには、今剣が樹上から戻って来るのを待っていては駄目だ。
 小夜左文字は覚悟を決めると、雛を片手で抱えつつ、背負った笠を地面に落とした。
 緋色の紐を解き、裏返った笠の上に濃紺の袈裟を脱ぎ捨てる。黒の直綴姿になって、邪魔な裾は腰紐の内側に潜り込ませた。
 膝小僧を剥き出しにして、草履も脱いで素足になる。全ての準備が終わる頃、空高くから今剣の声が轟いた。
「小夜くん、あった。ありましたー」
「今から行く!」
 降ってきた言葉に即座に返し、小夜左文字は一旦袈裟の上に預けておいた雛を抱き上げた。
 白衣と直綴の間に隙間を作り、即席の雛の宿を用意する。落ちないよう、そして潰してしまわぬよう注意しながら小さな命を懐に収めて、彼は天に挑む面構えで樹上を睨んだ。
 今剣が何処にいるのか、交差する枝が邪魔で分からない。しかし行くしかなくて、彼はざらついた表皮に手を伸ばした。
 とはいえ、そう簡単な話ではない。なにせ最も低いところにある枝でさえ、小夜左文字の頭より上にあった。
 今剣ほど跳躍力がない彼は、他に頼るものがなにもない幹を、滑らないようによじ登るしかなかった。
「……くっ」
 案の定、上手く事は運ばなかった。
 胸元に雛を抱いているので、幹に抱きつくわけにはいかない。かと言ってへっぴり腰では上に行けず、重みに引かれて地面に逆戻りする一方だ。
 誰か――誰でもいい。
 その腕に抱き、或いは肩に担いで、ひとつ目の枝に運んではくれないか。
 何度も失敗を繰り返し、諦めずに挑むが難しい。そうしているうちに無意識に他人に縋ろうとしていた自分に気付いて、小夜左文字は奥歯を噛み締めた。
「僕ひとりで、やるんだ」
 頼れる者など、いやしない。
 復讐を遂げるのも、地べたに這い蹲りながら生き延びるのも。
 結局は、自分ひとりの力だ。
 深く息を吸い、小夜左文字は懸命に腕を伸ばした。
 枝の根元を掴んでしまえば勝ちだと、身体中の筋が引き千切れる覚悟で上を目指す。四肢がばらばらになるのも厭わず、爪先が木の幹に食い込むくらいに力を込める。
「んぐ、……っふ、があぁっ!」
 気合いを込めて雄叫びを上げ、指先が掠めた太い枝に爪を立てる。
 腕の力だけで身体を上へと運び、反対側の腕も伸ばす。しがみつき、絶対に離さないと息巻いて、小夜左文字は斜めに伸びる枝へと身を移した。
 たった五尺にも満たない高さによじ登るだけで、息が切れ、身体のあちこちがぎしぎしと嫌な音を立てた。
 関節が軋み、筋肉が悲鳴を上げた。噛み締めすぎた顎はカタカタ震え、酸素が足りないのか、耳鳴りが酷かった。
 しかしゆっくり休んで回復を待つ暇など、どこにもありはしなかった。
「はやく、いかないと」
 今剣が、木の上で心細さに震えている筈だ。懐に庇う鳥の雛は、もっと怖いに違いない。
 ここで怖気づくわけにはいかなかった。なるべく足元を見ないようにして、小夜左文字は果敢に次の枝を目指した。
 木登りなど、久しくしたことがなかった。
 最後の記憶は、いつになるだろう。まだ付喪神として現世に喚び出されるよりずっと前の、各地で戦乱が繰り返されていたあの時代まで、遡らなければいけないのではなかろうか。
「あの時は、柿だったけど」
 食い意地の張った以前の主は、それで命の危機に晒された。
 懐かしい記憶を巡らせて、小夜左文字はふっ、と頬を緩めた。そしてすぐに表情を引き締めて、次第に細くなっていく枝を器用に伝っていった。
 身体が小さく、軽い事を、今ほど感謝したことはない。
 悔しい思いばかりしてきた過去を振り払い、腕程の太さもない枝を掴んで上へ上る。地上では殆ど感じなかった風も、徐々に強く、冷たくなっていった。
「……いつっ」
 枝や葉も一カ所に密集して、彼の進路を塞いでいた。邪魔だからと押し退けようとすれば、嫌がった細い枝が大きく撓って跳ねた。
 ちりっとした痛みと熱を感じたが、構っていられない。頬の傷口を拭う余裕もなく、歯を食い縛り、小夜左文字は鼻から息を吸い込んだ。
 顔だけでなく腕にも、足にも、そこかしこに擦り傷が出来ていた。
 胸元の雛は、無事だろうか。気になったが覗き込む余裕はなく、ただ天に対して祈りを捧げ、彼は突如響いた轟音に驚いて首を竦めた。
「うっ」
 無数に分岐する枝が一斉に揺れ動き、緑の濁流が小夜左文字に襲いかかった。反射的に目を閉じ、身を丸くして、彼は風がもたらしたのではない振動に息を潜めた。
「小夜くん」
「今剣、巣はどこ」
 頼りない脆弱な枝を足場に、根本の半分もない幹にしがみつく。
 声が聞こえてほっとして、彼は恐る恐る、目を開いた。
 見えたのは、重さを感じさせない今剣の姿と、その背後に広がる雄大な景色だった。
 いつの間にか、屋根よりも遥かに高くまで来ていた。遮るものはなにもなく、彼方の山々まではっきりと見渡せた。
 薄い雲が広がって、穏やかに流れていた。雁の群れが水田の上を駆け、褪せた大地も実は色鮮やかだと教えられた。
 青々と茂る田畑は、場所によって色合いが違った。農夫が汗を流して鍬を操り、同祖神の祠はこんもりとした森の中に隠れていた。
 緋色の鳥居を眼下に見て、小夜左文字は息を呑んだ。
「すごい」
 目を奪われた。心を絡め取られ、意識を奪われた。
 雛の事も忘れ、食い入るように景色に見入る。身を乗り出して、重心が崩れかけて慌てて我に返って、木の幹へと縋りつく。
「あぶなかった」
 一瞬にして跳ね上がった鼓動に冷や汗を流して、小夜左文字は不思議そうにしている烏天狗に向き直った。
「だいじょうぶですか?」
 今剣にとって、こんな景色は見慣れたものなのだろう。
 暇な時間を見つけては、彼はよく屋根や木に登り、遠くばかりを眺めていた。
 前の主とは、山の上で出会ったという。
 だから懐かしいのだと、無邪気な彼は笑っていた。
 その笑顔がどこか寂しげで、辛そうに感じたのは勘違いだろうか。あの時聞けなかった疑問を、今日もまた胸にしまって、小夜左文字は心配そうな彼に小さく頷いた。
「巣は」
「こっちですよー」
 気を取り直し、本来の目的を思い出す。
 短く問えば彼は枝を移り、小夜左文字の隣に並んだ。
 荷重がかかり、枝が大きく傾いた。滑り落ちそうになって急ぎ幹を抱く力を強め、小夜左文字は指差された方角に顔を向けた。
「あった」
 目を凝らし、枝葉の隙間から窺い見る。言われなければ気付けない場所にそれは隠され、確かに存在していた。
 これでは今剣も、すぐには見つけ出せまい。
 雛が天敵に襲われないよう、親鳥が慎重に場所を選んで営巣した結果だ。命を育む事の難しさと、尊さを痛感して、小夜左文字は感嘆の息を漏らした。
 親鳥は不在らしく、姿は見えない。卵から孵ったのも胸元にいる一羽だけのようで、姦しい鳴き声は聞こえなかった。
「小夜くん、ことりさんは」
「ここにいる」
 問われ、彼は顎を引いて己の胸元を示した。
 なんとか無事に、辿り着けた。後は巣に近付いて、雛を戻してやるだけだった。
 まだ成し遂げたわけでもないのに、達成感を覚え、興奮で鼻息が荒くなった。頬を紅潮させて、少年は今剣に分かるように衿を広げた。
 白衣と直綴の隙間、腰紐より上に造り上げられた空間で、鳥の雛は小さく、丸くなっていた。
「任せていいか」
「せきにん、じゅうだいですね」
 今の小夜左文字は、己の身を支えるのに片腕が塞がっていた。
 あまり自由が利かない。だったらより身軽で、樹上での動きに慣れている今剣に任せてしまう方が、弱り切った雛の為でもあった。
 低い声で頼まれて、烏天狗は拳を作った。気合いを入れて唇を引き結んで、彼は恐々、小夜左文字の懐に手を伸ばした。
「そうっと。そうっと……」
 不安定な足場と、いつ吹くか分からない風。
 急ぎつつも、慎重に。今にも切れてしまいそうな命の糸を手繰り寄せて、今剣の表情は真剣だった。
 気を紛らわせるためか、瞬きも忘れた彼は頻りに同じ単語を繰り返した。小夜左文字も必要以上に緊張させられて、少しでも彼がやりやすいように、四肢の関節を固くした。
 指一本とて動かさない。息を殺し、彼は今剣の手が引き抜かれるのをじっと待った。
 狭い隙間に潜り込んだ白い手が、左右で重ねられて表へ出る。
 不意に体が軽くなった気がして、小夜左文字は後ろに倒れそうになった。
「うわっ」
「小夜くん!」
「もん、だい、ない。それより早く」
「わかりました」
 この高さから落ちたら、いくらなんでも無事では済まない。
 吸い寄せられるように近付いた地面に脂汗を流して、彼は脳裏をよぎった恐怖を振り払った。
 邪魔だからと脱ぎ捨てた袈裟や笠は、今や豆粒よりも小さくなっていた。
 ぼろぼろになって、真っ二つに砕け散る幻が脳裏を過ぎった。使い物にならなくなって、焼き直すのも難しいと捨てられた、嘆きの声が耳から離れない。
 それは自分ではない。
 引きずられそうになる他者の過去に抗って、彼は今剣に向かって首を振り、体勢を立て直した。
 大丈夫だと伝え、安心させると同時に役割を思い出させる。乱れた息を整えて、肩を上下させて半眼する。
 ぴりっと来る気配を感じたのは、その直後だった。
「これで、よし……ですね」
「今剣、逃げろ!」
「わあああっ」
 無事に雛を巣に届けた今剣目掛けて、反射的に腕を伸ばす。
 突き飛ばし、入れ替わりに彼が居た場所へ滑り込む。ザザザザ、と枝が擦れあい、折れる音が真下から響いて、そこに鋭い怒号と羽音が重なった。
「うっ」
 甲高い鳥の声が轟き、鋭い爪で左目の脇を削られた。躊躇なく急所を狙って攻撃されて、高く結い上げた髪の根本にも嘴が突き立てられた。
 咄嗟に片腕で顔を庇って、小夜左文字は初めて耳にする、嘶きにも似た鳴き声に眉を顰めた。
 顔を歪め、立て続けに繰り出される攻撃に耐える。左右から交互に鋭い嘴を向けられて、周囲には鼓膜を突き破るほどの絶叫がこだました。
 ばさっ、ばさっ、と風を打つ羽の音がうるさい。
 今剣の悲鳴は聞こえなかった。咄嗟の判断だったので、今は彼の無事を祈るしか出来なかった。
「やめろ。痛い。僕は、違う。お前たちの巣を、壊しに来たんじゃない」
 それよりも、自分の身を守る方が先決だった。
 襲って来た鳥は、全部で二羽。どちらも激しく怒り狂い、荒々しい雄叫びを上げていた。けたたましい声でぎゃあぎゃあと鳴き喚き、小夜左文字を襲い続けた。
 彼らは、まず間違いなくこの巣の主。
 自らの家と、卵を守ろうとする、雛の親に相違なかった。
「違う、僕は。やめてくれ。そうじゃない」
 彼らが何を言っているかは分からないし、言って聞かせたところで通じるとは思えない。
 それでも言葉を繰り返して、小夜左文字は無残に切り裂かれていく腕に歯を食い縛った。
 鳥たちの怒りは収まらない。
 あちらにしてみれば、小夜左文字は雛の命の恩人などではない。
 巣を荒らしに、卵を狙ってやって来た、無法者でしかないのだ。
 罪なき者を襲い、その財産や、命までをも奪い取る。
 汚らわしい山賊と、なにひとつ違わなかった。
 責められ、蔑まれ。
 虐げられ、罵られ。
 血の雨を浴びて、ただ立ち尽くす。
 いっそ砕かれてしまいたいと、何度願ったことだろう。
「やめろ。僕じゃない。僕の所為じゃ――いやだ、やめろ。やめてくれ!」
「小夜くん!」
 痛みが全身に広がって、目頭が熱くなった。
 鼻の奥がツンと来て、なにもかもが真っ白だった。
 今剣の叫びが聞こえた。
 不安定な足場で、いつまでも身を庇い続けられるわけなど、なかった。
 ふわり、身体が浮いた気がした。重力から切り離されて、あらゆる束縛から自由になった錯覚を抱いた。
 心が置き去りにされる。
 身体だけが沈んでいく。
 伸ばした手は、宙を泳いだ。掴むものなど何もなく、この手はなにも掴めなかった。
 空っぽだった。
 なにひとつ、この手に残りはしなかった。
「小夜!」
「――っ」
 刹那だった。
 凄まじい衝撃を背中に感じた。ズオォン、と激しい地響きが耳の奥に轟いて、身体中のあらゆる器官がひっくり返り、罅が入ったかのように激痛を発した。
 肺が圧迫され、息が出来なかった。燃えるような熱さは炉の中にあった鉄の時代を思い起こさせ、固く閉ざされた瞼の向こう、世界がどうなっているかはまるで分からなかった。
 四肢が引き攣り、動かせない。
 まるで別の誰かの身体に、魂だけ放り込まれた気分だった。
「う、……ぐ、っぁ」
 呻き、痙攣を起こす。直後に背中を押されて圧迫された肋骨が広がって、衝撃を受けた心臓が一気に収縮を開始した。
 全身に血が巡り、足りない酸素を欲して脳が強引に指令を下した。狭まっていた気道が無理矢理こじ開けられて、出口を探していた呼気が一斉に外を目指して駆けだした。
「……っか、う、……くはっ。げほ。かは、っが」
 吸い込まれた空気と、出て行こうとする空気とが正面からぶつかり合い、喉の奥で爆発が起こった。呼吸ひとつさえまともに扱えなくて、苦しいばかりの現実に、生理的な涙が目尻を伝った。
 鳥の声はまだ響いていた。遠くまでこだまして、騒がしい気配は要らぬ緊張感を地表にもたらした。
 近くに誰かが居る。
 否、誰かの腕の中に自分がいる。
 くどいくらいに背中を撫でる手が失われかけた心肺機能を回復させて、小夜左文字を現実世界に呼び戻し、引き留めた。
 樹上から落下する直前、耳を劈く怒号を聞いた。
 声の主に思いを巡らせ、彼は数回噎せた後、薄い瞼を僅かに開いた。
 光が見えた。
 眩しかった。
「小夜くん、だいじょうぶですか。いきてますか。いたいですか。こわくなかったですか」
 真っ先に、今剣の顔が見えた。その瞳は涙に濡れて、元々白い肌が一層青白く染まっていた。
 額にかすり傷が見て取れたが、大きな怪我はしていない。心配そうに人を覗き込んで、腕を掴んで頻りに揺さぶって来た。
 それが痛みを誘発して、小夜左文字は仰け反るように身悶えた。
「っう、ぁ……」
「今剣、気持ちは分かるが」
「ご、ごめんなさい。ごめんなさい。さよくん、いたかったですか。ごめんなさい。おねがいです、しなないで」
 海老反りになり、直後に丸くなって温かな熱に顔を伏す。同時に戒める声が聞こえて、今剣は慌てて手を離した。
 それで少し楽になって、小夜左文字は指先に触れた涅色の袴を握りしめた。
 引き寄せ、無意識に身体を起こそうと動く。けれどままならず、勝手が利かなかった。
「小夜。駄目だ。今は動かないで」
 身動ぎ、奥歯を噛み締める。うつ伏せになって猫の如く丸くなって、意識と肉体が乖離した状態に顎を軋ませる。
 静かな声は真上から降ってきて、とんとん、と背を叩く柔らかな振動が隅々にまで広がっていった。
 次第に弱まっていく苦痛に、小夜左文字は目尻の涙を袴へと擦り付けた。
 突っ伏し、顔を見せない。現実がじわり、じわりと忍び寄ってきて、消し飛んでいた記憶も一部が舞い戻って来た。
 雛を巣に戻した今剣に、親鳥が襲いかかろうとするのが見えた。
 咄嗟に身代わりになって、責め苦に耐えきれずに木から落ちた。
 だというのに、命はある。流石に五体満足とはいかなかったが、この結果は奇跡と言っても過言ではなかった。
 理由は、簡単だ。
「小夜」
 呼ぶ声に、もぞりと身を捩る。
 恐る恐る振り返った先では、藤色の髪の男が険しい表情をしていた。
 良く知った顔だった。
 眇められた眼と、眉間に寄った皺、引き絞られた唇。優しげな声色や手つきとは裏腹に、双眸の奥には底知れぬ怒りが溢れていた。
「君は、何を考えているんだ」
「か、せ……」
「君は愚かだ。鳥の巣に手を出すなど、親鳥が見過ごすとでも思っていたのか。あんな高い場所に登って、こうなると分からなかったわけではないだろう!」
 そんな彼が厳かに口を開いたかと思えば、堰を切ったかのように、言葉の奔流が小夜左文字を呑みこんだ。
 息継ぎを挟まず、一気に捲し立てられた。声はにわかに低くなり、耳にするだけで震えあがるほどの迫力が込められた。
 凄まじい怒りを至近距離からぶつけられて、反論など出来る筈がない。落下の衝撃が完全に抜けきらない中で、叩きつけられた激憤は彼の心を縛り付けた。
 二重になった恐怖に四肢をわなわなと震わせて、小夜左文字はひくりと喘ぎ、瞠目したまま凍り付いた。
「っあ、あ、ぁ……」
 何か言わなければと思うのに、喉は引き付けを起こし、言葉はひとつも出なかった。代わりに涙が目尻から溢れ出し、小ぶりの鼻がひくひくと震えた。
 唇からは血の気が失われ、歯の根が合わない奥歯がカタカタ音を立てた。飲みこむことすら出来ない唾液が喉の手前で溢れ、地上に在りながら溺れ死ぬ未来を覚悟させられた。
 文系を気取って飄々とした佇まいの歌仙兼定が、明王が如き形相で、小夜左文字をねめつけていた。
 動けなかった。
 なにも言い返せなかった。
 怖くて、恐ろしくて、今になって軽率な行動に出た過去の自分を悔やんだ。
 叱られて当然のことをした。
 悪いのは全て自分。責苦を受けるべきは、数多の命を狩ってきた罪深きこの刃。
 苦しかった。
 息が出来なかった。
 ひゅうひゅうと喉から空気が漏れ出でて、空っぽになって、干からびて死んでしまいそうだった。
「分かっているのか。下手を打てば死ぬところだったんだぞ。小夜、返事をしなさい。君は自分の命を、いったいなんだと思っているんだ!」
「ちがいます!」
 叱責が止まず、怒号が空を裂く。それを遮って、甲高い声が天を駆けた。
 一方的に小夜左文字を詰る歌仙兼定に飛びかかり、今剣がその首を締め上げた。真後ろから圧し掛かって、腕に抱く少年から彼を引き剥がそうと試みた。
 もっとも非力な短刀では、打刀相手でも苦戦を強いられる。
 それでも歯を食い縛って唸る今剣にはっとして、前のめりになっていた男は目を瞬いた。
 膝に寝かせた少年は息も絶え絶えで、その細い腕は縋るものを探して虚空を彷徨っていた。
 虚ろな眼差しが宙を漂い、やがて歌仙兼定へと定められた。雪のように白い肌はどこもかしこも赤く爛れ、打撲の痕や、切り傷が全身を覆っていた。
 痛ましい姿に、まるで今初めて気が付いたかのような顔をする。絶句して、歌仙兼定は動揺も露わに頬を引き攣らせた。
「小夜」
「ちがいます。ちがいますー。小夜くんは、とりさんを、すにかえしてあげてただけですー!」
 頭に血が上り、周りが見えなくなっていた。
 目の前の出来事に愕然とさせられて、状況が正しく読み取れていなかった。
 何度も瞬きを繰り返し、歌仙兼定は首を竦めた。今剣の拳が頭のてっぺんにめり込んで、ぽかぽかと殴る手はしばらく止まなかった。
 頭上の木では、相変わらず鳥が騒がしかった。
 地上と、天空と。
 どちらを信じるかと自らに問い質して、歌仙兼定はぼろぼろになっている少年の頬に掌を寄り添わせた。
 傷に障らぬよう包み込み、そっと撫でる。すると小夜左文字は安心したように目を閉じて、それまで乱れに乱れていた呼吸も落ち着きを取り戻した。
「……すまない、小夜。僕が早合点したようだ」
「そうです。小夜くんは、わるいことなんかしてません」
 反省の弁を述べれば、憤っていた今剣も拳を下ろした。偉そうに胸を張って、勘違いも甚だしい歌仙兼貞を責めた。
 もっとしっかり謝るよう目で訴えられて、苦笑を禁じ得ない。
 男は頭を垂れると、無自覚に追い詰めてしまった少年に目を眇めた。
「悪かった。許してくれないか、小夜」
 知らなかったとはいえ、酷いことを言ってしまった。
 正直に詫びて許しを請うた歌仙兼定に、長い間目を閉じていた少年はふるふる首を振った。
「……べつに、いい」
「小夜?」
「小夜くん?」
「いい」
 正直、頭の上でぎゃんぎゃん騒がれる方が迷惑だった。
 今は静かに、ゆっくり過ごしたい。まだあちこち痛くて、ちょっとでも動けば激痛に見舞われた。
 だから、もういいのだ。
 無愛想に言い捨てて、小夜左文字は袴の襞を握り潰した。
 その足元に、草履はなかった。白く綺麗な足袋は真っ黒に汚れて、騒ぎを聞きつけて慌てて飛び出して来たのだと、無言のうちに教えてくれた。
 話を聞きもせずに怒鳴ったのも、心配してくれたから。
 落下する小夜左文字を受け止めて、彼自身だって、無事では済まなかっただろうに。
 尻餅をつき、地面に蹲っているところからも、衝撃の凄まじさが窺えた。
 だというのにおくびにも出さず、人の心配ばかりして。
 どの口が、己の命の価値を語るのか。
 考えていたらおかしくなってきて、小夜左文字は存外にお節介な男に肩を竦めた。
「雛は、巣に」
「だいじょうぶです。ちゃんと、ぼくが、かえしておきました」
 小夜左文字に突き飛ばされる直前、雛はしっかり巣に戻しておいた。
 問いかけに力強く頷いて、今剣は胸の前で握り拳を作った。
 子供たちの話を聞きかじり、歌仙兼定は再度、上空に視線を投げた。
 先ほどまで荒々しく飛び回っていた鳥たちも、落ち着いたのか、姿が消えていた。恐らくは巣に帰り、卵を温める作業に戻ったのだろう。
 柳眉を寄せて、彼は作戦成功だと喜ぶ子供たちに半眼した。
「そう。雛を」
「はい。すから、おっこっちゃったみたいで」
 だから家に戻してやろうとして、彼らは頑張ったのだ。
 自分より弱いものを見つけて、これを守ろうとして。
 傷だらけになりながら、命を救った。
 己らの存在価値とは真逆の行為が、大人には眩しくて仕方がない。子供らしい無邪気さに目尻を下げて、歌仙兼定はゆっくり起き上がった。
 未だ立てない小夜左文字を腕に抱き、地面に転がる荷物は今剣に任せる。
「では、良いことをした君たちの為に、柿でも剥こうか」
「……ぅ、お」
「ほんとですか。やったー!」
 ご褒美だと囁けば、あまり感情が表に出ない小夜左文字も、今回ばかりは目を輝かせた。今剣などは手放しに喜んで、その場でぴょんぴょん飛び跳ねた。
 綺麗に形作られた菓子は高価でなかなか手が出ないが、果物ならある。特に甘い柿は子供たちも大好きで、切って出せば奪い合いが起きるほどだった。
 それがたっぷり味わえるとなれば、嬉しくない筈がない。
 嘘ではないかと目で問われ、歌仙兼定は微笑んだ。
「皆には、内緒だからね」
「はーい!」
 他の短刀の分はないから、これは三人だけの秘密。
 約束だと嘯いた彼に、小夜左文字も首をコクコク縦に振った。
 

 自然界とは調和がとれて美しいけれど、時として驚くほどに残酷で、無慈悲な顔を見せつけた。
 炊事場に立ち、気まぐれに鍋を掻き回す。上機嫌とは言えそうにない陰鬱な横顔に、土間の入り口に立った男は眉を顰めた。
「そんな顔で料理をしていちゃ、美味しいものも、美味しくなくなりそうだよね」
「おや、それは失礼」
 断りもせず敷居を跨ぎ、中へと入る。竈の中では赤々と火が燃え盛り、薪の爆ぜる音が離れていても聞こえて来た。
 話しかけられて、歌仙兼定は飄々と合いの手を返した。瞬時に顔色を入れ替えて、余所行きの仮面を被って感情を隠す。
 巧いものだと密かに感心して、燭台切光忠はそうと分からぬように肩を竦めた。
「そんなにひどい顔をしていたかな」
「まあ、ね」
 どうやら自覚がなかったらしい。聞かれて緩慢に相槌を打ち、彼は歌仙兼定の手元を覗き込んだ。
 鍋の中で、どろりとした液体が渦を巻いていた。傍には出た灰汁を入れる為の器があって、かなり長時間、煮込まれているのが見て取れた。
 辺りに獣の臭いが立ち込めているのは、彼が手ずから捌いた為だろう。珍しい事もあるものだと隻眼を細め、燭台切光忠は調子よく鍋を掻き回す男に小首を傾げた。
「それは?」
「煮凝りをね、作ろうかと思って」
「へえ?」
「丁度良い鳥が、偶然手に入ったんでね。ただ、あまり量がないから、子供たちには内緒だけれど」
「それはそれは。ご相伴に預かれると、嬉しい限りだね」
 朝餉は少し前に終わり、夕餉まではかなり時間がある。昼は基本的に食事をしないので、この時間、台所を使う者は少なかった。
 もっとも歌仙兼定は料理好きなので、暇を見つけてはこうして炊事場に立ち、なにかを拵えては皆に振る舞っていた。
 だから別段、ここで会うのはおかしな話ではない。
 けれど奇妙な違和感を抱かされて、燭台切光忠は眉を顰めた。
「そういえば、鳥と言えば……だけど」
「うん?」
「いや、ね。さっき、子供たちが、庭で騒いでいたような。なんでも、巣がなくなった、とか、なんだとか」
 傍を通った時に見かけただけなので、詳しくは分からない。ただ高い木を仰ぎながら、小夜左文字と今剣がおかしい、おかしいと、他の短刀も巻き込んで騒いでいた。
 歌仙兼定は顔を上げなかった。興味がないのか鍋だけを注視して、眉ひとつ動かさなかった。
 怪訝に見守っていたら、男は不意にクツリと笑った。
「この屋敷は、なにかと物騒だからね。余所へ移ったんじゃないかな」
 何かを知っているのか、言葉の端々から嘲りが覗いていた。もっともらしいことを口にしながら、それは決して真実でないと、鍋を射る冷徹な眼差しが告げていた。
 違和感を強め、隻眼の男は目を眇めた。歌仙兼定の腰を飾る打刀にも視線を投げて、昨日までとの違いに眼力を強めた。
「君って、刀装は、軽騎兵じゃなかったっけ?」
「ん? ああ、変えたのさ。本当は弓が欲しかったんだけど、仕方がないよね」
 小金に輝く投石兵の刀装を指差し、燭台切光忠が問う。
 歌仙兼定はなんでもないことのように言って、匙を置き、鍋を火から外した。
 そして粗熱を取る間にと、水甕の蓋を外し、柄杓で酒杯に水を注いだ。
 掌にすっぽり収まる猪口を満たし、開けっ放しの勝手口から裏へと出る。どこへ行くのかと興味を惹かれ、燭台切光忠はその後ろを追いかけた。
 寸胴の鍋を一瞥し、そう広くない裏庭へ足を進める。
 幅広の背中はすぐ見つかった。何をするのかと思えば、彼は掘り返したばかりと分かる色の濃い地面に向けて、運んできた水を注いでいた。
 苗を植えるにしては、場所が場所だ。
 眉を顰めていたら、人も滅多に立ち寄らない暗がりで、男は自嘲気味に笑った。
「一度巣から落ちた鳥は、二度と戻れやしないのさ」
「……歌仙殿?」
「見つけた時にはもう、冷たくなっていた」
 ひとり、勝手に語り出す。
 意味が分からず、燭台切光忠は胡乱げな眼差しを彼の足元に投げた。
 大振りの石を標として、小さな塚が出来ていた。傍には手向けだろうか、白い野菊が一輪、添えられていた。
 他者の匂いを漂わせた雛を、事情がどうであれ、親鳥は許さない。
 自然界の掟は苛烈で、容赦なかった。
「……成る程。恐いお人だ」
 理解して、燭台切光忠が呟く。
「お褒めいただき、至極恐悦」
 喉を鳴らして静かに笑い、歌仙兼定は自慢の刀をそっと撫でた。 

2015/02/21 脱稿