若苗

 日向が居ない。それに真っ先に気付くのは、いつも影山だった。
「どうせトイレじゃね?」
「またか……」
 毎度恒例となりつつある彼の放浪癖に、先輩方は既に諦め顔だった。上級生は揃って肩を竦めて苦笑して、澤村などは頭が痛いとこめかみに指を添えていた。
 その隣で菅原が呵々と笑い、新米コーチは顰め面をより険しくした。顧問の武田も肩を竦め、時間を気にして袖を捲った。
 部員達とは異なる白色のジャージをたくし上げ、落ち着きなく左右を見回しもする。前方では幅広のネットが背筋を伸ばしており、ボールの跳ねる音がひっきりなしに響いていた。
 ネットを挟んだ向こう側にいるのは、本日の練習試合の相手だった。
 選手層はそう厚くなさそうだが、平均身長はあちらの方が僅かに上だ。さほど強くないチームであるけれど、間違っても凄く弱くはなかった。
 油断しなければ勝てないことはないチームだが、現状の烏野高校排球部は連携に若干の不安があった。攻撃力は一級品だが、反面守備が弱い面も気にかかる。そこを徹底的に突いて来られると、或いは、という可能性は否定出来なかった。
 気を抜くわけにはいかない相手だ。だというのに、チーム内からは緊張感が失われていく。雰囲気の変化を敏感に受け止めて、影山は深く肩を落とした。
「俺、探してきます」
「すまん。頼む」
 行き先はどうせ限られている。それに今回はバスに乗って遠征ではなく、相手チームが烏野高校に出向いてくれた。ホームグラウンドで探し回れる分、幾らか気が楽だった。
 仕方なく言った彼に、澤村が代表して手を合わせた。小さく頭を下げて任されて、影山は首肯すると同時に身体を反転させた。
 第二体育館からこっそり姿を消したのは、烏野高校排球部一年の日向翔陽だ。
 ポジションは、ミドルブロッカー。しかし彼の身長は、僅か百六十二センチしかなかった。
 上背があればあるほど有利な競技において、通常ならその背丈はリベロへの転向を促すか、競技人生を諦めるよう説得する材料になり得た。しかし彼は当初ウィングスパイカーを希望し、周囲の後押しもあって現在のポジションに落ち着いていた。
 それには勿論、ちゃんとした理由があった。
 部内で一番経験値が低く、ド素人も良いところの下手さではあるが、彼には並々ならぬ跳躍力があった。身長百八十八センチの月島の頭上を抜くジャンプ力、そしてブロックを振り切る素早さは、上手く使えば非常に協力な武器になった。
 逆転の発想だ。いくら高く厚い壁が道を阻もうとも、ブロックの完成には僅かながら時間が必要だ。これが最大限の防御力を発揮する前に、ボールを打ち抜いてしまえばいい。
 たとえスパイクを叩き返すパワーがなかろうとも、ワンタッチで勢いを殺せればその後のフォローも遣り易い。ひと際低い壁であろうとも、使い道はいくらでもあった。
 こういった起用が出来るのも、すべて日向の驚異的な俊敏さのお陰だった。そして並々ならぬ彼の熱意と、真っ直ぐで前向きな姿勢があったからこそだった。
 固定観念に囚われていた影山や、チームの皆の度肝を抜いた彼の諦めの悪さは金メダル級だ。気が付けば振り回されていて、目が離せなくなっていた。
 彼のあの自由さは、停滞気味のバレーボール界に風穴を開けるかもしれない。日向と一緒にいると、今までと違った世界が見えて面白かった。
 このワクワク感は、バレーボールを始めたばかりの時の感覚に似ていた。
「……ったく」
 だのに試合開始直前に水を差され、気分が削がれた。小さく舌打ちして、影山は渡り廊下へ足を踏み出した。
 トタン屋根の通路を足早に進み、校舎の中へさっと潜り込む。休日というだけあって、中は静かだった。
 音楽室で吹奏楽部が練習し、グラウンドではサッカー部と陸上部が場所を分け合いながら走り回っていた。威勢の良い掛け声は第一体育館からも聞こえてきたが、校舎内は笑えるくらいにひっそりしていた。
 人の気配が少ないからか、空気が沈殿していた。窓から射す光を浴びて、埃がきらきら眩しかった。
 平日とはまるで違う光景に目を細め、影山は真っ直ぐ伸びる廊下を突き進んだ。
 体育館から最も近いトイレは、どこだったか。思い出そうと頭を捻るまでもなく、目的地はあっさり目の前に現れた。
 男子用と女子用、二つ並んだ扉は当然壁で区切られて、相互で出入り出来ない構造になっていた。
 もし間違えて女子の方に入ろうものなら、周囲からどんな非難を受けるか分かったものではない。もっとも影山は、そういった特殊な性癖を持ち合わせていなかった。
 スリルを感じたければ、試合に挑めばいい。ちょっとしたミスが勝敗を左右する真剣勝負以上にゾクゾクするものを、彼は他に知らない。
 それが、日向の所為で少し先延ばしになってしまった。早く見つけて回収しようと心に決めて、彼は男子用トイレのドアを押した。
「ひなた?」
 タイル張りの床を踏みしめ、中に向かって呼びかける。しかし返事はなく、当てが外れた影山は首を傾げた。
 半開きのドアを支えながら眉を顰めて、彼は天井に視線を移した。蛍光灯は煌々と明るく、そう広くない内部を照らしていた。
 扉の横には洗面台が二台並び、身だしなみをチェックする鏡が壁に据え付けられていた。小便器は全部で三つで、個室はふたつあった。
 うち、片方のドアは閉まっていた。
 向かって左側、入口に近い方が現在使用中だ。換気扇は回っており、磨りガラスの上で低い音を立てていた。
「日向」
「……うぐ」
 中を一通り見回して、影山は一歩前に出た。腕を戻して脇に垂らせば、支えを失った扉が自動的に閉まった。
 二度目の呼びかけに観念したのだろうか。覚えの呻き声に彼は肩を竦めた。
「お前、いい加減、その癖なんとかしろよ」
「お、おれだって、好きでなってるわけじゃないやい!」
 閉まっているドアに向かって言えば、内側から大声が響いた。
 それまで息を殺して黙り込んでいたのが嘘のような元気の良さだが、直後に「イテテ」という呟きも聞こえた。どうやら腹痛は本物らしくて、影山はどうしたものかと嘆息した。
 このままだと練習試合が始まってしまう。間に合わないのも、コートに出られないのも、日向にとって本意ではないはずだ。
 かといって、気合いで乗り越えられるものでもない。食あたりを起こした回数は少ないながらもゼロではなくて、古い記憶を辿った影山は緩く首を振った。
 考えていたら自分まで腹を下しそうだ。妙な習慣が伝染るのだけは御免だと頭を切り替え、彼は練習着の上から腹筋を撫でた。
「早くしねーと、始まんぞ」
「うえぇぇぇ」
「ま、しゃーねーか。お前はそこでゆっくりしてろ」
 とにかく、自分まで開始に間に合わないのは不味い。セッターは三年生の菅原もいるけれど、彼に出番を譲るのは嫌だった。
 公式戦でも練習試合でも、とにかく全ての試合で、主導権を握るのは自分でありたかった。傲慢で貪欲な願いがむくりと首を擡げて、影山を飲み込んだ。
 たとえ菅原が副部長であり、先輩だとしても、セッターというポジション上ではライバルだ。負けたくない気持ちは、誰よりも強かった。
 日向を待つか、体育館に戻るか。二者択一の結果は決まりきっていた。
 居場所を探るというだけでも、役目は果たした。チームに断りなく勝手に席を外した罰はベンチで受けてもらう事にして、影山は日向を置いて戻る準備に入った。
「ま、待って。いく。出るから!」
 それを慌てて引き留めて、日向がドアの向こうで怒鳴った。
 がたごとと音がしたのは、身支度を整えているからか。内側から蹴られた扉が大きく揺れて、影山はつい肩を跳ね上げ身構えた。
 警戒して息を止め、顔を庇った両腕をゆっくり下ろす。だが前方の光景にはこれといって変化がなくて、彼は怪訝に眉を寄せた。
 首を右に倒して暫く待っていたら、蚊の鳴くような、今にも消え入りそうなボーイソプラノが耳朶を打った。
「どうしよう。影山、おれ、もうダメかも……」
「は?」
 酷く弱々しい、泣きそうな声だった。まさか元気印の日向がこんな風に喋るとは思っておらず、影山は一瞬聞き間違いを疑って目を見開いた。
 きょとんとして、沈黙する扉を見つめる。だが待っていても鍵は開かず、中から人が出てくる事もなかった。
 正直言えば、個室が使用中のトイレに長居したくなかった。けれどあまりの出来事に絶句していたら、返事がないのを訝しんだ日向がもう一度、震える声で訴えた。
「影山、お願い。たすけて」
「ちょ、お前……どうしたってんだよ」
 日頃から勝気で強気な男の豹変ぶりに、影山はただ驚くばかりだった。慌てて声を荒らげ、あの狭い空間で何が起きているのか問いかける。
 しかし返事はなかなか得られず、嫌な予感が頭の中を駆け巡った。
 緊張のあまり腹痛を覚えた日向が、トイレから出てこない。そんなに痛みが酷いのかと慌てふためき、影山は右往左往して視線を彷徨わせた。
 武田を呼んでくるべきか。それより先に救急車か。携帯電話など持って来ていないから、職員室へ走る方がきっと早い。
 赤いランプが明滅する光景に青くなり、影山は覚悟を決めてドアを叩いた。
 練習試合前だというのも忘れ、思い切り拳を打ち付ける。衝撃は内側にも伝わって、衣擦れと息を呑む音が聞こえて来た。
 痛みを堪える呻き声はなくて、その点だけが救いだった。
「おい、日向。返事しろ」
 答えられないくらいに辛いのかと懸念して、尚も薄い板越しに呼び掛ける。鍵を壊すのは最終手段と腹を括って、彼は開かないドアをガタガタ揺らした。
 無理矢理こじ開けようとしているのを察したのか、それまで沈黙を保っていた日向は焦って声を高くした。
「や。あの、影山さん」
「なんだ!」
「……紙、ください」
「はあ?」
 なんだか勘違いされている。そこにようやく思い至り、少年は非常に申し訳なさそうに呟いた。
 外で怒鳴った青年は直後目を点にし、ドアに手を掛けたまま凍り付いた。
 紙。
 トイレの紙。
 つまり、トイレットペーパー。
 あの真っ白いロール紙がポコリと頭の中に落ちてきて、影山は暫く動けなかった。
「ごめん」
 彼が絶句しているのを察知して、日向は首を竦めて丸くなった。
 だがなにも、自分ひとりが悪いわけではない。一番の戦犯は、減っている紙を補充し忘れた掃除当番だ。
 まさか飛び込んだトイレの個室の紙が、タイミングよく切れているとは誰も思わないだろう。勿論日向自身も、予想だにしなかった。
 影山が探しに来たのには吃驚させられた。だが今は、紙の、もとい神の思し召しとしか思えなかった。
 天の采配に感謝して、早くロール紙をよこせと影山を急かす。けれど返答は得られず、気まずい空気が流れた。
 直後だった。
「ふざけんなボゲェ!」
「ぎゃー!」
 ドガンッ! と先ほどとは比べものにならないレベルでドアが殴られ、日向は反射的に頭を抱え込んだ。
 洋式トイレの上で小さくなり、恐怖に耐えて影山の荒い呼気を数える。腕の隙間から前を窺うけれど、見えるのは無機質な扉ばかりだった。
 誰が書いたか分からない下手な落書きにため息をぶつけ、彼は恐る恐る腕を下ろして反応を待った。
 息を殺し、壁の向こうに意識を集中させる。だが動くものの気配はなく、不気味なほど静かだった。
 もしや呆れ果て、出て行ってしまったのだろうか。ドアの開閉音は聞こえなかったが、その可能性は否定出来なかった。
 だとすれば、最悪だ。自由の利かない両足を宙に蹴り上げ、彼は恐々外に呼びかけた。
「……かげやまさーん?」
「くっそ。心配して損した」
「かげやま?」
 聞こえたのは現実か、幻想か。反射的に問いかけを重ねていた日向は、二秒経ってから我に返って顔を赤くした。
 空耳を疑って、頭の中で即座に否定する。むず痒いものが腹の奥から迫り上がって来て、彼はぺちりと頬を叩いた。
 今は照れている場合ではない。湧き起こる感情に必死で蓋をして、扉の外の物音に意識を切り替える。
 耳を澄ませば、何かが動いている音がした。
 その直後だった。
「投げんぞ」
「お、おう」
 ぶっきらぼうなひと言が聞こえ、日向は慌てて頷いた。
 向こうには見えていないというのに大袈裟な動きで首を振り、便器の上で背筋を伸ばす。そのまま仰け反るように天を見れば、影山の言葉通り、狭い隙間を縫って太いロール紙が落ちてきた。
「どわ、っとと、と」
 勢いに乗ったトイレットペーパーは一直線に床を目指し、日向の手をすり抜けようとした。空中でキャッチを試みたがタイミングを誤り、指先に弾かれたそれはぽーんと跳ね、明後日の方角へと進路を変更した。
 あと少しで床に激突、というところで蹴り上げて、高さを回復させたところでようやく両側から挟み込む。何とか掴み取れたのにホッとして、日向は噴き出た汗を拭った。
 運動神経の良さを、こんなところで発揮してしまった。まったくもって無駄でしかない妙技にひとり照れて、日向は真新しいロール紙に相好を崩した。
「さっさとしろよ」
「わかってるよー」
 薄い紙に覆われた新品ににんまりしていたら、外から声がかかった。
 タイミング良く茶々を入れてきた相手に悪態をついて、急ぎ包装紙を剥いだトイレットペーパーをホルダーにセットする。手つきは焦りで危うかったが、どうにか事なきを得た。
 水を流して身支度を整え、人心地ついたところで扉を開けて外に出れば、影山の姿はもうそこになかった。
「あっれ」
 きょろきょろ左右を見回してから肩を落とし、日向は流水に手を浸してトイレを出た。濡れた指先から雫が垂れるのも構わず、水滴を点々と散らしながら前を行く背中を追いかける。
 小走りに進んでいたら、追い付く直前に影山の方から振り返って来た。
「ちゃんと手ぇ、洗ったんだろうな」
「もっちのロン」
「そりゃ濡らしただけだろ」
 開口一番訊かれて、日向は両手を差し出した。湿った掌を見せられた方は渋い顔をして、舌打ちと共に素っ気なく告げた。
 率直な感想に、日向は眉目を顰めた。いけなかっただろうかと自問して、濡れた手をしばらくじっと見つめる。最終的に着ているシャツに擦りつけた彼を眺め、影山は深いため息を吐いた。
「腹痛ェのは?」
「ほえ?」
 黒髪を掻き上げつつ問うた彼に、日向はきょとんとなった。何の話かすぐに理解出来なくて、不思議そうに影山を見つめ返す。
 曇りなき眼差しを浴びて、青年は嘆息を積み重ねた。
「別に。もういい」
「えー……って、ああ。腹ならもう平気みたい」
「みたいって、お前な」
「だってなんか、それどころじゃなかったし」
 冷たく言い放って会話を切り上げようとしたところで、ようやく合点のいった日向が声を高くした。しかし曖昧すぎる返事に影山は眉間の皺を深め、白いTシャツの上から腹を撫でるチームメイトに首を振った。
 彼と話をしていると、何故だか無性に疲れた。異星人と言葉を交わしている気分にさせられて、日本語の難しさを痛感させられた。
 試合の前から疲労感たっぷりの横顔を見上げ、日向は緊張から解放してくれた相手に目尻を下げた。
「あんがと」
「あ?」
「心配してくれたんだろ?」
 トイレまでわざわざ出向いて来たのも、その気持ちがあったからだろう。
 半乾きの手を背に回して結び、腰を曲げて低い位置から影山を覗き込む。だが彼は呆気に取られた風に目を丸くして、ぽかんと口を開いていた。
 予想していた反応と、少し違う。てっきり照れるか、否定に走るかのどちらか、或いはその両方だと思っていたのに。
 絶句されて、日向も唖然となった。
「あれ?」
 もしや違うのか。
 読みが外れ、急に恥ずかしくなった。自意識過剰な発言を後悔して赤くなり、日向は押し寄せて来た熱に火を噴いた。
「ひなた?」
「や、違う。今のなし。ナシ!」
 相手はなんとも感じていなかったのに、ひとり勝手に思い違いをしていた。バカみたいに喜んで、嬉しがっていた自分が恥ずかしくてならなず、彼は声を荒らげると急ぎ影山に背を向けた。
 左手で顔面を覆い隠し、右手は振り回してチームメイトを牽制する。近づくな、見るなと仕草で訴えて距離を取ろうとした彼に、影山は怪訝な顔をしてから肩を落とした。
「ボケ。心配して当然だろ」
「――え?」
「テメーひとりの身体じゃねーんだ。もちっとしっかりしやがれ」
「……影山、お前」
 言いながら、頭を軽く叩かれた。緩く握った拳を引っ込めつつ告げられて、日向は大きな目を何度も瞬きさせた。
 見上げた先の青年は頬を仄かに色付かせ、唇をきゅっと引き結んでいた。様子を窺って投げられた眼差しは、視線が交錯する直前にさっと逃げて行った。
 日向は左手を上に滑らせた。今しがた彼が触れた場所を撫で、軽い力で髪を押さえつける。
 そしてスササササ、と素早い動きで廊下を走った――影山とは逆方向へ。
「なんで離れんだ、テメエ!」
 瞬間、影山は校舎中に響く大声で怒鳴った。
 窓ガラスがびりびり震え、鼓膜が破れそうになった日向は咄嗟に耳を塞いだ。首を竦めて膝も折り、中腰になって身体を縮めこませる。
 対する影山は握り拳を震わせて、怒り心頭の形相で奥歯を噛み締めていた。
 鼻高の天狗よりも赤黒い顔色をして、全身からは湯気が噴き出ていた。怒りと羞恥とが激しく入り乱れる様相に日向は息を呑み、僅かに間をおいて苦笑した。
「いや、だってさあ」
 影山の発言に他意があったとは思わない。彼は純粋に、日向はチームの大事な戦力だから、と言いたかっただけだ。
 けれど矢張り、ああいう台詞を真顔で言われると、引く。
 鳥肌立った腕を撫でて言葉を濁した日向を睨み、影山もばつが悪い顔をして盛大に舌打ちした。
 何もない空を蹴り飛ばし、両手はハーフパンツの中へ。大きな動きで反転した彼を眺め、日向は堪え切れずに噴き出した。
 ぶっ、という笑い声は彼の耳にもちゃんと届いたことだろう。しかし影山は無視を決め込み、耳まで赤く染めて声を張り上げた。
「いーから、いくぞ」
「あははは」
「試合始まってたら、テメーの所為だかんな」
「え、やだ。おれだって試合出たい。困る」
「だったら急げ」
 体育館までは残りわずかだけれど、ドアが閉まっているのでボールの音や掛け声は聞こえてこなかった。それが余計に不安を誘って、日向は影山に急かされて足踏みした。
 ふたり揃って駆け出して、横並びになったところでちらりと相手を窺う。ほぼ同じタイミングで視線を向けて、ぱっと逸らした後は何故か競争になっていた。
「ぜってー負けねえ」
「当たり前だ」
「試合にも、影山にも負けねえ!」
「それはこっちの台詞だ!」
 腹から声を出し、吼える。同じチームで、一緒にボールを追いかける仲間だというのにライバル心を剥き出しにして、ふたりは一斉に段差を飛び越えた。
 閉まっていた扉を各々横に押し開き、ほぼ同時に第二体育館の中に駆け込めば、待ち構えていた菅原が吃驚して目を丸くした。
 息せき切らして現れた一年生に、面倒見の良い副部長は何度か瞬きを繰り返した。そして数秒の間を置いて、堪らないといった風情で噴き出した。
 腹を抱えて笑われて、日向も影山も、意味が分からず首を傾げた。
「お前ら、ほんっと仲良いな」
 囁かれたのは、そんなひと言で。
 途端に彼らは真っ赤になり、
「「ちがいます!」」
 声を揃え、同時に叫んだ。

2014/3/4 脱稿