深縹

 大勢が一堂に集まり、わいわいと賑わう空間を抜け出すのは、思いの外大変だった。
「ひ~……」
 立ち上がれば誰かに話しかけられ、歩き出そうものなら後ろからシャツを引っ張られた。どこへ行くのかと強めの語気で問いかけられて、愛想笑いで誤魔化すのにも限界があった。
 トイレ、と言い張ってなんとか解放されて、通路に出たところで安堵の息を吐く。胸を撫でつつ振り返れば、血気盛んに息巻いている集団が見えた。
 現在、森然高校の柔道場は簡易の宿泊所と化していた。薄い布団が隙間なく敷き詰められて、そこに個々人の荷物や、身の丈百八十センチを軽く超える生徒がぎゅうぎゅうに押し込められていた。
 ただでさえ男子排球部の合同合宿はむさ苦しく、暑苦しいばかりなのに、夜になってもその熱気は衰えない。先ほどまで自分も居た喧騒の中心を見つめて、日向翔陽は気の抜けた笑みを浮かべた。
 朝から晩まで一心不乱にボールを追いかけて、ペナルティで走り回り、ひたすら汗を流し続ける。三度の食事と風呂、そして睡眠だけが、数少ない心の拠り所だった。
 初日から音をあげていたメンバーも、数日すればこの環境に慣れた。居残っての自主練習など論外だ、と言い張っていた月島も、気が付けば変にやる気を出していた。
 負けていられない。心の奥深くに宿る炎を滾らせて、烏野高校の一年生は握り拳を震わせた。
 そしてすぐに指を解き、早足で通路を歩き始めた。
 柔道場は依然騒がしく、何かを言い争う声も聞こえて来た。もっとも取っ組み合いの喧嘩をしているわけでなければ、醜い領地争いが起きているわけでもない。
 各校ひとりずつ代表者を立てて、カードゲームに勤しんでいるだけだ。
 最初は、地域による微妙なルールの違いを説明し合っていただけだった。それから実際にやってみよう、という話になり、一部のメンバーがヒートアップして喧々囂々の騒ぎと化した。
 烏野高校の代表は、少し前まで日向だった。
 さほど強くもないのに囃し立てられ、祭り上げられてしまった。最も知略に優れる月島は早々に布団に包まってしまい、ゲーム自体知らなかった影山は論外も良いところ。三年生は面倒臭がって、なし崩し的に代表者に担ぎ上げられてしまった。
 それからやっと解放されて、安堵で胸がいっぱいだった。
 バレーボールで負けるのは嫌だが、トランプで負けるのは別段構わない。いや、やるからには勿論勝利を狙うけれど、五回連続で最下位という状況では、己の才能の無さを認めるしかなかった。
 後は山口に任せ、急ぎ足でトイレへと向かう。だが用を済ませるのに五分も要らず、戻ればまた巻き込まれるのは明白だった。
 となれば、どこかに寄り道をして時間を潰すより他にない。けれどここは他校、そして今は闇深い夜。近所に買い食いが出来る店があるかどうかさえ、日向には分からなかった。
 更にこの学校は緑深い閑静な場所にあり、体育館脇は雑木林だった。地理に疎く方向感覚に乏しい人間がこっそり抜け出したとして、無事戻ってこられる保証は皆無に等しかった。
 一方の校舎側はどうなっているかというと、そちらには女子マネージャーが教室をひとつ借りて宿泊していた。引率の教員やコーチたちもあちらなので、男子部員の夜間の立ち入りは基本的に禁止だった。
 そんなわけで、まったくもって身動きが取れない。今から体育館に行こうにも鍵がかけられているし、ひとりで出来る練習も限られていた。それにただでさえ合宿中はオーバーワーク気味なのだから、これ以上の自主練習は身体を潰す危険があった。
「うぬぅ~~」
 にっちもさっちもいかなくて、日向は唇を噛んで呻き声をあげた。もだもだと廊下の真ん中で地団太を踏んで、見え始めたトイレの標識にがっくり肩を落とす。
 ため息が自然と零れ落ちて、彼は薄茶色の髪をくしゃりと掻き上げた。
「おれも、寝よっかな」
 身体は疲れているのに、目が冴えてどうしようもなかった。きっとカードゲームに興じている皆も、気持ちは同じだろう。
 眠りたいのに、寝てしまうのが勿体ないと感じていた。毎日がバレーボール一色で、それだけを考えていられるのがとてつもなく幸せだった。
 今日一日の練習内容を振り返り、反省点を吟味して、修正し、改善していく。実戦形式の対戦を重ねることで、単純にボールを追いかけるだけの練習では気付けない欠点が洗い出せた。
 全てが新鮮で、失敗もまた喜びだった。強い相手に何度となく挑戦するなど、雪ヶ丘や烏野に閉じこもっていては絶対に出来ない体験だった。
 来てよかった。
 来られてよかった。
 烏野高校を選んだのは間違いでなかったと、心の底から思えた。
 気が付けばまた利き手を握りしめていた。熱を持ってほんのり汗ばんだ肌に苦笑して、日向は当初の目的通り、トイレに行こうと足を速めた。
「んん?」
 しかしその直後、視界の端に見えた影に意識を掠め取られた。
 調子よく動かしていた足を両方堰き止めて、首を少しだけ右に倒す。浅い皺を眉間に寄せて、日向は二秒後、進路を変更した。
 トイレの前を素通りし、冷えた廊下をスリッパで進む。明るいのは建物の中心部、つまり合宿中の男子部員らが集まる近辺だけだった。
 廊下を真っ直ぐ進めば、大量の靴が並ぶ玄関に出た。形式上は学校別に分けられてはいるものの、ルールが守られているとは言い難い空間は、ほんのり饐えた臭いがした。
 その酸っぱい香りに渋面を作り、日向は先ほど目にしたものを探して視線を右に走らせた。
「研磨」
「……ん」
 名前を呼べば、生返事がひとつ。玄関の片隅の、今は空っぽの棚の隣に埋もれる形で座っていたのは、毛先だけが金色の少年だった。
 頭の天辺は地毛であろう黒色が幅を利かせており、まるでプリンのようだ。けれど本人はあまり気にする様子がなく、人目を引く髪型に手を加えるつもりもなさそうだった。
 寝床として用意されている部屋から遠いというのもあり、この辺りは人の気配がほとんどなかった。
 時間も時間なので、外に出る生徒もいない。だからなのか、玄関の電気は半分消されていた。
 そんな薄暗い、決して居心地がいいとは言えない場所に、研磨はひとりで蹲っていた。
 日向が近づいて来ているのには、早い段階で気付いていたのだろう。呼びかけられても彼は驚かず、顔を上げすらせず、ただ黙々と親指を動かし続けた。
 手の中にあるのは、持ち運びが容易な携帯型ゲーム機だった。
 横に広い形状だが、蓋を開けるとほぼ正方形になるそれは、上下に画面が分かれ、専用のペンで操作も可能なタイプだった。但し研磨の手にそのペンは見えず、ボタンだけで動かしているようだった。
 壁に背中を預け、猫背気味に画面を覗き込んで微動だにしない。三角に曲げた膝の角度は急峻で、ゲーム機自体を人の目から隠していた。
 そんなに画面に顔を近づけていたら、視力は悪くなる一方だ。だというのに改める気配のない彼に苦笑して、日向は一歩、研磨へと近づいた。
「ゲーム?」
「……うん」
「どんな?」
「んー……」
 問いかければ、一応返事があった。しかし口は閉ざされたままで、言葉を発する事さえ面倒臭がっているのが見え見えだった。
 彼と初めて会ったのは、今年の五月。日向が烏野高校に入って初めての合宿の時だ。
 早朝練習のランニングで迷子になり、当て所なく彷徨っていたところに遭遇したのが、彼だった。真っ赤なジャージに興味を惹かれ、気が付けば話しかけていた。
 今のこの状況は、なんだかあの時に似ている。それほど前でもないのに懐かしい出来事を思い返して、日向は頬を緩めて笑った。
「翔陽?」
 それが気になったらしい。ずっと俯いていた研磨が初めて顔を上げた。
 長めの前髪の隙間から、ネコのように細い瞳が覗いていた。金と黒が混じりあう中に現れた双眸を見下ろして、日向はニッ、と口の端を持ち上げた。
「それ、面白い?」
 印象深いやり取りを引き合いに出し、悪戯っぽく尋ねる。やや上擦り気味の高いトーンに一瞬目を見開き、研磨は気まずげに顔を背けた。
 膝の角度をほんの少しだけ緩めて腿にゲーム機を委ね、力を弱めた指でボタンの真横を爪で叩く。言葉を選んで一秒少々黙り込んだ後、彼は困った風に口を開いた。
「どうだろ。ただの、暇つぶし……だし」
「――ブフッ」
 直後、堪え切れなくなった日向が噴き出した。
 両手で口を塞ぐが間に合わず、指の隙間から息が漏れた。真ん丸に膨らんだ頬を一瞬で凹ませて、彼は頬を赤らめた研磨に白い歯を見せた。
 全身を揺らして一頻り笑って、肺が苦しくなったところで深呼吸を。両腕を前後に揺らす大袈裟な身振りに眉目を顰め、音駒高校のセッターは深々と溜息をついた。
 ゲームを一時中断すべく本体を閉じ、斜めに傾いていた体勢を整えるべく両手を床に押し当てる。僅かに腰を浮かせた研磨を見て、日向はその隣に滑り込んだ。
「む」
「んーなトコいないで、もっと明るい場所いっぱいあるのに」
「別に、いい」
 棚の反対側に身を置いて、素早くしゃがむ。最中に明るい調子で捲し立てるが、研磨の返事はつれなかった。
 以前からだが、彼は人と目を合わせて喋るのが苦手なようだった。
 素っ気ない返答は想定の範囲内で、逆に分かり易いと日向は苦笑した。寝床である部屋の方角を指した腕を下ろして目を細め、拗ねている気もする横顔を興味深く観察する。
 するとじろじろ見られるのを嫌がって、研磨の方から顔を向けて来た。
「なに」
「ん?」
「用、あるんじゃなくて?」
「ああ。んーん、なんにも?」
 そして低めの声で問われて、日向は無邪気に首を振った。
 語尾を上げ気味にして返せば、研磨は驚いた顔で前髪を揺らした。猫の目を真ん丸に見開いて息を呑み、やがて何かを悟った顔で肩を落とした。
 手は宙を泳ぎ、閉じたばかりの携帯ゲーム機を広げた。セーブ画面を呼び出そうとした彼に、日向はわくわくしながら身を乗り出した。
「でも、研磨がいるの見えたから。なにしてんのかなー、って」
「……ふぅん」
 ふたりが初めて出会った時も、研磨はゲーム中だった。スマートフォンのアプリを起動させて、そのうち来るだろう幼馴染を待っていた。
 電車やバスでの移動中も、練習後の息抜きの時間も、研磨は大抵、ゲームをしていた。機種やジャンルは様々ながら、孤爪研磨といえばゲーム、と言っていいくらい、それは彼の一部と化していた。
 日向もそれは承知していた。前回の東京遠征の時も、今回も、研磨は空き時間中ずっと画面ばかり見ていた。
 それなのに訊いて来て、しかも近くに座ったのが信じられないのだろう。訝しむ研磨に屈託なく笑いかけて、日向は邪魔をしないから、と早口に告げた。
「おれ、そういうの全然分かんないから。どんなの? バレーより面白い?」
「え? う、うーん」
 厚みのあるゲーム機を穴が開くほど見つめ、矢継ぎ早に質問を繰り出す。それを思わず手で隠して、研磨は目を泳がせた。
 面白いか、そうでないかの判断は、個人の好みに大きく左右されるものだ。たとえ研磨が凄く楽しいと答えたとして、日向もそうであるとは限らない。
 だから一概には言えなくて答えに窮した彼に、日向は尚も言葉を重ねて鼻息を荒くした。
「おれにも出来る?」
「ど、どうだろう……」
 興味津々に訊かれて、研磨は口籠った。
 今起動中のゲームは、プレイヤーキャラクターを操ってモンスターを倒すゲームだった。
 強い武器や防具を作るのには、それに見合った強いモンスターを倒す必要があり、派手なアクションとアイテム収集の楽しさが同時に味わえる人気作だ。
 複数のプレイヤーと協力しながら戦うのも可能で、そういうシステムも人気を集めるのに役立っていた。もっとも研磨は、チーム戦は苦手なのだが。
 グラフィックが綺麗で、戦闘シーンの迫力にも定評があった。但し操作に慣れないと、キャラクターをまっすぐ進ませるのだけで一苦労だ。
 落ち着きがなく、せっかちでハチャメチャな性格の日向だと、最初は苛々するかもしれない。けれどハマれば、きっと凄腕プレイヤーになるだろう。
 反面、バレーボールに注ぎ込む時間が減ってしまいかねない。こういったゲームは中毒性が高くて、のめり込むと危険だった。
 日向と一緒にゲームが出来れば楽しいかと一瞬考えて、研磨は即座に首を振った。
「研磨?」
「たぶん、翔陽には難しいと思うよ」
「ゲームなのに?」
「うん。ゲームだけど」
 彼が小さな画面ばかり見つめ、背中を丸めている姿は想像できなかった。
 矢張り日向は、コートの中で元気よく飛び跳ねていて欲しい。ボールに恋い焦がれる、バレーボールプレイヤーであり続けて欲しかった。
 目を合わせてきっぱり言い切った研磨に、日向は面白くなさそうに口を尖らせた。頬を膨らませて可愛らしい拗ね顔を作り、膝を抱いて身体を左右に揺らしもする。
 肩をぶつけられて、研磨は堪え切れずに噴き出した。
「翔陽だったら、歴史シミュレーションゲームとか、いいと思う。戦国時代の奴だったら、武将の名前覚えられるよ」
 前回の合宿直前の期末試験で、彼が赤点ギリギリだったのを思い出す。結局補習授業を回避出来なくて、日向はセッター共々大遅刻して来たのだった。
 織田信長を中心とする戦国時代の国盗り合戦ゲームをやれば、否応なしに日本史の一部分だけ強くなれる。揶揄して言えば、日向は馬鹿にするなと声を荒らげた。
「お、おれだって、戦国武将くらい知ってるって」
「たとえば?」
「伊達正宗!」
「ああ、宮城だもんね。じゃあ関ヶ原の戦いで、伊達軍と戦ったのは?」
「へ? え?」
 自信満々に胸を張った彼を凹ませ、研磨は意地悪く笑った。頭の上にはてなマークを無数に生やした友人に目尻を下げて、数か月前に訪れた杜の都に思いを馳せる。
 あの日、東北新幹線に乗り込むまでは、まさかこんなことになるとは思いもしなかった。
「けんま~~~」
 笑うばかりでなかなか答えを言おうとしないのに焦れて、日向が手を伸ばした。猫なで声ですり寄って、上腕を掴んでシャツの袖ごと引っ掻き回す。
 くすぐったさに顔を綻ばせて、研磨は甘え上手な友人に肩を竦めた。
「上杉謙信って、聞いたことある?」
「なんか、知ってる気がする」
「気がするだけじゃダメじゃない?」
「そうかなあ……ダメ?」
「うん。ダメ」
 日常会話の一端であれば問題ないかもしれないが、試験となるとそうはいかない。もっとしっかり覚えなければいけないと叱られて、日向はしゅんと小さくなった。
 目に見えて落ち込んでいる彼に相好を崩し、研磨は膝の上のゲーム機を撫でた。
「翔陽は、ゲームは全然しないの?」
「うぅん。最近はやってないけど、家にあるよ。なんて言うんだっけ、体重計みたいなやつ」
 そして興味本位で尋ねたら、日向はあっけらかんと首を振った。
 自分は遊ばないけれど、家族は使うらしい。妹がたまにやっている、と言われて、意外な事実に研磨は目を丸くした。
「翔陽、お兄ちゃんなの」
「なにさー。研磨まで変って言う?」
「そうは言ってないけど……」
 日向の性格からは、末っ子気質が見え隠れしていた。だのに違って驚かされて、研磨は不満げな友人に苦笑した。
 きっとチームの皆にも、似たような反応をされたのだろう。ただ矢張り、ぷんすか煙を噴いている姿からは、妹がいる風に見えなかった。
 それにしても、体重計とはなんだろう。話題をひとつ前に戻して、研磨は眉を顰めた。
 ひとしきり怒って気持ちが晴れた日向は、考え込む彼を窺って説明を追加した。
「なんだっけ。リモコン持って、こう、ぶわって振ったら動く奴」
「ああ。あれか」
 空中に細長い四角形を描き、ゴルフのスイングを真似て腕を振り回す。それで合点がいって、研磨は鷹揚に頷いた。
 日向家にあるのは、据置型のゲーム機だ。テレビの近くにセンサーを設置して、リモコンの動きを感知させて遊ぶ類のものだ。
 体重計とは、バランスゲームをする時に使うコントローラーの事だろう。テレビで頻繁に宣伝されていたものだが、研磨の琴線には触れなかった品だ。
 身体を動かして遊ぶゲームなら、日向にぴったりだ。それなら納得だと首肯して、研磨は話が通じたか不安がる彼に目を細めた。
「おれ、やったことないかも」
「へえー……あっ。んじゃさ。今度研磨がうち来たら、一緒にやろ!」
「――え?」
 ゲームと言えば持ち運び可能なタイプばかりで、据置型はあまり経験がなかった。それを言えば日向は突如伸びあがり、目を輝かせて叫んだ。
 あまりの気迫に驚き、研磨は後ろに仰け反った。後頭部が壁にぶつかり音を立てたが、痛みよりも彼の発言に意識が集中した。
 妙案だと思っているのか、日向の眼差しは真っ直ぐで澱みなかった。綺麗過ぎて逆に怖くなる双眸に息をのみ、研磨は数秒間、凍り付いた。
 東京と宮城がどれだけ離れているのかを、彼は完全に忘れていた。近所だから遊びにおいでという感覚で、簡単に考えているのが丸見えだった。
「けんま?」
「え、あ、あー……」
 この四か月の間に三度も顔を合わせているから、物理的な距離を失念してしまっている雰囲気だった。
 研磨も時々そういう気分になることがあって、彼の気持ちは分からないでもなかった。会えない間は寂しいしつまらないのに、いざ同じ空間に身を置くと、それが当たり前になってしまって違和感を一切覚えなかった。
 知り合ってまだ四ヶ月足らずなのに、不思議だった。友人など、お節介な幼馴染や部の仲間以外出来ないし、要らないと、ずっと思っていたのに。
 日向は答えを急かし、訴える視線を向けて来た。あまりに熱烈過ぎて少し照れ臭くて、研磨は逡巡の末、小さくため息を吐いた。
 この夏は、難しいかもしれない。でも冬なら、どうだろう。
 寒いのは苦手だけれど、きっと彼の家は、とても暖かいはずだ。
「うん。楽しみにしてる」
「ホントだな? 約束だかんな!」
「そんなに大声出さなくても聞こえてるよ」
 古い日本家屋に訪ねていく自分を思い描くだけで、心が震えて止まらなかった。こんな風になにかにわくわくするなど久しぶりで、研磨は小指を衝き立てて来た日向に口元を綻ばせた。
 指を絡めて揺らし、声を揃えて同時に解く。そしてどちらからともなく声を殺して笑い合い、内緒だと唇に人差し指を押し当てた。
「あ、そーだ。研磨、あっちで、みんなでトランプやってんの。おれ、全然勝てなくてさー。なんかコツとかある?」
「翔陽の場合、すぐ顔に出ちゃうからだと思う」
「えー。そんなことないってー」
「あるよ」
「じゃあ研磨、あっちでおれと勝負!」
 契りを交わして、日向が先に立ち上がった。来た方角を示して声高に叫び、一瞬面倒そうにした友人の手を掴んで思い切り引っ張る。
 促されて仕方なく腰を浮かせ、研磨は底抜けに嬉しそうな横顔に小さく肩を竦めた。
「しょうがないなあ、翔陽は」
「そっ。おれ、しょうがないの」
「自慢になってないよ」
「にっしし」
 得意げに胸を張りながら言われて、呆れるしかない。完全に開き直っている台詞に眉目を顰め、研磨は大事なゲーム機を左手に握り直した。
 そして右手を広げ、先を急ごうとする友人の左薬指を掴まえる。
「ん?」
 瞬間、日向はきょとんとして振り返った。途端に研磨は気まずくなって、視線が交錯する前にさっと顔を背けた。
 熱を帯びて仄かに朱に染まった肌を、彼はどう思ったのだろう。
「しょうがないなー」
 肩を揺らして嬉しそうに笑って、日向は研磨の手を握り返した。

2014/2/19 脱稿