おろしたての萌黄色のパーカーに、膝下丈のハーフパンツは深みのある藍色。紺色のスニーカーもまた新品で、デザインが気に入って購入して、今日初めて履いた。
ちょっとばかり張り切りすぎたようで、まるでお人形さんを着飾らせたようだと、玄関先でビアンキにからかわれた。彼女の腕に抱かれたリボーンも、鼻で笑ってくれた。
「いいじゃんか、別に」
「デートだからな」
「ちがっ、ただの映画だよ!」
まだ数回しか使っていない、ちょっと高かった鞄を担いで、玄関先で見送るリボーンのひと言に顔を赤くする。裏返った大声で怒鳴れば意味深な笑みを向けられて、綱吉は頭の天辺から湯気を吐いた。
時間が迫っているからと言い訳して、慌しく家を出る。本当はゆっくり歩いても充分間に合う時間だったのだけれど、気が急いていたのもあって足取りは自然速くなった。
心が逸り、表情が勝手に綻んでいく。道を進むに連れて赤らんだ肌も落ち着きを取り戻し、替わりに心臓が、どくん、どくん、と、緊張を伴って胸の中に強く響いた。
乾いた唇を頻りに舐めて、格好が変ではないか、商店の窓ガラスに自分の姿が映る度に足を止め、何度も確認する。待ち合わせ場所に近付くに連れて緊張の度合いは強まり、落ち着きを失った彼は、若干挙動不審気味に視線をきょろきょろさせた。
駅前は人でごった返しており、目当ての人物はまだ到着していないのか姿は見えない。腕に巻いた時計を見れば、ベルトの周囲が汗ばんでいた。
「まだ、かな」
十五分も前に着いてしまった。
流石に焦りすぎだと自分に肩を竦めるが、遅刻するよりは良いと思い直し、深呼吸を三度繰り返して再度周囲を見回す。そわそわと膝をぶつけ合わせ、鞄を握る手に力を込めていると、
「ひゃっ」
いきなり背後から、ぽん、と肩を叩かれた。
「沢田?」
素っ頓狂な悲鳴をあげてしまい、周りに居た無関係な人から怪訝な顔をされて綱吉は肝を冷やした。嫌な汗をひとつ流し、耳慣れた声に恐る恐る振り返る。
黒を基調にした出で立ちの青年が、些か驚いた顔をして、出した手を中途半端な位置で泳がせていた。
「ひ、ヒバリさん?」
いつもは下ろしている前髪をあげて後ろに流し、細身の黒フレームの眼鏡を装着している。ボタンのない黒のポロシャツを着て、生成のコットンパンツはストレート、足許には磨かれて艶々の黒いローファー。お陰で見た目の印象がかなり違っていて、元から中学生らしからぬ風貌の彼の年齢を一層引き上げていた。
今なら、大学生と言われても信じてしまいそうだ。
「待たせた?」
「い、いえ! 全然!」
約束をした時間まで、まだ十分以上あるのだ。だから雲雀の質問は、ちょっとおかしい。そんな事を考えながら口をもごもごさせて、綱吉は下を向いた。
素足にスニーカーという自分の格好が、子供っぽく思えてならなかった。
それにおろしたての靴だからか、さっきからどうにも圧迫された踵が痛い。靴下を履いてワンクッション置くべきだったと思っても、後の祭りだ。
「沢田?」
「あ、いえ。なんでもないです」
俯いて爪先で地面を捏ねていた綱吉に首を傾げ、雲雀は眉目を顰めた。控えめに笑う彼を暫くじっと見詰め、ふいっと目線を左に流す。
「そう? なら、いいんだけど」
リボーンがデートと揶揄した映画に、行かないか、と誘ったのは雲雀だった。
それも駅前にあるような映画館ではなくて、小さな講堂を利用した特設会場が今日の目的地だ。日本では一般公開されず、DVDにもなっていないような海外のフィルムを集めて、上映会が催されるのだ。
その中に雲雀の食指が動いたものが混ざっているらしく、人で賑わう場所が嫌いな彼にしては、今回は珍しく積極的だった。
綱吉もチラシを見せてもらったが、ショートフィルム中心だという事くらいしか分からなかった。この監督の作品が気に入っていると言われても、聞いた事もない、やたらと長ったらしい名前だったので、その日のうちに忘れてしまった。
入場料さえ払えば、どれだけ映画を見ても値段は変わらない。上映内容も日ごとに違っていて、だから今日を逃すと、もう二度と見るのも叶わない物もある。
遅刻したら置いていく、との脅し文句は効果絶大だった。鞄を握り、綱吉は駅を振り返った雲雀を見上げた。
「電車ですっけ」
「タクシーでも良いよ」
「そんな。電車で、いいです」
チラシの裏に記載されていた地図を思い出すが、記憶があやふやでしっかり思い出せない。最寄り駅から結構な距離があったように思うが、歩けないほどでもないので、タクシーは勿体無さ過ぎる。
靴の違和感を押し隠し、綱吉は首を振って、頷いた。
変なところで必死な彼に目を眇め、雲雀は緩慢に笑った。
「じゃあ、行こうか」
「はい」
雲雀から綱吉を誘うなんてこと、一年に一度あるかどうかだ。だから今日は存分に楽しむのだと決めて、綱吉は元気一杯に返事した。
柔らかな日差しが背中から降り注いでいる。彼らは連れ立って電車に乗り、一度乗換えを経て、一時間弱かけて移動を果たした。
内訳としては、電車で四十分、徒歩で十五分と少し。気ままな雑談に興じながら辿り着いた会館は、綱吉が思っていたほど人は多くなかった。けれど空いているとの判断は早計で、チケットを購入して建物の中に入ると、外からは分からなかった意外な人出にびっくりさせられた。
看板は小さく、目立たず、場所も辺鄙なので周辺は静かだが、内部は妙な熱気に溢れていた。こういう場所に来るのは初めてだった綱吉には目にするもの全てが新鮮で、ついつい立ち止まって物珍しげに見回すものだから、何度も雲雀とはぐれそうになった。
古い映画ポスターが陳列されている。役者の書き込みがされた台本や、絵コンテも。映画が出来上がるまでの行程を食い入るように見ていたら、雲雀に笑われた。
「面白い?」
「はい!」
問われて即答して、声の大きさに自分がびっくりして小さく舌を出す。そうしているうちに上映時間間際になって、席を確保すべく、ふたりは即席のシアターに作りかえられた講堂に入った。
気のせいか観客には、若い女性が多かった。
「ん……?」
男二人連れは、自分達くらいではなかろうか。薄暗い中をぐるりと見回して綱吉は思ったが、疑問を口にする前に照明は全部消されてしまった。
少し硬い座席に深く腰を沈め、両足を宙に浮かせる。傍らの人物を窺って視線を横に流し、綱吉はもぞもぞと膝を揺らした。
靴下を履いてくるべきだった。否、こんな慣れない靴で来るべきでなかった。
「いてて」
座れたのは、正直嬉しい。会場内に入ってからは楽しくて忘れていたが、真っ暗闇に身を置くと途端に踵に蔓延るじくじくした痛みが蘇って、綱吉を攻め立てた。
身動ぎし、背中を丸めて足に手を伸ばす。脱いで爪先から滑り落とすと、圧迫感から解放されて痛みは和らいだ。
とはいえ、これも一時しのぎだ。
「どうしたの?」
「いえ。なんでもないです」
スクリーンに映像が映し出され、目も少し闇に慣れた。前屈みになっている綱吉に気付いた雲雀が首を傾げ、控えめな音量で問う。他に聞こえないように声を潜めた彼に、綱吉は慌てて言い繕い、背筋を伸ばして画面を見る姿勢を作った。
足首から先をブラブラさせて、気を紛らせる。巨大な白いスクリーンに現れ出た画は横文字で、タイトルだとは思うのだが読み取れない。しかし次に出て来た映像に綱吉は目を丸くし、ちらりと横を窺った。
悟られたのが恥かしいのか、雲雀は綱吉の無粋な視線に無視を貫き、口をへの字に曲げた。
微かな光に照らされるその頬が、ほんのりと朱色に染まっている。
「ふふ」
足の痛みを忘れ、綱吉は微笑んだ。
「悪かったね」
「いいえー、別に?」
会場内に女性や、カップルが多かったのも頷ける。流れて行く映像は厚い氷に覆われた寒々しい大地で、カメラはそこに棲む生き物をひたすらに追いかけていた。
特に主役クラスの扱いを受けていたのが、ペンギンの赤ん坊。母親ペンギンの後ろを、よたよたしながら一所懸命追いかけて歩く姿は、たまらなく愛らしかった。
確かに雲雀が、これをひとりで観に来ると考えると、ちょっと滑稽だ。けれど綱吉とふたりなら、傍目には綱吉が雲雀に強請り、観に来たという風に映るだろう。
体の良いダシに使われたわけだが、怒りは沸かない。
「可愛い」
「うん」
「……ぷっ」
ぽつり呟くと、聞こえた雲雀が画面を見ながら頷いた。
確かにペンギンも可愛いけれど、それ以上に涙ぐましい裏工作を仕組んだ雲雀が可愛らしく思えたわけで、分かっていない彼に綱吉はつい噴き出した。
映像は笑うシーンではなかったのだけれど、胸の奥がくすぐったくてならず、懸命に声を殺して両手で口を塞ぎ、堪える。横で小刻みに震えられて集中できないのか、雲雀は肘で綱吉を小突いて大人しくさせた。
海中の映像、獰猛な天敵の脅威、そして見え隠れする地球温暖化の影響。崩れ行く巨大な氷の映像に誰もが息を呑み、オイルにまみれた野鳥の姿に心を痛めた。
一時間足らずの、自然の音ばかりが耳を打つ映画は、あっという間に終わってしまった。
単に可愛い生き物をレンズに収めただけに留まらない映像に、腹の奥底に重たいものが積み上げられてしまって、館内が明るくなっても綱吉は暫く立ち上がれなかった。
またぞろと人が出て行くのを目で追いかけ、雲雀に促されて渋々腰を浮かせる。
「うあっ」
そうして転びそうになって、慌てて前の座席にしがみついた。
靴を脱いでいたのを、すっかり忘れていた。
「どうかしたの、足」
「あ、えっと。大丈夫です。ちょっと、きつかったから」
雲雀の視線から赤くなっている踵を隠し、慌てて靴を履く。鎮まっていた痛みが途端にぶり返したが、綱吉は構う事無く自分から先に出口へ向かって歩き出した。
眉根を寄せた雲雀が、数歩遅れて追いかける。
「お昼ごはん、どうしますか?」
「そうだね。この辺には店も無かったし」
一旦駅前まで戻るしかないと、時計を見て雲雀は肩を竦めた。
気がつけばもう十二時半を回っていた。黒いシャツの袖を戻した雲雀が、どこか適当に休む場所が無かったかと、記憶を辿りながら視線を泳がせる。その隙に綱吉は下を向いて、痛みが引かない足に臍を噛んだ。
駅前まで戻るとなると、また二十分近く歩き通しだ。その間に靴ずれが悪化するのは、疑う余地もない。
既に皮膚は真っ赤になり、一部が捲れて、右足などは薄ら血が滲んでいた。新品なのに、と悔しく思うと同時に、沢山歩くのは分かっていたのだから、多少汚れていてももっと履き慣れたものにしておくべきだったと、己の判断の甘さを呪いたくなった。
浮かれ調子で服装を選んだのを後悔して、下唇を噛み締める。
そのうち本当に歩けなくなりそうで、下ばかり気にして痛みを堪えていたら、雲雀が呼んでいるのに直ぐに反応出来なかった。
「大丈夫?」
「え、あ……なにがですか?」
具合が悪いのではないかと危惧する彼に、綱吉は無理矢理作った笑顔を向けて目尻を下げた。
靴ずれの事を教えれば、雲雀のことだ、予定を全部切り上げて帰ると言い出しかねない。そうなると折角の休日、ふたりで遠出を楽しむという計画は中途半端なところで終わりを迎えてしまう。
自分の所為で、雲雀の予定を狂わせたくはない。雲雀が楽しみにしていた映画を、足が痛いという理由だけで邪魔するのは絶対に嫌だった。
虚勢を張る彼に、雲雀は出し掛けた手を下ろした。ぎゅっと強く握り締めて、綱吉の見えないところで震わせる。
「なら、いいよ」
「ヒバリさん?」
突っ慳貪に言い放ち、踵を返した彼に驚いて、綱吉は慌てた。足が痛いのを我慢して、ずんずん人ごみを掻き分けて進んでいく彼に置いていかれないよう、必死に後を追いかける。
会場は、入場券を提示すればその日限りで何度でも入退場可能だった。三つあるスクリーンでそれぞれ趣が異なる映画が上映されており、興味が無いものに当たった時間は外で暇を潰せるようにとの配慮からだ。
だから綱吉たちが会場を出ても、誰も見咎めない。昼時なのもあって、食事を目的に外へ足を向ける人もそれなりの数に登った。だから駅に戻る経路途中の喫茶店はどこも混んでいて、中には行列が出来ている店もあった。
雲雀はどんどん進む。綱吉は遅れがちに、ついていく。
「いって……」
いつまで痩せ我慢出来るだろう。不安を感じ、綱吉は顔を顰めた。
右足の痛みは、一歩進むたびに大きくなっていく。前に繰り出し、体重を預かって、後ろに回った足をまた前へと。その単調な作業ひとつにも苦労させられて、途中から殆ど引きずるような足取りになってしまった。
片足を庇うように歩いていたから、もう片足に負荷が偏って、結局両足ともに痛くて仕方が無い。だのに雲雀は前を見たまま、徐々に距離が開く綱吉を無視して横断歩道を渡った。
青信号が点滅を開始していた。
「あっ」
しまった、と思うけれど走れない。アスファルトに白く記されたゼブラに入ることさえ叶わず、唸り声を上げた車の列に遮られ、雲雀の姿はあっという間に見えなくなった。
「うそ……」
呆然と立ち尽くし、綱吉は苛々と信号が切り替わるのを待った。けれど交通量が多い道は、なかなか赤から青に変わってくれない。鞄のベルトを握り締めて焦れて身を捩っていると、足を動かしていないに関わらず踵がじんじん痛んだ。
泣きたくなって、綱吉は下唇を噛み締めた。
これでは痛いのを耐える意味が無い。雲雀と一緒に居たいから、嘘をついてまで誤魔化して、頑張っていたのに。
「ヒバリさん、何処」
向こう側で待ってくれているという期待は、儚い夢と消えた。ようやく目の前の歩道が解放されて、人の流れが再開した道に目を凝らすが、黒を背負う青年はどこにも居なかった。
焦燥感を募らせ、綱吉は無理をして駆け足に歩道を渡り終えた。低い段差を飛び越える際、靴の内壁が傷口を抉ったようで、今までにないくらいに右足が痛んだ。
「いつっ」
声に出して呻き、堪えきれずその場でしゃがみ込む。いきなり屈まれて、後ろから来た人が慌てて横に避けて行った。
嫌な顔をされてしまった。邪魔だ、と言わんばかりの目で睨まれて、綱吉は鼻の奥がツンとするのを必死に押し留めた。
湿った目尻を袖で乱暴に拭い、勢いつかせて立ち上がる。しかしこの靴を履いている限り、両の踵を襲う痛みは綱吉に付きまとう。我慢も、そろそろ限界だった。
「どうしよう」
雲雀ともはぐれてしまった。無意識にポケットを探るが、携帯電話は鳴らない。メールも来ておらず、広げた画面は午後一時手前を示す数字が点滅するばかりだった。
彼と一緒でなくては、綱吉がこの町にいる意味がない。駅前とあって人通りはそれなりに多くて、綱吉は途方に暮れて信号端で立ち尽くした。
お腹も空いて来た。映画を見ていた時間以外全て立ちっ放しの、歩き通しだったから、疲労は蓄積されているし、何よりじっとしていても足の痛みは全身に響く。
出来るものなら、今すぐスニーカーを脱ぎ捨ててしまいたい。けれど素足で、アスファルトやコンクリートの道を、人も車も多い中で歩くのは恥かしいし、危険だ。道端にはガラス片のような尖ったものが、幾らでも転がっている。
苦虫を噛み潰したような顔をして、彼は少しでも痛みを緩和させようと靴から右足を引き抜いた。
「う、っわ……」
そうして傷口を見て、絶句した。
思っていた以上に、酷い。皮が爛れて捲れてしまっている上に、垂れ下がったそれが血によって皮膚に張り付いていた。
見るべきではなかった。激しい後悔に苛まれ、彼は天を仰いで嘆き、頭を抱え込んだ。跳ね放題の髪を掻き回し、押し潰し、盛大に溜息を零してがっくりと項垂れる。
靴との間で生じた摩擦熱が、外気に触れたことで少しずつ冷えていく。早く消毒しなければどんなばい菌が入るか分かったものではないが、傷を見て一気に心が萎えて、歩く気力さえも失せてしまった。
標識を支えている白い柱に寄りかかる。馬鹿な自分を悔やんでも悔やみきれず、この後どうすればいいのかも分からない。
「ヒバリさん、……俺のこと、嫌いになったかな」
声に出して呟くと余計に哀しさが募って、硬い柱に額を打ちつけて彼はまたもずるずるとしゃがみ込んだ。
俯く視界が、己の影で薄暗くなる。
あんなにも心配してくれたのに、我を張ったばかりに雲雀に呆れられてしまった。楽しい休日に水を差してしまった。
正直に言えばよかった。そうすれば、少なくともこんなに落ち込むことは無かったし、彼に置いていかれるなんて羽目にも陥らなかっただろうに。
「俺の、馬鹿」
「ホントだよ」
通行人の視線を無視して背中を丸め、ぼそぼそと愚痴を零す。よもやその独白に合いの手が混ざるとは夢にも思わず、一瞬きょとんとしてから、綱吉は目を見開いて顔をあげた。
「っ!」
刹那、吹っ飛んで行きそうな勢いで首を後ろに倒した彼に不機嫌な眼差しを向け、雲雀は手に持った袋をぞんざいに揺らした。
それでこめかみを叩かれて、痛がって綱吉は両手を掲げた。すると雲雀が袋を持つ手を離すものだから、落ちてきたそれを仕方なく引き受けて、膝に抱きかかえる。
可愛らしいロゴが入った、オレンジ色の袋だ。但し店名だけでは、中身が何なのかさっぱり分からない。
「ヒバリさん?」
「本当に世話の焼ける子だね、君って」
「うぐ」
反論しようにも、実質その通りだから何も言えない。唇を尖らせて押し黙った綱吉の頭を小突き、いつまで経っても中身を出そうとしない彼に痺れを切らして、雲雀は腰を屈めて綱吉の膝の上を手繰った。
ガサガサと音を響かせて、入っていたものを引っ張りだす。
「え……」
「履きなよ」
出て来たものを視界に入れて、綱吉は絶句した。
雲雀が値札もなにもかも外されたそれを地面に起き、蹲ったままの綱吉を促す。それは、焦げ茶色のサンダルだった。
綱吉の足には少し大きい、男性用の底が平べったいものだ。親指と人差し指で挟む鼻緒と、甲の部分を跨ぐベルトで構成されている。踵を束縛するものは、付随していない。
「なんで」
「君の嘘は、バレバレなんだよ」
どうして分かったのか、綱吉は何も言わなかったのに。
零れ落ちそうなくらいに琥珀を見開いた綱吉に、雲雀は黒髪を梳き上げて呆れ返った口調で言った。
「足は引きずってる、歩くのも遅い。やたらと下を気にしてるし、映画の最中は靴自体脱いでた。時々痛いって口走ってるの、聞こえてないとでも思った?」
「え、嘘」
「それなのに、君は平気だって言い張って」
少し反省させてやるつもりで、外に出て駅までの道を歩いた。綱吉の足取りが段々と重くなっているのには、幾らなんでも気付いていた。
やりすぎたかと思いながらも、綱吉が自分から言い出すのを待つことにした。だのに、結局最後まで意地を張り通した。
「その根性は褒めてあげる。でも、君が痛い思いをしている横で、僕が平気でいられると思った?」
「それは……」
早く履き替えろと急かし、雲雀は腰に手を据えた。盛大に嘆息し、肩を落とす。
呆気にとられた綱吉は、彼の顔と足元のサンダルとを交互に見比べ、恥かしそうに俯いた。もじもじと両手の指を弄り回し、今更ながら公道のど真ん中にいるのを思い出して赤い顔をする。
「沢田」
「うあ、はいっ」
苛々した声で呼ばれて反射的に返事して、綱吉は恐る恐る身を起こした。標識を支えにして立ちあがり、左足の靴も脱いでそろりとサンダルに爪先を引っ掛ける。
肌が空気に触れる、ひんやりした感触が気持ちよかった。
「ちょっと、おっきい」
「仕方ないだろう」
商店街の小さな靴屋では、十代の少年が街歩きに使っても違和感の無いサンダルなど、そう多く扱われていない。ビーチサンダルは流石に格好悪かろうと、それなりに見た目も良いものを選んだら、サイズがこれしかなかったのだ。
雲雀が使えばぴったりだろうが、綱吉の足には大きい。ぶかぶかだ。
足を交互に持ち上げて、具合を確かめる。甲を抑えこむベルトを最小にしても、指が二本入る隙間が残った。走るとすっぽ抜けてしまいそうだ。
可笑しくて、ついつい表情が緩む。逆に雲雀はむっとした顔をして、綱吉が履いて来た、血の色が内側にこびり付いたスニーカーを、空になった紙袋に放り込んだ。
慌てて綱吉が手を出すけれど、彼は無視してそれを右手にぶら下げた。
「薬局、あっちにあったから」
「はい?」
「手当てが済んだら並盛に帰るよ」
「え、でも」
窮屈な靴を脱いだのだから、映画を観に戻るのも可能だ。確かに少々歩きづらいし、怪我が癒えたわけではないので、足は痛いままだけれど。
戸惑いに瞳を揺らした綱吉を振り返り、雲雀は肩を竦めた。
「言ったよね」
「ヒバリさん?」
「君が痛い思いをしてるのに、僕が平気なわけがない、って」
映画なら、次の機会を待てばいい。国内では手に入らないものでも、今はネットワークで世界中が繋がっているのだ、海外の代理店を経由すれば手に入れるのもそう難しくない。
若干赤い顔をして、憤然と言い放った彼にきょとんとした綱吉は、二秒後にぼっ、と全身から熱い湯気を発して耳の裏まで真っ赤になった。
道端でふたり、互いに照れてしまって次の手に出られない。ここが友人、知人に溢れ返る並盛ではなくて良かったと、綱吉は心の底から思った。
「か、……帰るよ!」
痺れを切らして雲雀が叫び、広げた左手を差し出した。綱吉は面くらい、たっぷり五秒かけて理解して、そろり、右手を伸ばした。
指先が触れると、辛抱強くない雲雀がぎゅっと掴んで握り締める。その力強さと温かさに、冷えてしまった心は一気に息を吹き返した。
「えへ、へ。えへへ」
嬉しい。
勝手に笑みが零れて、綱吉は足を庇いながら、自分を引きずるように歩く雲雀に目尻を下げた。
2009/08/16 脱稿