放生会(中編)

「止めても無駄ですからね」
「分かった、分かった。止めはせん。だがひとりでは危険だ」
 最早言っても聞かないと判断したのだろう、了平は意固地になっている綱吉に降参だと両手を持ち上げ、沼地に行くなら一緒にいく、と胸を叩いた。
 たったひとつしか年齢が違わないというのに、どうして雲雀といい、彼といい、こうも大人ぶるのだろう。それも不満に感じながらも、心強さも同時に覚えて、綱吉は赤い顔で俯いた。
 けれど、
「あれ、ツナじゃん」
 京子を残し、歩き出して三十歩もいかないところで、捩じり鉢巻をした山本と遭遇した彼らの足は止まった。
 腹に晒しを巻き、尻端折りで、了平と似たり寄ったりの格好をしている。獄寺の羽織を着ている綱吉とは正反対の軽装ぶりに、寒くないのかと綱吉は声をあげた。
 彼は笑って、肩に担いだ大工道具を揺らした。
「さっきまで動き回ってたからさー、そうでもないかな」
 焼けてしまった家は、村人が協力して建て直している。大工にばかり頼っていると、とてもではないが冬の入りに間に合わないからだ。
 手先が器用で、かつ力持ちの山本はあちこちから引っ張りだこで、最近は退魔師の修行もそっちのけで駆けずり回っている。リボーンはあまりいい顔をしないが、早くに母を喪った彼を育ててくれた村の人たちへの恩返しも兼ねていると、取り合う様子は無かった。
 ひと仕事終えて、借りていた荷物を片付けに行くところなのだという彼は、珍しい取り合わせだと綱吉と了平を交互に見て小首を傾げた。
「どこか行くのか?」
「そうだ。ヒバリさん、知らない?」
 質問が両者からほぼ同時に出て、交じり合った声に面食らった綱吉はたたらを踏み、見ていた了平がぶっ、と噴出した。
 口元に手をやって、肩を小刻みに震わせている彼にばつが悪い顔をし、綱吉は矢張り苦笑している山本に向き直って、右手で前髪を掻き毟った。
「だから」
「雲雀だったら、シャマル先生ん家に行くって言ってたぜ」
「ええ?」
 朝から姿が見えない、というところから説明しようとした矢先、おおよその事情を汲んだ山本が早口に告げた。
 自分が喋ることに意識が向いていた綱吉は、降って湧いた情報に目を丸くし、思わず後ろに居た了平を振り返った。
 彼が言っていた沼地帯と、山本が今挙げたシャマルの家とは、結構な距離がある。村の南東付近から、一気に北東の方へと移動していることになり、彼が辿ったであろう経路を思い浮かべ、綱吉は唇を噛んだ。
「仕方なかろう。俺があいつを見たのは、昼前だぞ」
 それからもうかなりの時間が過ぎている。雲雀が一箇所に留まらず、あちこちを点々としている可能性は考慮していなかった綱吉は、ひとり歯軋りして悔しそうに地団太を踏んだ。
 山本と了平は互いの顔を見合わせ、苦笑の末に肩を竦めた。綱吉の、雲雀に対する執着ぶりは凄まじくて、見ている分には厭きない。ただし此処に雲雀本人が加わると、途端に山本は不機嫌になるのだが。
「シャマルの家って……」
 あの正体不明の男と雲雀とは、なにかと折り合いが悪い。そのくせ妙なところでは繋がりあっていて、単純に仲が悪いとは言い難かった。
 シャマルは、いつの間にか並盛村に居付いた余所者だ。何処から流れてきたのかは一切不明で、村の行事にも参加せず、田畑も耕さず、どこかからか調達してきた酒を昼間から煽っているような男だ。
 そのくせ医術に通じており、薬草にも詳しい。一応医者という身分にあるが、昼間から酔っ払っている上に、女性と見るや誰彼構わず飛びかかるような始末に終えない性癖の持ち主で、村人からは嫌われていた。
 そんなだから体調を崩しても彼に診てもらおうという人は殆どおらず、何をして食い扶持を稼いでいるのかも一切謎だ。そんな彼の家は、難しい異国の本から、春画まで、様々な書物で半ば以上埋まっていた。
 獄寺がたまに、その稀覯本目当てに彼のところに通っているが、何故か帰って来る時はいつだって真っ赤だった。
 それにしても、だ。
「なんでシャマルなんだよ」
 納得が行かなくて、綱吉は棘のある口調で呟いた。
 村はひとつの共同体だ。各々に生活を営んではいるものの、ひとたび何かあれば互いに協力し合い、支えあうようにとの不文律が存在し、皆の認識の底辺に根付いている。
 ところが、他所から流れて来て住み着いたシャマルには、その意識が欠けている。
 人手が必要な松葉拾いも、葦刈りにも基本参加しない。骸の起こした騒動後の後片付けにも顔を出さず、不運にも命を落とした村人に弔いの声のひとつかけずにいる。
 そもそも、あの男は大火災の際に何処へ行っていたのか。火傷を負い、逃げる最中に転んで骨を折った人も大勢居たというのに、彼らの手当てに奔走する、なんて事もしないで。
 今だって、相変わらず女性にしか興味を持たず、男達の治療は一切拒み、昼間から酒を飲んで勝手な生活を送っていると聞く。
 そんな最低な奴のところに、雲雀は何の用があるというのか。綱吉がこんなにも探しているというのに。
「なにしに行くか、は聞いてない?」
「あー、なんだったかな」
 真っ当な用件があるのならば別だが、雑談や、或いは彼所有の春画を所望しているなんて事があった場合は、許せない。怒りがふつふつと沸き起こり、獄寺ではないが額から角が生えて来そうな勢いの彼に苦笑し、山本は頬を掻いた。
 おぼろげな記憶を掘り返し、輪郭を浮き立たせて、脳裏に黒髪の青年の姿を映し出す。大工仕事に汗を流している最中、近くを通り掛かった彼は果たしてなんと言っていたか。
「預けてあるものの様子を見に行く、だったかな」
 距離があったのではっきりとは聞こえなかったが、そういった趣旨の返答があった。その後山本は、仲間に頼まれて作業に戻り、気がつけば雲雀は立ち去った後だった。
 その時の彼はひとりだった。シャマルにいったい何を預けてあるのかと気になりはしたが、どの道自分には関係ない話だと深く考えなかった。
 綱吉がこんなにも拗ねるくらいなら、ちゃんと聞いておけばよかった。後悔しても後の祭りであるけれど。
「行ってくる」
 南に向かおうとしていた足を北東に向け直し、頬を膨らませたまま綱吉が短く言った。
 了平の目撃した時間よりも、山本が雲雀を見た時間の方が遅い。ならばもうこの先に行ったところで雲雀の影すら捕まえるのは叶わないだろう。
 機嫌が悪くなる一方の綱吉に肩を竦め、了平は困ったように山本を見た。彼は苦笑するばかりで、肩に担いでいた荷物を一旦地面に下ろし、そこに寄りかかった。
「あの男か……」
 大切な妹である京子が襲われたこともあるので、了平はあまりシャマルに対する心証が良くない。雲雀が考えていることが分からず、困惑している間に綱吉はどんどん先に行く。置いていかれていると気付いた彼は、慌てて綱吉を追って進路を転換した。
 道具を片付けた後は北にある沢田邸に帰るだけだった山本も、必然的に彼らの後ろを進むことになる。
「沢田、ひとりで行こうとするな」
 了平が綱吉を追い抜き、押し黙っている彼に少し強めに言い放った。
 男には一切興味が無いシャマルだが、何故か綱吉だけは別枠扱いなのだ。この琥珀色の瞳をした少年を見た瞬間、無精髭を生やした男はだらしなく表情を崩し、無骨な両手を繰り出して押し倒そうとする。過去に幾度も経験しているので、綱吉だってそれは痛いくらいに分かっているだろうに。
 ひとりで出向くのは危険だと忠言し、自分も一緒に行くと決意を述べて了平は綱吉に並んだ。反対側に、ついでだからと同行を決めた山本がつく。
 ふたりを交互に見上げ、怒らせていた肩を落とした綱吉は、お節介な彼らに嘆息した。
「いいのに」
 これは自分と雲雀の問題であって、彼らには関係ない。得になることも一切無く、逆に時間の浪費だ。
 だというのに、ふたりして屈託なく笑って、了平などは気にするなと綱吉の頭を後ろから撫でて来た。髪の毛をぐしゃぐしゃに掻き回されて、首を亀のように引っ込めた綱吉は決まり悪い顔をした。
 物好きな面々に囲まれたものだ。だけれど、彼らが居てくれるだけで綱吉は救われている。
「そういやツナ、その羽織って」
「うん、獄寺君の。貸してくれたんだ」
 左右の青年が軒並み涼しそうな格好をしている中で、綱吉ひとりだけが厚着だ。獄寺の羽織は彼には大きく、華奢な身体をすっぽりと包み込んでいるだけに、余計にそう感じられる。
 はみ出た指先で袖口を握った彼に、山本はどうにも言葉に表しづらい表情を作り、そっぽを向いた。
「くっそ。抜け駆けしやがって……」
 沢田邸に居候するもうひとりの青年を思い出し、苦々しい気持ちを噛み殺して呟く。蛤蜊家本家から派遣された鬼と人間の合いの子である獄寺は、隙あらば綱吉の心を盗み取ろうと躍起になっている。雲雀だけでなく、山本も、彼が出し抜こうとしている相手に違いない。
 同じ場所にいれば牽制出来るが、山本は朝から村の仕事に駆り出されて留守にしていた。獄寺は、シャマル同様他所から来た人間で、村の人々は未だ髪色が異質な彼の扱いに苦慮している部分がある。獄寺自身も村のしきたりに通じていないという点から遠慮が働き、自ら進んで関わろうとはしなかった。
 いつも綱吉や山本、雲雀の後ろから、遠巻きに、少し寂しげに眺めているだけだ。同年代の子供達は積極的に彼に関わろうとしているけれど、閉鎖的な考え方をする年寄りたちは、銀髪の彼を忌み嫌っている節がある。
 そこに加え、最近は金髪の青年までもが綱吉の周囲に出没するようになっていた。
「しかし、まあ。まさかお前が、とはな」
「悪いか?」
「いいや、悪くはないさ」
 感心半分、呆れ半分で呟いたディーノに、シャマルは脂性の髪を撫でて肩を竦めた。
 半分土に埋もれたような屋根の上に寝転がり、ディーノは晴れ渡る秋の空を眺めながら嘯く。シャマルは屋根を支える柱に寄りかかり、先日手に入れたばかりの古い和書を慎重に広げた。
 虫食いが激しく、墨で記された文字の大半は掠れてしまって殆ど読めない。そんな埃っぽい書面を愛おしげになぞり、小さな目を細めた男は、やおら腰から吊るした徳利を引き寄せた。
 片手で栓を軽々と外し、持ち上げてひと口煽る。喉仏が二度、三度上下して、周囲には醗酵した酒の臭いがぷーん、と広がった。
 それを嫌がるでもなく受け流し、ディーノは頭に敷いていた両手を広げ、緩い傾斜で大の字になった。燦々と照りつける日差しを全身に浴びて、艶やかな金髪を鮮やかに輝かせる。
「けどなー、吃驚したぜ」
「生きてると思ってなかった、ってか?」
 嘆息交じりの呟きに、口元を拭ったシャマルが嘲りを含む口調で聞き返す。迷わず頷いたディーノは、広げた両手で身体を支えて起き上がり、髪に張り付いた葦の屑を払って羽織っていた緋色の打掛を引き寄せた。
 左肩を抱き、右の膝を軽く曲げて胸を寄りかからせて座る。さっきまで見えなかったシャマルの頭が、この角度からなら半分だけ見えた。
「執念か」
 ぼそりと響いた青年の声に、シャマルはただ緩慢に笑うだけで答えない。薄い瞼を閉ざして柱に体重を預け、中身の少ない徳利を置いて紙面を爪で叩く。たったそれだけでも薄い和紙は破れそうで、皮膚を伝った弱い感触に彼は舌打ちし、開いたばかりのそれを閉じた。
 汚さぬように傍らに置き、入れ替わりに徳利に手を伸ばして軽く揺らす。波立つ音に耳を澄ませた彼は、遠くからやってくる人の影に気付いて眉間に皺を寄せた。
「今日はまた、偉く客が多いな」
「ん?」
 雲雀が去って暫くしてからディーノが来て、今度は団体様だ。男ばかり、若いのが三人連れ立って近付いて来ている。周囲には他に民家も、畑もないので、シャマルに用が無ければここら一帯に足を向ける理由も無い。
 珍しい顔ぶれだと、背の高い人間に挟まれた小さな少年に目を眇め、シャマルは笑った。
「あれ、ツナだ」
 ディーノも道に目を向けて、連れ立って歩いている見知った顔に首を傾げた。それはあちら側の三人も同じで、何故シャマルの家に雲雀ではなくディーノがいるのかと、全員が怪訝に顔を顰めた。
 背の低い薮に囲まれた、庭ともいえない場所に足を踏み入れて、止まる。シャマルを警戒して山本と了平が前に出て綱吉を庇うように立ち、彼らの徹底した守護者ぶりに、シャマルは苦笑いを浮かべた。
「おいおい、お揃いでどうした?」
 嫌われたものだと自嘲を浮かべた男の問いに、山本は了平を窺い、了平は綱吉の顔色を盗み見た。
 此処に出向いた理由は、雲雀の所在の確認である。しかし見える範囲にその姿は無い。シャマルの家は潰れかけ同然で、内部は本で大半が埋もれて非常に狭い。戸口も開けっ放しで、動く人の気配は感じられなかった。
 裏手に隠れているとも思えず、またしても無駄足だったかと綱吉の落胆は大きい。
「ヒバリさん、いる?」
「雲雀? ああ、さっき来て、もう帰ったぜ」
 念のために訊けば、案の定の答えが返って来た。立ち上がり、顎をしゃくって北に聳える山に顔をやったシャマルを前に盛大に肩を落とし、綱吉は思い通りにいかない現実に苛立って、髪の毛を掻き回した。
 薄茶色の毛が何本か千切れ、頭皮の痛みに唇を噛む。山本と了平は、なにかと落ち込む彼を慰めようと躍起になったが、かけるに相応しい言葉も思い浮かばず、ただおたおたするだけだった。
 打掛を肩で握ったディーノが屋根から飛び降りて、地面に山積みにされていた本に躓きそうになってたたらを踏んだ。
「おい、蹴るなよ」
「こんな場所に置いておくのが悪いんだろう」
 すぐに気付いたシャマルの厳しい口調に、ディーノはばつが悪そうに頬を掻いて足元を指差した。そのやり取りから、今日が初対面という雰囲気は感じられない。
 知り合いだったのかと怪訝にする山本の視線を受け、金髪の青年は胸の前で緩く腕を組み、肩を竦めた。
「恭弥なら、俺が来るちょっと前に帰ってったぜ。もう屋敷に戻ってる頃じゃないかな」
 太陽の位置を確かめておおよその時間経過を計り、シャマル同様北の並盛山を振り返って言う。雲雀がわざわざ遠回りをしてまで、何故此処に立ち寄ったかの理由は、彼も明かさない。
 知らないのか、それとも。
「ヒバリさんは、何しに」
「んあ?」
「ヒバリさんは、シャマルに何の用があって来たの?」
 心臓が震えて、巧く声が出せない。呟きを聞き損ねたシャマルのしゃがれた声に、綱吉はぎゅっと手を握ってふたりの間から前に出た。
 いきなり飛びかかられる事もなく、それには安堵して、険を強めた眼差しで髭面の男を睨みつける。懸命に自分を鼓舞している彼の姿に、シャマルは目を細め、顎を撫でて暫く考え込んだ。
 ディーノも綱吉から視線をシャマルに移し変え、首を右に倒した。どうやら彼は、本当に雲雀の目的を知らなかったようだ。
 何故太陽の運行を司る神たる彼が、村の一角を不法占拠している男と親しげにしているのかは分からないが、その疑問は今は置いておくことにする。奥歯を噛み締めた綱吉に不敵な笑みを返したシャマルは、薄い唇を爪で掻いて鼻を鳴らした。
「知らされてねえって事は、お前さん、実はあんまり雲雀に信頼されてないんじゃねえか?」
「っ!」
 嘲弄を含んだ言い口に、綱吉の背筋がぴん、と伸びた。
 瞬時に顔を構成する筋肉は強張り、ヒクリと動いてその状態で停止する。見開かれた眼は虚ろに揺らぎ、呼吸さえ忘れて呆然と立ち尽くす。
 居合わせた面々も、あまりに直球過ぎるシャマルの言葉に慄然とし、無意識に拳を作って震わせた。
 感じてはいても、考えようとはしなかった。追求せず、思考を遮断して見ない振りをして押し通して来た。
 雲雀が教えないのは、綱吉が知る必要が無いから。
 雲雀は強くて、頭も良くて、しっかり者だから、綱吉に相談しなくてもひとりで決めて、行動して、解決してしまえる。
 雲雀には綱吉が必要ない。ただ綱吉が雲雀を必要としているから、傍に居てくれるだけで。
「…………だよ」
 目の前をあらゆる光景が流れて行く。通り過ぎた過去の記憶が駆け抜けていく。綱吉が笑っている景色には、いつだって雲雀がいた。だけれど綱吉の存在が雲雀にとって負担であり、重荷であり、鎖であるというのも、綱吉は理解していた。
 分かっていて、彼を縛り続けた。
 そんな歪んだ関係の中で、信頼関係を築くなど。
「そう、……だよ。その通りだよ!」
「ツナ!」
 見透かされたのが悔しくて、哀しくて、綱吉は喉が引き裂かれんばかりに叫び、かぶりを振った。目尻に湧き上がる涙を止める術もなく頬に零し、血が滲むまで唇を噛み締める。
 じっとなどしていられなくて、彼は駆け出した。山本の制止の声も振り切って、薮の切れ目を抜けて荒れ放題の道を真っ直ぐに。途中で西に曲がって、見晴らしの良い空間で段々と背中は小さくなって、やがて完全に見えなくなった。
 取り残された格好の山本と了平は、互いに顔を見合わせて頭を掻いた末に頷きあい、シャマルを睨んだ。
「ちょっと言い過ぎなんじゃねー?」
「そうだぞ。あれでは沢田が、不憫すぎる」
「けどよー、あいつも言ってたが、本当のことだろ?」
 両者から責められても平然として、シャマルは綱吉が去って行った方角に指を向けた。
 確かに一理あるが、かといってそれが全てではない。綱吉に余計な心配を掛けさせぬために、雲雀が敢えて黙っているという事だってある。綱吉が訊かない限り、雲雀だってべらべらと喋る方ではないので、話題にさえ登らない秘密も多かろう。
 それに、綱吉と雲雀の間には、人の目には見えない深い絆がある。表面上のやり取りだけを見て、決め付けるのは止めてもらいたい。
 珍しく早口に捲くし立てた山本は、
「あいつらの事、よく知りもしないくせに」
 唾を吐いて地面を蹴り飛ばし、了平の肩を叩いて合図を送った。
 言いたい事の大半を山本に奪われた了平も、きつい眼差しでシャマルを睨んで踵を返した。
 来た時よりひとり減らして、連れ立って道を帰っていく。まだ怒り治まらないのか、頭から煙を噴いている山本を呵々と笑い、シャマルは襤褸切れにも等しい長着の上から右の太腿を掻いた。
「俺は、良く知ってる方なんだがな」
 次いで顎を、無精髭の上から引っ掻き、傍観者を決め込んでいたディーノに問う。同意を求められた青年は、垂れ下がり気味の目を彼に向け、袖口から交互に手を入れて腕を組んだ。
 深く長い息を吐き、数秒の逡巡を経て閉ざした瞼を開く。
「だがお前が知ってるのは、今のツナじゃない」
 眇められた瞳から放たれる鋭い視線に臆す事無く、シャマルは乾いた笑いを浮かべてひとつ首肯した。わざとらしい身振りで両手を広げてみせ、一歩半前に出て、大仰な仕草で振り返る。
 緩く握った拳を腰に当て、
「けど、同じだろう?」
 嘲りにも似た語調に片方の眉を持ち上げ、ディーノはそれで怒りを表現した。
「違うさ」
「どこが」
「生き方が。魂の輝き方が」
 一度はディーノも、シャマルと同じ考え方に陥った。同一者として認識し、今の綱吉の人格を蔑ろにした。
 後悔は今も胸の中に渦巻き、棘となって彼の心を刺す。だからこそ二度と同じ轍を踏まぬように意識して、行動している。シャマルの意見には、到底同調できなかった。
 それを青臭い思考だと笑い飛ばし、無精髭を一本抓んで引き抜いた男はまたも踵を軸に反転した。地面に直置きしていた本と徳利を拾い上げ、それを手に屋内に戻ろうとする。馬鹿らしい話をこれ以上続けるつもりは無いと、そういう意思表示だろう。
「お前の望みは」
「俺はただ、知りたいだけだ。この世の理、そしてこの世の終わり、或いは始まり」
 詠うように告げて、男は腰を低くした状態で振り返る。茶室に通じるにじり口ではないが、屈まないと中に入れないのは不便極まりないだろうに。
 一旦身を引いて背筋を伸ばしたシャマルの不遜な態度に若干腹を立て、ディーノは泣き叫んで走って行った綱吉の姿を瞼の裏に浮かび上がらせた。
「だが、な。これだけは忘れるな。天狗よ。俺の思い人をこれ以上泣かせるようなら、俺は遠慮なく、お前を狩らせてもらう」
 左の袖口から右腕を引き抜き、人差し指を立てて突きつけながら宣言する。厳かで、且つ絶対の迫力を内包する言葉に、シャマルは幾許か表情を険しくさせた後、ふっと窄めた唇から息を吐いた。
 場の緊張を打ち砕くいい加減さを前面に押し出し、勢い付くディーノを牽制して踏ん反り返る。
「おいおい、良いのか。天界の神様が、そんな事言っちまって」
「何か問題があるか? お前はもう、輪廻の輪から外れている。魔道に堕ちた魂を救済するんだ、不都合なところなどひとつも無い」
「……」
 今度こそ反論を封じられ、押し黙ったシャマルは首の後ろに浮かんだ汗の不快さに臍を噛んだ。
 過去に彼は、あまりにも不条理な殺戮と、これを食い止める奇跡を同時に見た。人の起こすものとは到底思えぬ事件の連続に、己の狭量さを知り、無力さを嘆き、力を欲した。
 自分にも出来るのではないかという探究心に突き動かされ、知識を掻き集めた。
 西に賢者が居ると聞けば会いに行き、東に知者が居ると聞けば訪ねて行って幾夜と知れず論議を交わした。いつしか自分よりも知識優れる人は居なくなり、しかしあの日見た奇跡は未だ己の手で成し遂げられない。
 悲嘆し、絶望し、人の寿命の短さを愁いだ。
 町を離れ、人と会わず、言葉を交わさず。ただ空を見上げるばかりの時を過ごして、朽ちた肉体は獣に食い破られてとうに尽き果てたとばかり思っていたのに。
 気がつけば廻り行く命の螺旋を抜け落ち、魔道へと突き進んでいた。
 それは人と神が取り交わした約束事から外れた道。神はこれを修正する義務を負う。ディーノが彼を見逃しているのは、ひとえに、シャマルがリボーンの保護下におかれているからに他ならない。
「いいのか。俺に何かあったら」
「リボーンには、幾らでも頭を下げるさ」
 殴られるのは慣れている。口角を歪めて笑ったディーノの不敵さに不利を悟り、シャマルは潔く降参を宣言した。本と徳利を持った両手を肩の高さまで掲げ、もう綱吉を苛めないと軽い調子で告げる。
 たとえ口約束であろうとも、神を前に誓ったのだ。撤回は許されない。強く念押しして、ディーノは緋色の打掛を翻した。
 直後、彼の姿は掻き消えて、旋風が去った後のような渦が土の上に薄く残された。渦を巻いた風も直ぐに消え失せて、ディーノが此処に居た痕跡は失われた。
「ま、いいけどな」
 足元に目を向け、次いで秋空の太陽を仰いだ彼が嘯く。
「俺は傍観者だ。いつの時代も、どんな世界でも」
 彼らがどうなろうと、知ったことではない。喉の奥で笑いを押し殺し、シャマルは今度こそ身を低くし、薄暗い屋内へと姿を消した。