「ツナ、雲雀!」
息せき切らせて駆けて来る彼を迎え入れ、一気に騒がしくなったと雲雀はそうと知られぬよう嘆息した。誰かに見付かる前に離れの部屋に引っ込んでしまいたかったのだが、地獄耳の獄寺に嗅ぎつけられたのが運の尽きだ。
直ぐに解放して貰えそうにない雰囲気だが、綱吉が笑っているので諦める。雲雀が肩を落とした所為で若干ずり下がった綱吉は、慌てて彼の肩を掴んで顔を伏した。
「十代目!」
見逃さなかった獄寺が、綱吉を乱暴に扱う雲雀に牙を剥いた。
「この野郎、十代目を離しやがれ」
右足を前に踏み込んで罵声を上げた彼に涼やかな視線を投げ返し、良く見ろ、と雲雀は綱吉を横に揺らした。それ自体は大した動きではなかったが、足が宙に浮いている綱吉にとっては恐怖で、彼は落とされてなるものかと益々雲雀に強くしがみついた。
離れようとしないのは綱吉の方だと教えてやり、悔しげに地団太を踏む獄寺を鼻で笑い飛ばす。そもそも綱吉は、自力で立って歩けないから、こうやって雲雀に抱きかかえられて移動しているのだ。今彼を地面に下ろしたところで、さっきのようにへなへなとその場に座り込むのが関の山だ。
ぎりぎりと歯軋りする獄寺も、彼らを一歩引いた場所から見詰める山本も、言いたいことは他に沢山あるのだが、巧く言葉が出てこない。雲雀が今まで何処へ行っていたのか、どうやって戻って来たのか――彼の正体がなんであるか。
ひと通り話を聞かされても、直ぐに理解し、納得できるものではない。けれどあの夜に見せられた彼の姿は今も瞼の奥に刻まれ、目を閉じれば即座に蘇るほど痛烈だった。
今まではちょっと特殊な人間としか思っていなかった相手が、まさか本物の龍神だとは夢にも思うまい。山本は知っていたが、知っているのと理解するのとでは次元が違う。
その圧倒的存在感に打ちのめされ、敵わないと思い知らされた。と同時に、同じ高みにまで登ってみたいという、無謀なまでの願いさえ抱かされた。
綱吉を守る為に必要なら、人の身さえ捨てるのも厭わない。それくらいの決心が無ければ、雲雀から綱吉を奪い取るなど、どだい無理な話だ。
「へっ」
ひとりぎゃあぎゃあ喚いている獄寺に呆れ、山本は小さく笑った。広げた手で短く刈り揃えた黒髪を掻き毟り、彼を押し退けて雲雀の前に立つ。
「やまもと?」
「雲雀、お前言ったよな」
無言で両腕を胸の前で広げた彼に、綱吉は不思議そうにし、彼の言葉を受けて雲雀は眉間に皺を寄せた。
「任せたって」
「……言ってないよ」
「おいおい、見苦しいぜ。男に二言は無いって言うだろ」
あの夜にふたりの間で交わされた会話を知らない綱吉には、何のことだかさっぱり分からない。端に追い遣られた獄寺も同様で、彼らが互いに首を傾げあう中、両手を上下に揺らした山本は、早く綱吉を引き渡せと笑顔で雲雀に告げた。
一方の雲雀も、自分が此処に戻って来た以上、綱吉を誰かに譲るつもりは毛頭ない。無表情ですげなく言い返し、嘲弄する山本を鬱陶しそうに睨みつけた。
心持ち周囲の空気が冷え、風が逃げていく。薄ら寒いものを背中に感じ、不穏な気配に綱吉は小さくなった。
無事帰還を果たした雲雀を、もうちょっと歓迎してくれてもいいのに。獄寺や山本を見ていると、喜んでいるのが自分だけのような気がしてならなくて、綱吉はしょんぼりと項垂れて唇を噛んだ。
落ち込んだ彼に気付き、雲雀が半歩下がって綱吉の背中を撫でた。幼い子をあやすように優しくさすってやると、摩擦熱が心地よいのか彼は鼻をぐずらせ、下を向いた。
「う……」
山本が作り出した険悪な雰囲気に、綱吉が傷ついた。自分を棚に上げて背高の彼をねめつけ、雲雀は小刻みに丸くなっている綱吉の髪を撫でた。
顔を逸らされた山本も、態度が露骨過ぎたかと一応の反省を見せる。低く呻いて視線を泳がせ、行き場を失った両手は引っ込めて背中に隠した。
「いや、だから、……その。無事でなにより」
元からいがみ合っている相手だが、いないと張り合いが無くてつまらない。ただ実際戻って来て綱吉をまた独占するのかと思うと、どうも素直に喜べない。
複雑な心境を滲ませた彼の言葉に、雲雀は苦笑した。
東の空に浮かんでいた大きな雲が流れ、隠れていた太陽が姿を現す。庭先に射した光の眩さに目を細め、身じろいで肩を引いた綱吉は、青い空を滑る鳥の影の行方を追い、そうだ、と唐突に声を上げた。
「綱吉?」
「山本、山門って確か」
一番驚いたのは彼を抱きかかえていた雲雀だが、綱吉はそれを無視して片腕を伸ばし、近くにいた幼馴染の袖を引いた。
呆気に取られていた彼も瞬時に我に返り、綱吉が何を気にしているのかを悟ってああ、と頷いた。獄寺に目を向けて、屋根を失った井戸越しに見える立派な門を振り返る。
今更に雲雀も、気がついた。
形状が少しだけ、以前のものと違っている。前は小門の扉が西側にあったのが、今は何故か左の東側に設けられていた。
数日で建設出来る規模のものではなく、何があったのか想像がつかない雲雀は、説明を求めて山本を仰ぎ見た。しかし彼は、どう答えればよいのか迷っている様子で、役目を押し付けようと肘で頻りに獄寺を小突いていた。
「止めろって、こら」
ちょっかいを仕掛けてくる山本を押し返し、獄寺が目に入った前髪を横に払い除ける。ふたりの態度に、待っていても埒が明かないと判断した綱吉は、雲雀の襟を引っ張って彼の注意を引き寄せ、自分で立とうと身を捩った。
落としてしまう前に彼を降ろし、矢張り巧く立てないので腰を抱いて横から支えてやる。雲雀をつっかえ棒にした綱吉は、柳の枝のように彼にしな垂れ掛かり、自分の記憶を掘り返して人差し指を顎に置いた。
「門って、滅茶苦茶に壊されちゃった筈じゃ」
「あー、そそ。なっかなか片付かなくてさ」
「壊れた?」
綱吉の質問に、獄寺と取っ組み合いの喧嘩寸前まで発展していた山本が明るい声で答える。初耳の雲雀が眉を寄せる中、力勝負に持ち込まれて既に敗北間近の獄寺は、耳まで真っ赤にして、ひとり唸っていた。
雲雀の目には、立派な山門が映っている。記憶の中のものと多少造詣が違っているが、綱吉や山本が言うような破壊された状態にはとても見えない。けれどふたりが冗談を言って雲雀をからかっている様子も無く、困惑していると、ついに根負けした獄寺が聞くに堪えない悲鳴を上げて地面に膝をついた。
綱吉に次いで体力が無い癖に、山本に正面から挑んで行っても勝ち目があるわけがない。馬鹿なことをすると呆れ果てる三人の前で悔し涙を浮かべた彼は、瞳を潤ませると即座に踵を返し、咽び泣きながら裏庭を西へ走って行ってしまった。
見送った三人が顔を見合わせたところで、何事も無かったかのように山本が「つまり」と切り出した。
「一瞬であれを、元通り……じゃねーけど、あんな風にしちまえる人が来てんだよ。雲雀、お前に客だ」
「僕に?」
それは予想外の回答で、思わず目を瞬いて自分を指差した彼に、山本は鷹揚に頷いた。
彼が並盛に戻って来ていることを知っているのは、綱吉以外では今此処で再会を果たした山本と、獄寺のみ。ひょっとすればリボーンは既に感知しているかもしれないが、彼がわざわざ客として訪ねてくることは無いだろう。黄色い頭巾の赤ん坊は、此処沢田家の守り神なのだから。
一瞬了平の顔が浮かんだが、いくら非常識な頭と腕力を持ち合わせている彼でも、一晩で門を修復してしまう器用さは持ち合わせていない。
思いつかなくて雲雀は首を傾げた。
不思議そうにしている彼と綱吉を交互に見て、山本は胸を反らせて高笑いした。会えば分かると言って、腕を振って踵を返す。着いて来いという態度に、雲雀達は顔を見合わせた。
「誰かな」
「さあ」
興味半分、恐怖半分で綱吉は声を潜めた。雲雀も素っ気無く返すだけに留め、軒先で足の裏の汚れを払い落としている山本の姿に唇を尖らせた。
ものを破壊するのは一瞬で出来ても、作り出すのは容易ではない。ましてや一晩で、あの大きさの門を修復してしまえる技量の持ち主を知り合いに持った覚えは、ない。顔を顰めた彼に早く来いと手招き、山本は建物内部に姿を消した。仕方なく、雲雀は綱吉を伴い、彼を支えながら非常に鈍い足取りで母屋に向かった。
獄寺達が騒いでいたので、中にいた奈々もとっくに綱吉の帰還に気付いていた。ふたり並んで姿を見せたのを受け、囲炉裏端で嬉しそうに両手を叩き合わせる。顔色は幾分冴えなかったが、それは恐らく最愛の息子を思っての結果だろう。
彼が誰に相談することもなく、命の終わりを結ぼうとしていた事実を、母は直感的に悟っていた。
「おかえりなさい」
「……ただいま」
指先を揃えて膝の前につき、深々と頭を下げた奈々に綱吉が照れ臭そうに頬を掻いた。
床に上がってしまえば後は四つん這いでも進める。彼は雲雀を待たずに両手両足を交互に動かして居間へ移動し、行儀が悪いと叱られて舌を出した。
草履を脱いで縁側に上がった雲雀は、先に中に入った山本を探して視線を泳がせる。気付いた奈々が後方を指差し、南側にある座敷だと教えてくれた。
「ツナは、先に着替えてきなさい」
「あ、そうだった」
いつだって温かく迎えてくれる奈々に元気を貰ったのか、なんとかひとりで歩けるくらいには回復した綱吉が、すっかり忘れていたと袖を広げて自分の格好に目を落とした。
一度脱いだものを簡単に着付けただけなので、腰に結んだ紐が今にも解けそうだ。床を擦る裳は、山道を通って戻って来た所為で特に汚れが激しい。
雲雀を振り返った綱吉は、彼が頷くのを見て目尻を下げた。雲雀の客人も気になるが、この格好で人前に出るのも憚られるので、奈々の忠言に従うことにする。許可を貰い、彼は土間にあった草履に足を突っ込んだ。
「転ばないようにね」
「そこまで子供じゃありませっ、ぬわ!」
ただでさえ足元不如意なのだから、との雲雀に反論しようとした途端、爪先で裳の弛みを踏んだ彼は派手にすっ転んだ。
だから言ったのに、と痛むこめかみを押さえて雲雀が俯く。奈々はころころと楽しげに喉を鳴らし、綱吉は恥かしそうに首を振ってから急いで裏口から出て行った。
ついでに黒髪を梳き上げて後ろに流した雲雀が、視線を感じて斜め下を見た。囲炉裏端で正座した奈々が、それまでの優しい笑みを薄め、珍しく真剣な眼差しで彼を見詰めていた。
「……あの」
「ありがとう、恭弥君」
綱吉に用があるなら呼んで来ると、そう言い掛けた雲雀を制し、奈々が深く頭を下げた。
唐突な事に驚き、雲雀は二の句が継げない。礼を言われる覚えは無くて返事に困っていると、顔を上げた彼女は前に垂れ落ちた髪を耳に掛け、目尻に浮かんだ涙を指で拭った。
「ありがとう、あの子を――連れて帰ってきてくれて」
瞼を閉ざし、交互に眦に人差し指を走らせた奈々が感極まった声で音を紡ぐ。彼女が告げる意味を理解した雲雀は、一瞬息を詰まらせて絶句し、直ぐに苦々しい表情を作って首を横に振った。
綱吉を追い詰めたのは、他ならぬ雲雀だ。だから奈々に感謝される謂れは無い。
否定の言葉を早口に並べ立て、彼は顔の右半分を手で覆った。結果的には綱吉だけでなく、大勢の心に傷を残してしまったわけで、どれだけ悔やんでも、悔やみきれない。
感情を見せずに嗚咽を咬み殺した雲雀に、奈々は音も無く立ち上がった。手を伸ばし、邪魔になる袂は反対の手で押さえて爪先立ちになる。白い足袋が着物の裾から覗いた。
頭を撫でられ、彼は見張った。
「貴方は、とてもいい子ね」
引き取った当初はとても扱いに困る子だったけれど、と控えめに笑い、彼女はスッと腕を引いて胸の前で両手を結び合わせた。
「あの子が選んだのが貴方で、本当に良かったわ」
「……」
「おーい、雲雀。何やってんだ、早く来いって」
咄嗟に答えられず、無愛想過ぎる鉄面皮を披露した雲雀を呼ぶ声が、遠くから響いた。間の悪すぎる山本に思わず舌打ちすると、奈々がぷっと吹き出した。
カラコロと喉を鳴らし、脇腹を抱え込んだ小袖の女性は、綱吉に良く似た眼差しで雲雀を見詰め、いってらっしゃいと彼に道を譲った。
「綱吉は」
「これからも、あの子を宜しくね」
反射的に伸び上がり、声を発した雲雀を遮って奈々は悪戯っぽく片目を閉じた。
茶目っ気に溢れた対応に雲雀は続く言葉を忘れ、場の空気に困り、仕方なくしつこく自分を呼ぶ山本に大声で返事をして歩き出した。三歩進んだところで肩越しに振り返り、早々に気持ちを切り替えて土間に降りて行く細身の御前に淡く微笑む。
心の中で感謝の意を述べ、痺れを切らして前の間から顔を出した山本に手を掲げて応じる。遅いと怒られ、雲雀は口先だけで謝罪した。
「それで」
いったい誰が自分を訪ねて来ているのか。
横に並んだ山本に問おうとした雲雀だったが、直後感じ取った神経に障る気配に、一瞬で全てを理解した。
「――っ」
「よ」
前の間を抜け、開け放った襖の向こうに広がる中の間。若緑の畳が目に優しい中、渋みのある茶色の座布団に鎮座した青年が、雲雀の姿を認めた瞬間、明るい声と共に右手を挙げた。
ぴきっ、と雲雀の背後で何かが砕け散る音がした。
「貴方という人は、どこまでおこがましいんだ!」
「いやー、照れるな」
「褒められてないですよ、ディーノさん」
瞬時に燃え上がった雲雀の怒気を軽く受け流し、後頭部を掻き回したディーノに山本が教えてやる。彼の横にはリボーンが居て、いつもの湯飲みで温かい茶を啜っていた。
その場には他にみっつ、似た形のものが並んでいた。ひとつはディーノのものとして、先ほどまで獄寺や山本がこの場に在籍していたと推察できた。
言われてみればなるほど、納得が行く。壊れた山門を一瞬で復元してみせるのも、神の位にある彼ならば造作も無い事だ。雲雀の帰還を知って訪ねて来るのだって。
何故気付かなかったのかと、己の迂闊さを呪って彼は奥歯を噛み締めた。
「あれ、ディーノさん?」
しかし今更悔やんだところで、もう遅い。手早く着替えを済ませ、小豆色の長着を纏った綱吉が南に面する庭から座敷に直接回りこんできた。
驚きを素直に表明した彼の高い声に、その場にいた全員が顔を上げる。特に名前を呼ばれた人物の反応が最も顕著で、雲雀が二の足を踏んでいる間にサッと立ちあがり、緋色に大輪の牡丹を咲かせた打掛を羽織ったまま縁側に駆け寄った。
「ツナ!」
「わぶっ」
両手を伸ばし、恐々近付いてきた彼をいきなり抱き締める。
その時山本は、雲雀の背後に修羅の面が浮き上がるのを見た。
下から掬い上げられ、雲雀に続きディーノにまで易々と抱えられてしまった綱吉は、宙に浮いた足をばたつかせて足の指で挟んでいた草履の鼻尾を外した。軒を支える柱に直撃しそうになったのを、自分からディーノの頭にしがみつくことで回避し、足をもつれさせた彼を下敷きにして座敷に雪崩れ込む。
衝撃の大半は綿入りの打掛に吸収され、一気に視界が変わったディーノは、愉快だと頭を打った痛みも構わずに笑った。
「大丈夫か、ツナ」
「俺は平気、だけど」
何がそんなに面白いのかと、破顔している彼の上で身を起こし、綱吉は頭を振って山本に返事をした。
重かろうから退いてやりたいし、山本も綱吉を助け起こすつもりで右手を差し伸べていたのだが、ディーノの両手はがっちり腰を捕まえており、離れるのは容易ではなかった。
解放してくれるよう頼み、分厚い胸板を叩くが応じて貰えない。逆に引きずり倒され、両腕に包み込まれてしまった。
「ちょ、ディーノさん」
「あー、やっぱいいなー。ツナ、ちっちぇー。いい匂い~」
甘えた声で頬擦りしてくる彼に、綱吉が上擦った声で悲鳴をあげる。拘束から逃れようとじたばた暴れるが、彼の細腕では、とてもではないがディーノを振り解くなど無理な話だった。
上機嫌に目尻を下げ、綱吉の肩口に鼻を埋めて深く息を吸い込む。流れ込んできた彼の体臭にディーノは至福の表情でだらしなく口元を緩め、戯れに彼の首を撫でてそこにくちづけた。
ぞわっと来るものがあって、綱吉が息を詰まらせた。
「っ、やめ!」
「んー、ツナ、可愛いな~」
人の迷惑顧みず、綱吉を抱えたままディーノは身を起こした。ぎゅっと腕に力を込めて抵抗を封じ込め、益々体を密着させて柔らかな髪に鼻筋を押し当てた。
目を閉じ、恍惚とした表情で頬を摺り寄せる。
「……あ、やべ」
一連の行動を見守るしか出来ない山本が、真後ろから立ち登る凄まじい怒りの気配に背筋を粟立てた。
火烏が村に放った瘴気よりももっとどす黒く、禍々しい気を滾らせて雲雀が一歩前に踏み出る。あまりにも危険すぎる状況に山本は冷や汗を流し、どうする事も出来ずにその場に立ち尽くした。
止めに入れば、先ず間違いなく自分が先にやられる。頬を引きつらせて乾いた笑いを浮かべ、山本は摺り足で畳の上を後退した。
反面、沸き立つ雲雀の怒りを無視し続けるディーノは、畳の間と板張りの廊下との境界線に陣取り、胡坐の上に綱吉を乗せてひっきりなしに頬擦りを繰り返していた。
「ディーノさん、ちょっ、放してください!」
じたばたともがく綱吉を強引に封じ込め、少しも緩めようとしない。呼吸さえ苦しくなってきて、綱吉は助けを求めて右腕を雲雀に向かって伸ばした。
だが広げた手は虚しく空を掴み、直後びくりと震えて硬直した。
「ん――」
雲雀の後ろに下がった山本が、目の前に展開する光景に絶句して立ち眩みを起こした。
うっとりと目を閉じたディーノが、悲鳴をあげていた綱吉の唇を唇で覆い、塞いでいた。
「んぅ」
鼻から息を漏らし、琥珀の瞳を限界まで見開いた綱吉が、生温く濡れた感触に背筋を戦慄かせた。
呆気に取られて閉じるのを忘れた唇を割り、柔らかな熱が綱吉の咥内へ侵入を果たす。逃げる事も出来ず、綱吉は舌先を小突くディーノの悪戯に鳥肌を立てた。
「うぉ、い……」
なんて羨ましい。いや、恐ろしい事を。
冷や汗を流した山本は、引きつった笑いでディーノの無謀な行動に見入った。今、どれだけ危険な状況が差し迫っているのか、肌を刺す冷たい空気で嫌というほど感じているのに、目が逸らせないところが綱吉に惚れた彼の弱みだった。
綱吉がくちづけの際、どんな顔をして、どんな風に心融かしていくのか――
雲雀は見せたがらないし、自分で試した過去も無い。思わず喉を鳴らして唾を飲んだ山本の横で、雲雀が不気味な笑みを浮かべた。
その手に握るは、青銀色の拐。
ひんやりした空気の流れを感じ取り、山本はビクリと大袈裟なほどに全身を痙攣させた。首を竦めて脇を締め、肘を胴体に押し付けて小さくなった彼を追い越し、雲雀が非常に緩慢な動作でディーノににじり寄る。
彼は目の前の相手に夢中で、身に迫る危機に全く無関心だった。
「んっ、ふあ、ぁ……ゃん!」
「ツナ、すげー可愛い……」
するりと綱吉の背を滑り降りた彼の手が、布越しに柔らかな尻を撫でる。形をなぞる指の動きは実に淀みなく、肩を強張らせた綱吉を宥めて彼は一旦顔を離し、透明な雫を滴らせる綱吉の顎を舐めた。
紅潮した肌は熱く、ほんのり甘い。潤んだ琥珀は艶を増し、息も絶え絶えに打掛の衿を握る手は細かく震えていた。
しどけなく濡れた唇は朱色を一層鮮やかにして、ディーノを喜ばせた。
昨晩散々雲雀に甘え、蜜月の時間を味わった綱吉の身体には、その余韻がまだ微かに残っている。相手が雲雀でないと分かっているのに、巧みな手管に惑わされて肉体は浅ましく反応を返し、抵抗は次第に弱まっていった。
今は彼の打掛を握り締めるのが精一杯で、睨む目にも力が無い。まどろんでいる時にも似た瞳の彩を見詰め、ディーノは此処が何処なのかも忘れて綱吉に喰らいついた。
「ツナ……」
恋焦がれる声色で名を呼ばれ、綱吉は肩を大きく震わせた。
このままでは流されてしまう。腕に力をこめて押し返すが、体格で勝る彼から逃れるのは至難の業であり、尚且つ背筋を駆け上る電流は容赦なく綱吉から抵抗力を奪い取って行った。
臀部から太股に回り込んだディーノの左手が、捲れ上がった小豆色の長着を押し退けて素肌に直接触れた。昨晩散々雲雀に弄られた場所でもあり、ひんやりと冷えた指先が与える感覚に綱吉は甲高い悲鳴を上げ、握り締めた彼の腕に爪を立てた。
軽い痛みに笑みを返し、歓喜に浸るディーノが首を前に倒す。
「ツナ」
熱い息を耳朶に吹きかけ、身を仰け反らせる綱吉の唇を求めて蠢いた彼の頭上で。
風が。
「――っ!」