精霊火 第五夜(後編)

 炎が立ち込める。熱波が地表を覆い、飛び散る火の粉は容赦なく彼の肌を焦がした。
 青紫の燐光を放つ拐をぞんざいに振り、雲雀が鬱陶しげにそれらを払い除ける。彼が動いた場所からはか細い煙が浮き上がり、やがて薄紫色を帯びた雲となって彼の頭上に消えていった。
 大地を飲み込もうとする熱を吸収し、雲雀の周囲には心地よい冷風が渦を巻いた。彼の風下に蹲る山本や獄寺たちにもその風は届き、手で掴んで握り潰せばひんやりと火照った身体が穏やかさを取り戻していくのが分かった。
 黒髪を波立たせ、雲雀がゆっくりとランチアに迫る。戦闘不能に陥っている千種、犬を視界の端に認め、己の劣勢を悟りつつも尚、片翼を背負う男は構えを解こうとはしなかった。
 憤怒の形相を崩さず、目で射殺す勢いを維持して雲雀を睨みつける。牙を剥く姿は人の領域を離れて久しく、彼は褐色の肌に赤みを強め、握った太い鎖を胸の前で打ち鳴らした。
「ぐおぉぉぉぉぉぉぉ!」
 獣の咆哮をあげ、巨大な鉄の塊を鎖ごと頭上で振り回す。熱を帯びて赤銅色に変化したそれを、彼は雲雀目掛け一直線に撃ち放った
 大気を押し潰し、摩擦熱でさらに高温と化した鉄塊は、表面に刻まれた無数の溝により予想外の軌道を生み出す。雲雀は素早く腰を落として拐を構えると、周囲に立ち込める熱波の流れを読み取って、法則性が無いように思える動きを即座に把握した。
「ぬるいね」
 今なら、ありとあらゆるものの中に宿る霊気の動きが読み取れる。綱吉に頼らなくても、自分自身の眼で不可視の現象を捉えられる。
 不敵に口端を歪めて笑い、雲雀は左から来ると見せかけて斜め下から抉るように向かって来る鉄球を最小限の動作で躱した。瞬きの時間の差で激突するそれを仰け反って躱し、溜めていた拐を低い位置から思い切り叩き込む。
 手首から肘、上腕にかかる一帯に震動が走り、衝撃が骨を軋ませた。
「ぬぐぁぁぁ!」
 怒号が轟く。どうにか立ち上がるのに成功した山本が、頬を撫でる涼しい風に目を見開いた。
 炎を纏ったランチアが、雲雀によって打ち返されようとしている鉄球目掛けて、彼自ら突っ込んできたのだ。
「ぐっ」
 巨大な鉄の塊を挟み、両者が力比べを開始する。片腕では防ぎきれず、二本の拐を交差させた雲雀が前方から加えられる重圧に短く呻いた。
 押し返され、両足が踵から地面に沈んでいく。丹田に力を込めて踏み止まり、彼は視界を塞ぐ赤黒い塊を鋭く睨みつけた。
 逆手に拐を握る手が痺れる。ふるふると肩を小刻みに震わせ、彼はありったけの力でランチアを押し返そうと試みた。されど相手も、怪力を見世物にしていただけあって、そう易々と負けるわけにいかない。暴走する火烏に操られ、人間としての限界を超えて腕が壊れるのも厭わなかった。
 まるで苦痛を感じていないランチアの姿に、地面に這い蹲ったままの獄寺は喘いだ。
「化け物め」
 悔しいが、あの場に自分が割り込んだところで何の役にも立てそうにない。一秒だって雲雀の壁になるのは難しく思う、それは山本も同感だった。
 桁が違いすぎて、圧倒されて見ていることしか出来ない。
「解いたのか、ツナ」
 あれ程に頑なに、雲雀を縛ってきた綱吉が。
 綱吉に縛られることで、綱吉を束縛してきた雲雀が。
 互いが互いに科していた枷を外したのだ。山本が砕こうとして出来なかった絆を自らの手で解かなければならないほどに、綱吉も雲雀も、追い詰められたというのか。
 山本は呆然と、歯茎まで覗かせて吼えるランチアと、ひたすら静かに耐える雲雀を遠巻きに眺めた。
 ピシピシと空気がぶつかり合い、罅割れて弾け散る音が続く。高熱と冷気がぶつかり合い、気流を乱して渦を巻きながら上昇していく。雲が広がり、空を覆い隠す。
 赤く染まる暗闇が、村を包む。
 村人の怒りと憎しみと悲しみを飲み込み、全てを灰に変えてしまう。
 否。
 させない。そんな事は、二度とさせない。
 あの子が生まれ、育った場所だ。
 あの子を愛し、育んでくれた場所だ。
 二度と失わせたりしない。同じ思いをさせたりはしない。
 雲雀の右目が赤々と輝き、周辺の皮膚が音を立てて崩れ落ちる。食いしばる奥歯に苦いものが生じ、息を堪えた彼は一瞬の隙をついて右肩を大きく後ろへ退いた。
 ぐらり、後ろへ傾きかけた身体を支え。
 大地に二本の足を突き立てて。
 彼は。
「あの子を傷つける真似は、絶対に」
 叫び。
 渾身の力を込め。
「僕が」
 地獄の業火を纏いし鉄塊に。
 燐光を帯びる拐を。
 渾身の力を込めて。
「この僕が許さない!」
 ぴしり、と。
 打ち込まれた鉄球の表面に小さく、細い、僅かな亀裂が走った。
 雄叫びが村全体に響き渡る。拐を包む青紫の炎を、雲雀はその一点に、ありったけの思いを込めて叩き付けた。
 みしみしと軋む音がする。禍々しい赤を纏った鉄に、ひび割れが広がっていく。
 内側から急激に冷やされ、温度変化についていけない無機物が限界の声をあげた。
「ぬぐぅ!」
 ランチアが異常を感じて雲雀を圧す力を増大させる。けれどそれさえも、己の武器を破壊する手助けにしかならない事に、人としての判断能力を欠如した彼は気付けなかった。
 沈黙が掌を伝う。圧力が消え失せる。一瞬、何も無かったかのように錯覚させられる。
 刹那。
 彼の目の前で、鳳仙花の種が飛び散るように、重く巨大な塊は木っ端微塵に砕け散った。
 広げていた手が空を掴む。力の行く先を失った身体が宙を泳ぐ。見開かれた瞳に不遜な笑みを浮かべた雲雀の姿が映し出される。鉄塊を砕いた拐の勢いをそのままに、踏み出した足で大地を抉る。
 咄嗟に身を捻る。右肘を立てて首から上だけは防御する。金属に似てまるで次元の異なる冷たい一撃が小手にめり込む。不安定な姿勢が一気に崩される。地面から足が離れる。
 斜めに――突き倒される。
「ぐぁは!」
 一回転して右肩から落ちる。弾んだ身体が天を向く。鈍色の閃光が走る。真上から拐が振り下ろされる。迷いの無い一打に背筋が慄く。あらぬ方向を向いている右小手を構わずに差し向ける。寸前で跳ね返し、左肩を強引に持ち上げる。頭から突進する。拐で受け流すのを諦めた雲雀が左斜め後ろへと避ける。僅かに逃げ遅れた右足が宙を泳ぐ。開いた脇腹に狙いを定めて拳を繰り出す。雲雀が眉間の皺を深めて声にならない声で叫んだ。
 肉を抉るつもりで繰り出したものが、思わぬ抵抗を受けて弾かれる。硬い手応えに、ランチアが怯んだ。
「龍の鱗は、初めてかい」
 幾許かの余裕を感じさせる声で、雲雀が囁く。
 気がつけば目の前に。
「なら、たっぷり教えてあげるよ」
 顔の右半分を崩し、その向こう側に夜闇よりも深い闇を覗かせた雲雀が、赤い瞳を爛々と輝かせた。
 振り上げられた蒼い拐。そこに宿る紫を伴った炎。
「がっ」
 遠慮の欠片も無い一撃を首の後ろに叩き込まれ、脊髄が折れる寸前の衝撃にランチアは一瞬だけ意識を飛ばした。直後下から蹴り上げられ、沈もうとしていた身体が今度は空を舞う。落下に転じたところを更に横からの一撃が飛んで、声も無く彼は地面に転がり落ちた。
 息が出来ず、全身を痙攣させて、その姿はまるで陸に揚げられた魚のよう。虚ろに彷徨う瞳は何かを探しているようであり、全てに絶望しているかのようでもあった。
 片翼をもぎ取られた鳥が、それでも空を舞う自由に焦がれて足掻いている様にも似ていた。
「かっ……は、ぐああぁぁ!」
 雲雀の一発を受けるたびに、肉体を構成する骨格が、筋肉が粉砕され、断絶される。激痛に悶え苦しむが決定打を与えられず、地獄の責め苦を受ける彼に対し、雲雀の視線はどこまでも冷ややかだった。
「痛い?」
 そう問うておきながら、傍へ歩み寄った彼は無造作にランチアの脇腹を踏みつけた。内臓が潰れる音が肌を通して聞こえてくる。彼の口から漏れるのは、屍に至る直前の断末魔に等しかった。
 必死に抵抗して、ランチアが原型を留めない両腕で彼の右足を掴んだ。しかし触れたところからずるりと雲雀の表皮は崩れ落ち、形を失っていった。内側から現れるのは、高密度の霊気――神気の流れ。
 反対側に折れ曲がっていた小指が神気に掠める。瞬間、全身が粉々に打ち砕かれる衝撃に襲われ、ランチアの四肢は地面にから数寸跳ね上がった。
 ぼろりと、また雲雀の顔が、腕が崩れていく。
「か、は……は、あ……ぁ」
「あの子を傷つけた、罰だよ」
「あ、あぁ……」
 不意に。
 ランチアに宿っていた禍々しい気配が薄れた。
「――?」
 怪訝な顔をした雲雀が、右足を彼から退かせる。拐は構えたまま、何かを探る眼で横たわるランチアを上から下まで凝視した。
 そして、
「解放したのか!」
 この一瞬で起きた出来事を悟り、声を荒げる。
 足元のランチアが、穏やかな顔で違う、と首を振った。
「つなよし!」
 その名を叫び、雲雀が北の山麓に体を向けた。具体的な居場所まではつかめないが、自分を呼んで泣きじゃくる綱吉の声が脳裏に響いた。
 怯えて、怖がって、嫌がって、震えている。自分自身が信じられず、他人を受け入れられず、自分が生きていることそのものに恐怖している姿が浮かび上がり、雲雀は彼をそんな目に遭わせた存在に強く憤った。
「あの男……!」
 どこまで綱吉を掻き乱し、苦しめれば気が済むのか。執念深く、醜く、おぞましい存在を忌々しげに頭から追い出し、雲雀は一瞬で途切れてしまった綱吉との伝心に不安を強めた。
 急がなくてはならない。人としての形を保っていられるのも、あと僅かな時間しか残されていない。
「あいつ、は……」
 焦燥感に駆られて唇を噛んだ雲雀の下方から、蚊の鳴くような声が聞こえた。
 耳にしたくも無い音声に、雲雀がぎりっと奥歯を擂り潰してその発生源を睨み下ろす。既に息も絶え絶えのランチアが、周囲が腫れあがっている所為で落ち窪んで見える眼で、腹立たしさを隠そうともしない雲雀を見上げていた。
 さっきまでの荒々しさは何処へ消えてしまったのかと、驚くほどの穏やかさに雲雀の表情が煙る。いぶかしむ視線を投げ返されたランチアは、恐らく声に出そうとしたのだろうが失敗し、唇を歪めることでどうにか笑いを表現した。
「……て、やっ……くれ」
 殆ど開かない唇で辛うじて聞き取れる音を刻み、雲雀へ弱々しく手を伸ばす。しかし届かず、彼の腕は地に落ちた。
 今のランチアには、火烏の気配が感じられない。完全に消え去ったわけではないが、彼に預けられていた片翼は、雲雀の神気に触れた影響か、或いは本体である骸に呼び寄せられたのか、兎も角一瞬の隙を突いてランチアから離れ、逃げ遂せてしまった。
 その前後に受け取った綱吉の叫び声。必死に雲雀を呼ぶ痛切な声は、思い出すだけでも胸が抉られる。
 時間が惜しい。しかし何かを訴えようとするこの男を無視してはならないと、雲雀の中の別の存在が、彼の言葉を聞くように喧しく警告を発していた。
 綱吉が気に掛かる。だが自分たちは根本的な何かを見落としたままでいる気がして、雲雀は動けなかった。
「あい、つ……のねが……を、たのむ……」
「叶えろって?」
 しかし続けて聞こえて来た調子の良すぎる頼みに、雲雀は反吐が出る思いで言い返した。
 留まるべきではなかった。雲雀は素早く拐を仕舞い、ボロボロに炭化した長着もろとも左腕が崩れ落ちる様に舌打ちした。まだ腕の形を保っていたものが、肩の部分から千切れて地面へと落ちる。大地に沈むまでに霧散したその様に、見ていた山本が息を呑んだ。
 平然としている雲雀を信じられないという顔で見詰め、素早く予想を脳内で巡らせる。
 山本が騒動を起こした夜。雨の中、綱吉を探して迎えに行った雲雀は、なかなか里に戻ってこなかった。帰りを待ち侘びて、待ち疲れた頃、日が昇る前に綱吉だけが屋敷に戻された。
 あの時何故、雲雀は綱吉と共に屋敷に帰って来なかったのか。数日間山に籠もり、一切人前に姿を見せようとしなかったのか。それは即ち、人に見せられるような状態ではなかったと、そういう事になりはしないか。
 十年前の雲雀山で目撃された龍、雲雀に封印されているという蛟。そして今、彼の目の前で人としての姿を失おうとしている雲雀。
 綱吉の鎖から解き放たれたこの状況は、まさしくあの夜、山本が望んだ結末の筈だ。
 だのに、どうしてか喜ぶ気になれない。緊張に心臓がはち切れんばかりで、彼は瞬きを忘れてランチアの前に立ち尽くす雲雀を呆然と眺め続けた。
 雲雀の冷徹な返事は、ランチアも予想していたのだろう。彼はまた苦しげにしながらも笑おうとして、同時に首を横に振った。
 よく見ていないと解らないほどの、僅かな動きではあったけれど、どうにか雲雀には通じたようでホッと息を吐く。眉間の皺を深めた雲雀は、なにが違うのかと喋る力さえ殆ど残っていない彼を睨んだ。
 骸の願いは、綱吉を手に入れること。
 積年の恨みを晴らし、綱吉に関わる全てを焼き尽くすこと。
 現に並盛村は、現在進行形で火の海の真っ只中だ。綱吉は骸に襲われ、苦境に立たされている。戦う力を持っていても、闘う術と心構えを未だ築けていない綱吉には、あの男は手に余る。
 憎しみと、怒り。そのふたつに支配された男に対し、綱吉はあまりにも優しくありすぎた。人の穢れを知らなさ過ぎた。人の機微に敏感で、心の中まで覗き見てしまえるような繊細なあの子に、骸の底知れぬ闇は毒でしかない。
 腹立ちを吐き捨てる雲雀に、ランチアは繰り返し首を振る。違う、そうではない、と。
 火烏を共有することで、ランチアにも骸の感情の幾らかが流れてきたことがあった。確かにその大半は雲雀の言う通り、蛤蜊家への――退魔師を筆頭とする人間への、激しい憎悪に他ならなかった。
 日食の日に、尚且つ母親の命を奪う形で産まれてきた赤子を不吉として、地下に幽閉した家への恨み。
 誰にも愛されず、求められず、自らの手で死ぬことも出来ず、無駄に時を重ねて生きるほか無かったことへの怨み。
 そしてなによりも、自分に唯一手を差し伸べてくれた存在への、抱えきれないほどの愛憎と。
 積み重ねられたものその全てが、綱吉ひとりに向かっている。彼の所為で人生の全てが狂ったのだと、骸は謂れも無い憎しみを綱吉にぶつけている。
 残る右の拳を握り締め、雲雀は時間の無駄だったとランチアに背を向けた。歩くほどに体が崩れていくのも気にせず、北を目指そうと動く。
 最早自力で起き上がるのも不可能なランチアが、とうに失われた視界で雲雀を探し、唇を震わせた。
「……つを……すくって、やって……くれ…………」
 聞こえた雲雀に電流が奔った。
「――」
 息を止めた彼は僅かに前につんのめり、完全に沈黙したランチアを振り返る。瞠目した彼の顔右半分が暗闇に囚われ、赤い瞳だけがそこにぼんやりと浮かび上がった。
 薄く開いた唇の隙間から冷たい空気を吐き、戦慄く拳を解いていく。
 それは――ランチアの願いは。
 果たして、誰の望みだったか。
「君がそれを言うの」
 己の人生を無茶苦茶にした男に対して、最後まで情けを掛けるというのか。
 かすかに震えを残す声で呟き、雲雀はかぶりを振った。
 本当に、どうしようもなく、あの男の周囲にまでお人よしが溢れかえっている。地に伏す犬、千種にも目を向け、雲雀は口元に自嘲にも似た微かな笑みを浮かべた。
「……仕方が無いね。他ならぬ、あの子の願いだ」
 二百年前の悔恨を、今宵晴らそう。
 雲雀は残る黒水晶の瞳を眇め、立ち尽くす山本へと視線を投げた。
「っ」
「あの子を、――頼むよ」
 聞こえるかどうかの音で囁き、雲雀はゆらりと身体を揺らめかせた。
 沸き起こる雲に飲まれ、少しずつ彼の姿が消えていく。熱を孕んだ大気を鎮め、赤黒く染まる空を優しく撫でて登っていく。
 やがて、重く圧し掛かる灰色の雲の隙間に雷光が走った。隙間を縫うようにして、何か巨大なものが蒼い燐光を発して蠢く様が人々の目に露となった。
 声も無く見守る山本の傍に這いずり、上を向いた獄寺がぽかんと口を開いて間抜けな顔を晒した。その額にぽとりと、冷たいものがひとつ、落ちて砕けた。
「あめ……」
 掌で撫で掬い、掠れる声で呟く。瞬間、脇の山本が怒り狂ったように地団太を踏み、空に向かって怒鳴り声を上げた。
「ふざけんな!」
 痛みさえ忘れて握り拳を空に衝き立て、心底悔しげに、こんな結果は本意では無いと、彼は声を荒げて怒号をあげた。
 激高する山本と、次々に量を増やす雨粒とを交互に見て、獄寺は短く息を吐いた。自分でも驚くくらいに冷静な頭が結びつけたひとつの事柄は、到底信じられない答えであったけれど、他にこの状況を説明する材料を持たぬ彼は、ただ呆然と降り注ぐ雨に手を差し伸べるしかなかった。
 桶を両脇に抱えて消火活動に奔走していた了平も、延焼を食い止めるべく設けられた即席の土塀に守られていた京子とハルも、覚えの無い打撲痕に頭を捻る持田たちも、ひとり暗闇に取り残されて孤独に震えるフゥ太も。
 空になった徳利を肩に担いだシャマルも。
 その傍でけだるげに髪を掻き上げたビアンキも。
 神社の格子戸を引いて本殿から表に出た奈々も。
 彼女を守る格好で構えていた牛の図柄を思わせる長着に角を持つ青年も。
 青年に寄り添う、長い黒髪の少女も。
 静寂に包まれた稲荷神社の石像を通し、里を見詰める麦の穂色の髪をした少年も。
 燻る薪を踏み潰して火種を消した髭面の男も。
 金色の髪を揺らし、緋色の打掛をたくし上げた青年も。
 黄色い頭巾を目深に被り、物憂げな瞳を翳らせた赤ん坊も。
 みんな。
 みんな、空を見上げていた。

2009/04/10 脱稿