精霊火 第五夜(前編)

 君が笑っている。
 君が怒っている。
 君が拗ねている。
 君が泣いている。
 君が微笑んでいる。
 君が照れている。
 君が。
 君が。
『君が……』
 君が僕を置いて行く。
 君が僕を見捨てる。
 君が僕を裏切る。
 君が僕を棄てる。
 君が。
 君が。
 君が。
『君が、悪いんです』
 赤い炎が爆ぜる。
 僕が生まれた日と同じ闇が空を覆う。
 薄暗くも明るい夜空の下で、僕は初めて君の鮮やかな甘茶色の髪と、艶やかな琥珀の瞳を見た。
 とても愛らしくて、綺麗で、優しげで、儚げで、哀しげな瞳が僕を見詰めた。
 何か言いたげな紅色の唇は、けれど何の音も刻むことなく静かに閉ざされた。
 頬に触れようとした手は、するりと宙を滑り落ちていった。
『君が悪いのです』
 君は僕の世界だった。
 君は僕の命そのものだった。
 君が僕の生きがいだった。
 君だけが、僕を支えてくれた。
 君だけが、僕の生きる意味だった。
 それなのに、君は。
 君は。
 僕を。
『――ナ!』
 無粋な男の声が僕たちだけの世界創世の邪魔をする。振り下ろされた拳が僕を撃つ。僕が躱す。
 揺れ動く君の身体、力無く閉ざされた瞼。光を失った君を、あの男が奪い去る。
 僕の手から、君が離れる。
『しっかり。しっかりするんだ、返事をするんだ!』
 呼びかける男を嘲笑う。
 君は僕のもの。
 僕だけのもの。
 他の奴にくれてやるものか。
 誰にも奪わせてなるものか。
『クフフ……クハハハ……』
『君は、自分が今何をしたか、分かっているの』
 これで君は、僕だけのもの。
 他の誰かのものになるなど、許せない。絶対に、許してなどやらない。
 男の声を笑い飛ばし、炎を背に紫紺の髪を揺らめかせる。伸びるばかりでぼうぼうだったそれを、櫛を入れて整えるといいと教えてくれたのも君だった。
 君だけが、僕の世界だった。
 君が僕の世界を壊した。
 だから僕も、君の世界を壊してあげる。
 そうすればまた、ふたりだけで、壊れた世界で生きていけるでしょう?
『貴様!』
 もうひとり、金髪の。
 空を裂く一撃を躱せば、君との距離が広がってしまった。
 どうしてこうも、次から次へと。忌々しくてならず、腹立たしさを露にする。鞭を構える男のその向こうで、君を抱いた男が鬼神の形相で僕を睨んでいた。
 許さない、とでも言いたいのか。それはこちらの台詞だというのに。
『貴方になど、渡さない。ええ、渡しませんとも』
『そうだね。……渡さない、誰にも。死なせない、絶対に』
 怒り狂うかと思いきや、黒髪の男はふっと息を吐き、静かに言った。
 気配が変わる。空気が変わる。
 虚を衝かれ、思考が停止する。
『――おい。まさか、止めろ。そんな事したら、お前が!』
『構わない』
 金髪の男が振り向き、丘の頂を中心に渦を巻く風に悲鳴を上げた。
 何が起きている。何を起こそうとしている。
 君を抱いて、この男は。
 なにを――
『蘇生させる。僕の力の全てを与えてでも』
『神の地位を棄てるっていうのか』
『この子がいない世界に、僕が在る意味はない』
『けど!』
『要らない。この子がいない世界なんて、僕には必要ない』
 なにを言っている。この男達は、僕だけの君を挟んで、なにを、言っている。
 混乱する。風が強まる。霊気が肌を刺す。荒ぶる神気が僕を君から遠ざける。
 いやだ。
 折角手に入れた君を、僕はまた、失うのか。
『そんなことは――』
 させないと、そういいたかったのに。
 伸ばした手は、君に届かなかった。
 君はまた僕を裏切る。
 許さない。
 許さない。
 だって僕はこんなにも、君を。
 君を――

 暗闇に閉ざされた視界に微かな光が宿り、針の穴のようだった視界は唐突に開けた。
「いづっ」
 同時に後頭部に凄まじい衝撃が走り、悶絶したディーノはみっともなく悲鳴を上げた。
 首の後ろに両手を置き、胡坐を崩した姿勢で背中を丸めて堪える。じんじんと響く痛みに涙を呑み、喉の奥で続く呻き声を噛み潰した彼は、滲んで見える足元から苦労の末にどうにか顔を上げた。
 腰を捻って振り返り、苦虫を噛み潰した顔をする。
「ってー……」
「やりすぎだぞ、ディーノ」
「リボーンこそ、なにすんだよ、いきなり!」
 薙ぎ倒された木々の残骸が積み重なる空間のほぼ中心に、ふたりは居た。
 地上の動植物に影響を与えることを極力避けるよう厳しく律せられている神でありながら、己の感情を最優先させた結果、山の一角を破壊した罪は免れない。このくらいで済まされたのを、むしろ喜ぶべきだと言ってリボーンは鼻を鳴らした。
 緑色のしゃもじを撥の形に戻し、空中に掻き消した赤ん坊の言葉に、反論を封じられたディーノは、ばつが悪そうに頬を膨らませた。唇を尖らせての表情は、無邪気な子供であれば可愛らしかろうが、彼がやると不気味なだけだった。
 怒鳴った所為で引きかけていた痛みが戻って来て、彼は金髪をぐしゃぐしゃに掻き回した。大きな瘤を指先に見つけて舌打ちし、どうして此処ばかり狙われるのかと心の中で密かに愚痴を零す。
 霊山の霊木を切り刻んでしまったのは、確かに許し難い罪であるけれど、それよりももっと凶悪な禍が迫っているのだ。背に腹はかえられない。
 触ると痛いので手を下ろし、地面に落とした鞭を拾ったディーノが緋色の打掛を羽織り直して首を振った。
「そうだ、ツナは」
 リボーンの一撃でどれくらい気を失っていたのだろう。守るべき対象を思い出し、彼は急ぎ立ち上がって暗がりが広がる山の斜面を見上げた。走り出そうと右足を前に踏み出して、左足をリボーンに横薙ぎに払われた。
 全く予想していなかった攻撃に、彼の体はべしゃっ、と音を立てて地面に倒れこんだ。
 柔らかな土が、見事くっきりと彼の輪郭通りに凹んで型を作る。枯葉を頭にぶら下げて上半身を起こしたディーノは、さっきから人の邪魔ばかりする赤ん坊に向かい、いい加減にしろと腹の底からの大声で怒鳴った。
「なにするんだ、リボーン」
「おめーこそ、なにするつもりだ」
 ぶつけた鼻の頭がひりひりする。きっと赤くなっているだろうと想像して、前髪に引っかかった茶色の葉を払い落としたディーノに、リボーンは冷たい視線と共に言い放った。
 膝を立てて起き上がったディーノが、露骨に表情を険しくさせた。
 なにを今更、分かりきったことを聞くのか。決まっている、綱吉を助けに行くのだ。
 火烏を取り込み、人の領域を踏み越えたあの男の好きにさせてなるものか。
 腹立たしげに息巻いた彼に、けれどリボーンは黙って首を横に振った。
「だめだ」
「どうして!」
 綱吉の一大事、命の危機だというのに、何故止めるのか。
 このまま放っておけば骸の思う壺だ。雲雀は満身創痍、獄寺と山本も頼れない。綱吉本人には戦う力がなく、彼を守れるのはもうディーノか、或いはリボーンしか残っていないというのに。
 両手を広げて訴えかける彼に、それでもリボーンは考えを改めようとしなかった。
「リボーン」
 黄色い頭巾を被った、赤ん坊の姿をしたこの存在は、綱吉が生まれる前からこの地に在って、この山を守護している。山を守る沢田家を庇護している。
 本来は、彼こそが綱吉を守るべく奔走しなければならないはずだった。
 ところが、どうだ。現実はその真逆で、リボーンは綱吉を見殺しにしようとしている。
 リボーンは最早神々の理にすら縛られない身、人間相手に躊躇せねばならないディーノとは立場からして大きく異なる。彼ならば、それこそ易々と、骸を排除するのも可能だったはずだ。
 それが、綱吉をひとりにし、骸の暴虐を許し、村が炎に包まれるのも看過して、結界を再構築しようともしない。
 この地を滅ぼすつもりでいるとも見える彼の煮え切らない態度に、ディーノは地団太を踏んで拳を振り上げた。
 何も無い空を力いっぱい殴り、歯軋りして血走った目を自分より遙かに小さな存在に投げつける。涼やかな黒い大粒の瞳を眇めた彼は、小さなもみじの手を背中で結び合わせると、顎を引いて此処から上の、緑の木々が視界を塞いでいる空間に顔を向けた。
 つられたディーノも同じ場所に目を向けて、それまで全く気にも留めなかったなにかに意識を研ぎ澄ました。
「なんだ……?」
 ぴりぴりと空気が震えているが、肌を刺すような鋭さではない。緩やかで穏やかな、暖かな気配が微かだけれど流れてくるのを感じる。そしてなによりも、眩いばかりの神々しい輝きが。
 息を呑んで声を潜めた彼に、リボーンがにっ、と口角を歪めて笑った。
「力なら、ある」
 先ほどディーノは、綱吉には自分自身を守る力すらない、と言った。
 誰もがそう思っている、そう思い込んでいる。
 だけれど。
「力なら、最初からある」
「リボーン?」
「ディーノ、忘れたか。ツナが生まれた時のことを」
 沢田家の九代目として生まれた、蛤蜊家の血を引く後継者候補。
 強大な力を持ちながら、決して驕る事無く、その力の全てを退魔師統率に費やして隠棲した初代の再来とまで言われた、黄金色の輝きを秘めた赤子の誕生は、今更言われなくともしっかりと覚えている。
 遠巻きながら、眺めていた。難産で時間が掛かったが、母子ともに無事に産まれてきた事をディーノも心から祝福したものだ。
 けれど、強大な力を引き継ぐには、綱吉はあまりにも小さかった。
 肉体への――特に心臓への負荷は想像以上に重く、このままではそう長く生きられないとも言われていた。どうにかしてやりたかったが、ディーノは一切手を貸してやれなかった。
 状況が一変したのは、綱吉の誕生とほぼ同じ頃にディーノが拾った子供が、暴走した蛟に取り込まれようとしたところを、綱吉が救った辺りからだ。
 餓えて死に掛けていたところをディーノが見つけ、神饌を与えて育てた男の子が、不注意から蛟に呑まれた。ディーノの神気を幾許か受け継いでいたその子を食らうことで、蛟は龍へ進化を遂げようと画策した。
 周囲に大雨が降り、それが何日も続いた。川が氾濫し、山は崩れて幾つもの村が押し流された。被害が際限なく広がるのを恐れたディーノは、リボーンに手助けを求め、また別方面から依頼を受けていた綱吉の父、家光もまた、蛟調伏の為に事の発端となった雲雀山を訪れていた。
 その場に、まだ幼い綱吉も居た。
 暴れ狂う蛟を封じ込めるのは容易ではなく、家光は苦境に立たされた。
 鎮めたのは、綱吉だった。
 単に蛟が龍に変化する最中の暴走だと受け止めていた家光と違い、騒動の根底にあるものを見出した綱吉が、蛟に飲み込まれようとしていた男の子を救い出し、蛟を彼に封印した。
 本人は無意識だったと言っている。ただ苦しそうで、哀しそうで、辛そうだったから、どうにかして助けてあげたかったのだと。
 術と呼べるものではなかったが、兎も角綱吉は己が持っていた力の全てを使って、蛟を人の子の中に封じ込めることに成功した。
 但し当然、反動は来る。力の制御が出来ていなかった綱吉は、自分自身の命さえも使い果たすところだった。高熱を出して寝込んだ綱吉を救ったのが、彼に救われた少年――雲雀だ。
 綱吉の霊力そのものが雲雀の中にあるのだとすれば、どうにかして綱吉に返してやればいい。少しずつ、その日必要な分だけを小分けにして。
 綱吉が死ねば、雲雀に施された封印も解ける。封印が解かれれば、雲雀は蛟に食われてしまう。綱吉が死なないためには、雲雀が常に綱吉に少しずつ霊気を与えてやらねばならない。
 ふたりが生き残るためには、他に術が無かった。
 けれどもう、綱吉は自分の身体で自分の力を受け止められる。維持できる。雲雀が預かっていなくとも、成長した今なら、彼はひとりで生きていける。
「ちょっと待て」
「こっちだ」
「リボーン!」
 確かにリボーンの言う通りかもしれない、ただそれは綱吉の場合だ。
 雲雀はどうなる。蛟を自らの魂に取り込み、龍へと昇華させた雲雀本人は。
 空恐ろしい計画を聞かされて、ディーノはどもった。対するリボーンは、飄々とした態度を崩さずに姿勢を戻すと、ひょいっと軽い動作でディーノを追い越し、山の斜面を駆け上がり始めた。
 暗闇の中でもはっきりと感じ取られる高密度の神気の行方に、舌打ちしたディーノは仕方なく打掛の裾を翻した。
 リボーンを追いかけて、駆け出す。程無くして辿り着いたのは、怒涛の勢いで流れ落ちる滝を背後に持つ泉だった。
 傍には粗末な小屋があるくらいで、他には何も無い。空の闇を映し出す水辺は黒々として不気味で、夜半とあってか水は冷たそうだった。
「ツナ!」
 その滝つぼの少し手前に、甘茶色の髪の少年が立っている。胸元まで水に浸かり、寒いのか両手で肩を抱いているその姿はあまりにも痛々しく、ディーノは今すぐ駆けつけて抱き締めてやりたい気持ちに駆られた。
 しかし前に出ようとした身体を後ろからまたも引きとめられ、彼は息苦しさに喘ぎながらかぶりを振った。
「リボーン」
 頼むから助けに行かせてくれと懇願するが、黄色い頭巾を被った赤ん坊は頑として首を縦に振ろうとしなかった。
 霊水に満ちた泉は、邪悪な存在を拒絶する。水飛沫に触れるだけでも苦痛を招くそれを前に、骸はもう逃げ場はないと綱吉を冴え冴えとした目で見詰めていた。
 あの男をこの場から排除して、綱吉を助け出す。とても簡単なことなのに、それが出来ない。歯軋りしたディーノは、内掛を掴むリボーンの手を懸命に振り解こうと足掻いた。
「駄目だぞ」
「けど、このままじゃ」
「あいつらは、自分たちで解決しなきゃなんねーんだ」
 綱吉も雲雀も、共倒れになってしまう。骸の思い通りに事が運んでしまう。
 見ているだけなんてもう沢山だ。そう叫ぶディーノを黙らせ、リボーンはぼそりと低い声で言った。
「ツナは、いつまでも誰かに守られてちゃなんねーんだ」
 傍に雲雀が居て、山本がいて、獄寺が居て、皆から愛されて、守られて、それが当然だと思い込んでいる。自分が危険な目に遭って、怖い思いをしても、雲雀がいつだって助けてくれると、そう信じている。
 確かに今まではそうだった。
 でもずっと、このままで居られるわけではない。
 子供のままではいられない。
 蛤蜊家十代目継承者としての自覚が、綱吉には殆どない。自分にはその才覚が無いと決め付けている。
 戦いたくないから、誰かを傷つける事で自分が傷つくのがいやだから、戦う力そのものを放棄している。
 それでは彼は、何も守れない。
 自分が望む未来を作り出すのは、他ならぬ自分自身だというのに。
「雲雀もな」
 綱吉を守るのが自分の責務と決め込んで、それで綱吉が喜ぶものだから益々調子に乗ってしまう。幼少期から周囲に自分より強い存在が無かったから、居丈高に構えるのが当たり前になってしまっている。
 井の中の蛙。昨冬の事件で少しは反省した態度を見せていたものの、最近また天狗ぶりが盛り返していたところだ。
 強さは、一種類ではない。腕力や霊力の優劣だけが、勝敗を決する理由にはならない。
「……分かるさ、分かるよ」
 リボーンが言わんとしているものは、ディーノだって感じていたことだ。あのふたりは、互いの依存度が高すぎる。
 しかし、もしここで綱吉の封印が解かれた場合、雲雀はどうなる。龍の力をどうやって制御するというのだ、彼の――蛟の龍珠は、綱吉の中にあるのに。
 綱吉の心臓として、今も動き続けているのに。
 まさか抉って取り出すわけにもいくまい。以前雲雀の中の蛟が暴走した時だって、雲雀は龍珠を取り戻そうとする蛟に最後まで抵抗して、乗っ取られていた片目を握りつぶしたくらいだ。
 蛟の魂を取り込み、龍となった雲雀だけれど、それも完全ではない。綱吉の封印がなければ人の姿を維持出来ず、人の姿をしている間は龍としての力の殆どを扱えない。
 龍珠の無い不完全な龍となった雲雀が、もし自分自身を制御できずに暴走した場合、どうなる。
 今既に大災厄に見舞われている並盛村に、綱吉自らが止めを刺すようなものだ。
 綱吉が長く雲雀に預けていた力を、いきなり取り戻した時に耐え切れるのかどうか。雲雀が龍珠無しで、全解放された龍の力を制御できるのかどうか。
 あまりにも危険すぎる賭けに、ディーノは賛同できなくて声を荒げた。矢張り自分が行くべきだと構えるが、リボーンの手は緩まなかった。
「お前は雲雀を拾ったのがいつ、どこでだったか、覚えてるか」
「急に、なんだよ」
 いきなり方向違いの話題を振られ、面食らったディーノが怪訝な顔をして振り返る。打掛を掴んだリボーンが良いから言え、と命じるので、仕方なく彼は指折り数え、埋没する記憶を掘り返した。
 忘れるわけがない。あれは神在月の真ん中頃。
 綱吉の生誕を祝った後、無事に子孫が生まれたことを教えてやろうと、初代が眠る山に出向いたその帰り道だった。
 人里離れた静寂に包まれた山の真っ直中で、餓えた子供を見つけた。今にも死にそうだったので、手持ちの神饌を与えて渇きを癒してやったところ、ロマーリオになにをやっているのかと怒られたことまで綺麗に思い出せる。
 ディーノの神気を分け与えられた人の子供を、人里に残していくわけにもいかない。仕方なく自分が親代わりに育てると決めて、眷属たちと慣れない育児にてんやわんやの日々が始まった。
 黒い瞳と、黒い髪と、ふてぶてしいまでの顔つきが見事にそっくりで、他に思いつかなかったというのもあり、あいつと同じ名前で呼ぶようになった――本人は何故だかとても嫌がったが。
 ところが、数年後。ちょっと目を離した隙にいなくなってしまって、方々を探し回って見つけた時にはもう、騒ぎはディーノひとりの手に負えない状況にまで拡大していた。
 通常は池の底奥深くで眠っている蛟が、ディーノの神気を纏った雲雀に惹かれ、彼を食らったのだ。
 自分の不注意の所為で、雲雀を危険に晒した。彼に対してディーノが幾らかの引け目を感じているのは、その辺りに理由がある。
 雲雀の中に蛟が封印されたことにより、雲雀は彼の手元から離れた。人間なのだから、人里で生活するのは当然と言えば当然であり、このまま綱吉共々健やかに成長してくれればいいと、そんな風に考えていた。
『あの男が、本当にただの人間だとお思いですか!』
 不意に骸の台詞が脳裏に蘇り、ディーノは唇を噛んだ。
 あれは、どういう意味だったのだろう。
「綱吉が産まれた年の、神在月」
 リボーンが、ディーノの言葉をなぞって再確認する。そうだ、と頷けば彼は不遜な笑みを口元に浮かべた。
「解らないのか?」
「だから、なにが」
「どこで拾ったと?」
 時期は沢田綱吉が産声を上げた直後。場所は、初代の眠る墓の近く。
 黒い髪、黒い瞳。憎らしいほどにあの男にそっくりの、子供。
 襤褸をまとい、今にも死にそうなくらい痩せ細っていたくせに、眼光だけはいやに鋭くて。
 本当に、ほんとうにそっくりで。
 あいつの、生まれ変わりではないのかとさえ思うくらいに――
「え?」
 初代が逝き、その遺児がある程度成長して独り立ちできるようになった数年後、あの男は姿を消した。
 人の身に窶したといっても、もとは神。醜い死に様を人目に晒したくなかったのではないかと、何処を探しても見つけられなかったから、そう考えて諦めることにした。
 死骸は確認出来ていない。ただ、初代の墓に彼が立ち寄った形跡はあった。
 その山で、人も滅多に立ち入らない奥深い場所で、ディーノは雲雀を見つけた。
 人間がいるなんて思いもしなかったから、遠慮無しに思い切り踏みつけてしまった。
「え……?」
 今まで、思いはしても、そんなわけがないと深く考える前に切り捨ててきたことが、急に鮮やかに頭の中を駆け巡っていく。
 綱吉が産まれた直後に。
 初代の墓の傍で。
「うそ、だろう?」
 掠れた声で問うが、リボーンは返事をくれなかった。ただ意味深に、笑うだけ。
 待っていたとでも言うのか。あの子の魂が、再び地上に戻って来るその時を。
「そんな、出来るわけ」
 無い、と言い切れなくてディーノはうろたえた。
 彼の男は、あの子の蘇生に自らの龍珠を使った。砕かれた心臓の代わりに宛がい、持ちえる全ての力を注ぎこんだ。
 あの子が逝っても、神宝たる龍珠は残る。長い年月を、その中で一切の力を使う事無く眠り続ければ、或いは。
 肉体が退化し、記憶が消えても、もとより人ではない彼は――死なない。
 ぞっとした。全身に鳥肌が立ち、冷たい汗が噴出してディーノを包み込む。自分の執着など可愛らしく思えてくるほどの徹底した執念に、彼は言葉を失って立ち尽くした。
 この予想が正解だとしたら。
 ならば、雲雀は。
「最初から、持ってる……?」
 今まで信じてきたものが、根底から覆される。呆然とするディーノの前で、泉に浸る綱吉が左手を強く前に突き出した。
 リボーンが不敵に笑う。
 骸が表情を変える。
 泣き叫ぶ綱吉の右手が、黄金色に輝く鎖を握り締めた。
 歯を食いしばり、思い切り――引き千切る。

 光が弾け、なにもかもが白に染まった。