魂祭 第二夜(中編)

「つなよし、か」
 似て非なるもの、今でもそう信じている。けれど。
 姿の見えない相手に首を振り、頭の中から無理矢理追い出してディーノは乱暴に金髪を掻き上げた。指先から零れ落ちる金糸は、日に透けて限りなく透明に近い色をしていた。
 太陽を嫌って背中を向け、乾いた土に覆われた庭を北に直進して屋敷の軒下へと。足置きに置かれた石に乗って下駄を脱いだ彼は、簡単に畳んで置いていた緋色の打掛を拾って広げ、羽織ろうとした先に座っている獄寺を見つけて首を傾がせた。
 縁側に戻ったディーノに気づきもせず、一心不乱に卓上に向かって筆を走らせている。凄まじい集中力を発揮しており、ある意味鬼気迫る空気を感じて彼は不思議そうに唇を尖らせて、一度広げた打掛を再び畳んで畳に戻した。
 そっと足音を忍ばせて近づいても、獄寺はまるでディーノに気づかない。ひたすら筆を操って、小さく刻まれた和紙に細かな文字を書き記している。その流麗な筆遣いを真後ろから覗き込み、記される文字と文様を読み取った彼は、ふぅん、と顎を撫でて神妙な顔で考え込み始めた。
 獄寺が使う札は、退魔師に広く知られているものに独自の理論で手を加えたものだ。原型は人間の父親によって叩き込まれたものが、解釈の独自性はもう一段階古い鬼の里時代に由来する部分が大きい。
 いかに効率よく、僅かな力で強大な威力を発揮させるか。徹底的に無駄を省いて余計な飾りを排除し、必要最低限の効果に絞り込んで更に研ぎ澄ましていく。鬼の里では、四六時中誰に襲われるか分からぬ恐怖と戦いながら、常に緊張を強いられた。それを思えば、人間の集落はあまりにも長閑過ぎて欠伸が出てしまう。
 だから無駄な部分が多いのだと、遠慮なく先人の築き上げたという古めかしい文言を改めていけば、それは祖先への冒涜だと謗られた。構わずに己が信じる道を突き進んでいたら、そのうちに周囲には誰もいなくなっていた。
 父親も正直厄介払いをしたいと思っていたろう、道具として使うにしても扱いづらいのは目に見えていたから。
 何を期待されていたのか、もう解らない。強くあれと言われたから力を求めたのに、古きにしがみついて最早何の意味も成さない形骸化しきった因習に胡坐をかくことが強さだというのか。
 それは違う、絶対に違う。あんな愚かしい連中が言う力が強さなわけがない。
 変わっていく事、変えていくその意味を、自分の主張こそが正しいのだと、いつかあいつらに証明してみせる。
 だから、少しでも霊気の錬度をあげて、より鋭く魔を滅する力をこの手に。
 やること成す事すべてを否定された過去を否定したくて、獄寺は我武者羅なまでに筆を走らせ続けていた。
 ディーノはそんな彼の銀髪を眺めおろし、袖口の中に手首を入れて腕を組ませながら僅かに腰を屈めた。山本とはまた異なる熱心さだ、一点に意識を注ぎ込む集中力の高さは彼以上かもしれない。
 だが惜しいかな、僅かに邪念が入り混じってしまっている。
 顎の輪郭をなぞりながら眉目を顰めたディーノは、次々と生み出されていく呪符の文様に喉の奥で唸り、勿体無いな、と呟いた。
 ことばは音となり、彼の喉元を滑り落ちていく。それは獄寺の肩で跳ね返り、欠片を耳にした彼ははたと手を止めて墨の雫を完成間近だった札へ零した。
「う……ぎゃぁ!」
「おっと」
 集中を邪魔されたことにまず驚き、続けてぽたりと黒い点を浮かび上がらせた和紙の変貌に目を見開いた獄寺が、そこに至って漸く真後ろに佇むディーノに気づいて野太い悲鳴をあげた。
 あまりの驚きようにディーノまでもが後ずさり、ふたりの間に珍妙な沈黙が挟まった。
 腰を捻って左手を畳に置いた獄寺に、両手を後ろへ流したディーノという高低差のあるふたりが顔だけを向き合わせて停止している。人が見れば歌舞伎の一場面かなにかかと誤解しそうな状況だ、庭に啼く駒鳥の声だけが場違いに甲高い。
「あ、な……なにしやがる!」
「いや、特にこれといって、なにもしてないような」
 はっと我に返った獄寺が目を瞬かせ、左の拳を畳に強く叩き付けた。右手は筆を筆置きにきちんと戻しているから、まだ理性はしっかりと踏み止まったままと思われる。
 変なところで冷静だな、と苦笑しながら言い返したディーノだったが、獄寺はその涼しい態度が余計癪に障ったらしい。ぎりぎり奥歯を噛み締めて顔を真っ赤にさせた。
 どうにも、真剣な表情を盗み見られたのが恥かしいらしい。
「っつーか、お前、いつからいた! 勝手に盗み見てんじゃねーよ」
 綱吉の前では大人しいものの、本来彼はかなり性格が荒っぽい。特に他者との関わりが希薄な上に身の安全が保証されない環境に長く置かれていた為、自分を守る術としてあらゆる存在を敵視して威嚇し、先に自分から遠ざけようとする傾向が見られた。
 最近は多少改善されつつあるが、綱吉の人見知り同様に不意に蘇って、誰に対しても牙を向こうとする。たとえ敵わない相手と知っていても反抗せずにいられないのは、より遠くを見渡せる、人よりも一段高いところに居なければ不安であるという心の現われだろう。
 ディーノが近付いていってもその気配を感じ取れずに、気づかなかったのは獄寺の落ち度なのだが、本人はそれを悪いとは思っていない。むしろ声もかけずにただ一方的に眺めていたディーノが悪いと思っている様子に、金髪を揺らした彼は明るい空色の瞳を細めた。
「まあ、なんだ。悪かったな、何してるのかと思ってさ」
 声をかけずにいたのは確かに問題があったかもしれないと軽く詫びを入れ、ディーノは弾みで机から滑り落ちていた呪符を一枚、畳から拾い上げた。
「返せっ」
「返すさ。けど、このままだとちょっと、あれだな」
「……なんだよ」
 彼の動きを目で追った獄寺が、右手を差し出して札を掴み取ろうとする。それを、返すと言いながらも腕を引いて避けたディーノは、顔の前に立てた呪符の紋様を指でなぞりながら形の良い眉を中央に寄せた。
 曖昧な彼の呟きに、獄寺が声を潜めて不機嫌を露にする。
「いや、なんていうか。何がやりたいかってのは、大体分かるんだけど」
 指で札の上辺を弾き、視線を持ち上げたディーノは天井の木目を辿りながら考え込み、最後に持ち上げた左手で乱雑に髪の毛を掻き毟った。
 獄寺が膝の向きをディーノに揃え直し、他に散らばっていた札を集める。うち、最初に書き上げた最も出来が良いと思えるものを最後に手にしたところで、上から降りてきたディーノの指がそれを攫って行った。
「あ、こら」
「あー、うん。なるほどな、そういうことか」
 いきなり手の中が空っぽになって、獄寺は慌てて腰を浮かせて奪い返そうと肘を伸ばす。だが札を揺らしつつ二枚を横並びにさせた彼は、やっと合点がいったと頷いて、人差し指と中指で挟み持った呪符を顔の横で揺らした。
 瞬間、左側の札のほぼ中央部にボッと炎が浮かび上がる。
「ぬあ!」
 発動された、と獄寺は集めたばかりの札を再び畳に撒き散らし、膝を立てて身体を起こした。だが中腰状態のところで急に動きを止めたのは、炎を発した札が完全に灰になりはしなかったからだ。
 驚きに表情を染め上げた彼の前で、ディーノは一部を消し、一部に新しく紋を刻んだ札を裏返し、完成具合を自分の目でも確かめて獄寺に差し出した。
 最初に獄寺の作り上げた札が、ものの見事に書き換えられていた。
「なんで……」
「紋は術者の霊気をいかに淀みなく伝え、集約させて具現化させる為のいわば霊具だ。言葉は根源、紋はそれに形を与えたもの。己の名が他の者に刻まれても意味を成さないように、紋も術者個々人によって少しずつ違う」
 滔々と告げ、ディーノは札を獄寺に握らせる。
 獄寺が使っている紋は、獄寺家に古くから伝わる――源流は蛤蜊家にあるとも言われているが――紋に独自解釈を加えたものだ。だが未だ年若く経験も浅い彼にはまだ、原型を大きく崩して最初から組み直すだけの技量は備わっていない。
 半年前に雲雀にこてんぱに打ちのめされて以降、様々に文献を紐解いて色々試行錯誤を加えてみたものの、彼は足元に根付いた獄寺家の伝統から完全な脱却が出来たわけではなかった。
 それを、いともあっさりと。
 ディーノは獄寺の問題点を一瞬で見抜き、打開策を容易く示してしまった。
「俺の見立てだから、あんまりあてにはならないだろうけどな。少しは威力があがるんじゃないか」
 呵々と笑いながら肩を揺らしたディーノを不審げに見上げ、獄寺は渡された呪符に新しく刻まれた紋様に顔を顰める。
 試しに手を翳せば微かに熱を感じ、指先が引っ張られる感覚にも見舞われて彼は慌てて腕を引っ込めた。
「うわっ」
「……あれ?」
 思わず声にも出てしまって、がたがたと座卓に背中からぶつかっていった獄寺の態度にディーノは急に笑い止み、可笑しいなと首を捻る。失敗したつもりはなくて、獄寺の手から畳に落ちたそれを見下ろすが特に変な箇所は見付からない。
 確かに彼の属性に見合うよう、紋刻したつもりなのだが。
「と、とにかくだ! 余計な事すんじゃねーよ」
 大袈裟に驚いてしまったのが恥かしく、誤魔化すために大声を張り上げた獄寺が拳を振り上げてディーノを牽制する。殴られる前に横へ逃げた彼は、まあ良いかと声を立てて笑いながら座敷を出ようとして、上から落ちてきた湯のみに頭を直撃された。
 こーん、と狐が鳴くようないい音が響き、突然天井から降ってきたものに獄寺もが目を見張る。
「いっ……」
 こんな場所で上から襲撃を食らうとは、誰も思いつかないに違いない。声もなくその場で蹲ったディーノの足元には粉砕を免れた陶器製の湯のみが転がって、獄寺の側へ流れてきた。中身は空っぽ、しかし少し濡れているのは台所から瞬間移動してきたからだろう。
 ともあれ、こんなことが出来るのはひとりしかいない。
 昨日からぼこぼこと、頭にいろんなものが落ちて来ている気がする。ぶつかりすぎて凹んで、馬鹿になったらどうしてくれようか。恨みがましく涙目で空中を睨んだディーノだが、肝心のリボーンの姿は何処にも見つけられなかった。気配さえも。
「リボーンさん?」
 獄寺も湯飲みを拾い、それが本物であるのを確かめてあの黄色い頭巾を被った赤ん坊の名前を呼ぶ。だが返事はなく、変わりに軒先に顔を出したのは上半身を露にして頭から水を滴らせた山本だった。
 彼の姿を目にした瞬間、獄寺がなんて格好を、と嫌そうに顔を顰めて小声で愚痴る。聞こえたらしい山本は、見逃してくれと声高く笑ってから腰帯を締め直し、蹲っているディーノに首を傾げた。
「いや、な」
 獄寺が手にしていた湯飲みを見せてやっても、現場を見ていなかった山本にはさっぱり意味が解らない。湯飲みがどうかしたのかと逆に聞き返してきて、頭を両手で抱えて痛がっているディーノに疑問しきりだ。乾いた笑いを浮かべることしか出来ず、獄寺はどうしたものか、とそれを座卓に置いて腰を浮かせる。
 一瞬彼の瞳が険しくなったのは、浴びてきた水が陽光で乾くに任せている山本の向こう側に動く人影を見たからだ。
「ん?」
 唐突に神経を尖らせた獄寺に片方の眉を上げた山本もまた、屋敷の敷地内に現れた人物に気づいて表情を引き締める。だが二人揃って庭先から続く正面門に目を向けた途端、彼らに気づいた相手は陽気な笑顔で右手を挙げた。
 日に焼けて色が抜け、今や獄寺以上に髪の色が真っ白になっている青年が、反して健康的にこんがり色に焼けた腕をぶんぶんと振り回して近付いてくる。
「笹川の」
「おう、久しぶりだな」
 あと十歩ほどの距離まで迫ったところで山本が彼の名を呼び、獄寺も桟まで出てきて軽く一礼する。腕を下ろした笹川了平は普段と変わらぬにこやかな笑顔を浮かべ、元気そうでなによりだと出迎えた山本の肩が赤くなるくらいに力いっぱい叩いた。
 素肌を直接叩かれて苦笑した山本は、半乾きのままではあったがこれ以上やられてはたまらないと腰で弛ませていた着物を引っ張りあげて肩に通した。獄寺は膝立ちで彼らの側に寄り、こんな時間に何用かと問う視線を了平へと投げる。だが肝心の了平が最初に気にしたのは、獄寺の斜め後ろで湯のみに打たれた後頭部を撫でて自分を慰めているディーノだった。
 村の人間ではないというのは、見覚えのない顔なだけに直ぐに分かる。派手な髪色もさることながら、一度見たらそう簡単に忘れられそうにない風貌は特徴がありすぎで、記憶力が悪いと周囲から度々揶揄される了平でも知らぬ顔というのは理解出来た。
「客人か?」
「あー、雲雀の兄貴だって」
 率直な疑問を口に出した彼に、身支度を整えながら山本が口を挟む。話題にされたディーノはまだ若干痛そうにしながらも、そこに人が増えているのに気づいて慌てて手を下ろした。つい苦笑を浮かべて誤魔化そうとして、勘違いした了平に満面に笑みを返された。
「とすると、沢田の兄殿か」
「……は?」
 感心した様子でひとり頷く了平に、意味が解らないと獄寺も山本も素っ頓狂な声を出す。ディーノも解らないという顔で了平を見上げ、軒を支える柱を挟んで獄寺の反対側に座りなおした。
「違うのか? 雲雀は沢田と義兄弟の契りを交わしていると聞いているが」
「あー、あー、あー……」
 それは随分と意味が違う、と言いたいけれど言わずに置いて、山本は更に質問を繰り出そうとしている了平を意味のない大声で遮った。獄寺はひくっと頬を引き攣らせ、彼が何を勘違いしているのか大体察したディーノもまた困った様子で頬を掻いた。
 どうも仔細に拘っていない様子の了平は、三人が何故微妙な表情を浮かべるのか不思議そうにしていたが、深く考えない性格なのだろう。直ぐに気を取り直し、腰に手を当てて周囲をぐるりと見回した。
「沢田はおらんのか」
「ツナ?」
 了平が綱吉に用事があるなんて、珍しい。首を傾げた山本に、しかし了平はそうだ、ともうひとつ頷いて座敷をも覗き込んでくる。
 年齢が同じである雲雀と了平のふたりは、表立ってあまり言葉は交わさないものの、周囲が思っているほど実は仲は悪くない。山本が居ない時などは、稀にではあるが雲雀から笹川の屋敷に出向いて手合いを申し込むこともあるくらいだ。
 綱吉も彼の妹の京子とは兄妹のように育っており、村を支える庄屋と神社の息子としての係わり合いは深いといえる。了平自身も、綱吉を弟同然と思っているようだ。
 その彼が雲雀ではなく、綱吉に用事。となれば内容は自然と限られてくる。
「なにかあったのか?」
「んんー? ああ、なに、大した事じゃあない」
 声を潜めて低くした山本の変化を敏感に受け止め、了平は相も変わらずの大らかな笑顔を浮かべて山本の不安を払い飛ばした。事情がよく分かっていない獄寺は不思議そうな顔を浮かべる、ディーノもほぼ同様だった。
 ただ山本だけが安心した風に肩を落としてほっとした様子を見せ、あいつらなら、と左手にある道場を指差した。
「ツナも雲雀も、今は稽古中だと思う」
「ほう、稽古か。ならば俺もひとつ手合わせを」
「あ、いや、多分そっちじゃなくて」
 筋骨隆々とした腕を持ち上げた了平の言葉に、山本は苦笑しながら言いにくそうに訂正を図った。だが最後まで言葉は出てこず、最終的にはまあいいかと首を振って説明を諦めてしまった。
 実際に見たほうが早いだろう、と結論付けたらしい。特に覗くな、とは言われていないからと呟いた山本に、獄寺はむっと唇を尖らせる。
「贔屓だ」
「何か言ったか?」
 自分は足蹴にされて追い出されたというのに、山本は構わないというのか。子供じみた態度で拗ねる彼を、山本は手をひらひら振りながら調子よく宥めて嫌なら来なくていいとも言い放つ。
 現金なもので、彼と一緒ならば何をしているのか覗けるかもしれないと思うと、途端獄寺はそそくさと立ち上がって自分の草履を探しに玄関へ向かっていった。
「いいのか」
「いいんじゃないですか」
 やや遠慮を働かせた了平ではあるが、山本の崩れない呑気な返事に、こちらもさして深く考えず頷き返す。微かに響く笛の音は了平の耳にも入ってきており、これは誰が吹いているのだろうかと考えながら顎を撫でて待っている間に、慌しく獄寺が玄関から戻って来た。
 ディーノだけが、軒先で胡坐を組んで並盛村の次代を支えるだろう若者を見守っている。
「ディーノさんは?」
「俺は良いよ」
 既に視たし、とは言えずに手首から上を振って山本に返し、頬杖をついて飛び去る駒鳥の行方を目で追いかけた彼に、山本は分かりましたと短く言葉を返して軽く一礼した。
 つられた格好で了平も頭を下げ、一番遅れて獄寺が取り繕うように嫌々ながら頭を下げて彼に背を向ける。三人並んで道場へ向かって歩いていく光景を見送り、ディーノは目の横に流れてきた自分の金髪を指に巻きつけた。
「リボーン」
「なんだ」
「なんだ、じゃねーよ」
 痛かったんだぞ、と愚痴を零せば即座に彼の横に煙が湧き出て、中から黄色い頭巾を被った赤ん坊がちょこん、と姿を現す。大粒の黒眼がふたつ、無邪気さを強調して並んでいる。小さな口元には僅かに笑みも浮かんでおり、恨みがましく睨んでくるディーノを不遜に見返していた。
 あまりの図々しさに、反論する気力も萎えるというもの。
「もういいよ」
 諦めの気持ちが強くなり、溜息と共にどの道何を言っても敵わない相手への反抗心を吐き出したディーノは、背中前に倒して体を丸めた。膨れっ面は獄寺に負けず劣らずで、折角の見目麗しい姿が台無しだった。
「そう拗ねるな」
 そんな彼の膝を軽く叩き、真横に並んでえんこ座りをしたリボーンにちらりと視線を向けた彼は、何が悪かったのかを考えながら随分と痛みも引いた頭を撫でた。落ちてきた湯飲みは、未だ片付けられずに獄寺の座卓に飾られている。
 考えられる可能性は、ひとつだ。
「あんまり余計な事はしない方が身のためだぞ」
「悪かったって。なんか、見てらんなくて」
 獄寺が必死に追い求めている力は、獄寺家という枠組みと、鬼の血という枷から完全に解放された先にある。しかし依然自らの血脈にどこかしら拘りを持ったままの彼は、その事実に気づけぬままだ。
 足掻けば足掻くほど泥沼的に己の存在理念を見失い、本懐とは異なる場所へ迷い込んでしまいかねない。彼が自分で答えを見つけ出せない限り、望む光に辿り着けないというのはディーノも分かっているが、道標さえない暗闇にひとり放り出されている彼を見ていたら、お節介のひとつでもしてやりたくなったのだ。
 裏を返せば、正しい道筋を示してやった先で彼がどうなるのかを、ディーノ自身が見てみたかっただけだ。
 あまり反省している様子のない愛弟子にふん、と鼻を鳴らしてリボーンが目深に頭巾を被る。
「それで」
「ん?」
「なんと出た」
 獄寺家を司る紋は、炎。南天に輝く灼熱の刃。
 だが。
「西天の剣、風裂く牙」
 淡々と、抑揚なく告げられたディーノの声に濁りはない。
「そうか」
 矢張り感情が篭もらない声で相槌を返したリボーンは、頭巾にやっていた手を下ろして深々と息を吐き出した。
「山本はどう見る」
「また、急だな」
 どうしてと逆に問い返せば、分からなければ良いとまで言われてしまってディーノは口篭もる。
 解らないわけではない、四分される属性に分けて考えれば山本は北天に当たる。だがリボーンの意図が読み取れず、ディーノは怪訝に眉を寄せて表情を隠している赤ん坊を見下ろした。
 そんな事を気にしてどうするというのか。けれど問う視線を跳ね返し、リボーンは縁側から飛び降りるとディーノに背を向けたまま歩き出してしまった。
 姿はやがて昼の幻影となって掻き消え、気配を追うことも出来なくなる。釈然としない気持ちのまま彼は頭を掻き毟り、後頭部の傷口に触れた自分の指先に恨み言を言って立ち上がった。
 丁度話が終わったのか、先ほど道場に吸い込まれていった面々も、ぞろぞろ連れ立って庭先に姿を現した。
「ん?」
 だが入っていった人数よりも出てきた数の方が若干多く、ディーノは細い柱に寄りかかって緋色の打掛を肩に羽織ながら首を右に倒した。見慣れた黒髪が間に混ざりこんでおり、了平となにやら話をしつつ振り返って、一瞬だけディーノへと視線を投げてきた。
 切っ先鋭い刃を喉元に突きつけられる感覚に苦笑し、先に牽制されてしまったと彼は肩を竦めた。
 行列は二手に別れ、雲雀を加えた了平、山本の三人は解放されている門から屋敷の外へと、獄寺だけがどこか思いつめた表情をして玄関へ急ぎ足に駆け込んでいった。
 背後から迫るその獄寺らしき足音を聞いて、ディーノは下駄の鼻緒を指で挟んで地面へと降り立つ。
 照りつける陽光は眩しい。曇りのない輝きに目を細め、金髪が作り出す細い影を、首を振って払い除けたディーノは、聞こえなくなった笛の音を思い返しながら雲雀たちが向かったはずの里へと意識を向けた。
 手入れされた庭木に遮られて景色としては見えないが、そんなものはディーノの前では壁にすらならない。精霊会を迎え、人々は祖霊を敬う準備に忙しそうだ。今日ばかりは畑仕事も早々に引き上げ、村人は今宵の大宴会を心待ちにしている風でもある。娘子は着飾り、幼子も、詳細は分からずとも今日という晴れの日としての空気を鋭敏に感じ取っている様子。
 人間の日々の、慎ましやかな平穏がこの村には宿っている。
「いい村だな」
 瞼を伏して瞳に焼きついている景色を重ね合わせ、ディーノは呟く。
「俺は、……ちゃんと、守れてるのかな」
 広げた掌の皺を数え、空気を握り締めて震わせる。
 答えは、何処にもない。