魂迎 第三夜(後編)

 郭公の鳴き声がまだ聞こえる。早くしなければ渡り損ねるだろうに、呑気なものだと未だ夏の様相を色濃く残す樹下を潜り抜け、ディーノは羽織る色打掛を絡んだ枝から引き抜いた。
 脱げばいいものを、四六時中身にまとうようになったのはつい先日の事のようでもあり、遠い昔のようでもある。金色の髪には緋色のそれがよく映えるから好きだと、桜色の唇が微笑みながら告げたのはまるで昨日の出来事の如く思い出された。
 もう戻ることのない懐かしい匂いが鼻腔をつんと擽り、ディーノは進行方向を塞ぐ枝を傷つけぬよう払いのけ、腐葉土が積もり柔らかい大地の表層を軽く蹴り飛ばした。
 彼の爪先は僅かに浮き上がり、草履の裏は正確に言えば地面に接していない。地上に住まうあらゆる生命をみだりに乱さないための配慮であり、そうするのが彼らの常だった。
 もっとも、こうやって地上をわざわざ歩く酔狂はディーノくらいなもので、他の神座にある顔ぶれは何れもが天空から見下ろすばかり。人の営みになどまるで興味を示さず、むしろ好んで地上を放浪するディーノを好事者と呼んで馬鹿にして憚らない。
「よっ、と」
 慎重に太い枝を避けて頭上に羽ばたく鳥の声を聞き、瞳の下に落ちた木漏れ日に目を細めた彼は若干乱れた息を整えて、まだ当分先と予想される頂上を目指した。
 最早そこに道らしい道は無く、獣道さえ見当たらない。下草は少なく、背の高い樹木が雑に並べられただけの空間。人の手が加えられている気配も無く、曲がりくねった幹が時として彼の進路を大きく塞いでいた。
 此処に通じる者であれば最短経路を熟知しているかもしれないが、ディーノは本来この地にあらざるべき来訪者だ。空から向かえば一瞬で済むと分かっていても、下から見上げる空の美しさを既に知っている彼は、道に迷いつつ、山の頂上を目指して歩を休めない。
 途中で見た岩を二つに裂く巨大な滝には、人の気配がまだ色濃く残っていた。しかし探しても求める人の影は無く、名残を辿って爪先を向けた方角は緑に覆われた険しい山。天舞台と言っていたからには空に最も近い場所に違いないと、実に単純明快な理論で山頂を目指すディーノであるが、終わりが一向に見えてこない道なき道にそろそろ辟易し始めていた。
 自分の理念を覆すような真似はしたくないが、空から向かってやろうか。膝に手を置いて近くの幹にもう片手を預け、姿勢を低くしてディーノは金色の髪を横に振り回した。
「くっそー……俺を誰だと思ってやがる」
 これしきの事で根を上げる軟弱者ではない、そう自分に言い聞かせて奥歯を噛んだ彼は、勢い勇んで膝を伸ばし踏ん張りを利かせ、本当は踏みしめていない大地に思い切り踵を叩き付けた。
 そうして再び歩き出して、どれくらいの時間が経過しただろう。
 南東にあった太陽は順当に南の空高くへと向かい、燦々と眩い光を地表へと投げ放っている。頭上を覆う緑葉は熱の大半を遮って涼を齎すが、隙間を縫って零れる陽射しは灼熱の炎天下を想起させた。
 この季節にこの気候は、おかしい。陽光の勢いは静まるどころか逆に隆盛を取り戻しており、このまま放置すれば地表は灼熱に包まれてすべての生命は息絶えるだろう。今の段階ではそこまで逼迫するものは感じ取れないが、時間を無駄に浪費していればいずれは、そうなる。
 微かに記憶に残っている荒涼とした景色に首を振り、ディーノは右手を太い幹に置いて体を前に押し出した。
 唐突に視界が開け、真っ白い閃光が彼の視界を奪い去った。
「――くぅっ」
 自由だった左腕を額に翳し、急激な明度の変化についていけなかった瞳を落ち着かせる。唇から漏れ出た呻きは吹き抜けた風に飛ばされ、煽られた緋色の打ち掛けが裾を大きく翻した。
 背負った金色の天馬がさながら空へ駆け出していこうとしているようで、やや自嘲気味に口元を歪めた彼は、次第に慣れ始めた眩さに瞬きを数回繰り返した後、ゆっくりと掲げていた腕を下ろした。
 念の為と背後を振り返れば、さっきまで彼が苦労しながら登ってきた山の斜面がある。目くらましの類を浴びたわけではなさそうで、深呼吸の末前に向き直った彼は、足元に感じ取る気配の違いに肩を竦めた。
 足元は土色ではあるが、腐葉土が多い尽くす山肌とは違って乾いており、硬い。周囲の視界を塞ぐものは何も無く、間違いなく此処が並盛山の頂だと証明している。遠く遙かに同じく緑濃い山並みが幾重にも重なり合っており、その下に白い雲が疎らに散っていた。人里は遥か下方であり、此処からではまるで見えない。
 風の強さは地上の比ではなく、唸りを持って彼の耳を引っ掻き回す。乱れる金色の髪を鬱陶しそうに片手で押さえ、ディーノはもう一度、今度はゆっくりと目の前に広がる開けた空間を左から順に眺めていった。
 地表は均され、ほぼ平面。それまで全く人の手を介した様子の無い自然の森が続いていたのに、この場所には確実に誰かの手が加えられている形跡が窺える。実際その通りなのだろう、ディーノのほぼ正面に位置し、円形に広がる空間の中心部分には四本の柱が建てられ、銀の糸で紡がれた細い注連縄がそれらを繋いでいた。
 霊山と知られる並盛山の、中心。
 注連縄に囲まれた方形の内部には、凹凸のある巨大な岩が顔を覗かせている。中央に向かって緩やかに傾斜しており、ごつごつした表面はこの山の臍を思わせた。
 広場には他に目ぼしいものが見当たらない。風に紙垂が頼りなく揺れるが、ひとつの岩から切り出されたらしい四本の柱は揺らぐ事も無く、さながら天に挑みかかるかの如く背筋を伸ばしている。
 一際密度が濃く、しかし澄んだ神気がこの場所には溢れている。呼吸をするだけで体内に力が満たされていくようであり、逆に奪い取られるようでもあり。
 不可思議な場所だと視線を巡らせ、ディーノは此処に居ると推察した人物の姿が見当たらないことに首を捻った。
 予想が外れた。居ると思ったから苦労して登ってきたのに、無駄骨だったか。
「何処に雲隠れしやがった」
 大事な話があるというのに、正面切って向き合う時間さえ持たせてもらえない。苛立ちを隠さずに指の背を前歯で噛んだ彼は、ふと足元に軽い振動がある事に気づいた。
 瞳を下にずらし、指と腕越しに足元を見る。振動は地震とは明らかに感じが異なり、むしろ空気ごと震えていると表現するのが正しいだろう。それが足元からディーノに襲い掛かり、警鐘を鳴らしているのだ。
 微弱だった震えは徐々に大きくなり、はっきりと肌で感じ取れるものと化す。高密度に圧縮された神気を気取り、ディーノは咄嗟に打ち掛けの内側から背へと腕を滑り込ませた。
「――っ!」
 直後、圧縮された神気が凝結した薄紫の雲と化してディーノの頭上に襲い掛かった。
「ぐあっ」
 垂直に彼を押し潰すべく与えられる力は凶悪の一言に尽き、抜き放った愛用の鞭の柄で咄嗟に直撃は回避したものの、押し付けられる力は緩むどころか増す一方で、彼は膝を折り地に押し当てながら懸命に歯を食いしばって耐えた。
 雲は渦を巻き、中心部分から吐き出されては円を描くように上方へと流れて行く。その粒子ひとつひとつでさえ彼に牙剥く鋭利な刃物であり、対抗すべくディーノもまた咥内で詞を紡ごうとした。
 だがズキン、と後頭部を鈍器で殴られたような痛みが走り、全身を締め上げる圧迫感にも息が止まって彼は声もなく呻いた。
 ――やべ、リボーンの結界か……!
 神威を封じ込めるべく施されたリボーンの結界が、此処に来て裏目に出た。一瞬緩んだディーノの抗力に、紫雲の隙間から覗く黒眼が鋭い光を放って彼の喉仏を食いちぎるべく巨大な牙を煌かせた。
 南から指す陽光を反射して、青銀の鱗が鮮やかに姿を現す。
「な……っめんな!」
 たとえ限られた力しか使えずとも、経験だけならば自分のほうが上。
 吼えたディーノは瞬時に手首を返して力点をずらし、右に受け流すと同時に最小限の動きだけで鞭を撓らせて鋭い切っ先を天空へと放った。
 弧を描き、光を反射させて刃と化したそれを走らせる。だが手応えは無く、寸前で回避した鱗あるものはディーノを弾き飛ばさんとする衝撃波を放った。
 遠慮の欠片も感じられない攻撃に、ディーノは手元に戻った鞭の先端を握って苦笑する。
「本気かよ……」
 いったいどこまで嫌われているのかと、自嘲気味に口元を歪めて彼は掻き乱される前髪を払い退けて唇を舐めた。
 緋色がバサバサと風に煽られ、先に吹き飛ばされてしまいそうなのを片手で抑える。愛着があるから失いたくはないのだと自分に言い訳しながら、彼は右手に握った鞭を素早く、眼前の空間に走らせた。
 即席の印を刻み込み、自分の身を守る程度に範囲を絞った結界を其処に作り出す。直撃した衝撃は紫雲と共に彼の両側に分断され、轟音を残して後方へ一気に押し流されて行った。視界が濁り、空間が奇妙に波を打つ。ぶつかり合った力の反発で直後に彼の敷いた結界もまた音を立てて砕け散る。
 頬を切る風の唸りにディーノは冷や汗を拭った。少しでも気を抜けばやられるのは自分であり、久方ぶりの実践に、彼は高揚する気持ちを堪えながら晴れ行く雲の間から姿を見せた黒髪に肩を竦めた。
「仮にも育ての親に、その態度はないんじゃないか?」
 直ぐ脇を流れて行く紫紺の神気を指で弾き、ディーノが感情の篭もらない声で言う。無論返事は無く、雲雀は不満げな顔を作っただけで、青銀の拐を右は縦に、左は横にして攻守どちらにも動ける構えを作り出した。
「恭弥、話がある」
「僕には無い」
「お前に無くても、俺にはあるんだよ」
 神社から繰り返してきた押し問答を再び展開させ、ディーノは参ったなと後頭部をかき回す。
 地上よりも近く強い日差しを浴び、彼の金色はいよいよ勢いを増して輝きを強めている。握った手を開いた彼は、争うつもりは毛頭ないのだと鞭の柄を彼へ無防備に晒した。けれど雲雀は構えを解かず、放たれる殺気は尖ったままだ。
 お手上げだろうか、親指だけで鞭を落とさぬよう支えている彼は疲れた表情で溜息を零す。
「お前が俺に勝てるわけないだろ」
「やってみる?」
 力量差は地上でも見せ付けたはずだ。それなのに妙に自信満々に挑発を繰り出す彼は、或いはこの地ならば己に施された封印の一端を解いて元来の姿と力を発揮できると信じているのだろうか。
 それがいかに危険なことだと解ろうともせずに。
「やらねーよ」
「何故」
「お前と喧嘩したくて来たわけじゃないからだ」
「逃げるの?」
 言い放たれた嘲りの声に、思わずカチンと来てディーノは肩を怒らせた。
 だが安い挑発に乗ってやるわけにも行かず、彼は辛抱だと自分に言い聞かせる。予想していた行動に出ない彼に、雲雀は益々不満顔を深めて拐の先端を緩やかに揺らした。
 気持ちを鎮めながらディーノは一度瞳を伏せ、首を振って顔を上げる。突然切り替わった彼の様子に、雲雀は若干戸惑いを表に出して怪訝に顔を顰めさせた。
「……逃げてんのは、お前だろ」
 苦々しく吐き出されたディーノの声に、雲雀は強く地を蹴った。
 遠くにあった姿が、瞬きの間も無くディーノの眼前に現れる。彼が立っていたはずの場所には薄い土煙だけが残されて、持ち上げた鞭を両手で伸ばし拐の矛先を滑らせて変えたディーノは、接近戦の鍔迫り合いに持ち込もうとしている雲雀の腹を問答無用で蹴り飛ばした。
 しかし寸でのところで察知した雲雀は逆に自分から地面を蹴って後方へ跳び、衝撃を減らして着地した後即座に右肩を先にして再びディーノに襲い掛かった。
 鞭の撓る音が耳元を掠める。
「くっ――」
「悪いな。こういう使い方も、できるんだぜ」
 逆手に握った柄を雲雀の額に突き立て、ディーノが一段低い声で笑った。
 雲雀が後ろに下がった瞬間右へ大きく輪を描くように放たれた鞭は、放物線を描く形で懐に再度飛び込んできた雲雀の後ろを行き過ぎ、そして戻った。予想通りに突き出されようとしていた右の拐を絡め取り、雲雀の動きを封じ込める。交差させた左手は、雲雀の左側で鞭を握り撓まぬように引き絞っていた。
 直撃していたならば無事では済まなかっただろう雲雀の攻撃を、ディーノは余裕に溢れた表情で呆気なく防いでしまった。
 ぶわっ、とふたりを中心に膨らんだ空気が破れ、薄い煙となって波紋状に四方へ広がる。
 耳に痛い静寂が彼らを包み、不敵に笑むディーノの顔を雲雀はいっそ睨み殺す勢いで睥睨した。
 図星を指された故の激高だとは、容易に想像がつく。ならば何故雲雀はディーノを避け、それが叶わないと解った途端に強行突破で無理矢理彼をねじ伏せようとしたか。
 ――本当は、分かってるはずだ。
 ディーノが単に雲雀に会う為だけにこの地に降り立つことなど有り得ないと、短い期間であったとはいえ神々と直接触れ合い、その立場や環境を見聞した経験がある雲雀は既に悟っている。
 彼の来訪の、本当の意味を雲雀は直感的に感じ取っている。
「恭弥、お前の負けだ」
「うるさい」
 淡々と告げられた言葉に反発し、雲雀は捕えられてはいない拐を手の中で捻ってディーノの顎を砕くべく差し向けた。
 ディーノには雲雀を傷つける意思が無い。だから額に突きつけられている凶器は動かないと踏んでの彼の暴挙に、ディーノは最大まで見開いた眼で青銀に鈍く輝く拐の行く末を追いかけた。
 狙いは寸分違わず、ディーノの顎を捕捉する――
「いってぇ!!」
 事は無かった。
 突如晴天を破って鋭い火柱がふたりの間に突き刺さり、鞭と拐両方に直撃したのだ。
 ふたりは互いに自己の武器を握り続けることが出来ず、衝撃に痺れた指は感覚を失って痙攣を起こした。雲雀の拐が互いにぶつかり合って音を立て、その隙間にディーノの黒い鞭が落ちて渦を巻く。身を屈めて手から足元を貫いていった痛みに喘いだ彼らの頭上から、今度は雲雀にとって見慣れた、ディーノにとっても懐かしい、そしてつい数時間前に食らったばかりの撥が落ちた。
 べし、べしっ、と小気味良い音が二度、立て続けに静謐こそが似合う神域に響き渡る。効果音つきで地表に降り立った黄色の頭巾は、小柄な身体に大きな頭と目をくるりと後ろ向けて完全に蹲っているディーノと、どうにか堪えながらも両手でしっかり頭を抱きかかえている雲雀を順番に見上げた。
 にっ、と相変わらず何を考えて企んでいるのか分からない笑みを浮かべ、握り締める撥で自分の背中を軽く叩く。
「おめーら、神域でなにおっぱじめるつもりだ」
「童、邪魔を……っ」
「なにをするつもりだった?」
 この場所は神聖な場所、並盛山の中心の中心に当たる空間。この山に宿る霊力の源が眠る場所であり、決して穢してはならぬと定められた霊廟でもある。
 それを、雲雀は今、破ろうとした。
 懲罰は当然であり、リボーンの冷徹な目に睨まれた彼は右手で頭を庇ったまま視線を逸らした。
 一方のディーノは雲雀よりも強く撥で殴られたようで、容赦ない一撃に未だ蹲ったまま立ち上がれずに居る。視線さえ持ち上げる事が出来ないのか、うんうん呻いたまま打たれた箇所に丸い瘤を作っていた。
「ひでぇ……俺さっきから、こんなんばっかだ」
 いい年の癖に涙目になって、顔をふにゃけさせたディーノが漸く顔を上げてほぼ直線状にあるリボーンを睨む。ただ気迫は乏しくて効果も薄く、むしろ同情を誘う口調に一足先に立ち直っていた雲雀は呆れた様子で肩を竦めた。
「兎に角、俺の目が黒いうちはここで好き勝手させるつもりはない。雲雀も雲雀だ、話くらい大人しく聞け」
 撥の先をぴっと雲雀に向け、リボーンが高らかに宣言する。墨色の着流しの乱れを簡単に整えた雲雀は、向けられた切っ先に不快感を示しながらもついに降参したのか、溜息の末低い位置にいるディーノに向き直った。
 やっと痛みが引いたのか、目尻の涙を弾き飛ばしたディーノが曲げた膝に手を置いて立ち上がる。雲雀は拐を拾って袖に戻し、ディーノもまた愛用のそれを拾い上げて長い鞭を折り畳んだ。
「聞いてあげるよ。話だけなら、ね」
 リボーンに釘を刺されてしまい、最早逃げ隠れ出来ないと悟ったのか。しかし妙に引っかかりを覚える言い回しに、ディーノは渋い顔を作って首を横へ振った。両手はそれぞれ肘を曲げて腰に押し当て、脱力仕切った様子で最後は肩を落とし、腕も真下を向いた。
 垂れ下がった前髪に表情の大半を隠し、雲雀の失笑を買う。
「言い方が悪かった、認めるよ。そうだな、話をするだけじゃない」
 矢張り雲雀は気付いている、そして恐らくはディーノに従わない。
 一筋縄でいかない相手だというのは、充分に伝わったし理解もした。けれど目的を達せられなければディーノだって戻れないし、大人しく引き下がるのももってのほかだ。
 ディーノは改めて深く息を吐き出し、思い切って顔をあげた。空色の澄んだ瞳に力を宿し、正面に雲雀を見据えて唇を開く。
「迎えに来た、お前を」
 静かに、ただ静かに。
 必要なことだけを告げる彼に、雲雀もリボーンもまるで聞こえていなかったかのように無反応だった。
「分かってると思うが、お前自身の為でもある。蛟を喰らい同化したお前を、神部は放置できないと判断した」
「……で?」
 ゆるりと瞳を持ち上げた雲雀が、言葉を切ったディーノを促す。その顔からは一切の表情が消え、さながら能面のようだった。
「神部の掟は、知っているだろう。地界に影響を与えてはならない、与してもならない。其処に住まう命をみだりに動かしてはならない。お前の存在は、この世界じゃ既に異端なんだ」
 このままではいずれ、悪影響が出る。今は良くても、今がずっと続くことは有り得ない。
 広げた掌を横へ振り、ディーノは強く言い放った。しかし雲雀は眉ひとつ動かさず、声が届いているのかディーノは急に不安になる。
「お前はそれを伝えに来たのか」
 それまで聞くだけだったリボーンが話に割って入り、視線を下向けたディーノは羽織った打ち掛けの衿を掴んで胸元まで引き込んだ。
「いや。命じられたわけじゃない、俺の……独断だ」
「そっか」
 生温いだけの日々に突如降って沸いた騒々しい話題。自堕落に時を送るだけの輩が突如いきり立った場で話を偶々戻っていた最中に聞きかじったディーノは、居ても立っても居られずに勢いだけで飛び出してきてしまった。
 常に付き従ってくれている眷属にも何も言わずに出てきてしまったから随分と探すのに手間取ったが、辛うじて感じ取れた微細な雲雀の気配に反応して降り立った先が、並盛神社。相手を取り違えるという手酷い失敗をしでかした彼だが、気が急いていたのだから仕方が無い。
 思い出したのかムッという表情を作った雲雀は胸の前で腕を組み、見えやしない此処ではない別の場所に瞳を凝らしてから馬鹿にする調子で嗤った。
「行く気はない」
「恭弥!」
 いともあっさり断言した雲雀には、逡巡する素振りさえなかった。端から彼の答えは決まっている、この地を動く気は雲雀には無い。
 だが譲れないと、ディーノもまた声を荒立てる。
「解れよ、お前の為だって言ってるだろう!」
「余計なお世話だって、そう言ってるんだよ」
 感情を露にするディーノに対し、雲雀は何処までも抑揚に乏しい声で彼の言葉を受け流す。リボーンは両者から少し離れた場所に立って再び聞き役に徹し、余計な口は挟まずに状況を静観している。
 吹き抜ける風は相変わらず荒々しい。巻き上げられた砂粒を避け、ディーノは反論したい気持ちをぐっと堪えて打掛を握る手に力を込めた。
「お前が留まる理由は、あの子か」
 視線を外して幾分声を低くしたディーノに、雲雀の眉が片方だけ持ち上がった。
「ツナ……だっけ。確かにあの子は可愛いし、いい子だし、お前が気にかけてやるのも解る。けど、あの子はただの人間だろう?」
 たとえその心臓に雲雀の宝珠が眠っていようとも、綱吉は人間だ。いずれ寿命は尽き、肉体は朽ち果てて滅び去る。そんな脆い存在に固執する気持ちがディーノには解らない。
 否、解りたくなかった。
 それに、とディーノは綱吉を抱き締めた時に感じた気配に睫を揺らした。
「あの子の命は、もってもあと数年だろう?」
「黙れ!」
 突然、それまで大人しかった雲雀が瞳を怒りに滾らせて叫んだ。
 今にもディーノに掴みかかりそうな勢いで、しかし先の失敗があるからか振り上げられた拳はそこから先へ動かず彼の背の高さで留まり、やがて静かに沈んでいった。
 震える肩は怒りの大きさを示し、引き結ばれた唇は悔しさを意味している。
 ディーノが感じ取れるならば、雲雀だってとっくに気付いていて可笑しくないことを、ディーノは忘れていた。
「恭弥……」
 自分の失言にディーノは後悔を滲ませ、その表情が余計に雲雀を苛立たせる。
 ずっと綱吉と一緒に居たのだ、どうして気づかないままでいられよう。
 彼の生命線が細く短いものだというのは、出会った時から解りきっていたこと。雲雀の機転が無ければ彼の命はあの段階で潰えていた、今も彼の生命が維持出来ているのは、雲雀が彼の隣に居るからだ。
 離れれば途端に彼の運命は先細り、呆気なく砕け散るだろう。
 綱吉に約束された寿命は、最初に定められた時間をとっくに追い越している。今は雲雀が無理矢理捻じ曲げ、引き伸ばしているに等しい。
 けれど綱吉は何も言わない。彼もまた、自分の命の灯火がそう長くもたないことを自覚しているから。
 雲雀を解き放ってやらなければと思いつつも、わが身可愛さに――そして雲雀が彼の欺瞞を知りながらも共に在る道を選んでくれている現実に、甘えている自分をきちんと理解している。雲雀もまた、それでも良いと思っている。
 ただ一緒に居られたら、それだけで良い。他に特別なものを求めたりしていないのに。
 あの子の命が尽き果てる瞬間まで、その手を握って暖めてやりたいと、そればかりを願っているのに。
 どうして。
「どうして……放っておいてくれない」
 この力を使って誰かを害そうとか、地上に影響を及ぼすだとか、考えた試しもない。己を、そして綱吉を守ろうとして揮う力を、悪だと断罪する権利がいったい誰にあるというのか。
「恭弥……」
 肩を荒く上下に動かし、整わない息で唇を噛む雲雀に最早ディーノは何も言ってやれない。
 けれど、いくら彼が主張し、訴えたところで結果は変わらないのだ。
 雲雀の存在は看過してやれるものではない、最早彼が地上にある事自体が罪となろうとしている。
「僕は動かない」
 たとえ天部を敵に回したとしても。固い決意を秘めた彼の瞳に、ディーノは項垂れつつ首を振った。
 話は終わりだった。
 ディーノの説得は空振りに終わり、雲雀は最後まで聞き役で終わったリボーンに一瞥を加えて踵を返す。そして雲霞となって姿を消した。
 静寂が戻り、風が哀しげに泣く声を聞いてディーノは額を手で覆い隠し首を振ってから顔をあげた。そこにはもうリボーンしかいなくて、彼はやや自嘲気味に表情を崩して笑う。
 もっとも彼自身も、雲雀が大人しく素直に従ってくれるとは考えていなかったろう。割に早い立ち直りを見せて、脱力しきった肩を前後に揺すった。
「参ったなー」
 口ではそう言いつつもどことなく嬉しそうな顔をしているのは、元から彼が神部の者達と若干相容れない思考の持ち主だからだろう。
 金色の髪を掻き上げ、緋色の地に金刺繍の跳ね馬を背負った彼はクツリと喉を鳴らす。
 取り戻した表情には楽しんでいる色が窺える。雲雀が彼らを指して「楽しいか、そうでないか」がすべての判断基準だと評したのはある意味で正しい。
 彼らは常に自分の興味あるものに忠実であり、歴史を紐解けば彼らに課せられている掟など、あって無きが如きものだというのはよく分かる。
 ディーノは意識を研ぎ澄まし、瞑目して風に意識を委ねた。もとより肉体などあるようでないようなものの彼は軽々と空間を飛び越え、立ち去った雲雀の行方を追いかける。
 彼は今、沢田の敷地と禁域とを隔てる結界を越えるところだった。草履で苔生した石段を擦り、ゆっくりと確実に両足で歩いて坂を下っていく。結界石を越えて人間の領域に戻った彼は、その足で離れと屋根つきの渡り廊下で繋がれた道場へ向かった。
 離れは経由せず、南向きに解放されている本来の入り口まで回り込み、敷居を跨ぐ。日陰に入って視界は暗くなり、湿った土の匂いが一瞬だけ感じ取られた。
 外とは違い、陽射しが遮られているからだろう、ほんの少しだけ涼しい。けれど閉められていた道場への戸を横に引くと途端にむっとした空気が鼻腔を刺激し、雲雀は思わず眉間に皺を寄せてそれから直ぐに息を吐いて強張らせた力を抜いた。草履を脱いで上がりこみ、空気とは裏腹にひんやりとした板張りを踏みしめる。
 中に居た人は雲雀の訪問に気づかず、広い道場の半ばにあって熱心に扇を手にして舞を舞っていた。
 彼が床を蹴り、踏みしめる音だけが静寂の中の唯一。いつから此処に居るのか全身は汗びっしょりで、彼が回る度に毛先からは幾つもの雫が飛び散った。
 動き自体は非常に簡素であり、全体の動作よりもむしろ手首から先、足首から先の微細な動きを求められるものに思われた。扇を素早く広げ、閉じ、左から右へ持ち替えてはくるりと背を向け、また広げて空を切る仕草を取る。ひとつずつの動きには意味が定められていて、決して型を違えてはならない。指の先まで神経を集中させて踊る姿は水の流れにも似て淀みなく、雲雀同様にディーノもまた、己の存在を忘れて見入ってしまうほどだった。
 だが唐突にその集中が途切れ、舞手は扇を落とし動きを止めた。表情にはしまった、という思いが滲み出ており、戸口に寄りかかって腕組みをしながら見守っていた雲雀は薄く唇を横に引いて笑むと、拍手と同時に落ち込んでいる少年になにか声をかけた。
 言葉は聞き取れない。しかし物音で初めてそこに雲雀が居るのを知った彼は、顔を瞬時に赤く染めてなにかを言い返す。雲雀と違って表情が豊かな彼が何を言っているのかは、唇の動きからも楽に想像できた。
『いつから見てたんですか!』
『いるなら言ってくれればいいのに』
 唇を尖らせて拗ねる様は実年齢よりもずっと彼を幼く見せる。汗に湿った甘茶色の髪を梳き上げて後ろへ流し、少年は落とした扇を拾って姿勢を正した。
 彼は今、薄紅の襦袢一枚という姿だった。上に羽織っていた長衣は暑さに負けて脱ぎ捨てたらしく、道場の端の方で折り畳まれもせずに無造作に放置されている。窓は東向きのものだけを解放し、反対側は西日が入るのを嫌ったのか、閉じたままだ。ほぼ閉め切った状態に近い道場はかなり薄暗く、熱が篭もって立っているだけでも汗が滲み出てくるような状態だった。
 広げた扇で風を襟元に送り、乱れた呼吸を整えやる。全身から噴出した汗に濡れた襦袢は肌に張り付き、彼の華奢な体躯をありありと見せ付けていた。肉の薄い鎖骨、成長の兆しが薄い喉仏、短くあげた裾から覗く細い足首と小さな足指。両手で右の袂を持ち、額を拭って少し悪戯っぽく赤い舌を出して笑う。傍に寄った雲雀への警戒心は皆無で、目の前あと数歩のところまで来た彼へ、逆に自分から駆け寄って両腕を広げて持ち上げた。
 床を蹴り跳び上がって、雲雀の胸へと飛び込む。若干上半身を後ろに傾がせながらも少年を受け止めた雲雀もまた、彼の背に腕を回して腰の中心で指を結び合わせた。
 ディーノには決して見せなかった穏やかな表情が、全身で甘えてくる少年を心の底から愛おしんでいるのだと教えている。
 少年は雲雀の首に絡めた腕に力を込め、彼に頬を寄せて胸を摺り合わせた。舞の最中で乱れた裾もそのままで、露になっている太股に恥らう様子も無い。見ている方が赤くなる触れ合い方に、ディーノは唖然となった。
 随分と仲が良いとは思っていたが、と顎に指を置いて言い知れぬ緊張感に襲われる中、ディーノが視ているとも知らずにふたりは顔を近づけると、どちらが先とも知れず目を閉じて互いの唇に唇を重ね合わせた。
「……っ」
 最初は鳥の啄ばみにも似たものを、そして次第に触れ合う時間を長引かせて繋がりを深めていく。少年の腰に回した手を解いた雲雀は右腕だけをその場に残し、左手で輪郭線も丸く柔らかそうな彼の臀部をゆっくりと撫で回し、汗で湿って絡みつく襦袢を手繰りながら前へ指先を移動させていった。
 口付けは途絶えず、間で何かを言った少年の声は無視された。雲雀の肩に手を下ろした彼は懸命に爪先を立てて彼に寄りかかりながら姿勢を保ち、襦袢の中に潜りこもうとしている雲雀の手を必死に止めようとする。
 だが力関係は見る限り雲雀一方に偏っており、抵抗は虚しく封じられた。雲雀の舌は赤く濡れた彼の唇を舐め、唾液が伝う顎をなぞり、細い鎖骨へと落ちていく。
 切なげに瞼を伏して睫を揺らした少年が、喉を反らせて下へ向かう雲雀の頭を掻き抱いた。握る力が失われた扇は床に落ち、邪魔になるからなのか雲雀がぞんざいに蹴り飛ばして遠くへ追いやってしまった。
 汗に湿る白い柔肌に、赤い痕を雲雀が刻んでいく。手で顔を覆い隠したディーノもまた、全身に熱を覚えて蹲った。
 仲がいいふたりだとは、思っていた。
 最初こそ嫌がる素振りを見せていた少年も、雲雀の手管に陥落させられて今や恍惚に満ちた表情で彼に脚を自ら絡ませている。しどけなく濡れた唇は妖しい光を放ち、揺れる瞳は婀娜な色を宿らせて先ほどとはまるで別人のようだ。
 再び深い口付けに没頭し始めた彼らは、互いを貪りあうようにして道場の床へと縺れ合いながら崩れていく。招き入れる形で膝を広げた綱吉に雲雀は圧し掛かり、聞こえてはこないが睦言を囁きあっているようだ。
 そして本格的に交じり合おうと動き出す彼らにディーノが大きく喉を鳴らして唾を飲みこんだその時、突然彼の視界が真っ黒に落ちた。
「え――?」
 これからいいところなのに、とは流石に思わなかったが、面食らった彼が意識を形に戻して目を瞬かせる。顎から外れた手が間抜けに空を掻いて、眼前を覆い隠す巨大な黒にぎょっと身を竦ませた。
 あと少しでくっつく、という至近距離にリボーンの白粉を塗りたくったような顔があったのだ。
 危うくあげそうになった悲鳴は寸前で堪えたが動揺は隠し切れず、両手が宙を泳いで彼た頭から後ろへと倒れこむ。ごんっ、という実に素晴らしい音が響き、彼の目にも星が散った。
 今日これで何度目だろう、殴られたりぶつけたり蹴られたり、散々だと頭を抱えたディーノが首を振り、涙目で起き上がる。リボーンはそんな彼を鼻で笑い、今回はまだ使っていない撥の先を彼へつきつけた。
「覗き視しに来たわけじゃねーだろ」
「ぐ……」
 文句のひとつでも言ってやりたかったが先に指摘されてしまい、反論できずディーノは黙り込む。
 確かに褥を濡らす綱吉の顔は艶っぽく、見てはいけないものを見てしまったという気持ちは否めない。同時にあの無邪気さだけが取り得のような子にあんな顔をさせる相手が雲雀だという事実に、僅かながら嫉妬めいた感情を抱いているのも嘘ではなかった。
 それは単純に、綱吉が似ているからという理由だけなのか、ディーノには解らない。
 苦悶に表情を歪めた彼に、リボーンは短く息を吐いて撥を煙に掻き消す。
「駄目だぞ」
「分かってるって」
 立ち上がるのを諦め地面に直接腰を落としたディーノは、前方に脚を投げ出し大事に羽織った打ち掛けを抱き寄せた。
 表情が影を帯び、引き結ばれた口元には悔しさが滲み出ている。伏せられた睫はか細く揺れ動き、心の中で鬩ぎあう葛藤に折り合いがつかないのか、彼は暫くして乱暴に自分の髪の毛を掻き毟った。悪態をついて拳を地面に叩きつける間、リボーンは再び沈黙を保ち彼が自分で結論を見出すのを待った。
「俺は、また……見てるだけなのか」
 目を閉じれば鮮やかに蘇る記憶が胸に甘い疼きを齎す。同時に切な過ぎる痛みがそれを覆い隠し、全てを掻き消していった。
「見てる事しか、出来ないのか……」
 笑顔で微笑みかけるその隣には、常に影のように付き添うひとりの男の姿がある。何故それが自分でないのだろうと、幾度思ったことか。後悔した事か。
 けれど時は戻らないように、あの笑顔もまた、戻りえぬものとして諦めた。長く忘れていた、いや、忘れようと努力して思い出さないようにしていた。
 踏み込めなかったし、踏み切れなかった。捨てられなかった、あんな風になりたくでも出来なかった。自分の意志の弱さが原因の根底にあると知りながら、見ない振りを貫いて最初からああなるのが運命だったのだと決め付けて。
 頭を抱いたディーノに肩を竦め、リボーンはすっかり小さくなっているディーノの脛を蹴り飛ばす。
「いっ……!」
「で、お前は落ち込む為に此処に来たわけじゃねーだろ」
 遠慮ない一撃で即座に顔を上げたディーノへ、リボーンはどこまでも冷たい声で言い放つ。
「いやまあ、そうだけど」
「なら、なんだ」
「だから、恭弥を」
 迎えに、と皆まで言わせずリボーンは再度彼の脛を、さっきの倍の力で蹴った。
 精神的な傷に加え、身体的な痛みを上乗せされてディーノは呻く。本格的に泣き出す寸前まで行った彼に、ふん、と鼻息ひとつ吐き出したリボーンは両手を腰にあて、胸を反り返らせた。
「雲雀やツナの目は誤魔化せても、俺の目は誤魔化せねーぞ」
 綱吉はディーノの来訪を、雲雀に会う為だけと思っている。
 雲雀は、ディーノが自分を連れ戻しに来たと考えている。
 けれど本当ならディーノは、雲雀に断りを入れる事無く彼を連れ去るのだって可能なのだ。力関係はどう足掻いてもディーノの方が上であり、最初から拒絶されると分かっている提案をする意味は、何処にもない。
 正面から黒眼に睨まれて指摘され、ディーノは言葉を詰まらせた。視線を逸らそうとするが、圧倒的な圧力を嗾けてリボーンはそれを許さない。首の筋が引き攣って回すに回せず、彼は頬を痙攣させて薄笑いを浮かべなんとか誤魔化そうと試みた。
 だが無言の威圧を仕掛けるリボーンの表情は一切変わらない。
「言わなきゃ……駄目?」
「当たり前だ」
 恐る恐る声を震わせ問うた彼に、リボーンは深く頷いてきっぱりと言い切る。ディーノは地に蹲ったまま冷や汗を流し、乾いた土を握り締めて風に流してから緊張を緩めるべく、長い息を吐いた。
 深呼吸を三回。それでも踏ん切りがつかない彼は左右へ落ち着きなく視線を動かしてから、南の空高くに燦々と輝く太陽を見詰めた。
 秋深まり少しずつ勢いを弱めていくはずの陽射しは、逆に夏へ舞い戻るかの如く日々勢いを増している。日照時間も長いままで、雲は少なく雨もまた然り。並盛の近隣では旱魃の噂も絶えず、どこぞで何人が餓死したという伝聞は耳に胼胝ができるほど。
 豊かな水源を持つ並盛でさえ、川の水位は日増しに下降の一途を辿っている。地下水脈に手を出して今を凌いでも、次同じことが起きれば足りなくなるのは明白だった。
 異常気象は納まることを知らず、被害は計り知れない。
「だから?」
 この異変の原因が何処にあるのか。地上に生きる人や獣は、知る由もない。
 けれど。
 ディーノはリボーンの催促に頬を引っ掻き、尻込みしながら彼との距離を広げた。
「や、でも言うと絶対リボーン怒るだろ?」
「言わなきゃ怒るけどな」
「言ったら怒らないって約束する?」
 雲雀に対しては強気の態度を崩さなかった彼が、リボーンの前では途端に子供みたいな駄々を捏ねた。
 広げた両手を振り回し、更にリボーンとの距離を作って警戒を前面に押し出す。しかし躊躇し続ければ益々リボーンの機嫌は損なわれ、にじり寄る小さな体躯に彼は恐怖心を露に首を振った。
「ごめん、言う、言うから!」
 表情が一切変わらないリボーンにディーノはついに降参の白旗を振った。だからそれ以上近づかないでくれと懇願し、膝の前で両手を置いて、彼は実に情けない態度で彼に頭を下げる。
「すみません、火烏奪われました」
 土下座した彼の悲鳴は、二重三重にこだましながら並盛の山々に消えていった。

2007/9/15 脱稿