waiting

 締め切り前の気晴らしという口実で出かけた市街地。
 雑多に色々なものが交じり合い、原型の分からない色で溢れかえっている空間を遠巻きに眺めてみる。
 本屋には行ったし、レコードショップにも行った。目当てのものは本屋だと二件目で発見、レコードは結局入荷待ち状態で手に入らず。
 城に戻っても仕事の山がドンと待ち構えているだけだから、正直すぐ戻る気になれない。ぼーっと目の前を通り過ぎていく人の波を、通りに面した喫茶店の窓側席から眺めて時間をつぶしていた。
 携帯電話が震えたのは、そんな最中。
 ポケットからの振動に数秒遅れてのろのろと腕を動かし、取り出す。既に振動は止んでいて、二つ折りの表面に埋め込まれた小さな液晶画面がつい今しがた、メールが届いたと示すランプがゆっくりとした速度で点滅していた。
「……?」
 誰だろう。電話の着信ではないので送り主の名前まで表示されない。無視を決め込もうかと思ったが、気づいてしまったものを放置するのもやや気持ちが悪いため、いかにも仕方ないと言わんばかりの態度を表面に出すことで自分に言い訳し、携帯電話を開く。
 大き目の液晶パネルに、新着メールがあると告げるマークと文字。対応するボタンを左の親指でおすと、アニメーションが展開されてメール画面が開かれた。
 自動的に最新の着信メールが表示される。ユーリからだ。
 珍しい。思わず視力を残している右目をサングラスの奥で見開く。文面は、彼らしくとても簡潔に、スクロールする必要も全くなかった。
 ただ『今どこにいる』とだけ。 電話をかけてくれば良いものを、その方がこちらも返信をする手間が省けるというのに。
 だが電話できない状況にあるのかもしれない。まさか誘拐されて、身代金を要求する電話を城に入れている犯人の後ろで、手を縛られた状態で監禁されているわけでもなかろうが。
 そんな事をすれば、まず犯人の命が危ないなと、想像上だけの誘拐犯に少しだけ同情しつつ、テーブルに肘をついて現在地を端的に告げる文面を打ち込んだ。駅の名前と同一の町の総称だけを記入したメールを送信し、じきに返事が来るだろうから携帯電話も畳まず、窓辺に置く。
 ウェイトレスが半分も減っていない冷水の補充にやってきたのでやんわりと断っている間に、二通目のメール着信を知らせる振動がテーブルの上で響いた。ポケットの中に入れていた時とは違い、白い化粧材の上で身悶えする騒音が周囲に良い迷惑なのですぐ取り上げる。
 残念そうにウェイトレスが戻っていく背中を見送り、早速文面を開き見た。
『丁度良い、今から行く。どこにいる』
 これには、おや、と思った。
 ということはユーリも出先なのだろうか。しかし用件を告げずにどこにいるのかだけを聞いてくるその真意が読み取れない。何か直接の用があれば電話をしてくるだろうし、出かける時ユーリは何もいっていなかった。
 どうしたのだろう。今まで城の外で待ち合わせをするなど殆どなかったのに。
「めずらし」
 呟きつつ、再び肘をついて返信画面を呼び起こした。だが最初の一文字を打ち込もうとして、ふと手が止まる。
「ふむ……」
 考え込んで、開いている右手が自然と顎を撫でていた。立てた人差し指が顎と頬の境界線を数回神経質そうに叩く。色の濃いサングラス越しでは画面のバックライトがついていても消えていても大差なく、うーんと唸ってから一度携帯を閉じた。
 背面液晶パネルが数十秒点灯したあと、静かに沈黙した。
 空のコーヒーカップの縁を指で小突く。カタカタと音も立てずに揺れたあと、これもまた黙りこくった。
 それから約一分後、考えがまとまったのか再び携帯を広げ、素早く文面を打ち込んで返し、コーヒーの注文書と買ったばかりでまだ広げてもいない本の入った紙袋を手に、立ち上がる。それまで足元で遊んでいたロングコートの裾が動きに合わせ、大きく膨らんですっと真っ直ぐに形状を戻した。
「有難う御座いました」
 レジに向かう道すがら、店員からそう声がかかる。果たしてあちらは、こちらの正体に気づいているのだろうか。
 無理だろうな、と毛先までしっかり黒に染まった前髪を見上げ、小さく笑む。支払いを済ませて店を出たところで、三通目のメールが来た。
『今から行く。動くな』
 簡潔すぎる文面に、合流せねばならないかの理由を読み取る余地は無い。
「やれやれ」
 携帯電話で顎を叩き、動くなと言われてもな、とひとりごちる。
 密やかに、微笑みながら。

 ユーリを見つけるのは上手いと、我ながら思う。
 こんなことを言うと変な奴だと思われかねないから普段言うことは無いが、ユーリにはオーラというか、そういう独特の空気がある。輝いている、とも言えるだろうか。
 よく後光がさして見えたとか、彼女だけが世界から浮き出て見えたとかあるけれど、そういうのとは違うと思いつつ、同じなのかもしれないとも思う。とはいえ、ユーリが希少種のヴァンパイアだからという理由も無きにしも非ずで、結局分からない。ユーリだけを人ごみから見分けられるという程度だから、吸血鬼独特の匂いでもあるのかもしれない。
 今日もまた、待ち合わせに指定した場所に大勢の乗客の中から彼だけを見つけ出せた。
 これといった特徴があるいでたちではない。一応芸能人(人か?)である為、周囲に正体がばれないようにしなければならないから、テレビ画面に映る彼とはまるで別人を思わせる、目立たない服装をしていた。
 紺色のデニムジャケットに明るいパールホワイトのシャツ、ハンティング帽の下はこげ茶色のウィッグだ。瞳の色をごまかす為に、薄く色の入った眼鏡をかけている。やや緩めのカーゴパンツに、靴までは見えなかったがスニーカーか何かだろう。カチッとしたモノトーンカラーの服装が目立つ彼にしては、随分とカジュアルな選択だ。誰かに着させられたのかもしれない。
 若者の町に自然と溶け込んでおり、注視しても彼がユーリだと、彼を知るものであってもすぐには分からない筈。そうでなければ変装の意味はないのだし。
 けれど自分には分かる。分かってしまう、理由も無いままに。
 ユーリは駅を出てすぐのバス乗り場とタクシー乗り場が併設されている箇所に出向き、周囲をきょろきょろと見回した。人通りも多いために立ち止まると肩をぶつけられたりして、嫌な顔をしつつ背伸び気味に周辺の様子を窺っていた。
 そのうちにファッションビルの近くまで人ごみに流されてしまい、急ぎ戻ってきてバス乗り場前の小さな待合公園に建てられた時計台を見上げる。自分の腕時計とも現在時刻を見比べて確認し、また誰かを探す素振りで視線をあてどなく漂わせる。
 誰を探しているかは分かりきっている。この場所を指定したのは自分だ。
 待ち合わせをしてユーリの所在に気づいておきながら、こちらから声をかけないのは我ながら悪趣味だと思うが、普段どうやって彼が自分を見つけ出しているのかにも興味がある。これで見つけてもらえなかったら、それこそ悲しいを通り越して辛いが。
 遠巻きに彼を眺める。時折人の流れに邪魔されて姿が見えなくなる事もあったが、ユーリも待ち合わせ場所を確認しながら何度か時計、それから携帯電話を眺める。程なくしてポケットから緩い振動を感じ取り、広げてみると案の定彼からのメッセージだった。
『どこにいる』
 簡素すぎる文面は、急いでいるからなのか。
 返事として、約束した場所にいることを書き記し、送信ボタンを押す。一分もしないうちに着信を感じ取ったユーリが文章を読んだらしく、慌てて顔を上げて周りを見るが、こちらの存在に気づく様子は無い。
 姿を消しているわけではない、ちゃんと見えるようにしている。
「鈍いなぁ……」
 そんなに分からない格好をしているつもりはないのに、ここまで気づいてもらえないのはやはり傷つきそうだ。しかしここで立ち上がって彼に手を振るのも、何に、かは分からないが負けたような気がするので我慢する。
 早く気づいて欲しい、ユーリの方から。
 ぼくはここにいる、そう心の中で強く願う。この思いが彼に伝わればいいのに。沈黙した携帯電話を右手に握りしめ、静かに祈るように隻眼を閉じた。
 町の雑踏は遠のき、闇が落ちてくる。黒いロングコートに黒のレザーパンツ、黒い手袋と瞳を隠す強い色のサングラス。SPか何かを思わせるいかつい出で立ちでありながら、背景に溶け込んでいる為か周囲の人々はあまり意に介す様子がない。ここはごちゃ混ぜの町、異文化が雑多に展開し、それぞれの特色を打ち出しながらも他と融合し、独特の進化を遂げた場所。
 カジュアルの中にクラシックが潜み、黒の中に白が広がる。
 誰も誰かに気づかない。そういう場所にいる自分を、彼は果たして、見つけ出せるだろうか。
「趣味悪いな」
 ひとり自虐的に笑い、脚を組みかえる。地面に落ちる側のつま先が投げ捨てられた空き缶に当たった。
 中身を失い、また行き場も定まらない空き缶が音も無くコンクリートの上を滑っていく。自転しながらも、どこへ行けばいいのか分からない動きはふらふらしていて、先程のユーリを思い出させた。
 と、その缶が誰かの足に当たって急に止まった。行く末を見守っていた視線が、自然壁となった足の持ち主へと移動する。
 細い華奢な脚、パールホワイトのシャツ、紺色のジャケット。見慣れない黒の髪、それを押さえ込むハンティング帽。
「あちゃ」
 思わずしまった、という顔になってしまった。呟き声も聞こえたらしく、目の前のユーリはいかにもご立腹という表情で胸をそらし腕を組み、仁王立ちしていた。背後から怒りのオーラが真っ赤に燃えているように見える。
「あー、えーっと……」
「待たせてすまなかったな。なかなか、誰かが見つからなくて随分と探させてもらった」
 ああ、これは怒っている。完全に、完膚なまでに怒っている。思わず手で顔を覆い肩を落として俯いてしまうほどに、ユーリの怒りの表情は直視するにはきつすぎる。
「いえ、その、なんていうか」
「まさかこんなに奥の見つけにくい場所にいるとは思わなかった。すまなかったな、長いこと……人を見ていて楽しかったか?」
 しかも自分を探しているユーリを遠くから観察していた行動までしっかり読まれている。確かにこのタクシー乗り場奥にあるビルの谷間の花壇前は、待ち合わせの場所にしていた範囲のぎりぎり中に入っているけれど、肝心の広場からはかなり見えにくく、また此処からだと広場の動きがつぶさに見て取れた。
「いえー、だから、あの……」
 ゴメンナサイ。
 素直に頭を下げて謝る。両手の平を合わせて謝罪のポーズを形作る。
 腰に手をやったユーリはふん、と鼻を鳴らし、にやりと笑った。
「そうだな、待たせてしまった償いとしてお前には一緒に来る権利を与えてやろう。喜べ」
 最初からどこかに連れ出そうとして自分を呼んだのに、ユーリは言い方を換えて断れないように逃げ道をふさいだ。しかも表情から、あまり自分にとっては喜ばしくない場所へ連れて行かれるのだと感じ取れる。背筋に冷や汗が流れた。
「喜べ?」
「……ハイ」
 俯いて小声で返事をする。しっかり聞き取ったユーリはひときわ満足そうな顔をして笑った。
 
 結局、ユーリが何故呼んだのかの理由に関しては、出向いた先で直ぐに分かった。
 彼お気に入りのショップでは、最新モデルが多数並んでおり、その荷物持ち。
 一軒だけなら良かったものの、それが三軒、四軒と続き、帰りこそタクシーを拾ったが、その間もずっと、大量の紙袋は膝の上、腕の中。
 満足げな表情で座席に揺られるユーリの横顔を眺めながら、疲れたと深い溜息。
 けれど、嫌な気分ではなかった。むしろ……
「なんだ、気持ちの悪い」
 少し嬉しそうに笑っている、見た目こわもてファッション自分に、ユーリが呆れた声で言った。
「べつに~?」
 言葉とは裏腹に、思い出して笑みが漏れた。
 
 だって、ユーリは。
 見つけてくれたから。