StarDust

 昼に出かけていたスマイルが、帰宅していた事を知ったのはもう太陽が大分西に傾き、地平線の寝床に帰ろうとしている時間帯だった。
 昼間の暑さはまだ地表に多く留まり、立ち止まっているだけでもじっとりとした汗が肌を伝い落ちていく。そんな中彼は、陽射しも途切れていない夕暮れ空の下、庭の中でおおよそこの古めかしくおどろおどろしい外装をしている城には似つかわしくないものと向き合っていた。
 一体何処から手に入れてきたのか、それさえも甚だ疑問で怪しい、緑色も濃い笹。
 熱中に置かれているせいか、少々枝振りの先端に元気が感じられないがなかなかに立派で、大きい。根本で作業している彼の身長よりも随分と高い位置にある頂が、彼の動きに付随してわさわさと揺れている。
 何をしているのか、その場所からは見えなくてユーリは興味惹かれるままに窓辺へと近付いた。半開きになって風を入れている窓を更に開け、一段低い高さになる庭を見下ろす。
 緑の笹に、色とりどりの装飾品が吊り下げられていた。
「スマイル?」
「ん~?」
 名を呼ぶと、動かしていた手をそのままの格好で止め首の上からだけを振り返らせた彼が不思議そうな顔をして首を傾げる。
「なにをしているのだ?」
 窓辺に佇んだまま問いかけるユーリに、スマイルは持ち上げたままだった手を下ろし、ついでに膝を折って足許の紙袋に詰め込まれているもののひとつを摘み上げた。だらん、と彼の指先からぶら下がり落ちたのは、紙に交互の切れ目を入れた簡単な飾り物だった。
 彼はユーリの問いかけには答えず、先に摘んだ飾りを笹に吊すことにしたらしい。振り返らせていた首から上を元の位置に戻し、目線よりも若干高い位置に結びつける。笹の葉が、重みで僅かに沈んだ。
「見て分かんない?」
 ユーリへ背を向けたまま、彼が言葉を紡ぐ。その間も彼は休み無く動いていて、どこか邪険に扱われているような感覚を覚えたユーリは少しムッとした表情を作った。無意識に胸の前で腕を組み、芝に両足首までを埋めている彼を見つめ返す。
 見た限り、それ以外のものとは思えない。紛れもなくそれは七夕でよく各家庭が庭先に飾ったり、商店街などが大きめのものを企画で用意したりする、あの笹の葉飾りだ。
 しかしユーリが覚えている限りでは、その年中行事は先月に終わったはずだった。確認で背後を振り返り、壁に吊り下げられたカレンダーを確認するけれど、今日は間違いようもなく八月だ。人間たちの言う暦、での。
「その行事は、もう終わったのではないのか」
 何故一ヶ月も前の行事を今やろうとしているのだろう、この男は。熱さの所為で頭が沸いたのだろうか。
 ある意味相手にとても失礼な事を頭の中で考えつつ、ユーリは結んでいた腕を解き窓枠に片手を置いた。スマイルは構わず、飾り付けを続けている。
 くす玉のような赤色を中心とした派手な珠飾りを上の方からぶら下げ、ようやく人心地ついたらしい彼は両手を腰に宛てると満足げに笹を見上げた。片方だけの視界で全体像を眺め、一度深く頷く。
「スマイル」
 答えを得られないまま放置されたユーリが、やや苛立った声を上げた。くるりと振り返ったスマイルが、何を怒っているのかと首を傾げる。
「今日も七夕だよ?」
 年に一度、だけれども。その年に一度の7月7日は旧暦での七夕なのだ。そして暦が太陰暦から太陽暦に移行されるときも、七夕の日付だけが何故か旧暦のまま移動せず、太陽暦でもその日付が採用されてしまった。
 だから本来、七夕は旧暦の7月7日に行われるべきなのである。その季節、この狭い島国は梅雨時で雨雲が空一面を覆っている事が多い。そんな季節に、暦通りの7月7日で七夕を祝っても星が見えない事の方が多いから、今でも月遅れで祝う場所もある。
 広い意味で、新暦・旧暦のどちらでも七夕なのだ。
「……ありがたみが薄れる話だな」
 ひととおりの説明を受けたあとの、ユーリの感想は至極簡単で、淡泊だった。熱心に蘊蓄を語ったスマイルが苦笑を漏らし、ゆっくりと沈んでいく太陽に視線を流す。
 昼間、暑いばかりの光を放っていた太陽が朱色に染まった空の海に沈んでいく。
「そうかもしれないケドね」
 肩を竦めたスマイルが、視線をユーリへ戻してから生温い風に煽られる笹飾りへとそのまま目線を流した。
「でも、さ」
 雲ばかりの夜空を見上げているよりは、満天の星空を見上げながら七夕を祝う方が楽しくない?
 隻眼を細めて最後に再びユーリを見上げた彼が笑い、つられるようにしてユーリも険のあった表情を崩した。確かに彼の言うことにも一利あるし、退屈な蒸し暑い夜を過ごすよりは多少なりとも、なにかイベント事があった方が楽しい。
 城主の了解が得られた事が嬉しいらしい。倒れてしまわないように手頃な木の幹に寄りそうように縛り付けられた笹を見上げ、急に飾り付けが足りないような気がしてきた。
 みんなで祝えるので在れば、もっと派手にしても構わないだろう。自分ひとり、星空を見上げながら晩酌するだけならばこれでも問題ないが、他のメンバーを巻き込むとなると、もっと立派にしてみたくなってくる。
 幸い、人手はそこに出来たし。
 企み事をしています、と一目で分かる笑顔で振り返ったスマイルに見つめられ、ユーリは緩めていた表情をひくっ、と引きつらせた。なにやら嫌な予感がする、そう感じて引き返そうかと足を後方にずらそうとしたが、何故か動かない。
「スマイル!」
 何故だ、と己の足許を見ればいつのまにか、全身包帯男の一部と思われる真っ白な包帯が右足首に幾重にも巻き付けられていた。逃がさないという笑顔に睨み付けるが、効果は到底期待できない。
「ユーリ♪」
 語尾が跳ね上がったスマイルの呼び声に、頬が更に引きつった。
「どうせだし、一緒に飾ろ?」
 なにが『どうせ』なのだろう、とユーリは思った。
 日が沈んでいく、台所では今現在進行形でアッシュが夕食の準備をしている事だろう。今夜のメニューはなんだろうか、と微かに流れてくる鼻腔をくすぐる良い匂いに思考は飛びそうになる。
 だが現実逃避はそう長くは続かず、距離を詰めて窓の下まで来たスマイルに手を取られ、引っ張られた。
 靴を履いたままの足が、乾ききった芝の中に沈む。カサカサと表面を擦り合わせる感触が直に伝わってきて、昼間の暑さを偲ばせた。
「私に、何をしろと言うのだ」
 ぐいぐいと一方的に手を引き、笹の元へ連れて行くだけのスマイルに問いかける。たった十歩に満たない距離で辿り着いてしまった笹を結びつけた木の根もとで、彼は腰を屈め紙袋に両手を突っ込んだ。
 足首に巻かれた包帯は、痛みが現れない程度の緩さで未だに結ばれたままでいる。逃亡防止の意味を込めているのだろうか、素肌に触れる布の感触はあまり心地よいものではない。
「これを外せ」
「はい、これ」
 お互いを繋いでいる包帯の先を指さして言うユーリの声に、スマイルはマイペースを崩さないまま紙袋から取りだした色紙を差し出した。繋がらない会話に苛立ちを覚えそうになったユーリだったけれど、差し出されてしまったものは反射的に受け取ってしまう。
 色とりどりの色紙と、ハサミ。笹に結ぶ為の紐。銀紙や金紙も随分と多い、どこで買い込んで来たのか、非常に疑問になってくる。そもそもこの巨大笹はどこから引き抜いてきたのか。
 スマイルだったら山に出向いて自ら切り出して来る事もやりかねないか、と渡されたものを手にユーリは嘆息した。あんなものを持って帰ってくるのも大変だっただろうに。
 そこまでして七夕に拘る理由がどこにあるのだろう。ちらりと横を窺うと、既に飾り造りを開始したスマイルが器用にハサミを動かし、色紙を切り抜いて模様を作り出しているところだった。
 こんなものに拘るところが、子供なのだ。二度目の嘆息をそれと分からぬように零し、日陰に居場所を定めると芝の上に腰を下ろしてユーリもまた、スマイルに倣い色紙を折り畳んで飾りを作り始めた。
 しかし。
「……ユーリさん、それ、ナニ?」
 笑いを必死で堪えているスマイルの問いかけに、ユーリは手にした色紙、だったものをぶらんと垂らしながら唇をわずかに尖らせた。
 確かにスマイルと同じようにやっていたはずなのに、広げて出てきたものは端が切れ、長さが最初の半分になってしまった形もさっぱり不明な紙屑だった。対してスマイルの手には、見事なまでに波の形がいくつも刻まれた、最初の長さから倍近く縦長になった笹飾り。
 その差は歴然としていて、完成品のあまりの違いにユーリは最初の失敗作をくしゃくしゃと丸めて投げ捨てた。そして二枚目を素早く手に取り、折り畳んでハサミを入れていく。
「…………」
 見守るスマイルの視線が更に彼を煽って、躍起になってハサミを動かしているユーリのおぼつかない手付きを見守りながら、スマイルはそれと分からぬように肩を竦めた。
 夕焼けが薄くなる。
 天頂に薄く星が瞬き始めていた。
 間もなく夜が来る。

 夕食後、いつの間にか庭に向かって窓辺に用意されていた縁側には、ブタの格好をした蚊取り線香が薄い煙を漂わせていた。コーヒーカップを模した風鈴が、風に煽られながら涼しげな音を奏でている。
 そのあまりの手際良さにはユーリもアッシュも呆れる程で、更にその上全員分の浴衣までしっかり用意されていたとあっては開いた口も塞がらない。
 着方が分からないと言うと、着付けてあげようかと提案されるがどうも不穏な空気を感じ取り、ユーリは有り難迷惑に却下した。アッシュも見よう見まねながら自分でやってみると言い放ち、スマイルひとりが不満そうな顔で唇を尖らせていた。
 ともあれ、月見ならぬ星見、である。
「ん~……満天、とまでは行かないみたいだねぇ」
 若干の雲が出て月も朧になってしまっているものの、星は数多く見受けられる。普段あまり夜空を見上げる機会がないと、尚更思いがけない空の明るさに驚かされる。
 その名前はミルキーウェイ、とも言われている。七夕で知られる織り姫と彦星のふたつの星を分かっている天の川は、銀河系を横から見たものであり、星の集合体だ。
 縁台の端に腰を下ろし、団扇を片手にまだ生ぬるさを残している風を扇ぐスマイルが、随分と時間がかかって浴衣の着付けを終えたユーリとアッシュを振り返り、そして笑った。
 一応参考として本も渡してみたのだが、ユーリは帯が団子結びだった。さらにアッシュに至っては、
「……アッシュ君ってさ、その格好だとまるで、着流しのやくざみたい」
 前を大きくはだけさせ、腰帯も形が崩れない程度に結んでいる。さっきまで何かをやらかしたらしく、どたばたと走り回っていたからその所為で着崩れてしまったのだろうが、これではビジュアルバンドのドラムではなく、やくざ映画にでも出てきそうな雰囲気のごろつきである。
 言われた当人はいたくショックを受けたようで、そそくさと直しに室内へ戻って行ってしまったが。
 ユーリは、帯の結び方を指摘されたものの着ていられればそれで良いだろう、と構おうとしなかった。それどそのままだと皺になるだけだから、とスマイルにその場で直されてしまった。ぶんご結びに。
 濃緑に近い藍色で染め上げられた生地は薄く、肌触りも風通しも良くて涼しい。黄色い帯が鮮やかに藍色の表面に映え、コントラストもいい具合だった。アクセント程度に添えられている紋様も、同系色で抑えられているので目立たないが、その分味が出ていると言えるだろう。対してアッシュは紺と緑を取り合わせた絞りの浴衣に、淡い目と濃い目の青が交互になった縞模様の帯を合わせている。スマイルは、黒色と紺色とが幾何学模様に重なり合った紋様の浴衣だ。帯は白と薄くしたグレーとが縞になっている。
 ひとりユーリの浴衣帯だけ、結び方が違っているのが気になったがアッシュは言わないで置いた。ユーリも、分かっていないらしい。
「しかし、この時間でも暑いな」
 スマイルから渡された団扇で自分を扇ぎながら、ユーリは室内から漏れる照明で照らし出された笹を見つめる。生温い風が首もとに流れ込んできて、しっとりと浮かんだ汗を払っていった。
 夕食前までかかった飾り付けは、最終的にユーリの方がムキになっていた。どうしてもスマイルのような笹飾りが作り出せず、彼の足許には山のような失敗作が積み上げられる事となった。風に揺れる、不格好な飾りはすべてユーリの作品であるが、ああやって全体と混じり合わせてから眺めると、多少は形の悪さも緩和されるようだった。
「どれが織姫星だ?」
「え~と、確か……」
 問われ、スマイルが琴座のベガを捜し視線を空に傾ける。けれど先に、視力の良いアッシュが牽牛星を発見し、その位置から織姫星を推測し指で指し示した。
 夜空を照らす天の川の中でも、一際明るい星がその西側に輝いている。星の明るさを顕す等星で、最も明るいとされる一等星よりも更に明るく輝く星は、今日という日を待ち望んでいたかのように常よりももっと、輝いているように見えた。
「織姫と彦星、無事に会えたっスかねー」
 空を見上げながら呟いたアッシュに、ユーリとスマイルは団扇で扇ぐのを止めてお互いの顔を見合わせた。次の瞬間、小さく噴き出す。
「アッシュ君てば、ロマンチスト~」
 からかうような声でカラカラと笑ったスマイルのひとことに、はっと我に返ったアッシュが顔を真っ赤にしてふたりと睨んだ。けれどユーリまでもが愉快そうに口元を団扇で隠し肩を揺らしているのを見て、握った拳のやり場もなくがっくりと下ろしてしまう。
 暫くふたりの笑い声が夜闇に響いたのち、不意にスマイルが顔を上げた。
「あ」
 短く呟きを零し、腰を下ろしていた縁側から立ち上がる。日暮れの時に撒いた水がまだ地表に残っており、湿り気を湛えた芝が下駄を履いた彼の足に触れた。
 サワサワと笹が揺れる。
「星が」
 スマイルの背中に促されるように空を見上げたユーリが、団扇を膝の上に置き、彼の言葉を補った。アッシュも、空を仰ぐ。
 天の川を横切るように、幾つかの星が空を駆けた。
「流れ星っス」
 最後に気付いたアッシュが、流れ終えた星の行方を思いながら言葉を紡ぐ。首を下ろし視線を仲間に戻したスマイルが、交互にふたりを見つめてにこりと微笑んだ。
「ね?」
 小首を傾げながらの声に、今度はユーリとアッシュが顔を見合わせた。
 一体なにが、なのかはさっぱり分からない。しかし、なんとなくだけれど分かった。
 今日ここで、夜、みんな揃った状態で星を見上げて、たまたま流れ星が空から零れ落ちてきて。
 一緒に、それを見上げた。
 その事を嬉しいと感じているのだろう。
「なにかお願いする?」
 流れ星に祈れば願いは叶うという。そして今日は、暦の上ではひと月遅れかも知れないが、七夕。織り姫と彦星が一年で一度の逢瀬を果たし、人々の願いも叶えられると言われている日だ。
 ならば、今の流れ星に祈れば願いが叶う確率は乗算になる、という考えは甘いだろうか。
「そうっスねー」
 考え込むようにアッシュは空を再度仰ぎながら顎に手をやった。長い前髪に茜色をした瞳が隠れる。
 スマイルはユーリを見た。彼はなにも答えず、穏やかな笑みを浮かべたまま団扇で風を扇いでいた。
「このまま、みんなで一緒に居られますように、っていうのは?」
「ずっと?」
 縁側に戻ってきたスマイルが下駄を脱ぎ、乗り上げる。ユーリと並んだところで、アッシュの声を聞き反射的に聞き返していた。
 アッシュが緑沈の髪を上下させ、頷く。スマイルの後方でユーリが笑った。
「貴様が寿命を尽きらせねば、願いは簡単に叶うぞ?」
 この中で一番、寿命が短いのは狼人間のアッシュ。ユーリは永遠だし、スマイルだって似たようなものだ。
 意地悪な返答に、アッシュの口がへの字に曲がる。再び彼を笑ったふたりだったが、明日からもう食事を用意してやらない、と拗ねられて慌てて謝った。その調子の良さに、今度は拗ねていたはずのアッシュが笑い出す。
 ユーリが先にぷっと噴き出し、呆れた感じで肩を竦めていたスマイルもそのうち引きずられて笑い出した。
 蚊取り線香の煙が棚引く。風鈴が控えめな音を奏でた。
「そう……だな。贅沢な願いかもしれないが」
 将来、なにがどうなるのかなど誰にも分からない。
 だけれど、願えば叶わない事などないはずだから、今はその願いに縋り、期待しよう。
 未来は確約されないからこそ、未来なのだろうが。
 それでも。
 次第に笑い声は闇に溶け、沈黙という風がその場に流れた。誰とも無しに全員がそれぞれ空を仰ぎ、闇を切り裂く星の群衆を見つめた。
 宇宙を漂う星くずが燃え尽きる前の、微かな輝き。そこに詰め込まれた願いは、果たして如何ほどのものだったのか。それは誰にも分からないのだろう、きっと。
 けれど燃え尽きて消え去る瞬間でさえ、輝けるのであるなら。燃え尽きない星はもっと輝ける。
 蚊取り線香の仄かな炎も、大きくなった灰の塊と一緒に崩れ落ちた。
「居られたら、イイネ」
 瞳を伏せ、スマイルが呟く。
 返事はなく、ただ空の星が二度、瞬いた。