gift

 道端で、ふと足が止まる。
 大きなガラスのウィンドゥ、その向こう側に飾られているのはスペースに所狭しとディスプレイされた、クリスマスのイルミネーション。
 クリスマスツリーはもちろんのこと、煙突屋根のミニチュアハウスが四棟並んでいる。それらの屋根にはちゃんと雪が降り積もり、うち一棟の煙突にはこれからお家にお邪魔しようとしているサンタクロースが片足を突っ込んだ姿勢で固定されていた。その家の窓からは、ベッドで良い子で眠る子供の人形が飾られているのが見える。
 サンタクロースのそりとトナカイも、ちゃんとセットされていた。サンタクロースの訪問を心待ちにしている子供が別の家の窓から覗けた。その窓の前には、降り積もった雪で作ったのだろう雪だるまが、赤いバケツを逆さまに被っている。
 手の込んだセットに、思わず見惚れてしまった。止まった足が暫く動かなくて、並んで歩いていたはずの人は気づかないまま五歩ほど先を行ってしまってから気づいたらしく、不機嫌な顔で遠くからこちらの名前を呼んだ。
「スマイル」
「んー……」
 けれど、生返事しか返さずにいると、案の定彼は益々表情を剣呑にして自分たちの間に開いていた五歩半分の距離を一気に詰めてきた。
 デパートのショーウィンドゥなど、手の込んでいるものに決まっている。ただでさえ、そうでなくともこの季節は掻き入れ時である。少しでも一目に止まるようなデザインとセットを用意してくるはずだ。
 そんなものにわざわざ引っ掛かってやるほど自分たちは暇ではなかったと、戻ってきた彼はつまらなさそうに口にしたが、その声は左の耳から入って右の耳から出て行ってしまった。溜息が聞こえる、向こうもこちらが聞いているようで、そうではないことを理解したのだろう。
「面白いか」
「まぁね」
 腕組みをした彼の右手には、紙袋がひとつぶら下がっている。先程、このデパートで購入したものだ。
 中身は、玩具。
 クリスマスまでそう間もない為、子供に贈るプレゼントを買う親で店はかなり込み合っていた。人気のある商品は大抵売り切れてしまっていて、ようやく目的のものを見つけた時にはもう、四件も店をハシゴしたあとだったので彼はかなり不機嫌そうだった。
「見てよ、よく出来てる」
「人前に出すものだから、良いものであって当然だろう」
 ウィンドゥを指でつついた彼に、不機嫌な声が重なる。
 そうかもしれないけど、とスマイルはガラスを叩いていた指先を戻して自分の左目、今は眼帯に隠されているそれをなぞった。
「ギミックは、精巧であればあるほど人は安心するんだよ」
 やや皮肉げに微笑むと、彼は明らかに不快を現す表情を作って見返してきた。
「種が知れれば、興ざめするだけだ」
 細められた瞳が色の濃いサングラスの向こうに見える。相変わらず無愛想で反論のし甲斐もない返事に肩を竦め、スマイルはやや屈めていた腰を伸ばした。眼帯に触れていた手は今はコートのポケットの中で浅く握られている。
「あと買うものは?」
「ツリーの飾りと、それから、アッスの……」
「あぁ、自転車?」
 姿勢を正して向き直ると、身長差がはっきりと現れてきて半歩彼はスマイルから離れた。何故か身構えられてから頷かれて、スマイルの苦笑が更に深まる。
「流石に、それは持って帰れないねぇ」
「だな」
 子供用といえ、自転車は相応に大きい。車で来ているならまだしも、今日は運転主役が留守番なので公共機関を利用してここまで来た。だから帰りも当然、それを使うことになりそうだ。もっとも、荷物の大きさによってはタクシーを拾うという方法も残されているが、それはあくまでも最終手段だろう。
「何処に行く?」
「確か、少し行ったところにコーナーがあったと……」
 玩具を買うのとはまた趣が違うし、変な飾りや余計なイラストが入っていたりするものではなくちゃんとしたものを買い与えてやりたい。長く使えるように。なら、ちゃんとした専門店に足を向けるべきだろうか。
 二言三言、そんな会話をしてからどちらが先と言うこともなく歩き出す。
 人混みは途絶える事がなく、すれ違う人とも度々肩がぶつかり合う。それほど狭い道でもないはずなのに、通行整理が為されていない為に人波が一定していなくて、非常に歩きにくい。下手をすれば隣を歩いている人ともはぐれてしまいかねない。
「手でも繋ぐ?」
 少しだけ空いたスペースで歩調を緩め、斜め後ろを行く彼に笑いかける。途端にむっと頬を膨らませて、彼はぷいっとそっぽを向いてしまった。そのあまりに分かりやすい態度に、思わず声を立てて笑ってしまう。
「ごめんごめん」
 笑いながら謝られても、誠意など感じられないのだろう。彼はまだそっぽを向いたまま、スマイルを置き去りにして歩き出そうとする。
 その濃い色のコートの袖から覗く、白く細い指が。
 時々空気を掴むように握り開きを繰り返しているのを見て、スマイルは片方だけしかない目を細めた。
 自分が持っている紙袋の取っ手を握り直し、持ち直して彼はまた開いてしまったユーリとの距離を大股で詰める。会話は交わされず、ユーリはちらりと視線を流してスマイルの存在を確認しただけで、また前を真っ直ぐに向いてただ歩いていく。
 目的地がちゃんと頭の中で地図となって現れているのかは、不明。
 薄く口元だけで苦笑って、こっちの道を行く方が近いのにな、とやはり表通りからの道順しか覚えていないらしいユーリの背中を眺めやる。彼は気づかずどんどんと人混みの中を突き進んでいくが、黒髪の中にひとつだけ輝くような銀色の髪の毛は目立つから余程でない限り見失う事もないだろう。
 そう、余程でなければ。
 空を気紛れに見上げてみると、さっきまではまだ薄く日が差していた雲間が完全に埋め尽くされていた。鈍色の曇天がビル群の間を心細い空一面に広がっている。天気予報は見てこなかったが、雨かあるいは雪が近いのかもしれなかった。
「早く帰った方が良いかな……」
 荷物を持った身で雨の中を歩き回るのは苦労だ。それに、あまり天候を気にせずに出かけてしまったので、彼らは傘を持ってきていない。その場で購入するにしても、余計な出費と荷物が増えるのは極力避けたかった。
 視線を戻し、息を吐く。白く濁った空気が一瞬だけ視界を横切り、直ぐに消えた。さっきから気温も下がってきている、まだ夕方までしばらくありそうな時間帯であるに関わらずだ。
「どっちかと言うと……雪、かな」
 ぽつりと呟き、スマイルはまた開き気味になっていたユーリとの距離を詰める。ちらちらと後ろにちゃんと彼がついてきていることだけをユーリは確認しているけれど、まだ機嫌が悪いのか声はかけられない。
 その揺れる手は、まだ不必要に思える運動を行っていて。
 視線が、脇に逸れた。
「ユーリ、待った」
 目に入った瞬間、足が止まって口が開いて声が飛び出ていた。
「……?」
 出しかけていた脚を中途半端に引っ込め、怪訝な顔をしたユーリはスマイルの二歩半前で振り返る。声が大きかった所為ですれ違っていく人々も一緒になって彼の方を振り返る、続いてユーリも。
 大の男ふたりが買い物袋を手に提げて。それでなくとも目立つ風貌をしているのに、余計に変な目立ち方をしてしまったユーリは益々むっとした表情でスマイルに歩み寄った。
「大きな声を出す……」
「ちょっとこれ持って、ここで待ってて?」
 な、と最後の一言を口に出す前にユーリの言葉を遮って、スマイルは手袋のはまった片手で謝罪のポーズを取ると持っていた紙袋をユーリに押しつけた。
「貴様、何を……」
「直ぐ戻ってくるから。そこ動いちゃダメだからね!」
 ユーリは方向音痴なんだから、と余計な一言を付け足してスマイルは反論を喰らう前にさっさと走りだして人混みの中に姿を消してしまった。とは言っても、目の前にあるテナントのふたつ先くらいへ駆け込んでいったのが見えたから、居場所だけはしっかりと把握はされていたのだけれど。
 そのテナントが何を扱うどういう店なのか、ユーリは知らなかった。スマイルのことである、どうせ無駄としか言いようのないがらくたでも突発的に購入する気になったのだろう。その程度に考えて、ユーリは押しつけられた紙袋と自分で持っていたそれを揃えて持ち直した。
 片手で持ち紐を握り、もう片手でその甲を覆う。軽く擦り合わせると、摩擦熱が発生して少し暖かくなる。だがそれも直ぐに消え失せて、また指先の感覚が遠くなってしまった。
「冷えてきたな……」
 ぽつりと呟いて、ユーリは空を見上げた。
 すっかり雲一色に覆い尽くされた町の中の天井は薄暗い。商店の照明で地上は照らされて明るい為に、今が曇り空であることも忘れてしまいそうになるけれど、あの雲の色は雨か、雪が近い色だ。
「降るかもしれんな」
 早めに帰った方が良いだろう、買い物と用事をさっさと終わらせて。あの男が戻ってきたら、その事を教えて寄り道をしている時間など無いことを分からせてやらないといけない。
 妙な責任感を覚えたユーリは、力を込めるついでとして紙袋の紐を更に強く握った。同時に、重ねている手を動かして熱を呼び出す。息を吐くと、白く濁って直ぐに消えた。
「ばか者が……」
 何をしているのだろう、と少しだけ身を乗り出してユーリはスマイルが入っていった店舗を伺う。だがこの場所からでは入り口だけしか見えず、彼が出てきたのかまだ店の中なのかさえ分からない。動くな、と言われた以上は不用意に動かない方が良いだろうけれど。
 あの店の前まで行くくらいなら、良いだろう。
 自分に言い聞かせ、ユーリはひとつ、履いているブーツの踵を鳴らした。
 けれど。
「動かないでって、言ったでショ?」
 からかうような、笑い声が何故か真後ろから聞こえてきた。
 振り返る、いつの間に現れたのかそこにはユーリの前方にある店に入っていったはずのスマイルが立って朗らかに笑っていた。
 唖然としてしまったが、彼が元来透明人間であり姿を消したりして人を欺くのが得意であることを思い出し、逆に憮然として強い眼で睨み付ける。
「貴様、目立つような真似はするなと」
「ぼく、あっちの出口から出てきたんだけど?」
 カラカラと笑って、自分が後ろから出てきた事への誤解を解くための言葉を発しながら、スマイルは自分の後方にあるビルの出入り口を指し示した。それは割と大きなビルで、出入り口もひとつきりではない。わざわざ大回りをして余分な距離を歩いて来た事になるが、元々人をからかって遊ぶのが好きな彼はそう言うことを苦にしない。
「…………」
 揚げ足を取られた格好になり、ユーリはまた拗ねたような膨れっ面を作りスマイルをまた笑わせた。
「拗ねない、怒らない。ストレス溜まるよ?」
 軽い調子で早口に告げ、彼はユーリの、紙袋を下げていない方の手を素早く掴んで持ち上げた。突然のことに驚き、咄嗟に腕を引っ込めようとした彼の踵が後方のビルの壁にぶつかって、微かな音を響かせる。
 分かってやっているのだろう、スマイルの口元が歪んだ。確信犯の笑み、しかし彼がユーリの手にした事と言えば。
「はい、これ」
と、ひとことのおまけ付きで。
 ばふっ、とやや力任せに真新しい茶色の手袋を押しつけた事くらいだった。
「……は?」
 何を想像していたのか、肩を強張らせて顔も引きつり気味だったユーリがそのままの顔で間の抜けた声を出す。一瞬の出来事だったので、通り過ぎていく人の殆どは誰も気にしていなかっただろうが、ビジュアル系にあるまじき滑稽な表情に、スマイルでさえその笑みがやや止まった。
「……いや、だから。寒いんでショ?」
 手を無駄に握ったり広げたりして動かして、時々両手を擦り合わせたりもして。
 しっかりとコートを着込んで暖かそうではあるけれど、ユーリの指は空気に露出している。普段よりも白さが際立って見えるのは、血流が悪いためか。
 だから、としっかりとユーリに今買ってきたばかりの手袋を握らせ、スマイルは距離を置いた。そのついでに、ユーリに持たせていた荷物をすべて自分が引き受ける。
 重くはない、軽くもないが。
「これを買うために、わざわざ?」
 手すきになったもう片手にも手袋を持たせ、試しに片方だけ嵌めてみる。五本分、指がちゃんと別れておりスリムなタイプだけれど、ちゃんと暖かい。指も動かし易い。
「今すぐ使うから袋も要らないし、値札も外してくれって頼んで置いて正解だったかな」
 新品の手袋の具合を確かめているユーリに向かうわけでもなく、スマイルはひとりごちた。
「あ」
 だが前置きもなく、ユーリがひとことだけ声を上げてそのまま止まってしまったので視線を落とし、彼に目を向ける。しっかりと両手分手袋を嵌めた彼は、それを眺めつつ向こう側を見つめていた。
「気の早いクリスマスプレゼントだな」
 カレンダーではその日までまだ一週間以上ある。プレゼントをもらうには早すぎるし、かといって他にものを贈られるようなイベントごともない。
「そんなつもりで買ったんじゃなんだけどねぇ」
 困ったように呟き、スマイルはユーリを見る。遠くを見ていた紅玉の瞳が彼に向き直り、伺うように細められた。
「なにが、欲しい」
 ギブ・アンド・テイク。与えられたのなら与え返す。見上げてくる瞳は真剣であり、茶化した返事では怒らせるだけで彼はきっとまた考え込んでしまうだろう。律儀なのは分かるけれど、本当に深く考えての行動ではなかったスマイルは余計に困った。
 欲しいものなど、特にない。彼は自分がしたいと思ったことをしただけであり、見返りを求めていたわけではないから。
 けれどユーリは、そんな返事を求めてはいないだろう。
「いいよ、もう返してもらったから」
 にこり、と一度だけ微笑んでスマイルは少し頭を回転させてはじき出した答えを口に出した。
 ユーリに何かを求めているわけではない、ただ与えたいだけだと言っても納得してくれそうにない。だから、与えることでユーリから返ってきている事を告げようか。
 また、怒らせるだけかもしれないけれど。
「返してなどいない」
「うぅん、返してもらった。だって、ユーリ」
 それ、と彼が嵌めている茶色の手袋を指さして。
 スマイルはもう一度笑った。
「ちゃんと、使ってくれてるでショ?」
 その為に買ってきたのだから、ちゃんと使ってもらえる事が一番嬉しい。それが、与えた側の答えだ。
「だからって……」
 言っていることは分かるけれど、とまだ納得がいかない顔をしているユーリの歩調は鈍い。
 空の重さは時間が経つにつれて増していく、雨にしろ雪にしろ、降り始めるまでにそう長い時間は残されていないだろう。
「ほら、ユーリ。早く買い物終わらせて、帰ろう」
 子供達と、留守番を押しつけてきたアッシュが首を長くして待っているはずだから。
「ケーキでも買って帰ろうか。折角だし」
 何処から話が飛んだのか、そんなことまで言いだしてスマイルはユーリを早く、と促す。残りの買い物を済ませるために選んだ店にも、もうじき到着できそうだ。
「無駄遣いは許し難いが」
 すでに今日は予算オーバーだ、予定にないものを買ってしまったので。
 しかし、ユーリは何かを吹っ切るかのように笑って頷いた。
「偶には、それも良いかもしれん」
「じゃ、決まり」
 楽しそうにスマイルが笑って頷き返し、彼らは人混みの中、道を急いだ。

 その後の事は、また別のお話。