whim

 重なり合う金属音は一定で、淀みがない。
 本当ならそれは雑音でしかないはずなのに、彼の手が動くたびに奏でられる光沢のある音はそれすらもひとつの音楽のようで、聴いていると心地よい。
かりゃり、と。擦れ合った銀の食器が彩る食卓の楽団に頬杖を付いて眺めていたスマイルは、そんな彼の視線など全くお構いなしのユーリの手元へと視線を持ち上げる。
 白く綺麗な手にはフォークとナイフ。艶のある唇の中へ吸い込まれていくのは、悔しいけれど彼専門の料理人でもあるアイツが作った食事。
 料理なんてしたことないしやろうとも思わないけれど、とスマイルは心の中で舌打ちして少し楽しそうに料理を味わっている彼の顔を不躾に眺めた。
 こんな顔、自分の前じゃ絶対にしてくれないよねー。
 スマイルの視線総てを跳ね返すようなオーラで全身を取り囲んでいるユーリ。全身を持ってして自分を拒絶してくれているようなものだが、実際のところは彼に今の自分は見えていないはずだから無視されていても仕方のないことだったりする。
 透明でなきゃ、彼の食事の席に居座る事なんてできっこない。
 勿論、お許しなんて貰ってないから。
 多分ユーリは気付いているだろうけれど、気付かないフリなのかそれとも面倒臭いだけなのか、何も言ってこない。だからスマイルは、調子に乗ってテーブルの向かいに居場所を落ち着けて、ユーリの顔をいつになく楽しげに眺めている。
 きっと、刺さるような視線をユーリは感じているだろうに、矢張り彼は綺麗な顔のままスマイルに気付かない真似をする。
 彼の視界に収まるものは、アイツが作った料理とアイツだけだ。
 ちぇっ。
 不公平に感じて、少しだけ頬を膨らませる。テーブルにずるずると突っ伏して、額を固い天板に押しつけるとその衝撃で少しだけ、テーブルが揺れてしまって食器が苛立ったように音を立てた。
 まるで、此処に自分が居ることを咎めているみたいに聞こえて益々、スマイルは気分を損ねる。
 ちぇっ、ちぇっ、ちぇっ。
 そうだよね、そうですとも。どうせぼくは料理も出来ないし何の役にも立てない、消える事だけが得意の透明人間ですよーっだ。
 ふてくされて、そのままテーブルに顎を置いて顔を上げる。
 姿は消したままだから自分の顔がどの辺にあるのか、居ることは解っていてもそこまでは察する事叶わないはずのユーリが、じっとスマイルを見ていた。
 あれ?
 けれど一瞬で過ぎ去ってしまった彼の瞳に、思わず首を傾げてしまいたくなる。
「アレ?」
 でもそれより前に、食堂と隣り合っている台所から小皿を手に入ってきたアッシュの声に邪魔されて、それは出来なかった。
「スマイル、何してるんっスか?」
「え?」
 扉と、テーブルの中間辺りで立ち止まってアッシュはこちらを見ていた。しかも、それなりに勘は鋭いとはいえ透明になっているはずの自分をあっさりと見抜いて。
「あれ?」
 ひょっとして。
 今度こそ首を傾げて、スマイルは自分を指さした。瞬間、アッシュはコクリと頷く。
「見えてる?」
「ばっちりっス」
 はっきりと断言されてから、ようやくスマイルはユーリがさっきあれ程までに自分に対して真正面に目を向けることが出来た理由を知る。
 そりゃ、見えてたら誰だって解るってば。
 コト、とテーブルにできたての料理を置いてアッシュは少しテーブルから離れる。ここには椅子がひとつっきりしかなくて、それはユーリが使っている為に他のメンバーが此処で彼と一緒に食事をすることはない。
「どーしたんスか? スマイルが此処に来るなんて珍しいっスね」
 別に珍しくはない、偶に透明になって今みたいにユーリの食事風景を覗きに来たことはある。今日はたまたま、運悪く透明が解けてしまったから見付かっただけ。
 にしても、どうして透明、解けちゃったんだろうね?
「スマイルもなにか食べるっスか? 沢山あるから持ってくるっスよ」
 台所へと引き返しかけたアッシュが、ふと振り返って尋ねてくる。
 ユーリは、ふたりのやりとりを全く眼中に入れず黙々と食事を続け、ナフキンで口元を拭っている。
「ん~……」
 身体を起こして、テーブルに両腕を寝かせてその上に顎を置いて。丁度ユーリの真正面に座り込む姿勢を作り直してから、スマイルは不機嫌なのか何か楽しいことを考えているのかよく解らない顔をする。
「要らない」
 すっ、と曲げていた膝を伸ばして、立ち上がる。
「そうっスか」
 残念そうに呟いてアッシュは踵を返そうとした。ユーリが、銀フォークでサラダの中にあるミニトマトを転がし、掬い上げる。
「うん。ぼくはこれでいいや」
 そう言って。
 テーブルに置いたままだった手に少しだけ力を入れて、身を乗り出して。
 ぱくっ、と。
 トマトを口に入れようとしたユーリの目の前で、そのトマトをスマイルは自分の口に。
 あ。とアッシュが息を止め。
 ユーリが、呆然と間近に迫るスマイルの顔とその手前に残っているフォークを交互に見る。
「ご馳走様」
 ご丁寧に両手を合わせてお辞儀をしたスマイルだけが、飄々としていた。
 ぽかん、と一瞬その場をなんとも表しがたい間抜けな空気が流れていった。
「なっ……」
 その一瞬が通り過ぎてようやく、楽しげに笑いながら口笛何ぞを吹いているスマイルに向かってユーリがぴきっ、と頬を引きつらせた。
 握っていたフォークをやや乱暴にテーブルに叩きつけ、衝撃にがしゃんっ、とワイングラスが倒れた。
「っスマ、スマイル!」
 微妙に呂律が回っていない。そんな顔をしてこんな風に呼ばれるのは、何度やっても新鮮な気分に浸れるから、大好きだ。
「は~い」
「貴様、何のつもりで!」
「あ、あのユーリ、落ちつくっス」
 ケラケラと笑うスマイルに、椅子を蹴り倒して立ち上がったユーリをアッシュが慌てて戻ってきて押し留める。だがそれすらも許さない剣幕で彼はスマイルに掴みかかろうとするが、その手前でスマイルはふっと、姿を消した。
「スマイル!」
 逃げるんじゃない、と虚空に向かって叫んだユーリ。その唇にトン、と細い何かが触れた。
 それがいつの間にか距離を詰めていたスマイルの指だと気付いたときにはもう、彼の気配は遠く離れてしまっていたけれど。
 遠ざかっていく間際にスマイルが残していった、ユーリだけに聞こえる言葉に彼は更に激昂するのだった。

『今度は、こっちが食べたいな?』