甘い休日

「これあげる!」
 そう言って両手いっぱいに抱えていたものをマグナに押しつけて、褐色の肌をした少女……と呼ぶには少々年齢がアレであるが、ずっと人里離れた場所でひとり暮らしていた分幼さが充分に残っているルウは勢いよく駆け出した。
 風のような素早さで、あっという間にマグナの視界から消え去った彼女が目指す場所は、簡単に想像が付いた。今、本当についさっき彼女に自分が告げた言葉から類推するに、どう考えても大通り沿いに先だってオープンしたケーキ屋しかない。
 ルウは本当にずっと、人目を忍ぶようにして旅人すら滅多に訪れることのない深い森の入り口で暮らしていたから。街中にごく自然に溢れている甘いものも、彼女は今まで殆ど口にしたことがなかった。
 なにせ甘味料さえ手に入らないのである。せいぜい木の実程度しかおやつになるものを知らなかっただろう彼女にとって、そこいらに売られているちょっとしたものも珍しく映るのだ。
 そして世間知らずの彼女が一番気に入ったものが他でもない、今マグナが両手から溢れ出しそうな程に抱えている、菓子だった。
 ケーキが誕生日などのお祝い事がある日でなければ食べてはならない、と思いこんでいた彼女の世間知らずぶりにも驚かされた彼だったが、それ以上に今自分がプレゼントいただいた分量をひとりで食べきるつもりだった事の方が驚きの分量は大きい。
 マグナとて子供時代はあったし、甘いものに代表されるおやつは大好きだった。一日三食がおやつで在ればいいとさえ思った時期もある、だがそれも昔の話だ。
 大きくなるにつれて、甘味が強いものはあまり胃が受け入れなくなっていった。甘ったるく舌の上に残る感触が宜しくないことや、食べ過ぎると腹が重くなるというのがその理由の大半を占めている。あとは、買って食べるだけの金銭的余裕がないという至極現実的な理由もある。
「どーしよ、これ」
 本気で困り顔になり、マグナはやや茫然と自分の両腕と胸に挟まれている狭い空間を見下ろす。山盛りの菓子類はちょっとでも動けば崩れてしまいそうで、迂闊に動けない事も相当彼を悩ませた。
「おやおや、色男が台無しだよ?」
 一連の動向を見守っていたらしい、下町商店街に並ぶ屋台のひとつを切り盛りしている恰幅の良い女性がコロコロと笑いながら話しかけてきた。手に、商品を入れるときに使っていると思われる紙の袋を持っている。
 それをマグナの前で広げ、彼女はそこに入れなさい、と顎で彼が抱えている菓子を示した。
「あ、はい。有り難う御座います」
 素直に好意を受け取ることにして、マグナは少々重く感じ始めていた菓子を彼女が口を広げてくれている紙袋に少しずつ落とし込んでいった。バラバラと、軽い音を立てて大量のお菓子が紙袋の底を膨らませていく。
 結局、マグナの上腕ほどの深さがある紙袋の半分近くまで、ルウがくれたお菓子はあった。大量、である。それこそ彼女がどうやってこの菓子を買い、代金を支払ったのか謎に思えてしまう。
「虫歯になりそう」
 間違っても底が抜けて仕舞わぬよう、両手でしっかりと紙袋を抱えたマグナはこれを自分ひとりで処理するのかと考え、憂鬱な気持ちに駆られた。
 甘いものは嫌いではない、好きな方だ。だが量が多すぎる、とても自分ひとりで処分できる数ではない。それにルウが選んだものは見た限りどうも非常に甘いものばかりのようで、マグナでなくとも渡されたら嫌気を覚えたに違いない。
 紙袋を分けてくれた女性に頭を下げて礼を告げ、ひとまずマグナはこの場を立ち去ることにした。だが、足は今仮住まいとしているモーリンの屋敷ではない方向へ進んでいく。
 なぜなら、彼は非常事態により城門が閉鎖されてしまっているファナンを出て北へ向かわなければならないからだ。
 デグレアの猛勇は、金の派閥の議長たるファミィ力で退けることが出来た。だが敵の軍勢は未だ留まり、体勢の立て直しを計っている。それが完了し次第、ルヴァイドは再びこの街へ侵攻するだろう。
 根本的な解決にはなっていないのだ。
 だから、その根本的な解決方法を捜すために彼らは敵国へ侵入する事に決めた。戦うためには、敵を知る必要があることに気付いたからだ。
 彼らが何を望み、何を目的とし、何を企んでいるのかを知るために。それが分かれば、対抗手段を考えることも、ともすれば和解の道を模索することだって出来るようになるかも知れないのだ。
 戦いは出来る事ならば避けて通りたい。誰だって、誰かを傷つけたいと思っているわけではないのだから。
 同じ人間なのだからきっと分かり合える、分かり合えなくちゃいけない。言葉が通じるのだ、想いを伝える手段を持っているのだ。暴力で自分の行いを正当化しちゃ行けない、それは逃げの行為でしかない。真正面から、本音を語り合ってちゃんと分かり合いたい。
 だから、逃げないために前へ進むために、今彼らは北へ向かおうとしている。
 閉鎖されてしまった城門を開けてもらい、外へ出るには閉鎖を命じた人の許可が必要になる。だからマグナは、一団の代表としてその人物に会いに行く途中だった。
 その道すがらで、ルウにばったり出くわし、立ち話をするうちのケーキの話題に事が向かってそしてこの結末だ。
 抱えた菓子の袋がずっしりと、実際以上にマグナは重く感じられる。
 寄り道はするな、と先にネスティに釘を刺されての出発だった。寄り道をした覚えはないが、結局それに近い状態に陥ってしまっている。今、出てきたばかりの道場にそのまま踵を返して戻る事は気分的に憚られた。
 ネスティに見付かると、絶対に小言を言われるに決まっている。他の面々も呆れるだろう、菓子の処分には困らないだろうがその分、自分の心が痛く傷ついてしまうはずだ。
 だからそれは避けたかった。分かっているのにみすみす傷つく事をするべきではない、自分の本能がそれを告げている。
 スタスタと狭い道を歩き続けるとやがて大通りへと道は合流し、人通りも増えにぎやかになった。噴水を中心に広がる小さな公園を突っ切り、行き交う荷馬車を避けながら通りを抜けるともう、目の前には金の派閥本部が見える。
 建物の間から聳えたって見える外観は相変わらず何度見ても派手だ。金色がそこかしこに散りばめられ、自分の派閥がなんであるかを声高らかに宣言しているように見える。モーリンが好きになれない、と言った気持ちも分からなく無くてマグナはこの建物を見るたびに苦笑を禁じ得なかった。
 初めて見たときは、この建物にこんなにも頻繁に足を運ぶことになろうとは、予想だにしなかったのに。
 既に顔なじみになってしまった門番へ会釈をすると、鎧を着込んだ兵士も彼に会釈を返してくれた。そして議長は執務室の方にいるだろうから、連絡を付けてやろうとさえ言ってくる。
 恐るべきは、議長のひとり娘とオトモダチ効果、か。こんな言い方をしたらきっと、その一人娘であるミニスは嫌がるだろうけれど。
 さほど待ち惚けを喰らうことなく、マグナはやってきた秘書係の女性に案内されてファミィの居る執務室へ連れていってもらえた。彼女は忙しそうに書類の山に身を埋めていたけれど、訪ねてきたのがマグナだと予め知らされていたらしく、にこやかな笑顔で迎えてくれた。
 そして、先客までもが其処に居た。
「あれ、マグナじゃない。どうしたの?」
 山積みの書類に隠された机の向こうに広がる応接セット。そのひとつ、ふかふかのクッションが利いたソファにちょこん、とミニスが座っていた。部屋に入ってきたマグナに気付き、両足を伸ばして前屈みになっている。
「ミニス……?」
「恐らく貴方と目的は同じだと思いますよ?」
 もう少し待って下さいね、とファミィが穏やかな表情を崩すことなく猛スピードで書類を処理していく。何が恐いかといえば、彼女がその書類一枚一枚をきっちりチェックし、分類し、対処を書き込み、判を押し、それぞれ部署が違うだろう行き先をいちいち指示して持って行かせている事、だ。
 見ている方が頭を混乱させそうになる。
 姿勢を戻し、ソファに座り直したミニスに手招きされたのでマグナはそちらへ進み、空いているソファに腰を下ろした。その間もファミィの手は休むことなく働き続け、これで終わり、というところまで来た合図として彼女はぱんぱん、と両手を叩く。
 そしてやって来た秘書官に最後の書類の束を手渡し、紅茶と菓子を持ってくるように言った。程なくしていい香りを漂わせる紅茶と、甘さも控えめながら上品な味の焼き菓子が運ばれてきて、マグナ達が座っているソファ前に鎮座するテーブルに並べられた。
 それを眺めてから、マグナはちらりと自分の脇に小さくなっている紙袋を見る。どう考えても品格が違う、対抗しようにも最初から負けているような菓子を此処に持ってきてしまったことを少しだけ後悔した。
 よければ皆さんで分けてください、なんて言いながらファミィに手渡そうかと思っていたのだが、この時点で既に挫けてしまった。普段からこんな高級菓子を口にしている彼女達が、下町の商店で売られているような菓子を食べるはずがない。きっと、ファミィは悦んで受け取ってくれるだろうけれど。
 なんとなく、それでは惨めだった。
「ねぇ、それなに?」
 紅茶のカップを両手で挟み持ち、手を温めながら飲んでいたミニスがマグナの視線に気付き、紙袋の存在に首を捻る。仕事机から移動してきたファミィも同じように小首を傾げ、マグナの返事を待っているようだった。
「あ、いや、これはその……」
 どう言えば誤魔化せるだろう。本当のことを言ってもミニスは兎も角としてファミィは呆れたりしないだろうけれど、どうにも言い出しにくくマグナは苦笑したまま、来る途中で衝動買いしたもので見せる程のものではない、と嘘をついた。
「ふーん」
 かりっ、といい音を立ててミニスは焼き菓子のひとつを割った。その片方を口に放り込み、もう片方は持て余して隣に座っているファミィへ差し向ける。だが彼女の母親はやんわりと首を振ってそれを断った。
 どうしよう、と一瞬逡巡したのだろう。人差し指を顎の辺りにやった小さなレディは、結局少し離れた位置に居たマグナにそれを差し向けてきた。
「ありがとう……」
 そうこうしている間に、ミニスは口に放り込んでいた方をすっかり食べ終えて呑み込んでいたはずなのに。次第に小さくなっていくミニスの口の動きを観察していたマグナは、渡されたものを反射的に受け取ってしまいつつ苦笑い。
 ちらり、とファミィを見ると微笑ましい表情で彼女はふたりを眺めているばかりだ。上品に両手を使ってソーサーとカップを持ち、静かに紅茶の味を楽しんでいる。
 昼過ぎの優雅なひとときを金の派閥本部で過ごしたマグナは、快く必要な書類を用意してくれたファミィへ丁寧に礼を告げ、頭を下げて席を辞した。
『これを、城門を警備している兵士に見せてください。話は通しておきますので』
 通行証を手渡すとき、ファミィはミニス、そしてマグナと順番に真正面から顔を見つめてそう言った。マグナに封筒に入った証書を渡すとき、微かだったがその手は震えていたように思う。
 大切な愛娘を敵地の中心へ送り出さねばならない、その辛さを現しているようでマグナはこの時、必ずミニスは無事彼女の元へ連れて帰ってくると密かに誓った。
 誓わずにいられなかった。
 こんなにも小さいのに、いつも一所懸命で前を向いている。最初はささやかな関わりだけだったのに、いつの間にか事態は予想しなかった方向へ急転直下を見せて行った。捜し物を見つけだす、その理由が失われた以上本来ならミニスは、母親という腕の中に帰すべきだったのだろう。
 誰もが危惧している、この戦いは危険すぎて彼女を巻き込むことは危険極まりないと。
 戦いを本業にしていたり、今更退けない理由を持っているものたちとは彼女は違うのだ、無理についてくる必要性を彼女は持たない。
 それでも、ここまで関わってしまった以上「はい、さようなら」で終わらせるのは嫌だと彼女は言い張り、ファミィもそれを許した。
 友達が苦しんでいる、悲しんでいる。それを理由にしてはいけないのか、問われれば首を横に振って否定するしかない。元々、マグナだってそんなささやかな理由からこの戦いに関わりを持つようになってしまったわけなのだから。
 自分の力になれることがあるのなら、それをやってのけたい。友達が哀しい顔をしているのは嫌だもの、気丈なまでに真摯な瞳で語ったミニス。幼いのに、ずっとしっかりとした考えを持っている、それは母親であるファミィの影響だろうか。
 そう考えると、両親を知らないマグナは少しだけうらやましさを彼女に抱いてしまう。自分には、叱ってくれる人も褒めてくれる人も居なかった。
 最初から居なかったものと思えば、自分を捨てたのか捨てざるを得なかったのか分からないけれど、傍に居てくれない両親を恨む気持ちにもなれなかった。それはマグナの心からの本心だ。
 存在も知らない相手を恨んだり憎んだりする事は難しい。空っぽの箱を蹴り飛ばしても虚しいだけ、その気持ちに似ている。
『貴方達の武運を祈ります。そして、ちゃんと無事な姿をまた私に見せてくださいね?』
 そっと包み込まれた両手に暖かさを感じながら、ファミィが最後に告げた言葉にマグナは深く頷いた。その表情に彼女はとても嬉しそうな笑顔をくれて、益々自分たちの行動が自分たちだけでない多くの人たちに関わるものなのだと気が引き締まる思いだった。
『行ってきます、お母様』
『ミニスちゃんも、頑張ってね』
 短かった親子の会話を横で聞きながら、自分が立ち入ることの出来ない空気をそこに感じてマグナは少しだけ寂しくなる。
 自分がもう少し若ければ一緒についていったのに、という彼女の言葉は冗談で片付けられてしまったけれど、きっと立場が許せば彼女は同行を望んだ事だろう。
 帰り道、夕食の買い出しで賑わう街を歩くふたりはしばらく無言だった。
 出発の準備は総て道場の方で行っている、だからミニスも必要な道具などは全部そっちに持って行っているから、帰る先はマグナと一緒だ。人混みをかわして、噴水広場まで来たところでふと、ミニスが立ち止まった。
 数歩先に進んでしまったマグナが気付き、戻ってくる。どうしたんだ、と俯いている彼女に膝を軽く曲げて尋ねかけると、ミニスは言いにくそうに視線を足許に泳がせた。
「あのね、マグナ」
 どうも立ち話ではしにくそうな雰囲気を感じ取り、周囲を見回してちょうど空いたばかりのベンチを見つけ彼はそちらに行こう、と彼女を誘う。素直に応じてくれて、三人掛けのベンチにふたり、腰を落ち着けさせた。
 金の派閥本部で座ったソファとは比べものにならない硬さだけれど、ベンチにふかふか感を求めるのは酷だろう。抱えていた紙袋を置いたマグナは、そのベンチに浅く腰掛けたミニスを見る。
「で、なに?」
 急かすつもりはなく、彼女が言い出すまで待つつもりでマグナは脚を組み、その上に肘を置いて頬杖をついた。
 にぎやかなファナンの大通りは人通りが多く、子供の手を引いて買い物をする母親の姿も多く見られた。普通の家庭に育っていれば、自分たちもそんな子供のひとりだったに違いないが、生憎と両者共に普通の家庭では育たなかった。
 家族と、親と買い物に行って何かを買って欲しいと我が侭を捏ねた経験も残念ながら持っていない。
「あのね、マグナ。ええっと、ね。…………私って、邪魔?」
「はい?」
 ほのぼのとした光景を眺めて気持ちが和みかけていたマグナに、不意打ちのようなミニスのそれなりに真剣で必死な声。思わず間抜けな声を返してしまい、一緒に向けた視線の先に泣きそうなのを懸命に堪えているらしい彼女の顔。
「どうしたんだよ、ミニス」
 そんな突然、そんな事を言い出すなんて。
 訳が分からないと困惑の表情を隠せずにマグナは問い返し、ぶぅ、と頬を膨らませたミニスはまた哀しそうな顔をする。
「だって、本当だったらマグナだって、私なんかよりもお母様が一緒に来てくれる方が心強いでしょ?」
 早口に捲し立て、必死の形相でマグナに詰め寄ってくる彼女の言葉を聞いてようやく、マグナは「ああ、そうか」と合点がいった。
 冗談とマグナが受け流したファミィの言葉を、彼女は真剣に考えて悩み落ち込んでいたらしい。
 確かにあれ程の高等召喚術をあっさりと使いこなし、黒色の絨毯のように草原に陣取っていた黒の旅団を駆逐してしまった彼女の助力が得られたら、これほど心強いものはないだろう。
 だ、が。
 彼女の存在は今やファナンにとっての要であり彼女はだからこそ、此処を離れることが出来ない。許されない、彼女はミニスの母親であると同時に、ファナンを守る中心の柱であるから。
 だからこそ、大切な愛娘を頼むとマグナの手を握ったのだ。
「大丈夫だよ、ミニス」
 君の力は充分仲間達の支えになっている、とマグナは笑顔を作って彼女の髪を撫でた。
 少しクセのある鮮やかな金色の髪が、マグナの手の平で踊る。驚いた顔をして彼を見上げてくるミニスに微笑みかけ、
「邪魔なんかじゃない、ミニスは。むしろ俺達はいつも、君のその明るさに助けられている」
 ともすれば暗くなりがちな空気を、明るい声でうち破ってくれる。頑張らねば、と思い出させてくれる。
 そう言うと彼女は意味をはき違えたのか、むっとした顔を作った。
「それって、私が何も考えてない脳天気で足手まといって事?」
「まさか」
 今日は随分と卑屈な考え方をしているミニスを珍しいと思いつつ、マグナはまたもう一度彼女の頭を撫でてやった。
「だって、私なんかよりお母様の方がずっと凄い召喚術が使えるし、頭だっていいし、みんな頼りにしてるけど」
 母親が偉大すぎると、どうしても比較されて自分のみそっかすぶりが際立つのだろうか。自分で言っていて益々落ち込んでいくミニスに、どうしようかと思案したマグナは崩した足の太股に紙袋がぶつかって、その存在を思い出した。
 ガサガサと閉めていた袋の口を広げ手を突っ込む。適当に掴みだしたお菓子は甘いチョコレートで、キャンディーのように一個ずつ包装されているものだった。
 マグナは手の平の上でそれを転がし、俯いてしまったミニスの目の前に差し出す。
 パステル調の色使いをした包装紙にくるまれたチョコレートに、一瞬目を見開いたミニスは顔を上げてマグナを見返す。そして口が開けられた紙袋に気付き、中身がお菓子の山であることを察した彼女は一瞬にして表情を呆れたものに変えた。
「まさか、衝動買いしたものって、それ?」
「いや、これはその……本当は、ルウに」
 押しつけられたんだ、とごにょごにょと告げると途端、ミニスはぷっ、と吹き出した。
 それまでの落ち込みムードが一変して可愛らしい笑い声がその場に木霊する。つられてマグナも照れ笑いを浮かべながら笑いだし、しばらくふたりとも、そうやって笑い続けた。
 結局はチョコレートどころか、ルウがくれたお菓子は紙袋ごとミニスの膝に収まる事に。彼女から、道場にいる女性陣と分けっこして全部食べきってみせるという約束を取り付けたのだ。
 デグレアまでは遠いから、その道すがらのおやつにするのも良いかもね、と笑って彼女は機嫌良くチョコレートを口に放り込む。はい、とマグナにも同じものを手渡してミニスはベンチから降りている両足を前後に揺らした。
「あのさ、ミニス。さっきの続きだけど」
 中断してしまっていた先程までの会話、ミニスは決して邪魔者でも役立たずでもないという話。そこに戻したマグナは包み紙を丁寧に剥ぎ取り、出てきたチョコレートをやはり手の平の上で転がした。
「……うん」
「俺さ、ファミィさんが出してくれる焼き菓子とか美味しいから大好きなんだけど」
「はぁ?」
 口の中で溶けていく甘いチョコレートを呑み込んで、構えていたミニスはけれど全然内容の違っているマグナの言葉に素っ頓狂な声を出す。その調子を彼は微かに笑って見送り、手の上にあるチョコレートを摘んで彼女の顔の前に差し出した。
 食べろ、という事か。
「うん、それで?」
 手が退けられる様子が無いことを少し待ってみて確認し、観念してミニスはぱくっ、とマグナの手からチョコレートを直接口で受け取った。もぐもぐと咀嚼すると、少し熱で溶け掛かっていたチョコは簡単に形を崩していく。
「でも俺はどっちかというと、こんな風にもっと気軽に食べられるお菓子の方が、好きかな」
 ごくん、と呑み込んだチョコレートの甘さにか、それともマグナの言葉に対してか。ミニスは眉間に皺を寄せた。
「私、そんなに安物じゃないわ」
「分かってる。ものの譬え……が悪い?」
「うん」
 帝国産の高級菓子と、下町商店街に分量幾らで売られている菓子とで引き合いにされたら、ミニスでなくとも怒るだろう。反省したのか、ぽりぽりと頭を掻きマグナはう~ん、と唸ってじゃあ何がいいのだろう、と真剣に悩みだした。
 また可笑しそうにミニスが笑う。
「でも、けど、うん。ありがと、マグナ」
 言葉を紡ぐ間もいくつかの逡巡が頭を過ぎったのだろうが、自分で納得出来る答えを見つけたのだろう、トン、と両足を揃えてベンチから立ち上がりミニスは振り返ってマグナに微笑んだ。
「かえろ?」
 紙袋を小さな胸に抱きかかえ、まだベンチの上に悩んでいる彼に言う。言われた方はしかし不満顔で、今度は彼がぶつぶつ言いながら立ち上がる番だった。
「もう。いつまでもうだうだしてないの!」
 そんなのちっともマグナらしくないよ、と力任せにマグナの背中を叩き、彼女は歩き出す。そして五歩ほど先を行った場所で立ち止まり彼を待った。
「さっさと帰って、通行証もらえたことみんなに報告しなきゃ駄目なんでしょー?」
 すっかり忘れかけていた、自分が出かけた目的を彼女に指摘されてマグナはまた頭を掻く。道場を出てからかなり時間が過ぎてしまっている、ネスティの小言を食らうこと必至だろう。
「うわ、やばいっ!」
 思い出して焦るマグナをカラカラと笑い飛ばし、ミニスは走り出そうとするマグナの手を、取った。
 え、と一瞬動きが止まったマグナをあの大きな瞳で見上げる。
「ほら、早くしないと晩ご飯も全部食べられちゃうんだから」
「それは困る!」
 フォルテあたりなら平気でやりかねないことを言われ、益々焦ったマグナはミニスの手を握り直すと駆け出す。一歩遅れてミニスがそれに続き、ファナンの大通りにふたつ並んだ影が伸びて消えていった。