邂逅

 小春日和の午後の町を、薄手のコートを羽織った少年がひとりで歩いていた。
 年の頃は13,4歳だろうか。見た目はもう少し若いかもしれないが、うつむき加減で大通りを北に進む少年の眼は、とても十余年しか生きていない子供が宿せる彩ではなかった。
 突風が吹き、舞い上がった砂埃に町行く人が立ち止まり、顔を背ける。煉瓦造りの家々の窓が、カタカタと乾いた音を立てていた。少年も片腕を上げて目をかばい、風が行き過ぎるまでやり過ごした。
 幾分古めかしいコートの裾がはためき、茶色の髪が逆立つ。長く櫛を入れた様子がないが、髪には艶やかさが失われていなかった。
「かー! 埃っぽい!」
 口に入った砂粒を唾と一緒に吐き出し、道の往来で彼は悪態をついた。この町の住人らしき女性が、くすくす笑いながら通り過ぎていく。
「この季節は東からの風が砂を運んでくるのよ」
 穏やかな声で、今度は目だけじゃなくて口もふさぎなさい、と女性は告げて去っていった。
 荒野の真ん中に作られた小さな町。街道沿いのここはめぼしい産業がないものの、首都に向かう旅人への土産や宿・酒場なんかでそれなりに繁盛していた。山賊や盗賊の類は、グレックミンスターを守る首都警備隊がたまに遠出をしてやってくることもあって出現せず、治安も他の町や村に比べて格段によかった。
「これからどうすっかなー……」
 目的がある旅じゃない。ただ無駄にある時間を潰すだけの、夢も希望もへったくれもない寂しい旅。だが今の少年の呟きは、どちらかというと残り少ない路銀でどうやってこの先を過ごしていくか、という意味合いが強かった。
 馬小屋でもこの際文句は言わない。屋根のある場所でただで眠りたかった。
 大通りはやがて町の中心部、噴水のある広場へと入っていった。
 テントがいくつも張られ、商店が軒を並べている。夕暮れ近い広場はにぎわっていて、子供から大人でごった返していた。
 人混みは嫌いだと、広場から伸びる細い路地に逃げ込み、少年はコートの襟元を広げた。年期の入ったコートはよく見ればあちこちがすり切れてほつれている。
 壁に背中を預け、ポケットに両手を突っ込んだ状態で少年は深々と息を吐いた。どうも、ああいう親子が手を取り合って仲良く歩いている光景を見るのは苦手だ。自分がいかにひとりきりで、あんなのどかな世界とは無縁の存在であるかを思い知らされてしまうから。
「ふぇ……」
 しかし、少年の思考はそう長く続かなかった。
「ふぇーん……」
 か細い泣き声。
「…………」
 少年は自分の足元を見た。色の抜けたズボンを、全く見知らぬ子供が掴んで、泣いていた。
「……………………」
 これは、……どういうことだろう。
「ふえ、ふぇーーん……」
 大声で泣き叫ばれないだけまだマシかもしれない。しかし……どうして自分の足下で、見た感じ5,6歳の子供が泣いているのか?
 冷や汗がたっぷりと少年の背中を濡らし、しがみついてくる子供を見下ろしながら彼は混乱する頭で必死に現状を理解しようとした。しかし、思いつくのが「まさかこいつ、俺の隠し子!?」「でも俺にそんなはずないよなあ」「じゃあ、なに、こいつ。まさか俺のソウルイーターを狙った刺客!?」などという支離滅裂な事ばかりで、
「…………迷子?」
 そこに至るまで、実に20分以上かかってしまった。
「お前、迷子?」
 少年のズボンを涙と鼻水でぐしょぐしょにした子供が、問われてこくんと頷いた。そしてまた、大きな目をウルウルさせて涙をいっぱいにたたえ始め、少年を慌てさせた。
「わー!分かった、俺が一緒に親探してやるから、頼むから泣くな!」
 急いで子供を抱きかかえ、引きつった顔のまま少年は大声で叫んだ。
「ほんと?」
「ああ、だから泣くな」
「うん」
 子供は素直だ。少年が味方になると分かるとすぐに泣きやみ、にこにこし始める。
「……で、お前って、どっから来たの」
「知らない」
「……この町に住んでるんじゃないのか」
「うん!」
 着ているものは質素だが上等な布でしっかりと縫われている。こんな小さな町で暮らす町人がそう簡単に手に入れられる服ではない。だとすると旅人……それもグレックミンスターにでも居を構える人間の子供だろう。
「宿屋を当たる方が早いか……?」
 だが、思い出してみればこの町には宿屋が果たして何軒なるのだろう。南から町に入り、中央広場まで来るだけですでに4,5軒はあったのだから。街道沿いだし、王都に近いし、それもある意味仕方がないのだろうが。
「親がどこにいるのか分からないのか?」
「うん……」
「そっか」
 ため息しかでない。子供を抱きかかえ、さっきよりも人通りが少なくなった広場を歩き回る。
「誰か、この子の親御さんを知りませんかー!?」
 叫んでみても、町の人は振り返るだけで反応は芳しくない。仕方がない、と広場だけでなく町中を歩き回ることにしたが、やはりどこへ行っても反応は同じだった。町行く人を捕まえて尋ねてみても、皆首を振るばかりで収穫らしいものは何一つとして得られなかった。
「いないのかよ、こいつの親は」
 まさかひとりでグレックミンスターから来たとか?などと考えてみて、そんなはずはないと首を振って否定する。自分ならまだしも、6歳そこらがひとりで、数日かかる道のりを歩いてくるはずがない。すると考えられるのは、グレックミンスターから出ている荷馬車に潜り込み、この町で下りたとか……?
 夕暮れが迫り、通りを歩く人も少なくなっていく。影が長くのび、いい加減自分の今夜の寝床をどうにか確保しないといけない時間が近づいていた。腹も減ったし……。
「疲れたー!」
 スタート地点、広場の噴水前に戻ってきて、少年はベンチにどっかと腰を下ろした。
 途中腕が疲れたために背負いなおした子供を横に座らせるが、すでに疲れて眠っていたこの子は起きる様子がなかった。
 黒い髪、利発そうな大きな瞳。その上やんちゃで、自分が迷子になっていることも忘れて町中をはしゃぎ回った。あれは何、これは何を連発し、もしかしたら周囲には、自分たちは仲の良い兄弟に見えていたのかもしれないと思うとなんだかおかしい。
 ずっと、こういうこととは無縁だと思っていたから──。
「……たまには、良いかもな」
 毎日がこんなのだったらさすがに嫌だけど、と自分の膝を枕にして静かに寝息を立てているこの子の黒髪を指で梳いてやる。弟がいたら、きっとこんな感じだったのだろうか。
 赤く染まる空を見上げ、少年は右手を掲げ上げて見つめた。茶色の革製のグローブの下には、この命を縛り付ける呪いの紋章が刻み込まれている。持ち主には死を与えず、持ち主以外の人間を死に追いやる忌まわしき──そしてとても強きもの。逆らうことを許さず、失うことを許さず。鎖のように少年を縛り付けて放さない27の真の紋章──その名はソウルイーター。
「こうしてる間にも、俺はお前の命を奪っちまうかもしれないんだぜ?」
 すやすやと眠る子供の顔を見下ろし、少年は右手で彼の頬にかかる髪を払った。
「ん……?」
「……起きちゃったか?」
 むっくりと身を起こした彼に、少年が尋ねる。まずあくびが飛び出し、眠たそうに目をこすって、彼は少年を見上げた。
「……ぐれみお……?」
 寝ぼけているのか、少年のものではない名前を呼び、首を傾げる。
「………………ちゃーんっ!」
「?」
 遠くから雄叫びのような声が聞こえ、二人してそちらを向く。
「あ、ぐれみおー!」
「ぼっちゃーん!!」
 走ってきたのは金髪の、頬に傷のある細身の若い男だった。男の子が嬉しそうに手を振り、男を迎え入れる……が、なんだかおかしい。
「ぼっちゃん、ご無事でしたか!おのれ、坊ちゃんを誘拐しようだなんて、このグレミオの目が黒いうちは二度と許しませんよ!」
 斧を少年の前に突きつけ、とんちんかんな事を叫ぶ男に、少年は反射的に両手をあげたものの、
「ちょっと待て!なーんで俺が誘拐犯になってんだよ!」
 怒鳴り返すと、男はぽかんとした。
「……違うんですか?」
「当たり前だろ!俺はこいつが迷子だってゆーから、一緒に親探ししてやってたんだよ」
 それが何故、誘拐犯に間違えられねばならないのか。感謝されこそすれ、この待遇はあんまりだ。
「……そうですか……。よかったー……」
 なのに、男は勝手に誤解し、勝手に納得し、勝手に脱力した。少年はますます分からない。
「……あんた、こいつのオヤ?」
 まさかな、と思いつつも一応確認のため尋ねてみる。
「まさか!坊ちゃんは坊ちゃんですよ!」
 即答でオーバーな首振りアクション付きで答えた男だったが、混乱しているのかやっぱりよく分からないことを叫んだ。
 ──なんなんだ……?
 だが、とにかくこれで保護者は見付かったわけで、少年はお役ご免と言ったところ。
「良かったな」
 男と少年の間に立つ男の子の頭をこつん、と小突き、少年は笑った。
「うん!」
 本当に嬉しそうに言い、彼は最高の笑顔を見せてくれた。
「じゃ、俺はこれで。もう迷子になんかなるなよ」
「坊ちゃん、勝手に出ていかないで下さいよ。びっくりしたじゃないですか」
 男に抱き上げられ、男の子が背を向けて歩き出した少年に手を振る。
「ばいばーい、お兄ちゃん!」
 彼は少しだけ立ち止まり、小さく手を振った。
 宿を探そうと角を曲がり、しばらくして彼はふと思い出して足を止めた。
「そういえば……名前、聞いてなかったよな」
 だが後ろを見てももうそこに広場はなく、闇に染まりだした町の姿が広がるだけ。
「ま……いっか」
 もう二度と会うこともなく、いつかはこの記憶も色あせてやがて思い出すこともなくなるのだろう。あの二人にとっても、自分はただの通りすがりの旅人でしかなく、忘れ去られるだけの思い出にもなれない存在でしかないはずだ。

 ────しかし、数年後────

「戦で村を焼け出されたらしい。行くところがないと言うから、連れてきた」
 戦場から帰ってきたテオが、茶色の髪の少年をそう紹介した。
「はあ……。私もテオ様のお世話になっている身ですし」
 頬に傷のある青年が、エプロンで手を拭きながら玄関先に立つ少年を見つめる。
「坊ちゃんにはこのことは……」
「今から説明するが、いるか?」
「いえ。釣りに出かけています。もうじき帰ってくると思いますが」
 探してきましょうか、とエプロンを外しにかかった青年だったが、それよりも早くテオの後ろで閉まっていた玄関が開いた。
「ただいまー!……れ、父様?」
 12.3歳の赤い服、緑のバンダナ姿の少年が、釣り竿を手にテオを見上げて首を傾げる。
「……お帰りなさい。早かったんですね」
「ああ、お前の顔を見たくてな。城に上がる前に寄ったんだ」
 今夜遅くに帰ってくるだろうと思っていた父の思いがけない姿に、少年は破顔しかけた。しかけた……が、テオの横に見慣れない少年の姿を見つけ、今度は眉をひそめる。
「紹介しよう。テッドだ。村を焼き出されたらしくてな、お前さえよければうちで預かろうかと思っている」
 テオの大きな手に背を押され、テッドと呼ばれた少年が前にでる。彼の顔は……驚きに満ちていた。
『ばいばーい、お兄ちゃん!』
 忘れかけていた記憶。もう二度と会うこともないと、思い出さないようにふたをして鍵をかけていた思い出が目の前によみがえってくる。
「…………」
 名前さえ聞かなかった。でも、たしかにあの時に会ったのは…………。
「僕はラスティス、ラスで良いよ。よろしく、テッド」
 無邪気に差し出された掌は、あの時に握ったものよりもずいぶんと大きくなっていたけれど。
「……ああ、よろしく。ラス」
 握り返したときの暖かさは、あの頃と何も変わってはいなかった。