昼間はものすごくいい天気だったのに。
「うっわー……土砂降り」
サスケが真っ黒の空を見上げて思わず呟く。
「そんなこと、今更確認しなくても見ればすぐに解るだろう」
彼のすぐ横に立っているルックが、暑苦しいから側に寄るなと肩でサスケを押し返しながら言うと、押されたサスケは反対側にいたフッチにぶつかってしまい唇を尖らせた。
「いった……」
フッチも、運悪くサスケの肩当てが首に当たってしまい小声でぶつかってきたサスケを非難し、俺の所為じゃないとサスケは慌ててルックを指さした。
「そんな格好をしているからいけないんだろう」
淡々と降りしきる雨を見つめながらルックが言い、またもや喧嘩腰に睨みっこを始めた二人を横目で観察していたセレンとキニスンは、諦めに近い態度で大仰にため息を同時についた。
ちなみに、セレンはサスケとは反対側のルックの横に、キニスンはフッチの横に立っている。キニスンの足下には毛先を濡らしたシロがうずくまっていた。つまり、彼ら二人は端と端にいることになる。サスケが、真ん中。
ここは大きな木の下。枝を四方に伸ばした樹齢は数百年を数えるだろう、立派な幹を持つ古樹の根本で、彼らは雨宿りをしている。
今日はたまたま時間が空いたので、五人と一匹は揃って山に出かけることにしたのだ。特にこれといってすることもなく、かといって城にいては息苦しいから。
戦争は架橋に突入している。これまでにないほどに、大人たちの神経はピリピリしていた。
だが、彼らはまだ子供だ(若干、“子供”と呼びにくい年齢の人も混じってはいるけれど)。遊びたい盛りに、遊ぶなと言われるのは酷というもの。しかし城で大手を振ってはしゃぎ回るのもやはり気が引けて、こうやって時間を見つけては城を抜け出して野山を駆け回り、知らない町を歩き回っている。
「もうじき日が暮れますよね……」
何気なしにフッチが呟き、そうですね、とキニスンが彼と同じように薄暗い空を見上げて相づちを打つ。
そこに太陽は見えない。だが雨の降り始めた時間と、こうして雨宿りをしている時間を計算すれば自ずと現在時刻が予測できる。
周囲は夜のように闇がかかり、空から絶え間なく降り続ける雨音だけが響き渡っている。獣の声すら影を潜め、息を殺しじっと雨が止むのを待っているようだった。
「止む、かなぁ」
ぽつりとセレンが零せば、視線だけを向けたルックに小さく首を振られてしまった。
「無理……?」
同意は得られなかったが、否定もしてもらえずセレンはため息混じりに俯くと足下の石を蹴り飛ばした。
雨に濡れた大地ではそれは弾まず、すぐにぼちゃん、と出来上がったばかりの水たまりに沈んでいく。
「あ、雷」
遠くを見ていたサスケが目を細める。
「え?」
直後、轟音が空を割って鳴り響いた。
「ひえっ!」
突然の轟音、それも間近に響いた落雷にセレンとフッチは度肝を抜かれ思わず脇にいた人物にしがみつきかろうじて尻餅をつくのだけは防いだ。しかしもう腰に力が入らず、ずるずると下に下がってやがてぺしゃん、と濡れるのも構わず地面に腰を落としてしまった。
「おいおい、たかが雷ぐらいで」
サスケがフッチを笑って見下ろすが、両手で耳を押さえて必死に恐怖を堪えている彼には聞こえていない。呆れ顔でセレンを見下ろすルックもまた、しょうがないなと肩を竦めて再び視線を空に巡らせた。
間髪置かず、稲妻が黒い空を走り抜ける。一瞬遅れて、大地を裂かんばかりの轟音が空気を震撼させる。ひっ、と身を縮こまらせてセレンとフッチはそれを聞くまい、見るまいと固く目を閉じ、耳をふさいで息を呑む。
「ここも、危険かもしれませんね」
シロの頭を撫でやり、空の様子を窺っていたキニスンがぽつりと言う。むっくりと顔を上げたシロが何かを警戒する表情で雷雲を睨み、警告するように一度だけ吠えた。
「木に雷が落ちるって?」
サスケがキニスンをフッチの頭越しに見て尋ねると、彼は言葉ではなく頷くことで返事をした。シロがおもむろに立ち上がる。
「洞窟か、なにかが近くにあれば……」
ルックも、強くなる一方の雨足を気にしながら霧が立ちこめ始めている周囲を見回した。
しかし山の中腹で、都合良くそんな場所が見つかるはずがない。第一、この近辺にそんなものがあれば、いくら巨木とはいえ枝の隙間から雨がこぼれ落ちてくるような木の下で雨宿りを強行しない。
「か、雷落ちてくるの……?」
こわごわ、顔を上げたセレンがルックを見て問いかける。その目にはうっすらと涙さえ浮かんでいて、戦場で敵を恐怖せず突き進むラストエデン軍のリーダーと本当に同一人物かと、一瞬彼を疑わせた。それほどに、セレンの今の表情は幼かった。
「その可能性があると言っているだけだ。だが、他の木よりも身長がある分、危険度は高いな」
冷静に状況を観察し、告げたルックを凝視したセレンは、数秒後彼の言葉の意味を理解して見る間に表情を青ざめさせていった。
「コラ、びびらせてどうすんだよ」
サスケが横からセレンの百面相の原因であるルックを非難する。が、しっかりとフッチにもルックの言葉は聞こえていたらしく、今度はシロにしがみついてフッチは紫の唇を噛みしめていた。
「ともかく、移動しましょう」
「そうだな。立てるか、フッチ」
「無理……」
「無理でも立つの。こんなところで、俺はお前を負ぶってなんてやれないからな」
キニスンの提案にサスケが同意し、腰を抜かしたままのフッチを半ば無理矢理に立ち上がらせる。セレンもまた、ルックに促されて立ち上がるが足下は雨の所為ばかりではないだろう、心細げで、手はぎゅっとルックの服の端を握りしめている。
「行く当てはあるのか?」
「いえ……。ですけど、行きの途中でいくつか洞窟らしきものがありましたから、探せばきっと……」
「あ」
最後までキニスンの言葉は続かなかった。
彼の声を遮るように、三度目の轟音が周囲を大きく震わせたのだ。
「ひゃぁっ!!」
短い悲鳴を上げ、その音の近さに全員が側にあった何かにしがみつかざるを得なかった。
数秒間揺れ続けた空気がびりびりと鼓膜に残り、冷え切った肝がびっしょりと汗を流す。すっかり濡れ鼠状態の五人と一匹はやがて静まり始めた山の気配にほっと息をついた。強張らせていた肩から一斉に力を抜き、しばしして己が抱きすくめているものを確認して再度表情を強張らせたことは言うまでもないが。
「……だが、どの辺に洞窟があるかは予想がつくのか?」
気を取り直し、ルックが襟を正してキニスンに問いかける。未だセレンは彼の服を掴んだまま放そうとしておらず、迂闊に動けば首が絞まる状態が続いていた。
「僕たちは行きと同じ道を通って山を下るつもりでした。この景色には、……見覚えがあります。もう少ししたら沢に出て、そこを越えれば、広い道に出たはずですから」
伊達に長く山で暮らしてきたわけではないらしい。キニスンの、少々心許なげではあるものの他の誰よりもしっかりと把握されている地理に皆はほっとした表情を見せ、これで助かると安堵した。
しかし、ふとキニスンの言葉の中に気になる単語を見つけ、サスケが僅かの後、止まない雨と今下ってきた山の斜面上を交互に眺めると。
「沢、って……川、だよな」
山の天気は著しく変わりやすい。そして、一時に集中して降る雨は山の大地が吸収しきれず、時として斜面を泥と岩を巻き込みながら滑り落ちていくことがある。
鉄砲水、と呼ばれる現象だ。
ひんやりとした空気が、この湿った暑苦しい時に彼らの背中を通り過ぎていった。
「……まあ、あくまでそう言うことも起こり得る、ってだけで……」
俺の取り越し苦労だよ、と冷や汗混じりにサスケが笑うが、その笑顔に答える人間はその場に居合わせていなかった。
「移動しましょう」
「……おう」
数分かかってようやくキニスンが思い口を開き、反省したらしいサスケも力無く返事をして歩き出す。
もう服はびしょ濡れ、動くたびにぐちゃぐちゃと布ずれの音が聞こえてくる。靴の中にまで水が侵入してきているが、尖った石で傷を付けられることをおそれて誰も脱ごうという気は起こさなかった。
「いっそこのまま山を下りてしまった方が……」
洞窟を探すもののすぐに発見できるはずが無く、視界も悪い状態に最初にしびれを切らしたのはフッチだった。
頼りない足取りで、サスケの腕にしがみつくようなへっぴり腰状態の彼は、雷をおそれて何度も上空を仰ぎそのたびに雨を口や鼻に流し込んでせき込んでいた。
「無理だろうな」
すでに雨が降り始めて一時間以上楽に経過している。サスケの冷たいとも取れる口調に、「どうして」とフッチが言う前に、
「この雨で川が増水しているはずだ。渡ってきた橋が流されている可能性も否定できない」
後ろを、セレンを金魚のフンよろしく引っ張っていたルックが先に答えてしまった。
「じゃあ、ボクたち帰れなくなるんじゃ……?」
当然の疑問をセレンが口に出し、フッチと並んで一気に表情を暗く沈めた。だが、
「行き先はレオナさんに知らせてありますし、夜になっても帰ってこなかったら城の人たちが探しに来てくれるはずです。……怒られるでしょうけれど」
雨音に紛れてしまわないように声を張り上げ、最前列を行くキニスンが元気付けようと彼らを励ます。シロも、数度声を高らかにして吠え、いくらか遠くに行った雷鳴に彼らの気が行かないようにしていた。
時間的に、もうじき夕方の五時かその辺り。この時間ではまだ大人たちは助けに来てくれそうにないが、日が完全に沈んでしばらくすれば、帰ってこない彼らを気にしてビクトールあたりが来てくれるだろう。
当然、軽率な行動をとったと言って説教は避けられないだろうが。
「あ、あれ! 洞窟じゃないのか?」
城の仲間たちを思い出し、ほんの少しではあるが全員の緊張が緩まった時、目を細めて薄霧の中周囲を窺っていたサスケが声を上げる。
全員の視線が、彼の指さした方向に向けられる。ごくり、と隣に立つ人の唾を飲む音が聞こえてきた。
「シロ、見てきてくれるかい?」
キニスンが長年の相棒に頼み、様子を探りに先に行かせる。小走りにぬかるんだ山の斜面を駆けていく獣の背中を見送り、残された人間もゆっくりと足を滑らせないように気を配りながらサスケの見つけた洞窟らしきものに近付いていく。
程なくして、シロの吠え声が山の中をこだました。
「やりぃ」
ぱちん、と雨に湿った指を鳴らそうとして失敗したものの、気持ちは通じたサスケの言葉にふっと全身の力が抜けたフッチが倒れそうになって慌ててサスケに支えられた。
「お前、危ないって」
「ごめん。つい……」
もう少しで全身泥だらけになるところだったフッチに呆れかえり、サスケは後ろを振り返る。そこには、やはり「よかったー」と脱力したセレンを倒れないように掴んでいる、不本意そうな表情のルックがいた。
「行きましょう、のんびりしている余裕なんてありませんよ」
「そうだな」
キニスンに頷き、五人はシロの待つ洞窟へ向かう。
すでに全員の足は泥に浸かって真っ黒状態。通常歩くよりもずっと気を遣う強行軍だったため、全身の体温を奪っていくばかりの雨から解放された瞬間、全員力つきてその場に座り込んでしまった。
「これでしばらくは安心だな」
ぺたん、とごつごつした岩の上に腰を落ち着け、サスケが洞窟の狭い入り口から見える外を眺めて呟く。
「早い内に止んでくれればいいのですけど……」
それでもまだ不安そうなのはキニスンだ。
「けど、本当に突然降り始めるんだもん。びっくりしちゃった」
濡れた服を絞って水気を抜いていたセレンが言い、同じように服を絞るフッチが頷く。雷が聞こえなくなった途端、彼らは急に元気を取り戻していた。
「下着までびしょ濡れ……」
たき火でも起こせたらいいのに、と愚痴を言い彼らは暢気に洞窟の奥の方でくつろいでいる。メンバーの中でもっとも服に布が多いルックも、無言で重く張り付いた服を絞っていた。
「誰か雨男でもいるんじゃないのー?」
「雨男?」
「そう。そいつが、雨を呼んだの」
奥に視線を流したサスケが言い放ち、不思議そうな顔をして問い返したセレンに彼はにやりと笑う。そこから何故か顔をルックに向け、
「俺としては、ルックが雨男だと思うけど」
「どうしてです?」
含みのある表現を使うサスケにフッチが聞き、あからさまに顔を顰めさせたルックを見る。彼には、サスケがこの後何をいうのか解っているようだった。入り口近くで雨が流れ込んでくるのを防ぐための石の防波堤を作っていたキニスンも、振り返ってなんとも言い難い複雑な表情を作っている。
「だって、ルックがこの中で一番陰険そうだしー?」
ああ、言ってしまった。キニスンが言葉で表現するならそういう感じの顔をして。
ぼがっ!
見事にルックから繰り出されたアッパーカットがサスケの顎にクリーンヒットした。
「……………………」
後ろで見ていたセレンとフッチが言葉を挟む余地もないままに、サスケは後ろに数メートルはじき飛ばされていた。さすが、ルック。伊達にSレンジではない(違)。
「一度死ぬかい?」
握り拳に怒りマークをいくつも浮かび上がらせたルックが、雷並の轟音を背景に背負って床を這うサスケに迫り、彼はヒクついた笑顔で必死に、「話せば分かる。だから待て!」を連呼していた。
「自業自得?」
「そう思います」
後ろの二人もつれない。すっかり他人事と決めつけて服を乾かすことに意識をやってしまった。
「あ……」
そこへ、まさに天の助けか。
「?」
入り口に最も近い場所にいたキニスンが、唐突に顔を上げて小さく声を漏らす。
「雨が……」
さっきまであれだけ激しく降り続いていた雨が、そろそろと足音を遠ざけて小振りになっていた。落雷の音も完全に姿を隠し、厚い雲に覆われていた空が次第に夕暮れ色を取り戻してゆく。
地上に光が戻り、全員が洞窟前に出て並んで数時間ぶりに見る明るい大地を眺めた。
「あ、虹だ」
ふと西側の空に視線を流したセレンが上空を指さす。つられてそちらを見た四人も、夕暮れに染まる空に架かった虹を見つけて表情を和ませた。
「帰りましょうか」
雨は完全に止んでいた。今は、木の葉に残った滴が時折地上に落ちてくる程度。水たまりには鮮やかな夕焼けと、薄い虹がいくつも描きだされている。
「たまにはこういうのも良いかもね」
「たまになら、ね……」
雷に怯えていた時のことなどすっかり忘れ、陽気に笑うセレンにルックは苦笑する。本音としては、二度とごめんだと言いたいのだろう。
「急いで帰るぞー。晩飯食いっぱぐれるのは嫌だかんな、俺」
「それは僕も同じだって」
「そうですね、急ぎましょう」
サスケが走り出す。慌ててそれをフッチとキニスン、そしてシロが追いかける。少し遅れてセレンとルックも駆け出し、五人と一匹はこうして、散々なピクニックを終えてレイクウィンドゥ城へと帰っていった。
追伸:
びしょ濡れで帰ってきたから、彼らは夕食よりも先に風呂に入りまた大騒ぎをして、結局夕食は食べ損ねた上シュウにお説教されました。