マイクロトフ。マチルダ騎士団の元青騎士団長。生真面目な性格の持ち主で、多少頭でっかちな融通の利かない所もあるが心根は優しくしっかりしており、誇りを持って行動する男である。
ただちょっと、表情の起伏に乏しいかもしれないが。
背も高いし格好いいし、年頃の女の子にとってはあこがれの存在。元赤騎士団長のカミューと並んで、レイクウィンドゥ城の女性陣からは圧倒的な人気を博している。
ただし本人にその自覚はない。
さらに勿体ないことに、彼は女性が苦手のようだった。
ずっと騎士として生きてきて、さっきも言ったが融通が利かない。精神面で不器用なせいでひとつのことにしか集中できないから女性の扱い方も良く知らないし、あまり興味もないそうだ。彼にとって、今はラストエデン軍を勝利に導くことしか頭にないのかもしれない。
だからといって、世の女性陣が彼を放っておくわけももちろんないのだけれど。
マイクロトフはいい迷惑?
「ねえねえ、カミュー様」
メグが色男で知られるカミューに話し掛けたのはもう少しでお昼時というぽかぽかしたテラス。彼女の後ろにはメグと同年代の少女が数人、頬を赤らめながらもじもじと立っている。
「なんでしょう?」
優雅な振る舞いで振り返ったカミューがやや腰を屈めてメグの視線に合わせると問い返してくる。にこやかな笑顔をもったいぶることなく周囲に振る舞うことで、後ろに控えていた少女達から黄色い歓声が上がった。
だが、すぐにキッとメグに睨まれてしおらしくなる。今日はカミューの笑顔にほだされに来たのではない。
「ひとつ質問なんですけれど」
気を取り直し、メグはカミューに尋ねようと拳を握りしめる。少女達もグッと息を呑んで彼の返事を期待の眼差しで待っている。一体何だろうといぶかしむカミューだったが、
「マイクロトフ様の笑っている所、見たことありますか?」
「はい?」
真剣に聞いてきているメグに失礼かと思ったが、カミューは思わず変な顔になりかかってしまった。がく、と膝の力が一瞬抜けてしまい、危うく間抜けな様を少女達にさらすところだった。
「ですから、マイクロトフ様ですよぅ」
聞こえなかったのかともう一度言い直したメグに、カミューはほんの少しこわばった顔を作ってメグを見返した。この顔は冗談を言っている顔ではないし、後ろの少女達もカミューの顔を伺いながら何か待っている。
てっきり自分のことを聞かれるのだと早とちりしていた彼は、まさかマイクロトフの話題を出されるとは思っておらずすぐにまともな反応を返すことができないでいた。
「マイクロトフが……なに?」
「笑ってるところ、カミュー様なら見たことあるでしょう? どんな感じですか?」
たしかにつきあいの長いカミューはマイクロトフのいろんな表情を見たことがある。いくら無愛想だと言われるマイクロトフとは言え、まったく笑わないわけではない。
「私たちマイクロトフ様の笑顔が見たいんです」
「どうすればマイクロトフ様は笑って下さいますか?」
少女達の切ない訴えにカミューは苦笑した。そういうことか、と。
自分のように回りに愛嬌を振りまくということをあまりしないマイクロトフの笑顔は、彼女たちにとっては貴重なのだろう。しかしどういうときにマイクロトフが笑うのか……考えてみてもすぐに思い出せるものではない。
「マイクロトフか……」
あまり大口開けて豪快に笑う体質ではない。それはカミューも同じだが。
考え出したカミューに、メグをはじめミリーやテンガアール、何故か混じっているニナも興味津々で答えを待っている。
「そうですね……。ありきたりですが食事中は表情も朗らかだと思いますけれど」
なかなか思いつかなかったらしい。羨望の眼差しで見られるのには慣れているカミューも好奇の目で見られるのは苦手のようで、とりあえず今のところはこれで逃げようと適当なことを言ってみた。
けれど。
「食事……あ、そっかー。そうですね、どうして気がつかなかったんだろう」
「もうじきお昼ご飯の時間よ。マイクロトフ様が食堂にいらっしゃる前に、席を確保しておくのよ!!」
「おーー!!」
元気の良い声で拳を振り上げて彼女たちは合唱した。そしてカミューをすっかり忘れ去って走り出す。
「あ、あの……」
おいて行かれたカミューは周りから見てなんだか滑稽だった。
さてさて、一方のマイクロトフはといえば。
メグ達一行が食堂に駆け込み、座って食事をしていたマルロとコウユウを蹴り飛ばして作った空席を確保し終えた直後に、午前の訓練を切り上げて汗を拭き拭きやってきた。
「なにすんだよー」
床の上でサンドイッチを口に放り込むコウユウがわくわくとマイクロトフを見つめる彼女たちに怒鳴ったが、ミリーのボナパルトに残っていたサンドイッチを全部奪われて泣きながら走っていってしまった。可哀相なことに、そのことに彼女たちはまったく気付いていなかったのだが。
マイクロトフの今日のお昼ご飯はてり焼きサンドにオムライス、スペアリブにトマトサラダでした。
「いよいよだわ」
「そうね」
メニューを注文することなく、テーブルに張り付くようにしてマイクロトフを凝視する彼女たちの周りには異様な空気が流れている。食堂にいた人達は皆怪訝な顔で彼女たちのテーブルを見ていたが……これが何故か、マイクロトフは気がつかない。
ごくり、とニナが唾を飲む。
しかし。
食べ始めから一定のペースで箸を進めるマイクロトフの表情はいつもと変わらぬ鉄面皮。きちんと咀嚼をして飲み下し、消化が悪くならないように姿勢も正して食事をする彼は、その間よそ見も全くなく無表情だった。ある意味怖い。
「ごちそうさまでした」
最後に感謝の言葉を忘れずに。両手を合わせて合掌した彼は、きれいに片付けられた皿を返すと足早に午後の訓練に向かっていった。がっくり、である。
力尽きてテーブルに突っ伏した彼女たち。テンガアールが拳を握りしめて誓う。
「まだまだ……諦めないわよ」
午後の作戦会議は洗濯物がいっぱいの下で。
白いシーツがいくつも風にはためいている。ヨシノが忙しそうに物干しに洗いたてのいい匂いのするシーツを並べていくのを横目に、地面にうずくまって彼女たちは次なる手段を講じていた。
「だからさ、やっぱりリラックスしているときが一番でしょ?」
「例えば?」
「お花畑の中とかー」
ミリーがボナパルトをいじりながらおっとりとした口調で言う。
「どこにそんな花畑があるのよ」
ニナがむすっとした顔で言い返し、ボナパルトを突っつく。
「きゅぅ」
小さく鳴いたボナパルトが逃げ出そうとするがそれはミリーが許さない。じたばたする謎の生物を両手に抱きしめ、むすっとしたミリーがニナを睨んだ。
「なによ。ニナはフリックさんを追っかけてればいいじゃない」
「いいじゃないのよ。たまには」
喧嘩に発展しそうなふたりを前に、最年長のテンガアールがため息をこぼす。
「やーね、余裕のないって」
この中で唯一の彼氏持ちな彼女の呟きに、3年前からつきあいのあるメグは苦笑した。
「テンガ、ヒックスのことあんまり放っておくと、彼逃げちゃうよ」
「へーき。ヒックスは私がいないとなんにも出来ないから」
肘をついて当たり前のように言ったテンガアールに、メグは心の中で密かにヒックスに同情した。
「止めなさいよ、ふたりとも。話がちっともすすまないでしょ」
ミリーとニナの間に手をひらひらとさせて、テンガアールが呆れた声でふたりに言った。むすっとした顔でふたりから睨まれるが、テンガアールはまったく気にしていなかった。
「マイクロトフ様の笑顔よ、え・が・お。どうするの? 諦める?」
「まさか!」
ふたりの声が見事にはもった。本当は仲がいいのでは?
「やっぱりリラックスは大事よ。忙しそうだもの、だから食事ものんびりととれないんだわ」
「そうよ、ゆっくりしているときが狙い目ね」
「だから、どんなときなのよ、それは」
メグが身を乗り出してふたりで妙に納得しあっているミリーとニナに尋ねる。その後ろで、乾いてふかふかのタオルを両手いっぱいに抱えたヒルダがヨシノと話をしていた。
「これ、どこに持って行くんです?」
「お風呂の方にお願いします。テツさんがいますから、渡して下さい」
「分かりました」
大人の女性ふたりの会話を聞いて、ニナの目がにわかに輝き出す。
「これだわ!」
ぱちん、と指をならして彼女は良いアイデアがひらめいたと嬉しそうに叫んだ。
「お風呂よ、お風呂! お風呂こそが人間一番リラックス出来るひととき。私もいつかフリックさんと……うふふ」
ハートマークをいっぱい飛ばして自分の世界に浸りだした彼女に、残る三人は白い目でニナを見上げる。
「アイデアは悪くないけど……」
困ったように頬を掻きながらメグが苦笑い。
「男湯に入るのは、ちょっと、ねぇ……?」
テンガアールも同調し、ミリーを含めて三人で引きつった表情のまま向かい合い、そして深くため息。ただニナだけがトリップしたまましばらく戻ってきそうになかった。
結局頼るものはひとつ、と夕方になってから彼女たちはもう一度カミューの元を訪ねた。
「マイクロトフの笑顔は見られましたか?」
顔を合わせるなりそう聞いてくるカミューの意地の悪さに上目遣いで睨んだメグ。ははは、と軽い笑い声でカミューは「すいません」と謝った。
「どうすればいいと思いますか?」
あれから色々考えたけれど、良いアイデアはちっとも浮かんでこない。ああでもないこうでもないと繰り返すうちに、時間は過ぎてもう夕刻。あともう少しすれば日も暮れて夜がやってくるだろう。
「私の方も考えてみましたが」
こほん、と咳払いをして前置きし、カミューが楽しそうに沈んでいる少女達を見下ろす。その瞬間、一気に暗くなっていたメグ達は浮上してきた。
「何かあるんですか!?」
がばっ、と顔を上げてニナがきらきらと目を輝かせる。両手を胸の前で結び、期待の眼差しでカミューを見つめる。他の女性達もほぼ同様だった。
──すまんな、マイクロトフ。
同僚を売るような真似はしたくなかったが、女性の期待を裏切ることはやはり出来なかったと、カミューはここにいないマイクロトフに心の中で詫びた。
「彼はあれでも、小動物が好きでね。マチルダにいるときもよく庭に住み着いていたリスに餌をあげていましたよ」
「動物! そうか、その手があった!」
一斉に少女達から歓声が上がって、カミューも満足そうだ。
顔に似合わずマイクロトフは小さな動物をかわいがる。弱いものは強いものが守ってやらなければいけないという基本理念に基づく結果らしい。
「ちっちゃくなくちゃ駄目よね」
「城にいる動物っていったら……キニスンさんのシロとか?」
「大きいわよ。それよりももっと相応しいのがいるじゃない」
「頑張って下さいね」
あつまって相談を始めた4人に、カミューは自分の役目は終わったと去っていった。口元には楽しそうな笑みを浮かべている。なんだかんだ言っても、結局楽しいことが大好きなカミューは彼女たちの味方だ。マイクロトフは不幸な事だが。
……てなわけで、彼女たちが連れてきたのは。
マクマク、ミクミク、ムクムク、メクメク、モクモクのムササビレンジャー……ではなく、ムササビ5匹。捕まえれるのが大変で、終わったときにはみんな、息も絶え絶え。最後は強制的にボナパルトに呑み込ませて捕獲したのだった。
「いい? マイクロトフ様に抱きついて、甘えてくるのよ?」
「ムー??」
「ムー??じゃないの。分かってるのかなあ、本当に」
「大丈夫なんじゃない?」
ムササビのリーダー、赤いマントのムクムクにしつこく作戦を言って聞かせるニナが不安がるが、ミリーは至って楽観的だ。捕まえるときに体力を使い果たした、何故か訳も分からないままかり出されたからくり丸とヒックスは今にも力尽きそうである。
「とにかくやってみるしかないでしょ。折角捕まえたんだし」
「来たよ!」
見張りに出ていたメグが手を振って合図する。夕食を取るために道場から出てきたマイクロトフは、すっかり気のあったモンドと明日の修行メニューについて語り合いながら食堂に向かっていた。
「ちゃんとやるのよ」
最後に念を押してニナはムクムク達5匹を茂みの中からマイクロトフが通り過ぎようとする道の真ん中に押し出した。
「なんだ?」
赤、ピンク、青、緑、黄色の各色のマントをつけたムササビの突然の出現に、足を止めたモンドがいぶかしみ、マイクロトフも首をひねる。
茂みの中では青白い顔になっているヒックスと故障寸前のからくり丸のことなどきれいさっぱり忘れ去った4人が今か今かとマイクロトフの笑顔を待ちわびていた。
「ムー」
「ムムー!」
「ムムムーー」
「ムームム!!」
「ムー?」
ニナによってマイクロトフに抱きつけ、とくどいくらい教え込まれた彼らムササビは、途中からなにかとんでもない誤解をしていたらしい。マイクロトフ達の進路をふさぐように一列に並んだムササビは…………。
直後、右手を掲げ上げてポーズを取る。
「あっ!」
この光景を見たことがあったテンガアールが自分の口を手で押さえて冷や汗かいた。視線が泳いでいる。
「ムーーー!!!」
ムクムクの叫びを合図に、一斉にムササビはマイクロトフに飛びついた。しかしただ飛びついたのではない。それぞれ頭、両手、両足を分担してしかっと掴んで飛び上がる。
「駄目ー!!」
テンガアールが悲鳴を上げて立ち上がった。びっくりしたメグとニナとミリーの前で。
「ムササビの協力攻撃は、即死効果の利かない相手でも3%の確率で即死させられるのよーーー!!!!」
「ええええーーー!!!!???」
驚きに目をぱちくりさせている彼女たちの前で、マイクロトフは静かにムササビたちに連れ去られて行った。餌を巣に持ち帰るようだったと、モンドはその時のことを後日語ってくれた。
とにかく、マイクロトフはムササビにあっけなく連れて行かれてしまったのだ。もはや笑顔どころではない。
「マイクロトフ様ー!!!」
「待ってーー!!」
口々に叫びながら、4人はムササビを追いかける。しかし城の塀を越え森に向かってだんだん小さくなる彼の姿を追いかけ続けることは不可能で。
「……どうする?」
高い塀を前にテンガアールが残り3人に問いかけると、
「……見なかったことに」
「何もなかったことに」
「そゆことで」
おいおい、お前らそれでいいのか?
しかしどうやらそれで話は片づいてしまったらしい。彼女たちは暮れる夕陽を背に、今日の夕食はなんだろう、と白々しく語り合いながら去っていった。
結局ヒックスとからくり丸も忘れ去られたままだった。
「……一体何が起こったのだ?」
森の中、藪の中でマイクロトフは呆然と自分が今作ったばかりの大きな穴を見上げながら呟く。
ムササビに連れ去られた彼は森の真上でついに重みに耐えられなくなったムササビに捨てられ、真っ逆様に緑の葉が生い茂る木の枝をクッション代わりに地面に戻ってきた。見上げた穴はその時に出来た緑の中の空間。
体のあちこちがすり切れ、服にはいっぱい葉っぱや細かい枝が付いている。偶然落ちたところが藪の上だったから良かったものの、これが何もない地面だったらと考えるとぞっとする。
ともかくこのあまりに情けない体勢を何とかしたい。がさがさと藪を揺らして脱出を試みるうちに、近づいてくる足音に気付いた。
「……あれ?マイクロトフさん……?」
側の木の幹に手を置いて不思議そうに首を傾げているのは……ラストエデン軍リーダーのセレン、その人だった。
「何を……してるの?」
「私にもよく分かりません」
いきなりムササビにさらわれてこんな所に落とされた、などとどうして言えようか。恥ずかしいだけではないか。
「手伝うよ」
「いえ、それには及びません」
ズポッと藪から体を抜いて、パンパンと体の各所を叩き服に付いた葉を落とす。彼が沈んでいた藪は可哀相にもぐしゃぐしゃに潰れてしまっていた。
「あ、待って」
これで全部の葉っぱや枝は落ちたはずだと体を回して確認したマイクロトフに、セレンが慌てて声をかけて彼の腕を引っ張った。
「ちょっと屈んでくれるかな?」
背の高いマイクロトフの頭に手を伸ばし、セレンが一枚の緑の葉を掴む。
「ついてたよ」
ちょっと触った感じでは分かりにくい小さな葉だったのでマイクロトフも見落としていたのだ。
「ありがとうございます」
くるくるとマイクロトフから取った葉を指先でつまんで回すセレンに、マイクロトフが礼を言う。
「どういたしまして。怪我、大丈夫?」
あちこちに出来ている擦り傷を気にしてセレンは彼に尋ねた。紋章の力があればすぐにこれくらいだったら治して上げられる。そう言ったセレンに彼は微笑みを浮かべた。
「では、お願いできますか」
ほんわかとした空気をまとっているセレンにトゲトゲした雰囲気のままでいられる人間は少ない。それは、マイクロトフとて例外ではなかったのだった。