小休止

 その影は、歩いているこちらに気付くと途端に脇道に逸れ、姿を隠してしまった。けれど気配は遠ざかっていく様子がないので、恐らく自分が気付かなかった事を期待して隠れただけなのだろう。隠れ場所は、そう、あの緑生い茂る巨木の枝の間か。
 仕方のない子ね、と肩を竦めてカスミは小さく吐息を吐いた。そして彼が期待しているとおりに、この場を無言で立ち去ろうとした彼女だったが向こうから、息ひとつ乱すことなく走ってくる大柄の人物に目が留まって足を止めないわけには行かなくなってしまった。
 ちょうど、彼が隠れたはずの巨木の傍らで立ち止まる。向こうもカスミに気付いたらしく歩調を緩めて止まった。
 顎を覆う髭。鍛え上げられ引き締まった肉体は彼の年齢を想像させない、熟練の技術を持つ、里でも有数の実力者として輝かしい戦歴を保持している人物。
「モンド、どうかして?」
 なるべく穏やかに、何があったのか無知を装ってカスミは問いかけた。
 だが実際は分かっている、彼がこんな風にして城内を駆け回る理由はひとつしかない。あのまだ年若い、けれど将来を嘱望されている少年の事だ。
「どうにもこうにも。カスミ殿、サスケの奴を見かけませんでしたか」
 額に薄く浮かんでいた汗を拭い、モンドは一呼吸でカスミに問い返す。彼はまだ、自分たちを見下ろせる位置にいる若者に気付いていないようだった。
 向こうも必死だろう、気配を気取られないように懸命に息を殺し、髪の毛の一筋でさえ動かさない心づもりでやり過ごさねばおそらく、モンドから逃れる事など出来ないのだから。
「サスケがどうかして?」
「あ奴、またしても修行をサボりおって」
「ああ、それで……」
 カスミに言うよりは、むしろ自分への独り言のように呟いたモンドの言葉に彼女は小さく頷いた。そしてやはりモンドに気取られないようにしてちらり、と自分たちの上に木陰を提供してくれている巨木を盗み見る。
「けど、サスケだってまだ遊びたい盛りでしょうし。無理強いしても逆効果にしかならないと思うわ」
「ですが……カスミ殿は甘すぎます。奴にはこれからどんどん仕事をこなして強くなって貰わねば」
 その為に、一人前として認められていない少年忍者である彼を里から出したのだ。多く見聞を広めさせ、的確な状況判断が出来るように。そして偏見に捕らわれず確固たる意志を持ち任務に忠実である事を求められている。
 矛盾している、自分の考えを持っていながら、それに反する任務であっても任務である限りは必ず成し遂げなければならない、という。
 少年が抱えるには大きすぎる、矛盾。けれど知っておかなければいつか、この先今よりも苦しい立場に置かれたとき身動きが出来なくなってしまうだろう。なにをまず持って最優先させるのか……それが分からない限り、戦場では生き残れない。
「……サスケは強い子よ」
 首に巻いたマフラーを弄りながら言う。モンドが怪訝な顔をして彼女を見下ろした。
「それに、トラン解放軍に居たときの私も時々、サスケみたいに城を抜け出してあちこちを見て回ったりしていたわ」
 クスクスと、思い出しながらカスミは笑う。困ったようにモンドは顔を顰めたが特に叱りはしなかった。
「だからね、モンド。悪い事じゃないと思うの、偶には見逃してあげて?」
 最後に木立を見上げて彼女は言った。つられてモンドがそちらに視線を向けようとしたが、彼女が何を見て笑っているのかを察するとやれやれ、と諦めた調子で首を振る。
「お甘い……」
「でも、偶に、よ?」
「承知しております。明日は今日の分も含めみっちりと、朝から晩までメニューを用意いたしましょう」
「頼もしいわね」
 うげぇ、と居ないはずの誰かさんの呻き声が聞こえた。カスミはまだ笑っている、モンドも胸の前で腕を組み豪快に笑った。