気息

 ただ怖いだけの人、から認識が少し改まったのは、黒曜ランドでの一件が起きた後だった。
 彼は強くて、頼もしくて、最高に格好良かった。貪欲なくらいに勝利に餓えて、負ける自分を許さない。意識を失っても尚闘い続ける姿に、諦めないという事の重要性を痛感させられた。
 敵に回すと恐ろしい限りだけれど、味方にしてこれ程心強い人はいない。
 あの人がいれば、きっと大丈夫。絶対になんとかなる。自分たちは負けない。そう思えるようになったのは、ヴァリアーによって苦しめられていた時だった。
 そうして、どうやら自分の人生には、彼という存在が非常に深い部分で関わっていくのだと知ってしまった。
 十年バズーカで飛ばされた未来の世界でそのことに気付いてしまってからは、彼が気になって、気になって、どうしようもなかった。
 何故十年後の自分は、彼に秘密を伝えたのか。計画の共犯者に選んだのか。頼りになる仲間は他にも大勢いて、なにもあの人ひとりだけに知らせていかなくても良かったのに。
 大騒ぎにしたくなかったのだろうか。他所に計画が漏れるのを恐れたのか。
 それにしたって、何故将来的には自称を取り去り、本当に右腕的存在になっていた獄寺を差し置いて、あの人に。
 いつも、いつだって、綱吉の危機にあわせたかのように姿を現す。居て欲しいと思う時に、やって来る。
 後から思い返せば、狙っているとしか思えない。笑いたくなるくらいに、彼は綱吉の窮地に敏感だ。
 群れるのを嫌がって、単独行動を好み、弱い草食動物など眼中にないといわんばかりの態度が常なのに、おかしい。向こうも気にしてくれているのだと思うと、嬉しくて胸がほっこり温かくなった。
 そう。自分は嬉しいのだ。
 十年後の未来、一番遠いところに居るように感じていた人が、思いがけず最も近い場所に居てくれた。その意外性に驚かされると同時に、ザンザス達との争いの最中で感じた、深い安堵の意味が理解出来た。
 どうやら沢田綱吉は、彼を――雲雀恭弥を、本人が思っていた以上に信頼していたらしい。
 しかもその信頼が、ただの友情から産まれたものでないのも、遅まきながら自覚してしまった。
 見てて、と言われた。
 示された背中はとても広くて、頼もしくて。
 人を圧倒させるに充分な、その強さ。その信念。
 本当に彼は、笑ってしまうくらいに良いタイミングで現れる。
 だから今度は、自分が彼に示したいと思った。忘れかけていた誇りの意味、思い出させてくれた彼への精一杯の感謝の気持ちを込めて。
 譲れないものを守る為に、自分が出来る最大の力を振り絞るところを、彼に見せてあげたかった。
 巧く出来ただろうか。
 この思いは、届いただろうか。
 ヴェンディチェが去り、何もかも吹っ飛ばされた荒野に解放された皆が静かに佇む。監獄の番人が残した不気味な空気も、海から吹く少し湿った風に流されて、拡散して消えていった。
 疲労感はたっぷりあった。だがそれ以上に、ようやく終わったのだという心地よい充実感が胸に満ちていた。
 長い時間のうちに蓄積した恨み、つらみといったものが取り払われて、ボンゴレとシモンの間に横たわっていた深い亀裂も塞がった。清涼な流れを取り戻した川はきらきらと陽光を反射して、眩いばかりに輝いていた。
 デイモンに身体を奪われ、綱吉の拳でボコボコにされた六道骸と、全身の骨が木っ端微塵状態の了平以外は、どうにか自力で立ち上がれる程度には回復していた。
 炎真と再び笑い合える。仲良くできる。
 これ程嬉しいことはなくて、綱吉はだらしなく笑い、山本に指摘されて照れ臭そうに頬を掻いた。
 恨みあう必要などなかった。
 心地よい風に身を任せて、彼は首を竦めた。
 そうしてふと、大切な事を思い出して後ろを振り返った。
 群れを嫌うあの人は、こんな時でも仲間から離れた場所にひとりで立っていた。ぽつん、という効果音が似合いそうなくらいに棒立ちで、不機嫌そうにしている。
 だが目があった。それなりの距離があったにも関わらず、だ。
 となれば綱吉が振り向く前から、彼は自分の事を見ていたのか。
「ヒバリさん!」
 思わず大声を張り上げてしまった。右手を高く掲げた彼に、周囲に居た面々が一様に驚いた顔をする。呼びかけられた雲雀もまた、一瞬ぎょっとした態度を見せた。
 だが綱吉は構わず、嬉しげに声を弾ませ、もう一度雲雀の名を呼んだ。
 礼を言わなければいけない。彼がヘリコプターで駆けつけてくれなければ、綱吉は今、こうやって笑えなかった。
 命の恩人だ。綱吉にとっても、そしてこの場にいる全員にとっても。
 興奮に頬が赤らみ、興奮に胸が爆発しそうだった。今すぐ走り寄って、飛びつきたい。これまでの積もり積もった分も含めて、感謝の想いを伝えたかった。
 飛び跳ねた彼に、雲雀は複雑な顔をした。むすっと口を尖らせたかと思うと、やおら右脚を前に繰り出した。歩き出す。一定のリズムで地面を踏みしめて、一直線に綱吉の元へと。
 居合わせた全員が息を飲んで彼の行動を見守っていた。雲雀の言動は先が読めない。まさか綱吉に危害を加えるつもりかと、獄寺などは特に警戒を隠そうとしなかった。
 庇おうとする銀髪の青年を押し退けて、綱吉も一歩、前に出た。
 クレーターの一番深い部分で立ち止まり、向かい合う。周囲が固唾を飲んでふたりを見つめる。
 頬を緩めた綱吉をじいっと見下ろして、雲雀はやおら手を伸ばした。
 そして。
「ふぎっ」
 綱吉の柔らかい頬を掴んで、いきなり引っ張った。
 変なところから声が出て、綱吉は慌てて雲雀の手を叩いた。だが離れて行かない。逆に益々強く、外向きに引っ張られて、むにむにともみくちゃに揉みしだかれた。
 人の顔を餅かなにかと勘違いしているのか、指を解いたかと思えば今度は掌で押し潰して、その状態でぐりぐり回したりもする。
「いひゃ、いひゃい。ひふぁりしゃ、ひひゃひれふ」
 抗議の声をあげるがまるで聞いてもらえない。止めさせようと手を掴むけれど、体力が底を尽いているのだ、敵うわけがない。なにより、鉄面皮の無表情のまま弄られるのは、正直言えば怖かった。
 雲雀が何を考えているのか、さっぱり分からない。見守っていた面々も、予想をはるかに超えた現実に唖然とし、仲裁に入るのをすっかり忘れていた。
 獄寺までもがぽかんと口を間抜けに開き、呆気に取られて立ち尽くしていた。
「じゅ、十代目」
 そうやって弄り回されている彼を見て、あろう事か可愛い、などという感想さえ抱いてしまう。自分だってやった事が無いのに、と悔しく思ったのは山本だ。
「あいつら、……どういう仲なのだ?」
 アーデルハイドが不思議そうに呟いて、炎真が困ったように肩を竦めた。
 綱吉がバンバンと雲雀の腕を叩く。相変わらず好き勝手続けていた青年は、琥珀の瞳が恥ずかしそうに赤らみ、潤むのを見て、やっと満足したのか指の力を緩めた。
 半歩下がり、離れる。慣性の法則ではないがつんのめった綱吉が、たたらを踏んで雲雀の方へ倒れそうになった。
 その肩を押し返して、
「うん」
 彼はひとつ、頷いた。
 すっかり赤くなった頬が、ヒリヒリして痛い。熱を持っている肌を両手で包んで優しく撫でた綱吉に背を向けて、雲雀は唐突に歩き出した。
 どこからかヘリの音がする。草壁が迎えに来たのだろうか。
「なんなのだ……?」
 訳が分からないと首を傾げる了平の傍らで、
「クハハハ!」
 不意に骸が笑い出した。看病の為にしゃがみ込んでいたクロームが吃驚した顔をして、心配そうに主人たる男を覗き込んだ。
 響き渡る笑い声に、綱吉も、立ち去ろうとしていた雲雀もが何事かと振り返った。
「いやいや、君がそんな調子では、綱吉君も苦労しますね」
「五月蝿い」
 知った顔で言い放った男の腹に、駆け足で戻って来た雲雀は思い切り蹴りを入れた。

2011/08/27 脱稿