鳥雲

 キーキーと、甲高い鳴き声が聞こえた。
「うわっ」
 ぼうっとしていた綱吉は横から突然飛び出して来た獣に驚き、悲鳴をあげてたたらを踏んだ。片足立ちで後ろに飛び跳ねて、翼を広げて飛び去った鳥を追いかけて首を右へと巡らせる。
 だが緑に覆われた世界は視界が悪く、行く末は追えなかった。
 足元は固い煉瓦で覆われているものの、最近は手入れされていないのか、落ち葉がそこかしこに山積していた。
 こげ茶色の大地に挟まれた遊歩道は右に、左に曲がりくねって、最果てが見えない。何処まで続くのかと興味本位で立ち入ったのが間違いで、別れ道があったわけでもないのに、迷子になった気分にさせられた。
「参ったな」
 そろそろ戻った方が良いとは思いつつも、根っからの好奇心は消えてくれない。上を向けば緑の隙間からキラキラ輝くガラスの天井が見えて、その先には眩いばかりの青空が広がっていた。
 フレームは鉄製で、とてもごつごつしている。だが間に張り巡らされたガラスはとても繊細で、陽光を一心に集めて地表を照らしていた。
 男と女が手を取り合い、この広い温室を抱き締めている。そんなイメージが、綱吉の脳裏を過ぎった。
 最早植物園と言っても良い。道楽でここまで大規模なものを作りあげる人がいるのかと思うと、少し頭が痛んだ。
「うちじゃ、無理だよなあ」
 節制、節約を心がけているボンゴレには、こういう娯楽的な建造物を抱え込む余裕がない。いや、一応あるにはある。ただ、顔を合わせる度に喧嘩を開始して、床や壁や天井や、果ては建物自体を崩壊の危機に陥れてくれる面々がいるお陰で、補修費にばかり予算が振り分けられてしまっているだけで。
 その辺りは、いくら綱吉が訴えかけたところで、なかなか改善されそうにない。
「なんであんなに、仲が悪いんだろう」
 原因の一端が自分にある自覚もないまま呟き、彼は蜂蜜色の髪の毛をクシャリと掻き回した。
 招かれて訪れた、とある城。ボンゴレと長く同盟関係にある組織の長は、九代目を髣髴とさせる穏やかな眼差しでもって、綱吉を迎えてくれた。
 自分の家だと思って寛いでくれ、と言われはしたが、そうもいかない。ただでさえ彼は、東洋の島国の、小さな一軒屋出身なのだ。豪奢に飾られた部屋も、ふかふかの巨大ベッドも、未だ慣れない。
 夜の晩餐会まで、まだ時間があった。
 通された部屋に引き篭もっていても良かったのだが、一緒に城の門を潜った人の姿が、もうずっと見えない。そうして探しに出るついでに一寸だけ散策のつもりで迷い込んだのが、この温室だった。
 存在自体はとても目立った。九代目も、立派なので一度見ておくといいと、見送り時に言っていた。
 恐らくはこれがそうなのだろうけれど、と感嘆の息を漏らし、綱吉は周囲をぐるりと見回した。
 確かに素晴らしかった。日本に居た頃に一度だけ、中学校の授業の一環であったと思うが、植物園に出向いた事がある。その際に見て回った温室と比べても、なんら遜色が無い。
 鳥の声が響く。姦しい声は、歌っているようでもあった。
「よいしょ、と」
 敷地の中に設けられた水路には、丸太の橋が架けられていた。表面には藻なのか苔なのか、濃緑の植物がびっしりと張り付いていた。
 滑りやすいので注意して飛び降りて、綱吉は顎を伝った汗を拭った。
 流石は温室、暑い。
「ふぅ」
 大きく息を吸って吐いて、諦めて上着を脱ぐ。ベージュ色の背広を半分に畳んで左腕に引っ掛けた彼は、ついでだからと濃紺のネクタイも引っ張って緩めた。
 襟元を広げて空気の通り道を作ってやれば、体内に蔓延っていた熱は一斉に外に逃げていった。
「ふぅ」
 人心地ついた顔をして額を拭い、手を団扇にしてパタパタと顔を扇ぐ。その最中で左右に視線を流してみるものの、見えるものといえば名前も分からない植物ばかりだ。
 羊歯植物の間から、南洋出身と思しき樹木がのっそり顔を出す。四方に伸びる枝の影で動くものがあり、なにかと思って覗き込めば、気配に驚いた栗鼠が急ぎ足で逃げていった。
 真ん丸い尻尾が木立の間に消える。カサカサ言う音は他にも聞こえたので、園内には栗鼠以外にも多数の生き物が生息しているのだろう。
「すごいなー」
 改めて呟いて、天頂部を仰ぐ。緑の切れ目からぱさぱさという羽音が落ちてきて、彼は目を瞬いた。
 翼を広げた鳥のシルエットには、見覚えがあった。
「ヒバード」
 いつもあの人の肩に停まっている、黄色い鳥だ。
 横に長い嘴と、ずんぐりむっくりしたシルエットは、他に類を見ない。図鑑にも載っていない不思議な鳥は、世界中どこを探してもあの一羽だけだ。
 綱吉はジャケットを大事に抱え込むと、石畳の道を走り出した。見失わないよう注意するものの、視界は直ぐに樹木に遮られてしまう。それでも上ばかり注意して見ていたら、
「だわ!」
 見事に転がっていた煉瓦に足を取られた。
 抱き締めていたものを前方に投げ出して、もんどりうって倒れこむ。もう二十歳も過ぎたというのに派手に転んだ彼は、誰も見ていないに関わらずひとり顔を赤くした。
 ぶつけた顎を撫でて、ヒリヒリするのを堪えて起き上がる。三メートルばかり先で翼を広げている上着を見つけ、よろめきつつ立つ。
 膝も打ったが、ここでズボンを下ろして確認するわけにもいかない。他に誰もいないからといって、いきなりストリップショーを始められるほど、綱吉は恥知らずではなかった。
 痛む場所をサッと撫でる程度に留め、拾った上着を叩いて汚れを落とす。その上でもう一度天を仰ぐが、小鳥の姿はもうどこにも見えなかった。
「どこに行っちゃったんだろ」
 あの鳥が此処にいるならば、行方知れずとなっている人物も温室のどこかにいる。
 当てずっぽうで訪ねてみたのだが、超直感はきちんと働いていたらしい。一本道の遊歩道の行く果てを想像して、彼はぶるりと身を震わせた。
 少しだけ興奮した眼を前に向け、痛みも忘れて歩き出す。ともすれば駆け足になろうとするのを堪えて進めば、鳥の囀りが五月蝿いくらいに聞こえ始めた。
 チチチ、ピピピ、と多種多様な声がする。
 そういえばあの人の苗字も、鳥の名前だ。
 そんな事を考えて、目を凝らした矢先だ。
 人影が見えた。思わず足を速め、叫ぶ。
「ヒバリさ――っ!」
 瞬間、視界が唐突に翳った。
 ぶわっと空気が膨らんで、すぐ傍を駆け抜けて行く。咄嗟に両手で顔を庇い、腕と腕の隙間から恐る恐る窺い見れば、沢山の鳥の羽がひらひらと、頭の上に降って来た。
 後ろを見れば羽の持ち主が、方々に散っていくのが見えた。
「うるさいね」
 そこは温室の、ほぼ中心に当たる場所だった。
 直径にして五メートルほどの空間が円形に広がって、休憩用のベンチがふたつ置かれていた。白いテーブルとお揃いだが、クッションもないので座り心地は固そうだ。
 そのテーブルに寄りかかるようにして、黒髪の青年が立っていた。
 遠くから飛んできた手厳しいひと言に首を竦め、綱吉は恨みがましい目を投げ返した。
 いったい何をしていたのか、雲雀の右腕は不自然に前に真っ直ぐ伸ばされていた。左手は円形のテーブルを掴み、斜め後ろに傾いでいる身体を支えていた。
 広場の入り口で立ち止まっている綱吉を一瞥して、雲雀は依然伸ばしたままの腕を上下に揺らした。口を窄め、ひゅぅ、と口笛にも似た音を響かせる。
「……ん?」
 と、何処からともなく羽音がした。
 綱吉の乱入に驚き、雲隠れしていた鳥達だ。何羽かは遠慮して遠くへ行ってしまったが、何羽かは名残惜しいのか彼の元へ舞い戻る。
 雲雀はそのうちの一羽を右手に招き、羽色も鮮やかな鳥が翼を畳むにあわせ、肘を曲げた。
 あの真ん丸い、ともすればぬいぐるみと勘違いしてしまいそうなフォルムの小鳥も、真っ白いテーブルの上で羽根を休めた。
 様々な鳴き声が、五月蝿く、雲雀を包み込む。だが彼は心持ち嬉しそうに、楽しそうにしていた。
「ほえ……」
 綱吉はまるで映画のワンシーンかのような光景を、唖然と見詰めた。
 遠慮がちに足を前に繰り出すと、何羽かが警戒するように彼に丸い眼を向けた。睨まれてビクッとして、思わず凍り付いてしまう。鳥類相手に固まっている彼に、雲雀は目を細めた。
「噛まないよ」
「って、いうか」
 猛獣が相手でもなしに、何をしているのかと笑う。
 だが鳥達の目は、綱吉に明らかに敵意を向けていた。ランデブーを邪魔するなと言わんばかりで、かなり恐い。
 自分はお呼びでないらしい。そんな事を考えて、彼は苦笑した。
「おいで」
「あう……」
 一方の雲雀はそんな風に微塵も感じていないようで、左手を振って綱吉を手招いた。
 どこまでも我が道を行く彼に肩を落とし、渋々足を前に運ぶ。鳥達の鋭い眼差しが突き刺さる中、斜めを向いているベンチの背凭れに抱えていた上着を預ける。
 もれなく一羽寄って来て、遠慮もなしにジャケットの上に足を下ろした。
「ちょっ!」
 まだ二度しか袖を通していない、ほぼ新品同然のものなのに、なんたることだろう。ホカホカと温かい湯気を立てられて、綱吉は絶句し、頭を抱え込んだ。
 遠目にも何が起きたのか見えて、雲雀は呵々と喉を鳴らし、肩を揺らした。
「嫌われてるね」
「誰の所為、だと」
 針の筵に座らされているようなものだ。いつ無数の嘴で突っつかれるか、恐ろしくてならない。
 勝ち誇った顔をして飛び去って行った鳥にも、怒る気になれない。今夜の晩餐会で何を着れば良いのかと悩み、綱吉は憎々しげに元凶たる人物を睨んだ。
「ヒバリさんは、随分と好かれてますね」
「そう?」
「そうですよ」
 嫌味を込めて言うが、首を傾げられてしまった。
 他所の家の鳥が、無条件に甘えて擦り寄ってきているのだから、彼には鳥類に好かれる何かがあるのか。いや、彼の場合は、好かれる対象はなにも鳥類に限らない。
 ロールや、ナッツや、瓜。次郎に小次郎だって、雲雀がお気に入りだ。
 彼に牙を剥くのはムクロウくらい。もっとも、それだって骸が中に入っている時限定だ。
 膨れ面の綱吉を不思議そうに見詰めて、雲雀は右腕を振った。赤い羽根の鳥が優雅に翼を広げ、空へ舞い上がる。入れ替わりに黄色い小鳥がテーブルを離れ、指定席へ戻った。
 ぽすん、と黒髪の真ん中に着地した鳥に、綱吉はつい笑ってしまった。
「ピヨ」
 ひよこのように啼いて、威風堂々、胸を張る。彼が何かを言ったのか、他の鳥達もまた続々と羽根を広げた。
 広場が風に包まれた。吹き飛ばされそうになって、綱吉は湿った上着ごと椅子を掴んだ。
 薄茶色の髪の毛が、煽られてバサバサ言った。ただでさえあちこちに向かって跳ねているものが更に乱されて、なんとも酷い有様だった。
 濡れてしまった掌に苦虫を噛み潰したような顔を向けて、綱吉はすっかり静かになった広場で溜息をついた。
「もう……」
 今からクリーニングを依頼して、夜に間に合うだろうか。どうしたものかと迷っていたら、スッと影が落ちてきた。
「っ」
 避けきれず、咄嗟に身構える。ぶらつかせていた左手首を掴んだ雲雀が、綱吉が俯くより先にその無防備な額に触れた。
 前髪ごとくちづけて、離れる。髪の毛が緩衝材になって感触は遠く、何をされたのか、直ぐに理解出来なかった。
 なにか当たった、程度の認識しか持てず、やや呆然と雲雀を見詰める。ぼんやりした表情が不満だったのか、雲雀はやおら手を伸ばし、今し方触れた場所を思い切り弾いた。
「でっ!」
 首を真後ろに倒し、仰け反る。視界が百八十度逆を向いて、綱吉は慌てて腹に力を込めた。
 おっとっと、と数歩後退してどうにかバランスを取り、尻餅を回避して胸を撫で下ろす。噴出した冷たい汗を拭って息を整えて無体を働いた男を睨むが、雲雀は何処吹く風と相手にしてくれなかった。
 肩に移動した黄色い小鳥の喉を擽り、再び白いテーブルに寄りかかって偉そうに座る。
 玉座に収まる傲慢な王の図を思い浮かべて、綱吉は苦々しい面持ちで唇を噛んだ。
「ヒバリさんの所為で、酷い目に遭ってばっかだ」
 髪に引っかかっていた鳥の羽を払い落とし、上着以外に被害を受けているところがないかを簡単に確認する。頬を膨らませて呟いた愚痴が聞こえたのか、雲雀はスッと目を細め、口角を歪めた。
「獣は、敵意に敏感だよ」
「え?」
「彼らは嘘をつかないからね。だからこそ、嘘に敏感だ」
 意味深な言い回しをされて、綱吉は手を止めた。きょとんとして雲雀を見詰めるが、彼は意地悪く微笑むばかり。
 首を傾げていたら、声を出してまで笑われた。
「ヒバリさん!」
 彼にしては珍しい笑い方に、綱吉は声を荒げた。
 恥ずかしさに、顔が勝手に赤くなる。そうすると益々雲雀は肩を震わせて、腹を抱えこんだ。
「君はいったい、鳥達に、何への対抗心を燃やしたのかな」
「……!」
 目元を拭いながら言われて、綱吉はビクッと震え上がった。振り上げた拳もそのままに、じわじわ襲ってくる羞恥心に目を潤ませて、鼻を膨らませる。
 奥歯を強く噛み締めて悲鳴を堪えて、頬をヒクヒク痙攣させる。
 意地悪い目で見詰められて、彼は耐え切れずにバッと逸らした。反転して背中を向けて、心臓に悪い笑顔を意識から追い払う。
 ドドド、と脈打つ心臓を掴んで宥め、深呼吸を繰り返して温室の、濃密な酸素を胸いっぱいに吸い込む。
 その間、雲雀は黙って待ってくれた。チチチ、という鳥の囀りが遠くから聞こえて、落ち着いてみれば此処はとても穏やかで、優しい空気に満ちていた。
 綱吉を狙う猛禽の目も、もう無かった。
 獣は嘘を言わない。その意味が、少し分かった気がした。
「映し鏡だよ」
「……」
 見抜いたように雲雀が囁く。懐いている小鳥の頭を撫でて、温室の高い天井を仰ぐ。
 つられて同じものを見上げ、綱吉は居心地悪げに身を捩った。
 動物達は嘘をつかない。嘘をついて己の心を誤魔化すのは、人だけだ。
 広場に足を踏み入れた時、鳥と戯れる雲雀を目にした時。綱吉は真っ先に何を思ったか。感じたか。
 慣れない土地にひとり放り出された自分を置いて、こんなところでのうのうと過ごしている彼に対して、苛立ちめいたものを覚えた。その彼に無邪気にまとわりつき、可愛がられている獣達にも、軽い嫉妬を抱いた。
 平然としていたつもりでも、心の片隅に生まれた思いは、本人が意識している以上に外に溢れてしまっている。
 そういった感情を、鳥達は敏感に受け止めていた。
 敵愾心を向けられたから、警戒した。
 殺意めいたものを投げられたから、同じだけ返した。
 一対一では些細な悪意も、一対十になればどうだろう。巨大な塊となって押し寄せてきたのを思い出して、綱吉はぶるりと震え上がった。
 汗をかいていた分、体温が持っていかれたらしい。長袖の上から腕を撫でさすり、彼は小さく息を吐いた。
「ちぇ」
 不貞腐れた声を出し、頬を膨らませる。雲雀は面白がって、指を伸ばして凹ませようとした。
 素早く避けた綱吉だが、しつこく追いかけて来られて最後は折れた。やりたいようにさせてやって、今度は抓んで引っ張ろうとする手を払い落とす。
 だが雲雀は諦めず、五度目の挑戦でようやく捕まえた頬をむにー、と引っ張った。
「ふふ」
「ひにゃ……!」
「何を言っているのか分からないよ」
 人の顔を玩具にしている男に怒鳴り、上がダメなら下と、足を蹴ってやる。脛を攻撃された彼は右の膝を軽く曲げて、ようやく綱吉を解放した。
 ヒリヒリ熱を持つ頬を撫で、綱吉は憤然と肩を怒らせた。
「もう」
「機嫌直った?」
「悪くなりました!」
 こんなに酷い目に遭わされて、嬉しがる馬鹿が何処にいるのだろう。
 あまりにも見当違いな質問に罵声で返して背を向けて、綱吉は乾きつつある上着を手に取った。出来上がった染みは、言われなければ分からないような、そんな微妙な色合いだった。
 ただ背中のど真ん中なだけに、隠しようがない。誰かに指摘されて、周囲に知れ渡りでもしたら、末代までの恥だ。
 難しい顔をしている彼を見下ろし、雲雀は袖を捲った。腕時計を覗き込み、現在時刻を確認する。
 ちらりと前を盗み見れば、頬を真っ赤に染めた綱吉がぶつぶつと恨み言を呟いては、上着の染みを気にして頭をぐるぐる回していた。
 匣アニマルも、温室の鳥も、小動物も、可愛らしいに違いない。
 が、食べたい程に愛らしく思える存在は、ただひとつ。
「ねえ、小動物」
「俺は小さくないです」
「小さいよ。ね、デートしようか」
「だから小さ……――はい?」
 手元を見たまま反論した綱吉を笑い、雲雀が畳み掛ける。聞き流そうとした彼は一瞬後に黙り、素っ頓狂な声を上げた。
 握った上着を横に引っ張って、縫目をミシミシ言わせる。染みのみならず、穴まで空いたら大惨事としか言いようが無くて、彼は慌てて肩を竦め、小さくなった。
 真ん丸い目を大きく見開いて、口をあんぐりあけてパクパクさせる。滑稽極まりない表情に目を細め、雲雀はまだ日が高い空に顎をしゃくった。
 晩餐会の開始時間は、遅い。麓の村に行けば、染み抜きをしてくれるクリーニング屋くらいあるだろう。
「あー……」
「行く?」
「行く!」
 珍しく直接的な誘いに、綱吉は全身の毛を逆立てた。ぶるりと震え、歓喜に満ち溢れた声で元気良く叫ぶ。
 声に驚いた獣が、慌てたように逃げて行く。だが誰も綱吉に敵対心を向けたりしない。
 子供みたいに飛び跳ねた彼に肩を竦め、雲雀はふわふわの髪の毛に触れた。紛れ込んでいた鳥の羽を摘み取り、柔らかな毛先で鼻をくすぐる。
 悪戯を繰り出す雲雀を上目遣いに睨んで、綱吉は早く行こう、と彼の背中を押した。
「危ないよ」
「そもそも、ヒバリさんが勝手にいなくなったのが悪い」
「クリーニング代くらい出すから」
「それだけですか?」
 下膨れた顔をして拗ねる綱吉に苦笑して、雲雀は華奢な肩をそっと引き寄せた。
 ピ、と啼いた小鳥が飛び立った。栗鼠が木に登り、枝の影からふたりを見守る。高い天井に響く獣たちの声は、笑っているようだった。

2011/03/23 脱稿