復活祭

「まだ怒ってるの?」
 風に煽られた前髪が浮き上がるのを目で追いながら、雲雀は中に向かって問いかけた。
 窓枠に深く腰を下ろし、爪先は外に向いてゆらゆらと当て所なく揺れている。バランスを崩さないように右手で桟を掴んで姿勢を安定させてはいるが、座る幅が狭いのでそれなりに尻が痛かった。
 中に入れて欲しいのだけれど、と言外に訴えかけるが、反応はあまり芳しくなかった。
「当たり前です」
 部屋の奥、簡素なパイプベッドに陣取った綱吉が頬を膨らませ、むくれた声で言い返す。胸に抱いた枕を広げては押し潰し、瓢箪の形に凹ませて、さっきから少しもじっとしていない。
 頂に顎を置いて更に枕の形状をへんてこにして、背中を丸めて座ったまま後退していく。距離を取られて、雲雀は困ったように肩を竦めた。
「沢田綱吉」
「だって、ヒバリさん、酷いじゃないですか」
「なにが?」
「俺のこと騙すなんて」
 随分と聞き捨てなら無い事を吐き捨て、綱吉は口を尖らせて雲雀から視線を逸らした。ぷいっ、とそっぽを向かれてしまい、雲雀は苦笑を隠し、左手を口元に押し当てた。
 肩を軽く揺らして声を堪え、左足を引いて窓枠に置く。曲げた膝が胸に迫って、姿勢が少しだけ窮屈になった。
「騙してないよ」
「嘘だ」
「嘘も言ってない」
 濡れ衣だと無罪を主張するけれど、綱吉は頑なに信じようとしない。大きくかぶりを振られて、雲雀は盛大に嘆息した。
 そんな彼の態度が気に食わないのだろう、綱吉は座ったままベッドの上で飛び跳ねた。
「うそだ!」
 声高に叫び、目を吊り上げて怒りを露にする。しかし母親に似てしまった顔立ちは、元が元なだけにあまり迫力が出ず、少しも恐ろしいと感じられなかった。
 愛らしい彼がもっと可愛くなっただけだと思うが、言えば綱吉はきっと、もっと怒る。だから心の中で呟くに留め、雲雀は靴底が噛んでいた砂利を窓枠にこすり付けて落とした。
 靴を脱がぬまま室内に左足を滑らせ、空いた場所に、今度は右足を置く。中に入ってこようとしていると知って、綱吉は背筋を伸ばした。
「土足禁止!」
 立ち入り禁止だと言ったのに、雲雀はもう忘れている。彼が窓を叩いて顔を覗かせた時の事を思い出し、奥歯を噛み締めた綱吉は鼻を膨らませて必死に不法侵入者を威嚇した。
 しかし雲雀は何処吹く風と受け流し、両足を室内に向けて窓枠に座り直した。爪先は壁際を漂い、床には届いていない。
 不敵な笑みを浮かべた彼の足元を見詰め、綱吉はカーッと顔を真っ赤にした。
「屁理屈だ」
「でも、入ってないよ?」
 茶化されたと怒り狂う綱吉を宥め、雲雀はずれてしまった学生服を肩に戻した。緋色の腕章が風を受け、左袖と一緒にゆらゆらと宙を泳いでいる。
 その姿は、昨年度となにひとつ変わっていない。白いワイシャツに、黒のスラックス、靴は艶がかったローファーで、肩には厚地の学生服が。風紀委員所属を示す腕章も、存在を主張するかのように陽光を反射して輝いていた。
 黒の中でひと際目立つ臙脂色に顔を顰め、綱吉は枕を投げて壁にぶつけた。
 その程度で腹の虫が収まるわけがなく、彼はぎりぎりと奥歯を噛み締めて拳を作ると、今度はそれでベッドを殴った。敷かれている布団から盛大に埃が舞い上がり、まともに食らってしまって激しく咳き込む。
 何をやっているのかと呆れ半分に眺め、雲雀は狭い空間で膝を組んだ。
 室内に吊るされたハンモックは空で、そこを寝床にする赤ん坊の姿も無い。テレビは電源が入っておらず沈黙しており、室内は綱吉が暴れない限り静かだった。
 春の心地よい風と日差しに背中をなでられ、雲雀は出そうになった欠伸をかみ殺した。頬杖をついて綱吉が落ち着くのを待ち、薄笑いを浮かべて見守る体勢に入る。
 綱吉は涙目で鼻を啜ると、ベッドの反対側に落ちた枕を掴んで引き寄せ、両腕で押し潰した。
「いい加減、機嫌直しなよ」
「だったら、ちゃんと謝ってください」
 宥めようとする雲雀を突っぱね、限界まで頬を膨らませる。不機嫌を改めようとしない彼にほとほと呆れ果て、雲雀は肩を竦めた。
 勝手に勘違いをしたのは、綱吉の方だ。雲雀はそれに気付いていたけれど、敢えて言う必要も無いと黙っていた。どちらが悪いかと言われたら、雲雀の方が悪い気もするけれど、そもそも本人に確かめる算段を取らなかったのは綱吉の落ち度だ。
 被害妄想甚だしい綱吉の、赤く染まった頬に表情を和らげて、雲雀は目尻を下げた。
「僕は一度も、最上級生だって言ったことないよ」
 三月の卒業式にだって、彼は参加していない。その必要が無いからだ。もう一年、否、好きなだけ中学校に在席するのも可能。不遜に微笑んだ彼のひと言に、綱吉は金切り声を発して枕を引っ掻き回した。
 思い出すのは、始業式の日。クラス発表の結果は、一年生の頃とあまり代わり映えがしなかった。獄寺や山本、京子たちとまた机を並べて学ぶことが出来る。それは嬉しかったし、ひとり別のクラスに弾かれるかもしれないと不安だっただけに、安堵を覚えた。
 だが綱吉は、獄寺ほどはしゃぐ事が出来なかった。
 この学校にはもう雲雀が居ない。彼はこの三月で卒業してしまったから。その瞬間まで、そう信じて疑わなかった。
「でも普通、委員長なんかやってたら、最上学年だって思うじゃないですか!」
 ロンシャンに絡まれていた綱吉の前に、何食わぬ顔をして、雲雀が倒した不良を引きずって現れたのだ。顎が外れんばかりに驚いて、綱吉はそこが学校だというのも忘れて大声をあげていた。
 雲雀曰く、自分は自分の好きな学年だと。その非常識甚だしい返答に、納得できる方が可笑しい。
「この国で一番偉い人間が、この国の最高齢だとは限らないよね」
「うぐ」
 年齢など関係ないと揚げ足を取った雲雀に、綱吉は反論を封じられて唸った。引き裂かれる寸前だった枕を放り投げ、ベッドで弾ませて両手を膝に突き立てる。背中を丸めて小さくなった彼は、目尻に涙を浮かべて悔しげに唇を噛み締めた。
 確かに二月、三年生の下駄箱を探った時、そこに雲雀の名前はなかった。
 しかしだからと言って、彼が二年生だとは考えなかった。綱吉の知る限り、部活動のキャプテンはみんな最上級生で、委員会でもそれは同じだった。当時二年生が代表を勤めていたのは、三年生が所属していない部だけだ。
「もっと早く教えてくれればよかったのに」
「訊けばよかったのに」
 先入観で決め付けて、確認しなかったのは綱吉の責任だ。
 あんなにも切なくて、哀しくて、寂しくて、中学校に通う楽しみが激減してしまうと嘆いていた自分が、今思うと馬鹿らしくて仕方が無い。哀しむ必要など、最初からどこにもなかったのだ。
 また一年間、綱吉は雲雀と一緒に中学校に通える。実に喜ばしい事ではないか。
「教えてくれなかったのは、ヒバリさんじゃないですか」
「訊いてくれてたら、答えてたよ」
「気付いてたんなら、言ってくれたらよかったんだ」
 たら、れば、を繰り返して、綱吉は発狂寸前まで声を荒げた。その度に雲雀は嘆息交じりに言葉を返して、いつまでもウジウジしている彼に眉根を寄せた。
 エイプリル・フールの日の別れ際を振り返り、あの時下手に悪戯心を働かせなければ良かったかと若干後悔する。
 あんなにも雲雀を好きだと言っていた綱吉が、始業式の日からひと言も口を利いてくれなくなったのだ。
 痺れを切らして今日、日曜日に家に押しかけて、なんとか会話は繋がったものの、これではいつまで経っても埒が明かない。
 近付くなと牽制されて、入ってくるなと怒鳴られて。押し問答の連続で、話がちっとも前に進まなかった。
「いい加減にしなよ」
 雲雀も段々腹が立ってきて、語気が荒くなる。聞き分けの無い子供の相手を続けるのは時間の無駄で、勿体無かった。特に今は新年度が始まったばかりで、タダでさえルールを知らない馬鹿な学生が多く、風紀委員も忙しいというのに。
 綱吉ひとりにかまけてもいられなくて、雲雀は部屋の時計を盗み見て、苛立たしげに前髪を掻き毟った。
 彼から立ち上った怒気を敏感に受け止めて、綱吉の肩がピクリと動く。それまでの膨れ面が一瞬で掻き消えて、琥珀色の大きな瞳に初めて不安の彩が混じった。
 はっ、と息を飲んだ彼の姿を遠くに見て、雲雀は眉間の皺を深めた。
「ヒバリさん」
 心細げに名前を呼ばれて、それで彼も我に返った。
 目を見るだけで、綱吉が何を考えているのかが手に取るように分かった。
「……悪いけど」
 届かないと知りつつ、綱吉は手を伸ばして空を掻いた。しかし雲雀は彼の儚い期待を裏切り、静かに首を横に振った。
 委員会の活動時間が迫っている。そこに委員長が遅刻するようでは、下の者に示しがつかない。
 多くを語らず、短いひと言にありったけの思いを詰め込んだ雲雀を仰ぎ見て、綱吉は下唇に牙を立てた。横に広げた膝の間に両手を差し込んで、太腿で挟んで頭を垂れて、小さく丸くなる。
 落ち込んでいると分かる姿に、雲雀も険しい顔をした。
 私人としての雲雀が最優先にするのは綱吉だけれど、風紀委員長としての雲雀恭弥が優先させるべきは委員活動だ。並盛に跋扈する風紀違反者を徹底的に取り締まり、駆逐する。それが彼と、彼が率いる並盛中学校風紀委員会の存在意義に他ならない。
 町内の巡回も、重要な仕事のひとつだ。
「分かりました」
「沢田?」
「もういいです。ヒバリさんはさっさとお仕事戻ってください。どうぞ頑張ってきてください」
 ひとり嘆息し、逡巡して唇を舐める。前方から低い声が聞こえて、何かと思えば綱吉がゆっくり身体を起こした。
 投げやりに聞こえる荒っぽい台詞を吐かれて、雲雀は苦虫を噛み潰したような顔をした。口をヘの字に曲げて不満を露にするが、綱吉は取り合わない。つーん、と声にまで出して横を向き、視線を合わせようとしなかった。
 何をやらせても愛らしい彼だけれど、この態度はいけ好かない。生意気な行動に出た綱吉に怒りを増幅させ、溜息に混ぜて吐き出して一瞬で萎ませる。もう一度前髪を掻き回した彼は、揃えた踵で窓の真下の壁を蹴り、右足を先に引いた。
 入って来た時と逆の動きで窓枠を跨ぎ、腕章の通る袖を揺らす。ほんの少しだけれど彼が遠くなって、綱吉は慌てて振り向き、目を丸くした。
 泣きそうに歪められた双眸に、綱吉の本音が何処にあるのかを知る。淡い微笑みを浮かべた雲雀は、羽織っているだけの学生服を撫でて引き寄せ、ポケットに手を入れた。
 中身を取り出して左手に遊ばせ、綱吉にも見えるようにと前に差し出す。
 それは赤い、丸い物体だった。
「なに……」
「本当は先週なんだけどね。時間が取れなかったから」
 入学式やら始業式やらで慌しく、渡しに行くことすら出来なかったと詫びて宙に弾ませる。空中で受け止めて握った雲雀は、陽光を受けて眩しい物体に目を細め、綱吉に構えるよう促した。
 そこから投げるつもりらしい。運動神経など皆無に等しい綱吉は、慌ててベッドの上で居住まいを正して膝の上に両手を揃えた。
「いくよ」
「う、あっ」
 合図を貰っても、タイミングが遅れた。雲雀はちゃんと狙いを定めて投げてくれたのに、彼のフォームに惑わされて変に動いたばっかりに、赤い球体は両手のグローブから逸れて、左膝に落ちた。
 骨に当たって跳ね返り、シーツの波に遮られて止まる。大きさは片手ですっぽり包める程度で、完全な球形ではなく、若干縦に長かった。
「これ」
「君に。じゃあ」
 言うが早いか、雲雀は当惑している綱吉を置き去りに窓から飛び降りた。慌てて追いかけて外に身を乗り出すけれど、その頃にはもう、綱吉の見える範囲に彼の姿は無かった。
 前を見ても、左右を確認しても、姿かたちは見付からない。なんという早業かと、人間離れした脚力の彼に閉口し、綱吉は今し方渡されたばかりの物を手の中に広げた。
 触ってみて分かったが、赤いのは表面にその色のホイルが巻きつけられているからだった。
 家庭用のアルミホイルをもっと薄くしたような、赤い包装紙だ。
「卵みたい」
 中身がなんであるか、雲雀は教えてくれなかった。形状から連想して呟き、綱吉は物珍しげにそれを掲げた。
 ただ赤いだけではなく、細かい模様が入っている。試しに耳元で振ってみたが、音はしなかった。だが外見と重さがつり合わないので、恐らく中は空洞だ。
 鶏卵でももっと重い。これは軽いから違うと判断して、綱吉はお手玉するように赤いボールを宙に投げた。
 落とさないよう両手で受け止めて、もう一度ぽーん、と頭上高くに放る。天井にぶつかるぎりぎりのところで放物線を描き、それは無事に綱吉の手に収まった。
「へへ」
 なんであれ、雲雀が自分の為に用意してくれたのだ。そう考えるだけで心が躍り、胸が高鳴った。
 さっきまであんなにも不機嫌だったのが嘘のように、晴れ晴れとした顔をして、綱吉は両手に包んだ赤い卵を頬に押し当てた。幸せ気分で目を閉じ、さっきまで此処にいた青年を瞼の裏に蘇らせる。
「どした」
「ん~、ふふふ」
 気にかけて家まで来てくれたのが、今更ながら照れ臭くてこそばゆい。思い出し笑いを零してしまりの無い顔をしていたら、聞こえなかった呼びかけの返事を急かされ、弁慶の泣き所を蹴られた。
「いって!」
 吃驚仰天して仰け反り、腰から窓にぶつかっていった綱吉は悲鳴を上げた。
 危うく卵を外に落とすところで、どうにか確保に成功した彼はホッと息を吐き、冷や汗を拭った。振り返って下を見れば、いつ部屋に入って来たのか、リボーンが立っていた。
 黒い帽子に、黒いスーツ。黄色いおしゃぶりをぶら下げた黒目がちの赤ん坊は、慌てふためく綱吉ににんまり笑った後、彼が握っているものに気付いて顔を顰めた。
 廊下に続くドアは開けっ放しになっており、空気の通り道が出来たお陰で窓から涼しい風が流れ込んできた。
 襟足を擽られ、綱吉は膨らんだ髪の毛を押さえて舌打ちした。嫌な奴に見付かったと、露骨に感情を表情に出してリボーンを不機嫌にさせる。
「なんだ、それは」
「なんだっていいだろ」
 別に言ったところで問題はないのだろうけれど、有り難味が薄れてしまう気がして、綱吉は口を噤んだ。
 生意気に言い返した彼を睨むが、綱吉はイーッ、と歯を見せて抵抗した。卵を胸に抱え込んで、鮮やかな赤色に目を細める。
 ベッドに戻って縁に腰を下ろした彼は、面白くなさそうにしている赤子に早く出て行くよう威嚇し、卵を包んでいる包装紙の切れ目に爪を立てた。
「リボーン、いる?」
 ところが邪魔者は減るどころか、増えてしまった。ドアの隙間から顔を出したビアンキが、リボーンに呼びかけてから、綱吉にも切れ長の目を向けたのだ。
 緩いウェーブの掛かった長い髪を背中に垂らし、寒くないのか臍を出している。モデル並みのプロポーションをして、男を魅了する肉体美に溢れる彼女だけれど、思い人は何故かそこにいる赤ん坊だ。
 愛しい人を探して二階に登った彼女は、リボーンがなかなか出て来ないのに焦れて綱吉に断りなく部屋に踏み込み、黒服の赤ん坊をひょいっ、と抱きかかえた。
「あら、ツナ。それってイースター・エッグ?」
「なにって?」
 リボーンを支え易いように腕を動かして微調整を加えた彼女が、偶々視界に入った綱吉の手の物に目を留めて言った。
 これでやっと邪魔者がいなくなる。そう考えていた彼は、思いがけない彼女の言葉に怪訝にし、小首を傾げた。
 イースター・エッグ。その耳慣れない単語に、最初に彼が思い出したのは、海辺に居並ぶ巨大な石像だった。
「イースターは先週だぞ」
「そういえばそうね」
「でも、一週間遅れだって、ヒバ……」
 同じイースターと雖も、今ビアンキが話題にしているのは世界遺産に登録されている太平洋の島ではなく、キリスト教の復活祭の方だ。違うのではないかとリボーンが即座に声をあげ、綱吉は雲雀の言葉を思い出し、途中まで言って自分の口に蓋をした。
 誰に貰ったかまで、ふたりに教えてやる必要は無い。それにビアンキに知られたら、もれなく獄寺の耳にまで届いてしまいそうだ。
 彼は何かと他人に、特に綱吉と親しい人に牙を剥く傾向にあるので、事の次第を知れば対抗意識を燃やし、大量の卵を綱吉に渡しに来そうだ。
「エフン」
 わざとらしい咳払いをして誤魔化し、赤い包み紙に見入る。エッグ、の英単語が意味することくらいなら、馬鹿な綱吉でも流石に知っていた。
 復活祭の卵。雲雀が異国の風習に通じているとは思ってもみず、綱吉は物珍しげに赤い卵を掌に転がした。
「誰に貰ったの?」
「え? 誰だっていいじゃないか」
 興味津々に訊かれて、綱吉はつっけんどんに返した。あまり見るなと指を折って抱き込み、彼女達から卵を隠す。
「赤い卵なんて、意味深じゃない。ねえ、リボーン?」
 しかしビアンキは直ぐには諦めず、胸に抱いた赤子を揺らし、応援を要請した。
 意味ありげな彼女の言葉に、綱吉はドキリと胸を弾ませた。目を丸く見開いて、年上の女性を仰ぐ。向けられた視線にビアンキは婀娜に微笑んで、人差し指を頬に添えた。
 贈り主を教えなければ駄目だと態度で告げられて、綱吉は唇を噛んだ。
「いいよ、自分で調べるから」
「あらそう?」
「赤は血の象徴だぞ」
「リボーン」
 ムキになってそっぽを向いた綱吉に、ビアンキが残念そうに肩を落とす。しかし別のところから声が響いて、彼女は吃驚して胸元を覗き込んだ。
 彼女の豊満な胸に当たってずれた帽子の位置を直し、赤ん坊は綱吉を見下ろして言った。
「復活祭は、十字架に磔にされたキリストが、予言の通りに復活したのを祝うもんだ」
「あ、うん」
「卵はその復活を意味する。赤い卵ってのは、要するに死と再生って意味だ」
「ふぅん」
 いきなり講釈を述べられても、馴染みの無い綱吉にはいまいちピンと来ない。分かったような、分からなかったような顔をして首を捻る彼を見て、ビアンキは嘆息して肩を竦めた。
 どことなく呆れている彼女に気付かず、綱吉は神妙な顔をして卵を顔の前に掲げ、先ほど捲り損ねた包み紙の縁を抓んだ。引っ張れば、さほど強度がなかったそれは簡単に破れた。
「あちゃ」
 もっと丁寧に捲ればよかったと後悔して、残りは慎重に剥いで行く。出て来たのは卵、ではなく、プラスチックの白いケースだった。
 叩くと硬い。とてもではないが、食べられそうになかった。
「中身は?」
 包み紙を横に置き、何故かわくわくしているビアンキをちらりと見てから卵型の容器の表面をなぞる。縦長の楕円の中心部に、薄らとだが細い筋が走っていた。
 ずんぐりした胴体を一周している。切れ目だ。
「へえ……」
 こんな風になっているのかと、外見からは想像がつかなかった中身に感心して、綱吉は渋々、卵を膝に置いた。
 窄んでいる両サイドを掴み、力を込める。
 パカッ、と音を立て、それはさほど苦労もなくふたつに別れた。
「何かしら」
 身を乗り出したビアンキの、垂れ下がった髪の毛を払い除け、綱吉はベッドによじ登った。壁際まで後退して、膝に落ちた中身を持ち上げる。薄紅色の袋に包まれた中身は、兎だった。
 銀色の、ウサギの形をしたちっぽけな人形だった。
「イースター・バニー」
「なに、それ」
 大きさは、親指の爪の先ほど。振った時に音がしなかったのは、卵の中に緩衝材が紛れ込んでいたからだ。
 見た瞬間に口を開いたビアンキに怪訝な目を向け、金属製らしいウサギを摘み上げる。愛嬌たっぷりの顔立ちで、長い耳の片方が右に折れ曲がっていた。
 ウサギと来て、一瞬商店街入り口の店で見るガラスの置物が思い浮かんだ。小鳥と一緒に窓辺に佇んでいるガラス細工が、まるで自分たちのようだと思ったこともある。
 左の掌に銀のウサギを転がし、ちょっと出っ張っている鼻を小突く。耳の真ん中には、紐を通すのに使えそうな輪がついていた。
「チャームね、イースター・バニーの」
「だからそれ、何」
「イースター・エッグを運んでくるって奴だ」
「……分かるように説明してよ」
 自分ひとりだけ分からないのが悔しくて、綱吉は頬を膨らませて上目遣いにふたりを睨んだ。そうしたらビアンキが楽しげに顔を綻ばせ、リボーンの頭を撫でた。
 帽子がまたずれてしまって、これ以上動かないようにと、赤ん坊は鍔を掴んで顔を伏した。
「ツナ、恋人でも出来たの?」
「……え?」
 若干不機嫌になった赤ん坊を抱き締め、ビアンキが妖艶な笑みを浮かべて身を乗り出した。
 いきなり訊かれて返事が出来ず、間抜けな声が漏れてしまう。どうしてイースター・バニーから、そういう話題に移るのか。脈絡が全く読み解けなくて、綱吉は目を点にした。
 恋人。
 お互い相手を好きだと認識しあっているのだから、雲雀との関係は、つまるところ彼女の言う通りなのだが。
「っ!」
「あら、正解?」
 告白した一週間後には喧嘩をして険悪になったので、あまり深く考えていなかった。言われた途端意識してしまって、綱吉は三秒後に真っ赤になり、ボンッ、と頭から煙を噴いた。
 恥ずかしくて何も言えなくなった彼に目を細め、ビアンキはカラコロと楽しげに喉を鳴らした。
「じゃあ、頑張りなさいよ。ウサギは、多産の象徴だもの」
「た、たさ……多産?」
 イースターの日に卵を運んでくるウサギは、一度に沢山の子供を産む。いくらなんでも深読みしすぎだろうとリボーンは呆れたが、綱吉には彼女の言葉を受け流すだけの経験も、知識も無かった。
 真に受けて真っ赤になって、目をぐるぐる回して両手で顔を隠す。身体中が熱くてならなかった。
 綱吉にイースター・エッグを渡したのは雲雀だ。そして死と再生を司る赤色に包んだ卵の中身は、多産の象徴であるウサギのチャームだった。
 綱吉も雲雀も、性別は男だ。だから子供は産めない。産めないのだが。
「や、え、ええ? そんっ、う、うわぁ……」
 耳年増な年頃と言うのもあって、そういう方面の知識も、それなりに得ている。しかしそこに、自分と雲雀を当て嵌めて考えたことなど、一度もなかった。
 ビアンキの推理が正しいとは限らない。が、雲雀がもし本当にそういう含みを持たせてこれを持って来たのだとしたら、どうすればいいのか。彼が綱吉をそういう対象に見ていると判断してよいのだろうか。
 頭の中で色々なことが駆け巡り、なにひとつまとまらない。ついにショートして煙を吐いた綱吉を笑って、ビアンキはリボーンに窘められて舌を出した。
「それくらいにしとけ。んで、俺に用だったんじゃねーのか」
「あら、やだ。ねえ、リボーン。川原の桜が綺麗に咲いているみたいなの、一緒に見に行かない?」
 わざわざ綱吉の部屋まで尋ねて来た理由を今頃問い、話の矛先を変えたリボーンにビアンキが窓の外を指差した。川原はその方角ではないのだが、暗にふたりで出かけようという合図に、赤子はしばしの逡巡の末、頷いた。
 綱吉はまだ湯だった蛸のように全身赤く染めて、ベッドで撃沈していた。
 両手で顔を覆い隠し、ひたすら何かを堪えている。
 随分と初々しい反応に嘆息して、リボーンは世話の焼ける教え子に嘆息した。

2010/04/04 脱稿