くちなしの こはえもいはぬ 色なれど

FGO、カドック×男主人公。
R15くらいかな。

 ふっ、と瞼の裏に光を感じた。
 仰向けだった身体をごろりと転がし、気怠さを堪えて瞬きをする。おまけで欠伸を追加して、カドック・ゼムルプスは全身に意識を巡らせた。
 目覚めたばかりの神経に電流を流し、軽く伸びをして、纏ったブランケットから爪先を出す。真っ白いシーツに踵を擦りつけ、伸ばした腕で枕を叩いた。
「く、ん……う」
 深く息を吐いて、ぼやける視界を明るくする。輪郭をはっきりさせた世界は、文明の利器の力を借りて、充分過ぎる程に明るかった。
 眠りに就く前に、照明は消したはずだ。
 数時間前の記憶を呼び覚まして目を眇めた彼は、嗚呼、と吐息を零して傍らの空間を撫でた。
 そこにあるはずの存在が、消え去っていた。
「召集……いや、だったら僕が置いていかれるはずがないか」
 真っ先に思い浮かんだのは、非常事態が発生したのではないか、という懸念。
 それを瞬時に否定して、カドックは緩く頭を振った。
「おはよう」
 まるで見計らっていたかのように、軽やかな挨拶の声が飛んでくる。
 手元に貼り付いていた視線を浮かせて、彼は爽やかな笑顔を浮かべる青年に眉を顰めた。
「何か着ろ」
「ええー? いいじゃん。どうせ、誰も来ないよ」
「来るだろ。お前を大好きなサーヴァントが」
「オレの部屋になら、ね」
 ベッドサイドから少し離れた場所で、傷だらけの裸体を晒した藤丸立香が屈託なく笑う。
 羞恥の欠片も見せないで、実に堂々とした振る舞いだ。それを見せつけられる側の心理的ダメージを、全く考えていない。
 起き抜けから頭が痛くなる事態に歯軋りして、カドックはやむなく身体を起こした。
 こめかみに指を置いて二度ほど深呼吸し、鼻腔を擽る微かな臭いに舌打ちした。昨晩の情事の名残たるティッシュの塊が、ゴミ箱ではなく、寝台の端の方に転がっていたからだ。
 腹立たしいやら、情けないやらで、どうしようもない感情に表情が曇る。渋々端を抓んで拾い上げたそれを屑入れに落としたら、藤丸が楽しそうに声を立てて笑った。
 一連の流れの中で、どこに笑える要素があっただろう。
 剣呑な眼差しを投げかければ、あちらは肩を竦めて舌を出した。
「水、飲む?」
「飲む」
 追求したとしても躱されるだろうし、そもそも気安く言葉に出すのも憚られる内容だ。
 持て余し気味の性欲を、同意の上で処理しあっての副産物。それを放置した責任がどちらにあるかを論じても、空虚なだけだ。
 下半身は引き寄せたブランケットで隠し、カドックは乱れた銀髪を掻き上げた。
「はい」
 差し出されたグラスには、透き通った水が八分目まで注がれていた。
 サイドテーブルに置いていた柄付きの水差しは、空になっていた。差し引きして消えた分は、藤丸の胃の中に収まったのだろう。
 深夜の訪問者を想定していなかったので、準備してあったグラスはこのひとつだけ。
 持ち主の許可なく使った彼の図々しさに呆れながら、カドックは水滴が貼り付いたグラスを甘んじて受け取った。
「ありがとう」
 常識ある人間として、形ばかりの感謝を舌に転がす。
 藤丸はちょっと意外そうに目を丸くした後、瞬時に破顔一笑した。空になった両手をシーツに沈めて、這うようにベッドに乗り上げた。
 好奇心旺盛な子供の眼差しを投げられても、返しようがない。
 気の利いた言葉のひとつも出せない自分を口惜しく思いながら、カドックは幾分温くなった水を口に含んだ。
「んく」
 自覚はなかったが、身体は思ったよりも渇いていた。
 唇を湿らせる程度でいたのが、気がつけば喉を二度、三度と鳴らしていた。小ぶりのグラスを大きく傾け、三分の二ほどを一気に飲み干した。
「はあ」
 口内から溢れる手前でグラスを下ろし、肩で息を整える。
 零れた数滴を雑に拭って、残量を確かめるべく顔の前でグラスを揺らす。底の方で激しく波打つ水越しに、藤丸の顔が見えた。
「なんだよ」
 食い入るような眼差しが、なにかを訴えているかのようでもある。
「やらないぞ」
「なにも言ってないじゃん」
 残り僅かとなった貴重な飲み水を求められている気がして、先に釘を刺す。途端に藤丸は口を尖らせ、河豚のように頬を膨らませた。
 どうやら図星だったらしい。
 むすっと下唇を突き出した彼に、自然と笑いが漏れた。腹を抱えたい衝動に駆られたが、片手が水入りのグラスで埋まっているのもあり、それは堪えた。
 ここで零してしまったら、シーツからなにから交換しなければならず、面倒臭いことこの上ない。
 休めるうちは、ベッドの上でだらだらしたかった。たとえこの寛ぎの時間を共有する相手が、同性だとしても。
 思えばこんな筋肉質で、どこもかしこも傷跡だらけの男相手に、よくぞ発情できたものだ。
 己の趣味の悪さに若干呆れて、目の前の存在から意識が逸れた。
「スキあり!」
 藤丸への注意が薄れた瞬間、グラスを持つ手を奪われた。
 こちらがすべり落とさないよう、先制して上から押さえつけられた。指の背から甲に渡って他者の体温に覆われて、グラスの冷たさとの対比に背筋が粟立つ。
「バカ。やめろ」
 咄嗟に肘を引いて自己の支配下に取り戻そうとしたけれど、敵わない。せめてもの抵抗と語気を荒らげたものの、困難な旅路を越えてきた男には効果が無かった。
 魔術師としての知識や力量は上回っていても、荒事になると分が悪い。
 奥歯を噛み締めて指先に力を込めるが、藤丸はそれさえも自身の望む結果への足がかりにした。もう片方の手も上手に使って、縁が傾く方向を操作したのだ。
 歴戦の猛者が敵の攻撃を受け流し、カウンターを喰らわせるのにどこか似ている。
 うっかり感心しそうになったが、直後に待ち構えていた現実に、カドックは目を剥いた。
 藤丸が猫のように伸びをして、濡れたグラスに口を付けた。もはや水杯を支えるだけの存在と化したカドックは、彼がごくごくと、残り少ない水を飲む姿を見守るしかなかった。
 ぽかんと間抜けに口を開き、上下に動く喉仏に憎悪を募らせる。
「この……っ!」
「ぷは。ごちそうさま」
 彼が最後の一滴を飲み干すのと、カドックが吼えたのは、殆ど同時だった。
 暢気に言い放った藤丸から強引にグラスを奪うが、ひっくり返しても水滴すら落ちてこない。
 本当なら自分のものだったものが、目の前で掻き消えた。
 万が一に備え、部屋に置く水の量を増やしておくべきだったのか。否、そもそも藤丸が真夜中に忍び込んでこなければ、ひとり分で充分事足りた。
 誘われるままに、煽られるままに、情事に及んだのが間違いか。退廃的な肉体関係を甘んじて受け入れて、今日までずるずる来たことへの報いがこれか。
 人類史を取り戻す旅路の裏で、人目を憚り、事に及んで。自分達だってそれなりの欲を持つ人間なのだと言い訳して、一時の享楽に耽り、沈んで。
「カドック。あれ。……怒ってる?」
 歯を食い縛って震えていたら、藤丸が初めて不安を露わにした。日頃の脳天気さが嘘のように、怯えた子犬の双眸で、上目遣いに覗き込んでくる。
 そもそもどうやったら、あれで怒られないと思えるのか。
 汎人類史最後のマスター殿は、なにをやっても無罪放免か。
「ふざけるな、よ!」
 段々腹が立って、寝起きの頭の血管がぷつりと切れた。
 空のグラスをシーツに捨てて、意気消沈している藤丸の肩を突き飛ばした。屈強なサーヴァントらに鍛えられた男でも、気が抜けた状態でなら押し倒すのは容易かった。
 無防備な裸体を互いに曝け出して、惚けたまま大の字になった藤丸にのし掛かる。左腕をつっかえ棒に上体を支えて、行き場のない苛立ちをぶつける先を探し、赤みを帯びた素肌に目を走らせた。
 一度左に行き過ぎ、戻して。まず目に停まったのは、先ほどの暴挙の最中、憎々しげに見送るしかなかった箇所だった。
「え、と。あの、カドッ――」
 狼狽した藤丸の声も耳障りで、鬱陶しかった。
 彼を黙らせたい。振り回されたくない。従えたい。支配したい。
 独善的な感情が奥深くで渦巻いて、獣が如き衝動を抑えられなかった。
 牙を剥き、気がつけば、噛みついていた。
「う」
 急所である喉仏を喰らわれて、藤丸が反射的に仰け反り、逃げようと身悶える。
 それを力任せに踏みつけて制し、犬歯で柔い皮膚を抉った。
 正直に言えば、彼に牙を突き立てた瞬間、我に返っていた。歯茎に伝わる感触や、唇が触れた体温のリアルさに、冷水をぶちまけられた気分だった。
 しかし勢いは止められず、踏み止まるには遅すぎた。
 ガリッと来る感触を互いの間に残し、顔を上げた。一時の感情に支配されたのを悔やみ、反省と悔恨を持って藤丸に向き直った。
「悪い」
 しかし目と目が合う直前に謝罪の言葉を述べたのは、早計だったようだ。
「……おい」
 視界に飛び込んできたのは、頬を上気させ、興奮に瞳を蕩かせた情人の容貌だった。
 狼藉を働かれたというのにどこか嬉しそうで、期待を込めた眼差しが投げ返されていた。思わず呆れた声を漏らせば、藤丸は組み敷かれたまましどけなく笑った。
「ほんとは、キスを期待してたんだけど。まあ、これはこれで」
 頬を緩めた彼が、なにを言っているのかが分からない。
 当惑していたら、藤丸が瞳だけを脇に流す。つられて目をやった先には、ひっくり返った空のグラスが。
 即座に視線を戻したカドックに、藤丸がちろりと舌を覗かせた。
 要するに彼は、カドックが奪い取られた水を取り返すべく、唇に齧り付いてくるのを想定していたのだ。
 あわよくば夜更けの続きを目論んで、あんな真似をしでかした、と。
「今のところ、外じゃなんにも起きないみたいだし。どう?」
 悪びれもせず言って、彼が起こした膝で人の内股を擽る。
 際どい場所すれすれで退く動きは、カドックの推測が正しかったと言外に伝えていた。
 扇情的で、蠱惑的な提案を受けて、開いた口がふさがらない。
「……」
「カドック?」
 返事もせずに押し黙るカドックに、藤丸が首を捻る。
 悪意など皆無の素振りに、堪忍袋の緒が切れた。
「泣かす!」
「はい? あ、いあ。ちょ、いきなりそこは、あ」
 腹の底から吼えて、昨晩散々熱を叩き付けた箇所に腰を打ち付ける。
 さすがの藤丸も予想していなかった事態に戦き、声を荒らげたが、聞き入れてなどやらない。
「待って。待って、カドック。急には、急にはムリ」
「うるさい。食い物の恨み、思い知れ」
「ごめんってー!」
 泣いて詫びたところで、もう遅い。
 乱暴に擦りつけ、押しつけ、掻き回す。一方的に蹂躙して、喰らい尽くす。
 目を泣き腫らした藤丸は、それから三日ほど、口を利いてくれなかった。

くちなしのこはえもいはぬ色なれど さてしもいかが山吹の花
風葉和歌集 120

2023/09/24 脱稿