お久しぶりの、ヒバツナです。
リハビリ。
日曜、午前十時二十分。
駅前はそれなりに混雑して、行き交う人で溢れていた。
買い物に向かう人、切符を買うのに悪戦苦闘している人、改札前で列車の到着時間を確認している人。そして待ち合わせの相手を探し、きょろきょろしている人。
携帯ゲームをしている人もいる。ベンチに腰を下ろし、イヤホンで音楽を聴きながら足でリズムを取っている人もいた。
時折冷たい風が吹くのか、場に居合わせた人の多くは首を竦め、寒さをやり過ごそうと身構えていた。
彼もまた、その中のひとりだった。
太めのマフラーは淡いオレンジ色で、首の後ろで結んで端を肩から背に向けて垂らしていた。薄雲の隙間から差す光を受けて、飴色の毛先は微かに輝いていた。
日本人にしては色素が薄めなのは、遠い先祖が異国の出身者だからと、そう聞いている。もっとも当人は最近になるまで、その事実を全く知らなかったようだけれど。
顔立ちは幼く、どことなく少女じみている。なで肩で、骨格も細い。大きめの双眸は時折宙を彷徨い、なにかを探しているかのようだった。
ミトンタイプの手袋をして、背負ったリュックサックの肩紐は長め。小ぶりの臀部を覆い隠すように垂れたその鞄には、デフォルメされたライオンとハリネズミのキーホルダーが添えられていた。
薄めの唇がもにょもにょ動いて、なにかを呟いたようだ。
寒さの為か赤みを帯びた頬が空気を含んで丸くなり、すぐに凹んで元通りに戻る。胸の前で手袋のまま両手を重ね、数回指先を揉みほぐして、最後にはー、と吐息を浴びせかけた。
右の爪先で足元を蹴り、駅前に設置された時計を仰ぐ。猫背気味だったのを改めて、遠くを見ようと背伸びも辞さない。
ああ、探しているのだ。今日、共に出かける約束をした相手を。
その待ち人である己が、存外近い場所で含み笑いを零しているとは、まるで気付く気配がない。
もう少し勘が鋭い子だと思ったのだが、単に気が抜けているだけだろうか。
さっさと声を掛けてやろうか、可哀相だし。
けれどまだ約束の時間まで猶予があるから、このままこっそり観察を続けてみようか。
相反する感情が胸の中に渦巻き、衝突を繰り返した末に、後者が辛うじて勝った。雲雀恭弥は頬杖ついたまま口角を持ち上げ、反対の手で中身の減ったカップの縁をなぞった。
駅に面したカフェはガラス張りで、外を眺められるように木製のテーブルが横長に設置されていた。背高のスツールに背もたれはなく、隣の席では参考書を広げた女性がノート相手に格闘を繰り広げていた。
並盛中学校を我が物顔で支配している風紀委員長の存在に、店内の誰も気を向けない。
集団で訪れている客同士は賑やかだけれど、それ以外の相手には無関心。思いの外心地よい空間を一瞥して、雲雀は駅前で待つ少年に注意を戻した。
沢田綱吉は相変わらず駅の改札脇に佇み、落ち着きなさそうに身動いでいた。
近付く影があればぱっと顔を上げ、期待した相手でなかったと知って露骨にしょぼくれた態度を示す。
毛糸に包まれた手でたまに頭を押さえるのは、吹き荒ぶ寒風で髪型が崩れていないかを気にしてだろう。
「どうやったって無駄なのに」
重力を無視したあの髪型は、寝癖ではないらしい。どうやっても直らないのだと嘆いていたのを思い出し、雲雀は噴き出しそうになったのを堪えた。
その流れで腕に捲いた時計を見れば、三日前に取り交わした時間まで、あと五分を切っていた。
見たい映画があるのだという。
ただ並盛町には映画館がなくて、電車に乗って移動しなければならないのだとか。
同学年の、いつも群れている連中と行けばいいのではと水を向けたが、予定が合わなかったと曖昧に笑って濁された。それで仕方なく、ではないけれど、誘いに乗ることにした。
彼は実のところ他の誰にも声を掛けず、自分を真っ先に誘ったのではないかと疑ったのは、次の日の朝のこと。
こういうところは、自分も未だに愚鈍だ。
当人にとっては必死の誘い文句を、危うく無碍にするところだった。
「さあ。行こうか」
中途半端に残っていた冷たいコーヒーを飲み干し、紙製のカップをぐしゃりと握り潰す。長らく居場所を提供してくれたスツールに別れを告げ、店の出口付近に設置されたゴミ箱へと放り込む。
財布と携帯電話は、尻のポケットに。必要最低限の荷物だけを身に纏って自動ドアを潜り抜ければ、冬の空気が肌を刺した。
「うん。冷えてるね」
手袋は要らないが、マフラーくらいはしてきても良かった。
冬毛でモコモコになった小鳥の影を頭上に見付けて、雲雀は肩を竦めて目を細めた。
行き交う人の群れを避けて横断歩道を渡り、色の乏しい花壇の間を抜けて、駅舎の方へと。
幾分早足になっているのを自覚しつつ、咎めることはしない。
もう十分以上、あの子をこの寒空の下に立たせ続けていたという事実に、少ない良心が微かに疼いた。
彼はなかなかやって来ない待ち人に痺れを切らしたか、首元に巻いた分厚いマフラーに口元を埋めていた。
伏し目がちに、しょぼくれ気味に。
両手は臍の高さで固く結ばれ、ピクリともしていなかった。
凍てつく空気に触れて、彼自身も凍り付いてしまったかのようだった。
嗚呼、早く融かしてやらねば。
ふと湧き起こった意外な感情に、踏み出しかけた一歩が怯んだ。
己が知覚していたよりもずっと、もっと。あの小動物に対して抱く感情は、想定外に大きかったらしい。
予想していなかった事実が、唐突に目の前に降ってきた。
「は……」
引き結んでいた唇を紐解いて、ひとつ息を吐く。
下ろした靴底が地面を叩いたタイミングで、なにを気取ったのか、寂しげに突っ立っていた少年が顔を上げた。
背筋を伸ばし、斜め上を見て、それからゆっくりこちらを振り返った。
最初は首から上だけを。ワンテンポ遅れて、腰を捻って身体ごと向き直る。
まん丸い目をした彼に正面から迎えられて、雲雀は思わずたじろいだ。
「へ、へへ。えへへ」
表情の変化は一瞬だった。
照れ臭そうに。それでいながら、嬉しくて仕方がないといった雰囲気で微笑みかけられた。白い歯を見せ、赤く染まった鼻を右手で弾くように撫でて、沢田綱吉は跳ねるように駆けて来た。
動きに合わせ、あまり中身が入っていなさそうなリュックが左右に踊る。一緒になって、動物モチーフのキーホルダーが宙を舞った。
「おまたせ」
数歩の距離を一気に詰めた彼を受け入れて、駅前の大時計を盗み見れば、針が丁度十時半を指し示した。
電車の到着を知らせるアナウンスが遠く、響く。改札周辺も、少しだけ賑やかさが増した。
「寒かったんじゃないの」
「い、いえ。オレも、ついさっき、来たばっかりなんで。へっちゃら」
グレーのダッフルコートの裾を揺らし、小動物が下手な嘘でこちらを気遣おうとした。
もっとも、雲雀は約束した時間通りに来たのだから、なにも悪くない。予定より早めに着いて待っていたのは、彼の勝手だ。
それでも、労りの気持ちは自然と湧いてきてしまう。
「耳、赤いけど?」
ただそれが正直に表に現れるかどうかは、別の話だ。
意地悪く囁いて、剥き出しになっている部位を指し示す。すると小動物はハッと息を呑み、慌てた様子で手袋のまま、両耳を覆い隠した。
「これは、えと。その。……ヒバリさんに会えて、嬉しいから、で」
その上でもごもご口籠もり、聞き取り辛い小声で反論を試みてきた。
つまるところ、好いた相手に会えて、肌が熱を持って赤く染まっているのだと。
そっぽを向きながらの熱い告白は、数多くの強敵と対峙して勝ち抜いてきた猛者を狼狽えさせるのに、充分な威力を持っていた。
狙っての発言でなかっただろうから、余計に始末が悪い。
「僕に会えただけで、そんなになるんだ?」
つられてこちらまで顔が熱くなったのは、冬の寒さを理由にするしかない。
流されてなるものかと虚勢を張って、ほんの少し身を屈めて問いかける。途端に自身が何を言ったか理解したのか、小動物の顔が一気に赤みを強めた。
「ええ、えっ。えあ、いあ、あ。ちがっ、ちがくて、あの」
「違うんだ。へえ、そう」
「あああ、違わない。違わないです。違わないから~!」
急に声を荒らげ、周囲の通行人も振り返る音量で叫ぶ彼をからかうのは、楽しい。
必死に縋り付いてくる小動物の頭を撫で、思ったよりも柔らかな毛先を梳いて、押し返す。不安げに表情を曇らせたままの彼を宥め、頬骨の辺りを擽れば、ようやく落ち着いたようだった。
あからさまにホッと息を吐き、改めてこちらをじろじろ見たかと思えば、急に背負ったリュックサックから右肩を引き抜いた。
鞄の中をごそごそさせて、出てきたのは使い捨てタイプの携帯カイロだ。
「寒くないですか、ヒバリさん」
「ふっ」
またも妙な気遣われ方をされて、今度こそ耐えられない。辛うじて口元を隠すのは間に合ったが、漏れた呼気は聞かれたはずだ。
目をぱちくりしながら未開封のカイロを揉む彼に、雲雀は心の中で、嗚呼、と吐息を零した。
「さっさと行くよ。映画、間に合わなくなる」
次の電車に乗り遅れたら、上映開始時間に間に合わない。あらかじめ調べておいたタイムスケジュールを声に出し、強引に話を切り替えた。
「待ってください、ヒバリさん。要らないんですか?」
だのに納得がいかない様子の小動物が、派手なパッケージを振り回して吼えるから、衆人の注目の的だ。
中には雲雀恭弥の顔と名と、その悪行を知る者もいただろう。
不粋な視線を意に介さず、早く来いと小動物を指で招く。
「もう充分温かいよ」
「ええー?」
最中の呟きは、どこまで彼の耳に届いただろう。
疑問符を生やしている少年に目を細め、雲雀はポケットから財布を引き抜いた――映画の上映中に手でも握ってやろう、と密かに画策しながら。
2023/01/22 脱稿