たとえば、ある昼下がりの出来事として

 白く長い指が触れた途端、細く華奢だった蕾が次第にふっくら膨らんで、順に花弁が開いていった。
 雪のような白さの中に、僅かに淡い輝きが内包されていた。言葉では上手く表現出来ない不可思議な色合いを間近に見て、藤丸立香はほう、と息を呑んだ。
「きれい」
 率直な感想を、飾り立てることなく素直に述べる。途端に向かい側に座る男は得意げに鼻を鳴らし、勝ち誇った顔をして口角を歪めた。
 自信満々に胸を張って、カドック・ゼムルプスはガラス製の一輪挿しを人差し指で小突いた。
 柔らかく揺れた花は、街中で見かける花屋では絶対に扱っていない艶を放っていた。おそらく世界でここにしか存在しない彩であり、これを生み出したのは、間違いなくカドックが有する魔力だった。
「これくらい、朝飯前だって言ったろ」
「うん。だけど、でも、すごいな。やっぱり。オレとは全然違う」
 透明なガラスの器は、テーブルの上にもうひとつ。
 目の前に鎮座する蕾を見やって、藤丸は感嘆の表情を落胆のそれに作り替えた。
 この花は魔術により錬成されたもので、水を与えるだけでは決して咲かない仕組みだった。
 必要となる養分は、魔力。魔術師が触れることによってようやく花開くので、魔力をコントロールする練習にも用いられていた。
 与える魔力が弱ければ咲かず、強すぎれば枯れる。丁度良い塩梅を維持しなければならないので、簡単なようで案外難しい訓練と言われていた。
 それを易々とやってのけたカドックをちらりと見やって、藤丸は椅子の上で背筋を伸ばした。深く息を吸い、吐いて、どくどく言う鼓動を左手で宥めた。
 乾いてひりひりする唇をひと舐めして心を落ち着かせ、慎重に右手を伸ばし、爪の先ほどの大きさの蕾に触れた。指先に意識を集めて未だ固い表層をそっとなぞり、自身の中に眠っているものを呼び覚ますべく、祈りながら頭を垂れた。
 目を瞑って数秒を数え、奥歯を軋ませながらゆっくりと顔を上げる。
「ぐ」
 だが力んだ眼が映し出したのは、先ほどと全く同じ状態の白い蕾だった。
「本気でやってるか?」
 押された分だけ傾いた以外、なんの変化も起きていない。
 向かい側で見守っていたカドックは呆れた口調で問いかけて、右肘をテーブルに衝き立てた。
 頬杖をついて欠伸を噛み殺した彼を一瞬だけ睨み、藤丸は手前の花瓶に視線を戻した。今一度息を止め、念を込めて小ぶりな蕾をなぞってみるが、結果はまるで変わらなかった。
「えい。えい……咲け。咲けよゴマ!」
 気合いが足りないのかと試行錯誤し、途中から謎の呪文を唱え始めるものの、効果はない。
 それどころかカドックの眼差しがどんどん冷たくなっていくのを感じて、藤丸は浮き気味になっていた尻を椅子に戻した。
 深く座り直し、力なく肩を落とした。額に浮いた汗を袖で拭って、うっかり零れそうになった涙を我慢した。
 音を立てながら鼻を啜って、奥歯を強く噛み締める。唇を咥内に巻き込んで耐えていたら、見かねたカドックが溜め息を吐いた。
「そもそもどうして、こんな訓練、始めようと思ったわけ。お前、魔術の才能ないの、自分で分かってるだろ」
「はっきり言うなあ」
「別に、僕がお前に優しくする理由はないからな」
 頬杖をついた青年が人差し指を伸ばし、空中になにか描いたかと思えば、その指で美しく咲いた花を突いた。途端に瑞々しかった魔術の花は一気に萎れ、何枚かの花弁がはらりと落ちていった。
 しかもただ落ちて、テーブルに横たわるだけではない。新雪の如き白さを誇ったそれらは、平坦な天板に触れると同時に、まるで鉱石のように砕け散った。
 細かな破片が宙を舞い、風もないのに流れ、溶けて消えた。最初からなにも存在しなかったとでも言わんばかりに、跡形も残らなかった。
「ええ……」
 どうしてそうなったのか、藤丸には理解できない。目の前で確かに起きた事象は、彼の知る常識の遥か外側の出来事だった。
 目を丸くして絶句し、しばらく呼吸も忘れて凍り付く。
 唖然としている彼を一瞥して、カドックはすっかり空になった一輪挿しに手を伸ばした。
「さすがにこっちは、僕じゃ無理だな」
「そうなの?」
「こんなでも、訓練用の実験道具だぞ。防御の術式が組み込まれてるに決まってるだろ」
 花に与えた魔力が溢れ、花瓶の外に影響を及ぼすのを防ぐ狙いがあると、カドックは言った。派手に揺らされてちゃぷちゃぷ言う少量の水の動きを眺めて、藤丸は残骸すら残らなかった美しい花を思い出した。
 蕾が花開く方向ではなく、茎や根が増大する方向に魔力が働いたら、花瓶は木っ端微塵に壊れてしまう。そういった事故を防ぐ狙いもあるのだろうと、少ない知識を総動員して結論を出し、自分を納得させた。
「ふうん」
 これが正解かどうかは不明なまま、緩慢な相槌で一旦会話を打ち切った。残ったもう一輪の花に焦点を合わせて、膝の上に転がした手で空を掻いた。
「なんか、……悔しいな」
「あのな」
 他人には簡単にできることが、自分には果たせない。
 露骨なまでの実力の差を見せつけられて落ち込む彼に、カドックは僅かながら身を乗り出した。
 俯く藤丸の額に顔を寄せ、右人差し指を突き出した。一瞬だけ躊躇して、小突くのではなく弾く方向で攻撃を繰り出せば、まともに喰らった黒髪の青年は大仰に仰け反った。
「いった」
「なにを勘違いしてるかは知らないが、思い上がるのも大概にしろよ」
 打たれた箇所を庇って顔を赤くした藤丸に怒鳴りつけ、カドックは椅子に戻った。早口に捲し立てた後は自身も耳を朱に染めて、気まずそうにそっぽを向いた。
 説教をしておいて、照れるとはどういうことか。
 らしからぬ事をしたし、言った自覚があるのだろう。目を泳がせて天井付近を見ている彼に、藤丸は噴き出しそうになったのを堪えた。
「っく、ふふ」
 それでも止められなかった一部が飛び出して、肩が震えた。慌てて口を塞ぐが後の祭で、カドックからは忌々しげに睨み付けられた。
 盛大に舌打ちして、彼はテーブルを膝で突き上げた。ガコン、と乱暴な音を響かせて、自慢の長い脚を行儀悪く組んだ。
 一気に不機嫌になったものの、それでもカドックは部屋を出て行こうとしない。
 その面倒見の良さに相好を崩し、藤丸は一向に反応を示さない蕾を撫でた。
 頬杖をついて姿勢を低くし、蕾の次に花瓶をなぞる指の動きに合わせ、肘の角度を下げていく。
 最終的にテーブルに突っ伏して、彼は静かに目を閉じた。
 思い浮かぶのは、ここ数日の出来事。
 レイシフトに向けての訓練で、碌な結果を出せなかった。同じチームのメンバーからは呆れられ、罵られ、見放された。
 補助役と参加していたマシュ・キリエライトには慰められたが、自分の不甲斐なさを痛感して、覚悟していたこととはいえ、ショックだった。
 なんとかしたい。
 なにかしたい。
 できるようになりたい。
 できるようにならなければならない。
 真綿で首を絞められるような息苦しさから抜け出したくて、助けを求めた。伸ばした手を掬い上げてくれた人から、初心者向けの訓練方法があると教えられた。
「……だめ、なのかな」
「お前が期待されてるのは、魔術師としての素養じゃないだろ」
「うん」
 カルデアの職員とは違う、風変わりな衣装に身を包んだ美女も、カドックと同じ事を言っていた。
 推奨しない。意味がない。君の願いは叶わない。却って傷つき、辛くなるだけ。それでも良いのかと、静かに問われた。
 構わないと頷いた。一ミリでも可能性があるのなら、希望を託したかった。
 否、本当は分かっていた。知っている。向いていないこと、才能がないこと、見込みがないことも。
 ただそれを、他人が吐いた言葉で飲み込むのは癪だった。認めたくなかったし、漫然と受け入れるのは、なけなしのプライドが許さなかった。
「そうだけど。でも、みんなと同じものを、同じ高さで見たいって思うのは、わがままかな」
「その考え方は、魔術師への侮辱に聞こえる……って言う奴も、いるだろうな」
 顔を伏したままぼそぼそ言う藤丸に、カドックはやや歯切れが悪く言い返した。
 見えないが、苦々しい表情を浮かべているのは容易に想像できた。なにも知らぬ一般人として育った藤丸に対し、魔術師として鍛練を積んだ側の存在であるのに、彼がこうやって接してくれるのは救いだった。
「で、どうする。それでもまだ、お前は続けるのか?」
 重苦しい沈黙が流れ、耐えきれなくなったカドックが声を幾分高くした。テーブルを一度、拳で強く叩いて藤丸を脅し、振動で起き上がるよう促した。
 揺れた天板で低い鼻を潰され、渋々身を起こす。僅かに赤くなっている箇所を優しく労って、藤丸は残された小さな蕾に頬を緩めた。
「がんばるよ」
 折角用意してもらったのだ、無駄にするのは惜しかった。
 希望がすべて潰えたわけではない。なにか方法があるかもしれない。潔く諦めるのも時には必要だが、それは性に合わなかった。
 なにせ奇跡のような魔術を、たった今、目にしたばかりだ。
「無駄だと思うけどな」
「じゃあ、もしオレが咲かせられたら、なにか奢ってよ」
 カドックは鼻で笑うが、言葉の端々は優しい。つられて目を細めた藤丸の提案に、彼は虚を衝かれたのか目を点にして、数秒してからぶっ、と噴き出した。
「いいぜ、できたらだけどな」
「よーし。んじゃあ食堂の全メニュー制覇、目指しちゃおっかな」
 奇跡を信じない魔術師が腹を抱えて笑い、藤丸は勇んで握り拳を突き上げた。
 気合いを込めて椅子から立ち上がり、本人なりに格好良いと思うポーズを決めてから、何気なくテーブルへと視線を戻す。
 部屋の中が急に明るさを増した気がして、カドックも数度瞬きを繰り返した。
「え?」
「はあ?」
 天井に埋め込まれたライトが点滅したのかと考えたが、見上げた先に異常はない。四つある照明器具に変調は現れず、そもそも誰も照明用のリモコンを操作していなかった。
 ならば何故、と部屋にいるふたりの眼差しが向かった先で。
 少し前までは静かに佇んでいるだけだった花が、一輪挿しの花瓶をカタカタ揺らす勢いで震えていた。
「なに? え、なに。なにこれ、こわい」
 ずっと無反応だったものが、突如ぶるぶる動き出したのだから、ある意味ホラーだ。なんら動力を与えられていないのに、自発的に振動しているのは見るからに異様で、おぞましい光景だった。
 前触れのない出来事に言葉を失い、生理的な恐怖から身を竦ませる。
 一方のカドックはとある可能性に思い至り、椅子を蹴飛ばして立ち上がった。
「まさか藤丸、お前」
「うそ。オレ、ひょっとして才能あったの?」
 声を上擦らせた彼の発言に、藤丸もピンときた。
 込めた魔力が即座に発動せず、遅れて作用したのだとしたら、一応の説明がつく。散々こき下ろされてきた反動で歓喜に目を輝かせ、藤丸は徐々に膨らんでいく蕾に万歳と両手を高くした。
 これほど嬉しいことはなかった。
 長く願い続けた奇跡が、ようやく叶うのだ。泣きそうな顔で心を震わせて、彼は期待を込めて丸々と太っていく白い蕾に手を伸ばした。
「……いや、待て。藤丸。なにかおかしくないか?」
 だが触れる直前、カドックが声を低くした。
 牽制され、指先が空を滑る。空振りした手を中空に漂わせて、藤丸はきょとんとしながら改めて一輪挿しに注目した。
 カドックが実戦してみせたように、白い蕾は大きく膨らみ、今にも綻びそうなところまで来ていた。そして蕾だけでなく、胴長の花瓶の中にあった茎までもが、当初の倍近くの太さになっていた。
 透明なガラス容器が増大する緑に食い込み、力の鬩ぎ合いが発生していた。ミシミシと不審な音が立ちこめて、その間も蕾は著しい成長を遂げていた。
 親指大がせいぜいだったものが、今や拳ひとつ分に等しい。いつ弾けても不思議ではないサイズとなりながらも、まだ膨らみ足りないのか、花弁の数を増やして容積を嵩上げしていた。
「ねえ、これってほんとにオレのせい?」
「僕が知るわけないだろう!」
 常軌を逸した変貌ぶりを目の当たりにして、自分の成果だと誇れるほど、藤丸立香は傲慢ではない。
 動揺して声を高くした彼に怒鳴り声で応じて、カドックは更なる異変を警戒し、辺りを見回した。
 物が少なく、整理整頓が行き届いた部屋は、ある意味で生活感が薄い。チェストには故郷から持ち込んだというカップ麺が詰め込まれているという話だが、それも残り僅かだと聞いていた。
 壊れて困るものはそのチェストくらいだろうが、万が一爆発でも起きようものなら、カルデアの運営自体に関わりかねない。
「なんだってお前は、こう、いつもトラブルばっかり起こすんだ」
「そんなの、オレが知りたいよ。ていうか、これ、カドックのせいじゃないの?」
「僕がこんな真似できると思うなよ!」
「それはなんか、ごめん!」
 カドックは自分で、花瓶に付与された魔術は破壊できない、と言っていた。
 だのに彼らの眼前では、巨大な化け物となり果てた花が、今まさに一輪挿しを木っ端微塵にしようとしていた。
 嘘偽りのない告白に大声で謝罪して、藤丸はテーブルから二歩、三歩と後退した。逃げ場のない部屋の奥へひとり向かおうとする彼を制したのは、原因不明の異常事態に動揺が拭えないカドックだった。
「バカ。こっちに来い」
 万が一花瓶が破裂した場合、その破片にも魔力が乗る。強度を増した欠片は、どれだけ小さくても脅威だ。
 己の身を守る術すら持たない人間を放っておけなくて、彼は咄嗟に藤丸の手首を掴んだ。弱い抵抗を力技でねじ伏せて、無理矢理傍へと引き寄せた。
 一輪だけだった小さな花は、気が付けば二輪、四輪、八輪と蕾を増やし、一種のクリーチャーへと変貌を遂げていた。
 訓練のシミュレーションでも、ここまで禍々しいものは見たことがない。横スクロールのアクションゲームで、土管から生え来るあの植物を一瞬思い出して、藤丸は自分を抱え込むカドックの腕にしがみついた。
 限界まで膨らんだ蕾の外殻が、めりめり、と音を立てて剥がれ始める。
 落ちた萼の破片は数センチの厚みに至り、ドスン、ドオン、と局地的な地震を引き起こした。膨張を続ける花はついに天井に到達して、室内を照らす光を遮った。
「――来るぞ!」
 真っ暗な中、予測される終末世界を一足先に体験して、汗と震えが止まらない。
 どんな訓練よりも恐怖を覚え、藤丸はカドックの号令に合わせて頭を庇って丸くなった。歯を食い縛り、息を止め、仲間が作る防御壁の中で小さくなった。
 死を意識した。一瞬訪れた、不気味なまでの静けさに涙を堪え、縋り付く体温だけを頼りに時が過ぎるのを待った。
 瞼の先が僅かに明るくなったが、思考は停止していて、結果として判断が遅れた。
「…………――――?」
 薄く開けた唇から息を吐き、異様に大きく聞こえた時計の音に、目を閉じたまま首を振る。
 トントン、と肩を叩かれた。
「お前か。……お前か。お前かあ!」
 その手は間違いなくカドックのはずだが、直後に聞こえてきた声は彼らしくない怒りに満ち溢れていた。
 感情を剥き出しにした怒号にビクッとして、藤丸は惚けたまま瞬きを繰り返した。
 部屋の中は、明るさを取り戻していた。
「うわ」
 それだけでなく、爆発すると思い込んでいた花々は、どれもこれも無事だった。しかも人の顔くらいありそうな大輪を咲かせて、僅かに金色を帯びた輝きを放っていた。
 太陽に似ていた。
 菊のようでもあった。
 咲く瞬間を見逃したのを、今さらながら惜しく思った。最も近い場所にあった花に恐る恐る手を差し出せば、それはまるで生きているかのように頭を垂らし、ぽすん、と掌に収まった。
「なにこれ。すごい……」
 大量の花弁を何重にも纏い、それでいて造詣は破綻していない。一方で破裂の危機にあった花瓶はといえば、大半が茎の中に取り込まれ、一部だけが顔を覗かせていた。
 なにがどうなったら、こうなるのか。
 唖然としていたら、横からドン、と大きな塊がぶつかってきた。
「おわ。っと、と、と」
 言わずもがな、犯人はカドックだ。油断していた藤丸はふらつき、横向きに数回飛び跳ね、転倒を回避した。
 口から出そうになった心臓を呑み込み、振り返る。
 真っ先に目に入ったのは、怒りに震えるカドックの後ろ姿と、全開になったドアの先に立つひとりの青年だった。
「あれ。え? ……キリシュタリア?」
 僅かにウェーブがかった豊かな金髪で、貴族然とした優雅な白いコートを羽織り、右手で大ぶりの杖を握り締めている。ただし表情は戸惑い気味で、いつもなら穏やかな笑みを浮かべている口元は、困惑に歪んでいた。
 僅かに眉を顰めて、いきりたつカドックの苛立ちを全身で受け止めつつ、その理由が分からない様子だった。
「お前が、お前の、……お前のせいで! 死ぬかと思ったんだぞ!」
 一方のカドックは感情のままに吼え、握り拳を上下に振り回した。勢い余った肘が後ろに飛んで来て、藤丸は慌てて避けて彼の肩を掴んだ。
「ど、どうしたのさ。落ち着こう、カドック」
「お前こそ、なんで落ち着いてられるんだ。誰が、どう見ても、これは! こいつが元凶! だろうが!」
 頭から煙を噴いているAチームメンバーを宥めるが、効果はなかった。逆に火に油を注ぐ格好となって、部屋の中を指差された藤丸は、改めて自室がどうなったかを確かめた。
 テーブルは花の重みに耐えきれず、横倒しになり、ふたり分の椅子がその周辺に転がっていた。人の腰くらいありそうな太さに育った花茎がどん、と床に突き刺さり、そこから分岐した花が天井を覆い尽くす勢いで咲き誇っていた。
 微かに甘い匂いが漂う。魔力を帯びた花弁が光を反射し、艶やかに輝いた。
 クリーチャー扱いしたのを反省しなければならないくらいに、綺麗な花だった。
 ただ大きさは、尋常ではない。熱帯雨林の植物も顔負けのサイズが、藤丸の部屋を埋め尽くしていた。
 どれほどの魔力を注がれたら、ここまで育つのだろう。
「だめ、……だった、かな?」
 呆気にとられて立ち尽くす部屋の主を遠巻きに見て、元凶と名指しされた青年がおずおずと声を上げた。
 ここに来て自分がどれだけのことをやらかしたか、ようやく認識したらしい。キリシュタリア・ヴォーダイムは若干申し訳なさそうに首を竦め、明後日の方向を見ながら頬を掻いた。
 白手袋で白い肌を数回擦り、ちらりと横目で藤丸を窺い見る。
「君たちが、なにやら、おもしろいことをしていると聞いて。その、少し驚かせてみようかと、思ったんだ。が」
 喋りながらまた目を泳がせて、彼は遠くの壁や、床を眺めては、時々人の顔色を探りに来た。
 ちょっとした出来心と、悪戯心と、茶目っ気だったのだろう。但し壁越しの魔力操作で、室内がどうなっているかまでは、把握できなかったらしい。
 頬にあった手は言い訳の最中に力を失い、だらりと垂れ下がった。
 反省し、恐縮し、申し訳なさそうに顔を伏した彼を前にして、少しは溜飲が下がったのか、カドックも握り拳を解いて肩を竦めた。
「で、どうする。藤丸」
「ああ、うん。びっくりした。驚いた。やっぱりキリシュタリアって、……すごいんだね」
「おい、藤丸。なんで今、僕の顔を見た」
 肘で小突かれ、藤丸は背筋を伸ばした。今晩の寝床にも苦慮する状態にまだ混乱は抜けきらないものの、魔術師としての力量の高さを見せられたのには、感心するより他になかった。
 比較されたカドックに突っかかられたが、笑って誤魔化す。再度煙を噴く彼を宥めて落ち着かせて、藤丸は肩身狭そうに立つ青年に近付いた。
 さすがは優れた魔術師の中でも、特に優秀なメンバーだけが集められたAチームのリーダー様だ。ここまで巨大化しても立派に咲く花を、複数コントロールしてみせた。
 生まれながらの天才魔術師は、これくらい造作もないのだ。そんな男と肩を並べようだ、同じ高みを目指そうだなど、烏滸がましいことこの上ない。
 乾いた笑いが漏れた。
 ただ目の前に咲く花の美しさは、否定できなかった。
 妬むなど、どうして出来ようか。羨むことすら、できそうにないのに。
 絶対的な力量の差を見せつけられて、高すぎる壁を改めて痛感した。だというのに真っ先に出て来る感情は、『くやしい』の四文字で埋め尽くされていた。
「藤丸」
「でもさ、キリシュ。ちゃんとこれ、片付けてよ?」
 ぐるぐる回り続ける感情を悟られまいと、腹にぐっと力を込めた。斜め後ろからカドックの視線が突き刺さるのを気取りつつ、一切を無視して、なんてことないよう振る舞い、キリシュタリアの肩を軽く小突いた。
 このままにされたら、部屋で眠れない。落ち着けない。
 原因である男に後始末を任せ、目を合わせることなく廊下に出た。
「藤丸、待ってくれ」
「食堂に居るから、終わったら教えて。んじゃ、よろしく」
 追いすがる声を振り切り、振り返らない。息を吸えば、鼻の奥がつんと痛んだ。
 気丈に胸を張って進む背中を目で追って、遅れて廊下に出たカドックが立ち尽くすチームリーダの臑を蹴った。ギリ、と苛立たしげに奥歯を噛んで、猫背気味の姿勢から目つきも悪く睨み上げ、僅かに臆した男から顔を背けた。
「後で藤丸の良いとこ、十個なり、なんなり、全力で褒め倒すんだな。今回は、キリシュタリア、お前が全面的に悪い」
「カドック」
「ったく。僕はお前らの世話係じゃないんだぞ」
 嫌味を残し、食堂とは逆方向に走って行った青年を追いかけ、歩き出す。
 ひとり残されたキリシュタリアは、無人の部屋で静かに咲く花と向き合い、ふっと皮肉めいた笑みを浮かべた。
 伝えたかった想いがあったのに、言葉にする猶予すら与えられなかった。
「君に、花を……渡したかっただけなのに。どうしてだろう、藤丸。私にこの魔術は、嗚呼。……難しい、な」
 

2021/09/26 脱稿