Summer’s Shower

風鈴の音が風に揺られて鳴り響いている。
 ちりん、ちりりん……
 穏やかな空気に包まれた夏の日の午後。東の空には入道雲が顔を出し、幾らか湿気を帯びた風が先程から吹き付けだしていた。しばらく待てば夕立がやってくるだろう。雷が鳴るかも知れない。
 様子を眺めながら、アッシュが庭先の物干し竿から大慌てで洗濯物を回収している。それを軒下で眺めながら、スマイルはしゃりっ、と薄水色をしたアイスを囓った。
 冷たい感覚が舌先に落ち、微かにソーダ味が口の中に広がって溶けていく。熱に紛れた涼は一瞬で消え失せ、羽織ったTシャツを摘んでぱたぱたと前後に煽り少しでも涼しさを求めようとするがあまり効果は期待できない。
 いくら一雨来そうだとは言え、空の半分はまだ青空に包まれている。アッシュが「雨の匂いがする」と言っているものの、俄には信じ難い晴天模様だ。
「本当に降るのかなぁ……」
 もうひとくち、アイスを口に運びながらスマイルは呟いて片膝を抱き寄せた。夏の暑さに長ズボンは辛いという理由から、彼の現在の出で立ちはハーフパンツにTシャツ一枚。口には棒アイス、ソーダ味。
 汗はこうしている間も背中に、腕に浮き上がり珠を作ってはシャツに吸い込まれていく。雨が降ることで気温が下がれば良いのだが、湿度が上がることを考えると諸手をあげて歓迎するのも憚られた。
 真っ白いシーツが風を受けて大きく膨らみ、そしてアッシュの腕の中に回収されていく。そう言えば蒲団干してたっけ……と午前中の既に遠くなってしまっている記憶を呼び起こしながら、スマイルは彼の動きを視界の端で追いかけた。手伝ってやろう、という気は全くないらしい。
 口の中でアイスが溶けていく。
 変に甘ったるい味がして、銜えていたアイスを抜き唇を拭う。溶けて角を失っている箇所を囓って、もう一度口元を拭うと空を見上げた。
 さっきよりも少しだけ、空が暗くなっている気がする。
「其処に居たら雨に濡れるぞ」
 真後ろから声がして、振り返ると何時から其処に居たのかユーリが立っていた。
「まだ降らないよ」
 一瞬遠くで雷が鳴る音が聞こえたような気がした。言い返しはしたが、あと五分もすればこの近辺も夕立の地域に入ることだろう。
「涼しくなってくれると良いんだけどねぇ」
 頬杖を付いて、庭先を見る。もう物干し竿に吊されているものはなにひとつとしてなかった。
「濡れるぞ」
「降り出したら、中に入るよ」
 半分ほどに減ったアイスを口にする。相変わらず、酷く甘ったるい。
 仕方がないな、という風情でユーリが肩を竦めた。そして何を思ったか、半開きの窓をもう少し広げて自分の居場所を確保してスマイルの隣に腰を下ろした。
 ベージュのシャツにグレーのスラックス。暑いのか、前ボタンは三つ目まで外されていた。ユーリにしては、珍しい。
「濡れたいの?」
「まだ降り始めていないだろう」
 早く中に入れ、とさっきまで言っていた本人が軒下にスマイルと一緒に陣取っている。肩を揺らしてスマイルが笑うと、さっき彼が理由にした事をそのまま返されてしまい余計に苦笑を禁じ得なくなってしまう。
 風鈴の音色がだんだん重くなってくる。
 東から来る風が湿り気を帯びているのだ、アッシュでなくても少し気を付ければ風の中に水の匂いを感じ取れた。
 遠雷が聞こえる。
「……食べる……?」
 なにかを語り合うわけでもなく、ただ並んで座りながら風鈴の音を聴いて雨を待っている。
 下の方まで溶け掛けているアイスをユーリの前に差し出すと、彼は怪訝な表情でスマイルを見返した。
「いらない?」
「…………」
 返事はなくて、代わりに首を伸ばしたユーリが前歯でアイス棒の根本に近い箇所を囓った。スマイルが食べていた方とは、逆位置。
「間接キス、狙ったんだけどねぇ……」
 見え透いていたかな、と首を捻ってスマイルは自分が食べていた続きを囓る。さっきよりも更に甘さが増している気がした。もうアイスの冷たさも感じられない。
 ぽつり、と一滴。
 庭の常緑樹の葉が揺れた。
「甘いな」
 ぽつり、とユーリが呟く。
 え、とスマイルが彼を振り返り見る。綺麗な横顔が、降り始めの雨に濡れる庭を眺めている。
「アイス」
「ユーリの方が」
 何倍も甘いよ、と言いかけて突然その彼が真っ正面から見返してきたので驚いてしまう。言葉が中途半端に途切れた。
 空を稲妻が走る。金色の光が駆け上っていった。
 雨が強くなる、噎せ返るような水の匂い。
 お互い向き合ったまま、無言で居るうちに気が付けばどちらが先ともなく、口付けていた。
 触れるだけのキス、離れる時に吐息が頬を掠めて雨に冷やされた空気の中異様なほどに熱さを感じた。
 目を閉じる。今度はさっきよりも少しだけ長いキス。
 溶けたアイスが軒下に滴り落ちていく。雨に濡れ、雨に混じって土に紛れる。
「濡れるね」
「そうだな」
 本降りの様相を呈してきた雨雲をちらりと見上げ、笑いあった。
 風鈴の音は、雨音にかき消されてもう聞こえない。
 口の中にはソーダ味のアイスの甘ったるさ。そしてお互いの吐息の熱さ。

 さて、どっちが甘い?

 夕立はもうしばらく、降り続きそうだった。