心あらば 名乗らで過ぎよ ほととぎす

 食堂の辺りがどうにも騒がしい。
 それはいつものことだけれど、普段と些か様子が違った。いったい何事かと背伸びしながら廊下の先を窺っていたら、賑やかな集団が列を成し、両開きのドアから出て来た。
「あれ、珍しい」
 見知った顔ぶれはどれもにこやかで、機嫌が良さそうだ。時間があれば娯楽室でごろごろしているメンバーが多く含まれているのも、立香には奇異に思えた。
 あの面子が揃って食堂に出向くなど、あまりない。大抵じゃんけんか、ゲームかで負けたサーヴァントが使い走り宜しく駆り出され、大量の食べ物を抱えて行くのが常だった。
「あー、マーちゃん。見て見て、これ。新作だって」
 怪訝にしながら眺めていたら、ピンクのフードを被ったアサシンと目が合った。刑部姫は眼鏡の奥の瞳を爛々と輝かせて、右手に握ったものを高々と掲げ持った。
 一緒に歩いている英霊たちも、多少のトッピングの違いはあれど、土台は同じものを手にしていた。
「へええ。いいな、夏っぽい」
「でしょ~?」
 焼き色がついたワッフルコーンに、たっぷり注ぎ込まれたソフトクリーム。
 太めに捲かれた渦はカラフルなチョコレートチップに彩られ、苺やマンゴーといったフルーツを使ったソースがこれでもか、と大量に注がれていた。
 そのまま齧り付くもよし、付属のスプーンで少しずつ掬って食べるもよし。
 なんとも涼しげで、美味しそうな夏の冷菓に、立香も知れず唾を呑んだ。
 幼い頃は、腹を下すといけないからと、あまり食べさせてもらえなかった。ただ家族旅行の道中に立ち寄るパーキングエリアだけは別で、味も格別だったのを思い出した。
「行ってみよう」
 誰の発案かは分からないが、嬉しいサプライズだ。
 カルデアの中がもっと夏らしくあれば最高なのだけれど、ここは生憎、窓もない閉鎖空間。外は真っ白に焼却された世界が広がっていて、四季の別さえ失われて久しかった。
 ぼうっとしていたら、今日が何月何日かすら忘れてしまう。定期的に開催される季節のイベントがないと、月日の移ろいに目を向けることすらままならない。
 時の流れを把握するのは、とても大事なことだ。己に言い聞かせ、立香は刑部姫やジナコたちを見送り、食堂に足を踏み入れた。
 テーブルが行儀良く並ぶ空間は比較的がらんとしているが、一区画のみ、やたらと混み合っていた。
 遠目でも目立つ幟が掲げられているのは、気分を盛り上げるためか、ただの悪ふざけか。
 食器の返却口近くに追加された即興の屋台には、ソフトクリームだけでなく、かき氷の機械も置かれていた。派手なアロハシャツを羽織った青髪のランサーがゴリゴリとハンドルを回して、隣では赤衣のアーチャーが注文を受け、手際よくソフトクリームを形作っていた。
 巨大な氷が細かく削れていくのが面白いのか、列の先頭で、ボイジャーが食い入るように見詰めている。それに気をよくしたクー・フーリンが益々勢い良くハンドルを操作して、氷片の山は今にも雪崩を起こしそうだった。
 茹だるような暑さの中で過ごした、夏祭りの記憶が甦った。
「ねえねえ、エリセ。みて。すごい。きらきらだ~」
 無垢な少年の歓声がこだまし、周囲の大人達の頬が一斉に緩んだ。立香も程よく巻き込まれて、笑顔を浮かべ、エミヤに向かって人差し指を一本立てた。
「オレも一個、もらって良い?」
「ああ、もちろんだ。マスターには、サービスしないとな」
「みんなと同じでいいよ」
 バニラかチョコかと聞かれ、バニラと返し、肩を竦める。過剰なトッピングは不要だと目を細めるが、出てきたソフトクリームにはたっぷりとチョコソースがかけられていた。
 スプーンも一緒に差し出されたが断って、右手で受け取ったコーンは思ったよりもしっかりしていた。
「零さないように気をつけてな」
「ありがと。いただきます」
 溢れ出そうになったチョコソースを先に舐め取り、母親然とした英霊に礼を言う。エミヤは少し照れ臭そうに頷いて、次の注文をクリアすべく、大がかりな機械に向き直った。
 振り向けば順番待ちの行列は、想定外に長く伸びていた。
 刑部姫たちが道すがら触れ回ったのと、マスターが率先して並んでいるのを見て、ソフトクリームに馴染みのない英霊たちも興味を持ったのだろう。
「わー、なんですか。なんなんですか、これ。おいしそう!」
「見て、食べてたら舌が真っ赤だよ」
 中でもやはり、見た目が幼い英霊たちのはしゃぎようは凄まじかった。
 アポロンを抱きかかえたパリスが物珍しげに飛び跳ねて、かき氷に舌鼓を打っていたアレキサンダーが子ギルに向かってべー、と舌を見せびらかす。何色かのシロップをかけたかき氷を手にボイジャーが走り、エリセが慌てた様子で追いかけていった。
 立香も早く食べないと、折角の甘味が溶けてしまう。
 ひんやり冷たいが、仄かに甘くて幸せな気持ちになれる菓子は、この季節ならではだ。
 エミヤが作ったのだから、味は保証されている。
「いただきまーす」
 じわじわ高まる期待を胸に、まずは先端に齧り付くべく、口を大きく開いた。
 チョコレートソースがたっぷり塗されたクリームをいっぱいに頬張り、急激に冷えた咥内に抗って背筋を伸ばした。頭がキーンと来るのを一瞬でやり過ごし、遅れてやって来た甘みに目尻を下げた。
「ん~、おいしい」
 じんわり体温を吸って温くなったアイスが、口の中でゆっくり、時間を掛けて溶けていく。
 凝縮されていた美味しさがじわじわ広がって、立香はうっとりと目を細めた。
 そこまで甘過ぎず、かといって淡泊でもない。しつこくなくて、後味がさっぱりしているので、いくらでも食べられそうだ。
 ふんだんにかけられたソースも、良い仕事をしていた。これがあるお蔭で味が単調にならず、飽きが来ない。
 ソースは何種類か用意されていたから、次は違うものをリクエストしよう。
 二個目以降のことを今から考え、胸を躍らせて、立香はほんのり湿った唇を舐めた。
「うへえ、凄い人出だな」
「イアソン様、早く。早く」
 食感を変えようとコーンを齧っていたら、斜め前方から馴染みのある声が聞こえてきた。顔を上げれば古代ギリシャに縁がある英霊たちが、連れ立って食堂に入ってきたところだった。
 アルゴー号船長のイアソンに、メディア・リリィ。それに英雄ヘラクレスと、ケイローンやアキレウスの姿もあった。
 彼らも噂を聞きつけ、物見遊山でやって来たのだろう。軽く手を振って挨拶をすれば、二本足姿のケイローンが笑顔で会釈を返してくれた。
 お菓子作りに精を出しているメディア・リリィに言わせると、ソフトクリームは見逃せないらしい。気乗りしない様子のイアソンの手を引いて列の最後尾に加わって、茶化す気満々のアキレウスがその後ろに続いた。
 十騎以上の英霊が列を作っている屋台は、大繁盛と言って良かった。
「いつまでやってくれるのかな」
 叶うなら今日だけでなく明日や、それ以降も続けて欲しい。
 特にエミヤは食堂での調理もあるので無理強いできないけれど、夏の間は屋台ごと残してくれると嬉しかった。
 後で要望を出そう。密かに決めて、行列から身体の正面へと視線を移す途中。
 驚くのに充分な立ち姿をそこに見つけて、立香は行き過ぎた眼を大慌てで引き戻した。
「ええー?」
「……なんだ。僕がいたらおかしいか」
 ケイローン塾の面々が揃っていたので、彼が居る可能性もゼロではなかった。
 しかし実際、この場に佇んでいるのを見ると、失礼ながら、違和感を抱かずにはいられなかった。
 目を丸くする立香に、アスクレピオスは不機嫌を隠さない。不満げに口元を歪め、長く垂れた袖ごと胸の前で腕を組んだ。
 白を基調とした衣から、金色のサンダルが先だけ覗いている。特徴的な前髪を左右に踊らせて、人と神の合いの子たる英霊は行列ではなく、そこから外れた立香の方へ一歩を踏み出した。
 いつもは医務室に引き籠もって、滅多なことでは出て来ない癖に。
 今日一番の衝撃だと苦笑して、エミヤ印のソフトクリームの偉大さに感嘆の息を漏らした。
「アスクレピオスも、食べに来たの?」
「興味はない。だが、ああも小さな英霊達が喜んで口にしているということは、それだけ魅力的なものなのだろう。ふむ、なるほど。次からは粉末状の薬をあれに振り掛けておけば良いのか」
 表面が溶け始めているソフトクリームを顔の高さに掲げ、訊ねる。すると彼は素っ気なく言い返し、続けて屋台の周辺に集う面々を眺め、ぼそぼそと呟き始めた。
 顎に手をやり、表情は真剣だ。金混じりの瞳を眇め、悪いことではないのだけれど、良くもないアイデアを口にして、ひとり悦に入った。
「あー……」
 そのいかにも彼らしい態度に失笑して、立香はチョコレートが溶け込んだソフトクリームを舐めた。
 舌先に冷気が刺さり、徐々に緩んでいく。熱の籠もりがちが身体が部分的に冷やされて、全身に波及していく錯覚に気が緩んだ。
「甘いものを苦くしたって、人気は出ないよ?」
「ム」
 どうやれば子供姿のサーヴァントたちが、嫌がらずに薬を接種してくれるのか。尽きない悩みを解決すべく、アイデアを練るのは構わないが、事の解決はそう簡単ではない。
 甘いソフトクリームと、苦くて臭い薬草を一緒にしても、絶対に美味しくない。単純に磨り潰して粉にするだけでは、誰も口にしたがらないだろう。
 立香だって、嫌だ。それだったら薬は苦いものとして受け入れて、我慢して飲む方を選ぶ。
 もっとも幼い外見をした英霊たちは、一部を除き、中身も幼い。然るに子供舌なサーヴァントが多いので、良薬と言われても、美味しくないものは口にしたがらなかった。
 つまるところ、アスクレピオスが作る薬は総じて評判が悪かった。
 彼なりに努力し、歩み寄ろうとしているのは理解できるが、あらゆる思考が医療の発展と拡充に向かっている男だ。子供系サーヴァントがどうして彼を忌避するのか、根本的なところに考えが至っていないのは否めなかった。
 大勢に好評な甘味と組み合わせることで、地位の向上を図るのは、あまりに安直だ。
 やり方が姑息、且つ目論見として甘すぎると笑ったら、口を尖らせた医神が腕を解き、手を腰に据えた。
「マスターの出身地では、茶の葉を混ぜた甘味が人気だったと資料にあったぞ。あれは元々、薬として用いられていたのではないのか」
 いったいどういう文献を漁ってきたかは知らないが、抹茶を槍玉に挙げられた。
 言われてみればその通りで、だのに抹茶味の菓子はどれも美味しい。中には本来の風味を残して、苦みを際立たせたものも存在したが、立香はそういったものに縁がなかった。
「ええ~。オレに言われても」
 それと、アスクレピオスが育てた薬草と、どこがどう違うのか。
 具体的に説明できるだけの語彙力を持たない立香は目を泳がせて、口を真一文字に結んで低く唸った。
 しばらく悩むものの、どうやったところで明朗な違いは見つからない。
「アスクレピオスの薬草は、お茶じゃないじゃん」
「煎じれば飲める」
 仕方なく思いつく理由を述べれば、即座に反論が繰り出された。
「そりゃあ、ハーブティーは美味しかったよ?」
 負けず嫌いな性格が反映された台詞に、立香も若干食い気味に言い返した。無意識に指先に力が籠もって、ペキ、と何かが拉げる感覚に、コンマ三秒遅れで我に返った。
 長らく握り締めていた存在が、ようやく気付いてくれましたか、と言わんばかりに歪んでいた。
 放置されたソフトクリームは白と黒が入り交じり、表面は斑模様に染まっていた。水分を吸ったワッフルコーンが全体的に柔らかくなって、今し方潰れた場所から中身が溢れ出していた。
 どろっとした半液状の物体が緩く握られた親指に触れ、輪郭をなぞるように、下へ向かって垂れていく。
「あわわ、あわ。はわわ」
 流れ自体はゆっくりだけれど、咄嗟にどうすれば良いか分からない。
 慌てふためき、意味もなくソフトクリームを持つ手を上下に振り回していたら、横から伸びてきた腕がガシッ、と人の手首を掴み取った。
 動きを阻害され、垂れ落ちる雫にばかり気を向けていた立香はハッと息を吐いた。惚けたまま腕を取ったものの正体に目を向けようとすれば、向こうから強引に、視界に割り込んで来た。
 距離を詰められ、息遣いが聞こえたのは一瞬だった。
 無理矢理拘束され、ソフトクリームごと右手を引っ張られた。上半身が僅かに泳ぎ、長い銀髪が視界の端で揺れ泳ぐ。陶器のような白い肌が間近に迫ったかと思えば、ふたつに割れた唇の間から、真っ赤に染まった舌が伸びて来た。
 獲物を見定めた蛇の如きそれが、立香から掠め取ったもの。それは。
「ひいっ」
 親指の爪先から関節に向かってべろりと舐められて、たまらず悲鳴が漏れた。
 咄嗟に撥ね除けようとしたが、力及ばず叶わない。悔し紛れに睨み付けた先では、ソフトクリームの雪崩れを攫った男が、不遜な態度で背筋を伸ばした。
「こういう味が良いのか」
 さほど美味くないとでも言いたげに眉を顰め、アスクレピオスが嘯く。
 それで何故かムッとなって、立香は囚われたままの右手を上下に振り回した。
「溶けてない方が、美味しいの!」
 断りなく急に舐められて、吃驚したし、行儀も悪い。あまり褒められた行動ではないという意味合いも込めて吼えた彼に、アスクレピオスはむすっと小鼻を膨らませた。
 眉間に皺を寄せて不機嫌を露わにし、かと思えば睨み合いの末にくわっ、と大きく口を開いた。
 滅多にお目にかかれない八重歯を覗かせて、力任せに掴んだままだった立香の手を引き寄せた。
 そうして。
「あー!」
 がぶっとやられた。
 立香の悲鳴は食堂中にこだまして、列に並んでいた英霊、冷たい甘味に頬を緩めていた英霊、厨房で忙しくしていた英霊までもが、揃って何事かと顔を上げた。
 一瞬場が静まり返り、ざわざわした空気が遠い方から広がっていく。その中心部にいる立香は居たたまれない気持ちに襲われて顔を伏し、逆に悲鳴の発端となった男は満足げに口角を持ち上げた。
 さらには未だ解放されることを知らないマスターの右手から、ソフトクリームをもうひと口。
 むしゃむしゃ食べ進むアスクレピオスを呆然と見詰めて、立香は殺気立つ一部のサーヴァントに向かい、愛想笑いで手を振った。
 大事ないと暗に伝え、殆ど残っていないアイスにはがっくり肩を落とす。
「案ずるな、マスター。お前には、こんなものよりもっと健康になれる氷菓を用意してやる」
 その落胆をどう勘違いしたか、自信満々に言われた。
 前を向けば、人のものを食べているうちに妙案が浮かんだのだろう、嬉々として目を輝かせる英霊が一騎。
「楽しみにしないで待ってる」
 果たして結果はいかばかりか。
 やる気十分なアスクレピオスに肩を竦めて、立香は呆れ調子に目を細めた。

2021/07/04 脱稿

心あらば名乗らで過ぎよほととぎす 物思ふとは我も知らねど
風葉和歌集 153