「みつけた」
彼の姿を視界に収めた瞬間、立香は無意識に呟いていた。
心の中に留めておきたかったのに、出来なかった。但し音量は限りなく絞っていたので、恐らく誰にも聞こえていない。
弾んだ鼓動を整え、深呼吸を数回繰り返した。調子良くテンポを刻む胸をそうっと撫でて、青草を慎重に踏みしめた。
目当ての英霊は、シミュレーター内に再現された空間で横になっていた。青々と茂る草原の中、小高い丘に一本だけ枝を茂らせる木の下に、だ。
地表に顔を出した根を枕にして、大胆に四肢を投げ出していた。整った鼻梁は少しも歪むことがなく、健やかで、穏やかな寝顔だった。
右手は胸元に、左手は傍らに。青草に埋もれた指が向かう先には、立香には読めそうにない書籍が山を成していた。
分厚く、重そうで、ほんのりかび臭い。
図書室にこんな古いものがあったかと首を捻り、立香はすよすよ眠るギルガメッシュの横で膝を折った。
尻は浮かせたまま、蹲踞の姿勢を作った。爪先だけで器用にバランスを取り、気持ち良さそうに眠る男をぼんやり眺めた。
「なんだって、こんなところに」
読書の為だけにシミュレーターを稼働させたのだとしたら、とんだ設備の無駄遣いだ。しかし彼のお蔭で越えられた苦難は多く、これくらいの我が儘は許容されるべきだろう。
しかし探すのには、大変苦労させられた。誰に聞いても所在が分からず、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、どれだけ無駄足を踏まされたことか。
移動距離を合計すれば、カルデアを余裕で五周はしている。
結果として足は棒のようだし、喉が渇いて仕方がない。
熱を持った身体を冷まそうと深く息を吐き、立香は膝を抱く腕に顎を埋めた。
賢王ギルガメッシュは未だ目覚めず、眠りに就いたまま。この男に限ってそれはなさそうだと、狸寝入りを警戒していたのだが、反応は未だ返って来なかった。
「本当に寝てる?」
サーヴァントは本来、睡眠を必要としない。食事もそうだ。
ただ彼の場合は、過剰に働き過ぎる傾向があるので、分かっていても寝てくれ、と思うことがあった。適度に食事を摂って、適時休息を挟んで欲しいと、過労死一直線の生活習慣を常々案じていた。
それがいざ、ぐっすり眠っている姿を目の当たりにすると、逆に戸惑わされた。
「……生きてる?」
あまりにも静か過ぎて、不安が胸を過ぎった。
事実、彼には前科がある。二度目がないと、どうして言い切れるだろうか。
起こした方が良いだろうか――後で恐ろしい目に遭いそうではあるが。
懸念と誘惑と葛藤がない交ぜになり、結論が出ない。頭を切り替えようと軽く首を振って、立香は山積みの書籍に目をやった。
準備万端とでも言おうか。その近くには、ボトルに入った飲み物が用意されていた。
しかも二本もある。いったい彼はどれくらいの時間を、ここで過ごすつもりだったのだろう。
「もうちょっと、分かり易いところに居てくれたら良かったのに」
エルキドゥに聞いても要領を得ないし、イシュタルに聞けば『どうして私に訊くのよ』と逆に怒られた。
数少ない目撃者の証言から、シミュレーター室に当たりを付けるだけで、相当な時間を要した。
ギルガメッシュ王探索の軌跡を軽く振り返りつつ、恨み言も忘れない。
同じ姿勢で居続けるのに辛くなって、立香はどっかり尻を降ろして座り直した。輪を作っていた腕を解き、片膝を立ててそこに顎を預けたが、相も変わらずギルガメッシュは大人しかった。
「まさかね」
不吉な予感がして、慌てて打ち消そうとしたものの、拭いきれない。
首を横に振るだけでは吹き飛ばせない恐怖に駆られて、立香は咄嗟に膝立ちになり、片腕を伸ばした。
左腕は地面に突き立てて支えにして、右手を広げ、不敬を承知でギルガメッシュの鼻先に翳した。
呼吸を確かめ、皮膚を掠める微かな風に、ほっと胸を撫で下ろす。
深く安堵して、気が抜けた。
「なんだ。寝込みを襲うのではないのか」
「きゃあ!」
そんなタイミングで不意に話しかけられて、立香は裏返った悲鳴を上げた。
まるでいたいけな少女のような声が、あろうことかこの口から飛び出した。自分でさえ吃驚する音域の再現に、ぱっちり目を開けたギルガメッシュでさえ、呆然としていた。
それがじわじわ、喜悦に歪んでいく。
「く……くははは、ははははは。なんだ、今のは。いいぞ、もう一度やってみせろ」
「で、できるわけ、ないでしょうが」
あれは不意打ちを食らったから出たものであり、容易く再現が叶うものではない。
豪快に笑いながら起き上がった賢王に小鼻を膨らませ、立香は引っ込めた手で自身の腿を殴った。直後に痛みを訴える場所を自ら撫でて慰めて、苛立ちと安堵両方の感情を整理した。
それでもまだ気持ちは収まらず、ふて腐れた顔をしていたら。
「ほれ」
崩れかけていた本の山を整え、ギルガメッシュが当たり前のように、ボトルの片方を立香に差し出した。
飲み口を眼前に突きつけられて、予想外の事態に目をぱちくりさせていたら。
「見事我を見つけ出してみせた褒美だ、受け取るが良い」
早く受け取るように急かし、ギルガメッシュが呵々と笑う。
それでハッとなって、立香は手を差し出しつつ、渋い顔を作った。
「……もしかして、最初から全部、分かってました?」
「はて。なんのことだ?」
キャスターである彼は、千里眼を有している。あらゆる未来を見通せるのだから、立香がここに来る未来も、彼は当然、予見出来たはずだ。
だというのにわざとらしく惚けて、真実を明かそうとしない。
「オレを走り回らせて、楽しいです?」
掌で転がされていた事実に腹を立てて、軽く睨み付けながら不満を口にする。
同時にボトルの蓋を捻り、ひと口飲んだ水は美味しかった。
「そんな顔をするでない。また振り回したくなるであろうが」
「ほらー、やっぱりー!」
嬉しいような、悔しいような複雑な顔をしていたら、呵々と笑われた。
案の定のやり口に憤慨して、声を荒らげるけれど、ギルガメッシュに通じるはずもなく。
「そう怒るでない。で、我に聞きたいことがあったのだろう。特別に聞いてやる。許す。話せ」
あぐらを掻き、頬杖をついた男が偉そうに言い放つ。
そういう居丈高な態度が気にくわないが、だからこその賢王だ。
それで納得している自分にも苦笑して、立香はボトルを置き、居住まいを正した。
2020/06/20 脱稿
珍しく風の調ぶる琴の音を 聞く山人は神もとがめじ
風葉和歌集 1323