待たるゝ花の 咲き始むらん

 日ごとに陽が長くなり、日中は風がなければ充分暖かくなった。綿入りの半纏を着ていると汗ばむくらいで、素足で歩き回っていても、床の冷たさはさほど苦に思わなかった。
 暦が動き、季節が巡ろうとしていた。
 冬から春への過渡期を迎え、三寒四温という言葉そのままの気候が続いていた。
 数日前は急に冷え込み、片付ける直前だった冬物に慌てて袖を通した。かと思えば今日は朝から快晴で、気温は順調に上昇していた。
 庭に植えられた桜も、日増しに蕾を膨らませていた。満開となるにはもうしばらく掛かりそうだが、気の早い分がちらほら、花を咲かせていた。
 菜の花は既に見頃を迎えており、草葉を掻き分ければ菫の花も見つかった。それ以外でも色鮮やかな花がちらほら、庭の各所を彩っていた。
 雪に覆われて、辺り一面真っ白だったのが、もう懐かしい。
 この鮮やかな色の移り変わりが、冬の間にやって来た刀剣男士には奇妙に映るらしい。日頃は寡黙な鬼丸国綱も、数多在る粟田口の短刀たちに連れられて、毎日のように庭を探索していた。
 今もまた、どこかに出向く途中なのだろう。
「こっち、こっちです」
「待て。そんなに急かすんじゃない」
 秋田藤四郎や五虎退に導かれ、大柄の男が庭を横切り、歩いて行く。
 縁側から見送っていたら、振り返った太刀と一瞬だけ目が合って、小夜左文字は反射的にお辞儀した。
 軽く頭を下げ、すぐに目を逸らした。特に会話はなく、新たに戦列に加わった天下五剣は、そのまま去って行った。
 賑やかな一団が見えなくなるのを待って、改めて色彩豊かな庭に目をやった。
「花でも、生けようかな」
 一方、屋内に視線を転じれば、まだまだ冬の名残を残す品々が、雑多に並べられていた。
 男所帯なのもあって、華やかさは薄い。刀剣男士個々の部屋であれば各々の特色が強く表れるが、共用部に関しては、ごった煮も同然だった。
 ここに春を感じさせる花でも飾れば、少しは風景が変わって見えるだろうか。
 そんなことを考え、小夜左文字は胸の辺りを掻いた。
 ただ単に花を生けるといっても、決して簡単ではない。いや、簡単だからこそ難しく、奥行きが深かった。
「歌仙辺りに、相談しよう」
 器ひとつにしても、選択肢の幅は広い。主題に据える花をどれにするかも、未だ定まっていなかった。
 こういうことは、普段から風流に慣れ親しんでいる男に頼るに限る。
 善は急げと踵を返し、打刀を探して目を泳がせれば、ちょうど屋敷へ向かう複数の人影を見付けた。
「歌仙、と。松井?」
 彼らは何やら話をしながら、玄関のある方角に足を運んでいた。万屋に出かけた帰りらしく、半歩先を行く歌仙兼定は、細長い棒状のものを胸に抱えていた。
 松井江は手ぶらで、若干呆れ顔だ。人差し指を立てながら頻りに捲し立てて、彼の言葉を聞く度に、歌仙兼定の表情は陰り、曇り、渋くなった。
 また無駄遣いをしようとして、怒られているらしい。
 去年まで、それは小夜左文字の仕事だった。しかしこのところは、あの打刀に立場を奪われ気味だ。
「なに、買って来たんだろう」
 少し寂しいが、人見知りの刀が交友関係を広げるのは、悪いことではない。
 興味を覚え、先回りすべく、小夜左文字は廊下を駆けた。誰かにぶつかっても迷惑にならない速度を保ち、慣れ親しんだ道順を辿った。
「お帰りなさい、歌仙。松井」
「ああ、お小夜。ただいま」
「小夜様、ただいま戻りました」
 到着したのは、彼らが敷居を跨ぐ直前だった。
 弾む鼓動を宥め、息を整えながら、仲間を迎え入れる。ふた振りは短刀の姿を見るや笑顔を浮かべ、それぞれに帰還を告げる挨拶を口にした。
 松井江は律儀に尊称を忘れず、小夜左文字が途端に小鼻を膨らませても知らん顔だ。勝手に満足げに頷いて、一足先に靴を脱ぎ、膝を折って歌仙の荷物を預かった。 
「それは?」
「桜です」
「折ってきたんですか?」
「いいえ。万屋の軒先で売られていたのを、歌仙様が、どうしてもと仰有るので」
 後ろから肩越しに覗き込んだ短刀に答え、松井江が立ち上がった。油紙で根本を覆った桜の枝は、まだ蕾が多く、その殆どが花開く途上だった。
 本丸の庭に植えられた桜も、このような枝振りのものが多い。それで手折って来たのかと勘繰ったが、本当に、ちゃんと購入したものだった。
 松井江が言うのであれば、嘘ではなかろう。
 そんな風に思ったのが、視線の動きで悟られた。目が合った歌仙兼定は拗ねたのか、口をへの字に曲げて、羽織った外套を翻した。
「花器を探してくる」
「では、こちらはお部屋にお運び致しますね。小夜様も、ご一緒にいかがですか」
「じゃあ、はい。折角なので」
 もとより、花を生けるのに歌仙の力を借りようとしていた。
 まさに願ったり叶ったりで、こちらの機微を読み解かれていた気分にもなる。断る理由などなく、二つ返事で頷いて、小夜左文字は早足で打刀たちを追いかけた。
 途中、歌仙兼定は納屋に寄ると言い、別の道を行った。
 本丸の建物は、大きく二つの区画に別れている。皆が共通して使う設備が集まった母家と、刀剣男士たちの私室が集まった離れとだ。
 度々増改築を繰り返し、今では一部が二階建てとなった離れと母家は、渡り廊で繋がっていた。屋根はあるが、風が通り、左右には美しく整えられた中庭が広がっていた。
 数珠丸恒次とにっかり青江のふた振りが、竹箒を手に掃除をしていた。厚藤四郎と後藤藤四郎が鞠玉を蹴って遊んでおり、信濃藤四郎がその傍で退屈そうに屈んでいた。
 陽射しは麗らかで、心地よい。どこから迷い込んだのか、黒猫が軒下で丸くなり、大きく欠伸をした。
「しかし、このような蕾の枝を生けて、どうするんでしょう」
 つられて口を広げかけて、小夜左文字は斜め前から飛んで来た質問に、ハッと背筋を伸ばした。
 急ぎ顔の下半分を利き手で覆ってから、深呼吸し、小首を傾げて振り返った松井江に目を細めた。
「段々と、花が開いていくので。それを楽しむのも一興だと、多分、歌仙は」
「庭にも、あれほど植えられているのに、ですか?」
「そういうもの、なんだと思います」
「はあ……」
 顕現して日が浅い彼には、歌仙兼定が好む風流がまだ分かり難いらしい。かといって小夜左文字自身も、全てを理解出来ているわけではなかった。
 松井江の疑問はもっともだけれど、敢えて屋内での観賞も、決して悪いものではない。たとえば雨の日に、間近で桜を愛でられるというのは、とても贅沢なことだ。
 大きく頷いた短刀に、打刀は分かったような、分からなかったような顔をした。緩慢な相槌をひとつ打って、割と重い桜の枝に視線を落とし、落とさないよう抱え直した。
「そういうもの、なんですか」
 枝は長いもので、打刀の腕からはみ出るくらい。短いものでも、短刀の肘から指先ほどの長さがあった。
 それほど太くなく、先に向かうに連れて徐々に細くなっていく。花は一箇所に固まっているものがあれば、てんでばらばらに散らばっているものもあった。
 四方八方に好き勝手に伸びており、なにかにぶつかった拍子に折れてしまいかねない。そうならないよう慎重に抱きかかえ、運んでいると、どうしても移動に時間がかかった。
 いつもの倍近くを要して、ようやく歌仙兼定の部屋へと辿り着く。
 物が多く、足の踏み場に困る空間に入って待っていたら、程なくして黒色の花器を手にした部屋の主が姿を見せた。
「おや?」
「ちょっと、お邪魔しますね」
 そこにもうひと振り、脇差がひょっこり顔を出した。篭手切江は驚く小夜左文字らの前で、眼鏡の向こうの目を細め、茶目っ気たっぷりに笑った。
 移動の道中でばったり遭遇した、というわけではなさそうだ。彼の手には、ちょうど四振り分の茶菓子と、湯飲みを並べた盆が握られていた。
「本当は、りいだあたちと分けるつもりでしたが、松井が、こちらにいると聞きましたので」
「良いんですか?」
「ええ。りいだあと、桑名には、また今度で」
 と思っていたら、事実、ばったり出くわしたらしい。準備が良すぎる理由を告白されて、小夜左文字は苦笑を禁じ得なかった。
 松井江と顔を見合わせ、家主である歌仙兼定が頷くのを待って、畳に腰を下ろした。狭い中、場所を融通し合って、互いに楽な姿勢で座り直した。
「さて、と」
「どこに飾るんですか?」
「そうだね。ひとまず、玄関の正面を想定しているが」
「良いですね、華やかになります」
 鋏や剣山は部屋にあり、歌仙兼定がそれらを準備する間に、篭手切江がてきぱき茶を配った。適時話題も振って、会話が途切れない心配りは絶妙だった。
 脇差には世話好きな刀が多いが、御多分に漏れず、彼もそうだ。
 小夜左文字と歌仙兼定だけだった時は、どうにも話が続かず、沈黙の中で時間を過ごす機会が多かった。しかし彼が本丸にやって来て以降は、話題に事欠くこともなく、いつも賑やかだった。
「勝手にやって、怒られませんか?」
 その中で、やり取りを聞いていた松井江が疑問を呈する。
「今のところ、言われたことは、あんまり……なかったはずです」
 それに答えて、小夜左文字は桜を模した饅頭に手を伸ばした。
 ひとくちで齧るには大きく、見た目以上に重い。些か不格好なものも混じっているので、本丸の誰かが作ったものらしかった。
 菓子作りは小豆長光が得意としているけれど、これは彼の手によるものではなかろう。となれば誰、と想像を巡らせていたら、支度を終えた歌仙兼定が、三振りの真ん中にどっかり腰を下ろした。
「さて、と」
 納戸から出して来た花器を前に陣取って、松井江が大事に運んで来た桜の枝をその横に置いた。艶を帯びた黒の器は横に細長く、底は浅い。上から見れば楕円形で、両端は僅かに反り、中央より高くなっていた。
 三日月を横にしたような形状で、長い枝振りの花を生けるのには適しているとは言い難い。
 それは歌仙兼定だって分かっているだろうに、敢えてそれを選んだ理由は何なのか。
 黙って見守っていたら、彼はまず、万屋で買ってきた枝の根元に鋏を入れた。パキン、と硬い音がひとつ響いて、断面の中心に深い溝が刻まれた。
「小夜様、あれは?」
「水を吸う面積を、増やしてやっているんです」
 不思議な事をする、と首を捻った松井江に小声で訊ねられ、小夜左文字は嗚呼、と頷いた。手短に説明してやって、残りの枝も同じようにする打刀を指差した。
 こうして水に接する場所を増やすことで、花の寿命は僅かでも伸びる。蕾が解け、花が咲くまで楽しむ為には、欠かせない手間のひとつだった。
「なるほど……」
 事情を教えられて、松井江は顎に指をやり、何度も頷いた。無駄に思えることでも、ちゃんと意味があるのだと悟り、感心した様子だった。
 顕現してからもう長い小夜左文字たちには、当たり前となっていることでも、人の身を得て半年に満たない刀には面白いのだろう。いつの間にか忘れていた感覚を呼び覚まされて、短刀は知れず、頬を緩めた。
「いいお天気ですねえ」
 一方、真剣な顔つきの打刀を余所に、最も縁側に近い場所に座った篭手切江が、暢気極まりない言葉を口にする。
 両手で湯飲みを抱き、茶を啜る姿は、些か年寄りじみていた。
 外見の年若さとあまりにも差がありすぎて、滑稽だ。ぷっ、と噴き出しそうになったのを堪えていたら、集中力を削がれた歌仙兼定が憤慨し、鋏を持った手を振り回した。
「君たちねえ、邪魔をするなら――」
 軽く暴れながら振り返り、鬱陶しいから出ていけ、と口走ろうとした。
 鋏も刃物の一種であり、当たれば切れる。危ない、と咄嗟に小夜左文字を庇って前に出た松井江の向こう側で、比較的安全圏にいた篭手切江が、何を思ったのか、突然ぱあ、と目を輝かせた。
「そうです、歌仙。思ったんですけど、やはり桜だけでは、物足りないのでは?」
「ああ?」
 誰の所為で打刀が機嫌を損ねたのか、まるで分かっていない。
 湯飲みを置き、妙案だと手を叩いた彼は、言うが早いかそそくさと立ち上がった。
「少し、待っていてください」
「おおい、こら。どこへ行くんだ、篭手切?」
 小夜左文字たちがぽかんと見送る中、脇差は一足飛びに部屋を出た。靴下のまま、縁側から中庭に飛び降りて、左右を忙しく見回したかと思えば、どこかに向かって駆けていった。
 歌仙兼定が引き留めたけれど、まるで耳に入っていない。残された刀たちは状況が理解出来ず、惚けて間抜けに口を開き、本丸最古参の刀の咳払いを合図に背筋を伸ばした。
「篭手切は、どうしたんでしょう」
「さあ」
 松井江に訊かれた小夜左文字だが、こればかりは答えられない。彼のあまりにも唐突な行動は、本当に理解不能だった。
 正直に分からない、と伝えて、場繋ぎに桜を模した饅頭を齧る。
 前歯を差し込み、削り取った。中にたっぷり詰め込まれた白餡がぼろっと崩れ落ちそうになり、慌てて手で拾って、口に入れた。
 行儀が悪いが、食べ物を粗末に出来ない。これくらいなら許されるだろう、との個人的な判断だが、しっかり見ていた松井江の表情は険しかった。
「……いけませんか」
「どうぞ、お使いください」
 睨むというよりは、呆れて、哀しんでいる風にも見えた。
 思わず口を突いて出た不満に、彼は小さく首を振り、胸元から何かを取り出した。
 椿の刺繍が美しい帛紗挟みから紙を一枚抜き取り、渡されて、短刀は喉の奥でぐう、と唸った。
「ありがとう、ございます」
「いいえ。常に携帯しておりますので、ご入り用の際には、いつでもお申し付けください」
 懐紙はちょっとした取り皿にもなれば、鼻を噛むのにも使える万能な品だ。頻繁に鼻血を出している彼には、まさに必要不可欠なものだった。
 だというのに得意げに胸を張って言われて、苦笑を禁じ得ない。彼の準備が良い理由を思い出して、小夜左文字は肩を揺らした。
 有り難く貰い受けて、左の掌に敷き、そこに饅頭を置いた。ふと気になって視線を斜め前方にやれば、気を取り直した打刀が一心不乱に桜と格闘していた。
 不要な蕾を落とし、枝の長さを調整して、配置に思案しつつ、器に生けていく。途中から斜めに曲がっているものを上手く利用して、それを支柱代わりにし、別の枝を縦に配したのは見事と言わざるを得なかった。
 幅を持たせ、高さも確保し、奥行きを演出して、空を目指して咲く桜を小さな世界に再現していた。
 今は蕾ばかりだけれど、これが花開いたら、どうなるのだろう。
 見惚れ、目を瞑り、空想に耽っていたら、どこからともなく犬のような荒い息遣いが聞こえて来た。
「お待たせしました!」
 威勢の良い声と共に、どん、と縁側を蹴る音がした。揃って振り返れば息せき切らした篭手切江が、黄色と薄紫色の花を両手一杯に抱きかかえていた。
 いったいどこへ行っていたのか、頭には緑色の草の切れ端が貼り付いていた。
「びっくりさせないでくれ」
 彼の大声に、歌仙兼定まで作業の手が止まった。憤懣やる形無しの表情で苦情を口にした後、ハッと息を呑んでひとり何かを悟り、額に手をやって肩を落とした。
 小夜左文字は上機嫌に部屋に上がり込んだ彼を見上げ、ひと言言いかけて、口を噤んだ。
「篭手切、その靴下は脱いでください」
「え? あ、はい。すみません」
 代わりに汲み取った松井江が注意して、泥で汚れた足で部屋に上がろうとした脇差を制した。
 言われてやっと、自分が靴下のまま外を走っていたと気付いたらしい。篭手切江は途端に顔を赤くして、摘んできたばかりの、青臭さが残る花を短刀に託した。
 差し出され、思わず受け取って、小夜左文字は色鮮やかな花々にほう、と息を吐いた。
「篭手切。君は、僕の生ける花に不満があるのかい?」
「いいえ、まさか。ただ、彩りが足りないと思ったので」
 彼の意図していることが、なんとなく分かった。
 一足先に理解していた歌仙兼定が文句を言うが、篭手切江はまるで悪びれる様子がない。あくまでも善意からの行動だと主張して、余計なお世話、という認識は皆無だった。
 確かにまだ蕾しかない桜だけでは、華やかさが足りない。枝の茶色ばかりが目立って、非常に地味で、色彩は単調だった。
 脇差がそう感じたのは、仕方がないことだ。
「そう、かも……しれませんね」
「でしょう? ですよね!」
「お小夜まで」
 ぽろっと感想を零せば、聞き逃さなかった篭手切江が急に声を高くした。歌仙兼定は渋面を作って、額の真ん中に爪を立てた。
 周辺を軽く引っ掻いて、苦虫を噛み潰したような表情で俯き、少ししてから顔を上げた。座ったまま後退して、作成途中の生け花を遠巻きに眺め、眉目を顰めた。
「お小夜」
「はい」
 続けて前を見たまま短刀を呼び、手招いた。空の掌を上にして差し出されて、小夜左文字はクスクス笑いながら、花を一輪選び、手渡した。
 黄色が鮮やかな菜の花と、紫色が可愛らしい菫の花と。それ以外にも何輪か、花束の中に紛れていた。
 道具も使わずに手折って来たのだろう、根本の断面は若干痛々しい。
 それを憐れみ、丁寧に鋏を入れて、歌仙兼定はまず菜の花を桜の根元に添えた。
 大半が咲き、蕾は天辺部分に僅かに残るだけとなったそれを混ぜた途端、暗く沈みがちだった部屋の景色が、一気に明るくなった。
「こんなに、変わるものなんですか」
「良いじゃないですか、歌仙」
「……くっ」
 たった一輪、添えただけだというのに、急激に変わった。
 直前までとはまるで異なる印象を抱かされ、松井江は驚き、篭手切江は鼻息を荒くした。
 対する歌仙兼定は自身の美意識の誤りを指摘された感覚に陥り、かなり悔しそうだった。
 奥歯を噛み、眉間に皺を寄せ、ぐっと拳を作って膝に押しつけた。煮えたぎる感情を必死に宥め、説き伏せて、己の中で折り合いをつけているのが、傍目にもはっきり感じ取れた。
 以前なら、辺り構わず怒鳴り散らし、我を押し通そうとしたに違いない。
「……ふふ」
 人の身を得て、経験を積み、仲間とのやり取りを重ねるうちに、随分と成長した。
 口元に手をやり、小夜左文字はこみ上げる笑いを堪えた。
「ねえ、小夜はどうですか。悪くないと思いませんか」
「そうですね。素敵だと、思います」
「お小夜!」
「あの、歌仙様。不躾ながら、僕も、その。花を、選んでも宜しいでしょうか」
「はああ?」
 篭手切江から話を振られ、即座に頷いて返す。最後の頼みの綱だった短刀にまで裏切られ、歌仙兼定は甲高い悲鳴を上げた。更に松井江にまで訴えられて、素っ頓狂な声を出した。
 胸に手を添え、身を乗り出した打刀の顔は、必死だった。篭手切江だけに良い格好はさせられない、というよりも、この花器に自分が見出した花を加えて、仲間に入りたいと、そういう雰囲気だった。
 願いが叶わなければ、血でも吐きそうな勢いだ。部屋の棚には歌仙兼定が集めた書物も多々収蔵されており、それらに飛び散ろうものなら、悲惨な事になるのは目に見えていた。
 ある意味卑怯なやり方に、細川忠興の愛刀は顔を引き攣らせ、やがて天を仰いだ。ふー、と長い息を吐いて肩の力を抜いて、諦めたのか、項垂れて小さくなった。
「好きにしたまえ」
「はい。では、血が滴るような真っ赤な花を、探して参ります」
 本丸を取り巻く庭には、多種多様な花が育てられている。あちこちに花壇があって、それ以外でもそこかしこに植物が根を張り、太陽に向かって翼を広げていた。
 松井江が望むような鮮やかな赤色の花は、表の庭に咲いている鬱金香辺りだろうか。
 あれは粟田口の短刀たちが、球根から大事に育てていたものだから、勝手に摘んだら怒られかねない。だがそうとも知らず、彼は血気盛んに立ち上がると、慌ただしく部屋を出て行った。
「松井、待ってください」
 小夜左文字と同じ事を思ったのか、汚れた靴下を握り締めた篭手切江が、大慌てでその後を追いかけた。
「まったく」
 残された打刀は心底呆れ顔で、正座していた足も崩し、楽な姿勢を作った。立てた膝に肘を置いて頬杖をつき、一瞬で静かになった空間を見回して、最後まで居残った短刀に苦笑した。
「黄色に、紫で、……あとは赤、か」
 日毎につぼみを膨らませ、薄紅色の花を咲かせる過程を楽しみたかった彼にとって、この展開は誤算だったに違いない。
 けれど脇差が置いて行った花を色ごとに分けていく横顔は、どことなく楽しげだった。
「賑やかで、良いですね」
「お小夜は、そう思うんだね」
「はい。なんだか、歌仙みたいです」
「僕?」
 一輪ずつ丁寧に扱う指先を眺め、何気なく話を振った。歌仙兼定はその言葉に意外そうな顔をして、少ししてから口元を綻ばせた。
 彼なりに考え、短刀が伝えたかった思いを模索し、結論を出したらしい。
「それは、至極恐悦」
 菫の花を取り、目を細め、囁く。
 彩りを増していく花器と彼をまとめて視界に収め、小夜左文字は首を竦めると、歯を見せない程度に笑った。

おぼつかないづれの山の峰よりか 待たるゝ花の咲き始むらん
山家集 春 60

2020/03/21 脱稿