散りまがふ 花に心の 移りつつ

 麗らかな陽気に、上機嫌な歌声が溶けていく。複数の手拍子が響き渡り、けたたましい笑い声が合間に挟まった。
 吹く風は弱く、温い。
 足元は柔らかな芝に覆われ、頭上を仰げば薄紅色の花びらが視界いっぱいに広がった。青空は遙か上空にあり、白い雲が時折現れては、ゆるりと流れて去って行った。
 長閑で、穏やかで、健やかな時間。
「どうした、マスター。ちっとも箸が進んでおらんぞ」
「そんなことないって」
 こんなことをしている場合ではない、と頭のどこかで思っている。けれど極力考えないようにして、藤丸立香は織田信長の問いかけに首を振った。
 右手に握り締めていた割り箸を一旦置いて、入れ替わりに紙コップを取った。中に残っていた麦茶を一気に飲み干せば、隣に控えていたマシュがすかさず注ぎ足してくれた。
「ありがとう」
「いいえ、先輩」
 礼を言えば、眼鏡の少女は照れ臭そうにはにかんだ。目を細め、口元を綻ばせて、反対側から伸ばされた手にも即座に反応した。
 少女姿のダ・ヴィンチにも茶を注いでやって、最後に自分の分を。
 甲斐甲斐しく動き回る彼女に目尻を下げて、立香は僅かに湯気を立てる茶で喉を潤した。
 それから向かい側でまだ不満そうにしている信長に目配せして、箸を取った。彼らの前方に並べられた重箱には、まだまだ沢山の料理が残されていた。
 卵料理に、魚料理、肉料理。野菜もふんだんに使われて、彩りが実に鮮やかだった。
 見ているだけで溜め息が出るほどの豪勢さで、食べてしまうのが若干惜しくもある。
 カルデアの台所を任されているサーヴァントが、今日のために腕によりを掛けてくれたものだ。美味しくない、などあり得なかった。
「ん。おいひぃ」
 実際、筍の木の芽和えは絶品だった。
 固過ぎず、かといって柔らかすぎることもない絶妙の歯応えに、山椒の風味が絶妙だ。続けて二度、三度と箸を動かし、立香はのんびりと過ぎて行く時間に相好を崩した。
「まったく。ほれほれ、これも美味だぞ。食え、食え」
「ちょっと待って。そんなに一気に、無理だってば」
 調子良く箸を進めていたら、機嫌が直ったらしい。自分が作ったわけでもないのに、信長は得意になって、立香の皿に次から次へと料理を押しつけ始めた。
 手持ちの紙皿はすぐにいっぱいになり、空いていた皿にまで盛り付けられた。山盛りの食べ物を前に苦笑を禁じ得ないが、彼女の善意を蔑ろにする訳にもいかなかった。
「おうおう、どうした、どうした。ちゃあんと食ってっかあ?」
 和洋中なんでもあり、の一枚となった皿を抱え、端から順に攻略していたら、余所から別の声が振って来た。
 先ほどまで花見に浮かれて歌い、踊る沖田総司や長尾景虎と一緒に居たはずの、森長可だ。
「お前はちと飲み過ぎだ。ぶっ倒れても知らんぞ」
「んなことねえって。なあ、茶々様?」
 信長の背後から身を乗り出して来たバーサーカーに、生前から付き合いがある信長がすかさず小言を言う。実際彼は、この距離からでも分かるくらい、吐く息が酒臭かった。
 いったいどれだけの量を飲み、仲間を酔い潰して来たのだろう。
「なになに、なにか言ったー?」
 一方で話を振られた茶々は遠くに居て、質問が聞こえなかったらしく、可愛らしい顔で首を捻った。
 彼女の周囲には、既に脱落済のサーヴァントが何騎か、横になっていた。茶々は気分の悪さから唸っている仲間に声を掛け、水を飲ませ、時に叱って額を叩いたりと、小さな身体で飛び回っていた。
 相手にして貰えなかった森は少々不満げで、それを笑った信長が肘で大柄な狂戦士の脇を小突く。
 仲が良い彼らに相好を崩し、立香は鶏の唐揚げをひとつ口に入れ、咀嚼しながら立ち上がった。
「お医者さん、呼んでこようか?」
「とっくに頼んであるから、だいじょうぶー」
 花見の宴席は賑やかさを増し、雰囲気に呑まれて気が大きくなっているサーヴァントもいる。普段は口にしないアルコールに敗北する英霊は、今後も続出するだろう。
 先手を打ったつもりが、とっくに呼び出した後だった。大声で訊ねた後で、恥ずかしくなり、立香はまだ大きかった塊を飲み込んだ。
 喉に閊えそうになったが、堪え、胸筋の真ん中を二度、三度と叩いた。口の端に残る脂気を舌で舐め取り、座り直すのに躊躇して、半歩後退した。
「先輩?」
「ちょっと散歩。腹ごなしに」
 ばつが悪い顔をして、言い訳を口にした。先ほどより遙かに重くなった体躯を揺らし、腹を撫で、立香は怪訝にするマシュに頷いた。
 それで納得したのか、彼女は特に何も言わなかった。ならば自分も、と言い出しそうな雰囲気だったが、丁度吹き抜けた風に桜の花弁が多数攫われ、誰もがそちらに意識を奪われた。
 立香はその隙に、若草の上に広げられたシートから出た。自分の靴を選んで履き、シミュレーターで再現された桜吹雪に目を向けた。
 それは到底現実とは思えない、どこまでもリアルだからこそ作り物だと分かる光景だった。
 小さな花弁が天を舞い、宙を踊った。細い枝がゆらゆらと揺れて、薄紅色の嵐がそこかしこで繰り広げられていた。
 踏みしめた地面には無数の凸凹があり、足裏で感じる草の柔らかさも、限りなく本物だった。
 全てが真っ白になった世界では、四季を感じるなど不可能だ。しかし時間は絶えず動き、前に、前に進んで行く。だから身体が、心が、それを忘れないようにとの配慮が、今回の花見開催のきっかけだった。
 もっともそれはあくまでも建前であり、実際は数在るサーヴァントたちのガス抜きと、交流会も兼ねて、というのが実情。そこにマスターである立香のストレス軽減目的も加われば、カルデアで反対する者はいない。
 彼の故郷に似せた景色を楽しみながら、皆で食事をし、酒を飲み、大いに語らいあう。
 出身も、時代も、思想も異なる仲間が集まって、和気藹々と。
 歓声に誘われてそちらに目を遣れば、パリスやガレスに、ジャックといったメンバーが輪になって遊んでいた。
 諸葛孔明が木陰に座って本を読み、少し離れた場所で司馬懿とグレイ、それにアストライアがお茶会を楽しんでいた。遙か彼方では、広々とした草原を駆る馬の姿が複数確認出来た。先頭を行くのは赤兎馬のようだが、はっきりとは分からなかった。
 皆が思い思いの時間を過ごし、楽しんでいた。
 だから立香も、彼らの意を汲み、笑顔を浮かべるべきだろう。
 しかし、どうも巧く行かない。僅かに強張りが残る頬をなぞって、彼は深く肩を落とした。
「綺麗、だな」
 呟く声には、力がなかった。
 息抜きは大事だ。人類の存亡が掛かった戦いの真っ最中ではあるが、四六時中緊張していては、魂が疲弊し、磨り減る一方だ。
 だから仲間の気遣いは嬉しい。有り難い。感謝しかない。
 それでも鬱々とした感情が拭いきれないのは、差し迫る決戦を前にしての悲壮感からなのか、それとも故郷を思わせる景色の所為なのか。
 懐かしい、とは思わない。そもそも立香自身、カルデアに来る以前に花見をした経験は、ごく僅かだった。
 幼少期は親に連れられ、出かけたかもしれないが、記憶に残っていない。物心が付いてから、家族以外の誰かと、わざわざ桜を見に行くなど、あまりあることではなかった。
 勉強に、ゲームに、習い事に忙しかったのもある。毎年変わらず咲く花を、人混みを掻き分けながらわざわざ眺める人々の心理は、幼心に理解不能だった。
 桜を見ても、特別な感慨は浮かばない。美しい、それくらいは思うけれど、それ以上の何かは湧き起こってこなかった。
 ただ痛感するだけだ。この景色が現実には存在しないものと化した、という事実を。
「ああ、ダメだ。ダメだ」
 気がつけば、下ばかり見ていた。ハッとして、両手で頬を叩き、立香は無理矢理顔を上げた。
 深呼吸を数回繰り返し、ほんのり赤みを増した頬を撫でた。唾液で咥内を漱ぎ、飲み込んで、爪先立ちで背筋を伸ばした。
 猫背になっていた姿勢を改め、もう一度、右の頬を軽く打った。ぺちん、と痛み以上に大きく響いた音で気合いを入れ直し、思いの外遠くまで来てしまった現実に目を見張った。
 あれほど騒々しかった宴の声も、全く聞こえてこない。
 どこをどう歩いて来たかも、記憶は不明瞭だ。振り返った先に見えたのは枝振りも立派な桜だが、それ自体は特になんの変哲もない、言ってしまえば仮想空間に再現されたオブジェクトでしかなかった。
 だというのに、不思議と目を奪われた。
 気持ちを切り替えたから、だろうか。皆と見上げたのと同じ花なのに、激しく心を揺さぶられた。
「ああ……」
 ため息をひとつ漏らし、立ち尽くす。
 周辺には他にも何本か、桜の木が生えていた。いずれも沢山花を咲かせ、鮮やかな陽射しを受けて、輝いているというのに。
 理由は分からない。過去、己が目にした木と似ているのかと考えたが、あまりしっくりこなかった。
 訳も分からず、呆然と佇み続けた。早く帰らなければと思いつつも、離れ難くて、足に根が生えたようだった。
 鼻から吸った息を口から吐き、幾度か肩を上下させた。胸の奥がじんわり熱くなるのを感じて、無意識にそこに手を添えていた。
「マスター?」
「うわあ!」
 だから不意打ちの呼びかけに、大袈裟なくらい反応してしまった。
 他に全く注意が向いていなかったから、余計だ。怯えた猫のような反応をしてしまって、立香はぴょん、と跳び上がった後に口を塞いだ。
 恥ずかしいくらい、悲鳴が上擦った。人に聞かせるにはあまりにも情けない声色に顔を赤くして、不思議そうにしている男に首を竦めた。
「え。えと、え……あ、あれえ?」
 高速で瞬きを繰り返し、巻き舌気味に呟いて、身を乗り出した。あちらも立香の反応に怪訝な顔をしつつ、五メートル以上あった距離を早足で詰めた。
 さく、さく、と芝を踏む音が聞こえた。僅かに傾斜した道程を抜けて、彼は金糸煌めく長い袖を翻した。
「アスクレピオス」
「ちょうど良い所に居た、マスター。ひとつ訊ねたい。ここはどこだ」
「はい?」
 ギリシャの英霊にして、現代に於いても医神と崇められるアスクレピオス。
 その名を口にした途端、早口で質問を投げかけられた。左右を確認すべく、一瞬だけ瞳を泳がせた男は、至って真剣な表情で返事を待った。
 真っ直ぐな眼差しは、冗談を言っている雰囲気ではない。
「……はい?」
 もう一度、先ほどより大きな声で返事をして、立香は首を捻った。ぱちぱち、と二度ばかり瞬きを繰り返し、召喚後、当然のように医務室の主と化した男を見詰め返した。
 沈黙が続き、ふたりの間にひゅるる、と乾いた風が吹いた。
「マスター」
 やがてアスクレピオスがため息を吐き、袖に隠れた右手を腰に当てた。肩を竦め、真一文字だった唇をへの字に曲げた。
 気分を害され、不機嫌になっている。
 彼の感情の変化を察して、立香は引き攣り気味の笑みを浮かべた。
「ごめん。オレも、うーん……迷子」
 隠し通せるものではないし、隠したところで良いことはひとつもない。
 ならばと意を決し、正直に告白した。
 ただこれまでの反応と、尻窄みに小さくなっていく声とで、アスクレピオス自身も薄々勘付いていたらしい。
「そうか」
 彼はひと言そう呟いただけで、別段驚きもせず、糾弾もしてこなかった。
 それはそれで寂しい反応だが、不条理に怒鳴られ、詰られるよりはずっと良い。
 快晴の空を仰ぎ、視線を戻せば、医神は金色のサンダルで地面に穴を掘っていた。苛立ちは足元にぶつけて、立香には当てないように、との心がけだろう。その分かり難い配慮に笑みを浮かべて、人類最後のマスターは大きく息を吐いた。
「なんとなくは、覚えてるから。一緒に行く?」
「急患だと電信が入ったから、来てみれば」
「ははは」
 あまり自信はないけれど、と前置きして提案すれば、小さく頷いた後、アスクレピオスは深々とため息を吐いた。よもや迎えの一騎も現れないとは、彼も思っていなかったようだ。
 今回、シミュレーター内部に再現された空間は、花見をするだけにしては無駄に広かった。原因はまず間違いなく、颯爽と草原を駆けていた人語を操る馬だろう。
 思い切り走り回っても支障ないように、との希望を叶えた結果が、これだ。思わぬ弊害に遭遇させられて、立香はやれやれ、と首を振った。
「みんな、大丈夫かな」
「死ぬようなことはないだろう。なにせ全員、一度、死んでいる」
「……お医者さんがそれ、言っちゃって良いものなの?」
 赤ら顔で上機嫌にしていた面々と、突っ伏して苦しそうにしていた顔ぶれを思い出していたら、横から辛辣な言葉が発せられた。耳を疑い、質問を投げかけたが、アスクレピオスは返事をしなかった。
 ただ不敵な笑みを浮かべ、鼻で笑っていたから、一応彼自身も、冗談のつもりだったらしい。
 なんとも分かり辛く、笑い難い冗談なのか。
 医者としては非常に優秀ながら、時々扱いが難しくなる辺りが、流石はサーヴァントといったところだろうか。
 ただの人間である立香とは、産まれ方も、育ち方も、死に方すら大きく異なっている。そんな彼らの事を真に分かろうとしても、きっと時間の無駄でしかない。
 協調し、協力し、通じ合えるけれど、互いを本当に理解し合うには、人間の寿命はあまりに短過ぎる。
 何気なく己の掌を見詰め、裏返した。
 甲に刻まれた令呪は、仮想空間に再現された陽の光を受けて、一層黒く、際立って見えた。
「ところで、マスター」
「なに?」
 酔い潰れて大変なことになっているだろう仲間の元へ向かうべく、歩き出そうとした矢先。
 先に一歩を踏み出した立香を呼び止め、アスクレピオスが左腕を伸ばした。
「ここに来る道中にも散々見かけたが、大量に咲いているあの花は、なんだ」
 袖の中で指差しているのかもしれないが、傍目には見えない。ただ雰囲気は伝わって、立香は一度首肯し、続けて首を横に傾けた。
「桜、だけど。え、知らない?」
 英霊はマスターに召喚される際、様々な知識を与えられる。実際アスクレピオスは現代医学に通じており、医療行為に使われる機器を問題無く使いこなしていた。
 だというのに、桜の木を知らないというのは、おかしい。
 怪訝に思って声を高くすれば、アスクレピオスは一瞬黙り、嗚呼、と長い睫毛を上下に震わせた。
「そうか、これがサクラ、というものか。アーモンドではないんだな」
 得心がいったという風に呟いて、枝先で揺れる花に近付いた。顔を寄せ、至近距離から観察する姿は、医療従事者というよりは、科学者のようだった。
 それが少し面白くて、立香も桜の木に足を向けた。短い草が疎らに生える地面で背筋を伸ばし、両手は後ろで組んで、気になったひと言に説明を求めた。
「なんでアーモンド?」
 その単語から連想されるのは、香ばしくローストされたナッツの類だ。それがどうしてこの場に出てくるのか、立香には分からなかった。
 疑問符を頭に生やした彼をちらりと見て、アスクレピオスはすぐに桜の花に視線を戻した。長い袖を揺らめかせ、微風に泳ぐ枝先に目を眇めた。
「花の色と、形状が、似ているな」
「そうなんだ?」
「ギリシャで、春になると真っ先に咲く花だ」
「へえ……」
 過去を懐かしんでいるのか、語る彼の横顔はどこか嬉しげだ。淡々とした口調ながら、踊っているようにも聞こえて、おかしかった。
 新たな知見を得て、立香は緩慢に相槌を打った。知らなかったと目を瞬かせ、改めて大きな桜の木を見上げた。
 四方に枝を伸ばしており、遠くから見たら薄紅色の山のようだ。風が吹けばさああ、と一斉に揺らめいて、小さな花弁が中空を泳ぎ、流れていった。
 立香の手元にも一枚、ゆらゆらと落ちてきた。
「ギリシャって、凄く遠いところだと思ってたけど。そういう話聞いたら、なんか、近く感じる」
 手を広げ、受け止めた。寸前ですい、と逃げようとしたのを指で堰き止め、そのまま爪先で挟んで、目線の高さに掲げた。
 薄い花びら越しにアスクレピオスを見れば、彼は控えめに微笑んだ。
「美しい光景だ。そのうち、見せてやる」
 アポロンを筆頭に、ギリシャの神々には良い感情を持っていない男も、生まれ故郷には親しみを抱いているらしい。
 遙か遠くの大地に想いを馳せての呟きに、立香は頬を緩めた。
「楽しみにしてる。……正直、オレ、あんまり桜って、好きじゃないし」
「珍しいな。お前がそんなことを言うとは」
 約束を交わして、気が緩んだのだろうか。ぽつりと零した独白に、アスクレピオスは右の眉を僅かに持ち上げた。
「そう?」
 声も、心なしか低くなっている。
 彼の変化を悟り、立香は敢えておどけた調子で相槌を打った。しかし黙してじっと見詰められて、受け流すのは難しい、と数秒後に溜め息を零した。
 掴んだ花弁を風に預け、流れ行く花びらの渦を眺めた。どう説明しようか悩み、言葉を選んで、トン、と爪先で桜の根元を打った。
「桜の下には、死体が埋まってる」
「どういう意味だ」
「誰かの命を吸って花開くくらい、桜は綺麗だって意味。本当に埋まってるわけじゃないよ」
 春先になると、誰かがそんな話をしているのを、良く耳にした。裏山の神社の桜などはとても立派だったから、きっとそうに違いないと、怪談話も兼ねて語られていた。
 無論、それは事実ではない。しかし多くの人は、桜の美しさに死の影を重ねた。散り際の潔さや、儚さに、数百年に亘って想像力を巡らせてきた。
 しかし長い旅の中で、立香は多くの命を見た。懸命に生き、懸命に戦った人々に触れて来た。
 桜だって、必死に生きて、毎年花を咲かせている。一年の中でごく僅かな期間の為に、長い時間を耐え忍んで来た事実を、まるでなかった事のようにされるのは、納得がいかなかった。
「オレ、捻くれてるからさ」
 遊び場にしていた公園で、桜が咲く時期だけやって来て、子供達から場所を奪って騒ぐ大人が嫌いだった。普段は静かにしろ、だとか、ゴミを捨てるな、と言いながら、後始末も碌にせずに帰って行く連中が、憎らしかった。
 カルデアに滞在するサーヴァントたちが、そのような愚行を犯すとは思っていない。けれど一瞬、重なった。そして重ねて見てしまった自分に対しても、酷い嫌悪感を抱いた。
 自嘲気味に笑って、立香は頭を掻いた。黒髪をぐしゃぐしゃにして、アスクレピオスの言葉を待った。
 上目遣いに様子を窺えば、目が合った瞬間、彼ははっきりそうだと分かるくらい、立香を鼻で笑い飛ばした。
「ふっ」
「……な! なんで、笑うのさ!」
 こちらは真面目な話をしたつもりだった。罵られる覚悟もしていた。
 それなのに全く反対の反応をされて、驚いて、怒りさえ覚えた。つい声が大きく、高くなり、引き摺られて背筋も伸びた。
 握り拳を真下に突き出して、直後に力を緩めた。今一度アスクレピオスを見やれば、彼は依然不遜な表情を浮かべ、流れ落ちて来た桜の、まだ散る前の花柄を掬い上げた。
 萼の内側に、五枚の花弁が行儀良く並んでいた。まるで機械で測って、並べたかのような、見事なまでの規則正しさだった。
 これが自然の創り出したものだというのだから、驚嘆するしかない。
 そんな儚さと美しさを両立させた花を揺らして、動くギリシャ彫刻は優美に微笑んだ。
「確かにお前に、この花は似合わないな」
「ぐ――」
 真剣な表情で述べられて、傷つかなかった、と言ったら嘘になる。
 そういう話ではなかった筈だが、一気にすっ飛んだ。遠回しどころか直球で貶されて、反論したかったが、咄嗟に言葉が出なかった。
 喉に息を詰まらせ、唸り、顔を真っ赤にして医神を睨み付ける。するとアスクレピオスはぽい、と手にした花をその場に捨てた。代わりに、ではないだろうが、そのまま腕を伸ばし、立ち竦む立香の頬に指先を添えた。
 絹の袖越しに輪郭をなぞり、呆気に取られるマスターに向かって、不敵に口角を持ち上げた。
「お前は、そう、花ではない。幹こそが、お前だ」
「なに、言って……」
「大地に根を下ろし、風が吹こうが、雨が降ろうが、じっと耐え忍び、花を咲かせる。一方でその枝は傷つきやすく、折れれば容易く腐り、弱る。誰かが気を掛け、手を掛け、守ってやらねば簡単に朽ちてしまうような。それがお前だ。お前は、花ではない」
 口調は淡々として、説明は事務的だ。しかし離れて行かない指先が、徐々に触れる面積を増やしていく掌が、アスクレピオスの感情を代弁していた。
 暖かい。
 あたたかい。
「あ、やば」
 胸の内に広がった温もりが、目頭まで伝わって、その周辺がじんわり熱くなる。
 軽率に零れ落ちそうになったものを慌てて堰き止め、蓋をした。瞼を閉ざし、ぎゅっと力を込めて、深く吸った息をゆっくり吐き出した。
 アスクレピオスはその間、じっとして、動かなかった。立香が恐る恐る目を開けるのを待って、掌全体でその頬を包み込んだ。
「二度目の生という花を、僕らサーヴァントに咲かせている。ああ、そうだな。そういう意味でも、お前は、この木に似ているな」
 言って、コツン、と額に額をぶつけられた。それが彼なりの感謝の伝え方なのだと理解して、くすぐったくてならなかった。
 そんな風に言われたことなど、なかった。
 そんな風に考えたことも、なかった。
 暗く澱んでいた視界が、明るい陽射しに照らされ、四方に大きく開かれた気分だった。
「ありがとう」
「礼を言うべきは、こちらだろう」
「じゃあ、んー……どういたしまして?」
 すっと、胸が軽くなった。
 奥底で長く凝っていたものが溶けて、風に散る花びらに紛れて消えていく。心なしか呼吸まで楽になって、立香は口元を綻ばせた。
 茶目っ気たっぷりに右目だけを閉じ、髪の生え際を擽られて、首を竦めた。
「桜まみれだぞ」
「アスクレピオスだって」
 ずっと花の下に居たからか、身体のあちこちに花弁が付着していた。払い除けても、次から次に降ってくるので、ちっとも追い付かなかった。
 互いの肩や、髪に触れて、気がつけば声を出して笑っていた。小さなじゃれ合いが楽しくて、無邪気に花の下を駆け回っていられたあの頃に戻ったようだった。

2020/03/14 脱稿
散りまがふ花に心の移りつつ 家路をさへも忘れぬるかな
風葉和歌集 107