五月の雨に 水まさりつゝ

 じとっと張り付くような空気が辺りを埋め尽くしていた。
 払い除けられるものならそうしたいが、動けば逆に絡みついてくる。鬱陶しい事この上ないが、耐えるより他に術がなかった。
 団扇で首元を扇ぐが、なしのつぶても良いところ。
 軒先に吊された風鈴は動かず、冷たい雨粒を甘んじて受け止めていた。
 気温は程ほどだけれど、連日の長雨で湿度が凄まじい。癖毛の刀剣男士はいずれも頭が爆発して、酷いことになっていた。
 湿気で髪の毛がまとまらず、どれだけ櫛を入れても直らない。宗三左文字も四苦八苦させられており、丸坊主にしたい、とまで言い出す有様だった。
 さすがにそれはやめろ、と小夜左文字以上にへし切長谷部と不動行光が止めに入って、今のところ次兄の髪は無事だ。
 しかしこのような天候が続くようでは、いずれ我慢の限界が訪れるだろう。
 そうならないためにも、なるべく早く晴れて欲しい。
「ああ、嫌だ。いやだ」
「言ったところで栓ないです、歌仙」
 隣でぶつぶつ文句を言っている男に団扇の先を向けて、小夜左文字は静かにするよう訴えた。
 とはいえ、彼の気持ちは分からなくもない。いつ止むか知れない雨に、気は滅入る一方だった。
 初めのうちは誰も意に介さず、この季節はよくある事と解釈していた。しかし雨は一晩中続き、翌日も、その翌日もしとしとと地面を打ち続けた。
 重い色をした雨雲が頭上を占領し、太陽を奪い取ってから今日で四日。
「そうは言ってもね、お小夜」
 窘められても挫けることなく、歌仙兼定は声を高くした。
 大袈裟な身振りを交え、己の発言の正当性を主張する。
「言わなければ雨が止むなんてこと、君は信じているのかい?」
 若干苛々しながら喚き立てられて、短刀はスッと団扇を動かし、耳に蓋をした。薄い和紙一枚が壁となって音を弾いてくれるとは思わないが、なにもしないよりはましだった。
 目に見えて拒絶する態度に衝撃を受け、打刀が黙るという効果もある。
 一石二鳥を狙った少年に、歌仙兼定は予想通り、口をもごもごさせて大人しくなった。
 物言いたげな眼差しが、恨めしそうに小夜左文字を射抜く。
 それに気付かなかった振りをして、彼は襟元に風を送り込んだ。
 団扇を上下に往復させて、生温い風で頸部の湿気を薙ぎ払った。だがその分、手首近辺に熱が発生し、総合的に考えればさほど涼しくならなかった。
「明日には止んでくれると良いんですが」
「昨日も聞いたな、その台詞」
 損得勘定で考える自分を反省して、小夜左文字は団扇を置いた。部屋の隅から軒先を窺えば、後ろから嫌味たらしいひと言が響いた。
「では歌仙は、明日も雨で良いんですか?」
「…………」
 退屈だから、普段は聞き流していることにまで意識が向くらしい。
 短刀自身も些か大人げない返し方をしてしまい、むっと口を噤んだ打刀に苦笑した。
 揚げ足を取られて、面白くないのだろう。なんとか言い返そうと口を開いた彼だが、結局なにも言わずに唇を引き結んだ。
 直後に鼻から荒々しく息を吐いて、胸の前で腕を組んだ。胡坐を作り直し、神妙な顔をして目を瞑って、精神統一を図っているかのようだった。
 良く分からないけれど、ともかく静かにはなった。
「畑、大丈夫かな」
 不貞腐れている男から視線を外して、小夜左文字はぽつりと呟いた。
 種を蒔いた直後の野菜もあり、心配だ。好天に恵まれないと気温が上がらず、苗の生育に影響が出るのは避けられなかった。
 土中の水分が増大した結果、根腐れを起こして枯れてしまう可能性もある。
 冷夏から不作に陥り、飢饉が発生することだってある。
 決して楽観視出来ない状態で、不安が拭えなかった。
「てるてる坊主でも、作るとしようか」
「歌仙?」
「気休めだが、なにもしないよりは良いだろう」
 陰鬱な表情を浮かべていたら、歌仙兼定が不意に口を開いた。
 思わぬ提案に驚いたが、制止する理由はない。右膝を起こし、ゆっくり立ち上がった彼を目で追って、短刀は小さく頷いた。
 部屋の奥に引っ込んだ彼は、再び膝を折って屈むと、戸棚の金具を爪で弾いた。銀杏型をしたそれを抓んで引いて、底の浅い抽斗を棚から取り外した。
「これ、と……これも、もう使わないな」
 手元を見ながら独り言を繰り返し、中から出した料紙を分類していく。
 結局半分近くを不要と判断した彼は、ひと抱えある紙を抱いて戻ってきた。
「足りるかな」
「勿体ない」
「欲しいなら、あげるよ」
「これを僕に、どうしろと」
「てるてる坊主を作るんだろう?」
「……」
 今度は小夜左文字が黙る番だった。
 差し出された紙の表面には細かな文様が描かれ、金や銀の粉が蒔かれていた。試し書きに使うわら半紙とは異なり、最初から装飾が施された高級品だった。
 格の高い人物が寺院に収めた経典などに、このような料紙が使われている。
 てるてる坊主にするには惜しい品質だが、ほかに使い道があるかと問われたら、答えに窮せざるを得なかった。
 歌仙兼定はこの紙に和歌をしたため、厚めの紙に貼って、一冊の本に仕上げていた。特に気に入ったものは軸装することもあるが、床に飾られる機会は稀だった。
 そうやって少しずつ使っているけれど、あれこれと買い集めているうちに、数を増やし過ぎた。
 時が経ち、好みでなくなった紙もある。そういったものを処分する前に、一花咲かせてやろうというのが、今回の彼の計画だった。
「効果がありそうです」
 わら半紙を丸めて、捻ったものよりも、遥かに上質なてるてる坊主になることだろう。
 完成形を想像した小夜左文字は、こみ上げる笑いを隠し切れなかった。
 歌仙兼定もクツクツ喉を鳴らしながら笑って、手始めに一番上の紙をくしゃくしゃに丸めた。一枚だけでは小さいからと、もう一枚追加して、向きあわせた掌の間で躍らせた。
「紐がいりますね」
「そうだね。誰か、裁縫をする刀に聞いてこようか」
「いえ。大丈夫です」
 だが形を作っても、軒下に吊す為の紐がこの部屋にはない。
 材料の不足を指摘した短刀に、打刀が膝を打って腰を浮かせた。それを制して、小夜左文字は自らの頭上に手を伸ばした。
 結い上げた髪の根本に指をやり、左右不揃いの輪を擽った。手探りで位置を測り、見つけ出した端を握って一気に解いた。
 双葉の如く根元で割れていた髪がふわっと広がって、空気の抵抗を受けながら沈んで行く。跳ねた毛先がくるん、と曲線を作り、華奢な肩の上で高く弾んだ。
「お小夜」
 予想していなかったことに、歌仙兼定が目を丸くする。
 この先が思い浮かばないでいる男をクスッと笑って、小夜左文字は首に絡まる髪を軽く梳き、手にした紐の先端を軽く扱いた。
 結い紐は数本の細い紐を縒り合わせ、太さを確保していた。長らく使いこんで傷み始めており、一本くらい引き抜いたところで支障はなかった。
 途中で絡まないよう、慎重に手繰っていく。
 細かな作業に緊張を強いられ、部屋の主である打刀は力みを解こうと肩を竦めた。
「晴れたら、一緒に万屋にいこうか」
「どうしてです?」
「新しいのを贈らせて欲しい」
 互いに手元に集中して、視線は絡まない。
 顔を上げずに訊き返した短刀は、淡々とした返事に一瞬手を止めて、すぐに再開させた。
「なんでもいいのに」
 小夜左文字が粗末な格好をしていようが、歌仙兼定には関わり合いのないことだ。
 だのに彼は、短刀がみすぼらしくしているのを嫌った。同じ屋敷に居た縁がある脇差の篭手切江も、事あるごとに小夜左文字を着飾らせようとした。
 普段はなにかと意見が合わず、口論が多いふた振りなのに、この一点に関してだけは協力を惜しまない。
 着せ替え人形にされる側は、堪ったものではない。だが彼らがいがみ合うくらいなら、大人しくされるがままになる方が良かった。
 髪の結い紐だけで済まなくなる未来を想像して、短刀は解いたばかりの髪を手櫛で整えた。
 無事に引き抜けた赤い糸を膝に置き、残りを使って束ねた髪の根本を縛った。鏡がなく、勘が頼りなので不格好になったが気にせず、打刀が作ったてるてる坊主の根本に糸を巻き付けた。
 簡単に解けないよう、こちらもしっかり結んで、残った糸を抓んでぶらん、とぶら下げた。
「のっぺらぼうは、寂しいな」
「歌仙が描きますか?」
「ここはお小夜に、手本を見せてもらわないと」
 高く掲げられた紙製の人形は頭でっかちで、見栄えが悪い。
 高品質なものを使っているのに出来栄えがいまいちなのに眉を顰め、打刀は後の責任を短刀に押し付けた。
 遜っているように聞こえるが、態度は横柄だ。失敗作だと認めたくなくて、不出来な原因を背負いたがらなかった。
 巻き添えになるのを強要されて、小夜左文字は渋い顔をした。絵心がないのは、短刀も同じだった。
「狡いですよ、歌仙」
「ささ、お小夜。筆をどうぞ」
 返事を保留したつもりが、顔を描くための道具を問答無用で押し付けられた。
 文机の硯箱からではなく、旅歩きの供としている矢立から取り出したものを渡されて、拒み切れなかった。
「どうなっても知りません」
「ああ、勿論だとも」
 どんな顔になっても文句を言うなと釘を刺し、鷹揚に頷いた男を睨む。
 なにか仕返しをしてやりたくて、悩んだ末に、小夜左文字はさらさらと筆を動かした。
 小筆を器用に操り、丸い目に睫毛を付け足した。頭の天辺には、ひょろっと糵のような髪を追加した。
「……ん?」
 横から覗き込んできた打刀が首を傾げて、どこかで見たことがある、と小さく唸った。
「できた」
「まさか、お小夜。これは、僕のつもりかい?」
 下書きなしの一発勝負だったが、案外うまく出来た。
 自画自賛した短刀に頬を引き攣らせて、歌仙兼定は恐る恐る自分自身を指差した。
 冷や汗を流す彼を振り返り、その通りだと深く頷く。
「さあ、吊しましょう」
 珍しく鋭かったと感心しつつ、小夜左文字はそそくさと立ち上がった。
 ハッと背筋を伸ばした打刀に奪われないよう横に逃げて、風鈴が先客として陣取る縁側に出た。とはいえ彼の身長では、吊り下げようにも手が届かず、誰かの協力が不可欠だった。
「やめるんだ、お小夜。そういうのは、風流じゃない」
「文句は聞かないと、先に言いました」
 しかし現状、歌仙兼定の助力は得られそうにない。
 大声で喚き散らした男の顔は蒼白で、唇は土気色だった。
 力技で奪いに来た打刀をひらりと躱し、出来上がったばかりのてるてる坊主を飾る場所を探し、縁側を駆けた。途中で落とさないよう、大事に胸に抱きかかえて、左右を警戒しながら突き進んだ。
「お小夜、待つんだ」
 歌仙兼定も諦め悪く足掻いて、ドスドス足音を響かせた。
 雨の日の午後、やることがなくて引き籠もっていた刀の何振りかが、騒動を聞きつけて廊下に顔を出した。
 そのどこかにかくまってもらおうと考えて、視線を巡らせた矢先。
「うわっ」
 ちょっと目を逸らした瞬間、右からやって来た刀にぶつかった。
「いたた……」
 本丸でも際立って背が低い短刀は、体重も軽い。
 衝突の勢いに負け、小夜左文字は吹き飛ばされて尻餅をついた。臀部を冷たい床で痛打して、目の前に星が散り、しばらく動けなかった。
 急いで逃げなければいけないのに、身体に力が入らない。
「小夜?」
「捕まえたぞ、お小夜」
「歌仙まで。……これは?」
 ぶつかった相手が誰かも、分からないままだった。
 降ってきた声に緩く首を振り、追い付いた歌仙兼定に腕を掴まれ、爪先をぶらん、と宙に浮かせた。
 荒い息を後頭部で受け止めていたら、斜め向かいに佇んでいた少年が腰を折り、足元に落ちていたものを拾って首を傾げた。
「げっ。篭手切」
「なんですか、その言い草。失礼な」
 前と後ろで声が交錯して、ひと呼吸置いてから小夜左文字は理解した。
 ぶつかったのは、眼鏡の脇差だ。しかも衝突の際にうっかり落としたてるてる坊主も、彼に拾われてしまった。
 歌仙兼定が驚き、およそ雅ではない声を上げたのは、その瞬間を見てしまったからだ。
 小夜左文字が描いた似顔絵は、下手ながらも特徴をしっかり掴んでいた。長い睫毛とひと房跳ねた髪で、パッと見ただけでは分からなくても、じっくり眺めれば誰の顔か分かるはずだ。
 篭手切江もずれた眼鏡を正し、紙で出来た小さな人形に視線を落とした。
「……ぶっ」
 直後に手の甲で口を覆ったが、間に合わない。
 隙間から漏れた空気と音に、歌仙兼定は真っ赤になった。
「か、返すんだ。それを。篭手切。早く!」
 猫のように爪を立てて空気を掻き毟るが、間に小夜左文字がいるので届かない。
「ぶはっ、ははは。なんですか、これ。そっくりだ。はは、あはははは」
 そんな大袈裟な反応も手伝って、脇差は益々声を高くして笑った。
 左手で腹を抱え、くの字に身体を曲げて息を切らす。笑い過ぎて苦しい、と頬を引き攣らせて、止めれば良いのにてるてる坊主を顔の前に持って行った。
「ぶふっ」
「笑うんじゃない!」
 どうして辛いのに、また笑おうとするのか。
 彼の心理がさっぱり読み解けなくて、歌仙兼定は半泣きで怒鳴った。
 握り拳を上下に振り回し、危うく当たるところだった。すんでのところで躱した短刀は呆れて溜め息を吐き、両手を揃えて前に出した。
「雨が早く止まないかと、思って」
「それはいい案です」
 掌を上に向けて並べた彼に、篭手切江はひと息ついてから言った。裾の部分がくしゃ、と折れてしまったてるてる坊主を整えて、紐を抓んで短刀に手渡した。
 紙なので、一度ついてしまった折れ目は消えない。
 ただでさえ不格好だったのが、更に悪化した。
 後ろを窺えば歌仙兼定は怒るのに疲れたのか、がっくり肩を落として項垂れていた。
 自分の顔を模したてるてる坊主が軒先で揺れて、雨を被るのが余程耐えられないらしい。悔しそうに口を噛んで、変なところに皺が寄っていた。
「かわいいのに」
「聞こえているよ、お小夜」
 てるてる坊主も、歌仙兼定自体も、年上である短刀から言わせれば愛らしい。
 だが号を得て、身体つきも立派になった打刀は、小夜左文字がいつまでも子ども扱いして来るのが常々不満だった。
 その褒め方は気に入らない、と憤然とした面持ちの彼の前で、篭手切江が首を傾げて目を細めた。
「それ、材料はまだ残ってます?」
「え?」
 短刀の手に鎮座しているてるてる坊主を指差し、歌仙兼定に向かって問いかける。
 虚を衝かれた男は目を点にして、少し置いてから頷いた。
「紙なら、まだ」
「糸がないです」
「なら、もらってきます。それで、私が小夜の顔を描くので、歌仙は私の顔を描いてください」
「は?」
 顔を見合わせた小夜左文字と歌仙兼定を同時に眺め、脇差が妙案だと手を叩き合わせた。
 素早く打刀と、自身を指差して、これで万事解決だと相好を崩した。
「……なぜそうなる」
 けれど残りのふた振りには、それがなんの解決になるのか分からない。
 惚けて立ち尽くす彼らをその場に残し、脇差は言うだけ言って踵を返した。
「歌仙の部屋で、集合で」
「篭手切」
 数歩行ったところで合流場所の指示を出し、どこかへと駆けていく。
 引き留める間もなく行ってしまった少年に唖然として、小夜左文字は歌仙兼定と顔を見合わせた。
「どうします?」
「どうするも、なにも」
 篭手切江はああ言っていたが、全てを聞き入れて、従ってやる義理はない。
 今後の対応を問うた短刀に、本丸最古参の打刀は右手で頭を抱え込んだ。
 爪の先で藤色の髪を軽く引っ掻き、目線を浮かせて遠くを見ながら考え込む。しかし結論は出なかったらしく、しばらくしてから深々と溜め息を吐いた。
「とりあえず、戻ろうか」
「はい」
 ここでじっとしていたところで、なにも始まらない。脇差の考えが読めない以上、放っておくわけにもいかないと、彼は渋々来た道を戻り始めた。
 小夜左文字も同意して、男の後を追いかけた。ちょっと草臥れてしまったてるてる坊主を両手にそっと抱え持ち、傷つけないよう慎重に足を進めた。
 歌仙兼定の部屋は、ふた振りが飛び出した時のまま、静かに主を待っていた。
 彼らが通り過ぎる際に微風が起こり、風鈴がリン、と微かに音を響かせた。涼をもたらすにはとても足りない音色に顔を上げて、短刀は咄嗟に肩を引き、男からてるてる坊主を庇った。
「取ったりしないよ」
 奪い取られるのを警戒し、身構えた彼に、打刀が傷ついたと訴える。
 行き場をなくした手で意味なく腰を叩いて、歌仙兼定は足元に散らばる紙を掻き集めた。
 薄い料紙を束にして、端を揃えて枚数を数える。ひい、ふう、みい、と読み上げる声を聞きながら、小夜左文字は縁側の先が見える場所に腰を下ろした。
 篭手切江が来たら分かるよう目を凝らし、打刀を模したてるてる坊主は膝と胸の間に囲い込んだ。
 しとしと降る雨は勢いを強めもせず、弱めもせず、地面に出来た水溜まりに延々と弧を描き続けた。
 耳を澄ませば、屋根を打つ雨音が喧しい。
 湯屋に続く廊下で雨漏りしていたのは、修繕し終わったのか気になった。けれど疑問に答えてくれそうな刀は、生憎近くにいなかった。
「あとで、見に行こう」
 そこの打刀は料理が得意だが、大工仕事は苦手だ。
 誰にだって得手不得手がある、と言って一切手伝おうとしない男を一瞥して、小夜左文字は肩を竦めて溜め息を吐いた。
「お待たせしました」
 それから数分としないうちに、篭手切江が四角い箱を抱えてやってきた。眼鏡の奥の瞳をきらきら輝かせて、嬉しくて仕方がない、という雰囲気が滲み出ていた。
 なにがそんなに楽しいのか分からないまま出迎えて、彼が持って来たものを斜め後ろから覗き込む。
 赤漆に螺鈿で彩られた箱の中身は、色とりどりの糸を収めた裁縫箱だった。
 上段に針山が据えられ、中段に糸を入れた抽斗が。下段には鋏などの小道具が収納されており、持ち主の几帳面さが窺えた。
「これは?」
「堀川さんから、借りてきました」
「ああ……」
 どこかで見たことがあると記憶を辿っていたら、先に正解を教えられた。
 脇差には家事を得意としている刀が多く、裁縫は主に堀川国広か、物吉貞宗の仕事だった。
 得意げに言った篭手切江は、早速軸に巻き付けられた糸を何種類か取り出した。畳に並べ、歌仙兼定から渡された料紙と比較して、これとこれ、と呟きながら二色を選んだ。
 白色と、黄色を残し、使わないと決めた分は抽斗に戻す。ぐしゃぐしゃ丸めて形を作った紙に、薄ら萌黄が入った紙を被せ、手早く形を整える。
「これで良し」
 早々にてるてる坊主をひとつ完成させて、彼はもうひとつ作って畳に据えた。
 そこに小夜左文字から預かった、すでに顔を描き込み済みのものも混ぜて、満足げに頷く。
「赤、白、黄色。うん。いいですね」
「それになにか意味があるのかい?」
 調子を取りながら歌うように言った脇差に、歌仙兼定が首を傾げつつ訊ねた。
 しかし篭手切江はにっこり笑っただけで、明確な返答は口にしなかった。
 にこにこ見詰め返されて、なんだかむず痒い。意味が分からないと嘆息して、打刀は硯の墨に小筆を浸した。
 千鳥格子のてるてる坊主を手に取って、観念して篭手切江の顔をそこに描き込んだ。本物を前にして、手元と何度も見比べながら、慎重に慎重を重ねて筆を動かした。
 一方の脇差はすらすらと、迷う素振りが見られなかった。
 すっと線を引き、時折小夜左文字を確認しては、微調整を加えて行った。
「出来た」
「見せてください」
 内心どきどきしながら待っていた短刀は、彼の声を聞き、膝を起こして立ち上がった。
 邪魔にならないよう離れた場所にいたが、距離を詰め、背後から覗き込んだ。脇差も勝手知ったるなんとやらで、見やすいように持ち方を変えた。
 筆を置き、満面の笑みを浮かべてふた振りに見せびらかす。
「どうです? そっくりでしょう」
「……これがお小夜か?」
 だが自信満々の彼に対して、歌仙兼定は渋面を崩さなかった。
 目つきは鋭く、逆三角形をしていた。口らしきものはへの字に曲げられ、天辺には髪を結う紐のつもりか、左右で羽の大きさが異なる蝶々が描かれていた。
「そっくりです」
「ええ!」
 どこからどう見ても似ていない、との意見の打刀だが、短刀には、特徴が上手くとらえられていると感じられた。
 それを正直に声に出せば、歌仙兼定は信じられない、と目を丸くして仰け反った。
「お小夜は、もっと美しい顔立ちをしているぞ」
「てるてる坊主如きに、なにを本気になってるんですか」
「そういう歌仙こそ、出来たんですか?」
 やり直しを命じる打刀だが、意見は聞き入れられない。それどころか自身が槍玉に挙げられて、止める間もなく脇差に奪い取られた。
「待て。まだだ。一からやり直させてくれ!」
 必死に申し出るが、こちらも耳を貸してもらえない。
 小夜左文字も一緒にてるてる坊主を覗き込んで、直後に顔を真っ赤にしている男を振り返った。
 彼は恥ずかしそうに身動ぎ、見つめられるのを嫌がってこちらに背を向けた。ぶつぶつ文句を言いながら指で畳を小突き、ぐりぐりと表面を毛羽立たせた。
「いや、なんとなく、……分かる気はしますが」
「眼鏡、だけですか」
「ちゃんと黒子も書いてあるだろう!」
「あ、本当だ」
 彼が作ったてるてる坊主に鼻はなく、口もなかった。代わりに太い線で円がふたつ描かれ、短い横棒で結ばれていた。
 向かって左側の円の下には、小さな点がふたつ。しかしぱっと見ただけでは汚れているようにしか思えず、脇差の目元を彩る黒子だとは、言われなければ分からなかった。
 眼鏡を装備している刀剣男士は他にもいるから、これが篭手切江だとは、説明されないと理解出来そうにない。
「でも三つ並べたら、そうでもないかもです」
「確かに」
 単体ではどの刀かすぐに判別がつかないけれど、残るてるてる坊主と一緒なら、どうだろう。
 助け舟を出した小夜左文字に、脇差はその通りだと頷いて、落ち込んでぐずぐずしている打刀に目を細めた。
「さあ、飾りましょう」
 決して良い出来栄えとは言い難かったけれど、彼なりに頑張ったのだ。
 下手糞だ、などとののしる真似はせず、篭手切江は率先して立ち上がった。
 自分の顔が描かれたものをそれぞれ手に取って、今度は吊す場所を探し、あれこれ意見を出し合う。
 最初は歌仙兼定の部屋の前のはずが、大勢が目に留まる場所が良い、と脇差が言い出した。けれどあまり人目に晒したくない打刀が渋って、最終的に中庭に面した縁側で落ち着いた。
 ここなら部屋が近い短刀や、脇差くらいしか通らない。
「晴れると良いですね」
「ここまでしたんだ。晴れてもらわなくては、困る」
「確かに」
 みっつ並んだ顔が、雨に湿気る空気を浴びてゆらゆら揺れていた。
 効果の程は分からないけれど、御利益はありそうだ。
 明日が楽しみだと笑って、茶でも飲もうと連れ立ってその場を離れる。
 その後この顔入りてるてる坊主が評判を呼び、いつの間にか粟田口や、来派の刀の分まで登場することになろうとは、この時彼らはまだ知らなかった。

思はずにあなづりにくき小川かな 五月の雨に水まさりつゝ
山家集 229

2018/06/03 脱稿