心は春を 慕ふなりけり

 青々と茂った葉が、地面を覆い尽くさんばかりだった。
 その隙間から飛び出すように、赤い塊が日差しを受けて爛々と輝いている。
 まるで紅玉のようだと目を細めて、篭手切江は真っ赤に染まった苺を摘み取った。
「大きいなあ」
 十分な日光を浴びて、すくすく育った果実はとても立派だ。蔕を残し、果肉部分に傷が行かないよう慎重に抓んで、ずっしり重いそれを脇に抱えた籠に収めた。
 竹で編んだ籠は使いこまれ、かなりくすんだ色になっていた。
 一辺が一尺程度の方形で、底は浅め。その中に胡麻を塗したような赤い塊が、大量に転がっていた。
 一個ずつは軽いが、これだけ集まるとそれなりに重い。
「これくらいで良いかな」
 軍手を取った右腕で汗を拭って、脇差の少年は目を細めた。
 眩い光を放つ太陽を一瞬だけ仰ぎ見て、収穫物を収めた入れ物を地面に置いた。入れ替わりに膝を伸ばして立ち上がり、ずっと屈んでいた所為で凝り固まった筋肉を解した。
 しゃがんだまま、畝に沿って横に進んでいたから、かなり疲れた。
「んー」
 痛みに耐えてぎゅっと目を閉じ、息を吐きながら身体を反らす。
 もれなくボキボキ、と腰の骨が良い音を響かせて、罅でも入っていないか、本気で不安になった。
「よ、ほっ。とう」
 けれど軽く捻っても、特別な違和感は生じない。
 掛け声と共に腕や膝を動かして、問題ないと判断した眼鏡の脇差は、最後に深呼吸で締めくった。
 肺の中を一旦空にして、土の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
 身体の横で腕を広げ、折り畳む動作を数回繰り返し、晴れやかな表情でもう一度汗を拭った。充実した時間を過ごした、と満足そうにひとつ頷いて、摘みたての苺を入れた籠を大事に抱きかかえた。
「篭手切」
「は~い」
 紛れ込んでいたギザギザの葉の断片を取り除き、遠くからの声に元気よく返事する。
 振り返った彼の視界の真ん中で、小柄な少年が手を振っていた。
「休憩にしましょう」
 反応があったと知り、小夜左文字が両手を口元に添えた。大声での誘いに手を振り返して、篭手切江は赤茶色の土に足跡を刻み付けた。
 ふかふかで柔らかな地面を踏みしめ、植えられた植物を避けながらゆっくり進んだ。
 苺畑は途中から空豆畑に切り替わり、緑の合間から白い可憐な花を覗かせた。
 胸ほどの高さがある支柱の列を避け、水路を跨ぎ、ギイギイと五月蠅い水車の脇へと。
 農具などを入れる納屋が提供する日蔭は、程ほどに暑い環境に、ひとときの涼を提供してくれた。
「これからもっと暑くなるというのに」
 冬場はしっかり着込んでいた内番着だが、さすがに前を閉じたままでは暑過ぎだった。袖をまくり、肘まで晒した上で、彼が下に着込む肌着は薄手のもの一枚きりだ。
 本当は上着そのものも脱ぎ捨ててしまいたいのだけれど、それをすると、今後やって来る季節が耐えられなくなる。
 暑さに対する耐性を、少しでも獲得しておくように。
 それが早くから顕現し、本丸での生活を繰り広げて来た脇差仲間からの助言だった。
「お疲れ様です」
「やあ。ご苦労様」
「歌仙も、ですか」
 出迎えてくれたのは小夜左文字だけでなく、歌仙兼定も一緒だった。座って休憩出来るように、と広げられた茣蓙の上で、農作物を運ぶ際に使う四角い木箱がひっくり返っていた。
 その上に布を敷いて、三振り分の湯飲みが並べられている。
 そこにあるもので作った、簡易の机に相好を崩し、篭手切江は運んで来たものを短刀に差し出した。
「これくらいで、どうでしょう」
 歌仙兼定は茶の準備に勤しみ、台所から持って来たと思しき湯で急須を温めていた。湯飲みにも同じく湯を注ぎ、温まるのを待っていた。
 その横で、小夜左文字が小さく頷く。
「ひと振り一個なら、……ぎりぎり大丈夫でしょう」
「少ないですかね」
「多くて困ることはないですし。あとで僕も手伝います」
 脇差が持つ籠を覗き込み、ぎゅうぎゅうに詰め込まれている苺を眺めて首を捻った。
 それで不安になった篭手切江は、上目遣いの少年の言葉に相好を崩した。
「ありがとう、小夜」
 この苺は、夕餉の最後に供する予定だ。甘く、噛めば果汁がじゅわっと溢れ出す水菓子は、この季節の定番の果物だった。
 余れば余ったで、食いしん坊が群がってくるに決まっている。
 高価な宝石にも負けない輝きを前にして、篭手切江は無意識に溢れた唾液を飲み込んだ。
「今年の出来は、どうかな」
 それを知ってか知らずか、小夜左文字が嘯いた。
 背伸びをして、籠の中を利き手で漁った。一番上にあった、手ごろな大きさの一個を掠め取って、表面の細かな塵や汚れを呼気で吹き飛ばした。
「あっ」
 止める間もなかった。
「んぐ、んむ、……ん。ああ、美味しい」
 蔕を抓み、短刀は収穫したての苺にぱくりと齧り付いた。ひと口では頬張れず、表面に歯形をくっきり残して、溢れ出た果汁を逃すまいと舌を伸ばした。
 楕円形だったものが、一瞬で三日月を歪めたような形状に変わった。断面は白さが目立ち、表面を染めている赤色は内側深くまで侵食していなかった。
 残った分も素早く回収して、緑の蔕だけを残し、綺麗に食べきった。
 口を栗鼠に負けないくらい膨らませ、もぐもぐ噛み砕いて飲み込んで、小夜左文字は嬉しそうに唇を拭った。
 食用には適さない蔕部分は地面に落とし、蚯蚓が分解してくれるのを期待して、爪先で土を被せた。
「良い感じです」
 あまりの早業に唖然とする脇差を余所に感想を述べて、さりげなく二個目を狙い、籠へと指を向けた。
「こら」
 そんな悪戯な手を即座に叩き落として、篭手切江は眉を顰めた。
 左文字の末弟である短刀の付喪神は、戦場でこそ雄々しい姿を披露するが、本丸に戻れば物静かで、感情を公にするのは稀だった。
 長兄である江雪左文字が五月蠅いのもあり、行儀は良い方だ。仕事ぶりは真面目で、頼まれていない事でも率先して手伝う少年だった。
 台所仕事にも、昔馴染みである歌仙兼定が料理好きという影響か、頻繁に参加していた。
 ただ彼がつまみ食いをするところを、脇差は見たことがなかった。
 餓えに苦しむのがどういうことかを知っている短刀だから、食に対しての執着は相応に強いとは聞いていた。けれどまさか、こんなところでその片鱗を垣間見るなど、予想だにしていなかった。
「駄目ですか」
 夕餉に皆で食べるために摘んできたのに、ここで数を減らしてどうするのか。
 眼鏡の奥の瞳を眇め、険しい表情を作った篭手切江に、小夜左文字は不満を隠そうとしなかった。
 口を尖らせて拗ねられて、意外な姿に虚を衝かれた。
「そこだねっ」
「あ、こら。なにをするんですか」
 ぽかんとしていたら、籠ごと苺を奪い取られた。素早く身体を捻り、反転した短刀を追いかけて、脇差も慌てて地面を蹴り飛ばした。
 勢い余って滑りそうになったのを持ち堪え、ひなたに出た小夜左文字の背中に手を伸ばす。
 しかし捕まえる直前で速度を上げられ、指は空を掻いた。スカッ、と空振りした手を回収して握り拳を作り、ギシギシ軋んだ音を立てる水車を目指した。
 水路からくみ上げた水は、一段高いところに設けられた四角い木枠の中に注がれる。常に一定の水位を保つその中で、刀剣男士たちは野菜を洗ったり、冷やしたりしていた。
 今は赤茄子が網に入れられて、流れていかないよう、紐で留められていた。
 ぷかぷか浮いては沈む、と繰り返す赤色の野菜のその横で、小夜左文字は篭手切江が収穫した苺を、籠のままどぷん、と水に浸した。
 軽く揺すって細かな砂粒や、葉屑を浮かせ、余分な水と一緒に水路へと流す。
 そうっと掻き混ぜ、大量の苺を一度に洗った少年に、脇差は嗚呼、と肩を落とした。
「それならそうと、言ってください」
「そこまで食いしん坊じゃないです」
「本当ですか?」
 てっきり収穫物を独占し、食べ尽くしてしまうつもりなのだと思った。
 正直に吐露すれば、誤解を受けた短刀がむすっと頬を膨らませた。それを揶揄して笑い飛ばし、篭手切江は差し出された苺に目を眇めた。
 丸々と太って、ほかのものよりひと際大きい。
「良いんですか?」
「また摘みに行けばいいだけです」
 広々とした畑に、今は彼らだけしかいない。
 頑張って働いたのだから、この程度のつまみ食いは許されて然るべきだ。
 労働に対する対価だと囁かれて、脇差は成る程、と手元の苺をじっと見つめた。
 冷たい水を浴びせられ、色味は艶やかさを増していた。細かく残る水滴が日光を反射してキラキラ輝き、本物の宝石のようだった。
 先ほど聞いた、小夜左文字の感想が脳裏を過ぎった。
 復讐以外で固執するものが少ない短刀が、食卓に並ぶまで我慢出来なかったのだ。どれだけ美味しいのかと期待して、彼はごくりと唾を飲んだ。
「い、いただきます」
 実は顕現してから、苺を食べたことがない。緊張に顔を強張らせ、彼は雫が滴る苺を鼻先へと運んだ。
 微かに、嗅いだことのない匂いがした。すうっとすり抜けていく爽やかな香りを先に堪能して、思い切って口を開いた。
「んっ」
 大振りの苺の中ほどまで咥内に押し込み、ゆっくり唇を閉ざした。僅かに遅れて果肉に前歯を突き立てれば、抵抗を感じたのは一瞬だけだった。
 ぷちゅ、と表面が圧力に負けて潰され、その後はなし崩しだ。
 さほど力を入れることなく、前歯が内側に吸い込まれていく。ぐちゅぐちゅと細かな繊維を切り裂いて、最後にぶちん、と塊をふたつに分断した。
 分裂した苺のうち、奥側にあったものがごろん、と舌に転がり込んだ。反射的に奥歯を振り下ろし、右に誘導した塊に叩きつける。一方手前側に残った分を唇から引き剥がして、篭手切江は目を丸くした。
「んんっ」
 食べる直前に嗅ぎ取った香りが、口の中いっぱいに広がった。
 その一部は鼻腔を抜けて、外へと放出されていく。それを再び掻き集めて、彼は左手で口を覆った。
 外に飛び出しそうになった欠片を堰き止めて、ダンダンと奥歯で地団太を踏んだ。臼歯で果肉を砕き、磨り潰し、一斉に溢れ出した甘い果汁を飲み込んだ。
 原形を失った苺が、唾液と共に喉の奥へと流れていく。
「んん~~~っ!」
 表面に埋め込まれた粒々の、ぷちぷちした食感も面白かった。
 話には聞いていたが、こんなにも美味しいのかと驚いて、脇差は息さえ止めて身悶えた。
 喉の下を何度も叩き、舌を操って歯の隙間に果肉が残っていないか何度も確認した。右手に残る食べかけの苺を見詰めて騒然となり、滴り落ちようとしていた雫を急いで舐め取った。
「美味しいでしょう?」
「んっ、こんな……すごい。初めてです」
 だが残念なことに、その水滴は果汁ではなかった。
 洗った際に表面に貼りついていた、水車が組み上げた川の水だった。
 思った味がしなかったのにがっくりしつつ、短刀に問われて気持ちを入れ替えた。外側からは想像がつかない、赤と白が混じり合う内部に目を眇めて、魅惑的な甘さに舌鼓を打った。
 噛んだ直後に微かに感じた酸味は、直後にえもいわれぬ甘みに切り替わった。
 これまで散々、美味しい料理を口にしてきた。しかしそれに勝るとも劣らない味わいが、たったひと粒の苺に込められていた。
「大袈裟だって、笑わないでください」
「笑いません」
 興奮に鼻息が荒くなり、急いで残り半分を頬張った。
 小夜左文字はそう言いながら口元を綻ばせ、漏れる吐息を掌で覆い隠した。
 肩を震わせて、水の中から籠を引き抜いた。上下に振って水滴を飛ばし、その一帯だけ地面を黒く染め変えた。
「お小夜、篭手切。お茶の準備が出来たよ」
「はーい。今すぐ」
 煎茶道具一式を持ち込んでいた歌仙兼定が、日蔭の中からふた振りを呼んだ。
 代表して脇差が、食べながら返事して、小走りに納屋の裏手に戻った。
 簡易的な座卓の上で、湯飲みが細い湯気を立てていた。ふわっと鼻腔を掠めた香りは健やかで、春の彩りを思わせる爽やかさだった。
「いただきます」
 彼が煎れてくれた茶が美味いのは、遥か以前に実証されている。
 今回も期待できると気持ちを昂ぶらせ、篭手切江はいそいそと靴を脱いだ。
 茣蓙に上がり、膝を折った。正座をして、軽く打刀に頭を下げて、丁度良い温さの湯飲みを抱き上げた。
「あ、篭手切。待って」
 僅かに遅れ、小夜左文字が苺入りの籠を抱えて走って来た。草履を脱ぐ前に甲高い悲鳴を上げたが、既に飲む体勢に入っていた脇差を止めるのは叶わなかった。
 なぜか焦っている少年を一瞥して、篭手切江がそのまま湯飲みに口をつけた。
「んん?」
 軽やかな味わいが広がると、これまでの経験と記憶が予告していた。
 だのに舌の上に落ちて来たのは、予想から大幅に外れた苦みだった。
「んんん? んー?」
 我慢出来ないほどではないけれど、不快だった。違うものを飲まされたのかと勘繰ったが、打刀がそのような真似をする理由が思いつかなかった。
 微妙なえぐ味を気にしないよう意識から引き剥がし、急いで咥内の液体を飲み干す。
 それでも違和感が残り、苦味が粘膜に貼りついた。早く忘れたいのに無意識に舌が動き、口蓋を擦っては、不愉快な味わいを連れ帰って来た。
 仕方なく口を開き、だらんと舌を垂らした。勝手な真似をしないよう、打開策として犬を真似た彼に、小夜左文字が呆れ顔で苦笑した。
「苺を食べたばかりだと、お茶がちょっと変な味になるんです」
 濡れた籠を傍らに置いて、歌仙兼定と篭手切江の間に座って囁く。
 首を竦めた彼を呆然と見つめ返して、脇差は湯飲みごと利き手を震わせた。
「そういう大事なこと、先に言ってくださいよ」
「言おうとしたんですけど」
「なんだい、君たち。つまみ食いしてたのか」
 うっかり器ごと放り投げたくなったが、理性で押し留めた。
 沸々と湧き起こる感情に蓋をした少年に、歌仙兼定が神妙な顔つきで肩を竦めた。
 呆れているようで、笑いたいのを堪えているようで。
 ふたつ以上の感情が複雑に交じりあっている男を眼鏡越しに睨んで、篭手切江は薄緑色の液体に口を尖らせた。
「それって、どれくらい待てば治りますか」
「さあ。林檎や、ほかの果物でも、同じです」
「へえ……」
 喉は渇いており、美味な茶を一気に味わいたい想いは残っていた。
 けれど同じ失敗を繰り返したくはない。助言を求めて経験者らしき少年に問いかけるが、得られたのは望んでいたのとは違う情報だった。
 思い返してみれば、水菓子を食べる時に一緒に茶を飲んだことがなかった。
 一度くらいあっても良さそうなのに、記憶を辿る限り、今回が初めてだ。顕現して以降の自身の行動をざっとなぞって、篭手切江は器の底に沈む細かな茶葉に肩を竦めた。
「まあ、いいか」
 舌が馬鹿になったわけではないので、安心した。
 味覚が可笑しくなったのだとしたら、これから先の食事をどう楽しめばいいか、分からなくなるところだった。
「僕もひとつ、もらおうかな」
 ホッと胸を撫で下ろし、恐る恐る煎茶を口に含ませる。
 斜め向かいでは足を崩した歌仙兼定が、苺入りの籠に手を伸ばしていた。
 止めようにも、脇差の位置からでは届かない。間に座っている小夜左文字も、特に注意しなかった。
 苺に残る水滴を振り落として、男が大きく口を開けた。短刀ではふた口必要な大きさをがぶりと咥えて、蔕を捻って引き千切った。
「うん。今年も良い出来だ」
 短刀と同じようなことを頬張りながら言って、咀嚼もそこそこに飲み込んだ。
 立派な喉仏が大きく動き、すぐに静かになった。打刀は満足げな顔で口元を拭って、即座に茶を取ろうとし、視線を感じて指を痙攣させた。
「冷めてしまいますよ?」
「猫舌なんだ」
「初めて聞きました」
「ふふっ」
 直前に交わされた短刀と脇差の会話を思い出し、躊躇したようだ。
 そこに小夜左文字が嫌みたらしく言って、打刀の咄嗟の言い訳に、篭手切江は我慢出来なかった。
 滑稽味に溢れたやり取りに噴き出して、急いで口を塞ぐがもう遅い。今度は彼が注目を浴びる番で、居心地が悪くなった脇差は誤魔化しに煎茶を飲み干した。
 ごくごくと喉を鳴らして、最後の一滴まで流し込んでから、眉間の皺を深くした。
「微妙ですねえ……」
 苺を食べてから、多少は時間が経過していた。
 それでもまだ、足りなかったらしい。煎茶本来の味わいが戻って来ず、あくの強さは変わらなかった。
 舌がピリピリして、どうにもすっきりしない。
 決して不味いのではないけれど、違和感が勝り、美味しさを嗅ぎ取れなかった。
 苺の甘さまで損なわれてしまった気がして、なんとも残念でならない。
 渋い顔をして呻いた彼の所為で、歌仙兼定は結局湯飲みから手を引っ込めた。
「小夜は、平気なんですか」
「慣れです」
「なるほど」
 一方で小夜左文字は特に気にした様子もなく、香り豊かな茶を飲み込んだ。唇の形に添って出来た跡を指で拭い、空の器を戻すと、その手で苺をひとつ、抓み取った。
 あっさり言って、蔕ごと口に放り込んだ。前歯と舌を器用に操り、見事に不要な部分だけを取り除いて、ぺっ、と後ろに吐き捨てた。
「雅じゃないな」
 手際、ならぬ口際の良さに感心した脇差の向かいで、歌仙兼定が渋面を作った。
 だが短刀は嫌味をぶつけられても意に介さず、果汁たっぷりの果物に落ちそうな頬を押さえた。
「篭手切も、どうですか」
「えっ。いや、しかし」
「大丈夫です。まだ、沢山実ってます」
「そう言って、食べ尽くしてしまわないようにね」
「歌仙だって同罪です」
「はいはい」
 小夜左文字がこんなに苺を好いていたと、今日まで知らなかった。
 勧められて戸惑っていたら、打刀がちくりと釘を刺す。それにすかさず反論して、小夜左文字は抓んだ一個を脇差に差し出した。
 篭手切江が恐る恐る受け取った直後、腰を捻り、打刀にも一個渡した。続けて自身は三個目を頬張って、しゃく、と軽やかな音を響かせた。
「柿とどっちが好きだい?」
「今は季節じゃないので、苺が一番です」
 採れたての瑞々しい苺は、歯応えも充分だ。
 さわやかな酸味の後に広がる甘さを堪能して、短刀は悪びれもせず言い切った。
 柿は秋の食べ物で、干し柿にしても長期保存は難しい。
「屁理屈」
 今は食べられないから、旬のものを優先させている。
 その時期になればまた柿が一番に来ると嘯いた少年に、篭手切江はケラケラと笑った。
「お小夜の言うのも、もっともだけどね」
 どんな食べ物でも、最も味が濃いのは旬の季節だ。
 それぞれの季節に応じて、その時だからこそ食べられるのに幸せを感じていればいい。
 鷹揚に頷いた歌仙兼定に嗚呼、と呟いて、脇差は甘酸っぱい苺を齧った。
「いくらでも食べられそうです」
「腹を壊しても知らないよ」
「歌仙、お茶ください」
 鳶らしき鳥が上空を旋回し、黒い影が一瞬だけ脇を横切った。
 屋敷の方からなにやら大きな声が聞こえてきたけれど、畑に居る彼らにはなにが起きているのか、見当もつかなかった。
 三振り揃って屋敷の方角に顔を向け、ほぼ同時に意識から追い出した。問題があるなら呼びに来るだろう、と悠然と構えて、新たに注ぎ足された茶で喉を潤した。
 長閑で、平和な時間がゆっくりと流れていく。
「苺大福が食べたい」
「なんですか、それ。って、歌仙? すごい顔になってますが」
「その単語を口にしないでくれ」
「苺大福」
「お小夜、止めるんだ。あれは邪道だ」
 そんな中で小夜左文字がぽつりと言い、初耳だった篭手切江がきょとんと目を丸くした。
 斜向かいでは打刀が顰め面を作り、繰り返す短刀に嫌々と首を振った。
 なにがそんなに嫌なのか、昨年までのことを知らない脇差には分からない。教えて欲しくて話しかける機会を探すが、向かい合うふた振りに割り込む余地はなかなか見つからなかった。
「いいじゃないですか、苺大福。みんな喜んでたじゃないですか」
「駄目なものは、駄目だ。僕はあんなもの、絶対に認めないぞ」
「どうしてそこまで嫌うんです。美味しいのに」
「味は関係ない。そういう問題じゃないんだ、お小夜」
「なら、どこが問題だというんです。大福に苺です。美味しいもの同士を組み合わせて、悪いことなんかひとつもないです」
「作る側としての矜持の問題だ」
「燭台切光忠さんは、喜んで作ってくれました」
「だから邪道だと言っているんだ」
「だったら歌仙は、あれより美味しい苺のお菓子、作れるんですか?」
「うっ。それは」
「篭手切だって食べたいですよね?」
「えええ?」
 珍しく声を荒らげる小夜左文字に、歌仙兼定は頑として首を縦に振ろうとしない。激しい応酬が続き、脇差は完全に蚊帳の外で、忘れ去られた存在となりかけていた。
 そこに唐突に、水を向けられた。
 困り果てていたところに急に話を振られて、ここでそう来るか、と篭手切江は素っ頓狂な声を上げた。
 眼鏡が吹き飛びそうになり、慌てて左右から押さえた。
「貴様も、邪道だと思うだろう。そうだろう?」
 首を竦めていたら、歌仙兼定にまで問い詰められた。
 脅すような口ぶりで、強引に同意を求めて来た。すると小夜左文字も負けじと身を乗り出し、当惑している少年の手を取った。
 座った位置が近かったので、出来た技だ。一歩出遅れた打刀は不利を悟って青くなり、急須をひっくり返す勢いで前のめりになった。
「お小夜、狡いぞ」
「篭手切も、苺大福、食べたいと思いませんか?」
「いや、えっと。……それがどういったものなのか、分からないことには」
 双方から同時に言葉を発せられ、どちらから返事をすればいいのかすら、判断がつかなかった。
 ともあれ、その『苺大福』なるものがどのような食べ物なのか、教えてもらわないことには話が進まない。
 大福に苺が乗っているのか。それとも苺餡ともいうべきものが、餡子の代わりに詰め込まれているのか。
 あれこれと想像を膨らませ、返事を待ってふた振りを交互に見やる。
 歌仙兼定は思い出したくもないのか渋い顔をして、脇差からサッと目を逸らした。
「求肥の中に、餡子と、苺が丸ごと入ってます」
 その隙を逃さず、小夜左文字が声を高くした。脇差の手を上下に挟んで、肌を温めながら訴えた。
 空色の瞳はきらきら輝き、昼間なのに星が瞬いていた。掴んだ手をぶんぶん振って興奮を伝え、勢いに乗って打刀を振り返った。
「ですよね、歌仙」
「水菓子を入れたら、水っぽくなるだろう」
「そうなる前に、出来立てを食べれば問題ないです」
「餡子の甘さとの兼ね合いで、丁度良い配合を見つけるのは、大変だったんだぞ」
「その頑張りが報われるのですから、いいじゃないですか」
「作るのは僕だ」
「だったら!」
 同意を求めた短刀に、歌仙兼定が過去の苦労を思い出してか声を荒らげた。
 簡単なように思えて、ただの大福を作るのとはわけが違うらしい。確かに苺は水分が多く、それが染み出したら、と考えて、篭手切江は背筋を伸ばした。
 小夜左文字の頭を飛び越え、苦虫を噛み潰したような顔をしている男を射抜く。
 突然の大声に驚いたふた振りが黙ったせいで、彼の声は穏やかな日差しの下で、朗々と響いた。
「私たちも、手伝うので」
 一瞬躊躇して、疑念と期待の眼差しに首肯し、囁く。
 面映ゆげに微笑んだ少年に、歌仙兼定はぽかんと目を丸くして、数秒後にガシガシと頭を掻いた。
「僕も手伝います」
 小夜左文字も打刀に頷き、口元を綻ばせた。
 情熱的な眼差しで見詰め、返事を待つ。
 それで歌仙兼定は降参だと白旗を振り、深々と溜め息を吐いた。
「美味しく出来上がるのを、期待します」
 完成品の姿はおぼろげながら、想像出来た。
 美味しいものに美味しいものを掛け合わせたら、もっと美味しくなる。毎日膳に並ぶ食事を思い返して、篭手切江は艶々の苺をまたひとつ、籠から抜き取った。
 蔕を外し、まるごと口に放り込んだ。噛んだ傍からじゅわ、と口の中に広がる香りに頬を緩め、幸せそうに目を細めた。
「小豆長光や、燭台切光忠たちに頼めばいいじゃないか」
「歌仙が作ったのが、良いんです」
「そうそう。歌仙が作ったのが、食べたいです。ねえ?」
 打刀の最後の悪足掻きを一蹴して、短刀と脇差が顔を見合わせ、示し合わせたかのように頷きあった。
 些か調子が良過ぎる台詞ではあるが、自尊心が高い男には妙薬だった。料理好きで、菓子作りも得意としている打刀の矜持を擽って、ふた振りは湧き起こる感情に耐える男に相好を崩した。
 両刀に持ち上げられて、歌仙兼定は頬が勝手に緩むのを抑えきれないでいた。
 嬉しさが溢れ、隠し切れていない。ぴくぴく痙攣する頬を手の甲で擦って、わざとらしい咳払いでなんとか誤魔化した。
「そっ、そこまで言うのなら、仕方がないな」
 あくまでもしつこく強請られたから、止むを得ない体を装って。
 ふんっ、と鼻から息を吐き、偉そうに胸を張った。大仰な仕草で腕を組んで、得意げに言い放った。
 尊大が過ぎる態度が滑稽で、小夜左文字がクスクス笑いながら囁いた。
「明日は、大福祭ですね」
「ちゃんと手伝っておくれよ。お小夜も、篭手切もだ」
 それにムッと右目を吊り上げて、歌仙兼定が釘を刺す。
「分かってます。苺狩りなら、任せてください」
 自信満々に胸を叩いた篭手切江に、自慢するところはそこか、と打刀が呆れた顔で溜め息を吐いた。
「え? 駄目ですか?」
「ふふふっ」
 思っていなかった反応に、脇差は焦って声を上擦らせた。
 それが尚更おかしくて、短刀は両手で口を覆い隠した。

2018/04/22 脱稿

限りあれば衣ばかりは脱ぎかへて 心は春を慕ふなりけり
山家集 夏 174