わが影をもや 思出らん

 高いところにある窓から、明るい光が射しこんでいた。
 室内の埃がそれを反射し、きらきらと輝いた。ちょっとした空気の流れですぐに動きを変えて、くるくると回転し、美しかった。
 積もってしまえば邪魔者でしかないので、手放しに賞賛はし辛い。しかし太陽の欠片が降り注いでいるのだと思えば、無碍に追い出すわけにもいかなかった。
「よい、っと」
「気を付けてください」
 入り口の木戸を全開にしているので、少しくらいは風が流れてくる。
 黴臭さを耐えて呻いた少年に、小夜左文字は小声で注意した。
 五段近くある梯子を下りて、篭手切江が抱えた荷物を床に置いた。途端に大量の埃が舞い上がり、視界が濁って暗くなった。
「うわ、げほっ」
 箱の上に積もっていたものが、衝撃で飛び散ったのだ。短刀の付喪神も慌てて口を閉じ、目を塞いで、鼻から入り込もうとした分を払い除けた。
 ふた振りで一緒に腕を振り回し、ひと段落してからホッと息を吐く。鼻腔を埋める細かい毛に塵が大量にこびりついているようで、気道が狭まり、呼吸し辛かった。
 詰まってしまった鼻をズビズビ言わせ、苦虫を噛み潰したような顔をして、肩を落とす。
 弾みでずり落ちた眼鏡を直して、篭手切江は足元の箱に視線を戻した。
 蓋を覆う埃は、まだ残っていた。大きな塊がこびり付いて、自分の陣地だと主張しているようだった。
「これ、なんでしょう」
「なにも、書いてないですね」
 汚れ具合からして、軽く一年以上は放置されていたに違いない。
 納戸の奥、壁際に据え付けられた棚の隅に押し込まれていた箱には、持ち主の名前も、中身についての記載もなかった。
 仲間が増え、それに合わせて各刀剣男士の所持物が多くなった影響で、倉庫の中は大混雑だ。どこになにがあるか分からなくなることも多くなり、いつの頃からか、収納箱には所有者の名前や、内容物を書いた紙を貼る決まりになっていた。
 ところがこの箱には、印となるものがなにもない。
 木で作られており、蓋は釘打ちされていなかった。
 脇差どころか短刀でも楽々抱えられる大きさで、それほど重さはない。一辺が一尺ほどで、高さは八寸程度。振っても音はしない。中身は、見当がつかなかった。
「勝手に開けても良いんでしょうか」
 大勢が使う納戸だから、時々整理しないと、すぐに置き場がなくなってしまう。特に奥の方はなかなか手が回らず、長らく放置されてきた。
 今日はそんな重い腰を上げ、大掃除を兼ねて片付けることにした。隣の納戸でも、何振りかが協力し合い、せっせと働いていた。
「いいんじゃないでしょうか」
 誰のものか分からないのに、無断で開けて良いものか。
 悩む篭手切江にあっさり言って、小夜左文字は濡れ雑巾を手に取った。
 大座敷のその先に設けられた納戸は、いわば公共の施設だ。ここにあるものは、屋敷に住まう刀剣男士が共有できるものばかり。中を見られたくないのであれば、その旨を書き記して、箱を封印すればいい。
 けれどこの小箱には、なんら対処が施されていなかった。
 納戸の使用規約が定まる前に置かれたものだろうが、今の本丸での約束事に照らし合わせて処理するしかない。
 理路整然と理由を説明されて、篭手切江も成る程、と頷いた。
 箱の埃を拭き取った短刀の手元を注視して、高まる期待に胸をときめかせる。
「そんなに良いものは入ってないと思いますが」
 興奮に頬を紅潮させている脇差を一瞥して、小夜左文字は被せられていただけの蓋をそっと持ち上げた。
 棘に注意しつつ抱えて、現れた内部を覗き込む。
「これは?」
 篭手切江も首を伸ばして、出て来たものに眉を顰めた。
「古紙ですね」
 詰め込まれていたのは、使い古しと思われる紙だった。どれもぐしゃぐしゃに丸められ、潰され、皺だらけだった。
 全てに墨で文字が書かれているが、途中で終わっていたり、部分的に塗り潰されていたり。いずれも書き損じと分かるものだが、これを後生大事に取っておく理由が思いつかなかった。
 見たところ、それほど重要な書類というわけでもない。粟田口の短刀と思しき名前や、下手な落書きも紛れていて、その辺の屑入れにあるものと相違なかった。
 端の方に黄ばみが目立つ古紙に首を捻り、小夜左文字は試しに一枚、引き抜いた。
「あ」
 すると、空いた空間の先に、なにかが埋もれているのが分かった。
 思わず声を上げて、彼は二枚、三枚と詰め込まれていたものを取り払った。
 裏返しにした蓋に放り込み、古紙の海に隠されていたものを取り出す。
「茶碗、でしょうか」
 緩衝材に囲われていたのは、黄土色と焦げ茶色が混じりあった、いやに独創的な茶碗だった。
 口縁部は丸いのに、胴は拉げ、横から見ると四角くなっていた。高台は低く、全体的に斜めに傾いている。腰の一帯が激しくくびれており、これで茶を点てるのは難しそうだった。
 名のある陶工の手によるものとは、到底考えられない。
 随分と特徴的で、個性が強い――と言えば聞こえは良いが、要するに作品としてはとても下手だ。
「茶碗、でしょうね」
 自信無さげに呟いた脇差に同意して、小夜左文字は大事に隠されていた茶碗に目を眇めた。
 触り心地はザラッとしており、口縁の厚さは一定ではない。一部分だけ白の釉薬が掛けられて、そこだけ膨らみ、艶々していた。
 なにかしら景色を出そうとして、試行錯誤を繰り返した結果だ。もっとも作り手の熱意が出来栄えに反映されているかといえば、首を横に振らねばなるまい。
「どうしてこんなものが、ここにあるんでしょう」
「さあ……」
 明らかに駄作なのは、篭手切江も分かっている。
 その上で何故箱に入れられ、納戸にひっそり隠されていたのか。疑問を呈して、彼は口をへの字に曲げた。
 見詰められても答えられず、小夜左文字は茶碗の底を覗いた。裏返して落款がないか調べたが、なにも彫られていなかった。
 持ち主を探そうにも、手掛かりが少なすぎる。
 箱があった一帯を見上げて、短刀の付喪神は茶碗の縁をなぞった。
「どこかで、見たことがあるような」
 落とさないよう手の中で回転させて、全体像を眺めながら呟く。
 この独特の形状に見覚えがある気がしたが、なかなか合致するものと巡り合えなかった。
「こんなもの、店が並べるとも思えませんし。誰かが作ったんでしょうか」
「あっ」
 空箱を調べていた篭手切江が、お手上げだと当てずっぽうで言った。
 それでピンとくるものがあって、小夜左文字は目を丸くし、背筋を伸ばした。
 うっかり茶碗を落としそうになって、急ぎ胸に抱え込んだ。無事を確かめ、表面をそっと撫でて、思い出したと鼻息を荒くした。
「歌仙です」
「はい?」
 今度は彼が、興奮に頬を染める番だった。
 声が上擦り、歓喜に震えていた。感情をあまり表に出さない少年が、珍しいことだった。
 驚いた篭手切江が目を丸くし、きょとんとしながら短刀を見詰め返す。その眼差しを無視して、小夜左文字は不格好な茶碗を恭しく両手に掲げた。
 時の政府が審神者なる者に命じ、刀剣男士による時間遡行軍の討伐が開始されて、丸三年が過ぎようとしていた。
 長いようで、短かった。当初歌仙兼定と小夜左文字だけだった本丸は、いつの間にか六十振りを越える大所帯となっていた。
 ここに来て日が浅い篭手切江は、当時のドタバタ劇を知らない。
 小夜左文字が何を懐かしんでいるのかも、さっぱり見当がつかなかった。
「歌仙が作ったんですか?」
 小首を傾げながら問いかければ、小柄な少年は間髪入れず頷いた。
「かなり前ですけど」
 言って、お粗末としか言いようがない茶碗を小突く。だが篭手切江は納得がいかないのか、眉間に皺を寄せ続けた。
 風流を好み、雅さを追求して止まない打刀の姿から、この茶碗を連想するのは至難の業だ。
 脇差の心境も分かると苦笑して、小夜左文字は腕を下ろした。
 壊さないよう慎重に、箱に戻した。古紙はどうしようか一瞬迷って、結局触れずに済ませた。
「どうするんです?」
「歌仙に聞いて、考えましょう」
 彼らは宝探しをしているのではない。必要ないものを見つけて、棄てるか、残すか決める為に動いていた。
 木箱を納戸に押し込んだ犯人は、分かった。後は所有者に問い合わせて、引き渡す。彼らの役目はそれで終わりだ。
 誇り高く、変に拘りが強い打刀が、このへたくそな茶碗を見て、どうするか。
 なんとなく想像はついて、篭手切江は肩を竦めた。
「陶芸なんて、やってたんですね」
「少しの間だけです。僕も、すっかり忘れてました」
 今の屋敷のどこを探しても、そんな気配は微塵も感じられない。
 知らなかったと感嘆した少年に、小夜左文字は目を細めた。
 屑入れとして使っている袋に古紙を移し、箱には蓋をした。安全な場所に一旦移して、床に残る埃を雑巾で集めた。
 歌仙兼定が最初にこの本丸に顕現し、続けて小夜左文字が降り立った。初めのうちは人型での生活に馴染めず、苦労することが多かった。
 だが順調に仲間が集まる中で、出来ることも日増しに増えていった。食事の用意で大騒ぎする回数は徐々に減って行き、忙しなかった日々に、少しだけ余裕が生まれるようになった。
 打刀が陶芸を始めたのは、ちょうどその頃だ。
 一念発起して、窯造りから開始した。庭のあちこちを掘り返し、最適な土を探して、試行錯誤を繰り返した。
 しかし結局、上手く行かなかった。
 手に入る土の質がさほど良くなかったこと。当時の本丸がまだ資金繰りに苦しかったこと。
 なにより歌仙兼定自身が、土を捏ねて形を作る技術に劣っていたこと。
 複数の要因が積み重なって、折角作った窯から足が遠のいた。二か月ほど頑張って続けてみたものの、三ヶ月目には殆ど手を伸ばさなくなっていた。
 この不格好な茶碗は、そんな彼が唯一、まともに完成させたものだ。
「どこにやったのかと思っていたら」
 僅かな期間だけ、歌仙兼定はこれを部屋に飾っていた。けれどしばらくするうちに、ぱったり見かけなくなった。
 棄てたのかと思われたが、違った。地面に叩きつけて割るのも、費やした時間や努力が無駄になる気がして、出来なかったようだ。
 壊すのは忍びない。
 手元に置いておくのは、耐え難い。
 そういう葛藤の末に、誰にも見つからないよう、こっそり納戸の奥に押しやったのだろう。
 歌仙兼定自身、忘れているのかもしれない。まさかそれを、小夜左文字たちが見つけることになるなど、夢にも思っていないはずだ。
「驚くでしょうね、歌仙」
「笑わないであげてください」
「……善処します」
 出来栄えがいまいちだったからといって、作った側が手を抜いていたわけではない。真剣に向き合い、孤独と戦った結果、出来上がったのがこれなのだ。
 彼が流した汗を笑う権利は、誰にもない。釘を刺された篭手切江は目を泳がせ、自信なさそうに呟いた。
 首の後ろを誤魔化しに爪で掻いて、口笛でも吹きそうな感じで口を窄める。
 白々しい態度の脇差に苦笑して、小夜左文字は梯子の位置を横にずらした。次の棚を確認しようと一段目に足を置いた時、コン、と後方で音がした。
 中に居る刀の注意を引こうとして、わざと鳴らしたようだ。振り返れば納戸の入り口に、よく見知った男が立っていた。
 今の今まで、話題に挙がっていた打刀だ。
「ふっ」
 彼の顔を見た瞬間、篭手切江が噴き出した。
 咄嗟に手で口を塞ぐが、生憎と間に合わない。目が合った途端に笑われた男は訳が分からず、不思議そうに眉を顰めた。
「篭手切」
「なんだい、藪から棒に」
 約束したばかりだというのに、早速裏切られた。
 注意すべく袖を引いた小夜左文字と時同じくして、歌仙兼定も怪訝にしながら言葉を紡いだ。
 怪訝にしてはいるものの、機嫌を損ねてはいないようだ。それにまずホッとして、短刀は丁度良い、と脇に退けていた小箱を取った。
「歌仙、少しいいですか」
「なんだい。力仕事かい?」
「ああ、いえ。ちょっと、これを」
 戸口に佇む男を手招き、こちらに来るよう促す。
 呼ばれた打刀は疑うことなく応じて、白の胴衣の袖をまくった。
 襷はしていないが、懐からちらりと顔を出していた。どうやら短刀と脇差が納戸の整理をしていると知って、手伝いに来てくれたようだ。
 確かに小夜左文字と篭手切江だけでは、少々心許ない。重いものを持ち上げるのは苦でないものの、大きいものを動かすとなると、やはり体格が良い刀が有利だった。
 彼の協力が得られるのは、有り難かった。
 ただその前に、先ほど発見した茶碗の処遇を決めてしまおう。
 床板を軋ませ近付いて来た男は、短刀が持つものに気が付き、首を捻った。きょとんとした顔でしばらく見つめた後、心当たりを探っているのか、目を眇めて眉間に皺を寄せた。
 考え込む素振りに、蓋を取ってやるべきかで少し悩む。
「歌仙のものだと、思うんですが」
 それとも不出来な茶碗の所有者は、彼から余所に移った後だったのか。
 なかなか表情が晴れない打刀を不安げに見守って、小夜左文字は箱の側面をそっと撫でた。
 篭手切江が黙って注視する中、言われた歌仙兼定が二度、三度と立て続けに瞬きした。
「僕のだって?」
「そこの、上の棚の奥にありましたよ」
 胡乱げな打刀に、脇差が元あった場所を指し示す。
 つられて視線を上げた男は、目に飛び込んできた眩い光に顔を顰め、その状態で停止した。
 高い位置に設けられた明かり取りの窓から、束の間の日差しが差し込んでいた。季節は巡り、暦は冬だ。昼の時間が短くなって、長い夜は人肌が恋しくなった。
「歌仙?」
 顎を撫でていた男の腕が、ゆっくりと沈んでいく。
 呼吸さえ忘れて硬直している男に不安を抱き、小夜左文字は半歩、摺り足で前に出た。
「まさか!」
 直後、打刀は甲高く悲鳴を上げた。一瞬で顔面蒼白になり、ぐるっと振り返って、短刀の手から箱を奪い取った。乱暴に掴んで抱え込み、大慌てで蓋を持ち上げた。
 中にある不出来な茶碗を確認して、唇を戦慄かせ、声もなく立ち尽くす。
 大量に詰め込まれていた古紙は、すべて取り除かれていた。一枚も残っていない。隙間を埋め、ぱっと見ただけでは中身が分からないよう隠していたものが、白日の下に晒されていた。
 ただでさえ不安定な茶碗が、震える男につられてカタカタ揺れた。
 部屋の外にまではっきり響く音量に、小夜左文字と篭手切江は顔を見合わせた。
「歌仙の、ですよね?」
 こんな反応は想定しておらず、恐る恐る問いかけた矢先だ。
「見たのか!」
 急に声を荒らげた男に、小柄なふた振りは揃って身を竦ませた。
 蓋が壊れるくらいに強く握りしめて、歌仙兼定が床を踏み鳴らした。ドン、と床が抜ける勢いで足元を揺らして、青白かった肌を一気に赤く染め直した。
 鼻息は荒く、奥歯を噛み締める音が聞こえてくるようだ。ギリギリと顎を軋ませて、吊り上がった眼は仁王像を思わせた。
「見たのか、これを。こんな、こっ、こ……あああああ!」
 感情のままに吼え、途中で言葉を失って、ただの獣と化して泣き喚く。
 絶叫の果てにガクリと膝を折って崩れ落ちた彼に、篭手切江はヒクリ、と頬を引き攣らせた。
「なんなんですか、いったい」
「見るな。見るんじゃない。こんな、恥を晒すことになるだなんて。忘れろ。今すぐ忘れるんだ。早く! 早く!」
 あまりの狼狽ぶりに唖然とし、脇差の眼鏡がずるりと下がった。歌仙兼定は茶碗入りの箱に覆い被さって、嫌々と赤子のように駄々を捏ねた。
 今にも泣き出しそうな声で懇願し、惚けているふた振りの前で丸くなる。
 どうやらこれは、禁断の箱だったようだ。
 思いがけず、歌仙兼定が消し去りたかった記憶の蓋を開けてしまった。困った顔で短刀を窺って、篭手切江は肩を竦めた。
 小さく嘆息して、わなわな震えている打刀を見詰める。
「忘れろ、と言われても。そんなに恥ずかしがることですか?」
 二年以上前、彼はこの地で陶芸を始めた。しかし思ったような作品に仕上がらず、いつの間にかその事実までもが忘れ去られた。
 残ったのは、この茶碗だけ。それも箱に押し込め、誰も手を出さないような場所に隠した。
「何事も、挑戦してみるのは悪いことじゃないと思いますけど」
 両手を広げ、脇差が訥々と言った。
 出来は悪いが、きちんと完成させているのだ。本人なりに努力して、最後まで立派にやり遂げた証しではないか。
「まあ、……ぷっ」
「笑うんじゃない!」
 そこまで告げて、彼は堪え切れずに噴き出した。慌てて顔を背けるものの、誤魔化しは利かず、歌仙兼定は真っ赤になって怒鳴った。
 右手を振り回して叫び、目尻に浮いた涙を瞬きで弾き飛ばした。鼻をずびずび言わせて奥歯を噛み鳴らし、唇を真一文字に引き結んだ。
 子供の粘土細工のような茶碗しか作れなかったと、周囲に知れ渡るのが耐えられなかったのだ。風流を愛する打刀が、この程度のものしか作り出せないのかと、嘲られるのが怖かったのだ。
 だから隠した。
 自分では思いきれなかったから、誰かが不用品と判断し、知らないうちに捨ててくれるのを期待した。
 目論見は外れた。
 事情を知っている刀に発掘されて、却って生き恥を晒す羽目になった。
「いっそ殺してくれ……」
 力なく項垂れる男がなんとも憐れで、何とか慰めてやりたい。
「僕は、歌仙の作った茶碗、嫌いではないですけど」
 黙って動向を見守っていた小夜左文字は、意を決して口を開いた。胸の前で両手の指を擦り合わせ、言葉を探し、目を泳がせた。
 茶の湯の席に出すのは憚られるが、日常使いとして、花を活けるのになら充分使えるのではないか。
 独特な形状は、見る側を愉快な気分にさせる。嫌なことがあったとしても、これを見れば笑顔になれるのではなかろうか。
「お小夜。いいんだ、無理に褒めようとしなくても」
 だが懸命の労いは、逆効果だった。
 余計に落ち込むと言われて、ハッとなった。慌てて脇差を振り返れば、篭手切江は曖昧に笑っただけだった。
「す、すみません」
 良かれと思ったことが、裏目に出た。
 失敗したと耳の先を赤くして、気落ちして俯く。
 両手で顔を覆って頻りに頬を擦る彼に、歌仙兼定はようやく口元を緩めた。
「情けないことに、僕に陶芸の才能はなかったようだ」
 萎れた花のようだった背筋を伸ばし、箱を手に立ちあがった。どれだけ念じても美しく変化しない茶碗を取って、深々と溜め息を吐いた。
 茶の道をこよなく愛した元の主を見習って、色々挑戦してみた。しかし上手く行った方が少なく、陶芸はその最たるものだった。
 汗水たらして窯まで作ったのに、宝の持ち腐れだ。
「別にいいんじゃないでしょうか。出来ないことがあった方が、なんだか安心します」
 料理が出来て、武芸に優れ、茶道に通じ、歌を詠む。
 傍から見て完璧とも思える相手には、微妙に接し辛い。機嫌を損ねてしまわないか戦々恐々して、話しかけるにも勇気が要った。
 だがそうでないと分かったら、親しみが湧く。彼だって失敗することがあると知って、篭手切江は相好を崩した。
 もっとも弱点を晒した格好の打刀は、あまり嬉しくなさそうだ。なんとも言えない顔をして、茶碗を箱に戻した。
「どうしますか?」
 それを待って、小夜左文字が口火を切った。
 今後使う予定があるなら残しておけばいいし、二度と見たくないのであれば、自分が捨てておく。
 選択を迫って両手を差し出した少年に、歌仙兼定は困った風にはにかんだ。
「正直なところ、要らないんだけど、ね」
 奥歯にものが挟まったような、歯切れの悪い返事だった。
 使い道がないので置いていても仕方がないけれど、やはり心のどこかで惜しく思っている。捨てると言われて素直に応じるのは難しく、かと言って手元に残しておきたいわけでもなかった。
 天秤は常に揺れ動き、安定しない。
 微妙な男の心理を嗅ぎ取って、小夜左文字は空の手を緩く握った。
「では、僕がもらってもいいですか」
「お小夜が?」
「はい。さっきも言いましたが、僕はその茶碗、嫌いじゃないです」
 一度胸元に添えたその手を、彼は再度前方に放った。掌を上にして、揃えた指先を重ねあわせた。
 渡すよう促され、歌仙兼定は眉を顰めた。手元と、短刀の顔を交互に見て、物言いたげに口をもごもごさせた。
「こんなものが、かい?」
「歌仙が作った茶碗です」
 改めて確認し、不格好な器を指差す。
 自虐的な台詞を訂正して、小夜左文字は真っ直ぐ男を見詰め返した。
 空色の瞳に迷いはなく、同情や憐れみの類は感じられなかった。心から欲していると分かる輝きに、傍で見ていた篭手切江は簡単の息を漏らした。
「最高の褒め言葉ですね」
 意味もなく眼鏡をくい、と押し上げ、噛み締めるように呟く。
 横で聞いていた打刀は途端にカアッ、と赤くなり、憎々しげに脇差を睨んだ。
 とはいえ、その眼差しに力はない。篭手切江はふっ、と鼻で笑って、やれやれと首を竦めた。
「羨ましいですね。僕も早く、僕の歌を聞きたい、と言ってくれる相手が欲しいです」
「僕は篭手切の歌、嫌いじゃないです」
「お小夜」
「おや、ありがとう。お世辞だとしても、嬉しいよ」
 癖なのか、眼鏡を弄りつつの独白に、すかさず小夜左文字が合いの手を挟んだ。聞いていた歌仙兼定はあまり良い顔をしなかったが、割って入るのは諦めて、遠くに向かって溜め息を吐いた。
「お世辞じゃないです」
「それ以上は歌仙が怒るから、今度ね」
 謙遜されて、短刀が尚も言い募る。
 和歌に傾倒し、篭手切江が好む歌謡には関心がない打刀は、敢えて聞こえなかった振りをして、咳払いを数回続けた。
 一方で人差し指を唇に当て、脇差が目尻を下げた。
 それで難しい彼らの距離感を悟り、小柄な短刀は頷いた。
「面倒臭いですね」
「ですって、歌仙」
「うるさい」
 率直な感想を述べれば、篭手切江が歯を見せて笑った。
 槍玉に挙げられた男は不機嫌に怒鳴り、木箱の蓋を閉めた。
 最初は上手く嵌まってくれず、何度かカタカタ揺すって、ようやく綺麗に収まった。それを両手で持ち直して、変に畏まった表情で短刀に向き直った。
「お小夜が、その。……使ってくれるのなら」
「はい」
「君に譲るのは、やぶさかではない、と言うか」
「ふふふっ」
「だからそこ、笑うんじゃない」
 目を泳がせ、ぎこちない口調と動きで木箱を差し出す。
 見ていられなかった篭手切江がまた噴き出して、打刀はくわっ、と牙を剥いた。
 但し迫力は皆無に等しく、まるで怖くない。照れ隠しだと分かる仕草に、脇差は腹を抱えて丸くなった。
 憤った歌仙兼定が肩を震わせ、振動が手に持つ箱にまで伝わった。中で割れるのではないかと危惧した短刀は、急いで箱の底を支え、そうっと大事に引き取った。
 掌に圧を感じ、打刀がハッと息を吐いた。瞳だけを動かして、手元から去っていく箱を追い、爪の先で空を掻いた。
 古くから付き合いのある少年なら、駄作であろうと大切に扱ってくれる。へたくそと笑って、見世物にすることもない。
 信頼し、任せた。
 心からの感謝を込めて、歌仙兼定は瞑目した。
「ありがとう」
 蚊の鳴くような小声で礼を言って、窄めた口から息を吐く。
 胸のつっかえが取れた気がして、心持ち身体が軽くなったようだった。
「そういえば、歌仙が作ったその窯。どうしたんですか?」
 心底ホッとしている男に目を細め、好奇心から篭手切江が訊ねた。ところが当時を知る刀ふた振りはきょとんとするだけで、明確な返事は得られなかった。
「どうなりましたか?」
「言われてみれば、ずっと放ったままだね」
 今の今まで気に留めもしなかった彼らに、脇差の頬がまた引き攣った。
 興味がなくなった途端、足を向けすらしなくなった。負の遺産であり、出来るなら二度と見たくない。そんな心理も働いて、現地を訪ねようという気が起こらなかった。
 すっかり忘れていたと、打刀が首を捻る。
「場所、覚えてるかい。お小夜」
「だいたいは」
「まったくもう……」
 所在地の記憶さえ曖昧と聞いて、篭手切江はがっくり肩を落とした。
「手入れもしていませんし、壊れているかもしれません」
「それはそれで、勿体ないな」
 二年以上風雨に曝されていたのだから、無事では済むまい。今頃は雑草に覆われて、原形を留めなくなっているに違いなかった。
 想像し、歌仙兼定が舌打ちした。大量の煉瓦を組み上げた日々の辛さを思い起こして、自分で放り出したくせに、今更惜しがった。
 何とも自分勝手な男だと呆れて、脇差は黒髪を掻き回した。
「折角だし、もう一度始めてみるのはどうでしよう。案外、今なら上手く出来るかもしれません」
「どうだか」
 提案し、外へ誘ってみる。
 打刀は最初あまり乗り気ではなかったけれど、低い場所から期待の眼差しを向けられて、難しい顔で考え込んだ。
 きらきら眩しい双眸に、嫌だとは言い難い。
 萎えていた陶芸への熱意をむくむく蘇らせて、彼は分かった、と頷いた。
「どうなっているか、見るだけ見てこよう」
「あっ。僕も行きます」
「僕も」
「やれやれ。掃除はいいのかい?」
「歌仙が手伝ってくれれば、すぐですよ」
「こういう時だけ、調子が良いな。君たちは」
 善は急げという。半日経った後では、やっぱりやめよう、となるかもしれない。
 気もそぞろに足踏みし、踵を返した男を追って、脇差と短刀も戸口へ急いだ。追いかけてくる足音に歌仙兼定は嫌そうな顔をしたが、無理強いはしなかった。
 好きにするよう身振りで告げて、段差を跨ぎ、廊下を急いだ。
「お小夜は、それ、どうするんだい?」
 三振りが横に並ぶと、それだけでぎゅうぎゅうだ。対面から来る刀に道を譲るべく、打刀は途中から短刀を抱き上げた。
 玄関へ行く道すがら、箱を大事に抱く少年に訊ねる。
「花を活けます。小さな、野の花が似合うと思うので」
 中身を揺らさないよう気を配りつつ、小夜左文字は有様を想像し、静かに微笑んだ。

昔見し野中の清水かはらねば わが影をもや思出らん
山家集 雑 1096

2017/12/03 脱稿