そゞろがましき 秋蝉の声

 朝晩の冷え込みは激しくなり、布団から抜け出すのが苦痛になり始めた季節だった。
 それでも日中、陽が射しているうちはまだ暖かい。特に南向きの縁側などは、日向ぼっこの特等席と言えた。
 但しそういう場所には、大抵先客が陣取っている。いったい何時からそこにいるのか、と言いたくなる程朝早くから、その場所は大勢でごった返していた。
 三日月宗近や鶯丸に始まり、果ては五虎退の虎や、鳴狐のお供まで。
 獅子王の鵺がそこに混じれば、もふもふが大集合だ。ふかふかして柔らかく、しかも温かいとあって、短刀や脇差が挙って隣を奪い合った。
 火鉢が出て、掘りごたつの出番が来れば混雑ぶりは多少和らぐが、それはもう少し先の話。
 冬はもうすぐそこに迫っている。
 険しい寒さの気配に気づかない振りをして、刀剣男士たちは残り少ない陽気を楽しんでいた。
「相変わらず、あそこは大混雑だねえ」
 そんな密度の高い縁側を眺めて、歌仙兼定が苦笑する。
「混じりますか?」
 小夜左文字がそれに応じて、淡々と問いかけた。
 打刀からどのような返答が得られるか、分かった上での質問だ。意地の悪い少年に肩を竦めて、藤色の髪の男は袖口に両手を差し込んだ。
 胸の前で腕を交差させ、指先を外気から守った。外に逃げる一方の体温を閉じ込めて、足袋を穿いた踵を擦り合わせた。
 夏場は素足だったが、今はこれがないと爪先が寒い。胴衣の下に着込む肌着も、実は一枚増えていた。
 本格的な冬が来れば、更に一枚か二枚、上に羽織ることになる。さすがに厨当番の時は身動きがし辛いので脱ぐが、屋敷でのんびり過ごす時間は、着膨れて真ん丸だった。
 一方で小夜左文字はといえば、夏の盛りと大差ない格好だった。
「お小夜は、それで寒くないのかい?」
 素足に包帯を巻き、裾の短い着物姿。尻端折りを止めて腿は隠れているけれど、膝小僧が歩く度にちらちら顔を出していた。
 中に着こむ肌着を増やした気配もなく、首元から細い鎖骨が覗いている。襷を外しても袖は肘の先までしかなくて、剥き出しの腕を隠す素振りは見られなかった。
 子供は風の子、という言葉があるらしいが、とても信じられない。
 打刀以上に温もりが必要な短刀に問えば、彼は少し悩む素振りを見せた。
 眉間に浅く皺を寄せて、なにも無い空間に視線を這わせた。壁から天井を巡って歌仙兼定に顔を向け直し、嗚呼、と緩慢に頷いた。
「着ると、暑いので」
 言われて気が付いた、と言わんばかりに手首を撫でさすり、摩擦で暖を呼んで呟く。
「薄手の羽織を、貸してあげようか」
 あまりにも自分自身に関心がない発言に苦笑して、打刀は組んだ腕を解き、左手を揺らした。
 親切のつもりで言ったのだが、お気に召さなかったようだ。小夜左文字は一瞬渋い顔をして、目の前で揺れる袂を押し退けた。
「歌仙のだと、僕には大きいです」
 暖簾のように脇へ払い除け、不要だと告げる。
 機嫌を損ねて若干低くなった声色に、歌仙兼定は目を細めた。
 左文字の末弟は本丸でも際立って背が低く、小柄だ。歌仙兼定との身長差は二尺近くあり、打刀の着物をそのまま羽織れば、裾を擦るのは間違いなかった。
 十二単を着ろと言われているようなもので、短刀が拗ねるのは道理だ。
 案の定の返答に肩を揺らして、男が声もなく笑う。すると小夜左文字は益々ムッとして、反撃として無防備な爪先を思い切り踏んだ。
「いづっ」
 全体重をかけて踏み潰し、そのまま通り過ぎる。
 いくら華奢とはいえ、短刀はそれなりに体重がある。決して軽くはない一撃に悲鳴を上げて、歌仙兼定は臍を曲げた少年に苦笑した。
「お小夜、この後は暇かい?」
 昼餉が終わり、厨での作業はひと段落した。
 これから夕餉の準備が始まるまでは、格別予定は入っていない。万屋へ出向くのもよし、防具を磨くもよし、のんびり過ごすのも各刀剣男士の自由だった。
 以前はこの空き時間を使い、八つ時の甘味を作っていた。
 だが今は、それもなくなった。本丸に集う刀が増えて来て、手が回らなくなったからだ。
 ごくたまに、暇を見つけた料理自慢が自作することがあるが、完成品の数は限られている。とてもではないが、全振り分を用意するのは無理だ。
 なので最近は、万屋で各自が好きに買ってくるようになった。幸い、現在の本丸の懐は若干ながら余裕がある。毎月支払われる給金も、初期に比べれば上昇していた。
「僕ですか?」
 それに万屋は、取り扱う品が多い。
 季節ごとに商品が入れ替わり、定番ものから風変わりなものまで、多種多様に扱っていた。欠点はといえば、品数が多過ぎるので目移りし過ぎてなかなか決められない、ということだろうか。
 ついつい使い過ぎて、毎回のように兄弟刀に泣きついているのは包丁藤四郎だ。
 そろそろ新作が出回る時期というのもあり、少し前には脇差たちが、連れ立って出かけていた。
 彼らに倣うわけではないけれど、久しぶりに足を運んでみよう。
 そんな提案をした打刀に、小夜左文字は顔を背け、即答しなかった。
「……どう、かな?」
 迷う理由はないと判断して誘ったのに、躊躇された。
 二つ返事で了解が得られると期待していただけに、意外だった。
「お小夜」
 藍色の髪の短刀は、復讐の逸話を持つ刀だ。仇討ちはとうに果たされているというのに、今でも仇を探し求め、矛盾する現実に苦しんでいた。
 彼を少しでも慰め、気が紛れるのであれば、いくら浪費しても惜しくない。
 本当は自ら作ってやりたいところだが、生憎と今現在、台所は燭台切光忠が占拠している。場所を借りるのは、難しかった。
 妥協案として万屋行きを提示したのだが、反応は芳しくなかった。
「……あまいもの、食べたくはないかい?」
 断られる未来は想像していなかった。
 声を潜め、不安を露わにした打刀に、小夜左文字は若干困った風に頷いた。
「さっき、あの。篭手切が」
「篭手切?」
 言い難そうに口をもごもごさせて、小さな手を左右で結びあわせた。胸の前で指先を細かく動かしながら彼が告げたのは、少し前に顕現した脇差の名前だった。
 篭手切江は、小夜左文字や歌仙兼定と所縁を持つ刀だ。共に戦国大名細川家に厄介になった経験がある。但しこの三振りが、同時期に同じ場所にいたことはない。
 歌に造詣が深い刀でもあるが、それは和歌のことではなかった。
 剣の腕を磨きつつ、歌いながら踊る練習も欠かさない彼は、お陰で歌仙兼定と折り合いが悪い。面と向かって罵倒し合うようなことはないけれど、独特の価値観が未だ理解出来ないようで、会話はギクシャクしがちだった。
 そんな脇差の名前が短刀の口から出て、打刀は露骨に顔を顰めた。
 見ているだけで不機嫌と分かる表情を見せられて、小夜左文字はやれやれ、と溜め息を吐いた。
「篭手切が、なんだって?」
 こうなると分かっていたから言いたくなかったのだが、仕方がない。
 諦めて天を仰いだ少年は、声を低くした打刀に目を眇めた。
 歌仙兼定に話しかけられる、四半刻ほど前のことだ。
「万屋で、買ってきてくれると」
「はあ?」
 玄関先で偶々すれ違った時、せっかくだから、と言ってくれた。
 今頃は目当てのものを購入し、本丸に向かっている最中ではなかろうか。
 先に欲しいものを決めておき、あれこれ迷わないでスパッと選んで買ってくる彼は、万屋にはあまり長居しない方だ。歌仙兼定など、どちらにしようか散々悩んだ挙げ句、最終的には両方買う、という選択肢を取りがちなのに。
 今日の小夜左文字は、既に甘味が約束されている。
 自ら出かける必要は、どこにもなかった。
「先を、越された」
 まったく知らなかったと唖然として、歌仙兼定は瞠目した。絶句し、がっくり肩を落として、惚けた顔で天井を仰いだ。
 虚ろな眼差しが中空を彷徨い、ぽかんと開かれた口元は間抜けだ。覇気が失われた姿は格好悪くて、小夜左文字は困った顔で嘆息した。
「どうしますか?」
 もうじき帰ってくる篭手切江の為に、寛げる場所を確保したかった。
 だけれど縁側は、見ている限り、空きそうになかった。
 他にゆっくり過ごせる場所が、どこかにあっただろうか。探せばいくらでもあるのだけれど、これという場所が思いつかない短刀に問われて、歌仙兼定は渋面を作った。
 篭手切江のことだから、きっと打刀の分も買って来てくれる。
 彼の良心に期待するか訊かれて、打刀は苛々しながら床を蹴った。
 全身を小刻みに揺らして、数秒悩んだ末にふー、と長い息を吐いた。様々な葛藤を一緒に外へ追い出して、姿勢を改め、背筋を伸ばした。
「茶の準備をして、待っていようか」
 険しかった表情を緩め、微笑みながら告げる。
「そうですね」
 小夜左文字は深く頷いて、庭に並べられた床几を指差した。
 あちこちに植えられた桜や楓は、まだあまり色付いていない。しかしいずれ燃えるような赤色に染まり、朝な夕な、皆の目を楽しませてくれるだろう。
 その時にのんびり観賞できるよう、準備は着々と進められていた。
 気の早い観覧席には、毛氈が敷かれていた。日除けとして赤い番傘が立てかけられているけれど、飾りとしての意味合いが強く、役立っているかどうかは微妙だった。
 縁側には劣るけれど、あちらも充分温かい。
 今年最後の青紅葉を眺めて過ごすのも悪くないと、歌仙兼定は鷹揚に頷いた。
「ではお小夜、場所取りをお願いするよ」
「分かりました」
 今は無人の床几も、いつ誰かに占領されるか分からない。
 分担を決めて一旦は別れて、歌仙兼定は台所に向かった。
 甘ったるい匂いに酔いながら湯を沸かして茶を煎れて、三振り分の湯飲みを盆に並べた。篭手切江が何を買ってくるかは分からないが、舌が変になっては困るからと、請われた味見は断った。
 新しく来た短刀のためにと、毎日のように菓子を作る太刀に若干辟易しながら草履を履き、庭に出た。
 日差しは穏やかで、風は涼しく、心地よかった。
 こうやって屋外でのんびり過ごせるのも、あと僅かだ。
 雪が降り始めたら、縁側は一気に空いた。今あそこを占拠している集団が、代わりに火鉢や、炬燵に群がるまで、そう間がなかった。
 火鉢用の炭は、充分だっただろうか。
 へし切長谷部がぬかりなく手配してくれているはずだが、後で自分でも確かめることにして、歌仙兼定は砂利を踏んだ。
 夏場ほど背が高くない雑草を蹴散らし、小夜左文字が待つ床几を目指す。
「ああ」
 そこには見慣れた短刀の他に、もう一振り、眼鏡の少年の姿があった。
 どうやら、帰ってきていたらしい。この時ばかりは日頃のわだかまりを忘れて、安堵に頬を緩めた。
 まさか万屋からの帰路で迷子になることはないだろうが、篭手切江は本丸に来てそろそろ三ヶ月。この少々慣れた頃合いが、間違って余所の本丸に行ってしまう失敗が起き易い時期だった。
「歌仙」
「戻っていたようだね」
 無事の姿を確認して、ホッとした。
 細川所縁の刀としてではなく、本丸最古参としての顔を見せた彼に、小夜左文字はなぜか複雑な表情を作った。
 短刀の右側に座っていた脇差も、ふた振りのやり取りを受けて振り返った。
 その膝には、万屋で買ってきたものと分かる袋があった。中身が取り出され、包み紙はぺしゃんこに潰されていた。
 笹の葉を皿代わりにして、並んでいるのは拳ほどある饅頭だ。
 ただ、二個しかない。
 それがどういう意味を持つのか。
 申し訳なさそうに首を竦めて、短刀は棒立ちの打刀に頷いた。
「今から、……行ってきます」
 言葉もなく立ち尽くしている歌仙兼定に言って、小夜左文字が床几から飛び降りた。両足を揃えて着地して、凍り付いている男に駆け寄った。
 袖を引かれて、盆の上の湯飲みが互いにぶつかり合った。かちゃん、と乾いた音を立て、急須の中身が激しく波立った。
 蓋の隙間からじわ、と液体が染み出して、濃くなった湯気にハッとする。歌仙兼定は立て続けに数回瞬きをして、開けっ放しの口を閉じた。
「え、あ。え。え?」
 状況が上手く整理出来ず、理解が追い付かない。
 動揺して目を泳がせた彼に、床几に座った脇差が呆れ顔で溜め息をついた。
「歌仙のお茶が、冷めてしまいますよ」
 混乱する打刀を無視し、短刀にだけ呼びかけた。隣に座るよう、大きく開いた空間を叩いて、突っ立っている少年を手招いた。
 屈託なく微笑んで、楽しそうだ。なにが歌仙兼定を戸惑わせているのか、理解した上での態度のようだった。
「でも、篭手切」
 そのあまりの意地悪ぶりに、小夜左文字は声を高くした。珍しく感情を露わにして、責めるような眼差しを投げ返した。
 もっとも睨まれても、脇差は平然と受け流した。全く悪びれる素振りはなく、手招きを続けて、硬直が抜け切らない男には不遜な笑みを浮かべた。
「いいじゃないですか。もともと八つ時の菓子は、短刀と、脇差を中心にしていたんでしょう?」
 それは本丸の食事事情が大きく変わる前の話。
 歴史修正主義者との戦いが始まって二年が経過した辺りから、守れなくなることが多くなった不文律のことだ。
 今ではすっかり形骸化し、最近顕現したばかりの刀剣男士は知らないことの方が多い。昔は菓子が配られ、争奪戦になっていたと言われても、にわかには信じ難かろう。
 篭手切江の言う通り、以前は短刀と脇差が、菓子をもらう中心的立場だった。しかし粟田口が総勢十振りを越えた辺りから雲行きが怪しくなり、包丁藤四郎が加入した頃には、出来あいの菓子を配る方が多くなっていた。
 やがて一部の刀が身銭を切って用意するのはおかしい、という話になり、菓子の配布そのものがなくなった。
 食べたければ自分で作るか、自分で買うか。
 誰かに作ってもらいたければ、材料代くらいは自前で用意すること。
 それが今現在の、本丸の決まりごとだった。
 だから昔の約束事を例に出しても、なんの意味もない。
 けれど歌仙兼定は脇差のひと言に反応し、ビクッと大袈裟に肩を跳ね上げた。
 短刀の頭上で目に見えない火花が飛び交い、無言の応酬が繰り広げられる。間に立たされた小夜左文字が困惑する中、盆を片手で支え持った男が、不安げな少年の肩を優しく包み込んだ。
「ああ、そうさ。僕は文系だからね」
 軽い力で床几の方へ押し出して、自らも足を繰り出した。
 意味が分からない台詞を堂々と吐いて、初期刀である青年はゆっくりと盆を下ろした。
 横長の床几の端に置いて、その隣に腰かけた。急須を手に取り、湯飲みに順に注いで、まだ座っていない少年に差し出した。
「お小夜も、座ると良い」
「え、ええ。はい」
 表面上はとても穏やかで、笑みが絶えないのが、余計に不気味だ。
 いつもなら癇癪を爆発させ、遠慮なく怒鳴り散らすくせに。
 そんな光景ばかり見て来たから、今回もそうなると危惧した。だのに思いもよらぬ展開になって、動揺が否めなかった。
 渡された湯飲みを両手で抱いて、彼は躊躇の末、打刀と脇差の間に座った。若干窮屈だが、我慢出来ないほどではない。むしろ番傘が作る影の境界線が顔に掛かり、そちらの方が鬱陶しかった。
 右目と左目で、光の量が違う。
 半分明るく、半分くらい環境を嫌って身体を右に振れば、番傘側に座っていた篭手切江と肩がぶつかった。
「おっと」
 膝に置いていた饅頭を咄嗟に庇って、その上で短刀の体重を受け止めた。
 細身なようで、案外肉付きはしっかりしている少年を反射的に仰いで、小夜左文字は謝罪の代わりに頭を下げた。
「ほら、そっちも」
「はい。ありがとうございます」
 そのやり取りを横目で睨んで、歌仙兼定が仏頂面で言った。眼鏡の少年はにこにこしながら返事して、湯飲みに半分少々注がれた茶を受け取った。
 明らかに量が少ないが、篭手切江は特になにも言わなかった。それで小夜左文字も敢えて指摘はせず、程度の低い喧嘩にひっそりと溜め息を吐いた。
 白い湯気を吹き飛ばしてひと口啜れば、煎茶の良い香りが咥内に広がった。
「あちち」
 歌仙兼定も湯飲みに口を付け、冷まし方が足りなかったと肩を竦めた。
「それで、小夜。どっちがいいですか?」
 飲まなかったのは、篭手切江だけだ。彼は熱々の茶を冷ますべく、傍らに置いて、先に饅頭に手を伸ばした。
 幅広の笹の葉ごと持ち上げて、煎茶に息を吹きかけている少年に訊ねる。
 味がそれぞれ異なるのは、見た目の色が違うので、最初から分かっていた。だけれど中身がなんなのかについては、未だ言及がなかった。
 それでどちらかを選べというのも、なかなかに意地悪だ。
「あの」
「篭手切、先に味を説明すべきではないのかい?」
 すぐには決めかねて躊躇した短刀を庇い、打刀がぐっと身を乗り出した。頼んでもないのにお節介を焼かれて、小夜左文字は呆れつつ、少し助かったと吐息を零した。
 ただ篭手切江としては、面白くなかったようだ。
「歌仙には、関係ないでしょう」
 どうせ打刀は食べないのだから、どんな味であろうと、どうでも良いことだ。
 短刀に訊いているのだから割り込んでくるな、と言わんばかりで、口調には棘があった。
 スッと目を細めて睨んだ彼に、歌仙兼定は悔しげに奥歯を噛んだ。膨らむ一方の苛立ちに拳を作り、太腿に押し当てて、左の踵で何度も地面を蹴った。
 振動が床几全体に伝わるが、反対側に座る脇差はなにも言わなかった。改めて戸惑う短刀に饅頭を示して、
「さあ、小夜。選んで?」
 歌仙兼定などこの場には居ない、という体で会話をやり直した。
「……はあ」
 周囲の空気がピリピリして、和やかな雰囲気とは程遠かった。左側では打刀が貧乏ゆすりを止めず、右側にはわざとやっているとしか思えない脇差の笑い顔がある。
 歌仙兼定をからかい、面白がっている気配をありありと感じながら、小夜左文字は仕方なく左側の饅頭を指差した。
「そっちで良いんだね?」
 自分に近い方を示しただけであり、格別深い意味はない。
 どんな味が当たろうと、文句を言うつもりはなかった。念押しした脇差に黙って頷いて、短刀の付喪神はちらりと隣を窺った。
 正面を向いて茶を飲んでいる男は、こちらに関心を示していないようで、実際はそうではない。全神経を耳に集中させており、少しでも気に障ることがあれば動く心づもりだった。
 この環境で食べる饅頭は、さぞや美味かろう。
 皮肉めいた想像をして、彼は両手を空にすべく、左肘を外向きに広げた。
「う」
「置いてもらえますか」
 もれなく脇腹を突かれて、歌仙兼定が呻いた。不意打ちを食らった打刀は変なところから声を出し、取りこぼしそうになった湯飲みを慌てて抱き直した。
 それを冷めた目で眺めて、小夜左文字は自分の湯飲みを差し出した。
 床几は元々二人掛けで、三振りが並ぶと殆ど隙間が残らない。真ん中に座る短刀は、尚更だ。
 湯飲みを置きたいが、腿の間に挟むわけにもいかない。饅頭を受け取る方法を模索した結果、隣に頼るしか道がなかった。
 面倒臭いが、止むを得なかった。
 濡れた口元を拭った打刀は、数秒してから意図を察して、嗚呼、と頷いた。
「承知した」
 何故か得意げに言って、空の方の手を差し出した。自分の湯飲みと揃えて盆に並べて、量があまり減っていないのを確かめた。
 急須を揺らして残量を調べ、注ぎ足すかどうかでしばし悩む。
 その横で、小夜左文字は差し出された饅頭を取った。
 表面はこんがり小麦色をして、底は白い。つるりとした外観で、中身は見当がつかなかった。
 篭手切江の手元に残った分は、こちらよりもっと肌が黒ずんでいた。全体的に艶があって、陽を受けて輝いていた。
「初めて見ます」
「人気の商品だそうだよ」
「はあ」
 茶色と、黒、といったところか。燭台切光忠が作る洋菓子に似ているが、歌仙兼定が得意としている焼き饅頭にも近いものがあった。
 見た目よりもずっと重く、食べ応えがありそうだ。夕餉までに消化されてくれるか少し心配になったが、大丈夫だと己を鼓舞し、短刀はえい、と噛みついた。
 大きく口を開け、がぶりと食らいつく。
「むんっ」
 一気に頬張るのは難しく、三分の一を少々越えた程度で噛み千切った。鼻から息を吐き、ボロッと咥内で崩れ落ちた菓子の意外な柔らかさに瞠目した。
 舌先に触れただけで、甘さが伝わってきた。塊を唇に押し当てたまま二度、三度と瞬きを繰り返して、ゆっくり口を閉じ、饅頭の断面に焦点を定めた。
 中は、黄色だった。
 卵黄のような鮮やかさが眩いが、味は別物だ。過去に食べた経験がある風味だと眉を顰め、彼は正体を探りながら咀嚼した。
 ごくりと飲みこみ、ひと息ついて、左右から注がれる視線にカアッと赤くなる。
「かぼちゃ、……ですか」
 食べているところをまじまじ見られるのは、恥ずかしい。口の端に残っていた欠片を払い落として、小夜左文字は自信無さげに呟いた。
 栗に似た甘さだけれど、そこまでさらりとしていない。深みがあり、ねっとりして、いつまでも舌に残る感じだった。
 かぼちゃの煮つけが、一番近い。裏ごしされて原形を留めないので確証が持てないが、恐らくこれで間違いなかろう。
 こんな風に加工すれば、菓子にも使える野菜だった。
 ごつごつした、武骨な外見からは思いつかない味わいだった。
 最初にこれを思いついた人は凄い。手放しに感心して、小夜左文字はひと口目で変に尖っていた箇所を啄んだ。
「おいしいですか?」
「はい。初めて食べます」
 じっくり味わいながら食べ進める少年に、脇差が興奮気味に問いかけた。短刀は素直に頷いて、脇差の手元に残る饅頭に意識を傾けた。
 ひとつは南瓜だった。ではもうひとつは、何が入っているのか。
 歌仙兼定もこっそり視線を送る中、眼鏡の少年はふふん、と若干偉そうに胸を反らした。
「こっちは、ほら。薩摩芋です」
 笹の葉から引き剥がした饅頭の真ん中に爪を立て、左右に割り開いた。ボロッと崩れたのは最初だけで、塊は綺麗にふたつに分かれた。
 中から現れたのは、小夜左文字が食べているものより若干色が薄めの餡だった。
「うん、美味しい」
 それを良く見えるようふた振りに示した上で、片方をぺろりと頬張った。難なく口に入れ、顎の動きを徐々に小さくしていった。
 湯飲みを取って歯の隙間に残った分を押し流し、ひと息ついて、淡く微笑む。
「小夜も、食べますか?」
「え」
 そうして残り半分となった饅頭を示し、朗らかに言った。
 思わぬ提案に驚いた短刀の向こうで、打刀が一瞬、凄い顔になった。偉丈夫ぶりが嘘のように崩れ落ち、羅刹が如き表情を見せたかと思えば、短刀が振り向いた瞬間にはすっかり元通りになった。
「歌仙、お茶をください」
「ああ、はい。どうぞ」
 頼まれて、歌仙兼定は鷹揚に首肯した。余裕ぶった態度を取って、盆に並ぶ湯飲みをひとつ手に取った。
 差し出され、小夜左文字は受け取りを一瞬躊躇した。右手に饅頭の残りを持ち、左手で掴もうとして、先ほどと形状が違うような気がして眉を顰めた。
 打刀が持ち込んだ湯飲みは、三つとも似たような形をしていた。灰色の釉薬が掛けられて、素朴な風合いが持ち味だった。
 茶の残量も記憶と異なっているものの、歌仙兼定が寄越したものだから、大丈夫だろう。
 降って湧いた疑問を無理矢理捻じ伏せて、彼は温くなった茶を数回に分けて啜った。
「篭手切、僕はもう、貰っています」
 ほう、と息を吐いて四肢の力を抜き、右に向かって囁く。
 噛み跡がはっきり残る饅頭を揺らして答えれば、眼鏡の脇差は苦笑しながら首を振った。
「構いませんよ。そっちの、少しください」
 既に饅頭一個を譲られているのに、更に半分追加するのは、いくらなんでも多すぎる。
 そう言って断ろうとしたのだが、篭手切江は妥協案を提示して、短刀が持つ饅頭に人差し指を向けた。
 再び歌仙兼定の顔が凄まじいことになっている中で、小夜左文字は慌てた様子で脇差と手元とを見比べた。
「でも、齧ってしまってます」
 食べ差しを与えるなど、失礼極まりない。ならば新しいものを、と考えるが、人気の商品となればもう売り切れているだろう。
 薩摩芋味の饅頭も気になるが、歯型がくっきり浮き上がっているもので構わないのか。こうなることが分かっていたなら、篭手切江のようにふたつに分割して食べたのに。
「気にしませんよ。いいですか?」
 食いかけを渡すなど、兄弟刀相手でもやったことがなかった。行儀に五月蠅い歌仙兼定相手なら、尚更だ。
 ところが篭手切江は、そういうところに頓着しないらしい。
 もう既に、食べる気満々だ。首を竦めて姿勢を低くしている彼に、小夜左文字は困った顔で目を細めた。
「じゃあ……」
 彼が良いと言うのであれば、構わなかろう。
 押し問答が続くのは不毛で、諦めた少年はおずおずと饅頭を差し出した。
「!」
 歌仙兼定が悲哀と憤怒、両方が複雑に混じりあった顔をする中、篭手切江の口元へ運んでいく。
 脇差は唇を開くと同時に目を閉じて、小夜左文字が齧ったその上から、固めの皮と柔らかな餡を削り取った。
 もみあげが前後に揺れて、額を覆う黒髪がさらりと踊った。
 思った以上に長い睫毛に驚いて、短刀は静かに離れて行く脇差をじっと見守った。
「どう、……ですか」
「うん、こっちも美味しいですね。買えて良かった」
 恐る恐る訊ねれば、眼鏡のずれを直した少年が感極まった様子で呟いた。特に汚れてもない親指をぺろりと舐めて、笑顔に嘘偽りは感じられなかった。
 万屋の人気商品は、ぼやぼやしているとすぐ売り切れてしまう。
 今回も争奪戦だったと肩を竦めて、彼は残っていた薩摩芋餡の饅頭を更に半分に割った。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
 彼が齧ったのは、四分の一にも満たない量だ。これでは公平な配分とは言えないが、短刀は敢えて指摘しなかった。
 好意は、素直に受け取っておくべきだ。遠慮ばかりしていては、相手が嫌な気分になる。
 それはいつぞや、太鼓鐘貞宗に言われた言葉だ。
 彼の言い分はもっともだと思ったが、実行するのは難しい。けれど今がその時だと自戒して、短刀はスッと口を開いた。
 右手に食べ差しの饅頭、左手に湯呑みを持った状態では、こうするしか方法がない。
 背後の打刀の顔が一段と悪化したとも知らず、小夜左文字は突き出された饅頭の欠片を、脇差の手から直接受け取った。
 舌に転がった瞬間唇を閉じ、前歯で半分に砕いた。餡と皮を分離させて、磨り潰してひとつに戻し、口をもごもごさせて蕩けるような甘さを堪能した。
 皮自体にも練り込まれているのか、味が違った。香ばしさが加わって、こちらの方が弾力があった。
「美味しい」
 歌仙兼定が作るものとは一味違って、新鮮だった。
 思わずぽろっと呟いて、感嘆の息を吐く。
 直後にハッとした彼は、振り返り見た先で打刀が異様な姿勢を取っているのに首を捻った。
「なにをしているんですか、歌仙」
 男は両腕を高く掲げ、手首から先を地面に向かって垂らしていた。それだけだと幽霊画のようだが、背筋はしゃんと伸びており、目を吊り上げた形相は地獄の鬼に近かった。
 牙を剥き、短刀さえ丸呑み出来るくらいに大きく口を開けていた。
 血走った眼は爛々と輝いて、不気味でありながら、どこか滑稽だった。
「い、あ……えっ、と」
「ふふっ」
 不味いところを見られたと、歌仙兼定は顔を引き攣らせた。腕を下ろして背中を丸め、床几に座り直した彼の肌は、どこもかしこも真っ赤だった。
 羞恥に喘いで小さくなった彼に、篭手切江が堪え切れずに噴き出した。
「小夜。歌仙も、食べたいみたいですよ」
 短刀と脇差の、仲睦まじいやり取りに嫉妬したとは、口が裂けても言えない。
 人見知りが過ぎて未だ親しい刀が少ない男の心理を読みとって、黒髪の少年は意地悪く囁いた。
 耳打ちされて、小夜左文字は目をぱちくりさせた。そうなのか、と急ぎ打刀に向き直って、手元に残る饅頭の欠片を揺らした。
「でも、歌仙は。前に」
 歌仙兼定は日頃からなにかと行儀に五月蠅く、小夜左文字のみならず、あらゆる刀に説教を繰り返して来た。
 彼の言葉を真に受けて実践する刀はあまり多くないけれど、皆無ではない。
 その数少ない短刀は、脇差の言葉に絶句した。小首を傾げて丸まっている男を覗き込んで、苦虫を噛み潰したような表情をそこに見出した。
 これまでの強気で、傲岸不遜な態度が薄れ、気弱な子供の顔になっていた。図星を指摘されて、恥ずかしさに呻いていた。
「……食べますか?」
 小夜左文字と篭手切江が齧った菓子を口にしたら、彼が今日に至るまで積み上げてきた価値観が軒並み崩れることになる。
 以前回し食いの現場に遭遇した際、彼は口角泡を飛ばす勢いで説教していた。だがここで自らが実行すれば、二度と他者を咎められない。
 それでもいいかとの問いかけに、歌仙兼定はぐっと息を呑んだ。
 深い葛藤を瞳に滲ませて、逡巡し、口を開けては閉じる、を何度も繰り返した。
 なかなか決心がつかない様子で、肌色は優れず、目尻には薄ら涙が滲み始めた。
 その優柔不断ぶりが女々しく、鬱陶しい。焦れったさに負けた短刀は溜め息ひとつ吐き、右手を伸ばした。
「えい」
「むぐ!」
 食べても、食べなくても後悔するのだ。だったら迷うだけ時間の無駄だった。
 そもそも、そこまで深刻なことなのか。付き合ってやるのも馬鹿らしくなって、ぐるぐる悩んでいた男の口に、饅頭の残りを強引にねじ込んだ。
「うわ、えぐい」
 無理矢理突っ込んで、吐き出さないよう掌で押さえ付けた。咀嚼し、飲みこむのを確かめるまで離さなかった。
 身を乗り出して見ていた篭手切江は、小夜左文字の強引なやり口に引き攣り笑いを浮かべた。自分は気を付けよう、と肝に銘じて、すっかり冷めてしまった茶を啜った。
 ずずず、という音を横で聞きながら、復讐の逸話を持つ短刀は腕を引いた。湿っている掌を打刀の袴に擦りつけて、惚けた顔の男を睨みつけた。
「どうですか」
「……うまい」
 感想を訊ねる表情ではなかったが、誰も何も言わなかった。
 ぽろっと零れ落ちた独白を聞いて、篭手切江は口元を綻ばせた。
「小夜、はい」
 笹の葉の皿に残した四分の一を手渡し、顎をしゃくる。
 それだけで意図を察した少年は、引き取った饅頭を打刀に突き付けた。
 歌仙兼定はもう迷わなかった。即座に口をパカッと開いて、当たり前のように舌で受け取った。
「んむ、ん……ああ。こちらも、なかなかどうして。悪くないな」
「どうですか、歌仙。あなたなら、同じ物を作れそうですか?」
 行儀の話などすっかり忘れて、意外性が高い甘味に舌鼓を打った。初めての経験だとしきりに感心して、横から飛んできた質問には自信満々に頷いた。
「やってみるよ」
 完全に同じ物は難しいが、近いものなら作れるだろう。
 明日にでも材料を揃え、試作に取りかかる。その決意を聞いて、篭手切江はしてやったりと歯を見せて笑った。
 小さく握り拳を作ったのを、小夜左文字は見逃さなかった。
 人気の菓子は、なかなか手に入らない。季節限定ともなれば、争奪戦は更に激しくなる。
 だが手近なところに作れる刀がいれば、わざわざ万屋に出かけなくても良い。
「小夜、ありがとう」
「最初から、そのつもりだったんですか?」
「小夜が美味しいって言ってくれたら、歌仙は絶対、断らないからね」
 どうやら自分たちは、彼の策略にまんまと嵌められたらしい。
 小声で耳打ちされて、小夜左文字は苦笑した。
 舌に残る味を頼りに、男は材料を探っていた。芋の種類から作り方まで想像して、真剣に考え込んでいた。
 後日、味見役として徴集されるのは間違い無い。案外狡賢い脇差を一瞥して、彼は歌仙兼定のものだった湯飲みを抱き、煎茶で喉を潤した。

山里のそともの岡の高き木に そゞろがましき秋蝉の声
山家集 秋 295

2017/10/08 脱稿