法にあふこの 薪なりける

 分け入った山の中で見つけたのは、鄙びた小さな小屋だった。
 近くには粗末ながらも窯があり、そこで焼いたであろう炭が積み上げられている。足元は均され、下草は生えない。緑に覆われた中に突如現れた空間は、見るからに異質だった。
 小屋を建てるのに使ったのだろう、何本もの木が根だけになっていた。
 そのうちひとつの切り株には、刃先鋭い斧が深く突き刺さっていた。
 本丸で、薪割りに使っているものよりももっと太く、重そうだ。
 これなら首だって、易々と一刀両断出来るだろう。物騒な想像に頷いて、小夜左文字は凶器となりえる道具から距離を取った。
「誰が作ったんだろう」
 炊事に使う焚き木を拾うべく、籠を背負って山に入った。
 調子よく荷を重くしていた矢先、こんな場所に出くわして、短刀の付喪神は首を捻った。
 山中にこのような小屋があるとは聞いておらず、驚いた。古くからあるのかと勘繰ったが、建物は堂々としており、荒廃して朽ちる一方とはとても言えなかった。
 風雨の影響を過分に受けているものの、まだ壁材は新しい。
 斧が刺さった切り株の雰囲気からして、出来上がってまだ一年か、二年といったところだった。
「そういえば」
 誰かが立ち話をしているのを、以前、通りがかりに耳にした。
 その男は屋敷の仕事がない時期は、せっせと山へ足を運んでいると。修業の場を作るのだと言って、兄弟刀にも手伝いを要請している、と。
 「山伏国広、さん?」
 豪快で笑い声が大きい太刀を思い浮かべ、小夜左文字は自信無さげに呟いた。
 首を捻ったまま瞳を真ん中に寄せて、ほんの僅かに開いている入り口に眉を顰めた。
 建物の枠組みは実に単純で、外から力を加えたら簡単に倒れてしまいそうだ。壁は薄く、所々で隙間がある。窓はないが、そこから光が漏れ入るので、不便がないようだった。
 屋根は薄く切った木の板を並べ、補強として石が並べられていた。素人が建てたとひと目でわかる粗末ぶりで、屋敷の馬小屋の方がよっぽど立派だった。
 ここで寝起きするのは、身体に悪そうだ。
 但し一時的に休む場合や、雨に降られた時などには、避難場所として重宝しそうだ。
「いないのかな」
 耳を澄ませても、物音は聞こえてこない。耳に響くのは風に揺れる木々のざわめきや、遥か彼方で鳴く鹿の声くらいだった。
 頭上はぽっかり穴が開いたように空が広がって、薄く日が射していた。軒下に積まれた、乾燥途中と思しき木材の周辺にも、ひとの姿は見当たらなかった。
 今朝、山伏国広は本丸にいただろうか。
 修行のために山籠もりがしたいと、常日頃から審神者に訴えている刀だ。許しが得られずとも勝手に行動して、これまでにも頻繁に行方をくらましていた。
 脇差の堀川国広は、もう諦め顔だった。何度注意しても改まらないので、せめて連絡が取れるようにしてくれ、と繰り返し訴えていた。
 そういう事情を含めての、拠点ということだろうか。
 奥まった場所でなく、存外本丸に近いところにあった小屋をまじまじと眺めて、小夜左文字は天を仰いだ。
 周辺の景色を眺め、喧騒とは無縁の穏やかな空気で胸を満たした。ずっしり重い背負い籠ごと身体を揺らして、肩に食い込む紐を爪で擦った。
「少し、休ませてもらおう」
 ここまでずっと歩き通しだった。休憩したいと思っていただけに、丁度良かった。
 家主は不在にしているようだが、構わないだろう。
 決断を下して、小柄な付喪神はずっと担いでいた荷物を下ろした。
「ふう」
 肉に食い込んでいた重みを取り除き、安堵の息を吐く。布が当たって擦れた場所は赤くなり、所々摩擦に負けて擦り剥けていた。
 小さな痛みが走って、触れれば熱を発していた。悪化する前に軽く洗って、冷ますことにして、小夜左文字は左右に視線を走らせた。
 ちょろちょろと聞こえる水音を探り、たきぎ入りの籠を残して歩き出す。
「わざわざ、引いたんだろうか」
 さほど行かないうちに、目当てのものが見つかった。青草生い茂る中で、幅一尺もない細い水路が走っていた。
 背筋を伸ばして水源を探すが、木々が邪魔をして遠くまで見通せない。流れる水は澄んでおり、底に敷き詰められた小石がはっきり見て取れた。
 魚は泳いでいないが、沢蟹が一匹、小夜左文字を見て慌てて逃げて行った。
 頭上でバサッ、と音がして、思わず首を竦めた。瞳だけを宙に投げれば、鳥でもいたのか、木の枝が不自然に揺れていた。
「冷たい」
 熊や狼の類ではなく、身の危険は感じない。安堵して、小夜左文字は膝を折って流水に指を浸した。
 右手を器の代わりに使い、掬い取って口に運んだ。途中で大半が零れてしまったが、咥内を湿らせるには充分だった。
 屋敷の井戸水よりも、ずっと冷たかった。飲めば喉の粘膜がぴくぴく痙攣し、胃の奥がきゅっ、と窄まった。
 思った以上に、身体は乾いていたらしい。
「おいしい」
 ただの水がいつになく美味に感じられて、彼は二度、三度と手を動かした。
 零れた分が口元だけでなく、膝や、胸元にまで飛び散ったが、構わない。
 折角だからと痛む肩を濡れた手で撫でて、チリッと来た痛みは歯を食いしばって耐えた。
 ピピピピピ、と鳥の囀りがした。つられて顔を上げて、目を泳がせるが、色鮮やかな羽は見つけられなかった。
 濡れた手で濡れた顎を拭い、立ち上がって踵を返す。竹で編んだ籠まで戻ろうとして、途中で自然と足が止まった。
 簡素な造りの小屋に、視線が釘付けだった。
 外はこんな風だが、中はどうなっているのだろう。大きくはないが、小さくもない好奇心が擽られて、鼻の奥がむずむずした。
「ちょっとだけ」
 急ぎ左右を確認して、短刀は背筋を伸ばした。
 壊しに来たわけでも、盗みに入るわけでもなく、仲間が一から造った家屋の出来栄えを確かめるだけ。本当にそれだけで、他意はないと自分に向かって言い訳した。
 そのくせ、足取りは慎重だ。中で眠る者があってはならないからと、息を殺し、そうっと建屋に近付いた。
 寸法が合っていないのか、戸は完全に閉まらないらしい。
 若干傾いている引き戸を上から下へと眺めて、小夜左文字は恐る恐る首を伸ばした。
「誰も、いない……?」
 昼間だというのに、中はかなり暗かった。唯一の光源である戸が、短刀により塞がれたのもあり、内部は夜に似た闇に覆われていた。
 何度か瞬きを繰り返して、暗がりに目を凝らす。
 短刀特有の、闇への対応能力を発揮して、注意深く室内を窺い見た。
 部屋割りはされておらず、広さ六畳弱の一間だけ。屋根を支える柱が真ん中にどん、と突っ立っており、それを囲む形で様々なものが置かれていた。
 床は土が向き出して、一部は茣蓙で覆われていた。入り口近くに持ち運びが容易な小型の七輪があり、火打ち石が網の上に転がっていた。
 椅子代わりなのか、太めの木を輪切りにしたものがひとつ。その向こう側には、何に使うのか分からない一尺半ほどの角材がどん、と置かれていた。
 木くずの中に、鑿があった。これを打つための槌が、丸太の上に横たわっていた。
「なんだろう」
 それ以外では、暖を取るための毛皮であったり、蓑笠であったり。
 食糧の類は、隠されているのか、そもそも保管していないのか、見当たらなかった。水を汲む桶は小屋の外に、無造作に放置されていた。
 生活の気配はそこかしこにあるのに、ここを根城にしていると言う風にはあまり感じられない。あくまでも仮の場所、作業をするための空間なのだと、強く意識させられた。
 火で炙るなど、単純な料理は出来るが、手の込んだものを作るのには圧倒的に不向き。
 眠るにしても、完全に雑魚寝で、熟睡できるとは思えなかった。
 炭焼きのために作られた小屋という雰囲気でもなくて、首を捻る。
 入り口から覗くだけでは、詳しいことはなにも分からない。選択を迫られ、小夜左文字は膝をぶつけ合わせた。
「うん」
 ここで引き返すか、このまま突き進むか。
 覚悟は、すぐに定まった。
 小さく頷いて、彼は握り拳を胸に押し当てた。
 思い切って、立て付け悪い戸を全開にした。力任せに横へ滑らせて、内部に差しこむ光の量を増やした。
「うっ」
 途端に瞳が焼かれ、視界が真っ白になった。夜目を利かせていたのをすっかり忘れていたと、自分の軽率さに臍を噛んだ。
 ぎゅっと瞑った目を開くのに、数秒の猶予が必要だった。
 戸を開けるよりよっぽどビクビクしながら、小夜左文字は失明の恐怖を捻じ伏せ、薄く瞼を持ち上げた。
「……すごい」
 最初はぼんやりと、次第にはっきりと、ものの輪郭が露わになった。
 先ほどまでは気に留めなかった備え付けの壁の棚に焦点を定めて、彼は感嘆の息を漏らした。
 廃屋一歩手前の東屋の中には、四段分の棚が備え付けられていた。外観が完成した後に付け足したらしく、仕事ぶりは雑だが、ある程度重いものを並べても耐えられる構造になっていた。
 うち、半分近くがすでに埋まっていた。
 掌に載る大きさから、短刀の頭ほどあるものまで。
 大小さまざまな彫刻が、小屋の一画を占領していた。
 気が付けば、ふらふらと足が向かっていた。丸太の椅子の左脇を抜けて、一列に並べられた彫刻を仰いだ。
「仏像、だろうか」
 それはどれも、似たような形をしていた。
 大きさこそ違うが、雰囲気は共通していた。鑿の跡が目立つ、決して上手とはいえないものばかりだが、いずれも表情は優しげで、穏やかだった。
 左上から右、そして下に向かうに従って、段々と上達していっているのが分かる。初めは荒削りで些か乱暴に思えた仕上げが、徐々に丁寧に、それでいて繊細になっていた。
 恐々振るっていた鑿が大胆になり、それでいて細かな部分にまで目が回るようになっていた。大振りだった衣の襞が精緻になって、角ばっていた顔立ちは丸みを帯びるようになった。
 成長の具合が、実によく分かる配列だ。
 ひと目では収まり切らない数を彫ったのも凄くて、驚きが隠せなかった。
 これもすべて、山伏国広が作ったのだろうか。
 ほかに思いつかないが、確証となるものはなにもなくて、小夜左文字は口を開けたまま首を捻った。
 そもそもなぜ、こんな辺鄙な場所で、彫刻に耽っているのか。
 本丸でも、やろうと思えば作れる。多少騒々しいだろうが、移動の手間を考えれば、屋敷で挑む方が効率的だ。
「こんなにも、素晴らしいのに」
 素朴で、味わい深い仏像は、眺めているだけで心が洗われるようだ。
 数珠丸恒次や江雪左文字が知れば、さぞや喜び、話に花が咲くと思うのだが。
 それにこれだけ彫れるのだから、ほかのものだって作れるに違いない。動物を模せば、短刀たちが喜ぶだろう。屋敷を飾る置物だって、いくらでも産み出せそうだ。
「もったいない」
 折角手に入れた技術を、公表せず、留め置く意味はなにか。
 深く考えないまま呟いて、彼は作成途中と思しき角材へ近づいた。
 四角く切り出されたそれには、細く削った炭で大雑把な完成予想図が記されていた。
 もっとも、素人目には何が何だかさっぱり分からない。どこをどう削れば、あんな風に立体的な像が現れるのか、見当もつかなかった。
「いつも、修行、修行と煩いひとだと思ってたけど」
 山伏国広は体を鍛えるのが趣味で、同田貫正国や大包平と仲が良い。一部からは暑苦しい連中、と揶揄されている一派に属して、剛毅で豪胆な性格をしており、短刀たちからも人気があった。
 脇差の堀川国広と結託して、何かある度に自己否定に走りがちな山姥切国広を構い倒してもいる。
 面倒見がよく、大胆なようで、意外と気配り上手。
 声が大きくてうるさいが、嫌な印象を抱いたことは一度もなかった。
 同じ屋敷で寝起きしているのに、接点がないので、あまり話したことはない。もう二年以上共同生活を送っておきながら、あの太刀について、さほど詳しくないと気付かされた。
 捨て置かれていた鑿のひとつを手に取れば、小さいくせにずっしり重い。
 刃先は鋭く尖って、打ち所を間違えば、指の一本や二本、簡単に断ち切れてしまいそうだった。
「なんだろう……」
 小夜左文字は短刀の付喪神で、戦場に出れば刀を振るい、敵と対峙した。
 だのにこの鑿を持った瞬間、胸がざわついた。恐怖にも似た感情が湧き起こって、足が竦んで動けなかった。
 触れてはならないものに触れたような。大き過ぎるものを前にして圧倒された、とでも言うような。
 軽率に手を伸ばすべきではなかったと後悔して、小夜左文字は暗さを覚え、顔を上げた。
「――っ!」
 瞬間、四肢が粟立った。全身の毛がぞわっと逆立って、全く別物の恐怖に囚われた。
 熊が、小屋の入り口にいた。
 大きく開かれた戸口に仁王立ちして、窓のない空間を塞いでいた。
 彼は目を丸くして、咄嗟に鑿を握りしめた。両手で掴んで胸の前に掲げ、いつでも突き刺せるよう身構えた。
 逆光で、輪郭しか見えなかった。短刀より遥かに上背があり、肩幅が広く、堂々とした佇まいからして、山に棲む獣としか思えなかった。
 だが。
「カッカッカ。これは、珍しい客人であるな」
「え……?」
 鼓膜を大きく震わせる笑い声が響いて、警戒心を露わにしていた少年は目を点にした。
 ぽかんと間抜けに口を開いて、大股で入って来た太刀に瞬きを繰り返す。
「山伏、国広さん」
「そういうおぬしは、小夜左文字で間違いござらんな?」
 熊かと思ったのは、ほかならぬこの小屋の主だった。空色の髪を頭巾で覆い、脚絆に高下駄を履いた、いつもの格好の太刀だった。
 呆然としていたら、鑿を取り上げられた。危ないと言って回収されて、入れ替わりに大きな手が頭に降ってきた。
 高く結った髪ごとぐしゃぐしゃに撫で回され、上からの圧力で首が折れそうだ。触れてくる指はどれも太く、上腕は筋骨隆々として引き締まっていた。
 頻繁に筋肉自慢を始めるだけあって、相当に鍛えられている。
 抵抗するが力及ばず、小夜左文字は最終的に、爪を立てて乱暴な手を追い払った。
「失敬、失敬」
 それを痛がらず、呵々と笑って、山伏国広は微かに赤くなった手首を振った。鑿は丸太の椅子に置いて、不法侵入を働いた短刀に向き直った。
 とはいえ、小屋に鍵はかかっていなかった。
 立ち入り禁止の札も出ておらず、出入りは制限されていなかった。
「見つかってしまったか」
「困りますか」
「いいや、結構」
 屋敷の皆に隠しておきたいのであれば、黙っておくことも出来る。小夜左文字に知られたのが困るのであれば、見なかったことにして、一切を記憶の海に沈めよう。
 だけれど、山伏国広は特になにも言わなかった。
 口止めもせず、なんとでも受け取れる返事しかしなかった。
 解釈に迷って眉を顰めていたら、戸惑いを察した太刀が白い歯を見せて笑った。
「おぬしも、やってみるか?」
 やはりこれらの仏像は、彼が彫ったものだった。
 足元に置いた鑿を指差した山伏国広に、突然話を振られた短刀は目を丸くした。
「いえ、僕は」
 興味はあるが、ここまで出来る自信がない。上達には根気が必要で、才能がある程度求められる。存外短気な面がある短刀には、明らかに不向きだった。
 それ以上に短気な打刀の知り合いがいるが、あれも彫刻は無理だろう。
 自分で作るより、観賞する方が好き、と公言している男を頭から追い出して、小夜左文字は両手と首を同時に振った。
 遠慮して、右足が後ろに下がった。
 及び腰になっている少年に目を細めて、山伏国広は作りかけの仏像の前で膝を折った。
 丸太の上を片付けて、腰を下ろした。足を肩幅以上に広げ、台座に乗せた材木を引き寄せる。左手でこれまで掘った場所をなぞり、右や左と、あらゆる角度から全体を観察した。
 眼差しは真摯で、それでいて優しい。
 それが不意に上を向いて、短刀は身を竦ませた。
「おぬしも、仏の道を歩む者であろう」
「……僕は、兄様とは違います」
 見つめられ、目を逸らせなかった。内面を覗きこまれた気がして落ち着かなくて、返す言葉は掠れていた。
 左文字の兄弟は、揃って袈裟を身にまとい、戦場へ赴く。それは長兄である太刀、江雪左文字のかつての主が僧侶であったというのが一因だ。
 それに小夜左文字の銘の由来となった歌を詠んだのは、西行法師。更に前の主は、出家して幽斎を名乗った。
 時代の流れを読み解き、素早く対処することによって難敵を退け、味方する先を選び、生き長らえる術に長けた男だった。
 ただ短刀の出自は血に濡れており、清らかな仏の道とは相反している。復讐を掲げ、仇討ちを遂げるのに躍起になっている刀が僧形というのは、皮肉以外のなにものでもなかった。
 江雪左文字のように、戦が嫌いと言えたなら、少しは違っていただろうか。
 俯いて小さくなった少年を眺めて、山伏国広はゆるゆる首を振った。
「江雪殿は、関係なかろう。拙僧は、小夜左文字、おぬしに聞いておる」
「そんなこと、言われても」
 真っ直ぐ目を見ながら問われて、咄嗟に言葉が出てこない。
 仏道に真摯に向き合っているかと言われたら、首を横に振らざるを得ない。彼は兄、江雪左文字のように熱心ではなくて、毎朝の勤行にも殆ど参加したことがなかった。
 そもそも武器であり、付喪神である彼らが、だ。
 仏の道に救いを求めるのは、果たしてどうなのか。
 矛盾してはいないかと考えだしたらきりがなく、滑稽だと鼻で笑い飛ばしたくなった。
 ただそれを、山伏国広に言えなかった。真顔で説教されそうな気配がして、そういう上から押さえつけてくるやり方は、苦手だった。
 こちらの意見に耳を貸さず、否定から入られるのは嫌いだ。上から目線とでも言うのか、自分の考えこそが正しいと滔々と語られるのは、苦痛だった。
 だから答えずにはぐらかしたかったのに、許してもらえそうにない。
 渋々口を開き、息を吸って、小夜左文字は唇を舐めた。
「僕のような穢れた刀が、仏の道を歩むなど、烏滸がましい限りでは」
 座っていてもなお、立っている短刀より大きい太刀を窺い、小さな声で精一杯の思いを告げる。
「カーッ、カッカッカー!」
 直後に耳を劈く大声で笑われて、彼は吃驚し過ぎて凍り付いた。
 山伏国広は両手で膝を叩き、胸を反らし、天に向かって声を響かせた。踏み固めた地面を勢い良く蹴って、指先で調子を取り、仰け反っていた体勢を戻した。
 丸太の椅子には背凭れがないので、あと少しで仰向けに倒れるところだった。
 それをぐぐっと、腹に力を込めることで防いで、筋肉自慢の太刀は口角を持ち上げた。
「なにを言い出すかと思えば、そのような」
「笑い話をしたつもりはないです」
 不敵な表情に、ついムッとなった。呵々と喉を震わせる男を睨みつけて、小夜左文字は拳を固くした。
 短刀が求めるのは、救いではなく、討ち取るべき仇だ。それと同時に、山賊の掌中にあった頃に犯した罪を悔いている。
 無辜の民を傷つけ、欲望のままに行動する賊を止められなかった。それでいながら、刀として世に産み出された性なのか、肉を斬り裂き、温かな鮮血を浴びることに微かな喜びさえ感じていた。
 これを穢らわしいと言わずして、なんと言う。
「そう怒るでない。怒りが大きく育てば育つほど、内側に澱が積もり、重なり、その身までもが重くなろうぞ」
「…………」
 両手で頭上を抱える仕草を取ったかと思えば、右親指を己の胸に突き立て、山伏国広が言った。
 口調は穏やかで、説教臭さは感じない。それでいて言葉ひとつひとつに熱が籠められている辺りは、江雪左文字と随分違っていた。
 淡々と語るのではなく、抑揚があった。時に静かに、時に大袈裟なくらいに声を大きくして、身振りも随分派手だった。
 数珠丸恒次も滾々と語り聞かせてくる上に、無駄に話が長かった。彼の法話は眠くてならず、最後まで舟を漕がずに済んだ例はなかった。
 その点、山伏国広は雰囲気からしてまるで異なる。
 小夜左文字が抱える黒い澱みを指摘して、彼は親指を畳み、人差し指を小夜左文字に向けた。
「それに、おぬしはすでに、己の罪を認めておろう。立ち止まっておる。ならば、仏の道は開かれておるも同然」
「央掘摩羅、ですか」
「カッカッカ。話が早くて、結構結構」
 それは仏弟子のひとりであり、かつては婆羅門だった男の名だ。師に騙され、罪なき人々を殺害し、仏陀に諭され、心を改めて出家した男だ。
 たとえ悪事から手を引いたとしても、過去の罪は消えない。殺してしまった人々の家族や、友人らに石を投げられ、傷つけられても、決して自らはやり返さず、黙って痛みに耐えた男でもある。
 彼は小夜左文字を、苦行僧だと言いたいらしい。
 困難に立ち向かい、これを乗り越えようとしている。それはもう、仏道の入り口に立っているのと同じである、と。
 話が飛躍し過ぎていて、反論する気にもなれなかった。
 山伏国広のようにはできなくて、短刀の付喪神は一度だけ、頬をピクリと引き攣らせた。
 不格好な笑みが、泣き出しそうに歪んだ。鼻の奥が一瞬だけツンとなって、吸い込んだ空気が苦くて仕方がなかった。
 言葉が続かなくて、息継ぎが荒くなった。醜悪がものが溢れ出る予感がして、必死に歯を食い縛って耐えた。
 肩を上下させ、足を肩幅に開いて力を込める。
 踏ん張って立つ短刀に相好を崩して、山伏国広は膝先に置いた角材を撫でた。
「おぬしには、どんな仏が現れるであろうな」
「あらわれる」
「うむ」
 雑な下書きは、彼の手によるものだろう。それを確かめながらの独白に、小夜左文字は眉を顰めた。
 意味が分からなくてきょとんとしていたら、太刀は大きく頷いた。己の発言に絶対の自信を誇って、怪訝にしている短刀を手招いた。
 妙な言い回しだった。ここにある仏像は、どれも彼が彫ったもの。ならばこの場合、どんな仏に『なる』か、と言うべきだった。
 ところが山伏国広は、『現れる』と表現した。
「この木には、すでに仏が宿っておられる」
「気は確かですか」
「カッカッカ。冗談を言っているつもりは、ないぞ?」
 豪快に笑い、右目だけを眇めて短刀を射抜く。
 太刀の不遜な言い回しに怯んで、小夜左文字は渋い顔になった。
 先ほどの台詞を揶揄されて、あまり良い気はしなかった。苦々しい面持ちで舌打ちして、彼は愛おしげに角材を撫でる男に視線を戻した。
「仏は、あらゆる場所に宿っておられる。拙僧はそれを、皆に見える形に整えているだけであるぞ」
「それは、あなたが彫ったものでしょう」
「否。鑿を取ることのみが、拙僧の仕事」
「同じことでは」
「否」
 繰り返し問うても、山伏国広は違う、と首を横に振った。実際に鑿と槌を手にしていながら、己が彫ったのではなく、最初からこの木に宿る仏が現れただけと言って譲らなかった。
 すでにあるものを、より分かり易くしている。
 現れたがっている仏を、外に連れ出している。
 少しずつ角を削り、整えながら、太刀は持論を展開させた。短刀の反論には耳を貸さず、一心に手を動かした。
 途中からは合いの手も返さなくなり、視線は目の前に固定された。小夜左文字の存在などなかったかのように振る舞って、額に汗を流し、角材を人に似た姿に変えて行った。
 次にどこを彫るのか、迷いがなかった。
 全ての工程が頭の中で組み上がっているようで、怖ろしい正確さだった。
 或いはそれも、仏の加護と言うつもりなのか。
 鑿を打つ音ばかりが響く中で、僧形にて顕現した短刀は感嘆の息を漏らした。
 まだまだ完成には程遠いが、眺めているうちに全容が見えてきた。どこが手になり、顔になり、耳になり、鼻になるのか、想像がついた。
 ただの四角い塊だったのに、あっという間だった。これなら完成した姿がどんな風になるか、ある程度予想が可能だった。
「すでに、宿っている」
 仏も、仏の教えも、日常のあちこちに潜んでいた。
 けれど多くの者は、目に映らないそれに心傾けることがない。通り過ぎ、振り向かず、踏みつけて、心に思い浮かべようともしなかった。
 だが山伏国広には、それが見えている。
 小夜左文字がただの木と思っているものに、彼は仏性を見い出していた。
 一度削ってしまったら戻せないというのに、躊躇無く鑿を振るっていた。力強く、時に割れ物を扱うかのように丁寧に、ひたすら汗を流し、無駄口を叩かなかった。
 その真摯さが、山伏国広という刀を表している。
 熱の籠もった息を吐く彼に圧倒されて、黙って見ているしか出来なかった。
 振り向けば、手付かずの材木がそこかしこに転がっていた。
 陽のあたる一帯から外れ、打ち捨てられているそのひとつを拾って、小夜左文字はあらゆる角度からそれを眺めた。
「なにゆえに、それを手に取ったであるか」
「えっ」
 そこへ突然、声がかかった。
 不意打ちにビクッとなり、首を竦めた。恐々振り返れば手を止めた太刀がにこやかに微笑み、萎縮している少年の胸元を指し示した。
 木片はほかにもいくつかあった。似たような形、似たような色をしているそれらの中で、どうしてそのひとつを選んだのかと訊ねられた。
 深い考えはなかった。
 たまたま目について、たまたま手に取り易いところにあった。それだけで、それ以外なにもない。
 にも拘らず、他に理由があると言われた。それが知りたくて、短刀は両手に抱いた角材をじっと見つめた。
 一辺が二寸ほど、長さがその倍近くある立方体だ。皮を剥き、適当な大きさに揃えられ、木目が表面に現れていた。
 撫でると、ざらざらした。棘が出ており、刺さりそうになって慌てて避けた。
「外にあった焚き木も、おぬしのものであるな」
「はい」
「なにゆえ、あれらを籠に?」
「それは、火起こしに……ああ、いえ」
 ぼうっとしていたら、話題が変わった。急ぎ顔を向けて、首肯して、言いかけて途中で口籠もった。
 問われているのは、使い道ではない。背負い籠に集めた焚き木を選んだ理由だ。
 緑あふれる山の中だ、枯れ枝はいくらでも見つかった。その中でどうして持ち帰る分と、捨て置く分を選別したのかと、そう質問されているのだ。
 明確な基準などない。単に目についたから、手を伸ばした。適度に乾燥し、適度な長さがあって、贅沢を言えば燃やした時にあまり脂が出ないものを好んだ。
 いいや、小夜左文字が選んだのではない。
 地に落ちた木々が、小夜左文字を選んだのだ。
「仏は、常に拙僧たちに寄り添っておられる。拙僧らを見ておられる。ならばこちらも、見つめ返すしかあるまい」
 彫像は、自らの心の写し鏡でもある。苛立っている時は、仏の顔も恐ろしくなる。そのような感情を抱くべきではないと、叱りつけてくる。
 逆に悲しみに胸を満たしている時は、仏の顔も涙に濡れているようになる。こちらの心に寄り添って、共に哀しみ、慰めてくれる。
 では小夜左文字が手に取ったこの一片には、どのような仏が宿っているのか。
「僕にも、現れてくれますか」
「カッカッカ。それは、おぬし次第であるな」
 見ようとしなければ見えず、見たいと願っても易々とは現れてくれない。
 だから山伏国広は山に籠もり、自らを見詰め、問い続けている。飽きることなく修行に明け暮れ、自分だけの答えを模索し続けている。
 壁を埋める仏の像は、彼の歩みのひとつであるが、全てではない。
 不安げな問いかけを一蹴して、鑿を置いた男が笑った。保証は出来ない。挑むも、逃げるも好きにするよう言って。彼は大量の削り滓を払い落とした。
 央掘摩羅は罪を悔いたが、許しは請わなかった。周囲が彼を許すまで、ひたすら耐え忍び、待ち続けた。
 小夜左文字は今も、山賊を許すことができない。血に染まった己自身を、許すことができない。
 黒い澱みが、足元に広がっていた。そこに救いはない。あるのはただ、昏くて冷たい水の底。
 だがそれでも、現れてくれるだろうか。
 現れたがってくれるのだろうか。
「お邪魔しました」
「うむ。気を付けて帰られよ」
 山伏国広は、もうしばらくここで鑿を手に、仏像と向き合い続けるつもりらしい。
 頭を下げれば、顔を上げずに言われた。手を振ってももらえなかったが、小夜左文字は気に留めなかった。
 外に出て、焚き木でいっぱいの籠に譲り受けた木片を置いた。折り重なる枝を撓ませ、ゆっくり沈んでいくそれをしばらくじっと眺めて、背負い紐に腕を通した。
「よい、しょ」
 擦り切れた肩の痛みは、もう感じなかった。
 不思議と晴れやかな気持ちになって、彼は調子よく山道を下り始めた。

これはやさ年積るまで樵りつめし 法にあふこの薪なりける
山家集 雑 884

2017/04/23 脱稿