心の色を袖に見えぬる

 障子を引き、廊下へ出る。
 頬に触れた空気はひんやり冷たく、夜の香りを漂わせていた。
 上を見れば、軒の向こうに月が浮かんでいた。半月よりもやや欠け気味で、金と銀の中間のような輝きを放っていた。
「ああ」
 淡く、儚く、そして美しい。
 過去幾度となく見上げて来た筈のものに魅了されて、小夜左文字は暫くそこに立ち尽くした。
 ほう、と息を吐き、緩く首を振る。
「……いたっ」
 僅かに遅れて後ろ髪が左右に踊って、同時に腕の付け根辺りが鋭く痛んだ。
 咄嗟に左手で押さえこみ、奥歯を噛んで五秒を数えた。ゴリゴリする骨の感触を確かめて、恐る恐る指で周囲を撫でた。
 傷はなかった。
 着衣こそ糸が切れ、綻んでいたが、下に隠れる肌は艶やかだ。しかも月光を浴びている所為か、白さは普段よりも際立っていた。
 あまり触り過ぎると、穴がもっと広がってしまう。
 自分で繕うか、誰かに頼むか天秤にかけて、短刀は閉ざされた障子を振り返った。
 四つある手入れ部屋のうち、三つが今も使用中だった。
 出陣していた全員が、揃って中傷以上での帰還だった。池田屋の敵は道中から鬱陶しさを増して、奥へ突き進むのは至難の技だった。
 どうにか突破出来たものの、負傷の度合いは凄まじい。よく無事で帰ってこられたものと、当事者ながら感心せずにはいられなかった。
「皆は、まだ、中か」
 隊は六人編成で、短刀だけで構成されていた。少し前に本丸に加わった後藤藤四郎や、不動行光を慣れさせる目的もあり、道中はいつも以上に慎重だった。
 お蔭で敵の本陣に切り込めたのだけれど、被害も相応に出た。重傷一名に、中傷三名。軽傷は小夜左文字を含めて二名だけだった。
 練度が一番低かった不動行光が、最も傷が深かった。敵の追撃を受けた彼を守ろうと前に出て、小夜左文字は右肩を脱臼した。
 敵の攻撃を受け流し切れず、弾き飛ばされ、壁にぶつかった。その衝撃で関節が外れてしまい、刀が握れなくなった。だが敵は待ってくれず、最終的に口に咥えて戦った。
 我ながら、獣じみた真似をしたと思う。だが利き腕を封じられた程度で戦線離脱するのだけは、どうしても避けたかった。
 帰還を果たした本丸は、当然ながら深夜も遅い時間帯。多くの刀は床に就いた後で、出迎えてくれたのは一期一振だけだった。
 担当の弟を沢山抱えている彼だから、休んでいられなかったのだろう。傷だらけで戻って来た皆を前に青くなり、自力で歩けない不動行光を抱えて運んでくれたのも、彼だった。
 その太刀は今、手入れ部屋に隣接する控えの間にいた。短くなった蝋燭の前に座し、こっくりこっくり、舟を漕いでいた。
「寝かせておこう」
 短刀たちが出陣している間、無事を祈って気を張っていたのだ。
 怪我こそしたが、皆元気だった。それに安堵して、緊張の糸が切れたのだろう。
 そっとしておいてやるのが、親切というものだ。覗いた障子を静かに閉めて、小夜左文字は小さく溜息を吐いた。
 彼にも、兄と呼べる刀がふた振りいた。しかし左文字の名を冠する太刀と打刀は、見える範囲に姿がなかった。
 弟のことなど、興味がないのかもしれない。
 本丸で一緒に暮らすようになってそれなりに経つが、粟田口の兄弟たちに比べると、彼らは依然ぎこちなかった。
 源氏の兄弟の方が、余程仲が良い。あんな風に兄の背中を一心に追いかけ、求め続けていれば、いつかは雪解けが訪れるのだろうか。
「……やめよう」
 想像するが、具体的な映像は生み出せなかった。
 却ってもやもやしたものが膨らんだだけで、少しも楽しくなかった。
 他は他、自分は自分。
 過去何度となく繰り返した言葉で己を戒めて、小夜左文字は小さな足で冷えた床板を踏みしめた。
 藍色の空の中で、欠けた月が眩しい。気付けば自然と目で追っていて、庭に降りたくなった。
 けれど素足で出歩くのは憚られるし、一寸先は闇だ。天頂がいくら明るかろうとも、足元まで光が届くとは限らなかった。
 誘われるまま伸びかけた右足を戻し、何気なく頬をぺちり、と叩く。それが引き金になったかどうかは分からないが、腹の虫がくぅぅ、と小さく鳴いた。
「うっ」
 出陣は、夕餉を食べた後だった。しかも出発の準備があるからと、いつもより時間が早めだった。
 指折り数えてみれば、あれからもう三刻近くが過ぎていた。丑三つ時には少し早いが、子の時はとっくに過ぎていた。
 手入れ部屋に居る間はゆっくり休めたが、当然ながら食事は出ない。意識した途端に空腹感が増して、腹の虫が五月蠅かった。
 疲労感は抜けず、このままだと朝まで残りそうだ。かといって今から台所に出向き、なにか作る気も起きなかった。
「歌仙が、居ればな」
 くぅくぅ言い続ける腹部を撫で、台所を預かっている刀の一振りを思い描く。朗らかな笑顔が瞼に浮かんで、何故か一瞬、殴り飛ばしたくなった。
 今宵の寝ずの番は、一期一振だ。
 控えの間で寝こけていた姿を記憶の隅に追い遣って、小夜左文字は三度、月を仰いだ。
 夜の都を駆け抜けていた時は、こんなに明るくなかった。
 隠密行動だから、暗い方が良いに決まっている。あの時は天が味方してくれたのかと、神など信じてもいないのに、そんなことを思った。
「寝るか、それとも」
 腹の虫はまだ鳴りやまず、なにか食わせろと訴えて憚らない。睡魔はといえば残念ながらまだ訪れず、目の下を擦っても変わらなかった。
 欠伸ひとつ出てくれない。意識は冴えて、尖っていた。
「まだ、戦場の意識が……おっと」
 手入れ部屋に入っていたのは、体感的に半刻と少し。ギリギリの戦いを強いられただけあって、それだけの時間が過ぎても、未だ戦場に居る錯覚に見舞われた。
 何処から現れるか分からない敵を警戒し、神経を研ぎ澄ます。
 そういう戦いを求められていたから、ちょっとやそっとでは心が休まらなかった。
 安全圏に入ったと分かっているのに、戦闘態勢がなかなか抜けてくれない。気持ちを切り替えるのは簡単ではなくて、なにかきっかけが欲しかった。
 たとえば熱々の吸い物を喉に流し込む、とか。
 程よく温い湯に肩まで浸かり、全身をだらしなく伸ばす、だとか。
 あれこれ考えながら歩いていたら、不意に足がもつれた。右足首に左の爪先が引っかかって、前に倒れそうになった。
 慌てて両手を広げて重心を低くし、踏ん張って持ち堪えた。片足立ちで何度か跳ねてから停止したが、異様なまでの前傾姿勢を取らされて、かなり滑稽な状態だった。
 右腕は前方に真っ直ぐ、左腕は身体の横で水平に。腰から上だけが前に飛び出して、右の足裏は天を向いていた。
 左足だけで全体重を支え、さながら大道芸人だ。これで頭の上に皿でも置いておけば、拍手喝采間違いなしだ。
「く、そ」
 自分でしでかした失態とはいえ、これはかなり恥ずかしい。これならいっそ、転んだ方がまだ良かった。
 責める相手もおらず地団太を踏んで、勝手に赤くなった頬を擦る。
 今が夜中で、皆が寝静まった時で良かった。
 誰にも見られなくて済んだのは、僥倖だ。そう思う事にして己を慰め、小夜左文字はもう一度、乱暴に顔を擦った。
 白衣の袖は縦に破れ、肘のところまで覗いていた。最早縫って直すよりは、新しいものと交換した方が良さそうだった。
 使い古した衣服は雑巾にするか、細く切って縄の材料にするか。
 裂け目の解れ具合を月明かりで確かめて、短刀は遠くに浮かぶ提灯の火に肩を竦めた。
「温かなものに、あり付けるな」
 灯りはぼんやり照って、揺れ動いていた。小振りの弓張り提灯の後ろには白い影が着き従い、小夜左文字に近付くにつれて形をはっきりさせた。
 人の姿をしていた。
 背は高くもないが、低くもない。肩幅が広く、どっしりとした重そうな体格をしていた。
 右手に提灯を構えて、一旦足を止めて高く掲げた。遠くまで照らして、嗚呼、と表情を緩めた。
「小夜」
「夜更かしは、身体に毒だ」
「確かに。けれど、君に言われたくはないかな」
 呼びかけられて、すぐに応じた。ちくりと小言を返してやれば、認めつつ、男は肩を竦めてやり過ごした。
 皮肉に皮肉をぶつけて、最後にぱちりと片目を閉じる。
 どこぞの伊達男ではあるまいに、気障な振る舞いをされて、小夜左文字は苦笑した。
「寝ずの番は、一期一振だろう」
 深夜と言うべき時間帯で、梟の声すらもう聞こえない。獣さえも息を潜め、朝が来るのを待っていた。
 控えの間にいた太刀を思い浮かべ、短刀が揶揄する。それは想定内の質問だったのか、歌仙兼定は笑って肩を竦めた。
「変わって貰ったんだよ。それに、寝ずの番では、弟君の傍に居てやれないだろう?」
「ああ……」
 近侍とはそもそも、本丸に何かあった時に即時対応出来るように置かれたものだ。舟を漕ぐなどもっての外だし、手入れ部屋の近くに陣取るのも論外だった。
 帰還した際に出迎えたのが彼だったから、そうだとばかり思い込んでいた。勘違い甚だしく、一期一振には謝罪せねばなるまい。
 眠っている彼を笑うのではなく、労わるべきだった。必要ないのに遅くまで起きていた太刀には、後日改めて礼を言おう。
 そう決めて、首を傾げる。
 その現時点での近侍が此処に居て良いものかどうかは、判断に苦しむところだった。
「それで、歌仙は」
 広間に控えていなくて良いのかと、言葉尻に含ませる。
 語尾をやや上げ気味に話しかければ、これも予想していたものらしく、打刀は目尻を下げて微笑んだ。
「小夜の手入れが、終わる頃だと思ってね」
 迎えに来たのだと、提灯を揺らされた。蝋燭の炎が障子紙に透けて見えて、短刀は一瞬きょとんとしてから、嗚呼、と肩を落とした。
 力を抜いて息を吐き、返答に迷って頭を掻いた。視線は自ずと下を向いて、当て所なく彷徨った。
「夜食を用意したんだ。お腹が空いているだろう?」
「不動行光は」
「彼は先に出ている。時間がかかりそうだったから、札が使われたようだ」
 手入れ部屋を出た後のことを見抜かれて、嬉しいやら、恥ずかしいやら。自然赤くなる頬を隠して身を捩り、誤魔化しに問うた言葉には、大真面目に切り返された。
 唯一の重傷者だった短刀は、小夜左文字より先に部屋を出たらしかった。
 六振りで出陣するのに、手入れ部屋は四つしかない。先に終わった者がいるのは予想していたが、不動行光だとは思わなかった。
 意外だと驚いていたら、手を差し出された。肉厚の掌は大振りで、小夜左文字の手などすっぽり包みこめるものだった。
 なにかを渡そうと言うのではない。自然な仕草で誘われて、短刀は反射的に両手を隠した。
「必要ない」
 小さな赤子ではあるまいし、手を繋ぐ理由はない。いくら夜道が暗くても、夜目が利くのだから問題なかった。
 気恥ずかしさから突っぱねて、口を尖らせる。
 ぼそぼそ小声で拒否してやれば、歌仙兼定は腕を揺らし、困った風に眉を顰めた。
「さっき、ふらついていたじゃないか」
「見て――っ!」
 首を右に傾がせつつ、やや憤然としながら言い返す。
 瞬間、小夜左文字は甲高い悲鳴を上げた。
 全身の産毛が逆立って、背筋にぞわっと悪寒が走った。踵を浮かせて仰け反って、両手はわなわな震え、空を掻き毟った。
 自分の足に躓いて、転びそうになった。
 どうにか寸前で回避したものの、滑稽な体勢を作らされた。
 思い出すだけでも恥ずかしいのに、まさか見られていたとは思わなかった。
 そういえば打刀も、短刀ほどでないにせよ、夜目が利く。距離はあったが、見えていても可笑しくなかった。
 失敗した。
 もっと遠くまで注意を払うべきだった。
 とても人に見せられない姿を、よりにもよってこの男に見られたのは、一生の不覚だ。
「だい、じょうぶ、だ!」
 顔がかあっと熱くなり、火を噴きそうだった。今すぐ忘れろと声高に叫んで、再度差し出された手を乱暴に突っぱねた。
 利き腕を横薙ぎに払い、勇ましく叩き落す。
 ぱしん、という音の後に続いたのは、打刀に悲鳴でもなんでもなく、骨が擦れ合い、軋む音だった。
「いっ……」
 直ったばかりの肩に無理を強いて、また外れそうになった。
 低く呻いて右肩を庇い、小夜左文字は呆れている男を恨めし気に睨みつけた。
「小夜」
「……分かって、いる」
 それ見たことかと、言外に咎められた。
 いくら全快状態になったとはいえ、疲労は抜けていない。脱臼が癖になって一番困るのは、小夜左文字本人だ。
 無茶はするなと責められ、反論できなかった。
 しょんぼりしながら項垂れて、少年は渋々、打刀の手を握り返した。
「痛むかい?」
「動きに支障はない」
「痛むんだね」
 そうして来た道を戻ろうとして、確認された。
 顔を背けてぼそぼそ言えば、彼は盛大にため息を吐いた。
 身長差があるのに、額に風を感じた。前髪の隙間から様子を窺えば、歌仙兼定は提灯を持つ手でこめかみを叩いていた。
「小夜、これを持って」
「いい。自分で歩ける」
「駄目だ。たまには僕の言うことも聞いてくれ」
 その提灯を、おもむろに差し出された。中で炎が揺れているものを押し付けられて、嫌がったが無駄だった。
 彼がこの後、何をしてくるかは容易に想像出来た。案の定提灯を持って立ち竦む短刀を、打刀は横から、軽々と抱えあげた。
「よ、っと」
「歌仙」
「絶対に躓かない、と君が断言するのなら、降ろしてあげても良い」
 短い掛け声ひとつで、華奢な体躯を易々持ち上げた。腋から腕を通して背中を支え、もう片腕は膝の裏から尻を包み込んだ。
 落とさないよう重心の位置を調整し、抗議は受け付けない。
 手厳しいことを言われて、小夜左文字は唇を噛んだ。
 空腹と、連戦の疲れの二重苦に、身体は思うように動かない。惨めに転倒することはないだろうが、よろめくか、躓くくらいはするだろう。
 今日の歌仙兼定は、いつになく頑固だ。鉄の意志を貫いて、揺るがなかった。
 こういう時の彼には、逆らわない方が良い。年下と見て甘く考えて、手痛いしっぺ返しを食らうのは避けたかった。
「……落としたら、復讐してやる」
 形だけでも従って、大人しくしておくのが得策だ。諦めて覚悟を決めて、短刀は両手で提灯を握りしめた。
 打刀の代わりに道を照らし、薄暗い廊下に光を齎す。
 ふた振り分の体重を受けて、縁側に敷き詰められた床板はギシギシと、一定の拍子で音を響かせた。
 負担にならないよう注意を払った歩き方をされて、振動は心地よかった。耳を澄ませば布越しに拍動が聞こえてくるようで、真上から落ちてくる呼気も嫌な感じではなかった。
 身体を包み込む熱が、思いの外冷えていたのだと教えてくれた。手入れの際にただの刀に戻されて、血の通う現身から切り離されるのが影響していると思われた。
「寝ずの番が、うろうろしていて良いのか」
「帰還したばかりの隊員を相手していたんだ。それくらい、許されるさ」
 先ほどまでは空腹が勝っていたのに、こうしていると睡魔に負けそうだ。
 どこからか現れた悪魔に抗って会話を振れば、歌仙兼定は呵々と笑い、こともなげに言い放った。
 もしこの場で火急の通達が出たら、どうするつもりだったのか。
 その辺は深く考えない打刀に苦笑して、小夜左文字は軒先から見える月を眺めた。
「ほととぎす 名をも雲井に 上ぐるかな」
「おやおや」
 今は薄く雲がかかり、下弦の月は朧だった。
 戯れに口遊んだ上の句に、男は短刀を抱え直し、呆れた風に目を細めた。
「鵺退治がお望みかい?」
「獅子王が怒るな」
 身じろいだ少年をしっかり抱き支え、軽口を叩いて歩みを進める。
 本丸に住まう、鵺を背負った太刀は、今頃寝床でくしゃみでもしていることだろう。
 下の句は敢えて詠わず、歌仙兼定は短刀の背を撫でた。
「夜食、なに」
 やがてふた振りは角を曲がり、縁側から離れた。仲間にして欲しそうな月に別れを告げて、現身を得た付喪神の住まう屋敷の中へと入った。
 寸前に問われて、打刀は淡く微笑んだ。よくぞ聞いてくれたと喜んで、声を潜め、悪戯っぽく口角を持ち上げた。
「にゅうめん」
 昆布と鰹節で出汁を取り、醤油を足して味を調えた汁に、たっぷりの湯で茹でた素麺を。
 仕上げに細かく刻んだ青葱と、油揚げを一枚足して、熱いうちに召し上がれ。
 滑らかな語り口調は上機嫌で、美味しく出来た自負に溢れていた。想像するだけで涎が溢れ、今すぐ食べたくて仕方がなかった。
 温かいものが欲しかった。
 空っぽの胃を満たし、朝までぐっすり、夢も見ずに眠りたかった。
「夜中なのに、手の込んだことを」
 この男は矢張り、近侍としての仕事を放棄して、ずっと台所に引き籠っていたのではないか。
 呆れて肩を竦めるが、頬は緩んだ。嬉しさを抑えきれず、どう足掻いても隠し通せなかった。
 笑いを堪えていたら、真上から気まずそうな視線が注がれた。首を捻れば逸らされて、その頬は仄かに赤かった。
「仕方がないだろう。その、……抱き枕がなくて、眠れなかったんだ」
 歯に衣を着せぬ物言いの男が、珍しく口籠った。言い難そうに声をくぐもらせ、羞恥に耐えて白状した。
 その間、目を合わせてもらえなかった。
 口を尖らせ、不満げに告げられた内容は、小夜左文字の耳を素通りして、駆け足で戻って来た。
「……歌仙?」
「だ、あっ。も、もう良いだろう。君の兄君達からも、握り飯を預かってるんだ。明日の朝から遠征任務があるから、待ってやれないのを詫びておられたよ」
 思いもよらぬ告白に、目が点になった。
 唖然としていたら耐えられなくなったのか、歌仙兼定は早口に、声を荒らげ捲し立てた。
 唾を飛ばされ、小夜左文字は瞬きを繰り返した。抱き上げられたままぽかんとして、わざとらしく咳払いした打刀を見詰め続けた。
 そして。
「ふっ……」
 素直でないのは、お互い様だ。
 堪らず小さく噴き出して、彼は分厚い胸に寄り掛かった。
 今宵は、良い夢が見られるだろう。
 眠りを誘う提灯の火は穏やかで、柔らかく、温かかった。
 

2016/05/03 脱稿