とる榊葉の色変へずして

 雲雀だろうか。褐色の羽に斑模様の鳥が、餌を探して畑で跳ね回っていた。
 翼があるのに、地面に足を下ろし、じっと地上を覗いていた。熱い眼差しを辺り一帯に送りつけて、何かを見つけたのか、嘴を柔らかな土中へと突き刺した。
「雄だな、あれ」
「分かるんだ」
 そんな鳥を邪魔しないよう、遠巻きに眺めながら呟く。
 愛染国俊の言葉に、膝を折って屈んでいた蛍丸が声を高くした。
「ああ。冠羽があるだろ?」
 感心しながらの相槌に、赤髪の短刀は得意げに胸を張った。右手を掲げて己の頭を指差し、続けて虫を見事捕まえた鳥を指し示した。
 言われてみれば確かに、頭部の羽毛が起き上がり、冠のような形になっている。鶏の鶏冠に似ていなくもないが、こちらの方がずっと柔らかそうだった。
 体長は六寸八分程度で、翼を広げればもっと大きくなるだろう。捕まえた虫を器用に咥えて、警戒してか周囲を見回した。
「おっと」
 今更動いても無駄だというのに、蛍丸が慌てて頭を抱え込んだ。背中を丸めて小さくなって、小鳥の視界から消えようと足掻いた。
 一方で愛染国俊は背筋を伸ばし、凛とした姿勢を維持した。
 追いかけて来なければ、石を投げもしないと分かっているのだろう。雲雀の雄は辞儀でもするかのように頭を低くし、翼を広げて風を起こした。
「雛が産まれたのかな」
「赤ちゃん?」
 熱心に地面を掘り、餌を探し回っていた。
 その理由を推測して空を仰いだ短刀に、見目幼い大太刀は 興味津々に声を響かせた。
 小鳥は既に飛び立った後で、地面にはなにも残っていなかった。新芽を荒らすこともある鳥ではあるが、孵ったばかりの雛の為だとすれば、仕方がないと諦めることも出来た。
 両手を腰に当て、愛染国俊が鷹揚に頷く。
 蛍丸はゆっくり身を起こして、膝に付着した土を払い落とした。
「春は、繁殖の季節だからなあ」
「はんしょく?」
「やっ。別に、変な意味とかねーからな」
 その隣で、短刀は感極まったのか、鼻の下を擦った。新たな命の誕生を祝福して、鸚鵡返しに訊き返す大太刀には何故か顔を赤くした。
 急に声を荒らげ、上擦らせた。
 照れて焦った表情を前に、蛍丸は不思議そうに首を傾げた。
 きょとんと目を丸くして、数回瞬きを繰り返した。じっと見つめられた方はもごもご口籠り、対処に困って煙を噴いた。
「だー、あ、なんでもねーし。気にしなくていいから。それよりさっさと続き、終わらせちまうぞ!」
 深く考えないまま発言して、揚げ足を取られた。
 まさかそこに食いつかれるとは思っておらず、変に意識してしまった。
 別段疾しい話でもないのに恥ずかしがって、反応は過剰だ。
 大声で怒鳴り散らされた蛍丸は眉を顰め、それからすぐに頬を緩めた。
「はぁ~い」
 背伸びをしながら返事して、口元を綻ばせる。
 意味ありげな表情で見つめられて、愛染国俊は蟹歩きで距離を取った。
 柔らかな地面に足跡を残し、他より土を盛って高くした畝に当たって止まった。転びそうになったのを耐えて振り返り、順調に育っている農作物に目尻を下げた。
「あぶね」
 もう少しで押し倒してしまうところだった。
 自分御注意力不足を悔やんで舌打ちして、彼は汚れてもない頬を手の甲で擦った。
「国俊。これって、あとどれくらいで収穫できるかな」
 火照った顔を冷まし、呼吸を整える。
 唇を舐めて唾を呑み込んだ辺りで訊ねられて、短刀は考え込んで口をヘの字に曲げた。
「そうだなあ。どれくらいだろ」
 審神者なる者が歴史修正主義者を開始して、もう一年が過ぎた。暦は一周して、本丸には二度目の春が訪れていた。
 屋敷で暮らす刀剣男士の数は、今では五十を越えていた。昨年の今の時期はその半分以下だったことを思うと、かなりの賑やかさだった。
 そして蛍丸は、春を知らない。彼が顕現を果たしたのは、季節が夏に入ろうとしていた頃だった。
 黒みが強い土から、太い茎が伸びていた。蔓が支柱に絡みつき、青々とした葉が自由を謳歌していた。
 実を食べるものなので、収穫は花が咲いてからだ。蕾らしきものは散見しているけれど、綻びそうなものはまだなかった。
 冬を越え、春まで頑張って育てて来た野菜だ。
 是非とも美味しくなって欲しくて、愛染国俊は背伸びをし、枝分かれようとしている側枝を断ち落とした。
 鉄製の鋏を用いて、心の中で謝罪しつつ、摘み取る。
 こうしておかないと株が大きくなりすぎて、実に充分な栄養が行き渡らなくなるのだ。
 風に負けないよう縄で作った柵の中で、空豆はすくすく成長している。
 食べる側の身勝手で間引くのは、正直言えば心苦しかった。
「ん」
「すまねえ」
 切り取った側枝は、蛍丸が引き取った。足元に置いていた籠に入れて、次を受け取るべく、軍手を嵌めた手を広げた。
 左から右へ少しずつ移動しながら、黙々と作業する。
 陽射しは暖かいが、日光に長時間晒されるのは過酷だった。
「あっちぃなあ」
「でも、もっと暑くなるでしょ」
「だな。これくらいでへばってたら、みんなに笑われちまう」
 本丸に暮らす刀剣の付喪神の中でも、愛染国俊は特に声が大きく、五月蠅いと認識されていた。
 実際、祭り好きでお調子者な性格もあり、煽てられるとすぐ調子に乗った。粟田口の短刀たちとも親しくしており、騒ぎの中心には大体いつも、彼がいた。
 元気で明るく、時に無鉄砲。
 そんな仲間内からの評価が、愛染国俊の誇りだった。
 汗を拭い、上着の裾をはためかせる。腹を覗かせ、素肌に空気を送り込んで、口からは深く長い息を吐いた。
 ちょっと休憩したいところだけれど、雲雀観察で時間を使ってしまった。
 こんなに近くまで来るのは珍しくて、ついつい見入ってしまった。蛍丸まで巻き込んで、作業の手を止めてしまった。
 畑仕事はただでさえ重労働で、しかもやることが多い。馬小屋の掃除の方が、終わりがはっきりしているだけに、まだ楽だった。
「あとどんくらいー?」
「んー。結構、ある」
「げえぇぇぇ」
 空豆の支柱の補修、補強と、側枝の処理に、甘藍の収穫を終えた場所の整地。
 ざっと数えただけでもそれだけあって、とても今日中に終わりそうになかった。
 倒れていた支柱の補修は終わっているけれど、手入れの方はまだ半分以上。整地まで行けるかどうかは、賭けだった。
「国行、ちゃんとやってんのかな」
「さーあ?」
 本日の畑仕事は、来派の小さい刀ふた振りが担当だった。
 そこに、彼らの保護者を気取る太刀が名乗りを上げた。このふた振りだけに任せておけないと、珍しく積極的だった。
 普段からやる気がないと公言して、暇を見つけてはごろごろして過ごしている刀だ。たとえ暇ではない時でもぐだぐだで、屋敷のことは何もしようとしなかった。
 布団は敷きっ放しで、靴下も脱ぎっ放し。
 洗濯物は溜まる一方で、風呂を入るのも面倒臭がった。
 放っておけば、黴が生える。茸が生える。刀なのに腐って、分解されて土に還る。
 仕方がないので、愛染国俊が積極的に世話を焼いていた。別にいなくて良い、と言っていた蛍丸も、渋々彼を手伝っていた。
 保護者とは本来、か弱き者を保護する立場の者を指す。
 だが来派にとっての保護者とは、『介護される者』の意味だった。
 いつも気だるげな明石国行は、散乱する枯れ葉を集め、地面を耕し、新しい畝を作る役を引き受けていた。
 だがその太刀の姿が、その場所に見当たらない。地表を覆っていた甘藍の葉は消えているが、肝心の男までもが畑から失われていた。
「あの野郎、ばっくれやがった」
「まあ、国行だし」
 ひと通り辺りを見回し、愛染国俊が地団太を踏んだ。
 蛍丸は最初から期待していなかったようで、ため息と共に呟いた。
 首に提げた手拭いを揺らし、あんな男は放っておいて、自分たちの役目を終わらせようと相方の背を叩く。
「いでっ」
「あ、ごめん」
 軽くやったつもりだったのだが、短刀はつんのめり、膝を折った。
 見た目は幼いけれど、蛍丸は大太刀だ。その背丈よりも長い刀を軽々操り、複数の敵を一度に薙ぎ払った。
 彼が一緒に出陣してくれると、とても頼もしい。
 ただしごく稀に、攻撃に巻き込まれそうになるのが怖かった。
「くっそー。この馬鹿力め」
「ごめんって、国俊」
 またしても、空豆を薙ぎ倒すところだった。
 すんでのところで回避して、蹲り、愛染国俊はひりひりする場所を服の上から撫でた。
 まさか倒れるとは、蛍丸も思っていなかった。加減がなかなか難しいと苦笑して、彼も屈み、膝を抱え込んだ。
「……なんだよ」
「土の匂いがする」
 頭を低くして、軍手のまま踏み荒らされた畝の谷間を撫でた。視線が逸れた短刀は怪訝に口を尖らせ、姿勢を作り直した。
 爪先だけで体重を支え、膝を前に突き出し、尻は踵に置いた。いわゆる蹲踞の体勢を作って、愛おしげに大地に触れる大太刀に首を捻った。
「蛍?」
「ここの土、良い匂いがする」
「そうか?」
 彼は途中から手袋を外し、掌を直接押し付けた。空気を含んで柔らかな地面に手形を残し、満足そうに頷いた。
 愛染国俊にしてみれば、土はどれも同じだ。泥臭くて、良い匂いと思ったことはなかった。
 鍬を手に耕せば埃だらけになるし、口の中に砂利が入ると不快極まりない。目に入れば痛いし、汗ばんだ肌に張り付いて気持ちが悪かった。
 だというのに、蛍丸は今にも地面に寝転がりそうな雰囲気だ。頬を緩め、満面の笑みを浮かべていた。
 彼は一部の刀に比べると、まだ表情豊かな方だが、こんな笑顔は珍しい。底抜けに幸せそうで、楽しそうだった。
 ただ地面を撫でているだけなのに。
 釈然としなくて、愛染国俊は眉を顰めた。鼻に貼り付けた絆創膏を爪で掻いて、悩んだ末に自分も彼を真似てみた。
 鉄製の重い鋏を置き、外した軍手をその上に被せた。胼胝の潰れた跡がある指で地面に浅く溝を掘り、掻き出した分を掌で押し潰した。
 柔らかかった。
 思った以上にサラサラしており、ふっくら温かかった。
「いい匂い、ね」
「しない?」
「どっちかっつーと、くせぇ」
 肘を折り、顔の前に掲げた掌を鼻に近付けてみた。表面には数粒こびりついて、揺らせばぱらぱら落ちて行った。
 蛍丸が言うような匂いは、全く感じられなかった。
 畑に来てかなり時間が経っており、鼻が土の匂いに慣れ過ぎたのだろう。それよりも軍手でも防げなかった鋏の、鉄の臭いの方が強かった。
 汗と混ざり合って、間違っても芳しいとは言えない。
 鼻の奥がツンと来る酸っぱさに、彼は渋面を作った。
「ふふ」
 手首を大袈裟に振り回す愛染国俊を見て、蛍丸がクスクス笑った。
 目尻を下げて両手で土を掘り返し、掬い取ったものをその場に落とした。
「良い土だよ、此処の畑」
「なんでそう思うんだ?」
 感嘆の息を漏らし、囁く。
 短刀は両手を叩き合わせて土を払い、首を右に傾けた。
 先ほどから、彼は妙にこの土地を贔屓にする。どこも似たようなもの、との認識しかない愛染国俊には、理解し難い感覚だった。
 そもそも畑には、頻繁に肥料が追加されていた。作物が良く育つ環境が形成され、維持されており、良い土なのは当然だった。
 毎日手入れを欠かさず、冬の間もそれは変わらない。
 炎天下での草むしりは地獄だが、その後食べる冷えた西瓜は最高だった。
 まだ先の季節に思いを寄せて、赤髪の少年が眉間に皺を作る。
 蛍丸は頬を緩め、指先から零れる土に目を細めた。
「俺が前に居たところと、土が似てる」
「お前が、……って。ええと」
「うん。阿蘇」
 親指で掌に残る分を捏ね、押し固めた。しかしちょっと刺激を加えれば、形は簡単に崩れた。
 粒子が細かく、庭の土と比べるとかなり黒い。水捌けが良くて、耕作がし易かった。
「石灰を撒いてやるとね、地中の酸性が緩和されるんだ。そうやってちょっとずつ、土壌を改良してってさ」
「へえ」
「阿蘇のお野菜、美味しいよ。水は豊かだし、暖かいし。そりゃちょっと、噴火とか、大変な時もあるけど」
 掘り返した場所を埋めて、上から二度、三度と軽く叩く。
 合間に呟いた蛍丸に、愛染国俊は緩慢に頷いた。
 翠玉のような丸い目を眇めて、大太刀の視線は手元に注がれていた。唇はなにか言いたげに動いた後、真一文字に引き結ばれた。
 昔のことを思い返しているのか、表情は険しい。耳を澄ませば荒い息遣いが聞こえ、苦しそうだった。
 胸が締め付けられるような痛みを、見ている側に引き起こさせた。
 掛ける言葉が思いつかない短刀は天を仰ぎ、地を見詰め、彷徨う手は空を撫でた。
「うっ」
 土と鉄の汗の臭いを漂わせて、愛染国俊は蛍丸の頭をガシガシ掻き回した。
 柔らかな髪をぞんざいに扱い、ぐしゃぐしゃにした。毛先は四方八方を向いて逆立ち、蘇鉄のようだった。
 ぴょんぴょん毛先を跳ねさせて、悪戯な短刀が歯を見せて笑う。
「へへへっ」
「背が縮んだら、国俊でも許さない」
 上機嫌に胸を反らされて、蛍丸は両手を頭に押し当てた。
 大太刀でありながら誰よりも背が低いのを、彼はこっそり気にしていた。磨り上げられたわけでもないのに小さいのは納得がいかないと、顕現したばかりの頃はよく愚痴を零していた。
 頭を撫でられ続けると、摩耗するのではないかと危惧している。
 そんな訳がないのに、その辺はやや自意識過剰だった。
 拗ねて煙を噴く相棒に、愛染国俊は頬を緩めた。一瞬だけ神妙な表情を浮かべて、膝を伸ばし、立ち上がった。
「いつか、食ってみてえな」
 腕を高く掲げて背骨を鳴らし、遠い大地へと思いを馳せる。
 蛍丸も起き上がって、力強く頷いた。
「国俊、絶対気に入ると思う」
「そいつは楽しみだぜ」
 軽く身体を動かして凝りを解し、作業を再開すべく、軍手と鋏を一度に掴み取った。頼もしい宣言に口角を持ち上げて、もう一人の来派を探して視線を彷徨わせた。
 明石国行はやはり指定の場所におらず、雲隠れを決め込んだままだった。
「あいつ、また」
 自分は作る側でなく、食べる方でいたいと常々口にしていた。
 働かざる者食うべからず、の規則は本丸の基本中の基本であり、例外は認められないというのに。
 このままだと彼は、間違いなく餓えに苦しむことになる。
 駄目すぎる保護者を持った不幸を恨み、愛染国俊は鼻孔を擽る臭いに眉を顰めた。
「国俊」
「ああ」
 蛍丸も気付き、顔を曇らせた。
 先ほどまでは、全く感じなかった。それがいつの間にか、畑に広がっていた。
 なにかが燃えている、焦げた臭いだ。
 風は南西から、北東に向かって吹いていた。そして彼らがいる畑は、屋敷の北に存在した。
「まさか」
 嫌な予感を覚え、ふた振りは揃って風上に顔を向けた。背伸びをして身長を補い、懸命に目を凝らした。
 だが瓦屋根を戴いた重厚な屋敷は、前と変わらずそこに構えていた。
 火災が起きた様子はなく、問題は見当たらなかった。逃げまどう仲間たちの声もせず、至って静かだった。
「……あれ?」
「国俊、あれ」
 予想が外て、唖然とさせられた。喜ばしいことなのに喜べず、惚けていたら、蛍丸に袖を引かれた。
 遠くを指差しながら言われて、彼と同じ方角に目を向ける。
 灰色の煙が細い棚引き、風に煽られゆらゆら揺れているのが見えた。
 畑の片隅で、野焼きをしている者がいる。
 誰の仕業かなど、考えるまでもなかった。
「なにしてんだ、あいつは」
 今日はさほど風が強くないが、火の粉が散って農作物に燃え移ったら一大事だ。風向きが変わり、建物の方に延焼されるのも困る。
 だというのに、何を考えているのだろう。
 火は便利な反面、とても危険だ。対処を誤れば、目を覆わんばかりの惨事を引き起こしかねなかった。
 軽率な真似をしたと腹を立て、愛染国俊は鋏を握りしめた。肩を怒らせ、わなわな震え、力任せに奥歯を噛み締めた。
「国行の野郎」
「待って、国俊」
 居ても立ってもいられなくて、柔らかな地面を蹴り飛ばした。空豆の生垣から抜け出して、全速力で駆けた。
 彼は本丸の中でも、足が速い部類に入る。蛍丸も他の大太刀よりは脚力がある方だが、短刀相手では到底敵わなかった。
 あっという間に引き離して、赤髪の少年は焚き火の前に座り込んでいた男目掛けて突進した。
「くにゆきぃぃぃぃぃぃ!」
「お? やっとお出ましか。待っとったで――げはぁっ」
 土埃を撒き散らし、猪と化して突っ走る。
 遠くから響く大声に明石国行は顔を上げ、暢気に語り掛ける途中で悲鳴を上げた。
 寸前で腕を伸ばした短刀の、肘が見事に喉に決まった。顎に痛烈な一撃をお見舞いして、首の骨を折る覚悟で吹っ飛ばした。
 ずどぉん、と凄まじい音が轟いた。土煙がもくもくと立ち込めて、足元には細身の眼鏡が転がった。
 明石国行は呆気なく倒され、地面に大の字になった。耕作地とは違い、踏み固められている大地に横たわって、目玉をぐるぐる回していた。
「ったく、危ねえだろうが」
「はっ、は……やっと、着いた」
「くあ~……いった。急になにしますん、国俊。危ないんはどっちや」
 愛染国俊は鼻息荒く捲し立て、じんじんする腕を庇って拳を作った。蛍丸がようやくふた振りに合流して、伸びていた太刀はゆっくり身を起こした。
 頭と喉を同時に撫でつつ、いきり立つ短刀を咎める。
 あと少しで喉仏が潰れるところだったと呟き、眼鏡を探して視線を巡らせた。
 拾ってやったのは蛍丸だ。表面の汚れを息で拭き飛ばし、弦の部分で自称保護者の男を小突いた。
「おお、おおきに。やっぱり蛍丸はええ子やな」
 偏愛している大太刀から渡されて、明石国行は一気に頬を緩めた。嬉しそうにはにかんで、傷がないか確かめてから、いつもの場所に装着した。
 彼の依怙贔屓ぶりは有名で、本丸で知らない者はいない。今回は差別される理由があったとはいえ、愛染国俊は面白くなかった。
 乱暴を働いたのにだって、理由がある。
 いったい何を燃やしているのか、焚き火はさほど大きくなかった。
「焚き火をする時は、水をちゃんと用意する。教わったでしょ」
「そういえば、そんな話を蜻蛉切はんが、随分前にしてはったような」
 但し消火用の水は用意されていなかった。桶も、用水路もそこにあるのに、万が一の事態に備えていなかった。
 火の始末は、大事だ。消したつもりでも、奥で燻っていることがある。だから台所当番は竈の扱いに慎重で、限った者にしか触らせなかった。
 おぼろげな記憶を頼りに呟いた明石国行は、見目幼いふた振りから睨まれても飄々としていた。悪びれることなく顎を撫でて、成る程、と頷くだけだった。
 事の重大さを、まるで理解していない。憤慨して足を踏み鳴らす愛染国俊を低い位置から見上げて、眼鏡の太刀は折り畳んだ膝に頬杖をついた。
「けどなあ、国俊。そない神経質にせんでもええんとちゃう?」
「なんかあってからじゃ、遅いだろ」
「大丈夫やって。火なんか、ぱぱっと足で土かけたったら、それで消えんねんから」
 のんびりした口調で呟き、しゃがんだまま地面を蹴る仕草をする。片足座りで転びそうになったのはご愛嬌だが、見ていた蛍丸はにこりともしなかった。
 愛染国俊も憤然として、眼光は鋭い。
「かなんなあ」
 ここまで機嫌を損ねるかと頭を掻き、明石国行は地面に突き立てていた竹ひごを一本引き抜いた。
 焚き火を囲うようにして、合計で三本設置されていた。
 細く、長さは一尺ほど。その真ん中やや上よりのところには、真っ黒に炭化した物体が刺さっていた。
 円柱状のものが二寸五分程度の幅で揃えられ、どの串にも三本ずつ、連なって並べられていた。火に直接触れていないからか、焦げていない箇所もあり、そこは瑞々しい白だった。
 断面からは汁が滲み、湯立って泡を作っていた。鼻を近づけると、不思議とどこかで覚えがある匂いがして、焦げ臭さはあまり感じず、土の香りよりはよっぽど好印象だった。
「ほら」
 そんな消し炭状態の物体を、突き出された。
「はあ?」
 訳が分からなくて、愛染国俊は素っ頓狂な声を出した。
 白い湯気が数本立ち上り、匂いだけは合格点だ。しかし火に触れていた場所は黒に染まり、見ているだけでげんなりした。
「なんだよ、これ」
「食べえや。美味いで」
 受け取りを拒否し、その正体を問い質す。だのに明石国行は答えず、尚も串を突き出した。
 短刀は慌てて後退して、蛍丸の真横まで逃げた。その大太刀もきょとんとしており、不機嫌そうに顔を顰めていた。
「俺たちに、炭、食べさせようって?」
 一目見ただけで、これが食べ物だと分かる者はいないだろう。それくらい見事に黒い塊だ。喜んで受け取る方が可笑しかった。
 それにも拘わらず、明石国行は彼らの反応に不満げだ。伸ばしていた肘を曲げて、口はヘの字に引き結んだ。
「美味いのになあ」
「ていうか、国行。さっさと、火」
「もったいないわあ。ほんま、惜しいなあ」
「あ」
 諦め悪く呟いて、愛染国俊を怒らせる。しかし彼は聞く耳を持たず、手元の炭に息を吹きかけた。
 一部だけ冷まして粗熱を取り、小突いて温度を確かめた。とても食べられそうにない表面を爪で掻き、捲れ返ったところを抓んで、一気に引っ張った。
 ぺり、と。
 蛍丸が唖然とする中、黒かった部分は途中で千切れることなく、串刺しの葱から剥ぎ取られた。
 ぐるりと一周させて、無用となった表皮部分は焚き火に投げ込まれた。串から漂っていた湯気は倍増して、香ばしい匂いも一段と強くなった。
 まるで魔法だった。
 あんなにも見た目が悪かったものが、一瞬で変身を遂げた。
「うわあ」
「えっ、なに」
「はむ。う、……あちち」
 食欲をそそる香りに、自ずと唾液が溢れた。堪らず身を乗り出したふた振りの前で、明石国行はゆっくりと、熱々の葱に齧り付いた。
 前歯を突き立て、時間をかけて内側へと突き刺した。白くほっこり焼き上がった茎は僅かに抵抗し、ぐちゅりと、大量の水分を輩出した。
 それがあまりにも熱くて、悲鳴が上がった。
 噛み千切るのを諦め、口を離した太刀が串を振り回した。その分多くの空気に触れて、少しだけツンと来る匂いが辺りを埋め尽くした。
「あっひひ……こらあかん。熱すぎるわ」
 もう少し冷ますべきだったと反省して、彼は串を横にした。両端を挟み持って顔を近づけ、先ほどより念入りに呼気を吹きかけた。
 空気が動き、押し出された匂いが短刀の鼻先を掠める。
 蛍丸など鼻をひくひくさせて、太刀の一挙手一投足を見守っていた。
「なんや。いらんねやろ」
 それを知って、明石国行が意地悪を言った。歯型が残る場所を口に含んで、唇が火傷するのを我慢して、一気に噛み千切った。
 はふ、と喘いだ彼の口から煙があがった。
 歯応えが残っているのか、噛み潰される際にシャキシャキいう音がした。耳を澄ませなくてもはっきり聞こえて、ぷわんと広がる香りが心地よかった。
「甘いわあ。流石は新鮮、採れたては最高や」
 たかが葱、と侮ってはいけない。
 満足げに呟いた彼を歯軋りしながら睨みつけ、愛染国俊は拳を作った。
 明石国行は焚き火の前で、ひとりでご満悦だった。大きな塊を串から引き抜き、全体を口に含ませ、シャクシャク言わせて唇を舐めた。
 頬は緩み、紅潮していた。途中で暑くなったのか手で顔を扇いで、それでも食べるのを止めなかった。
「国行、食べたい」
「おっ、ええで。蛍丸は分かってくれると思っとってん」
 あまりにも美味しそうで、見せつけられて我慢出来なかった。根負けした大太刀が先に両手を広げて、残っている竹串を顎でしゃくった。
 勿論、明石国行が断るはずがない。
 彼は二つ返事で頷くと、焼き加減を確認し、色合いが良い方を選び取った。
「熱いで。剥いたろか」
「それが一番やりたいの」
 進んでお節介を焼き、面倒を見ようともする。だがこれは余計な御世話で、蛍丸は拗ねて頬を膨らませた。
 真っ黒になっている表面が、するりと剥けるのが面白かった。
 あれがなかったら、ここまで食いつかなかったに違いない。愛染国俊自身、興味を惹かれてそわそ落ち着かなかった。
「国俊は、どないする?」
「うぐぐ」
 そこにすかさず、声が掛かった。
 下を向けば、頬杖ついた太刀が不遜な笑みを浮かべている。
 してやったりの表情を見せられて、なんとも言えない悔しさだった。
「食うよ! 食べ物を粗末にする奴には、天罰が下るからな!」
 葱を焼く串は、最初から三本あった。
 それがどういう意味なのか、分からない程愚かではない。
「くそう。国行のくせに」
「火傷しなやー」
 負けた気がして膨れ面をして、愛染国俊はこんがり焼けた葱を受け取った。茎の部分を食べる白葱で、最後の一本は丸々と太っていた。
 表面だけが焦げ、中身が無事だったのは、葱本体に含まれる水分のお陰だろう。良く見れば所々罅割れて、そこから汁が漏れていた。
 注意しないと、本当に火傷してしまう。
 それくらい熱い葱に悪戦苦闘して、彼らはぺり、と皮を一枚剥ぎ取った。
「おおお」
「すっげえ。綺麗に外れた」
「ちゃんと冷ましや。知らんで」
「いっただっきまーす」
「いただきまー……んふぁ、あぢぃ!」
「おーおー、せやから言うたのに」
 力など碌に加えていないのに、簡単に剥けた。串に刺さっている分全部を綺麗にして、がぶりと行けば、口の中に業火の嵐が巻き起こった。
 牙を刺した場所から、ぶちゅぅ、と熱湯が弾け飛んだ。美味さよりも熱さが圧倒的に勝って、愛染国俊は堪らず尻餅をついた。
 あれだけ注意したのに、まるで聞いていない。
 明石国行は呆れ顔で、食べ終えた串を火にくべた。
 最早食べるに値しない甘藍の葉を拾い、それを燃料にしていた。火種は台所から譲り受けたもので、焚き火の許可は歌仙兼定に貰っていた。
 言わなかった方が悪いのだろうが、もうどうでも良かった。
「どうや。美味いやろ」
「んふ、はふ、ん……ん、うんめー!」
「すごい、国行。なにも付けてないのに」
 新鮮な葱を軽く洗い、根を落とし、切って串に刺しただけ。
 火だって特別なものではなく、味付けは皆無だった。
 それでも中まで火が通った葱は、ほっこりしており、汁を啜れば甘かった。外側は蕩けるほどに柔らかく、中心部はしっかりとした歯応えが残っていた。
 口を開けば、はふはふと息が漏れた。白い湯気が立ち上って、子供たちの首筋にはしっとり汗が滲んでいた。
 皮一枚を選んで引っ張れば、にゅるん、と一枚の紙になって剥がれ落ちた。中心部までひと口に頬張れば、ぐちゅっという音と一緒に甘い汁が爆発した。
 噛めば噛むほど味が出て、葱とはこんなに旨かったのかと驚かされた。塩はひと粒も用いておらず、ただ焼いただけなのに、味に奥行きがあった。
 いつもは薬味として使うか、鍋物の添え物程度に入れるだけ。
 ここまで主役級の味わいを楽しめるとは知らなくて、ひと串ぺろりと食べられた。
 これっぽっちでは、とても足りない。
 まだまだ食べたくて、胃袋が暴れていた。
「うー、美味しかった」
「なんか、意外だ」
 けれど葱は旬を過ぎており、畑に残り少ない。贅沢は言えず、御馳走様と蛍丸が手を合わせた横で、愛染国俊は茫然と呟いた。
 串に残っていた塊を前歯で削り、新たな発見に感嘆の息を吐く。
 ほこほこした葱は、まるで蒸かした芋のような食感だった。繊維が細かく、場所によっては噛み千切り難かったけれど、熱が入って全体的に柔らかかった。
 余計なことは一切していないから、葱本来の味が際立っていた。辛いかと思えばそうでもなく、畑で収穫したばかりのものを使ったので、含まれる水分量も半端なかった。
 思い出すと、涎が出た。
 じゅるりと音立てて飲み込んで、愛染国俊は顎を拭った。
「ほんまは白葱よりも、九条さんみたいな青いのが好きやねんけど」
 明石国行は立ち上がり、焚き火に向かって土を振り掛けた。爪先で穴を掘って蹴り飛ばし、勢い弱まる火に止めを刺した。
 後は水を汲んで、浴びせてやれば消火は完了。
 案ずるような問題は起きなかったと肩を竦めて、怠け者の太刀は目を細めた。
「ほな、続きやりますか」
「おお、国行が働いてる」
「あほ言いなさんな。自分、真面目やねんで」
 僅かながら腹は満たされ、少々熱かったが、水分も補給できた。
 両腕を伸ばして背を反らした彼の言葉に、蛍丸も愛染国俊も、揃って目を丸くした。
 葱の美味さよりも、こちらの方が驚愕だ。
 唖然としていたら拗ねたのか、明石国行は猫背になって小鼻を膨らませた。
「これでも一応、あんたらの保護者やねんから」
 適度に休憩させ、間食を与えるのも忘れない。
 栄養補給は大事と嘯き、口角を持ち上げる。
「ま、いいけど」
「んじゃ一発、よろしく頼むぜ」
 それに応え、蛍丸が肩を竦めた。愛染国俊は拳を作り、偉そうな保護者の背中を軽く叩いた。
 目の前には広大な畑が広がっていた。
 今日の予定を片付けるには、もう休んではいられない。だがこの三振りが揃っている限り、なんだって出来る気しかしなかった。

2016/04/21 脱稿