野咲

 神出鬼没とは、良く言ったものだ。
「ねえ。今、暇?」
 本来なら有り得ない場所から掛けられた言葉に、握っていたシャープペンシルがぽろりと落ちた。瞳は限界まで見開かれて、頬はヒクリと引き攣った。
 珍しく宿題などしていたから、こんなことになるのだ。
 天変地異の前触れだった己の気まぐれを呪い、沢田綱吉は返事も忘れて凍り付いた。
 勉強机を置いた壁際の窓。
 室外機を設置する為だけに設けられた小さなベランダに、その男は悠然と佇んでいた。
 ひらひら踊って邪魔なカーテンを捕まえて、さほど大きくない窓枠から身を乗り出していた。肩にはいつも通り黒色の学生服を羽織って、袖には臙脂色の腕章がはためいていた。
 安全ピンの銀色が陽光を反射し、綱吉の目を容赦なく刺した。しかし痛みを覚える余裕すらなく、彼は騒然と背筋を粟立てた。
 冷や汗、否、脂汗が首筋を伝った。
 愕然としていたら、黒髪をなびかせ、男が訝しげに眉を寄せた。
「ねえ」
 聞こえているか問うて、カーテンを引っ張った。
 ビリッと布の繊維が千切れる音がして、綱吉はハッと息を吐いて大袈裟に震えあがった。
「はっ、ひゃはい!」
 椅子に座ったまま気を付けのポーズを作っての返事は、笑えるくらい裏返った。
 これが学校だったなら、教室中が大爆笑だったに違いない。
 それくらい甲高く、情けない叫び声に、けれど男は満足げだった。
「なら、ちょっと付き合ってよ」
「はい、かしこまり……って。え?」
 悠然と頷き、外を指差しながら告げる。
 反射的に返事をしてから、綱吉は目をパチパチさせ、首を捻った。
「え?」
 何を言われたのか、理解出来ない。
 大粒の目を真ん丸にした彼に、窓からの訪問者は再び眉を顰めた。
 あからさまに不機嫌な顔をして、天下の風紀委員長がむすっと頬を膨らませた。握り締めていたカーテンを解放して、自由になった手は腰の後ろへと回された。
 学生服の内側に、いったい何が潜んでいるか。
 当然知らないわけではなくて、瞬間、綱吉は竦み上がった。
「ひ、ひぃぃぃぃぃ!」
「三十秒で支度して」
「分っかりましたあー!」
 隠し武器であるトンファーで殴られる痛みは、強烈だ。頭の上で星がぐるぐる回って、何度三途の川を渡りかけたか分からない。
 過去の記憶に急かされて、綱吉は駒付きの椅子を蹴り飛ばした。直立不動で返事して、着ていたジャージを脱ぎ捨てた。
 今日は一日、家に居るつもりだった。
 だから服装も、寝間着の延長線上だった。
 着古したよれよれのシャツを放り投げ、上半身裸でクローゼットの戸を開けた。途端に詰め込んでいたものが雪崩を起こし、音立てながら床に散乱した。
「うわああああ」
「早くね」
 予想していなかった出来事に騒然となり、足を踏み鳴らして慌てるが、どうしようもない。
 焦りに焦って悲鳴を上げた彼を余所に、急な訪問者はひらりと手を振った。
 室内に背を向けて、黒髪が視界から消えた。
「あっ、ちょ。ヒバリさん!」
 勿論あの男のことだから、これくらいの高さ、問題ないのは分かっている。だけれどヒヤッとさせられて、綱吉は足をもたつかせて窓辺に駆け寄った。
 眼下を覗き見た時にはもう、雲雀恭弥は庭に降り立っていた。洗濯ものの間を悠然と歩き、閉まっていた門扉を内側から開けた。
 公道に出る直前、振り返る。
「ひえっ」
 距離があるのに目が合いそうになって、綱吉は大急ぎでしゃがみ込んだ。
 貧相な裸体を震わせて、理解が追い付かない現実に竦み上がる。
 前触れもなく現れたのは、並盛中学校の風紀委員長だった。
 その名を知らぬ者はおらず、その横暴ぶりは凄まじい。学校の応接室を乗っ取って、独裁者気取りだった。
 並盛中学校を愛して止まず、その平穏を守る為にはいかなる犠牲も厭わない。風紀を破る者が居れば容赦なく叩き潰し、相手が女子だろうとお構いなしだった。
 そういうわけだから、風紀委員は生徒らにとって恐怖の象徴であり、非難の的だ。けれど彼らがいるお陰で守られている秩序は、少ないながらも、確かに存在した。
 そんな男に、いきなり誘われた。
 約束などしておらず、本当に唐突だった。
 いったいどこに付き合え、というのだろう。訳が分からなくて戸惑うが、訊ねようにも本人は既に居なかった。
 彼が執心している赤ん坊は、残念ながら不在だ。リボーンはビアンキと一緒に、買い物に出かけていた。
「そういや、ヒバリさん。リボーンのこと、なにも聞かなかったな」
 雲雀がやってくるのは、大抵あの極悪家庭教師に用がある時だ。しかし今回は違って、綱吉目当てのようだった。
 嫌な予感しかしない。
 ぶるりと身震いして、彼は急ぎ身なりを整えた。
 爆発した頭は、直しようがなかった。櫛を通している暇はなくて、潔く諦めた。
 空色のTシャツに白のパーカーを合わせ、下は無難にジーンズを選択した。靴下は踝丈で、白と水色のボーダー。行き先は聞いていないけれど、念のため財布と携帯電話をポケットに詰め込んだ。
 長袖の上着は暑いかと思ったが、もう着てしまったので修正が出来ない。邪魔なら脱げばいいと開き直って、綱吉は急ぎ足で部屋を出た。
「ちょっと出かけてくる」
「あら、ツナ。夕飯は?」
「いるー」
 階段を降りる足音は、台所にまで響いていた。玄関で声を上げれば奈々が顔を出し、短い会話の後に息子を送り出した。
 この時間から外出なら、母として気になるのは当然だ。けれど綱吉には、雲雀が食事に誘ってくれるとは、これっぽっちも思っていなかった。
 恐らくは日が暮れる前に解放して貰える。
 根拠もなく信じて、彼はドアを開けて外に出た。
「遅い」
「スミマセッ」
 雲雀は門扉に凭れかかるようにして待っていた。顔を見るなり不機嫌そうに言って、返事も待たずにさっさと歩き出した。
 こういうところが、彼の性格を良く表している。独善的で、自分本位で、他人に対する気遣いが全く見られないところが、だ。
 けれどその裏側で、群れるのを嫌がりつつ、風紀委員という集団を率いている。雲の守護者の地位についても、なんだかんだで、受け入れ続けてくれていた。
 出会ったばかりの頃は、ただ怖いだけの相手だった。
 当時に比べれば距離は随分と縮まって、懐かしさに頬が緩んだ。
「どこ、行くんですか」
 最初は恐ろしかった彼の強さが、今は誰よりも頼もしい。
 遠くなる背中を小走りに追いかけて、綱吉は声を張り上げた。
 雲雀が嫌がるのが分かっているので、隣に並んだりしない。数歩の距離を置き、斜め後ろについて、前を見据える男の返事を待った。
「……知り合いの子が、今度、誕生日でね」
「へえ、そうなんですか。おめでとうございます」
 数秒が過ぎて、男が口を開いた。一瞬だけちらりと振り返って、直ぐに逸らして言葉を紡いだ。
 この返答は、予想外だった。
 行き先をあれこれ想像した中には入っておらず、綱吉は素直に驚いた。
「ヒバリさんに、知り合い、いたんだ」
「なにか言った?」
「いいえ、なんでもありません!」
 その驚嘆を、心の中に留めておけなかった。
 ぼそっと言えば聞かれてしまい、飛んでいきそうな勢いで首を横に振った。
 首から上だけを、不穏な感じで振り向けられた。睨まれて小さな蛙と化して、綱吉はふとした疑問に我を取り戻した。
「それって、オレに何か関係あります?」
 暇なら付き合え、と言って連れ出された。
 暇ではなかったが断り切れず、碌に準備もないまま家を飛び出して来た。
 その用件として、他人の誕生日を教えられた。そこに己がどう結び付くのか、まるで想像がつかなかった。
 首を捻り、知り合いとは誰かを考える。
 真っ先に思い浮かんだのは、風紀委員会副委員長であり、雲雀の参謀役と言える男だった。
「ああ」
 リーゼントが似合う草壁の姿を思い描いていたら、雲雀が足を緩め、自ら隣に並ぼうとした。会話がし辛いのを気にして近付いて、小さく頷いてから肩を竦めた。
 苦笑しているように見えた。
 微妙な変化に綱吉は目を丸くして、肩に当たった学生服の袖にはビクッとした。
「小さい子だから、なにを贈れば良いのかと思ってね」
 その間に、囁くように告げられた。
 声色は柔らかく、優しく、別の男のようだった。
 いったい誰を思い浮かべているのか、綱吉を見下ろす眼差しまでどこか暖かい。
 稀に見る表情に、図らずもどきりとした。その相手がちょっと羨ましくなって、何故だか胸がもやもやした。
 訳が分からなくて困惑し、口を尖らせる。
「……それって、じゃあ。オレに選べって、そういうことですか」
「そういうこと」
 彼が訪ねて来た理由がようやく明らかとなって、綱吉は歓喜とも落胆ともつかない顔を作った。
 沢田家には現在、赤ん坊から幼児にと、複数の子供が居候していた。
 リボーンを筆頭にランボ、イーピン、そしてフゥ太。思いがけず家族が増えた綱吉は、子供たちのよき兄でもあった。
 だから雲雀は、彼を連れ出した。幼い子への誕生日プレゼントを選ぶのに、これほど最適な人材はいないから。
「小さい子、って。男の子ですか、女の子ですか」
「男だよ」
 交友関係が狭い雲雀だから、他に頼る当てがなかったのだろう。
 別の誰かではなく、自分を選んでくれたのは嬉しいけれど、判明した事情は些か面白くなった。
「だったら、今やってる戦隊ものとか、ヒーローものの玩具にしておけば」
「僕にそんなものを買えって?」
「ですよねー?」
 だから性別を聞いて、簡単に済ませようとした。
 当たり障りない返答で片付けようとして、浅墓な企みは呆気なく瓦解した。
 日曜日の朝、子供たちはテレビの前から動かない。綱吉も幼い頃は夢中だったので分かるが、あれらの玩具はとにかく種類が多かった。
 人形からロボット、変身アイテムに武器、など等。
 下調べもなしに選べば、失敗するだけだ。第一雲雀が、派手にラッピングされた巨大な箱を抱える姿は、面白すぎだ。
 あまりにも似合わなくて、却下されて若干ホッとした。頬を引き攣らせて頭を掻いて、綱吉は憤然としている男から顔を背けた。
「ていうか、オレ、そういうのあんまり詳しくないんですけど」
 道は大通りを経て、住宅地から商店区画に入った。並盛駅の案内板が見えて、商店街まであと少しだった。
 昨今は大型商業施設に押されて衰退気味という商店街だが、並盛町のそれはまだ元気だ。新しい店舗も増えていて、休日の午後だからか、それなりに賑わっていた。
「君が欲しいって思うので良いよ」
「なんですか、それ」
 談笑する女性グループに、子供連れも多い。杖を手に歩く男性がいて、自転車が蛇行しながら通り過ぎていく。
 この時間帯、車は通行禁止だ。歩行者天国のような雰囲気の中では、雲雀の姿もあまり目立たなかった。
 各所に設置されたスピーカーからは、軽やかなメロディーが絶えず聞こえて来た。雑踏の中では隣の声も聞き取り辛く、ふたりの距離は自然狭まった。
 選択権を丸投げされて、苦笑を禁じ得ない。
 呆れて言い返して、綱吉は真剣な目つきの男に息を呑んだ。
「小さい子、なんですよね」
「そう」
「オレのこと、馬鹿にしてます?」
「どうして?」
「どうして、って……」
 雲雀は基本的に、嘘を言わない。冗談も嫌いだ。何事に対しても真面目で、真剣だから、多くの風紀委員から慕われていた。
 専横ぶりに目を瞑っても、有り余る魅力が彼にはある。
 綱吉自身、男として惹かれる面は確かにあった。
 だけれど今の台詞は、不満だった。
 幼い子への誕生日プレゼントを、十四歳の目線で選べと言われた。それはつまり、雲雀の認識の中で、綱吉はその知り合いの子と同レベル、ということだ。
 もしくは綱吉の方が、その贈り先と親しくしているかのどちらかで。
 そもそもあの雲雀が幼児と知り合いである時点で、疑問に思うべきだった。
「リボーンにだったら、本人に直接聞いた方がいいんじゃないですか」
 当てはまる存在は、ひとりしかいない。
 膨れ面で吐き捨てた綱吉に、雲雀は怪訝な顔をして足を止めた。
「彼じゃないよ」
「え?」
 きょとんとしながら、言い返された。
 勘繰って勝手に拗ねていた綱吉は絶句して、素っ頓狂な声を上げた。
 まるで頭の天辺から飛び出したかのような、甲高い声だった。声変りを済ませた男子の声ではなく、完全に女子のそれだった。
 自分でも驚いて、目が点になった。
 呆気に取られて口をパクパクさせていたら、ポケットに両手を突っ込み、雲雀が面倒臭そうに首を振った。
「それに、赤ん坊の誕生日は十月だよ」
「あ、それも……そっか」
 カレンダーはまだ五月で、気候は春のそれだ。長袖パーカーが急に暑く感じられて、綱吉は袖をまくり、肘までたくし上げた。
 頭が飛び出していた携帯電話をポケットへ押し込み直して、深く頷く。
 もやもやしていたのが急に晴れて、胸がスッとし、気持ちが軽くなった。
「変な子」
「待ってください、ヒバリさん」
 そわそわして落ち着きがない綱吉に、雲雀が肩を竦めた。再び歩き出した彼を追って、辿り着いたのは小奇麗な商店だった。
 紳士物の衣料品を扱っており、外観は外国の建物のようだ。壁は煉瓦で、軒先から蔦が足れていた。
「小さい子、……ですよね?」
 オーダーメイド専門と、看板に書かれていた。店頭にはスーツを着たマネキンが並んで、靴一足にしても値段の桁が二つくらい多かった。
 大人の男性ならともかく、子供には縁がない店だ。興味深そうに店内を覗く雲雀に恐々尋ねたら、振り返った青年は間を置いて首肯した。
「そう、だったね」
 父の日のプレゼントを探しているのではないのだから、此処は流石に違うだろう。
 言われて思い出したらしい彼に冷や汗を流して、綱吉は二度、三度と胸を叩いた。
 並盛商店街に来るのは久しぶりで、知らない店が増えていた。
 クレープを焼く店からは甘い匂いが漂い、京子たち行きつけのケーキ屋も繁盛していた。電気屋の店頭にはテレビがどん、と鎮座して、野球の試合を映していた。
 山本がいたら、ここから動かなくなること間違いない。
 野球部所属の友人を思い出し、頬を緩める。そして気が付けば雲雀が隣にいなくて、慌てて探せば数件先の店先にいた。
「勝手に行かないでくださいよ」
「君がついてこなかったんだろう」
 走って追いかけ、追い付き、隣に並ぶ。
 文句を言えば、言い返されて、取り付く島がなかった。
「……頼んできたの、ヒバリさんなのに」
 余所事に気を取られ、注意が散漫になっていた。意識が雲雀から逸れていたのは否定できないが、一方的に悪者扱いされるのは癪だった。
 今度は聞かれないよう呟いて、何気なく見た店内の様子に首を伸ばす。
 少し暗めの照明の中で、ガラス細工が煌めいていた。
「こんな店、あったんだ」
「入る?」
「あ、待ってください」
 白い外壁に、屋根は赤。まるで絵本から飛び出して来たような外見で、ドアを押せばちりん、と鈴が鳴った。
 少し前まで、ここは散髪屋だったはずだ。
 いつの間にか入れ替わっていたと驚き、綱吉は恐る恐る敷居を跨いだ。
 聞いておきながら、了解をもらう前に雲雀は動いていた。
 彼が開けたドアの隙間から滑り込み、ひやっとする空気に息を呑む。室内は冷房が入って、外より格段に温度が低かった。
 パーカーを着て来て良かったと、初めて思った。
 何重にも捲りあげていた袖を伸ばし、息を整え、綱吉は真新しい調度品に目を泳がせた。
 どうやらここは、ガラスで作った作品を販売している店らしかった。
 ステンドグラスを使った照明器具に、ワイングラスといった食器の数々が見栄え良く並べられていた。アクセサリー類も充実しており、アンティーク風の作品が多数取りそろえられて、派手さはないが、落ち着いた雰囲気だった。
 雲雀なら、こういう空間でも違和感がない。
 対して自分はと落ち込んで、綱吉は居心地悪げに身を捩った。
「失礼するよ」
「ごゆっくり」
 店員はひとりだけで、品の良い女性だった。レジカウンター奥は作業場らしく、そこに腰かけ、近付いては来なかった。
 雲雀の言葉に顔を上げたが、それだけだ。滞在の許可が下された感じがして、少しだけだが気が楽になった。
 先ほど外から眺めたものは、三段ある棚の最上段に並んでいた。商品にぶつからないよう注意して歩み寄れば、後ろから雲雀がついてきた。
「気に入ったの?」
「え? あ、うわ」
 残念なことに、話しかけられて初めて、その事実に気が付いた。
 足音を立てず、気配も消しての接近は心臓に悪く、不意打ちにかなり焦らされた。
 どきん、と胸が弾み、冷や汗が出た。
 爪先立ちで仰け反って、綱吉は意外に近かった雲雀に目を白黒させた。
 吐息が掠めるところに居たのに、全く警戒していなかった。超直感はどこへ消えたのかと言いたくなって、無理して笑えば頬が引き攣った。
「うわ?」
「い、いいえ。なんでも。なんでもないです」
 雲雀はといえば驚かれたのが不本意らしく、仏頂面で聞き返して来た。店員も何事かと視線を向けて、綱吉は早口で捲し立てた。
 両手を壁にして後退し、とにかく雲雀から離れた。安全と思える距離を確保してようやく胸を撫で下ろし、自分が何故焦っているかの疑問には触れないことにした。
 折角涼しい場所に来たのに、汗が止まらない。
 パーカーの袖で額を拭って、彼はまだ収まらない拍動に唇を舐めた。
 一方で元凶となった男は平然として、綱吉が眺めていた棚を覗き込んだ。
 ガラスで作ったバラが見事な花瓶に、リビングを飾る華やかな置物。その隙間を埋めるようにして、ウサギやリスらしき動物が躍っていた。
 犬が居れば、馬もいる。猫も複数いて、色々なポーズを決めていた。
 中でも目についたのが、丸々と太った、愛嬌ある顔立ちの猫だった。
 鬣こそないけれど、どことなく沢田家で暮らす獣に似ている。
 これにサンバイザーを被せたら、ナッツと瓜二つだった。
「ああ、君の」
「うぇ、っと、まあ……はい」
 雲雀もそれが分かったようで、得心顔で頷いた。それが綱吉には恥ずかしくてならず、顔は赤らみ、耳の先まで色鮮やかだった。
 ナッツはペットではないけれど、それに近い扱いだった。奈々は猫だと信じて疑わず、ナッツ自身もキャットフードを美味しそうに食べていた。
 そんな子ライオンに似た調度品に、呆気なく引き寄せられた。
 親馬鹿だと言われても仕方がない行動に、脂汗が止まらなかった。
「カンガルーは、さすがにない、か」
 雲雀の知り合いへの誕生日プレゼント探しなのに、自分の好みを優先させた。
 何の役にも立っていない自分を悔やんでいたら、耳を疑いたくなる台詞が聞こえて来た。
「え?」
「梟はあるけれど、まあ、これは要らないね。犬と、鳥と……なんだ。ハリネズミもないの」
「あの、ヒバリさん?」
「ああ、でもそうだね。時間はまだたっぷりあるし、作らせればいいか。デザインも変更させないといけないし」
「ヒバリさん?」
 きょとんとして、瞬きを繰り返した。
 何度呼びかけても返事はなく、雲雀は目の前の置物に集中し、独り言は尽きなかった。
 口元に手をやって、小声でぶつぶつ繰り返す。最中に色のついた硝子を小突いては裏返し、値札を爪で削って、元通りに戻した。
 思索に没頭して、こちらの声が届いていない。聞こえてくる独白の内容は、意味が分かるようで、分からないものだった。
 カンガルーに、犬、鳥、猫、ハリネズミ、梟。
 そこに牛が加われば、まるでどこかの動物園だ。
 しかも時間はある、とも聞こえた。誕生日への贈り物を選んでおきながら、まだ余裕があるというのは、いったいどういうことなのか。
 不意に、つい先ほどの出来事が蘇った。
 リボーンへのプレゼントだと思い込んでいた時。彼はその日が十月であるのを、ごく当然のように言い当てた。
 そして綱吉の誕生日は、リボーンの誕生日の翌日だ。
 今は五月。
 特別な品を用意するにしても、五ヶ月あれば充分だろう。
「……あ、あの」
 都合の良い妄想が膨らんだ。
 有り得ないと否定しつつも、絶対にないとは言い切れなくて、心が震えた。
 膝が笑った。立っていられなくて、無意識に雲雀の学生服を掴んでいた。
 引っ張られて、黒髪の青年が目を見張った。口元にあった手をきゅっと握って、やや遅れて綱吉を見た。
 目が合った。
 鉄面皮と揶揄される風紀委員長の顔が、瞬時に赤く染まった。
「僕は何も言っていない。良いね」
「お、オレも。なにも聞いてまふぇん!」
 見てはいけないものを、見た。
 聞いてはいけないものを、聞いた。
 ぬっと伸びた腕に顔面を鷲掴みにされ、怒鳴られた。アイアンクローでぎりぎり締め上げられて、若きボンゴレ十代目は海老反りでのた打ち回った。
 だが不思議と、痛くなかった。怖くもなかった。但し店員は驚いて立ち上がって、その物音で雲雀は手を離した。
 もしかしなくても、もしかしたら、なのか。
「うえ、ふへ。ふへへへへ」
「顔、不細工になってるよ」
「これは生まれつきです」
「ああ、……そうだったね」
 掴まれて赤くなっている場所を撫でて、緩み放題の頬を挟む。
 雲雀は呆れ顔で呟いて、小動物の頭をぽん、と叩いた。

2016/05/22 脱稿