風がさざ波のような音を立て、合間に梟の声が紛れた。ほー、ほー、と間延びしながら消えていく歌は、ひとり寝を寂しがり、仲間を探しているようにも聞こえた。
もっとも見つけ出して共寝を誘ったところで、そんな必要はない、と言い張りそうであるが。
強がりなのは、目の前の少年も同じだ。森の獣と重ねあわせて、歌仙兼定はふっ、と淡く微笑んだ。
「……なに」
その笑みを、目敏く見咎められた。
不満げに振り返った小夜左文字に、藤色の髪の打刀は小さく首を竦めた。
「いいや。髪、随分伸びたね」
「そんなことは」
思っていたことは言わず、別の話を振り、詰問を躱した。両手は広げた手拭いで藍色の髪を掬い取って、左右から潰すように挟み込んだ。
湿り気を布に移し替え、地肌を撫でて乾かしていく。その都度ぐしゃぐしゃと頭を掻き回されて、短刀は首を振って抵抗した。
目を瞑り、仰け反り気味に身体を倒し、続けて前に引き戻した。もれなく手拭いの間から髪の束が引き抜かれ、出遅れた数本だけが残された。
頭皮から抜け落ち、肉体から離れたものだ。だが即時消失して然るべきものは、未だ歌仙兼定の掌中にあり、しっかりした形を維持していた。
戦場で遭遇する遡行軍は、刀で斬り伏せた直後に砂と化して崩れた。後には何も残らず、彼らがそこに在ったという証拠は、全て塵となって風に溶けた。
ならば自分たちもそうかと言えば、どうやら少し違うらしい。
人に似せて作られた現身は、髪や髭、爪といったものが、時間を経るごとに少しずつ伸びていった。
但し身長は、伸びない。体重も、粗食中心の本丸では、大きく増えることはなかった。
期待して毎日のように背を測り、柱に傷を作っている短刀たちには、少々酷な話だ。とはいえ今でさえかなり大柄な大太刀や薙刀にこれ以上成長されるのは、想像するだけで恐ろしかった。
目の前に座しているこの短刀も、背丈だけは伸びないと知って、一時期かなり落ち込んでいた。
表立ってなにも言わなかったし、他の子らと違って騒ぎもしなかったけれど、衝撃を受けている風だった。しばらくは挙動不審で、食事を前にしてのため息が異様に多かった。
本丸で最も小柄で、華奢な子だから、口にはしないけれど、気にしていたのだろう。小さいことで不利益を被ることは存外多くて、棚の上のものを取るにしても、彼には足台が必要だった。
手拭いに残った髪を抓み、木製の屑入れへと落とす。一本ずつ丁寧に扱う歌仙兼定を振り返って、小夜左文字は乱れに乱れている頭を手櫛で整えた。
「まだ乾いてないよ」
「別に、もういい」
元気よく跳ねている分を梳き、落ち着かせようとしても、完全には真っ直ぐにならない。日頃から彼は髪を高い位置で結っており、癖がついてしまっていた。
結び目で髪は左右に割れ、後ろから見ると双葉のようだ。紐を解いても跡が残って、櫛を入れたとしても、変に膨らんだ状態が維持された。
腰が強く、髪自体も一本一本が太い。
まるで松葉だと連想して、歌仙兼定は最後の一本を屑物入れに預けた。
トゲトゲしており、刺されば痛い。一度折れば曲がって戻らず、怜悧な先端は攻撃的。
まさに小夜左文字そのものだ。
見てくれは小さいけれど、敵を屠る執念は短刀の誰よりも強い。華奢でありながら打力は高く、恐れを知らない戦い方は、畏怖の念すら抱かせた。
防御無視で突っ込んでいくのが常で、見ている側はいつもはらはらさせられた。だが引き留めたところで、どうせ聞き入れはすまい。
ならば後ろから彼を守り、時に前に立って、道を切り開いてやるのが己の務めだ。
危なっかしくてならない短刀に頬を緩め、歌仙兼定は僅かに湿る布を捏ねた。
「ほら、小夜」
「どうせ朝には、ぐしゃぐしゃだ」
「駄目だよ、小夜。ちゃあんと乾かして、櫛を通してからでないと。明日の朝、痛い思いはしたくないだろう?」
再度広げ、頭を寄越すよう促す。
けれど短刀は嫌がり、距離を取るべく身じろいだ。
夜眠って、朝になれば、折角整えた髪も四方八方に広がった。それはしっかり乾かした後でも、湿らせたまま放置した時でも、状況は同じだった。
違うのは、櫛の入り方。
やはり乾かして整えてからの方が、櫛通りは圧倒的に滑らかだった。
濡らしたまま眠った翌朝は、髪同士が絡まり、櫛を入れれば度々引っかかった。強引に解こうとすれば頭皮が引っ張られ、途中で千切れるし、大量に抜け落ちた。
その差を思い出すよう言われ、短刀は口籠った。至極嫌そうに顔を顰めながら、藍の髪をひと房取り、指に絡ませた。
「もう、乾いてる」
「根本がまだだ。ほら、こちらへおいで」
「偉そうに」
細く短い指の曲線から逸れて、長さが不揃いの毛先が、ぴんと跳ねた。背筋を伸ばして凛として、槍宜しく刺さりそうだった。
けれど彼の主張は、通らなかった。そんな事では誤魔化されないと打刀は胸を張り、両腕を広げ、膝元に戻るよう促した。
引き締まった体躯に、分厚い胸板。鍛えられた上腕二頭筋は敵を一撃で粉砕し、風雅な身なりに反し、中身は異常に好戦的だった。
文系を気取ってはいるけれど、戦場に出ればそれは関係ない。気性の荒さは隠し切れるものではなく、短気ぶりは昔とあまり変わっていなかった。
数百年の時を経て再会して、攻守が逆転した。体格の差は埋められないと嘆息し、小夜左文字は渋々打刀の膝に座った。
背中を向け、体重を預ける。やや俯き加減に猫背になれば、垂らした髪が肩から胸に回り込んだ。
結び癖がついた髪は、針金並みに硬い。どれだけ丁寧に梳いても、決して真っ直ぐに戻らなかった。
「今日はやけに、反抗的だね」
「そんなことは、ない」
普段は好きにさせているのに、今宵に限って妙に抵抗が激しかった。歌仙兼定に揶揄されて、小夜左文字は口を尖らせた。
間髪入れずに否定するが、声に迫力がなかった。図星だったと教えているようなもので、打刀は笑い、白い地肌に手拭いを重ねあわせた。
痛くないよう加減しながら生え際を撫で、時間をかけて乾かしていく。その間短刀は手持無沙汰に足を揺らし、踵で畳を叩いた。
トン、トトン、トン、と太鼓のように音を響かせ、調子を刻み、時折遠くを見た。閉め切られた襖や障子に意識を寄せて、すぐに我に返って首を振った。
それを三度繰り返したところで、歌仙兼定は腕を引いた。
「兄君のところに、行っても良いんだよ」
「歌仙」
「江雪殿も、顕現したばかりだ。おひとりでは不安だろう」
とん、と細い肩を押し、合図を送る。瞬時に振り返った短刀に囁いて、打刀は手拭いを三つに折り畳んだ。
短くなった布を更に半分にして、手拭い掛けへと預けた。返す手で化粧箱の抽斗を開け、目の細かい櫛をひとつ、取り出した。
いちいち目で見なくても、身体が勝手に動いていた。それくらい毎日繰り返して来た仕草だと実感して、歌仙兼定は苦笑した。
そのくせ口では、思ってもないことを音にした。姿勢を正すよう再度合図を出して、ようやく本丸に至った太刀を思い出した。
銀の髪は雪のように輝き、艶を帯びて、透き通るようだった。癖はなく、根元から毛先まで真っ直ぐで、縛ったとしてもサラサラ零れていくだろう未来が、見るだけで想像出来た。
端正な顔立ちは愁いを帯び、陰鬱な気配を漂わせていた。口元は真一文字に引き結ばれ、眉は哀しげに寄せられ、細い瞳は暗く翳っていた。
江雪左文字を連れ帰る、との報せを受けて、いの一番に小夜左文字を呼びに行った。玄関先で出迎えようと、仲間の帰還を心待ちにした。
左文字の末弟に当たる少年はそわそわして、落ち着かなかった。次兄の時は上手くいかなかった初対面の挨拶を、今度こそきちんと果たすのだと、意気込んでいる風だった。
けれど結局、願いは果たせなかった。
江雪左文字は集っていた面々にニコリともせず、逆に嫌そうに顔を顰め、深々とため息を吐いた。
場の空気が悪くなり、慌てた鶴丸国永が小夜左文字を紹介した。会える日を心待ちにしていたと勝手に告げて、兄弟の出会いを演出しようとした。
それで初めて、江雪左文字は小夜左文字を見た。
瞬間、少年は歌仙兼定の背後に隠れ、長兄の視線から逃げた。
周囲は驚き、気まずくなった雰囲気をなんとか盛り上げようとした。緊張しているだ、なんだのと、皆好き勝手言っていたけれど、本当のところは本人にしか分からない。
いや、きっと小夜左文字自身も、どうしてあんな真似をしたか、答えを出せない筈だ。
江雪左文字はその後審神者に連れられて行き、本丸の案内は近侍だった石切丸に任された。夕餉の席に太刀は現れず、兄弟の交流は未だ果たせていなかった。
左文字の長兄は、次兄の隣の部屋をもらったらしい。屋敷の北に増設された一画は、元からあった居住区からかなり離れており、静かな反面、昼でも暗い場所だった。
顕現したばかりの頃、小夜左文字は人の身の不自由さに戸惑わされた。力の加減具合が分からず、物を壊し、転んで尻を打つことも多かった。
あの静かな太刀だって、例外ではない。傍で手を貸してくれる相手がいれば、さぞや心強かろう。
気になるのなら、行っても構わない。そのまま兄弟水入らずで布団を並べ、川の字で眠って来ても良い。
暗にそう告げて、歌仙兼定は短刀の髪に櫛を入れた。絡まっている部分を手で解しながら、上から下へと梳いた。
少量ずつ、丁寧に。
都度頭をくん、と引っ張られるのを耐えて、少年は口を開閉させ、最後に奥歯を噛んだ。
「なにか、あっても。あにさま、が。いる」
「そりゃあ、そうだけど」
「僕は、いらない」
「小夜」
くぐもった声で呟き、緩く首を振った。櫛で梳くのを邪魔された打刀は眉を顰め、猫背を強めて俯いた昔馴染みに肩を落とした。
江雪左文字になにかあった場合、隣室の宗三左文字がなんとかする。そもそも末の弟は短刀で、貧弱で、太刀の助けになれることはなかった。
倒れたところで助け起こしてやれず、肩を貸すのも難しい。
一緒に居たところで意味などないとの主張は、聞いていて哀しかった。
「江雪殿は、怒っていないと思うよ」
初対面時に思わず隠れてしまったのは、致し方ないことだ。きちんと挨拶を済ませておらず、会い難いのは分かるが、このままで良いはずがない。
時間が過ぎれば過ぎるほど、顔を合わせ辛くなる。早いうちに行動するよう促して、歌仙兼定は短刀の襟足を撫でた。
後れ毛を掬い、櫛を通した。生え際は柔らかくて、空気を含み、ふかふかしていた。
それもじきに、癖を持つようになる。結ばずに垂らしたまま過ごせばどうなるか、想像し、打刀は浮かんできた映像に瞼を閉じた。
江雪左文字のような艶やかな髪にするには、相当な時間と根気が必要だ。宗三左文字の髪もふわふわしており、ぽん、と花開いた綿毛のようだった。
末弟が一番頑固な髪質をしている。左文字の三兄弟が似ているかと問われたら、即時頷くのは難しかった。
「そういうのじゃ、ない」
「うん?」
「今剣が、言っていた」
「なんて?」
兄の視線から逃げた気まずさから、訪ねて行けないのではない。
首を振って櫛から逃げて、小夜左文字はふっくら膨らんでいる前髪を押さえこんだ。
潰して、額に押し当てた。しかし指の隙間から漏れた分が跳ねて、真っ平らとはいかなかった。
膝を胸に寄せて小さくなって、短刀は質問に身を捩った。自分から振っておきながら返答を拒んで、拗ねて口を尖らせ、哀しそうに目を眇めた。
「歌仙は。僕が、本当に……左文字、と。思うか」
「ええ?」
そうしてぼそぼそと紡がれた言葉に、歌仙兼定は素っ頓狂な声を上げた。
驚いて目を丸くし、口を開けたまま凍り付く。惚けた顔で絶句して、半泣きで振り返った短刀を上から下まで凝視する。
見下ろされて、少年はすぐに顔を逸らした。櫛を通したばかりなのに早速跳ね返っている毛先を弄り、重ねた足指をもぞもぞ蠢かせた。
一方で歌仙兼定は驚愕に目を白黒させて、苦労しながら息を吐いた。
「な、に……を。そんな、君が」
「似ていない」
動揺で声は震え、掠れていた。
合間に音立てて唾を呑んだ男を仰ぎ、少年は変なところで外向きに膨らんでいる髪を掻き混ぜた。
江雪左文字を出迎えた後、広間に戻る間際に言われた。本人に悪気はなく、感じたことをそのまま言葉にしたに過ぎないだろうが、今剣が呟いたひと言は、思いの外小夜左文字の胸に突き刺さった。
深く埋め込まれた棘が疼き、チクチクした。
ちょっと顔を合わせた程度で断言は出来ないけれど、左文字の兄弟は、外見に共通点が少なかった。
髪の色、背丈、諸々。僧衣に身を包んでいる点だけが、辛うじて通じ合っている部分だった。
けれど身に着けるものなど、後からいくらでも変えられる。
これまでずっと、自分は小夜左文字だと思って来た。けれど現実には違っていて、そう教え込まれただけの偽物ではないかと、懸念を抱いた。
自分で自分が信じられなくて、確かめる勇気も沸かなかった。
短刀が兄の様子を気にしながら、尻込みして、二の足を踏んでいた理由。
それがようやく理解出来て、歌仙兼定は嗚呼、と頷いた。
「そんなわけ、ないだろう。小夜は、小夜だよ」
「だが」
「第一、兄弟で似ていないのは、君たちに限った話じゃないだろう?」
本丸に居着く刀剣男士は、刀の付喪神だ。現身を与えられ、人の形を得て顕現してはいるけれど、人間とはまったく異なる存在だ。
兄弟と言っても、所詮は刀工が同じなだけに過ぎない。父母の血を半分ずつ継いで生まれてくる赤子のように、外見が似通う道理はなかった。
噛み砕いた説明をして、打刀は日没間際の空に似た色の髪に指を添えた。
この本丸には、他にも兄弟と称する刀がいる。
粟田口は大所帯だし、堀川国広のところも、太刀、打刀、脇差の三兄弟だ。
「似ているかな?」
「あ……」
例を挙げ、問いかける。
訊かれた少年は虚を衝かれたか瞠目し、数秒置いてコクリと頷いた。
顎に手を添え、眉間には皺が寄っていた。渋面を作って首を左右に揺らして、類似点を探してうんうん唸り始めた。
それがなんとも滑稽で、可笑しかった。
「ほら、出来たよ」
比較に没頭するのは構わないが、もう休む時間だ。外は闇に覆われ、月明かりが雪を照らしていた。
外は寒く、空気は冷えている。色々着込んではいるけれど、隙間風は防ぎようがなかった。
小さめの火鉢は、手先を温めるので精一杯。広間にあるような大きめのものは、本丸には数揃っていなかった。
行燈の火が揺れて、畳に伸びる影を濃くした。梟の声はもう聞こえず、狼の遠吠えも響かなかった。
頭をコツンと小突かれて、小夜左文字は首を竦めた。考え事を中断させて恨めし気な顔をして、道具を片付ける打刀に小鼻を膨らませた。
「灯りは、いるかな。小夜なら、慣れているから必要ないかもしれないけれど」
膝から降ろされて、短刀は既に敷いてあった布団へと移動した。ひと組しかないそれには、枕がふたつ、並べられていた。
明らかにひとり用の寝具だけれど、小柄な短刀ならばなんとか潜り込める大きさだ。綿が多めに入れており、その上には打刀の羽織りが広げて重ねられていた。
上に被る物を増やして、寒さを和らげる為だ。もっと寒い日が来れば、もう一枚か二枚、掛けるものが多くなるだろう。
大きめの褞袍で膝まで隠し、小夜左文字は化粧箱を棚に戻す男の背中に首を振った。
歌仙兼定の中では、今宵短刀は兄たちの元へ出向くと、そう決定付けられていた。
そうしてこの先、ずっと、兄弟は兄弟だけで過ごすのだと、信じ込んでいる気配があった。
「いかない」
いくら顕現したばかりとはいえ、江雪左文字は太刀だ。それに彼が与えられた部屋の近くには、大太刀たちの住まう部屋もある。岩融や、今剣が使っている部屋もすぐ傍だった。
小夜左文字が行かずとも、面倒見の良い刀があれこれ世話を焼いている筈だ。一期一振も積極的に話しかけていたし、心配する理由が思い浮かばなかった。
もし出向いたところで、会話が弾むとも思えない。お互い気まずい状態で床に入るくらいなら、顔を見ないまま別々に過ごす方が気楽だった。
「小夜」
さっきから繰り返し言っているのに、どうして了承しようとしないのか。
聞き分けがなっていない打刀に痺れを切らせば、歌仙兼定は空にした両手で床を撫で、膝を折った。
寝間着の裾を整えて座り、短刀に向き直る。表情は困惑気味で、瞳は揺れ動いていた。
睨まれて、気圧されて、膝がもぞもぞ蠢いた。落ち着きない態度は子供じみており、外見にそぐわなかった。
「歌仙」
「良いのか。君は、だって」
「なら、歌仙は。和泉守と一緒に寝るのか?」
「それは、謹んで辞退する。いや、そもそもあれは、僕の弟でも、なんでもない」
兄弟は兄弟で、睦まじくあるべき。
そういう風潮が本丸に、粟田口を中心に存在しているのは、小夜左文字も承知していた。だからと言って、なんでもかんでも行動を共にし、四六時中べったりしているのは、息が詰まった。
あんな風にはなれないし、なりたいとも思わない。
出来るとも、思わなかった。
それに国広兄弟は、それぞれ居室を別にしていた。堀川国広に至っては、和泉守兼定の部屋に居候中だった。
その和泉守兼定は、代を隔ててはいるけれど、そこにいる打刀と同じ兼定の手による刀。しかし指摘された方は嫌そうな顔をして、しかめっ面で吐き捨てた。
信じる理念も、抱く美学も、両者は大きく異なっていた。和泉守兼定が言う格好よさが歌仙兼定には理解不能だし、その逆もまた然りだった。
意見の相違で喧嘩も多く、三日に一度の割合だ。しかも口論では済まなくて、手が出て、足が出るのが常だった。
仲が悪いわけではない。単にお互い、譲れない部分が多すぎるだけ。
兄弟ではない、と言っておきながら、頻繁に兄貴風を吹かせている打刀がおかしい。やり取りを思い返して相好を崩し、小夜左文字は褞袍の上から膝を叩いた。
「僕がいなくなったら、歌仙はひとりだろう」
ぽんぽん、と埃を散らし、訝しむ男に目尻を下げる。
両手を差し出された打刀は腕の力だけで身体を前に運び、両者の膝がぶつかり合う直前、上半身の力を抜いて顔を伏した。
倒れ込めば、小夜左文字は逃げもせず、大きく育った体躯を受け止めた。
肩に寄り掛かる男の背に腕を回し、子をあやす母の面持ちで上下に撫でた。歌仙兼定も遠慮がちに短刀を抱き締めて、優しい手つきに目を閉じた。
「あまり僕を、甘やかさないでくれないか」
誘ったのは小夜左文字だが、抱きついて来たのは打刀の方だ。だというのに棚に上げて文句を言って、それでいながら離れようとしなかった。
意地を張って、拗ねている。
それでいて甘やかされるのは嫌でないのか、どことなく嬉しそうだった。
「ひとり寝は、寒いだろう」
「否定はしないでおくよ」
そんな男の髪を梳いて、短刀は藤色に頬を寄せた。擦り付けるように首を揺らして、口元に触れた柔い毛先にそっと唇を押し当てた。
数本を食み、鼻先を埋め、仄かに香る匂いに鼻を鳴らした。
衣服に焚き染めている香とは異なる、彼自身の匂いをいっぱいに吸い込む。唾と混ぜて飲み込んで、ほう、と安堵の息を吐く。
肌を触れ合わせた場所から熱が迷い込んで、心地よく、悪い気はしなかった。
「歌仙は、温かいな」
「小夜こそ、温かい」
冬場の寒さをしばし忘れ、夢うつつに囁いた。即座に合いの手が返されて、腰に回った腕がぎゅう、と窄められた。
輪の中に閉じ込められて、逃げ場がない。今更気が変わったとしても行かせない、そんな意識が読み取れて、可笑しくてならなかった。
「明日も早いだろう?」
「そうだね。ひとり、増えたことだし」
髪は乾き、寝入る準備は完了した。後は寝床に入り、空が白むのを待つばかり。
朝餉の支度は交代制で、明日は歌仙兼定の番だ。小夜左文字も当然早起きし、手伝う約束だった。
「美味しいものを、沢山、作ろうか」
「分かった」
掛布団と羽織りを一緒に捲り、団子状態のまま寝床に転がり込む。ごろん、ごろんと上下を入れ替えながら伏して、掛布団を引っ張り上げたのは小夜左文字だった。
打刀の手は枕元に伸び、部屋を照らしていた行燈の戸に指を引っ掻けた。中の火を有明行燈に移し替え、大元の火は吐息で吹き消し、周囲を一気に暗くした。
油皿を手探りで行燈に戻して、ごそごそと身じろぐ。その間に小夜左文字は定位置について、枕に頭を置き、首との間に挟まった髪を追い払った。
「今晩も冷えるね」
「ああ」
首まですっぽり布団を被り、男が小さく呟く。
少年は背を丸めて首肯して、温かな熱に手を伸ばした。
2016/03/04 脱稿
おぼつかな何の報いの還り来て 心せたむるあたとなるらん
山家集 恋 678