吉野は里に冬籠れども

 それが本丸に現れた日、屋敷の中はちょっとしたお祭り騒ぎだった。
 南側にある庭に面した、最も日当たりが良い大広間。若草色も鮮やかな畳が敷き詰められた和室の真ん中にどん、と置かれたのは、角材を用いて作られた四角い櫓だった。
 高さは二尺に満たず、奥行きは三尺あまり。やや平べったい方形をして、補強の目的で筋交いが施され、鎹が打ち込まれていた。
 やや厚みのある底板が取り付けられ、天板部分は升目状に木材が配置されいた。その中央部分は特に丁寧に作り込まれており、一画には蝶番が取り付けられていた。
 中になにかを入れる目的だろうがあると、それだけで推測が可能だった。しかし角材同士の隙間は広く、小さなものだと簡単に転がり出てしまえそうだった。
 ちょっと見た程度では、何に使うのかさっぱり分からない。けれど一部の刀たちはピンとくるものがあったらしく、既に顔が綻んでいた。
 これを作ったのは、意外にも御手杵だった。もっとも設計図を描き、指示を出したのは蜂須賀虎徹だったが。
 櫓とはいえ、物見台のような大きなものではない。短刀が腰かける台座としてはやや大きいくらいで、大太刀が座れば瞬時に壊れる代物だった。
 そんなものを、いったい何に使うのか。
 胡乱げな表情で見守る仲間を前に、金銀刺繍が派手な着物を纏った打刀は、得意げな顔で胸を張った。
「これに、この炉を入れるだろう?」
 大柄な槍を手足のように操り、指示を出して、自らは動かない。
 けれど御手杵には格別不満はないようで、言われた通り木組みの櫓の内部に、粘土を焼いて作った大碗を入れた。
 素焼きの簡素なものだけれど、熱に対しての耐性はそれなりに強い。狸の腹を思わせる丸くでっぷりとした形状のその底部には、拳ほどの大きさの石が数個、敷き詰められていた。
 事情を知らない短刀たちは興味津々で、背伸びをして覗き込んでいた。小夜左文字も例外ではなくて、粟田口の面々に挟まれながら、小さな体を懸命に伸ばしていた。
「蜂須賀さん、こんなのでいいですか?」
「ああ、堀川国広。助かるよ」
 その後方から明るい声が響いて、大広間が一瞬ざわめいた。もれなく柔らかなものに頭を叩かれて、横一列になっていた短刀たちは一斉に振り返った。
 しかし大きな目を丸くしても、視界が塞がれていてなにも見えない。
「わぶっ」
 真横で五虎退の悲鳴が聞こえて首を竦め、小夜左文字は肌触り良い布地に眉を顰めた。
 布団だ。
 それもふかふかしており、柔らかかった。薄くだが綿が入っているようで、これで眠ればさぞや心地良かろうと思われた。
 季節は冬に突入し、既に雪が降り始めていた。
 陶器製の火鉢は大広間の片隅に鎮座して、炭の火は昼夜を通して絶えることがなかった。
 雪が降り積もり、庭は白銀に染まっていた。年中緑が鮮やかな松の木も、この時ばかりは猫背になる。枝からはバサリ、バサリと塊が落ちて、子供たちが作った雪だるまが、まるでこけしのようだった。
 吐く息は白く濁り、朝晩の冷え込みは殊に厳しい。日中でも寒くてならず、刀たちの動きは俊敏さを欠くようになった。
 特に年季が入った太刀に、その傾向が強く表れた。
 鶴丸国永など、ここ最近は一日中布団の中だ。もしくは火鉢の前に陣取って、梃子でも動かなかった。
 全体的に曇り空が多く、晴れても薄日が差す程度。積もった雪はなかなか溶けず、屋根が潰されないようにと、雪かきが欠かせなかった。
 そういう状況でありながら、この本丸には暖房器具が異様に少なかった。
 火鉢は広間にあるそれひとつきりで、後は持ち運びが可能な手あぶり火鉢が数個のみ。残るは懐に入れる懐炉を、各自持っている程度だった。
 暖を欲して、台所に来る顔ぶれは一気に増えた。竈の火の番を進んで買って出て、顔を真っ黒にする刀は大勢いた。
 誰もが冬の寒さに身を凍らせ、背筋を震わせていた。出不精が増えて、遠征任務さえ滞る有様だった。
 そういう状況を、なんとか打破しようと考えたのだろう。
 綿入りの布団を抱きかかえた堀川国広に、派手好みの蜂須賀虎徹は満足げに微笑んだ。
 無造作に結った長い髪を揺らし、男が嫣然と目を細めた。短刀たちの隙間を抜ける形で脇差の少年が前に出て、その後ろには襷を絞めた和泉守兼定が続いた。
 彼もまた、三つに折り畳んだ布団を抱えていた。
「何をする気だ?」
「あ、僕、分かっちゃったかも」
 薬研藤四郎が訝しげに眉を寄せ、五虎退が嬉しそうに声を弾ませた。両手を胸の前で叩き合わせて、小柄な短刀は目元を綻ばせた。
 首を竦めて笑っている弟に、大人数の兄弟を取り仕切る短刀は益々変な顔をした。顎を撫でて眉目を顰め、着々と進む作業に意識を傾けた。
 そんなやり取りを横目で眺めて、小夜左文字は縁側から伸びる影に顔を上げた。
「歌仙」
「ほら。これでいいのかな」
 やって来たのは、藤色の髪をした打刀だった。
 銅製の、取っ手のついた鍋を握っていた。台所でも頻繁に使っている道具を手に、彼は集まる面々に首を傾げた。
 十能といって、火を熾した炭を運ぶのに使う品だ。内側には黒色の、鉄で作られた火熾し器が収められていた。
 薄く煙が棚引いており、中に火の点いた炭が入っているのは間違いなかった。わざわざ台所から運んできたらしく、傾けないよう支えている腕が小刻みに震えていた。
 頼まれただけで、何に使うかは彼も知らないらしい。本丸にいる刀たちのうち、半数近くが勢揃いしている光景に渋面を作って、打刀は木製の取っ手を脇差に委ねた。
「すみません、歌仙さん。ありがとうございます」
「それは構わないんだけどね。しかし、いったい何の騒ぎなんだい。これは」
 重い荷物から解放されて、歌仙兼定は手首を揉んで慰めた。疲労を訴える身体を宥めて肩を回し、座敷の真ん中に置かれた木枠にも口を尖らせた。
 その拗ねているようにも見える表情を、布団を積み重ねていた和泉守兼定が不遜に笑い飛ばした。
「なんだ、二代目。知らねえのか?」
「……そういう君は、どうなんだ」
 喜色満面に白い歯を覗かせて、背高の打刀が人を馬鹿にする笑みを浮かべた。もれなく歌仙兼定はムッとして、険を強めた眼差しを投げ返した。
 だが今回は自信があるようで、和泉守兼定は怯まない。鼻高々と胸を張り、偉そうに腕を組んだ。
「こいつはなあ、聞いて驚け」
「炬燵ですよ」
「って、おい。国広ぉ!」
 だが彼の独壇場は、呆気なく幕引きとなった。得意になって言い放とうとした傍で、脇差の少年が明るく弾んだ声を響かせた。
 折角二代目兼定の刀相手に自慢出来たのに、言わせてもらえなかった。
 台詞を横取りされた。あまりにもあんまりな展開に大声で抗議して、頬を膨らませた和泉守兼定だったが、慣れているのか堀川国広は平然と聞き流した。
 歌仙兼定から引き受けた十能を両手で持ち、彼は木組みの四角い枠の前でにっこり目を細めた。まるで悪びれる様子なく相好を崩して、皆が見守る中、茶色い陶器の炉に炭を移し替えた。
 灰が落ちないよう注意しつつ、細かく砕いた塊を火箸で操る。向こうで相方が地団太踏んでいるというのに無視を貫き、手早く作業を済ませて立ち上がった。
 入れ替わりで前に出たのは、蜂須賀虎徹だ。彼は長い袖の袂をちょっと摘むと、伸ばした手で蝶番で繋がった扉を閉めた。
 大袈裟にも見える木枠の中で、炭が赤々と燃えていた。まるで牢に入れられている風にも見えて、様相は不可解だった。
 これに手をかざせば火鉢同様、暖がとれる。だというのに木枠が邪魔で、それより内側に手が伸ばせなかった。
 もしやこの升目ひとつひとつに、腕を差し込めというのか。
 初めて目にする道具に疑問符を抱く刀たちの前で、蜂須賀虎徹は目を閉じて人差し指を揺らした。
 チチチ、と舌を鳴らして注目を集め、察しが悪い男たちを居丈高に見下ろす。
 そういう態度が癪に障るのだが、知りたい気持ちを抑えきれない。仕方なく文句はぐっと飲み込んで、刀剣男士一同は次の言葉を待った。
 不満と期待が入り乱れる中、虎徹の真作はまだ悔しがっていた和泉守兼定を呼んだ。御手杵にも新たな指示を出して、運ばれて来たばかりの布団を広げさせた。
「これを、こうして。ここに、被せる」
 そうして短い方の端を持たせ、櫓を隠すように被せた。真ん中で二枚が重なるようにして、木枠全体を布で覆い尽くした。
 赤色の派手な柄が表に来て、その隣に生成り色が並んだ。両者があまりに違い過ぎて違和感が拭えなかったが、これで櫓炬燵の完成だった。
 本来は布団一枚で足りるのだが、ここ本丸で暮らす刀の数は多い。なるべく皆で温まれるよう、大きめに作ったが故の、二枚使いだった。
 布団があるので、炭火で温められた空気は逃げない。布自体も熱を持つので、これに下半身を入れると、とても温かい。
 熱々の炉に爪先が当たれば火傷をするが、手前にある櫓が防御壁代わりになるので、その心配は軽減された。思い切り足を延ばせないのが難点ではあるが、贅沢は言っていられなかった。
「切炬燵が出来れば、一番よかったんだけどね」
「座敷に穴開けんのは、ちょっとなー」
 構造と使い方を簡単に説明して、蜂須賀虎徹は最後に肩を竦めた。隣で聞いていた御手杵も同意して、畳敷きの床を撫でた。
 彼の背丈では、この櫓炬燵は少々窮屈で、使い難かった。
 床より一段低い囲炉裏があれば、その上に櫓を設けて暖を取るのが可能だった。ただ残念なことに、この屋敷にはそういった構造の部屋が用意されていなかった。
「えーっと、つまりは……」
「物は試しだ。入ってみたまえ、鶴丸国永」
 分かっている者たちだけで語らわれて、置いてけぼりを食らった太刀が首を捻った。それで蜂須賀虎徹はひょい、と布団の端を持ち上げて、寒がりの男を手招いた。
 誰よりも暖かそうな格好をしている癖に、この太刀の寒がりようは群を抜いていた。そういう事情もあって実験台に選ばれた男は、左右からの注目を一斉に集め、嬉しそうに頷いた。
 日々驚きを追い求める鶴丸国永だが、雪が降った初日に短刀より大はしゃぎして、一度体調を崩していた。
 それが尾を引く格好で、寒がりに拍車がかかっていた。まだ冬は始まったばかりだというのに、布団に包まって丸くなる姿は、先行きを不安にさせるに充分だった。
「それじゃあ、ちょっと失礼するぞ」
 本丸の代表として前に出て、蜂須賀虎徹から布団の端を譲り受ける。櫓に当たらないよう注意しつつ膝を折って座り、その上に持ち上げていたものを落とした。
 皺を伸ばして布を撫で、猫背気味に姿勢を作る。もぞもぞ何度か身じろいで、何をするかと思えば、背に垂らしていた頭巾をおもむろに頭に被せた。
 その間、彼はひと言も発しなかった。
 良いとも、悪いとも口にしない。ただ居心地の良い体勢を探してあれこれ試し、大勢が息を飲んで見守る中、やがて太刀はごろん、と猫のように横になった。
「……え?」
 いきなり倒れられて、部屋の中がざわめいた。
 どうしたのかと、短刀は互いに顔を見合わせた。子供たちが心配そうに表情を曇らせる中、男は頭巾の端を持ち上げ、不安げにしている蜂須賀虎徹を凝視した。
「どうだ?」
「……やばい」
「は?」
 恐々感想を聞けば、ぽつりとひと言、返された。
 それがどのような意味合いで発せられたのか、咄嗟に理解出来ない。切れ長の眼をパチパチさせて、打刀は裾を揃え、しゃがみ込んだ。
 もっと詳しく聞かせてくれるよう眼差しで訴え、具合が悪くなったのかと手を伸ばす。
 その無骨で長い指を、掻っ攫って。
 そして。
「まずいぞ、蜂須賀虎徹。こいつは、ありえない。恐ろしいまでの驚きだ。俺は――冬が終わるまで、一生ここから出ないぞ!」
 がばりと勢いよく起き上がって、白髪の太刀は力強く宣言した。
 素晴らしい品を提供してくれたと喜んで、琥珀色の瞳は眩く輝いていた。寒さから青白かった肌には血色が戻り、喜色満面として、恍惚に染まっていた。
「は、あ?」
「いやあ、素晴らしい。なんていうものがあったんだ。こんな驚きがあったなんて、知らなかったぞ。ああ、俺は夢を見ているんじゃないだろうな」
 鼻息荒く、声を大にして叫ぶ。言い終えた後は熱を宿した布団に顔を埋めて、幸せそうに頬ずりする。
 うっとりと夢見心地に囁いて、放っておいたら櫓に抱きつきそうな雰囲気だった。
 未だかつて、こんな鶴丸国永を見たことがあっただろうか。火鉢の前でガタガタ震えている姿ばかり目撃されていただけに、場に居合わせた刀たちは揃って呆気にとられ、ぽかんとなった。
 そんな中で、ひと振り。
「独り占め、はんたーい!」
 右手を挙げて前に出た刀がいた。
「俺も、炬燵でぬくぬくしたーい」
「あ、狡いぞ。清光」
 加州清光が声高に叫んで、鶴丸国永の斜め向かいに滑り込んだ。赤色の絵柄も派手な布団を捲り上げて、隙間が出来ないよう突っ込んだ脚の周囲を叩いて凹ませた。
 しかし塞いだばかりの穴を穿つ形で、後を追った大和守安定が割り込んだ。横に押し出された打刀は至極嫌そうな顔をして、肘鉄でやり返したが通じなかった。
「は~、あったか~い」
 満面の笑みを浮かべて呟いて、右隣からの攻撃などどこ吹く風とやり過ごす。猫背を強めて櫓の角に額を預け、ゴロゴロと首を振る姿は猫を連想させた。
 真横に陣取られて不満げな加州清光ですら、布団から出て櫓炬燵から離れようとしない。鶴丸国永など完全にここで眠る気で、目を瞑って横たわる表情はいたくご満悦だった。
「僕、炬燵、大好きです」
「あ、おい」
 五虎退も声を弾ませ、空いている場所に潜り込んだ。薬研藤四郎は慌てたが、引き留める間もなく、秋田藤四郎や前田藤四郎たちも炬燵へと詰めかけた。
 それを見て、遠巻きに様子を探っていた刀たちも動き出した。なんとか入れる場所を探して、時に肩がぶつかる窮屈さに耐えながら、櫓炬燵がもたらす温かさを体感していった。
「こいつは……」
「確かに、こりゃやべえぞ」
「ぬくぬくです~」
 最初は半信半疑だった面々だが、見る間に認識を改めた。感嘆の息を漏らし、稀に見る幸福を享受して、蕩けるような笑顔を浮かべた。
 頬のみならず全身を弛緩させ、爪先から染み込んでくる温かさに微睡む。鶴丸国永からは早々に寝息が聞こえ始めて、加州清光もこっくり、こっくり舟をこぎ始めていた。
「これは、すごいな」
 ある程度人が集まり、動かなくなるとは想像していた。
 けれどここまでの集客力があるとは、予想以上だった。
 結果を確かめるべく見守っていた蜂須賀虎徹は素直に驚き、御手杵は自分が作ったものの人気ぶりに満足そうだった。一方和泉守兼定は完全に出遅れて、自分が入る隙間がないのにお冠だった。
「てめえら、どけ。俺が入れねえだろうが」
「残念でした。早いもの勝ち」
 炬燵作りで働いた分、優遇されて然るべき。そう主張する打刀だったが、大和守安定は耳を貸さなかった。
 眠りを誘う優しい温もりは、手放し難い。たとえ功労者であろうとも譲れないとの言い分に、後ろで聞いていた御手杵は苦笑するしかなかった。
「てか、あんたって布団運んだだけだろ?」
「兼さん、釘を打とうとして、指叩いてたもんね」
「国広ぉ!」
 櫓を作ったのは御手杵であって、和泉守兼定は見ていただけ。面白がって手伝おうとしたけれど、初っ端で痛い思いをしてしまい、二度と触らせてもらえなかった。
 恥ずかしい失敗談を大勢の前で暴露されて、格好よさが自慢の男の顔がみるみる赤くなっていく。
 彼の不器用さは、本丸内で知らぬ者はない、というくらい有名だった。刀装作りでもよく失敗しており、貴重な資源が彼の所為で幾つも無駄になっていた。
 堀川国広は本当のことを口にしただけで、本人に悪気はない。しかし言われた方は堪ったものではなく、炬燵に陣取る刀からも、どっと笑い声が湧き起こった。
「やれやれ。君は、どうしてこう」
「うぅ、うっせえ!」
「あ、待ってよ。兼さん」
 挙句歌仙兼定にも呆れられて、ついに耐えられなくなった。癇癪を爆発させて、短気な刀は逃げるように駆け出した。
 自分が元凶であるとも知らず、堀川国広が追いかけようとして、手に持ったままのものを思い出した。中身が空になった十能に戸惑っていたら、見かねた歌仙兼定が手を伸ばし、火箸も含めて一切を引き受けた。
 感謝の意を込めて頭を下げた脇差を見送り、本丸で最も古株の打刀が柔らかく微笑む。若干の呆れを含んだ眼差しは、縁側から座敷に向けられた後も変わらなかった。
「歌仙」
「やあ、小夜。君は、良いのかい?」
 大勢が一斉に押しかけて、炬燵櫓の周囲には人垣が出来ていた。せめて片足だけでも、と足掻いている者までいて、傍目から見る光景はかなり滑稽だった。
 そういうものに混じる気は、この打刀にはさらさらないらしい。随分軽くなった十能を片手に揺らし、歌仙兼定は傍に来た短刀に目尻を下げた。
 小夜左文字もまた、出遅れたひと振りだった。
 躊躇している間に、布団が埋まってしまった。少しでも多く布を被ろうと引っ張り合いが発生しており、あの中に混じるにはかなり勇気が必要だった。
 見苦しい争いに参加するくらいなら、大人しく引き下がった方が良い。そういう判断をした短刀に苦笑して、歌仙兼定は役目を終えた火箸を丸火鉢の灰に突き刺した。
「入って行かないのかい? 残念だ」
「また今度だね。昼餉の片付けが、終わっていない」
 押し合いへし合い、暖を取り合う姿は猿団子に似ている。蜂須賀虎徹に言われて肩を竦め、歌仙兼定は謹んで辞退を申し得た。
 いくら大きめに作ったとはいえ、本丸で暮らす刀全員では入れない。あとふたつか、みっつ、同じものを用意しないと、一部の刀で独占されてしまうのは不公平だ。
 その懸念は、炬燵を作る時点で既にあった。
「すぐに二つ目に取り掛かろう」
「だな」
「期待しよう」
 蜂須賀虎徹の言葉に、御手杵が深く頷く。やり取りを聞いていた歌仙兼定は静かに声援を送って、手持無沙汰にしている短刀の頭を撫でた。
「……なに」
「いいや」
 突然髪を梳かれ、小夜左文字が胡乱げに眉を寄せた。それで利き手を引っ込めて、打刀はゆるゆる首を振った。
 藍の髪の少年は、気が付けば目で炬燵近辺の光景を追いかけていた。
 今は諦めたものの、興味はあるらしい。場所の取り合いをしつつ、仲良く会話を繰り広げている仲間たちに、視線は釘づけだった。
 本音をあまり口にしない少年ながら、行動は素直だ。
 分かり易いと微笑んで、歌仙兼定は台所へ戻るべく縁側に足を繰り出した。
 食器の片付けと、夕餉の下ごしらえがまだ終わっていない。それが完了しないことには、炬燵で微睡むなどもっての外だった。
「手伝う」
「すまないね、ありがとう」
 人手は、いつだって足りない。
 台所当番の苦労は、小夜左文字も承知していた。猫の手でも借りたかろうと、少年は慌てて打刀を追いかけた。
 小走りに距離を詰めて、横に並んだところで歩みを揃える。もっとも足の長さが違うので、短刀は小刻みに身体を揺らさなければならなかった。
 忙しく上下に振れる髪を一瞥して、歌仙兼定はこみあげてきた笑いを堪えた。
 小夜左文字の髪質はかなり強情で、癖があった。高い位置で結えば、跳ねた毛先が左右に割れて、さながら芽吹いた直後の双葉だった。
 真っ直ぐ真下へ向かって落ちていく髪質の、蜂須賀虎徹とは大違いだ。だが歌仙兼定も真っ直ぐなようで緩く湾曲しており、長く伸ばせばそこの短刀と同じになりかねなかった。
 あれこれ屋敷の仕事をする時は、邪魔だからと前髪だけ結い上げている。扱う量は少なく、短いので特に問題を感じないが、長くなったらなったで、手入れが面倒臭そうだった。
 ひょこひょこ飛び跳ねている毛先が面白いのだが言わずに済ませ、男は咳払いで心を落ち着かせた。深呼吸して唇を舐めて、まだ騒がしい後方を一度だけ振り返った。
「これで、台所が静かになるかな」
「手伝いが、減らないか」
「不慣れな連中に任せるよりは、ね」
 竈の火を目当てに押しかけて来た連中は、雪が降るまで台所に足を踏み入れたことがない刀ばかりだった。
 入ったとしても、食べ物を探す目的で、だ。自ら料理をしようだとか、そういう考えがあって訪ねて来る刀は殆どいなかった。
 そんなだから竈の扱いに慣れておらず、火加減の調整も下手だった。釜が噴きこぼれているからと蓋を外して、炊いている途中だった飯を台無しにされたことまであった。
 そういう過去があるから、歌仙兼定の意見は厳しい。手伝いという名目で邪魔されるのは、短気な刀には我慢ならないようだった。
 淡々と吐き捨てた男の横顔を見て、小夜左文字は和泉守兼定を思い浮かべた。
「ふふ」
 あの刀も、堀川国広に張り付いて、よく台所に顔を出した。
 だが生来の不器用さが祟って、役に立った記憶はあまりない。豆の莢剥きさえまともに出来ず、いつも歌仙兼定を苛立たせた。
 どんなに怒られてもへこたれず、失敗しても諦めない姿勢は素敵だ。けれど迷惑を蒙る側からすれば、少しは限度を覚えて欲しいとも思う。
 和泉守兼定の努力を認めてやりたいところだけれど、歌仙兼定の心労も理解出来る。
 どちらに味方しようか悩んで、小夜左文字は控えめに笑った。
「おや」
 その声を拾って、打刀が珍しいものを見たと目を丸くした。
 向けられた不躾な視線に、少年は一瞬きょとんとなった。そして直後に我に返り、口元にやっていた手を背中に隠した。
 なにも可笑しなことはしていないのに、気恥ずかしげに顔を伏して、足取りも緩めた。照れ臭そうに身を捩って歌仙兼定の背後に回り、廊下を行く彼の視界から隠れようとした。
 追いかけて振り向けば、動きに追随して逃げられた。常に真後ろに張り付く形を維持して、執拗な追撃を躱し続けた。
 歌仙兼定も意地になって、是が非でも顔を見てやろうと躍起になった。そうなれば必然的に、ふたりして縁側の角でくるくる回ることになって、たまたま通りかかった鳴狐には変な顔をされてしまった。
「おふたりとも、何をしておられますか」
「あ、いや。気にしないでくれ」
 肩に乗っている狐、並びに本体からは仕草と視線でなにをしているか訊かれ、咄嗟に答えられなかった。曖昧に誤魔化そうとすれば、まるで猫が自らの尻尾にじゃれているようだったと、率直且つ的確な感想を告げられた。
 滑稽な真似をしたと自覚して、顔が熱くなった。
 小夜左文字までカーッと頬を染めて黙り込んで、湯気のような白い煙が見えるようだった。
 楽しそうでなによりとまで言われ、穴があったら入りたかった。耐えきれずに片手で顔を覆って、歌仙兼定はちらりと傍らを窺った。
「……なに」
「いいや」
 すると思いがけず目が合って、低い声で問い質された。けれど格段意味があったわけでもなくて、言葉を濁すしか術がなかった。
 火照った肌を擦り、変に上がった体温に手で顔を扇ぐ。だが微風さえ産まれなくて、熱はいつまでもそこに留まり続けた。
 これなら真冬でも、炬燵はいらない。
 刀たちがもみくちゃになっていた光景を思い出して、細川の打刀は深く息を吸い込んだ。
 内側から冷まそうとして、ついでに心も落ち着かせる。最中に胸に手を添えれば、下方から鋭い視線が感じられた。
「小夜?」
「……別に」
 立ち止まって深呼吸している間も、彼はそこから動かなかった。先に台所にいくなり、予定を変更して別の場所に出向くのだって可能なのに、歌仙兼定を待ち続けた。
 名前を呼べば、空色の眼はふっと逸らされた。それでいながら暫くすれば、また上向いて昔馴染みの男を映した。
 炬燵を気にしていた時と同じだ。関心ないという体を装っておきながら、本音が隠し切れていなかった。
 無口で無愛想ではあるけれど、所々で短刀らしい愛くるしさが零れ落ちる。普段は無理をして大人びようとしている雰囲気が滲み出ており、不意を突いて溢れる子供らしさとの対比が、堪らなく愛おしかった。
 小夜左文字の方が年上であるのも忘れて、打刀が顔を綻ばせる。
「皆がいなくなった時にでも、入ってみようか」
「歌仙?」
「気になるんだろう、炬燵が」
「う」
 今はまだ物珍しさが付きまとっているけれど、そのうち飽きる者も出てくるだろう。
 遠征任務や出陣と、本丸を出ている刀剣男士たちもかなりの数になる。大勢が出払っている時を狙えば、爪先を突っ込むくらいは、出来るはずだ。
 小夜左文字は冬場でも、基本は素足で過ごしていた。
 さすがに薄着過ぎるので、袈裟ではなく褞袍を着ているものの、足元から来る冷気は防げない。小振りの足は霜焼けで赤く膨らんでおり、毎晩のように歌仙兼定が、湯に浸して揉んでやっていた。
 あの炬燵を使えば、その必要もなくなる。
 専用のものが作れないか、蜂須賀虎徹に相談してみよう。そんな事を考えて、歌仙兼定は赤みが強まったふくよかな頬に相好を崩した。
「あれが小夜にも行き渡れば、僕は御役目御免かな」
 小夜左文字は夜間、歌仙兼定の部屋で休む。ひと組しかない布団に割り込んで、その腕に包まれて眠るのが習慣だった。
 もうずっと、それが当たり前の生活だった。本丸に来てすぐの時に、ちょっとした騒動の果てにそうなって、以後ずるずる続いていた。
 けれどもう、終わりだ。冬場に入り、前にも増して相手に密着して眠るのは、暖を取る目的だった。
 他に温まる方法があるのなら、そちらの方が良いに決まっている。
 抱き枕ならぬ、抱き行火役は必要なくなる。呵々と笑って手を振った歌仙兼定に、小夜左文字は身震いと同時に膝をぶつけ合わせ、物言いたげに口をもごもごさせた。
 瞳は宙を彷徨い、安定しない。だが彼が切り出すより早く、歌仙兼定は台所へ急ぐべく、背中を向けた。
 それを、後ろから。
「うっ」
 ドスッ、と小柄な塊に体当たりされて、打刀は転びそうになったのを必死に堪えた。
 滑りやすい足袋で懸命に踏ん張って、肩幅以上に足を広げてどうにか姿勢を保つ。十能の中で鉄製の火熾し器が躍って、あと少しで外に飛び出るところだった。
 あんなものが爪先に落ちようものなら、骨の一本や二本、軽く真っ二つだ。
 そんな情けない理由で、手入れ部屋には行きたくない。ほっと安堵の息を吐き、歌仙兼定は細長い持ち手部分を両手で握りしめた。
 緊張で強張った上腕二頭筋をプルプルさせて、腰を捻れば藍色の頭が見えた。背中にしがみついて顔を埋めているらしく、どんなに頑張っても、小夜左文字の表情は見えなかった。
 腰に回された腕は細いながら力が強く、ぎゅうぎゅうに締め付けられて痛かった。さすがに引き千切られはしないけれど、圧迫されて苦しく、内臓は悲鳴を上げていた。
 あまり長時間こうしていたら、細胞が壊死してしまう。
 血の巡りが悪くなっているのを実感して、打刀の男は青くなった。
「小夜?」
 急に飛びつかれる原因が分からず、声は自然と裏返った。音量も大きくなって、素っ頓狂な悲鳴が庭先に響き渡った。
 音波を浴びてか、松の木の枝から雪の塊が落ちた。バサバサ、と風流とは言い難い音色に眉を顰め、彼は抱きついて離れない短刀に目を白黒させた。
 無理に引き剥がすのは躊躇が勝り、為す術がない。行き場を失った左手を揺らめかせ、男は最終的に、ぽん、と丸い頭を撫でた。
「どうしたんだい、急に」
「……が、いい」
「うん?」
 ひとまずこの束縛を緩めて貰おうと、宥めるように撫でてやる。
 後頭部の形をなぞりながら指先を動かしていたら、少しは気が済んだのか、腕の力が僅かに緩まった。
 同時に呻くような小声が聞こえ、歌仙兼定は首を傾げた。
 聞き取れなくて、眉間に皺が寄った。返事が出来なくて戸惑っていたら、小夜左文字も声が小さかったと自覚したらしく、ゆるゆる首を振って息を吐いた。
 完全に解放はせず、顔を上げる。
 しがみつかれたまま睨まれて、打刀は空色の双眸にぐっ、と息を飲んだ。
 甘えるような、拗ねているような、複雑な彩だった。
 怒っているように見えて、寂しがっている風にも映った。悔しさを堪えているように感じられ、悲しんでいる雰囲気だった。
 色々な感情が入り乱れ、混ざり合っていた。
 ひとつに定まらず、感情が簡単には計れない。どう対処するかの判断がつかなくて、歌仙兼定は不自然な体勢で凍り付いた。
 片手で十能を持ち、もう片手は中空を漂った。腰を軽く捻り、足は前後にずれていた。
 今にも倒れそうで、ぎりぎりそうならない。二度と真似できない絶妙な塩梅で姿勢を保って、男は二度、喉を上下させた。
 沈黙が流れた。
 無言のまま見詰め合って、先に目を逸らしたのは小夜左文字だった。
「歌仙の、方が。……あったかい」
 そうしてぽつりと、消え入りそうな声で囁いた。
 蚊の鳴くような小声で、恥ずかしそうに。ゆっくり後方に体重を移動させて、拘束を解きながら。
 袴に出来ていた皺が薄れ、華奢な腕がするりと逃げて行った。固く結ばれていた指は空を掻き、細身の背中へと隠された。
 俯いて、顔が見えない。
 だが藍の髪から露出する耳は、柘榴の実よりも真っ赤だった。
「さ、よ?」
 一瞬、夢を見ている感覚に陥った。
 聞き間違いではないかと疑って、名を呼ぶ声が上擦った。息が詰まって変に途切れてしまい、焦っていたら鋭い眼差しで睨まれた。
「歌仙が嫌なら、もう行かない」
 口を尖らせ、頬を膨らませて。
 素っ気なく吐き捨てられたひと言に、打刀は騒然となった。
「なっ、まさか。僕だって、君がいてくれれば充分に決まっている」
 雷が落ちたかのような衝撃を受けた。慌てて胸を叩いて捲し立てて、身を屈めて距離を詰めた。
 身体ごと振り返り、声高に叫んだ。十能を持ったままの、あまり格好いいとは言えない状況で、必死になって短刀に訴えかけた。
 勢いをつけすぎて、唾が飛んだ。下唇が濡れてしまって、みっともなさに慌てて口を覆っていたら、惚けた顔の少年が、数秒してから控えめに噴き出した。
 春先、雪の重みに耐えていた花が綻ぶかのように。
 固かった蕾が膨らみ、鮮やかな色彩を奏でて花弁が一斉に広がるように。
「じゃあ、いい」
 嬉しそうに言って、はにかんだ。
 光が弾けた。
 雲間から薄日が差して、白銀に染まる庭がきらきらと輝いた。
 見惚れていた。
 動けなかった。
 瞬きさえ忘れて、歌仙兼定は呆然と立ち尽くした。
 冬は寒い。だからみんなで肩寄せ合って、互いの熱で温まる。
 だけれど炬燵を囲む輪に、加わりたいとは思わない。あんな風におしくらまんじゅうしなくても、小夜左文字は――歌仙兼定は、互いが在れば充分だった。
 茫然としたまま、藤の髪の打刀は音もなく口を開閉させた。息苦しさに負けて背筋を伸ばし、長く留めていた呼気を吐き出した。
 胸がぎゅうっと締め付けられた。鼓動はトクトクと、小走りに、早鐘を打つが如くだった。
 小夜左文字は両手を背中で結んで、意味もなく身体を左右に捩った。爪先で床を蹴っては踵を擦り合わせ、何をきっかけにしてか、ぴょん、と跳ねると同時に駆けだした。
「小夜」
「竈の火、熾してくる」
 斜めに跳んで、傍らを掻い潜られた。すれ違いざまに早口で告げられて、動きを目で追いつつ、歌仙兼定は瞬きを繰り返した。
 睫毛を震わせ、伸ばしかけた手を引っ込める。空を撫でた指は口元に辿り着き、遅れてかあぁ、と熱が走った。
 ぼっ、と火が点いたようだった。
 緩く曲げた指の背を唇に添えて、打刀は雪さえ融かす高熱に身悶えた。
 嬉しかった。
 小夜左文字があんなことを考えて、感じていたと知れたのが、堪らなく嬉しかった。
 心が震えた。
 あまりにも幸せで、涙が出そうだった。
 鼻を啜りあげ、薄ら濡れた目尻を拭う。感嘆の息を吐いて弾む鼓動に頬を緩め、歌仙兼定は直後。
 首筋へ走った銀閃に凍り付いた。
 スッと、音もなく突きつけられた。
 薄皮一枚、痛みもないまま切り裂かれた。
 つい、と赤い血がひと筋、肌から滴り落ちた。生温い液体が頸部を伝って、その微熱が夢見心地だった男を現実へと引き戻した。
 振り向くのは、自ら刃に刺さりにいくのと同じ。
 自殺行為と懸命に己を制して、男は背後から立ち上るどす黒い気配に四肢を粟立てた。
 脂汗が滲んだ。
 先ほどまでとは違う理由で、全身が燃え盛るくらいに熱かった。
 頬がヒクリと引き攣った。体温が上がって血の巡りは良いというのに、一斉に血の気が引いて、歌仙兼定の顔面は真っ青だった。
 鋭い切っ先が、右頬のすぐ下にあった。二度の再刃など感じさせない怜悧さを内包して、いつでも首を落とせる位置に佇んでいた。
「こっ、これ、は。随分と、……御無沙汰で」
 少しでも動けば、彼の身体はふたつになる。
 押し寄せる恐怖に抗いながら、細川の打刀は必死に声を振り絞った。
 状況に相応しいとは言い難い挨拶をして、どうにか振り返ろうと瞳を片側に寄せた。聞かずとも分かる相手に両手を高く掲げて、降参を表明して命乞いを試みた。
 けれど、伝わらない。
 通じない。
「ひっ」
 ズッ、と二寸ばかり刀が前に出て、半寸引き戻された。たったそれだけの事なのに惨めに悲鳴を上げて、歌仙兼定は歴史修正主義者より余程恐ろしい相手に冷や汗を流した。
 どうして彼が、此処にいる。
 普段は屋敷の奥にある部屋から一歩も出ようとせず、母屋には滅多に顔を出さないというのに。食事だって他の刀とは別で、毎日せっせと弟に運ばせているような刀なのに。
 それが、何故。
 よりによって、今。
「弟が随分と世話になっているようですね、歌仙兼定。その首、頂戴しても宜しいか?」
 細川の打刀に見えないところで、魔王の刻印を持つ刀が嫣然と微笑む。
 前後で話が噛みあわない台詞をひと息のうちに告げて、宗三左文字は不埒な不届き者に抜身の刃を寄り添わせた。
「薬研に、珍しいものがあると誘われて来てみましたが。想像以上に素晴らしいものを見せていただきました。このお礼は、是非。痛みを覚えないほどに一瞬で、天に召されてくださいませ」
 きらりと閃光が煌めき、美しく磨かれた刀身に青褪めた男の顔が映し出される。
 稀に見る楽しそうな打刀の斜め後ろでは、黒髪の短刀がやれやれと肩を竦めていた。

2015/10/21 脱稿

山ざくら初雪降れば咲きにけり 吉野は里に冬籠れども
山家集 冬 512