少し夜更かしをしよう。
そう言われて、向かったのは庭に面した軒先だった。
秋の風が涼しく、虫の声は長閑。ただ天に月は見えず、曇って星も窺えなかった。
「昼は晴れてたのに」
それは雨を呼ぶ雲ではないけれど、空一面に広がって、淡い光を遮っていた。お蔭で地表は暗く翳り、灯り無しでは足元が覚束なかった。
用意された蝋燭は、青銅製の持ち手を持つ細長い燭台に据えられていた。柄の部分は一尺近くあって、指を掛ける場所から炎はかなり遠かった。
橙色の焔がゆらゆら揺れて、強く風が吹けば消えてしまいそうだ。しかし意外に度胸があるとでも言うのか、炎は小さくなることはあっても、黒ずんだ芯だけになることはなかった。
薄い影が縁側に伸びて、後方の障子にまで続いていた。昼間は大勢が集まって賑やかなその場所も、今はひっそり静まり返っていた。
動くものの気配は薄く、冷えた空気が首筋を撫でた。
少し前まで、夜半でも暑さが残っていた。しかし今や、ふとした拍子に肌寒さを覚える。
月日の流れというものは、なんとめまぐるしいのだろう。不思議なものだと感嘆の息を吐き、小夜左文字は先に腰を下ろした男の左に座った。
「見えるかい?」
「問題ない」
燭台は打刀の右側に置かれ、短刀から遠ざかった。光はその分薄くなって、濃い影が膝の上に落ちて来た。
もし見えない、と言えば、彼は燭台の位置を変えただろう。そうやってこちらの意見ばかり採用する男は、素っ気ない返答にも、嬉しそうに顔を綻ばせた。
蝋燭に間違って触れぬよう、置き場所を調整して、歌仙兼定は続けて懐に手を入れた。
戦仕度を解いた彼は、後は眠るだけと、袴も着けていなかった。寝間着である白の湯帷子で身を包んで、帯は焦げ茶色だった。
内番中は縛っている髪も解かれ、緩く湾曲した毛先が額で踊っていた。その根元はほんのり湿っており、小さな雫が襟足に見えた。
風呂で洗って、そのままだからだ。軽く拭いはしたものの、全体を乾かすところまでは至っていなかった。
もっとも、小夜左文字も人のことは言えない。彼もまた寸足らずの湯帷子に、白い帯を締めていた。
日頃高く結い上げている髪は背に流れ、毛先は四方に向かって跳ねていた。髪紐で締めつけている場所は特に曲がり方が顕著で、櫛で梳いた程度では直りそうになかった。
本人よりも遥かに元気な藍の髪は、湿った分だけ色が濃くなっていた。
「良い月が見られると思ったんだけど」
胸元を探りつつ、歌仙兼定が呟く。その眼差しは軒先の向こうへと注がれて、手元には一切注意を払っていなかった。
ずっともぞもぞやっているのは、その所為だ。なかなか目当てのものを見つけられずにいる男に、小夜左文字は呆れて頬を緩めた。
けれど彼の気持ちは、分からないでもない。
折角の十三夜だというのに、月は顔を見せてくれなかった。
「歌仙は、十五夜も」
「それは言わないでくれ、小夜」
ぼそりと言えば、瞬時に返答があった。嫌な顔を向けられて、小夜左文字はたまらず頬を緩めた。
一ヶ月ほど前の一件は、まだ記憶に新しい。
楽しみにしていた十五夜の観月を、この男は、よりにもよって審神者に邪魔された。お陰で共に眺める約束をしていた小夜左文字は、ひとりで月見をする羽目に陥った。
当日の夕方になって、突然遠征に出るよう言われたわけだから、歌仙兼定の落胆ぶりは凄まじかった。珍しく激昂して審神者に食って掛かり、あれこれ言い訳してなんとか任から外れようとしたが、結局言いくるめられ、押し切られてしまった。
半泣きで出かけていく彼は、雅どころの話ではなかった。駄々を捏ねるただの子供で、見苦しいことこの上なかった。
それだけ悔しかったのだろうが、今となっては笑い種だ。本人も恥ずかしい真似をしたと思っているらしく、頬は紅を帯びていた。
薄暗い中でも分かる色合いに相好を崩し、小夜左文字は差し出された懐紙に手を伸ばした。
中身を気にすることなく、包み紙を受け取った。四つに折られた紙の真ん中はぽっこり膨らんでおり、触っても凹まなかった。
親指と、人差し指で輪を作ったくらいの大きさだった。厚みがあり、想像よりもずっしり来た。
意外な重さに首を傾げ、悪戯っぽく笑った男を仰ぎ見る。
歌仙兼定は意味深に右目を閉じ、口元で人差し指を立てた。
「他の子たちには、内緒だよ」
「……分かった」
「十三夜だからね。張り切ってみたんだ」
屋敷に住まう刀たちには秘密だと囁き、懐からは同じものをもうひとつ、取り出した。そちらは膝の上に置いて、男は残念そうに天を仰いだ。
雲は相変わらずそこに位置取り、月を大事に包み込んでいた。
少しくらい譲ってくれてもいいだろうに、独り占めしたいらしい。不公平だと口を尖らせて、風流を好む打刀は頬杖をついた。
膨れ面の昔馴染みに苦笑して、小夜左文字は丁寧に懐紙を広げていった。
間違って落とさないよう注意しつつ、慎重に角を剥がしていく。出てきたものは黄土色の塊で、正体はすぐに知れなかった。
蝋燭の灯りひとつでは、はっきり分からない。怪訝にしつつ鼻に近付けて、仄かな甘い香りにようやく合点がいった。
「栗」
皮を剥いて、中の渋皮も丁寧に除かれていたので、気付くのが遅れた。
それは栗を蒸したものを磨り潰し、白あんに混ぜ、裏ごしして滑らかにした後、形を整えて栗の形に戻した菓子だった。
ご丁寧に、表面には軽く焦げ目がついていた。ちゃんと栗に見えるように、細部にまで拘っていた。
丹精込めて作ったのだと、見ているだけでもよく分かる。
頑張って作った、という彼の言葉がより深みを増して、小夜左文字はふっ、と頬を緩めた。
「残念だったな」
「……まったくだよ」
だというのに、空は生憎の曇り空。
同情を禁じ得ないと囁けば、歌仙兼定はがっくり肩を落として項垂れた。
深い溜息が聞こえた。意気消沈ぶりが伝わってきて、短刀は表情を引き締めた。
改めて栗菓子に目を向けて、恐る恐る抓みあげる。
茶巾絞りにも似た菓子は意外に固く、軽く抓んだ程度では潰れなかった。
「月、には――無理があるか」
「小夜?」
「独り言だ」
それを顔よりも高い位置まで掲げ、薄墨に広がる雲を背景に浮かべてみる。だが思い描いた光景は、そこに現れてくれなかった。
菓子を月に見立てるのは、残念ながら叶わなかった。
実際に試してみて、途端に恥ずかしくなった。歌仙兼定にも素っ気なく言い捨てて、少年は栗菓子を懐紙へと戻した。
折角抓みあげたというのに、口に運ぼうとしない。
食べて貰えなかった男は少し寂しそうな顔をして、焦げ目が派手な自分の菓子を小突いた。
「それが一番、出来が良かったんだけどな」
「なんだ?」
「独り言だよ、小夜」
幾つか試作して、最も見目良く出来たものを選んだ。
終わった直後は、当分栗の木すら見たくない、という気分にさせられた。しかしもう既に、もっと美味しいものを作りたい、との決意が湧き起こっていた。
焼き目をつける鏝も改造して、餡の作り方にも手を加えてみよう。
本職から遠く離れた思索に耽り、雅を好む刀は押し黙った。
リリリ、と虫の声が断続的に響いた。
静かで、とても不思議な感じがした。
昼間の、耳を塞ぎたくなる騒々しさが嘘のようだ。陽が沈んで夜闇に包まれて、柱の影は濃くなり、視界は限られていた。
日が暮れた後、夜目が利かない太刀や大太刀は、あちこちで頻繁に頭をぶつけていた。あの岩融でさえ、今剣の手引きがなければ、夜間は碌に動き回れなかった。
短刀である小夜左文字、そして打刀である歌仙兼定は、幸いにもそういう目に遭ったことはない。けれど日中に比べて見え辛いのには、間違いなかった。
「違う世界のようだ」
「確かにね」
「月があれば、また違った」
「口惜しい限りだよ」
あんなにも色で溢れていた光景が、今や水墨画と化していた。歌仙兼定もあの豪奢な衣装を脱ぎ払っており、藤色の髪と空色の瞳だけが、唯一鮮やかさを保っていた。
他愛無い呟きに言葉を返されて、ぽつり、ぽつりと会話が進む。
見えない月への恨み節を繰り返し、歌仙兼定は目を瞑った。
背筋を伸ばし、せめて雰囲気だけでも楽しもうと夜風に身を委ねた。それを左側から眺めて、小夜左文字は栗菓子の頭を撫でた。
こんなにも見事な一品、ひと口で食べてしまうのは勿体なかった。
かといってちびちび齧るのはみすぼらしく、みっともない。となれば、もう暫く目で堪能するより他になかった。
「みんなには、内緒」
「ん?」
「いや、……ふふ」
形を崩さないよう栗菓子を撫で、含み笑いを零す。
当然のように歌仙兼定が反応したが、小夜左文字は首を竦めただけだった。
この本丸には、子供が多かった。
無論中身は、数百年の時を経た付喪神だ。外見通りの性格ではない者も、少なからず存在していた。
だが見てくれの幼さで、彼らは残る刀より若干ながら、優遇されていた。
菓子だって、短刀たちに優先的に配られた。甘いものが好きな太刀や打刀だっているのに、だ。
そういう状況下で、更に数を絞って菓子を与えられた。
見た目にも美しい栗菓子は、この世でひとつだけの特別なもの。
それが嬉しくて、なんだか照れ臭い。
大事に菓子を包み込んで、小夜左文字は目を細めた。
そんな穏やかな横顔を一瞥し、歌仙兼定は口に出そうとした言葉を呑み込んだ。意味深な微笑への追及は止めにして、右膝を立てて頬杖をついた。
「僕は月に嫌われているのかな」
「急に、どうした」
「だって、そうじゃないか。前だって、結局月をゆっくり見上げられなかった」
十五夜の日。散々審神者に悪態をついた彼は、遠征先でも騒動に巻き込まれ、月を観賞する暇さえなかった。
思い出すだけでも腹立たしい出来事に声を荒らげて、雅を好む打刀が悔しそうに唇を噛む。
唐突に声量を大きくして、喚き散らされた。唾まで飛ばされた小夜左文字は目を瞬かせ、三秒してから脱力して、苦笑した。
「その話、もう十回以上、聞いている」
「……そんなにかい?」
「ああ。そんなに、だ」
月が一等美しかった夜、出かけなければならなくなった彼の恨みは、当分消え去りそうにない。
同じ話を何度となく繰り返すところからして、相当心が傷ついていた。
せめてもの慰めにと、十三夜に賭けてみた。しかし今宵の天候は、ご覧の有様だった。
夜明け前まで待ったとしても、雲は途切れそうにない。潔く諦め、次の機会を待つしかなかった。
折角の麗しい月が、二度続けて歌仙兼定にそっぽを向いた。嫌われていると感じるのも、無理ない話だった。
切なげに睫毛を震わせる打刀に頬を緩め、小夜左文字はひと月ほど前の夜を軽く振り返った。
予定外の遠征に連れ出され、歌仙兼定は本丸を留守にしていた。空か明るく、月は眩しい。なかなか寝付けなくて、少年はひとり庭を彷徨った。
現世に喚ばれて、そう間がない頃だった。
ここでの生活に、少しずつ馴染み始めてはいた。だが過去の因縁譚に心は縛られ、ひとりでいると嫌なことばかり思い出した。
眠れなかった。
「十五夜は、どうだったんだい?」
「五回くらい、言った」
「そうだったかな?」
「ああ」
その日留守番だった短刀は、ちょっと嫌そうに顔を顰めた。聞かされるよりも、言わされる方が鬱陶しいと臍を曲げて、未練がましい打刀に嘆息した。
こっそり持ち出された次郎太刀の酒で杯を掲げ、月見酒に興じていたのをまだ根に持っている。
そういうところは女々しいと、小夜左文字は肩を竦めた。
十五夜は、美しかった。
ただ明るすぎて、闇に迷いそうだった。
十三夜の月は、見えない。だがもし空が晴れていたとしても、あの夜のように、居もしないものに怯えなくても済むだろう。
「小夜?」
「少し、待て」
自分は歌仙兼定の存在に、救われている。けれど逆は、そうではない。
一抹の哀れみを抱いて、小夜左文字は腰を浮かせた。膝に手を添えて立ち上がって、捲れあがっていた湯帷子の裾を伸ばした。
身なりを軽く整え、栗菓子は懐へ収める。動きを見送った歌仙兼定は身動ぎ、己も立ち上がるべく身体を揺らした。
それを片手で制して、左文字の短刀は含みのある表情を浮かべた。
「すぐ戻る」
「小夜」
「歌仙に、いいものを見せてやる」
二度続けて月夜に振られた男を、どうにかして元気付けてやりたい。
一介の付喪神に天候を操る術はないが、その代わりに出来ることは、いくつかあった。
それを思い出して、少年はくるりと踵を返した。
引き留めようとする手を躱し、小走りに駆ける。後ろで打刀が複雑な表情をしているとも知らず、縁側を足早に通り過ぎて、とある部屋の前で立ち止まった。
似たような造りが連続する本丸でありながら、ここだけは異彩を放っていた。否、見た目上は左右の部屋となにひとつ違わないが、小夜左文字にはこの一帯が特別なものに感じられた。
打刀たちが住まう一画で息を潜め、少年はそろりと、障子戸を右に滑らせた。
暗い室内を覗き込み、誰も居ないのを確かめてから敷居を跨ぐ。
入口傍の衣紋掛けには、牡丹柄の外套が引っ掻けられていた。整理整頓が行き届いた空間が、ここで寝起きする男の几帳面さを物語っていた。
その片隅に、小夜左文字は足を向けた。寝具を載せた長持の傍らには、小さな葛籠が置かれていた。
それが、小夜左文字の所持するものの全てだった。蓋を開ければ何枚かの替えの下着と、古びた硯箱などが現れた。
薄明かりの中で目を凝らし、短刀は息を整えた。深呼吸して心を落ち着かせて、慎重に葛籠の中に手を伸ばした。
取り出したのは、漆塗りの小箱だった。何枚も紙を重ね、耐久性を向上させた文匣だった。
黒光りするその箱を胸に抱きしめて、そっと床におろし、蓋を持ち上げる。
「歌仙は、喜ぶだろうか」
出てきた小さな包みを取り上げて、彼は不安そうに呟いた。
それは畳紙の角を合わせ、広がらないよう端を捻ったものだった。上辺は細く、下辺は楕円形。さながら涙のような形をしており、丸くなった部分になにが入っているかは、外からでは分からなかった。
何度か広げ、また閉じた形跡があり、畳紙自体ぼろぼろだった。あと数回開閉すれば、弱くなった部分から破れてしまいそうだった。
それを両手で挟み持って、膝を伸ばして立ち上がる。
どうせ見られて困るものはないと、広げた葛籠は片付けない。戻すのは後と決めて、彼は急いで来た道を戻った。
寝入った仲間たちを起こさないよう、五月蠅くならないよう気を付けながら。
残念な天気が続く夜空を時々窺って、息を弾ませて走った。
肩の上で湿った藍の髪を躍らせ、ぺた、ぺた、と足裏が床板に張り付く感触を楽しんで。
最後の角を曲がって背筋を伸ばせば、月を待って佇む男の、異様なまでに儚い姿が目に飛び込んできた。
「歌仙」
直後。
いつにも増して大声で叫んで、小夜左文字は手にしたものを握りしめた。
「小夜?」
彼は自分で作った栗菓子を齧っていた。もそもそと口を動かして、見えない月を嘆きつつ、顰め面をしていた。
美味しくなさそうに食べていた。
つまらなそうな顔をしていた。
それを一瞬のうちに中断させて、男は大袈裟に振り返った。座ったまま姿勢を改め、息せき切らしている少年に目を丸くした。
「どうしたんだい、急に」
「歌仙。手を」
陰鬱な雰囲気を隠して、声を高くする。短刀は答えず、残る距離を一気に詰めた。
短く命令を下して、部屋から持ち出して来た包みを差し出した。目の前に突き付けられた打刀は眉を顰め、それでも素直に従ってくれた。
訝しみながら右手を広げ、掌を上に向けた。だが小夜左文字は小さく首を振り、動かなかった。
「ああ……」
それにどんな意味が込められているのか。
考えて、男は食べかけの栗菓子を膝に置いた。
欠片が懐紙の端から転げ落ちても構わず、左右の手を並べ、隙間を埋めて貼り付かせた。短刀は満足げに頷いて、鼻から息を吐き出した。
興奮に頬を染めて、捩じった紙を反対側へ回した。
「月は、見せてやれないが」
囁き、皺だらけの畳紙を広げ、傾ける。
出来上がった隙間から、ころり、小さな粒が零れ落ちた。
ひとつ、またひとつ。それは次第に数を増して、雪崩の如く歌仙兼定の手のひらへと流れていった。
「う、わ」
予期しなかった事に、男は首を竦ませた。裏返った声で悲鳴を上げて、勢い余って飛び出そうになった分を堰き止めた。
合計で、どれくらいあるのだろう。
ぱっと見ただけでは分からない結晶の数々に、歌仙兼定は四肢を戦慄かせた。
最後の一個を受け止めるまで息を止め、無事終わったところでほっと胸を撫で下ろす。
小夜左文字は可笑しそうに肩を震わせ、空になった畳紙を丸めた。
要らなくなったものを懐に片付け、入れ替わりに栗菓子の包みを引き抜いた。走っている間に崩れないか不安だったが、潰れもせず、無事だった。
安堵して、縁側に腰を下ろす。
先ほどより少しだけ距離を詰めて座れば、渡されたものの正体を知った男が目を丸くした。
「これ、は」
「前に。鶴丸国永が」
傍らで息を飲む彼に、小夜左文字は悪戯っぽく笑った。
本丸で日々、様々な驚きを演出する太刀は、周りにも驚きを提供するよう強要した。そして際立って驚きを与えてくれた刀に、礼代わりに色々なものを渡していた。
これも、その中のひとつだ。
「金平糖じゃないか」
一度に得られる数はそう多くないけれど、小夜左文字なりに努力して、集めた。
口に入れると甘く、ゆっくり溶けて、なくなってしまう。噛み砕くにはあまりにも惜しいその甘味は、小夜左文字にとっての驚きだった。
料理が得意な歌仙兼定も、さすがにこれは作れない。超がつくほどの高級菓子の登場に、打刀の顎は外れそうだった。
感嘆の息を吐き、唖然としながら短刀を見る。
少年は得意げに胸を張って、曇り空を指差した。
「星だ。歌仙」
続けて男の掌中に指を向け、囁く。
職人が数日かけて作り上げた甘味は、爪の先ほどの大きさの粒に細かな棘が張り付いていた。
ひとつとして同じ形はなく、色合いも白のみならず、薄紅や黄色と、鮮やかだった。
「星」
鸚鵡返しに呟いて、男は金平糖を片手に集めた。空いた手でひと粒取って顔の前に掲げて、雲間に浮かんだ白い輝きを呆然と見入った。
やがて、少し経った後。
彼はふっ、と息を吐き、相好を崩した。
「本当だ。星が、こんなに沢山」
「歌仙」
「小夜は、すごいね」
星屑の海に金平糖を戻し、顔を綻ばせる。
小夜左文字は身を乗り出して、褒められた途端に後ろへ下がった。
照れ臭そうに下を見て、栗菓子の焦げ目に指先を押し当てた。抓もうか、止めようか逡巡して、結局懐紙ごと高く持ち上げた。
「かせ、んの、方が。すごい」
こんなにも見事なものを作り出せる男こそ、素晴らしい才能の持ち主と言えるだろう。
息を詰まらせながらの主張に、けれど打刀は首を振った。
「金平糖を星に見立てるなんて、考えてもみなかったよ」
感心しきりに嘯いて、歌仙兼定は目尻を下げた。優しい笑顔を浮かべてはにかんで、抓んだ数粒を小夜左文字の手元に散らした。
栗菓子を金平糖で飾って、即席の絵画を立体的に作り上げる。
「団子にすればよかったね」
「明日は、晴れる」
「分かった。なら明日は、芒を飾ろう」
惜しいのは、栗菓子が綺麗な丸型ではないところ。
小夜左文字と同じことを考えた男は、瞬き一度のうちに気持ちを切り替え、朗らかに言った。
楽しそうに笑って、金平糖をひとつ、口に含んだ。
頬は見る間に緩んで、底抜けに嬉しそうだった。
それをじっと見つめて確かめて、小夜左文字もまた、地上の星に手を伸ばした。
2015/08/25 脱稿