ありへば人や思ひ知るとて

 鳥が囀っていた。
 誰かが庭先に餌を撒いたらしい。艶やかな翼を持つ小鳥が数羽、踏み固められた土の上で戯れていた。
 風切り羽が白い鳥の、細い嘴が何かを抓んだ。どうやら稗か、粟らしく、細かな粒が飲みこまれる様を眺め、小夜左文字は眉間に皺を寄せた。
「そんな顔をするものではないよ」
 あのひと粒があれば、餓える人が一人減るやもしれない。そんな考えがふと脳裏を過ぎった矢先、まるで見透かしていたかのように、高い位置から声が響いた。
 気配は感じていたが、誰か、までは分からなかった。
 おっとりとした口調で囁かれて、漸く正体を知る。振り返り、彼は小さくため息を吐いた。
 淡い藤色の髪を無造作に風に流し、戦場には似つかわしくない派手な衣装で身を固めている。腰に佩く打刀の装飾も、人目を惹く豪華さだった。
 遠くから見ても、その存在が認識出来てしまう。
 それは合戦では不利に働く事もあるだろうに、この男には雅さこそが、命よりも大事らしかった。
 あちこち解れ、破れては修繕を繰り返した粗末な袈裟を好む小夜左文字には、彼の趣向が理解出来ない。己の華美さに酔い痴れていては、いずれ寝首をかかれる事にもなりかねないのに。
 富を一手に集めながら、弱きを虐げ続けた者たちの最期が、どうであったか。
 枚挙に暇がない昔話を脳裏に描き、小夜左文字はゆるりと首を振った。
「僕がどんな顔をしようと、あなたには関係ない」
「おや、つれないことを言う。共に主に仕える身だというのに」
 冷たく言い切れば、彼の口調が僅かに濁った。寂しそうな振りをして、大袈裟な仕草で胸に沁みる切なさを露わにした。
 下手な芝居に、小夜左文字はもうひとつため息を重ねた。肩を落として力を抜き、左手に握る鞘で己の腰を軽く叩く。
 自分たちは偶々、数奇な巡り会いでこの場に導かれただけだ。
 望んで今の主に仕える事になったのではない。
 もっとも、刀剣の分際で主人を選べるわけがなかった。
 嫌な身分だと何もない右手を見詰め、彼は小さな指をきゅっと握りしめた。
 俯いて、何も言わない。
 元から口数の少ない小夜左文字を上から下へと眺め、歌仙兼定は右人差し指を顎に添えた。
「ところで、お出かけかい?」
 訳知り顔で首肯して、明るい口調で尋ねる。
 先ほど素っ気ない態度を取られたというのに、まるでめげた様子がない。数秒前のことを簡単に忘れてしまう彼に呆れて、小夜左文字は愕然となった。
 ぽかんとしながら男を見上げ、やがてふいっ、と顔を背けた。小さな口は真一文字に引き結ばれ、表情は気まずげだった。
 実は今し方、その主に買い物を頼まれたのだ。暇を持て余していたところだったので、二つ返事で承諾したばかりだった。
 しかもひとりで出歩くのは危険なので、ひとりかふたり、供を連れていくよう言われていた。
 自分だけでも大丈夫だと思ったが、主の命には逆らえない。渋々了承して、手が空いている者を探していたところで、彼に会った。
 よりにもよって、と忌々しげに睨みつけるが、歌仙兼定は平然と受け流した。飄々として捉えどころがない男に嘆息を連ね、小夜左文字は背負った笠を頭に被せた。
「地獄耳」
「おや? なにか言ったかな?」
 表情を隠し、ぼそりと言う。
 聞こえただろうに歌仙兼定はとぼけると、物言わずに踵を返した背中を追いかけた。
 行き先は、とっくに知れているのだろう。数歩の距離を保ったままついてくる男を一瞥して、小夜左文字は立派な門を早足に潜り抜けた。
 遮蔽物のない平地は、見晴らしが良い。遠くの畑で鍬を振る農民の姿まで、この位置からでも見通せた。
 天気も良かった。空を仰げば、庭先で見かけたと同じ鳥が東に向かって飛び立っていった。
 行きたい場所へ、自由に飛んで行ける。
 復讐に囚われ、怨嗟の炎に心を焦がし続けるこの身では、到底考えられぬ生き方だった。
 羨ましいのだろうか。
 思わず立ち止まり、惚けていた彼を現実に呼び戻したのは、荒い馬の鼻息と、蹄の音だった。
「乗りたまえ」
「……良いのか」
「許可は得ている。徒歩では夜になってしまうだろう?」
 振り向けば、歌仙兼定が更に高い場所に居た。栗毛の馬には鞍が用意され、手綱を引く手には慣れが感じられた。
 たかが市へいくだけなのに、馬を使うのは気が引けた。盗まれでもしたら一大事だから避けたのに、この男は遠慮というものを持ち合わせていないらしかった。
 馬の管理は当番制だが、誰がどこでどう使うかは、主の裁量ひとつに任されている。
 地獄耳なだけでなく、ちゃっかりしている。
 どこまでも世渡りが上手い男に肩を落とし、小夜左文字は被っていた笠を背中に垂らすと、利き腕を伸ばした。
 躊躇なく掴まれて、引き上げられた。軽い身体は一瞬のうちに地上を離れ、胴回りも立派な栗毛の馬の背に降り立った。
 足台を用いず、鐙の助けも借りなかった。歌仙兼定の力に頼り切らず、地を蹴る勢いを利用して、華奢な体躯を馬上に預けた。
 前脚の付け根を蹴られはしたが、栗毛の馬は暴れなかった。さほど増えなかった重量に満足げな顔をして、鼻から勇ましく息を吐いた。
 その面長の顔をそっと撫でて、小夜左文字は首の紐を解き、手綱を持つ男を振り返った。
「夜になってしまう」
「了解した」
 邪魔な編み笠を胸に抱いて、早く行くよう急かされた。意趣返し的な台詞回しをされて、歌仙兼定は淡く微笑んだ。
 もっと窮屈になるかと思いきや、細い肢体はすんなり収まった。他の短刀たちと比べても遥かに脆弱な手足には筋が浮き、今にも骨が飛び出て来そうだった。
 こんな身体で、戦場を渡り歩いている。
 前だけをじっと見据える白い頸部を眺め、歌仙兼定は馬をゆっくり走らせた。
 少しずつ速度を上げて、すっかり覚えてしまった道のりを辿る。馬に揺られながらの道行きは、お互い喋る事もなく、舌を噛むのも避けたくて、無言だった。
 やがて道幅が幾ばくか広くなり、通行人の数も増えた。目立つ色の幟が立てられ、行李を担いだ男たちと、幾度となくすれ違った。
「さあ、着いた」
 徒歩であったなら、太陽が天頂を通り過ぎてからの到着となった筈だ。しかし馬を使ったお陰で、もっと早く辿り着けた。
 村の入り口で馬を預け、久方ぶりの地上に降り立つ。足元が揺れたのは錯覚で、放っておけばすぐに収まった。
 深呼吸をして、小夜左文字は預かって来た小袋を袈裟の上から握りしめた。
 市が立つ日は決まっており、今日を逃すと十日後になってしまう。
 責任は重大だった。
「主に、何を頼まれたんだい?」
「打粉がじき、無くなりそうだって。それから、炭もあれば買い足して、届けさせて欲しいと言われている」
「それだけ?」
 買い物に行くよう頼まれたと知ってはいても、要望の品までは盗み聞けていなかったようだ。
 歌仙兼定の問いかけに、最初は流暢に答えた小夜左文字だったが、声を潜めて囁かれ、途端に口を噤んで押し黙った。
 ほんのり赤くなった顔は、年相応で可愛らしい。
 恥ずかしがっている様子を楽しんで、歌仙兼定は丸い頭を撫でた。
「駄賃だと思えば良いさ」
「……うるさい」
 硬くて太い毛先を弄り、見えた団子屋の看板に頬を緩める。悪戯な手は即座に叩き落とされ、男は苦笑を禁じ得なかった。
 血腥い世界に落とされようとも、根は子供だ。甘いものが好きで、美味しいものに目がない。
 口を開けば物騒な事ばかり言う子だが、なかなかに可愛らしかった。
 ついて来て良かったと嘯かれ、笠を背に垂らした小夜左文字は小鼻を膨らませた。
「夜が来てしまう」
「おっと。そうだった」
 不満げに吐き捨てれば、のんびりしている暇はないと思い出したようだ。歌仙兼定はぽん、と手を打つと、頼まれ事を済ませるべく、店を探して目を泳がせた。
 額に手を翳し、左右を見回す。
「よし。行こうか」
 やがて両手を腰に移動させ、男は得意満面に胸を張った。
 華美に着飾った歌仙兼定は、戦場だけではなく、市中でも良く目立った。人目を集めて、一緒に居る小夜左文字まで奇異の視線を向けられた。
 公家好みの衣装の傍に、破れた袈裟を羽織る童子がひとり。
 どういう組み合わせかと囁く声が聞こえて、居心地の悪さが腹に響いた。
「言わせておきたまえ」
「……地獄耳」
 歩きながら、段々と機嫌が悪くなる。顰め面が強まって、歌仙兼定に笑われた。
 ぼそりと言い返してみても、呵々と声を響かせるだけ。それで余計に注目が集まって、辟易した小夜左文字は草履の先で小石を蹴り飛ばした。
 ところが、だ。
「待て。どこへ行く」
「折角来たのだから、他にも色々見て歩きたいだろう?」
 主に依頼された品は、目前に迫る店で揃うはずだった。しかし歌仙兼定は歩みを止めず、どんどん先へ進もうとした。
 慌てて引き留めるが、のうのうと言い放たれた。信じ難い提案に唖然として、小夜左文字は即答出来なかった。
 呆然と立ち尽くしていたら、男が大仰な身振りで肩を竦めた。
「掘り出し物があるかもしれない。主の役に立つものを持って帰れば、褒めてもらえるかもしれないだろう?」
 目利きは得意なのだと、自信満々に言い切られた。
 褒めて貰える。
 心を擽る甘い囁きに背筋が粟立ち、頷きそうになった小夜左文字は慌てて己を戒めた。
「金は、どうする」
 渡された資金は、そう多くない。予定外のものを買って、必要なものを買えないのは困る。
 現実に即した返答に、歌仙兼定は胸を張った。
 額に掛かる前髪を指に巻き付け、任せろ、とだけ答えた。大船に乗ったつもりでいろ、と告げられて、小夜左文字はげんなりした顔で首を振った。
「泥船の間違いじゃないの」
「失敬な。君には、僕のこの雅さが分からないのかい」
「残念だけど、興味ない。僕は用事を済ませてくる。勝手にしろ」
 矢張りこの男とは、根本的に分かり合えそうにない。
 冷たく言い捨てて、彼は行き過ぎた店に戻るべく、踵を返した。
 融通が利かず、寄り道さえ拒む。
 闇雲に突き進んだところで、目指す場所に行き着けるかどうかは分からないというのに。
「哀しい子だ」
 背中を見送り、歌仙兼定は呟いた。人混みに呑まれた身体は瞬く間に見えなくなり、目印になる笠も紛れてしまった。
 あの髪色は、哀しみに暮れる夜更け前の空の色に似ている。粗末な身なりも、敢えて険しい道へ己を追い込もうとしているようだった。
 その生き様は醜く、血腥く、それ故に美しい。
 既に遂げられた復讐に固執して、死に場所を探しているかのように彷徨っている。なにかを殺す事でしか生きる術を見いだせない魂は、果たして何色だろうか。
「……そうだ」
 ふと思い立ち、彼は柏手を打った。妙案だと脳裏に浮かんだ内容に頷いて、早速探そうと身体を反転させた。
 醜いものは、美しく飾って。
 美しい物は、更に美しく彩らせる。
 楽しみだと心弾ませ、歌仙兼定は人の間を潜り抜けた。
 戻りは、小夜左文字の方が圧倒的に早かった。
 預けた馬を引き取り、手綱を握って手持無沙汰に時が過ぎるのを待った。重くなるので荷物は後から屋敷へ届けてくれるよう頼み、彼が背負うのはまだ柔らかい団子だけだった。
「やっと来た」
 桶の水を飲む馬を撫でつつ、共に来たもう一人を雑踏に見つけて肩を落とす。
 出来るものなら置いて帰ってやりたかったが、小夜左文字の体格では、この栗毛の馬は大きすぎた。
 まず鐙に足が届かない。鞍も大人の体格に合わせて拵えられており、彼が座ると安定が悪かった。
 間違っても、あの男を慮ったが故に、大人しく待っていてやったのではない。
 あくまでも仕方なかったからだ、と自分に言い訳をして、小夜左文字は上機嫌な足取りの歌仙兼定に嘆息した。
「遅い」
「いやはや、面目ない。なかなかこれ、と思うものが見つからなくてね」
 手短く叱れば、少しも悪びれずに言い返された。反省の色など皆目見えない態度に腹が立ったが、言い争ったところで躱されるのは目に見えていた。
 馬の耳に念仏。或いは、糠に釘。
 手応えのないやり取りは、こちらが疲れるだけだ。
 早々に諦め、小夜左文字は休息を楽しんでいた馬の鼻先を撫でた。
 ぶるりと震えて嘶いた栗毛を宥め、借りていた水桶を返すべく、持ち上げようと膝を折る。身を屈め、前傾姿勢を取って両腕を前に差し出す。
 しゅるり、と音がして、直後にふわりと綿毛が舞った。
 否。
 無造作に集め、結っていた髪が紐解かれたのだ。
 櫛など入れたことはなく、鋏を入れたのがいつだったかも思い出せない。伸びるに任せていた毛先が襟足に当たるのを嫌い、結ぶ位置は年々高くなっていった。
 まるで馬の尾だ。左右に割れて広がる毛先は針のように固く、触れれば肌をちくちく刺した。
 それが、鬼灯の実の如く弾けた。
 解けた髪は空中で広がり、支えを失って緩やかに失速した。大量の空気を含んで広がって、枯れ木のように細く白い襟首を隠した。
「おや。意外に長かったね」
「なにをする!」
 誰が紐を外したかは、声に出して問うまでもない。小夜左文字は咄嗟に利き手を柄に伸ばし、左手で鞘を握りしめた。
 いつでも抜けるように構え、獣と化して吼える。目を吊り上げ、古びて黒ずんだ荒縄を揺らす男を睨む。
 それをいつ、どこで手に入れたかも記憶になかった。今にも真ん中で千切れてしまいそうな草臥れ具合で、手垢にまみれ、顔を寄せれば脂の臭いがした。
 試しに嗅いで、歌仙兼定は嫌そうな顔をした。人差し指と親指だけで抓んで、出来るだけ身体から遠ざけようと肘を伸ばした。
 人の持ち物にけちをつけられて、小夜左文字は憤慨して真っ赤になった。
「返せ」
「これは、雅じゃないねえ」
「どうだっていいだろう。それは僕のものだ」
「生憎だけれど。君はもっと、似合うものがあるよ」
 手を差し出し、返却を求めるが応じて貰えない。それどころかいけしゃあしゃあと言い放ち、男は懐に手を入れた。
 何が出てくるか、判然としない。警戒だけは怠らず、気配を尖らせた小夜左文字だったが。
「――なに」
 歌仙兼定が取り出し、黒ずんだ荒紐の代わりに手渡したのは、目を見張るほどに赤い組紐だった。
 両端には飾り房が付いていた。いかんも貴族の娘が好みそうな品を見せられて、小夜左文字は困惑に眉を顰めた。
 怪訝にしていたら、歌仙兼定にすぐ取られてしまった。彼は小さな掌から紐を摘むと、細い肩を軽く押した。
「後ろを向いて。結んであげよう」
「いったい、何を」
「なに。君はこっちの色の方が似合うと思っただけだよ」
 戸惑う小夜左文字に呑気に言って、男はざんばらの髪を器用に集め始めた。流石に櫛は持ち合わせていなかったようで、指を櫛代わりに使いながら、夜明け前の藍の髪をまとめていった。
 白いうなじを戯れに撫でて、恐々後ろを気にしている小さな子供の髪を結ぶ。簡単に解けないよう根本にしっかり巻きつけて、完成だと手を離す。
 飾り房が襟足を撫でて、くすぐったかった。
「赤、が?」
「そう。うん。やはりこちらの方が、君らしくていい」
 出来栄えを満足げに見下ろし、歌仙兼定は何度も頷いた。表情は心なしか嬉しそうで、とても楽しそうだった。
 人に髪を結って貰う事自体、小夜左文字には初めての経験だった。
 どうしてだか、落ち着かなかった。心がそわそわして、鼻の奥がむず痒かった。
「僕は、別に。……それに、お金」
「なあに、僕が好きで選んで来たものだ。取っておきなさい。とても良く似合っている」
 自分の見立てがぴったり来たので、喜んでいる。代金も要らないと太っ腹なところを示されたが、丁寧に編まれた紐や、ここまで鮮やかな色合いといい、かなりの額を積んだに違いなかった。
 似合っていると言われても、信じられない。
 首を竦めて萎縮して、小夜左文字は言葉が出て来ない唇を浅く噛み締めた。
 左手で触れた飾り房は柔らかく、ふわふわして、気持ちが良かった。
「赤」
 けれど染めつけられた色を意識した途端、肌に広がる感触は濁り、不快なものに変化した。
 赤と言われて真っ先に思い浮かぶのは、血だ。
 戦場を染めるのは、斬られ、斃れた者たちが流す血の赤色だった。
 成る程、似合うわけだ。復讐の怨念に取りつかれ、ただ人を斬る事のみに存在理由を見出す己には、この色が最も相応しかった。
 自虐的な笑みを浮かべ、小夜左文字は実用に則さない、邪魔なだけの房を強く握りしめた。
 俯き、感情を掻き消す。暗く、冷たい闇に身を浸し、心配そうに顔を寄せた馬に無言で寄り掛かる。
 沈み切った表情を眺め、歌仙兼定は妖しく微笑んだ。
「椿の色だよ」
「……え」
「知っているだろう。冬に咲く、あの花だ」
 植物が凍え、死に絶える冬場にあっても、咲く花はある。
 そのひとつが、彼の言う椿だった。
 確かにあれも、鮮やかな赤色だった。雪の白さによく映えて、枝から落ちても尚、その花は美しかった。
 血の赤でなく、花の赤を先に連想する。
 雅を好む男らしい発想に、小夜左文字は呆気に取られた後、堪らずクツリと喉を鳴らした。
 笑いを堪え、額を覆う。
 こうも根底からして違うと思うと、馬鹿と罵る気も起こらなかった。
「気は済んだのか」
「ああ。とてもね」
 肩で息を整え、低く問いかける。歌仙兼定は迷わず頷き、栗毛の手綱を取った。
 帰ろうと囁かれ、逆らう理由はなかった。
 首肯して、小夜左文字は彼の手を掴んだ。行きと同様、引き上げられて、馬の背に跨り、愛用の笠を胸に抱く。
 違うのは土産の団子と、軽くなった懐と、緋色の組紐くらい。
 細い首では揺れに合わせて飾り房が躍り、俯く子供と戯れていた。
 透けるような白と、目にも鮮やかな赤と。
「やっぱり、僕の目に狂いはなかったようだね」
「……なに」
「いいや。なんでも」
 思わず手綱を手放し、触れてみたくなった。
 気配を悟って、小夜左文字が振り返る。問われてゆるゆる首を振り、歌仙兼定は目を眇めた。
 椿は、花弁が基部で繋がったまま、木から落ちる。その様は、まるで人の首が胴から斬り落とされたかのようで。
 白雪に散れば、さぞ美しい光景を拝めよう。
 目を閉じれば、戦場で可憐に咲く花が見えた。
 刀は飾るでなく、実戦に用いてこそ。
 己の嗜虐性を風雅さに隠し、男は穏やかに微笑んだ。

2015/01/21 脱稿