浩大

 リコッタチーズたっぷりのカンノーロ、色とりどりのジェラート、冷たくて甘いズコットに、大人な雰囲気のタルトゥフォ、天国へ連れていってくれるティラミス。
 イタリアには甘いものがいっぱいだ。魅惑的な味、色、香りに包まれて、ジェラート屋の看板を見るとつい足が向いてしまう。
 いけないと思いつつも、店ごとに違う味を確かめずにいられない。手作りを謳う店はこのご時世でもまだ多く、散策中の楽しみのひとつだった。
 もっとも最近は仕事が重なり、あまり出歩けていない。季節で変わるメニューも多く、食べ損ねたと悔やむ日が増えていた。
 仕事の合間を縫って覗いたインターネットのホームページでは、日々様々な写真がアップされ、更新が続いていた。それらを眺めて気持ちを癒そうと思うものの、逆に自由の利かない身が恨めしくなるだけだった。
 いつ、どこで殺し屋に襲われるかも分からない。
 そんな危うい立場になるなど、十年前は想像すらしなかった。
「アイス食べに行きたい」
 愚痴を零し、机に突っ伏す。もれなく処理中の書類が潰されて、数枚が風圧で飛んで行った。
 クリスマスまで残り一ヶ月を切って、街中は浮かれ調子だった。各地で目に眩しいイルミネーションが飾られて、冬の夜を美しく演出していた。
 巨大な樅の木が駅前の大広場に出現し、子供も大人も笑顔が絶えない。だというのに自分ひとりが仕事に埋没し、腐って骨になろうとしていた。
 年に一度のイベントも、この調子では朝から晩まで仕事で終わりそうだ。不貞腐れずにはいられなくて、綱吉はぶすっと頬を膨らませた。
「そんな顔しても、仕事は減らねーぞ」
「うげ」
 そこへ不意に声が掛かって、彼は反射的に背筋を伸ばした。
 昔からの習慣が、こんなところで生きた。椅子の上で畏まって、綱吉はいつ現れたのか、部屋の真ん中に佇む若者に渋い顔を作った。
 今の独白も聞かれたに違いない。嫌な相手に知られたものだと奥歯を噛み締めていたら、表情から感情を読み取ったリボーンがふっ、と鼻で笑った。
 十年前に呪いから解放されて以来、彼は順調に成長していた。
 身長もぐんぐん伸びて、とうの昔に綱吉を追い越した。そのうち山本に迫るのではないかというくらいで、末恐ろしい逸材だった。
 反面性格は昔のまま変わっておらず、スパルタぶりは今も健在だ。こうして綱吉の仕事ぶりを観察しに現れて、ダメ出しして帰っていくのが定番だった。
 歯に衣着せぬ物言いは直球過ぎて、心にぐっさり突き刺さった。今日も苛められるのだろうと覚悟して、彼は身構えて息を飲んだ。
 そんな緊張ぶりを読み取って、殺し屋出身の家庭教師はニヒルに笑った。
「聞いてた通り、ダメダメだな」
「ほっとけよ。毎日こんなんじゃ、誰だって俺みたいになるって」
 朝起きて、着替えて、食事をした後は執務室に籠りきり。外に出るのはトイレか、会談の時だけだ。
 その会談は、一日二度、三度と繰り返されていた。
 どの相手も気が抜けなくて、終わる度に精神力を持っていかれた。どっと疲れが押し寄せて、食事も喉を通らないくらいだ。
 ここ一ヶ月の彼のスケジュールを見たら、某国の大統領も卒倒するに違いない。会談の相手は名だたる政治家から、経済界の重鎮、または司法界の陰の支配者と様々で、齢二十四歳の若造が対峙するには、荷が重すぎる顔ぶれだった。
 代わってくれる人がいるなら、是非とも譲って差し上げたい。そんな暴言も遠慮なくぶちまけて、綱吉は開き直って口を尖らせた。
 リボーンだから言える文句に鼻息を荒くして、頬を丸く膨らませる。とっくに成人済みとは思えない表情に色白の男は呵々と笑い、被っていたボルサリーノの鍔を弾いた。
「なんだ。元気そうじゃねーか」
「誰の所為だと」
「俺の教育のたまものだな」
「勝手に自慢してろ」
 激励なのか、嘲笑なのか。
 判断が付きかねる台詞を吐かれ、綱吉は悪態で返した。顔を背けてそっぽを向き、机の下では足をじたばた前後に揺らす。
 椅子に座ったまま暴れているドン・ボンゴレに、その家庭教師だった若者は呆れ調子で肩を竦めた。
「それじゃ、俺が用意したプレゼントもあんまり意味ねーな」
「はい?」
 ぼそりと言われ、綱吉の耳がピクリと反応した。
 プレゼント、という単語だけがいやにはっきり聞こえた。都合の良い部分だけを拾って顔を上げ、期待と不安に目を丸くする。
 嫌な予感はするものの、少なからず胸がときめいた。口元が緩んで締まりのない表情になった教え子に、リボーンは愉快だと手を叩いた。
 もしや一杯食わされたのだろうか。
 呵々と笑う彼にムッとして、綱吉は一気に機嫌を悪くした。
 臍を曲げた教え子に、リボーンも腕を下ろした。右手を腰に添えてポーズを作って、不貞腐れている世界的巨大マフィアのボスに肩を竦める。
 見た目は立派になった綱吉に苦笑して、彼は扉を振り返った。
 いったいどんな合図があったのか。なんの言葉もないままに、真鍮製のドアノブがひとりでに回転し、戸が外側に開かれた。
「あ……」
 綱吉は目を見張り、音もなく入って来た男に絶句した。
 紺のスーツに、濃い紫のシャツ。ネクタイは黒一色で、足元も黒光りする革靴。挙句に頭髪も、切っ先鋭い眼までもが、純然たる闇を表す色だった。
 よく知った顔だった。但しここ半年ほどは会話すら碌になく、定時連絡のメールだけが唯一の繋がりになっていた。
 日頃は遠く、東洋の島国を拠点にしているのに。
 いったいどんな魔法を使ったのだろう。にわかには信じられなくて、綱吉は惚けたままリボーンを見た。
 意地の悪い家庭教師はククッ、と笑い、得意げに胸を張った。
「なんだ。本当に元気そうじゃない」
「うぐ」
 その一方で男は静かに歩み寄り、綱吉を見てひと言、呟いた。
 ドアの外で会話を聞いていたのだろう。この城は古くて、防音壁など設置されていなかった。
 内部に侵入するのは大変だが、一度入ってしまえば後はザル警備。ボスの執務室でさえ、鍵は設置されていなかった。
 ハイテクなのか、ローテクなのか分からないと頭を抱え、綱吉は予想外のプレゼントに背中を丸めた。
 どんな顔をして会えば良いと言うのか。なにも知らされていなかったので、覚悟も、準備も、全く出来ていなかった。
 俯いて顔を赤くし、勝ち誇っているリボーンを心の中で罵る。直後に感謝の言葉の雨を降らせて、嬉しいのに嬉しくない状況に臍を噛んだ。
 こんなサプライズ、聞いていないし、全く考えていなかった。
 クリスマスにはまだ早い。
 誕生日はとっくに過ぎた。
 タイミングが可笑し過ぎると火照る頬を隠し、綱吉は机の下に潜り込みたくなった。
 実際、椅子を引いて暗がりを覗き込んだ。身じろいだ彼を見逃さず、部屋の中央まで来た男が涼しい顔で呟いた。
「もっとやつれて、骨と皮になってるって思ってたけど」
「ゲッ」
「というか。君、……ちょっと太った?」
「うわーーーん!」
 ギクリとして、ドキリとして、騒然となった。
 率直過ぎる感想が数少ないプライドを薙ぎ倒し、木っ端微塵に打ち砕いた。
 赤子に戻って大声で泣き叫んで、綱吉は本当に椅子から降りて床に座り込んだ。膝を抱えて小さくなって、ふたりの前から姿を消した。
 いじけて床に「の」の字を書いているボンゴレ十代目に、残された男たちは互いに顔を見合わせた。
 リボーンに肩を竦められ、東洋系の顔立ちの青年もため息を零した。
 足音が一人分だけ響いて、程なくしてドアが閉まる音が続いた。どちらが出て行ったか分からず、綱吉は丸くなったまま暗がりで、床に向かって目を凝らした。
 そんなことをしても見えないと分かっていても、気になって仕方がない。とはいえ背伸びをして辺りを窺う勇気もなくて、困っていたら、ドアをノックするかのようにとんとん、と音がした。
 それも、真上で、だ。
「っ!」
 反射的に仰け反り、バランスを崩して尻餅をつく。みっともなく床に蹲った綱吉の目の前には、不敵に笑う現役の殺し屋の顔があった。
 切れ長の瞳を眇めて、最強の名を戴く雲の守護者が口角を持ち上げた。
「無視されるのは嫌いなんだけど?」
「はっ、はひぃぃぃぃ」
 折角来てやったのに、挨拶もないのはどういうつもりか。
 低く静かな声で問いかけられて、綱吉は完全に裏返った、素っ頓狂な声を上げた。
 歯の根が合わない奥歯をカチカチ言わせ、ぶるぶる震えながら後退を図るが上手く行かない。椅子が邪魔になって身動きが取れずにいる彼を眺め、風紀財団の頭取は小さく頷いた。
 おもむろに後ろに手を回したかと思えば、スーツの裾を捲り、何かを取り出して構えを取る。ジャキッ、という不穏な音も聞こえて来て、綱吉は一気に青くなった。
 首筋を冷たいものが伝った。総毛立って、青年は吹き飛ぶ勢いで首を振った。
「ごごご、ごめっ……ごめんなさい。ごめんなさい、ヒバリさん。お久しぶりです!」
 悲鳴のような謝罪を口走り、両手は胸の前で叩き合わせて強く握りしめる。まるで神様に祈るかのような態度で仰がれて、雲雀恭弥はつまらなそうに視線を外した。
 腕も引いて、トンファーを隠す。素早く畳んで収納を終えた彼を見守って、綱吉はのろのろと起き上がった。
 机を手掛かりに立ち上がり、ズボンの汚れは払って落とす。グレーの縦縞スーツは新品で、素材は一級品だった。
 こんなことで駄目にしたら、財政管理を任せている獄寺が発狂しそうだ。
 昔から計算だけは得意だった男を思い浮かべ、綱吉は胸を叩いて深呼吸を繰り返した。
 肺を凹ませ、膨らませて、を繰り返す間、ほんの少しだけウェストが苦しくなった。腰回りを緩く締め付けられて、布が肉に食い込む感覚がリアルだった。
「ぐぅぅ」
 喉の奥で呻き、凛として佇む男を仰ぐ。
 雲雀は飄々とした態度を崩さず、机を挟んだ先から綱吉を見詰めていた。
 そして。
「うん。やっぱり太ってる」
「うわあああぁぁぁん!」
 先程と同じ台詞を繰り返されて、またしても綱吉は地に沈んだ。
 穴があったら入りたかった。今まで誰に言われても笑って流せたのに、彼に言われるとショックで死にそうだった。
 机に寄り掛かり、項垂れて涙を呑む。そんな露骨すぎる態度が、確信を深める要素になっているとは気づきもしない。
 墓穴を掘っている綱吉に嘆息し、雲雀は卓上を埋める大量の書類と、小ぶりな陶器の壺を眺めた。
 蓋がついているそれは、貝殻を模した入れ物だった。底は浅く、真珠貝を思わせる白さだった。
 試しに突起を摘んで持ち上げれば、中に入っていたのは山盛りのチョコレート。それもナッツ入りだったり、キャラメル入りだったりと、種類は豊富だった。
 色も定番の茶色だけでなく、白もあれば、黄色っぽいものまであった。
 甘ったるいカカオの匂いが立ち込めて、雲雀は即座に蓋を戻した。カツリと音が響いて、綱吉も観念したのか顔を上げた。
 鼻を愚図らせて、若きボンゴレ十代目は恨めし気に雲雀を睨んだ。
「なるほどね」
 視線を感じ、彼は肩を落とした。納得だと首肯して、以前に比べて随分ふっくらした青年を見下ろす。
 意味深な独白を聞いて、綱吉は肉厚の頬を膨らませた。
 多忙を極めて自分の時間が取れず、城下の散策さえままならない状況に陥った綱吉が、かなりストレスを溜め込んでいる。
 このままでは潰れてしまうかもしれないから、一度顔を出して、発破をかけてやってくれ。
 それが雲雀を呼び出した、リボーンの言葉だった。
「あの野郎……」
 彼がどうしてイタリアを訪れたのか。秘されていた事情を教えられて、綱吉は低い声で唸った。
 何年経っても、あの男の掌で踊らされている気がする。昔からそうだったとがっくり肩を落とし、彼は額に手をやってゆるゆる首を振った。
 リボーンの言葉から、雲雀は綱吉がげっそりやつれ、痩せ細っているとイメージしていた。疲労が蓄積して、ただでさえ細い体が、風が吹けば折れる小枝のようになっているのではと危惧した。
 ところが蓋を開けてみれば、逆だった。
「どうりで、説明があまりなかったわけだ」
 ぼそっと零し、雲雀はすっかり肉付きが良くなった青年を上から下まで、じっくり眺めた。
 枯れ枝だった腕には脂肪が付き、骨に直接皮が張り付いていたイメージがなくなった。指も少々太くなり、スーツのウェストが窮屈そうだった。
 丸々と太っているとは言わないが、五キロ以上は体重が増えているだろう。服を脱いだらもっと酷いはずで、このまま行けば成人病コースまっしぐらだ。
 些か前に張り出している腹を重点的に見つめる雲雀に、綱吉は口をもごもごさせて、身を捩った。
「しょうがないじゃないですか。ここんとこ、デスクワークばっかりで、運動不足だったし……」
 城下町の散策は、良い気晴らしだったと同時に、ウォーキングも兼ねていた。石畳の街並みを端から端まで見て回るのは、かなりの運動量だった。
 それがここのところ、全く出来ていないので、身体は鈍るばかり。
 更に各方面の要人との会談ですり減った脳細胞を慰めようと、甘いモノの摂取が自然と多くなった。
 日中は椅子に座ったまま滅多に立ち上がらず、ずっと同じ姿勢のまま。それで食べる量は増えているのだから、太るのは当然だった。
 言い訳を試みるが、雲雀相手に通用するとは思えない。実際、彼は無表情で背中に手を回した。
 片付けたばかりのトンファーを、今度は左右両方とも取り出されて、綱吉は全身に鳥肌を立てた。
「ちょっ、と!」
「太るのが嫌なら、運動すれば良いだけでしょ。相手になるよ」
 本当に彼は、この歳になっても人の話を聞こうとしない。
 焦って竦み上がった綱吉など軽く無視して、雲雀は棘を生やした金属製の武器を身構えた。
 今までで一番生き生きとした、嬉しそうな顔をされて、ため息しか出なかった。
「今の俺に勝って嬉しいですかー?」
 だからやり方を変えて、いつもと違う聞き方をしてみた。
 ほら、とスーツの前ボタンを外して左右に広げて見せてやれば、彼は僅かに身を乗り出し、何も言わずに武器を仕舞った。
「……ふぅん」
「くっ」
 あまりにも潔く退いて貰えて、逆に屈辱だ。悔しさを堪えてぽっこり出た腹を隠し、綱吉は今夜から早速ダイエットしようと心に誓った。
 もしやリボーンは、着実に太りつつある教え子を心配し、予防策として雲雀を呼んだのか。
 何もかも見透かされて、面白くない。結局は彼に操られているようなものだ。もう二十歳を過ぎていい大人なのに、親離れ出来ていない子供に等しい。
 裏であれこれ画策されるのは癪で、悔しい。しかし見事に踊らされている。
 最低で、最高のプレゼントだ。これ以上もなければ、これ以下もない。あとは溜まりに溜まった書類の処理を、少しくらい手伝ってくれれば文句ないのだが。
 気が付けばため息が漏れていた。深く肩を落として項垂れていたら、カツカツ足音響かせた雲雀が机を回り込んできた。
 障害物を避けて近づいた彼に気付き、腰を捻ってそちらを向く。彼は顎を撫でて、思案気味に眉を寄せていた。
 気難しげな表情を見せられ、綱吉は首を捻った。両手をだらりと垂らせば、ボタンを留めていないスーツが緩く左右に広がった。
「ヒバリさん?」
「ちょっと失礼」
 怪訝にしていたら、珍しく断りを入れられた。あまりにも聞き慣れないひと言に驚いていたら、雲雀の右手がスッと伸ばされた。
「あんぎゃっ」
 直後。
 裾を捲って直接脇腹に触れられて、肉を摘まれた綱吉は変な悲鳴を上げた。
 贅肉が集められ、ぷよん、とした感触が自分にまで伝わった。痛みはないけれども脂肪が跳ねる感覚があって、これまで直視してこなかった自身の異変に四肢が凍り付いた。
 毎日鏡の前に立つけれど、日々の変化は微少で、本人では分かり辛い一面があった。しかしこうして雲雀に触られて、短期間で太った現実がはっきり体感出来た。
「ああ、結構……これは」
「言わないでくださいよぉぉぉぉ」
 その上しみじみと呟かれて、穴があったら入りたかった。
 駄目だと思っても、チョコレートに手が伸びた。会談では甘い菓子もテーブルに並ぶ。手土産に持ってこられたら、断れない。
 ディーノも最近腹が出てきたとかで、毎朝のジョギングが欠かせないのだとか。甘いものが特に大好きな骸は全くスタイルが変わらないけれど、彼の場合は幻覚で誤魔化せるので、真実は如何に。
「ボンゴレのボスが豚じゃあ、示しがつかないね」
「だから虐めないでくださいってばー!」
 丸々としたシルエットが三つ並ぶ様を想像して、綱吉は青くなった。悲痛な声で絶叫して後退を試みるが、雲雀が許すわけがなかった。
 逃げようとする身体を追いかけて、彼は両手を広げて左右から囲い込んだ。
「ぶっ」
 胸から体当たりされて、息が詰まった。顔面に圧力を感じて、潰れた鼻がじんわり痛んだ。
 視界が一気に暗くなった。十年の間に体格差は広がって、綱吉の額は雲雀の肩を少し越えた辺りにあった。
 真っ先にネクタイの結び目が見えて、距離の近さを思い知らされた。低めの体温が布越しでも感じられて、ドキッとする間もなく、両側から伸びた手で尻を鷲掴みにされた。
「ひぎゃあああ」
 色気のない悲鳴を上げ、爪先立ちになって竦み上がる。不安定なバランスで頼るのは雲雀しかおらず、両手は逞しい腕を咄嗟に掴んで離さなかった。
 ぶるぶる震える子犬になって、セクハラに耐える。歯を食い縛って我慢していたら、尻だけでなく、太腿や上腕まで撫で回された。
 着衣の上から見るのと、実際に触って確かめるのとでは違う、という事か。
 二重の意味で恥ずかしいと顔を赤くしていたら、ひと通り満足したのか、頭上で雲雀が溜息を吐いた。
「君、誰にでも触らせてないよね」
「はああ?」
 さっきから語尾が伸びてばかりだ。素っ頓狂な声を上げ、綱吉は人を驚かせる天才に目を丸くした。
 こんな事を許すのは、彼だけだ。リボーンは偶に尻を触ってくるが一瞬だけで、他の守護者たちは手を出して来ない。例外は骸だが、彼にはちゃんとやり返している。
 タンコブを三つか四つ重ねた男を思い出して、綱吉は膨れ面で口を尖らせた。
 それをぺしゃんこに凹ませて、雲雀は滑稽な表情を笑った。
 右手で頬を挟まれた。親指と中指で押し潰されて、口の中にあった空気は全部外へ出て行った。
 睨みつけるが、迫力はないに等しい。ひょっとこのようだと言われて、我慢ならなかった綱吉は彼の足に踵を突き刺した。
「いった」
 甲を潰され、男は瞬時に利き足を引いた。綱吉も解放して距離を作り、先程の感触を忘れないようにか、両手の指を蠢かせた。
 見せつけるようにワキワキ動かされて、咄嗟に尻を両手で隠す。過剰反応を見せた綱吉に、雲雀は口元を綻ばせた。
「うん。尻はそのままでいいよ。でも脇腹と、下腹はもうちょっと凹ませてくれると嬉しいかな。太腿も今のサイズで丁度いいかも。二の腕は、……うん。許容範囲」
「何の話ですか」
「勿論、触り心地の話」
 手を動かすのを止めず、しれっと言い切る。
 どこかのスケベ親父のようなひと言を告げられて絶句して、綱吉は顎が外れそうなくらいに口を開いた。
 呆然としている恋人を前にして、雲雀はクスクスと声を漏らした。
「特にズボンのウェストに贅肉が乗っているのは許し難いね。六つに割れ、とは言わないけれど、そこはちゃんと括れておいてもらわないと」
「ぎくっ」
「でもお尻が丁度良くなったから、今は許してあげる。次会った時にまだ二段腹だったら、……どうしようかな」
「ヒバリさんって、尻派だったんですね」
「君に胸は求めてないよ」
 そういう場所の豊満さは欲していない。きっぱり言い切られ、綱吉は雲雀の意外なこだわりに失笑した。
 彼のことは知り尽くしていたつもりだが、盲点だった。
 中学時代の綱吉は、とにかく小さく、細かった。
 なんといっても、同年代の女子より軽かったのだ。身長だって百六十センチに届かず、捻れば簡単に折れそうなほどに頼りなかった。
 高校生になって少しは背が伸びたが、平均身長にはついに届かなかった。
 健康診断では毎回痩せ過ぎと指摘され、もっと食べるよう言われた。だがちゃんと三食、毎日欠かさず食べていてそれなのだ。
 太らないのは、遺伝だと思っていた。
 この歳になってそうでなかったと教えられて、綱吉は天を仰いだ。
 腹を叩けば小気味の良い音がした。狸になった気分でもう一度叩いていたら、脇をすり抜け、雲雀の手が潜り込んだ。
「ぎゃあああ」
「ああ、でもこれはこれで、結構……」
「昼間っから何してくれてんですかあ!」
 しかもウェストに食い込む肉を押し退けて、ズボンの中に指をねじ込んだのだ。
 手首で臍の当たりを擽られ、中指は下着の縁を引っ掻いた。本人に深い意図はなかったのかもしれないけれど、素肌を弄られた綱吉は吃驚させられた。
 慌てて払い除けて、上着のボタンを急いで留める。雲雀は名残惜しそうな顔をして、温もりを残す手を頬に押し当てた。
 弾力があり、揉み応えがある肉は、骨と皮ばかりのごつごつした感触よりも魅力的だ。
 案外悪くないと考えを改めようとしている彼に冷や汗を流し、綱吉は身なりを整えてじりじり後退した。
 嫌な予感しかしなかった。
 仕事は山積みで、今日中に決済しなければならない案件のオンパレード。しかし目の前の男は、そんな事お構いなしだ。
 頬をヒクリと震わせて、綱吉は無理のある笑顔を浮かべた。一方の雲雀もにこやかに微笑んで、またしても両手の指で空を掻きまわした。
「折角だし、どこまで太ったか、もっとじっくり観察させてよ」
「お、お断りします」
「遠慮しなくていいよ。ダイエットにだって協力してあげるから」
「それって、乗馬の動きで腹筋を鍛えるとか、そういう系の話じゃないですよね?」
「へえ。体位のリクエストなんて、珍しく積極的じゃない」
「違いますっ!」
 墓穴を掘った。明後日の方向へ話が飛んで、綱吉は真っ赤になって怒鳴った。
 だがもう手遅れだった。
 なにもかも、後の祭りだった。
「善は急げって言うからね。寝室はこっちだっけ」
「待って。俺は承諾してな……ですから、ヒバリさんってば!」
 雲雀のスイッチはとっくに入った後だった。目的を完遂しない限り、彼のチャンネルは絶対に切り替わらない。
 目の前が暗くなった。腕を掴まれて咄嗟に抵抗するが、多少体重が増えた程度ではびくともしなかった。
 悲痛な叫びがこだまするが、助けはやってこない。
 こんな時に限って部屋が防音仕様になるのは、どうにかならないのか。
 あまりに都合良く出来ている環境に歯軋りして、綱吉は火照って赤い顔を伏した。
 

2014/12/06 脱稿