千歳緑

 合宿の楽しみと言えば、なんと言ってもみんなと同じ屋根の下で眠る事。大きな風呂場で大騒ぎをして、大勢でテーブルを囲んで食事をして、夜遅くまで色々な話で盛り上がる事。
 勿論練習も大事だというのは分かっているが、そればかりではつまらないし、辛い。好奇心旺盛な十代の若者には、適度な休息と刺激が必要不可欠だった。
 そんなわけで陽も沈んだ夜の学校を探索するのも、所謂お約束のひとつだった。
 もっとも、お化けや幽霊といった類を探しに行くわけではない。日中は体育館にカンヅメなので、こんな時間しかうろうろ出来ないだけだ。
 夕飯も終わり、風呂も入った。全身から立ち上っていた湯気は落ち着いて、毛先からぽたぽた垂れていた雫も数をかなり減らしていた。
 念のため首にタオルを巻いて、宮城から持ち込んだ上履きをぺたぺた言わせる。踵を踏み潰している所為で、足を持ち上げる度にゴム底が古びた廊下を叩いた。
 埼玉県にある森然高校は豊かな自然に囲まれた高台にあり、体育館は新旧含めて三つあった。それらは屋根付きの渡り廊下で繋がれて、一筆書きのようなルートを形成していた。
 烏野高校も広い敷地を持ち合わせているが、ここはそれ以上だ。油断すると簡単に迷えてしまえる空間を見回しながら、日向翔陽は何度も目を瞬かせた。
「すげーなー」
 タオルの両端を緩く握って持ち、振り子のように首を揺らしながら廊下を行く。暗闇には月が浮かび、薄墨色の雲が星明りを隠していた。
 学校には森が迫り、両者を区切るのは傾斜も急な坂だった。昼間はそこを何度も往復させられて、脚の筋肉はパンパンに膨らんでいた。
 もっとも夕飯と風呂のお陰でひと心地つけたので、体力は幾分回復していた。チームメイト数人はまだぐったりしていたけれど、一晩眠れば流石に大丈夫だろう。
 たった一日でげっそりやつれてしまった月島を思い出し、リズムよくスキップを刻む。口笛を吹きたくなるがそれは我慢して、日向はひとり、夜の学校に目を凝らした。
 母校とは構造も、配置も、何もかも違っていた。
 たとえば、昇降口の下駄箱の並び。職員室や校長室の位置。食堂に置かれた自動販売機の種類に、掲示板に貼られているチラシやポスターの数、など等。
 数え出したらきりがない。それが面白くて堪らなくて、大粒の眼はずっとキラキラ輝いていた。
「おもしれー」
 校長室近くにはガラスケースが置かれ、中にはトロフィーや楯が収められていた。年代は古いものから、新しいものまで様々で、森然高校の歴史が肌で感じられた。
 烏野高校にも似たようなものがあるが、数はもっと少ない。裏を返せば、いくらでも飾る場所があるわけだ。
 十年後や二十年後まで語り継がれる歴史を自分たちで作るべく、ひとり決意を新たにする。その為にももっと練習を頑張ろうと、気合いを入れ直して腹に力を込める。
「よーし、やるぞー」
 両腕を高く掲げて吼えれば、静かな空間に声が反響し、何重にも重なり合った。
 まるでこだまだ。時間を忘れていたとハッとして、日向は慌てて自分の口を塞いだ。
 まだ眠るには早い時間ながら、余程の体力自慢でない限り、みんな疲れている。生徒らが合宿中に寝起きする部屋はここより階が上ながら、騒げば音は響くだろう。
 それに学校内という環境上、娯楽は殆ど無い。テレビを見る事も叶わず、練習が終われば後は寝るくらいしかない。
 気の早い部員は、早々に布団に潜りこんでいる筈だ。安眠を邪魔される不快感は半端なくて、日向自身、何度も経験があった。
 気持ちよく眠っているところを叩き起こされるのは、非常に腹立たしい。反省して首を竦めて、彼はそろり、ガラスケース前を離れた。
 大きな掲示板の前を通り過ぎ、昇降口へと戻る。烏野高校のメンバーが寝起きしている部屋は、この棟の三階だった。
「どーしよっかなあ」
 照明が消されて暗い階段を見上げて、彼はぽつりと呟いた。
 外に出て下手に迷子になるのは嫌だし、蚊に刺されるのも避けたい。かといってすぐに部屋に戻るのも、勿体ない気がした。
 折角探検に出てきたのに、自慢できる発見がひとつもないのは寂しい。ならばもう一周くらい、学校内を歩き回ってみるのが吉か。
 思い悩み、判断に苦慮して決めかねていたら、突然上からカコン、と物音が降ってきた。
「?」
「あ……」
 何かが床に落ちて跳ねたらしき音に、首は自然と斜め上を向いた。大粒の目を真ん丸にして闇に挑んだ彼の視界には、先程までなかった影が紛れていた。
 人だ。
 それも、日向も良く知る人物だった。
 あちらも驚いた顔をして、萎縮して小さくなった。落としたものを拾おうとして腰を折った状態のまま、暗い踊り場を横歩きで逃げていく。
 何故離れていくのかと首を傾げ、日向は疑問符を生やして口を開いた。
「研磨?」
 いったい彼は、そこで何をしているのだろう。
 折角階段を下りてきたのに、来た道を戻ってまた登ろうとしている。奇妙な行動を執る友人に半眼して、日向は狭い段差に爪先を乗せた。
 一段だけ登って背伸びをすれば、逃げられないと悟ったのか、背筋を起こした孤爪が手摺り側に進み出た。
「……翔陽」
 表情は気まずげで、困っている様子が窺えた。
 どうしてそんな顔をするのか分からなくて、日向は渋面を作った。相変わらず人と目を合わせようとしない友人に眉を顰め、更にもう三段、階段を登って爪先立ちになる。
 じわじわ距離を詰めて来られた孤爪は視線を宙に投げ、観念して溜息を吐いた。
 その細い肩から、背負ったリュックサックの紐が片方、滑り落ちた。
「なにしてんの?」
 なで肩な上に猫背気味なので、簡単にずり下がってしまうのだ。それを急ぎ戻していたら、踊り場まで残り二段となった日向に高い声で問われた。
 声変わり前かと疑いたくなるボーイソプラノに苦笑して、根本は黒く、毛先だけ金色の少年は手の中のものを彼に示した。
 けれど光が遠い所為で、あまりはっきり見えない。
「ん~?」
 パッケージの形状からある程度推察は可能だが、表面に印刷された字が読めなくて、確信が持てない。だからと目を細くして顔を近づけた日向に、孤爪は一瞬間を置いて肩を震わせた。
 必死になって笑いを堪える彼を片目で睨みつけ、日向は背筋を伸ばし、口を尖らせた。
「研磨」
「ごめん」
 拗ねた声で名前を呼べば、あっさり謝罪された。
 この辺りが、チームメイトとは違うところだ。偉そうな影山や月島とは違って、孤爪は日向の感性に近い場所にいた。
 たったこれだけのやり取りで機嫌を直し、彼は差し出された筒状のものを素直に受け取った。
「あ、これ」
「翔陽も食べる?」
「いーの?」
 それを光に透かし、幾らか読みやすくなった文字に目を輝かせる。歓喜の声を響かせた彼に孤爪が続けて、日向は声を弾ませた。
 それはコンビニエンスストアなどで売られている、定番のお菓子だった。
 しかも味が、普通とは違う。最近発売されたばかりなのか、印刷されているイラストは日向の知らないものだった。
 オーソドックスな物しか食べたことがなくて、味の想像がつかない。けれどきっと美味しいに違いなくて、考えるだけで涎が出た。
 夕飯をたっぷり、腹いっぱいになるまで食べたというのに、だ。
 ぐぅ、と腹まで鳴った。底なしの食欲に自分で赤くなって、日向は穏やかに微笑む孤爪に舌を出した。
「いいよ。どうせ、おれひとりだと食べきれるか分かんなかったし」
「えー、そうなの?」
 その彼は馬鹿にすることなく告げて、取り戻した菓子箱を耳元でカタカタ鳴らした。
 円筒状の容器は底よりも蓋の方が大きくなっており、中に納まるのは芋を固く焼いた棒状の菓子だった。歯応えが重視されていて、前歯で砕きながらリズミカルに食べるコマーシャルが人気だった。
 味のバリエーションは多く、そして変遷も早い。気に入っていたのにいつの間には市場で見かけなくなった、というのも良くある話だった。
 内容量は多くもなく、少なくもなく。ただ一度食べ始めると手が止まらなくなるタイプで、気が付けば容器が空になっているのが当たり前だった。
 だからこそ、孤爪の小食ぶりに驚かされた。そういえば夕飯の席でも、あまり箸が進んでいない様子だった。
「でもこんな時間に食べてたら、太るよ?」
「太るほど食べてないから、大丈夫」
 それを前提に言ってみたが、さらりと言い返された。それに今は日向も居る、と珍しく真っ直ぐ目を見ながら訴えられては、誘いを渋るわけにはいかなかった。
 照れ臭さに負けて頬を赤く染めて、日向は階段を降り始めた孤爪を慌てて追いかけた。
「どこいくの?」
「食堂」
 訊けば即答された。菓子を食べるだけなら寝泊まりしている部屋でもよかろうに、わざわざ別の場所を選ぶのには、何か理由があるのだろうか。
 不思議そうにしていたのがバレたのだろう。振り返った孤爪が、きょとんとしていた日向に相好を崩した。
「ホントは、そこでゲームしようって、思ってたんだけど」
 飲み物も欲しかったし、と付け足して、姿勢を戻す。短い説明で事情を把握して、後ろを行く日向は成る程と頷いた。
 孤爪が携帯用ゲームを愛用しているのは、前から承知していた。
 相変わらずな彼に目を細め、日向は白い歯を見せた。歩幅を狭くする代わりに脚を素早く動かして追い付き、横に並んだ後はペースを揃えて廊下を行く。
 食堂は靴を履き替えなくても、渡り廊下を使えば簡単に辿り着けた。
「翔陽は、なにしてたの」
「おれ? おれはね、探検」
「ああ。何か面白いとこ、あった?」
「それがさー、全然。で、もっかいうろうろしようと思ってたら、研磨見つけたから」
「もういいの?」
「うん?」
「探検、しなくても」
 扉は閉まっていたが、鍵はかかっていなかった。少し重いそれを左に滑らせて道を作って、照明は全部ではなく、一部だけに光を点す。
 移動中の他愛無い会話は、食堂に着いてからも続いた。
「いーよ。研磨といる方が楽しそうだし」
「おれ、ゲームするよ?」
「見てるだけでも面白いし。って、あ!」
「翔陽?」
 言葉がポンポン飛び出して、空中を飛び交っていた。いつになく多弁になっている自覚のあった孤爪は、突然叫んだ日向に驚いて首を竦めた。
 ゲーム機の入ったカバンを肩から滑らせ、呆然と立ち尽くしている年下の友人に目を点にする。彼は両の手をわなわな震わせて、顔色悪く唇を開閉させた。
 急にどうしたのかと眉を顰めていたら、泣きそうになった日向が大きく鼻を愚図らせた。
「どーしよう、研磨。おれ、お金持ってない」
 そうしてショックを隠し切れないまま、鼻声で呻いた。
「……え?」
 ただ孤爪は、その事実にそれほど衝撃を受けなかった。むしろ当然ではないかと呆気に取られ、返答も忘れて頬を引き攣らせた。
 通行料を取られるわけでもないし、学校内を探索するだけなら、金は不要だった。
 そもそも、日向は手ぶらだった。後は寝るだけとなっているラフな格好で、財布を持ち歩くのは逆に不自然と言えた。
 孤爪と遭遇し、食堂に来たのは完全なイレギュラー。当初の彼の行動予定にはなかった事なのだから、これは仕方がなかった。
「いいよ。奢ってあげる」
「駄目だって。悪いし」
「じゃあ、おれの、ちょっとあげる」
 ならば買ってやろうと試みるが、強い口調で固辞された。ならばと代替え案を提示すれば、数秒悩んだ末、日向は首肯した。
 一本丸ごとと、ほんの数口に、どれだけ違いがあるのだろう。もっとも孤爪の方も、ペットボトルを購入して、全部飲み切れる自信がなかったので都合が良かった。
 余らせて捨てるのは勿体ないし、部屋に持ち帰っても常温で放置するのは怖い。部のメンバーに見つかって事細かに追及されるのも、それはそれで面倒臭かった。
 もし飲み干せなかったとしても、押し付ける相手が出来た。日向と会えてよかったとはにかんで、孤爪は居並ぶテーブルのひとつに鞄を置いた。
 背凭れのない椅子を引き、腰を下ろす。日向は向かいではなく、左隣に居場所を定めた。
「そこでいいの?」
「ダメ?」
「うぅん。全然」
 てっきり反対側に座るものとばかり思っていたので、意外だった。吃驚していたら不安そうに訊かれて、孤爪は慌てて首を振った。
 嫌がっていると勘違いさせてしまった。そうではないと声にも出して否定して、孤爪は鞄から財布を引き抜いた。
「先に食べてていいよ。翔陽、苦手なのって、ある?」
「えー。研磨が好きなのでいいよ。コーヒー以外で!」
「言ってるじゃない」
「えっへへー」
 ひっそり食べるのを楽しみにしていた菓子はテーブルに残し、席を立つ。自動販売機へ移動しながらのやり取りには、噴き出さずにはいられなかった。
 茶目っ気たっぷりに首を竦めた日向に目を眇め、清涼飲料水を選んで戻る。菓子の蓋は開かれず、そのまま残されていた。
 食べないのかと目で問えば、丸椅子の座面を握った少年は淡く微笑んだ。
「だって、研磨のだし」
 分けてもらう立場の人間が、勝手な真似は出来ない。遠慮しているのだと暗に告げられて、孤爪は少しだけ哀しくなった。
 自分たちにはまだ垣根があると教えられた。友達同士にも一定の気遣いが必要、という考え方には至れなかった。
「いいのに」
 少しだけ機嫌を損ね、声は素っ気なくなった。ぼそりと吐き捨てた台詞を拾った日向は素早く瞬きし、椅子の上から身を乗り出した。
「研磨、なんか怒ってる?」
「ないよ」
 鈍感なフリをして、意外に察しが良い。微細な変化を嗅ぎ取った彼から仰け反って逃げて、孤爪は買ってきたボトルを遮るように置いた。
 青色を主体にしたパッケージは、東北で売られているものと全く同じだった。
 その珍しくもないペットボトルに彼の意識が向いているうちに、孤爪は菓子を引き寄せて、蓋を一気に引き剥がした。
 完全に分離させず、一センチ弱、接点を残して箱を開ける。香りはしなかった。代わりにガサッ、と揺れた中身が飛び出しそうになった。
 勢いが強すぎたのだろう。菓子が浮いた分だけ慌てて箱を持ち上げて、事なきを得た孤爪はホッと胸を撫で下ろした。
 それを見ていた日向が、堪え切れず噴き出した。
「研磨、下手だなー」
「こんなのに、上手いとか、ないと思う」
「じゃー、ヨーグルトの奴、飛ばさないで開けられる?」
「……翔陽はどうなの」
「おれも無理。あれって難しいよねー」
 ケタケタ笑って、脚も交互にばたつかせる。脇道に逸れた話題は本筋に戻ることなく、藪の中に放置された。
 ひとつのテーマに集中せず、話の中心は頻繁に入れ替わった。どこからそんな話が出て来たのかと首を傾げる事もあったが、テンポが良いのであまり気にならなかった。
 一週間分の会話を五分足らずの間で繰り広げて、孤爪は細長い菓子を一本引き抜いた。
「はい」
「いえーい」
 残りを箱ごと押し出せば、日向は両手を挙げて満面の笑みを浮かべた。
 嬉しそうに歓声を上げて、テーブル上を移動した菓子に早速手を伸ばす。最早遠慮はいらないとばかりに二本まとめて頬張って、その美味しさに舌鼓を打つ。
「うんまー」
「良かった」
 率直な感想にホッとして、孤爪も次の一本を口に入れた。サクサクした歯応えを楽しみつつ、指先に残った粉もぺろりと舐める。
 それを横からじっと見られて、彼は怪訝げに首を傾げた。
「なに?」
 食い意地が張っているように思われたなら、心外だ。少し不安になって問いかければ、日向は大きな目を細めて笑窪を作った。
「研磨、猫っぽい」
「……意味分かんない」
 あっけらかんと言い放たれた台詞が理解出来ず、眉間に浅く皺が寄った。それを不機嫌になったと感じたのか、日向は慌てて表情を引き締めた。
 そうして一部だけ明るい食堂内を見回して、白いテーブルに陣取る孤爪の鞄に視線を向けた。
「やんないの?」
「うん?」
「ゲーム」
 短い言葉のやり取りに、孤爪は二度、瞬きを繰り返した。
 ほんの僅かな変化だったが、彼の声には元気がなかった。心細げに呟かれて、一瞬間を置いて、孤爪は肩の力を抜いた。
 伸ばした手はペットボトルを掴んだ。薄い鞄は肘で脇へ押し退け、ふたりから遠ざける。
「うん」
 キャップを捻りながら頷いて、プラスチックの留め具が折れる感触を掌に閉じ込める。
 鼻から息を吐くのに合わせた首肯に、日向はすぐに反応しなかった。
 伝わらなかったのかと心配になり、孤爪は傍らを窺った。恐らくは聞こえなかったのだろう。案の定、彼はぽかんとしていた。
 不思議そうに見つめられて、自然と苦笑が漏れた。
 幼馴染である黒尾や、部のみんなは、付き合いの長さもあるのか、雰囲気で察してくれた。きっとこう思っているのだろう、と独自に解釈をして、間合いを把握してくれていた。
 けれど日向が相手では、そうはいかない。曖昧に濁していては駄目なのだと、人との付き合い方を考え直させられた。
「しないよ」
「なんで?」
 だから言い直し、声に出す。すると日向は即座に口を開き、首をこてん、と右に倒した。
 無垢な瞳に見つめられて、孤爪は答えを躊躇した。
 理由を聞かれるとは思っていなかった。
 そんなもの、存在しない。明確な回答は見当たらず、ただなんとなく、としか言い表しようがなかった。
 そう、なんとなく、だ。
 最初はゲームをする気でいた。誰にも邪魔されず、静かで、菓子を奪われない環境を求めて、食堂へ行こうと決意した。
 その道中に日向と遭遇した。当初の目的を果たそうとするなら、彼とはあの場で別れるべきだった。
 既に計画はとん挫している。日向を食堂に誘ったのは孤爪だ。独り占めするつもりでいた菓子も自ら提供して、それを嫌だと思っていない。
 どうして。
 降って湧いた疑問に、答えはストンと落ちてきた。
「翔陽が、いるから」
 声に出せば、余計にしっくりきた。他に思いつかないと自信を深めて、孤爪はぽかんとしている友人に相好を崩した。
「翔陽と喋ってる方が、楽しいから」
 他に理由などない。
 必要ない。
 これまでずっと、ゲームがあればそれで良かった。いや、ゲームでなくとも別段構わなかったのだ。ひとりで過ごすのに適した暇潰しなら、なんだって。
 他人と関わり合いになるのが、ずっと煩わしかった。ゲームは、周囲から自分を切り離す役目も果たしていた。壁を作り、寄せ付けない為の道具だった。
 そのゲームを、今はやりたいと思わない。
 こんな心境に陥ったのは初めてで、けれど意外にも、心は穏やかだった。
「……えへ」
 真正面から向き合って告げた孤爪に、日向は面映ゆげに微笑んだ。照れているのか頬をほんのり朱に染めて、首を竦めて目尻を下げていた。
 それはいつもの彼の、元気一杯で太陽のような笑顔とは少し違っていた。
 初めて目にする種類の笑みに、孤爪は一寸驚いて目を丸くした。けれど心はすぐに和いで、嬉しさがじわじわ膨らんでいった。
 一緒に居ると、楽しい。嬉しい。
 もっと喋りたい。色々なことを話したい。
 知りたい。知ってほしい。
 分かりたい。分かり合いたい。
 通じ合いたい。
 繋がりたい。
「おれも、研磨といっぱい喋れるの、うれしい」
 気恥ずかしげに日向が告げて、孤爪は頬を緩めた。小さく頷いて返し、軽く身じろぐ。
 座っている椅子ごと日向の方へ近付いて、肘がぶつかる距離まで迫って。
 肩を寄せ合い、そっと息を殺して。
 まずは何から話そうか。
「ねえ、翔陽」
「うん?」
 囁けば、無邪気な瞳が覗き込んでいた。その愛くるしい眼差しに相好を崩し、孤爪はそうっと口を開いた。

 

2014/9/22 脱稿