Bubble gum

 影山飛雄は不機嫌だった。
 目に見えて苛々しているのが分かり、誰も彼に近付こうとしない。真っ黒いオーラを立ち上らせてボールを握り締める様は、地獄の門番も裸足で逃げ出す迫力だった。
 左右から挟み持たれたボールは圧を受け、縦長に変形していた。このままだといつか破裂してしまいそうで、見ている方はハラハラしっ放しだった。
 大体、そのボールはタダではない。僅かな部費から新品を買い足すのも大変なのに、本人はそんな事、欠片も思っていない様子だった。
「いい加減にして欲しいんだけどな」
「ホントだよね、ツッキー」
 そんな彼を遠目に眺め、月島が肩を落として溜息をつく。もれなく隣にいた山口が楽しげに同意して、頭の天辺で跳ねている髪をひょこひょこ揺らした。
 声が弾んでいるのは、状況を面白がっているからだ。含み笑いを零している幼馴染を一瞥して、月島は再度、別の理由から嘆息した。
 ずり落ちそうだった眼鏡を押し上げ、体育館の一画で発生した内戦に肩を落とす。もっとも敵対心を露わにしているのは片方だけで、もう片方には争うつもりなど一切なかった。
 凄い形相で睨んでくる影山に苦笑を浮かべ、烏野高校男子排球部の副部長は困った風に頬を掻いた。
「あー、もう。お前らなあ」
 じりじりにじり寄ってくる影山を牽制して、菅原が声を高くした。両手を胸の高さに掲げて落ち着くように諭し、背後に庇っている相手にもちらりと視線を流す。
 彼に守られる形で立っていた少年は、口をヘの字に曲げ、負けるものかと影山を睨み返していた。
 但しその手は菅原の上着を掴み、しかっと握って離さない。身体は菅原の後ろに隠し、頭だけ出して前方を覗き込む姿は、傍目には滑稽だった。
 練習は先ほどから中断していた。
 とてもではないがみんなで仲良く、わいわいやりながら打ち込める雰囲気ではない。そもそもスパイク練習中だったのに、トスを上げるセッターが両方手を休めてしまったわけだから、練習の継続自体が不可能だった。
 残る部員は月島たち同様、困った顔で騒動を見守っていた。
 中には長引きそうだと独自に判断し、諦めて壁打ちを開始したメンバーもいた。ドン、ドン、ドン、と喧しい音が響き始めたのを受けて、突っ立っていた数人も彼に倣って動き始めた。
 その間も、セッター二名は気まずい空気の中で対峙し続けた。
「あー、もう」
 臨機応変に練習内容を変更した後輩を盗み見て、菅原は額を打って天を仰いだ。
 どうしてこういう時に限って、頼りになる部長が居ないなのか。あまりにもタイミングが悪くて、運命を恨みたくなった。
 第二体育館の出入り口に目を向けるが、誰かが入ってくる気配はない。部長会議が長引いているのだろう。来年度の予算取りも兼ねているので、マネージャーの清水もそちらに参加していた。
 烏養コーチも家の用事があるとかで、顔を出すのが遅くなると言っていた。
 この状況を叱ってくれる二大巨頭が共に不在なのは、痛い。他に頼りになりそうな西谷は率先してボール拾いに回っており、彼らに背中を向けていた。
 残る三年生の東峰は、最初から当てにならないと分かっている。案の定びくびくしながら様子を窺っていて、菅原と目が合うと慌てて顔を背けてしまった。
 彼の臆病さは、どうにかならないものか。見た目とギャップがあり過ぎると頬を引き攣らせ、菅原は力なく肩を落とした。
 今にも破裂しそうなボールを抱き、影山はギリギリ奥歯を噛み締めていた。
「あのさー、影山」
「はい!」
「……日向だって、悪気があったわけじゃないんだし。許してやれよ」
 そのうち悪魔でも召喚しそうな後輩に呼びかけ、勇ましい返事には苦笑する。真後ろで小さくなっていた一年生がピクリと反応したが、敢えて気付かなかったフリをした。
 喧嘩の仲裁役として、なんとかいきり立つ男を宥めようと試みた彼だが、効果があったかどうかは、甚だ怪しかった。
「そ、そうだ。そうだー」
「こら、日向」
 その最大の原因が、今の今まで萎縮していた後輩の雄叫びだった。
 慌てて制止するが、とても間に合わない。右腕を振り上げた日向に渋面を作り、菅原は急ぎ影山に意識を戻した。
 だが、時既に遅し。
「てンめ……ボケぇ! 日向ボケェ!」
「うぎゃああ」
 一瞬だけ引っ込みかけた黒いオーラは倍増し、影山は怒号を上げて突進してきた。
 振り下ろされた腕を避け、日向が悲鳴を上げた。足がもつれる中で菅原の背中から飛び出して、影山の暴挙から全速力で逃げ回る。
 体育館全体を使った追いかけっこが始まって、菅原は疲れた顔で溜息を吐いた。
「なんだって、も~」
「お疲れ様です」
 折角巧く行きそうだったのに、空気の読めない日向の所為で台無しだ。
 疲労感がドッと押し寄せてきた。頭を抱えて呻いていたら、縁下が苦笑しながら慰めてくれた。
 労われ、菅原も苦笑で応じた。背筋を伸ばして深呼吸をし、騒々しい一年生を目で追えば、抵抗の末に掴まった日向が床に引きずり倒されていた。
 もっとも、彼も一方的にやられてはいない。倒れたところで瞬時に起き上がり、勝ち誇っていた男に一撃をお見舞いした。
 蹴られた影山の顔が引き攣り、どす黒いオーラが噴出した。もう暫くは終わりそうにないやり取りに、菅原は引き攣り笑いを浮かべた。
 そもそも、どうしてこんな事になったのか。
 発端は、セッターがスパイカーへトスを上げてのスパイク練習中での、度重なる失敗にあった。
 影山と日向のコンビネーションは非常に特殊で、スパイカーがトスに合わせるのでなく、セッターがスパイカーの手元へピンポイントでトスを持っていく技だ。
 そんな芸当、菅原には当然真似出来ない。恐らく全国レベルの高校でも、彼に勝るコントロール力を持つ選手はいないだろう。
 だが、そんなトスにばかり頼っていたら、日向は影山以外のセッターと組めなくなる。だから手元に来る、或いは落ちるトス以外にも、スパイカー側で合わせる努力は必須だった。
 ところが、だ。
 最近超特殊系トスにばかり慣れ親しんでいた所為か、日向はなんて事もないはずのトスに空振りを連発させた。
 もっとも、これはなにも日向ひとりの責任ではない。影山も感覚を忘れたくない為か、無意識につい手元で落ちるトスを上げそうになって、寸前で思い出して慌てて修正をかけていた。
 それが却って良くなくて、変なスピンがかかったボールは日向の前で失速し、彼の空振りを誘発していた。
 そんな失敗が、合計で五回以上繰り返された時だろうか。
 影山がついに、キレた。
 ただでさえミスが起きれば人はイラつき、上手くいかないと腹を立て易くなる。一年生セッターはその傾向が特に顕著で、しかも日向が相手だとその度合いは一気に酷くなった。
 三年生の東峰や田中が失敗してもあまり臍を曲げないのに、何故か日向にだけ、当たりが厳しい。ああやって取っ組み合いになるのも、決まって日向に限定された。
「そろそろ止めます?」
「そうだなあ」
 彼らの喧嘩は、子犬同士がじゃれ合っているようなものだ。一度だけ本気で拙い時があったが、今のふたりを見る限り、放っておいても関係性に亀裂が入るとは思えない。
 だからといって放置していたら、いつまで経っても練習が再開出来ない。
 顧問、コーチ、主将の三名が席を外している中、次に決定権を持つのは副部長である菅原だ。縁下の言葉に頷き、彼は両手を腰に当てて目尻を下げた。
「あっ」
「あ? ……あー」
 直後に縁下が肩を跳ね上げ、つられた菅原が急ぎ首を回した。その時にはもう、暴れ回っていた一年生コンビは床に正座をして、恐縮した様子で頭を下げていた。
 傍には坊主頭の田中が仁王立ちして、ガミガミ声を張り上げて怒鳴っていた。
「オメーら、いい加減にしとけよ、オラァ!」
 ちょっと目を離した隙に、何が起きたのか。二年生のトラブルメイカーである田中はこめかみに青筋を立て、後輩を頭ごなしに叱っていた。
 傍には彼が練習で使っていたボールと、何故かバレーボールシューズが片方分、セットになって転がっていた。
 よく見れば、日向が左足しか靴を履いていない。いつの間に、と思いながら大声に耳を傾け、菅原は乾いた笑みを浮かべた。
 田中の説教の内容は、要約すればこうだ。
 もっと周囲を見ろ。今は練習中だ。勝手に騒ぐな、暴れるな。
 痛かったんだから、謝れ。
 後半に行くに従って愚痴が混じり、個人的な感情が多く見られるようになっていった。それで大雑把に理解して、菅原と縁下は仲良く肩を竦めて苦笑した。
 つまりは影山が、捕まえた日向を思い切り放り投げたのだ。
 最強の囮は空中で靴がすっぽ抜けた上、山口と並んで壁打ち練習をしていた田中に激突した。吹っ飛ばされた次期エースは当然怒り狂い、問題児両名の首根っこを掴んで黙らせた、と。
 大まかな流れは、これでほぼ間違いないはずだ。
「先にやられちゃいましたね」
「だな。田中が居てくれて良かった」
 副主将が動く前に、田中が事態を収束させてしまった。痛い思いをした彼には申し訳ないが、有難くもあり、菅原はホッと胸を撫で下ろした。
「いいかー、お前ら。大地らが来る前に、さっさとやる事終わらせちまうぞ」
 その流れで両手を叩き、皆の注意を引き付ける。個人練習に入っていたメンバーはその台詞で振り返り、力強く頷いた。
 もしあのまま二人が騒ぎ続けていたところに、部長が会議を終えて顔を出したら、どうなっていたか。
 連帯責任で関係ない部員まで床に正座し、きつい雷を食らっていたことだろう。
 そうならずに済んで良かった。木下などは露骨にホッとして、成田の失笑を買っていた。
 第二体育館に活気が戻ったところで、菅原は手のかかる一年生二名に視線を向けた。
「ほら、お前らも。始めっぞ」
「うス」
「はあーい」
 彼らは田中に説教されていた時のまま、畏まって床に座っていた。
 一応反省はしたようだが、不貞腐れた表情はそのままだ。お互いに肘を出したり、引っ込めたりして牽制し合って、菅原の呼びかけには各々の個性が出た返事をする。
 ようやく立ち上がった日向は吹っ飛んでしまった靴を拾い、紐を結び直すべく再度腰を落とした。その必要がなかった影山は一足先に皆と合流するかと思いきや、足を止め、日向が身なりを整えるのをそこで待ち続けた。
 ネット際にいた菅原の後ろには数人の行列が出来て、反対側にはボール拾い担当の山口と西谷が回った。セッターはふたりいるので列も二手に別れるべきなのだが、影山がなかなか来ない為、どうすべきか迷った東峰がひとりで右往左往していた。
「旭さん、シャキッと!」
 それがあまりに見苦しかったからだろう、見かねた西谷が鋭く吠えた。
 突如走った大声に戦き、小心者の心臓が口から飛び出しそうになった。周囲からは控えめな笑い声が響いて、そこにキュッ、というスキール音が紛れ込んだ。
「すみませんでした」
「ホントにね~」
 やっと戻ってきた影山が、迷惑をかけたと頭を下げた。日向も傍で恐縮しており、数秒遅れてお辞儀した。
 謝罪を茶化したのは月島だ。本当に反省しているか勘繰って、高めの声で嫌味に呟く。
「な、なんだよ。悪かったってば」
 それに反応したのは日向で、彼は頬を膨らませると、拗ねてぷいっとそっぽを向いた。
 態度からして、あまり悪いと思っていないのがバレバレだ。だが今それを言ってもややこしくなるだけで、時間の無駄だった。
 これ以上練習を遅らせるわけにはいかない。刻々と針を進める時計を一瞥し、菅原はもう一度手を叩き合わせた。
「はいはい、やるぞ~」
 日向にとっては、影山がトスミスを繰り返したのが悪い、という理論なのだろう。自分まで叱られるのは割に合わないと、表情が物語っていた。
 ともあれ、これ以上藪を突いて蛇を出す必要はない。議論が再燃する前に手を打って、菅原は彼らを引き離した。
 後は何事もなく順調に、メニューを片付けていくだけ。それがなかなか難しいのだけれど、無用のトラブルが起きないよう、ひたすら胸の中で祈っていた矢先。
「ぶひゃっ」
 カエルが潰れたような悲鳴が、館内に響き渡った。
 そのすぐ後に、床に重いものが落ちる音が続いた。行き場をなくしたボールがポーン、と高く跳ね上がって、沈黙する空間を横断していった。
 多くの部員が自分のことに集中していた中、事件を目撃したメンバーは少ない。その片手で足りる中に含まれていた西谷は、三秒後、腹を抱えて盛大に噴き出した。
「ぶは、うひゃひゃひゃ。翔陽、おい。なんだそれ、スゲーぞ」
 一時は静かになったと思ったのに、これで帳消しだ。右手で頭を抱え込み、菅原はとことんトラブル体質な一年生にがっくり項垂れた。
 ネット際では日向が、真っ赤になった右頬一帯を押さえて蹲っていた。
「あ、……いや。わ、悪い」
 その前には影山が立って、挙動不審に喘いでいた。行き場のない両手はしつこく空を掻き回し、丸くなっているチームメイトに近づいたかと思えば、一瞬で遠ざかって背中に隠されもした。
「日向、大丈夫?」
「なんだ、なんだ。どーした?」
 一方で西谷とボールを集めていた山口が心配そうに駆けつけて、全く見ていなかった田中が説明を求めて声を高くした。
 鼻血が出ているのか、顔の中心を押さえた日向は動かない。影山はおたおたするばかりで、何の役にも立っていなかった。
 こちらも、最初から最後まで見ていたわけではない。だがおおよそで見当がついて、菅原は眉を顰めて嘆息した。
「大人げないぞー、影山」
「そうだ、そうだ。卑怯だぞ」
「やだー。影山君ってば、サイテー」
「ちょ、気色悪りぃ声出してんじゃねーよ!」
 横では木下と成田が笑いながら囃し立て、そこに乗っかった月島が裏声で天才セッターを責めた。一方的に詰られた影山はピントの外れた怒号を上げて、自分ばかりが不利な状況に歯軋りした。
 どうやら、またしても連携ミスが発生したらしい。
 しかも今度は、トスが日向の顔面を直撃した。
 四月の初旬、彼らが入部したての頃を思い出した。あの時も影山は頻繁に日向の横っ面にボールをぶつけ、日向もネットに絡まってジタバタもがいていた。
 もっともあれは出会ったばかりだったので、息が合わなかったのは致し方ない。だが今は、違う。コンビを組むようになってはや数ヶ月。ふたりの連携は、誰にも負けないところまで来ていたはずだった。
 影山の調子が悪いだけと思いたいが、それでギスギスした雰囲気になるのは困る。解決策が見えなくて、菅原は縋る思いで出入り口を見た。
 しかし残念ながら、人影は見当たらない。知れずため息が零れて、彼は力なく項垂れた。
「参ったなあ」
 心の底から呟けば、聞こえたらしく、縁下が何とも言えない表情を浮かべた。
 一緒になって苦笑いして、よろり、起き上がった日向の動向を見守る。彼は依然赤い右頬を手で庇い、ぶつぶつ何かを呟いた後、突如金切声をあげて床を踏み鳴らした。
「もー、ヤだ!」
 まるで癇癪を爆発させた子供だ。ただでさえ耳に響く声をより一層高くして吠えて、日向は鼻を啜ると大きな一歩を踏み出した。
 誰もが影山に反撃するものと予想し、息を呑んだ。
 当の影山も、当然のように自分に向かってくると思っていた。だからこそ警戒して、いつでも応戦できるように身構えていたのだが。
 日向はあろうことかそんな彼を一顧だにせず、脇を通り抜けていった。
 一瞥すらくれてやらず、徹底的に無視して場所を移動する。そうして彼に詰め寄られて、菅原は吃驚して目を丸くした。
「え?」
 よもや彼が、こちらに来るとは夢にも思わなかった。
 完全に読み違えて、頭が追い付かない。呆気に取られてぽかんとしていたら、荒々しく息巻いた日向が口を尖らせ、右手を伸ばした。
 そして。
「菅原さん、おれにトス、上げてください!」
 仰々しく菅原の手を取り、勇ましく叫んだ。
 その頬はボールに当たった以外の理由で赤く染まっており、彼の怒りの度合いを教えていた。
「ええ、……っと。それは、別に。いい、けど……」
 余程腹に据えかねたらしい。彼の本気具合を知り、菅原は言葉を濁して視線を泳がせた。
 向こうの方で、影山が凍り付いていた。指の一本も動かさずに硬直しており、唖然と開かれた顎は今にも落ちそうだった。
 そんなチームメイトに背を向けて、日向は力強く頷いた。
「宜しくお願いしあーっす」
 あれだけ菅原の返事が歯切れ悪かったというのに、全く気にする素振りがない。影山から離れられるのなら何でもいい、という気概が窺えて、見守っていた部員らは揃って苦笑した。
 これに我慢ならなかったのが、ずっと蔑ろにされ続けている男だった。
「テメー、フザケんなよ、ボケェ!」
 ハッと我に返り、影山は握り拳を振り回した。天井を貫く大声を張り上げて、勝手が過ぎるチームメイトを渾身の思いで睨みつける。
 だが日向はまたも菅原の背に隠れ、可愛らしく頬を膨らませた。
「やなこった。影山のトスなんか、もう要らないしー」
 おおよそ本心ではないことを口にして、あっかんべーと舌を出す。まるで小学生の喧嘩で、間に立たされた菅原は笑うしかなかった。
「お前らなあ……」
 最早注意する気も起きない。折角ネット周りに集まった部員らも、呆れ顔で散開していった。
 縁下がボールの入った籠を引きずり、コートのライン際まで移動した。おたおたしている東峰を残してサーブ練習が始まって、対面にいた西谷が嬉しそうに顔を綻ばせた。
 頭の上をボールが行き交う状況に冷や汗を流し、菅原が日向を連れて後退する。それを追いかけ、影山は仁王の形相で彼らに迫った。
「だからな、影山。まずはぶつけたことを日向に謝らないと」
「そーだそーだ、謝れー」
「うっせえ、日向。大体テメーがヘタクソなのが悪いんだろ」
「こら、影山。違うだろ。下手だからいっぱい練習するんだからな」
「そうだー、そうだー」
「すっ、菅原さんは日向に甘すぎなんです。こいつは、もっと思いっきり凹ませとかないと、すぐ調子に乗って――」
「だからって、凹ませたままなのは良くないだろ。そもそもお前は、日向にばっかりキツいんだから、仕方がないだろ」
「そうだー、菅原さんの言うとーりだー」
 正論で反撃され、影山の顔色はどんどん悪くなっていく。日向は心強い味方を得て勢いを取り戻し、彼の手が届かない位置でやいやい囃し立てた。
 何を言っても効果はなく、逆に追い詰められた。歯を食いしばり、影山は鼻の穴を膨らませた。
 茹蛸よりも真っ赤になって、握り拳を震わせる。いよいよ飛びかかってくるかと思いきや、彼は苛立ちを全部ぶつけるかのように、思い切り床を蹴り飛ばした。
「ああ、そうかよ。悪かったな!」
 そうして捨て台詞を残し、大股でコートの外へ出て行った。
 そのまま体育館も去るのかと思いきや、東峰の隣に陣取ってボールをひとつ手に取った。助走をつけて跳びあがった彼のサーブは西谷の真横に落ちて、大きく弾んで転がって行った。
 凄まじい勢いで、あの西谷ですら反応出来なかった。呆気に取られる部員を余所に、彼は次のボールに手を伸ばした。
 日向も日向だが、影山も影山だ。どんぐりの背比べだと肩を竦めていたら、菅原の後ろにいた少年がもぞもぞと身じろいだ。
「日向?」
 どうしたのかと問う前に、オレンジの髪の少年はぴょこん、とそこから飛び出した。そして止める間もなく駆け出して、轟音を連発させているチームメイトへ駆け寄った。
 忍び足で近付いて、手を伸ばし、一球打ち終えて息を吐く男の脇をちょっと小突いて、すぐ飛び退いて。
 向こうの方で影山の怒鳴る声がした。日向の笑う声もした。口論が始まったが険悪な空気は感じられず、怒号も徐々に落ち着いていった。
 日向が彼に何を言ったか分からない。影山がどう答えたかも聞こえなかった。だが青年が頬を朱に染めたのと、少年が嬉しそうに顔を綻ばせたのは見えた。
 影山の背後から黒いオーラは消えて、並びあうふたりが一緒にサーブを打つ姿が景色に馴染んだ。
「人間臭くなったなー」
 入学当初の影山はツンツンして、人を寄せ付けない雰囲気があった。
 今もその傾向は残るものの、昔ほど鋭く尖っていない。なにより針の山をものともしない日向がいる。その存在は彼にとって、どれほどに心強い事か。
 人との出会いが人を変えると言うが、全く以てその通りだ。
 少々年寄り臭い自分に首を竦め、菅原も皆に混じるべく、歩き出した。

2014/9/10 脱稿